ヴェルサイユ便り

J.S.バッハ無伴奏曲集のマスタークラス

12 2月 2020

マスタークラスはチェロ、ヴァイオリンの2日間行われました

先週は月曜日に校内演奏会、木曜日に王室礼拝堂木曜演奏会、土曜日に今回のテーマであるマスタークラスがあったのでとても忙しかったですが、今週に入り2週間のバカンスになったのでようやく一息つけるというところです。
このマスタークラスはヴェルサイユでは珍しく(?)J.S.バッハ、特にヴァイオリンとチェロの無伴奏曲集に焦点を当てたもので、講師はヴァイオリンにクリスティン・ブッシュChristine Busch、チェロにオフェリー・ガイヤールOphélie Gaillardを迎えて行われたものです。2人とも古楽的アプローチを主とする奏者ですが、古楽科だけの企画ではなく生徒はモダンとバロック半々くらいでした。
オフェリーの方は水曜日に行われていて私は行くことができませんでしたが、伝え聞くところによるとチェロの鳴らし方、重音奏法等々とても有意義なレッスンであったようです。
さて今回のマスタークラスのことは数か月前から予告されていたのでヴァイオリン科は各自バッハの無伴奏を用意しましたが、私はせっかくなので大曲であるソナタ第3番のアダージョとフーガに取り組みました。そうです、あのコラール(ロンドン橋の歌じゃありませんよ笑)に基づく長大なフーガです。体力的な問題はありつつも個人的には3つあるソナタの中で一番弾きやすいんですよね。
年明けからパトリックに何度もレッスンを受けましたが、問題になるのはいつもテンポがどうしても遅くなってしまう、音を持続しすぎるなどモダン時代の名残からくるものばかり。モダン時代にもこのソナタを好んで弾いていただけあって、どうしても抜けない習慣という物があるものですね。
クリスティン・ブッシュはシュトゥットガルト生まれのドイツ人で、アーノンクールのウィーン・コンツェントゥス・ムジクスやフライブルク・バロックオーケストラなどでの活動経験を持ち、ベルリンやシュトゥットガルトで教鞭をとりつつ古楽、モダン双方で活躍しているようです。今回も彼女はバロック、モダンの2つの楽器を持って来ました。
私の番の前に2人モダンの生徒がいましたが、これが何というか、何だか懐かしいような、15年くらい前は自分もああやって弾いていたなという感じでした(笑)。モダンの世界からはずいぶん前に離れてしまいましたが、ヨーロッパですら今でもこういう弾き方って一応主流なんですよね。しかも地方音楽院だからなのかどうなのか、レベルが正直あまり高くありません。1人目はソナタ第2番の第1楽章グラーヴェを弾いていて、バスラインの弾き方や和音の表現などがレッスンの中心でした。これはまあ、古楽的アプローチの入門編といったところですね。2人目はソナタ第1番の第4楽章プレストを弾いていましたが、こういった急速な楽章はモダン弓の問題が顕著に表れます。クリスティンは即座に自分のバロック弓を貸し与え生徒に弾かせると、この問題は9割方解決しました。この生徒の順応力の高さに皆驚いていて、クリスティンが「弾いたことある?」と聞きましたがその時が初めてだったとのことでした。それから彼女は持っているいくつかの弓を年代順に貸して最後に生徒のモダン弓に戻すと、もう弾き方が違います。こういう教え方もあるのだなと思いました(といっても私は中間年代の弓の持ち合わせがないので出来ませんが…)。
さて私の番。まずはアダージョを最後まで弾くと、論争の多い付点の匙加減問題からスタート。彼女は基本的には付点を長くせずに16分音符をほぼ音価通り弾くという立場のようで、私としてはこれは未だに結論は出ていませんが付点を若干長く弾いていたのでもう少し音価通り弾くよう勧めました。試してみるとこれが意外と良いんですね。後は和音の色付けや、多種類の音色を使い分けるようにとの勧めなどがありました。
次はフーガ。とにかく長大なので「反行形」の提示までのレッスンになってしまいましたが、フーガ主題のボウイングやアーテュキレーションがまず問題になりました。私は元が讃美歌であるコラールというだけあって全体的に滑らかに弾いていましたが、もう少し短く処理する音があっても良いとの勧めを受けました。後は細かいところは色々ありましたが、大まかにいうと壮大かつ重厚なフーガの中でいかに軽い部分を作るか、音色を使い分けて静かな部分を作るかという問題が大きく取り上げられました。
私の後は古楽科の同僚が、私のフーガとは一転して優雅なパルティータ第3番のガヴォット・アン・ロンドーを弾きました。さすがフランス人、弾き方がお洒落(笑)。クリスティンはドイツ人ですが負けず劣らず優雅かつ祝祭的な音楽の作り方を指導していました。
マスタークラスが終わって夜になると、ヴァイオリンとチェロの受講生の一部、クリスティンが演奏会を行いました。オフェリーは残念ながら来られなかったようです。私ももちろん弾きましたよ、アダージョとフーガ。通して本番で弾いたのは実は初めてかもしれません。良い経験でした。
私の後にはクリスティンが第3楽章と第4楽章を弾き、ソナタ第3番を通して聴けるような演出がなされました。最後に彼女はもう一度、今度はモダンヴァイオリンヴァージョンと題して同じ2曲を披露していましたが、私の個人的な感想としては、実はモダンヴァイオリンの方が上手なのではないか…ということでした。それだけ古楽的アプローチによるモダンヴァイオリンの弾き方が彼女の中で完成されているということと、あとは楽器のポテンシャルの違いも大きいのかなと思いました。バロックヴァイオリンに関しては好みの問題もありますので聴き手次第だと思います。彼女はこの無伴奏曲集を全て録音しているので、良かったら聴いてみてくださいね。

次回は前回好評だった駿太のこだわりクッキング第2弾、カレー編をお送りしたいと思います。

駿太の独り言① 日本のメディア

5 2月 2020

日本では新型コロナウィルスの影響でマスクが薬局やスーパーから消えたと聞き及びます。フランスではスーパーはおろか薬局にすらマスクは売っていないので先週アマゾンで注文したのですが、なかなか発送連絡がありません。ちょうど日本から持って来たマスクが残り僅かというところで今手元にあるのはあと1枚。マスクが届くまで宮殿周辺にはなるべく近づかないことで対応していこうかなと思います。

~~~注意~~~
今回の話題は個人の思想信条に大きく関わる内容となっています。なるべく中立的な書き方をしようと心がけていますが、私にも個人的な考え方がありますので特に対極にある考え方をお持ちの方はこの記事をお読みになって気分を害する可能性があります。少しでもこのようなことを感じた場合は直ちにお読みになるのを止めることをお勧めいたします。
以上をご了承の上、下記へお進みください。
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一昨年ヴェルサイユで一人暮らしを始め、この素晴らしい環境の中に身を置くことで自らにたくさんの変化がありましたが、それまでは分からなかった日本のことを、日本を出たことによって客観的に見ることができるようになったという事があります。そしてその中で最も大きかったのは、日本のテレビや新聞から完全に離れたことによって、メディアを自らの意思で選んで情報を精査するように努めるようになった事だと思っています。
皆さまは日頃世間の出来事をどのようにお知りになるでしょうか。旧来からある新聞、ラジオ、テレビなどに加えて現代ではインターネットが普及して情報を取ることのできる選択肢が広がりましたが、依然として新聞、テレビの力は大きいのではないでしょうか。
私個人の話をしますと、小中学生の頃は専らテレビのニュースを観ていました。特に両親や学校から教わったわけではありませんでしたが、何となく公共放送であるNHKが中立的な立場を取っているような気がしたのでNHKのニュースが好きだったのを覚えています。民間放送はニュースを見るためにCMを見る気はしないし、特に討論の場になると解説員とか専門家を名乗った人が出てきて好き勝手な事を言っているようなイメージが何となくありました。このような感覚は今思えば「ある程度」は的を得ていたなと思い返します。
その後いつからか分かりませんが、両親が好むようになったのか家庭では民間放送のニュース番組を見るようになりました。高校以降は音楽専門になり忙しくなったので、あまりテレビに時間を割く余裕もなくニュースもあまり積極的には見なくなりましたが、それでも食事の時間などは家族揃ってテレビを観ながら過ごす事も多く、ドラマやバラエティー番組の前後などで時折ニュースを見聞きすることがありました。
ちなみに新聞はというと、昔は我が家でも一紙購読していましたが随分前に止め、それ以来家から新聞はなくなりました。私は本格的な新聞記事を読む年頃ではおそらくなかったので、本格的に新聞を広げて読んだ経験は殆どありません。新聞社の方には申し訳ないのですが、今やインターネットが完全に普及しているのでこれからも紙の新聞を読むことはないのかなと思っています。
大学に入りパソコンやスマートフォンを使う機会が格段に増えると、ニュースもインターネットで読むようになりました。私がその頃好んで使っていたポータルサイトのトップページには目の付く所に最新のニュースが何項目か表示されるようになっていて、ニュースを読むつもりがなくても気になってついつい読み耽り、リンクから関連記事を延々と読み続けることもしばしばありました。この状態はヴェルサイユに来てから数か月過ぎた頃まで続きました。
しかしある時、奇妙な出来事に出くわしました。その記事は日本に近いとある国の事についての記事でした。いつものようにリンクから関連記事を読んでいくと、ほとんど正反対の記述がされている記事がありました。これは一体どういうことなのでしょう。しばらく考えて、その理由が分かりました。一方の記事は、そのとある国のメディアの日本語版記事だったのです!画面の体裁はそのポータルサイトのもので、記事の発信元を調べるまでは他の日本のメディアと見分けが付きませんでした。その国と日本とは主に歴史的事実において多くの異なった見解を持っていて国際問題になっており、その国のメディアの記事は自国の主張を擁護していることは容易に想像できました。
これをきっかけに、自分がメディアという物についていかに無知であったかを知りました。そのポータルサイトでニュースを読む時は必ずその記事の発信元をチェックするようになりましたが、記事の見出しだけでは分からないのでだんだん面倒になり、それなら一層のこと信頼できそうなメディアを選んでそのウェブサイトでニュースを読めば良いのではないかと思い立ち、日本の主要な各メディアについて調べ始めました。いや、これは衝撃でしたね。こんな重要なことをなぜ今まで知らなかったのか、なぜ誰も教えてくれなかったのか。
ここで、先ほどの質問に戻ります。皆さまは日頃世間の出来事をどのようにお知りになるでしょうか。もっと踏み込んで言うと、どのようにメディアを選んでそこから世間の出来事をお知りになるでしょうか。例えば新聞なら両親や学校の先生から勧められたとか、面白いコラムがあるからとか。テレビならたまたま家庭でよく観ているチャンネルだからとか、ニュースキャスターやアナウンサーに好きなタレントが出ているからとか。もしこのような理由のみでメディアを選んでいるのであれば、是非私と同じように各メディアについて一度調べてみることをお勧めします。
特に昨年は天皇陛下の御譲位に伴う皇室関連、前述したとある国を含む近隣アジア諸国関連のニュースが多かったことで各メディアの論調の違いは明確であったと思います。今年は自衛隊の海外派遣や憲法改正論議(全然進んでいませんが)、オリンピック・パラリンピック、そして目下進行中の新型ウィルス対策あたりが分かりやすい論題でしょうか。ピンときた方はその解釈で結構です。逆に全然ピンと来ない方は申し訳ありませんがおそらくメディアの思うがままになっています。
最も、完全に中立で正しいメディアなんていうものは存在しませんし(私がかつて信じていたNHKも然り)、極めて悪意のある捏造記事を平然と報道するメディアは論外としても、日本には言論の自由がありますのでいろいろな視点から報道するメディアがあって良いんです。しかし受け取り手である私たちは、それぞれのメディアが自らやその支持団体の考え方に基づいた主張に沿うように印象操作をして報道するということが日常的に行われているということを知らなければなりません。その有名な手法の一つがいわゆる「報道しない自由」です。都合の悪い事実は伏せて他の側面を強調することで、読者や視聴者が受ける印象を意のままに変えることができるのです。さらにその主張に沿うようなコメントをする解説員や専門家を選んで呼んできて、結果ありきの質問方法による世論調査のデータでも示せばもう完壁といった具合です。
では最初の質問の回答として、私たちはどうやってメディアを選べば良いのでしょうか。私の現在の考えは、それぞれのメディアについて良く知った上で自分の考えに最も近いメディアを選びつつ、時には違うメディアの情報も採り入れてみる。それらを全て鵜呑みにするのではなく5-6割程度に信用しておいて、ニュースの信憑性を疑った時にはそのソース(情報源)を辿ってみる、といった具合です。実際にこの作業をやってみると、そのメディアがソースの情報を曲解していたり付け足しを行っていたり、ひどいものになるとそんな事実はなかったりソースを途中で辿れなくなったりするなんてこともあります。
あともう一つ。立場の違うメディアが複数ある中、それらがある事柄について揃いも揃って「報道しない自由」を行使したらどうなるかという問題があります。この場合、インターネットなどを通じて他の情報を得ない限りメディアの思うがままに私たちは情報の遮断、印象操作をされてしまうということになります。これについては昨年の夏から秋にかけてとある県で行われた国際芸術祭内の展覧会についての報道が分かりやすい例でした。この展覧会はある特定の政治主張に基づくプロパガンダ作品のみで構成されていて、その内容は日本の国家や国民を貶め嘲笑するものでした。この展覧会は芸術祭の開幕直後から批判が殺到したことで間もなく中止されましたが、閉幕直前になって再び公開されました。この間、各メディアによって様々な報道がなされましたが、この展覧会の真実とその問題点を正しく報道したテレビ局は一つもありませんでした。新聞は私が日頃読んでいる新聞社だけがある程度正しく報道していましたが、それでもありのまま全てではありませんでした。実際、9割以上のメディアはその実態を報道しなかったので、これについて正しく理解している国民は少ないのではないかと思います。こんなにも多くの問題を抱えた展覧会はその後あまり糾弾されることもなく他のニュースに押し流され、今年はまた別の県で同じような展覧会が開催されようとしていると聞き及びます。この展覧会についての世論は「賛否両論」ですが、もし多くのメディアがその実態と問題点を正しく報道していたら世論は変わっていたでしょう。メディアはその大きな力で、世論を動かして国を変えることすらできてしまうのです。
それでは、こういった時に私たちはどうすれば良いのでしょうか。幸いなことに現代はSNSが普及して一個人でも情報を発信できる時代で、多くのメディアが目を背ける不都合な真実でも個人がそれを発し受け取ることができるようになりました。勿論不確実な情報やデマもたくさんあるので注意が必要ですが、メディアの力が及ばない所をこうしたSNSが補完していけるのではないかと思っています。前述の展覧会の実態についても、私はたくさんの個人から発信された写真や動画などを見て知ることができました。
インターネットの普及により情報量が増え、私たちには情報の真偽性を見極め取捨選択する力が求められていますが、これは旧来のメディアにも同じことが言えるのです。気づいたら日本が世論に基づいてとんでもない方向に向かって動いていた、あるいは既にそこにいたなんていうことのないように、メディアについて正しく理解している人が増えたら良いなと思います。

次回は今週末行われるマスタークラスについてのレポートを書きます。

駿太のこだわりクッキング① ペペロンチーノ

29 1月 2020

ニンニクの香ばしい匂いがたまらない

今週、パリ交通公団RATPの最大組合Unsaが無期限ストライキ終了を発表しました!!!パチパチ~。パリの交通機関や近郊電車はとりあえず通常運行に戻るようです。
結局政府からは年金制度改革についての譲歩は引き出せず、1か月超のストライキ中無給だった労働者がついに耐え切れなくなり折れた格好。一方でフランス国鉄SNCFの組合は譲歩を引き出すまで終了しないとなお強硬姿勢の様子。いつまでやるんですかねー。
ちなみに国鉄が運行しているはずのRERの一部やTransilienは通常運行ということです。

中国で発生した新型肺炎が現在猛威を振るっていますね。フランスではヨーロッパで初めて感染者が確認され、現在は3人となっているようです。旧正月の春節を迎え日頃に増して中国人旅行者が増える中、ヴェルサイユは日頃から中国人ばかりなので増えているのか減っているのか良く分かりませんがとりあえず彼らはたくさんいます(笑)。演奏会の際以外はなるべく宮殿には行かないようにしようと思っています。
厚生省がマスクの着用を推奨しているので私も先週からマスクを着用し始めました。ところが街中はおろか、宮殿でもマスクをしている人はほぼ中国人(に見えるアジア系の人)だけです。せめて宮殿のスタッフくらいは着用したらどうかと思うのですが、私が見た限りではスタッフは1人しかマスクをしていませんでした。フランスではマスクの着用が一般的ではなく、マスクをして街中を歩くと何かの重篤患者かと思われて変な目で見られるという話を聞いたことがありましたが、実際着用して出かけてみると挨拶がなかったり周囲の人が離れて行ったりと、やはり反応が違いますね。厚生省にはもっと強く着用を勧めてもらいたいものです。パリやヴェルサイユにはあれだけの中国人が来るのですから、中国に渡航歴のない感染者が出るのももう時間の問題かと思います…。
状況が変わりましたらまた随時発信していきます。

さて、今回は「駿太のこだわりクッキング」ということで、第1回目はペペロンチーノを紹介します。
日本での学生時代は小中学校の調理実習くらいで料理はまったくやっていませんでしたが、留学生活をするにあたり自炊する練習をしようということで母から手ほどきを受けて一昨年の4月あたりから少しずつ佐藤家の食卓を担当するようになり、最後の7月あたりには殆どの夕食を私が作るようになっていました。
最初は幼い頃から食べてきた母のレシピに基づく料理を作っていましたが、次第にクックパッドなどを参照しながら新たな料理を作るようになりました。今まで料理は面倒なものだと思っていましたが、やってみるとこれがとても楽しいんですね。選んで買ってきた食材がだんだん自分のイメージに近づいてくる過程、加熱や調味料のさじ加減1つで味が変わってしまう奥深さ。私の師匠たちを始め良い音楽家は大抵料理が上手である理由は、料理が音楽と似ているからなのだなと思いました。
さてそんな中ヴェルサイユに来て数か月経った頃でしょうか、大分フランスで安くて美味しい食材が分かってきたところで私には食べたいパスタがありました。ペペロンチーノです。ちょうど知り合いから譲ってもらった鷹の爪もあって、クックパッドを見ながら早速作ってみました。しかしできたのはイメージとはかけ離れたイマイチな代物。ニンニクの味わいもないし、なんだか水っぽいし、もう全然だめでしたね。そこから数週間というもの、どうにかイメージに近いペペロンチーノができないものかと作り続けました。最盛期には週4回くらい作っていましたね。その頃通っていた語学学校にイタリアンシェフの友人がいたので上手くいかない点を相談したりもしました。彼女曰く「シンプルなだけにはっきり料理の腕が出る難しい料理」だそうです。
あと上手くいかない原因はフランス特有の簡易キッチンにもあり、我が家にはコンロはなく旧式の電熱調理器が大小1つずつあるのみです。当然ながら電熱調理器は火のように急に点けたり消したりできないので、タイミングを誤るともうどうにもなりません。この点もかなり考えて、それでも何とか調理器1つのみで上手く調理する方法を編み出しました。
プロは「ソースの出来上がりをパスタの茹で上がりにぴったり合わせる」そうですが、私は調理器の問題もあり先にソースを作っておいて途中で中断し、その間にパスタを茹でて再度加熱する方法を採っています。
長くなりましたが、以下レシピです。

・材料(1人前)
ニンニク 大きければ1かけ、小さければ2かけ
鷹の爪(乾燥唐辛子)3/4 ※大きさにもよりますが1本だと辛すぎることが多いです
オリーブオイル 大さじ2.5(約40ML)程度
パスタ 120g
粉塩 湯1Lあたり大さじ1
黒胡椒 少量

・作り方
①ニンニクを半分に切って芯を取り、縦に2つ切り込みを入れた後スライスする。
②ポットでパスタを茹でるための湯を沸かし、鍋に塩を入れておく。
③フライパンにオリーブオイルとニンニクを入れ中火(我が家の電熱調理器では火力6段階で4)にかける。
※ネット上の多くのレシピには「とにかく弱火で!」と書いてあることが多いですが、試した結果中火程度でも良いと思います。ただし⑤のタイミングはシビアになります。
④ニンニクの周りが泡立ってきたら鷹の爪のヘタと種を取り、調理ばさみで輪切りにして入れる。唐辛子が太い場合は縦に切ってから輪切りする。電熱調理器の場合はこの後パスタを茹でるために最大出力へ上げる。
※唐辛子は焦げると苦くなるので注意が必要ですが、あまりに投入が遅いとオイルに辛味が移らないので注意が必要です。

オリーブオイルにニンニク、唐辛子を入れた状態

⑤ニンニクの縁が1つでも茶色くなったら(慣れてきたらその直前を見極めて)引き上げ、湯を注いだ鍋を代わりに強火にかける。
⑥塩が完全に溶け切るように菜箸で混ぜ、パスタを投入する。タイマーは指定分数分セット。
⑦茹で時間が残り2分になったら鍋を引き上げて残り時間は余熱で茹で、代わりにフライパンをやや強火にかける(電熱調理器の場合はここから次第に弱くなっていくよう1段階落とす)。この段階で余熱によりニンニクが少し色づいている程度であれば成功、完全にフライになってしまっているようなら⑤のタイミングを早くする。

乳化が完了した状態、今回の出来は70点というところか

⑧フライパンが熱を帯びてきて、ニンニクが少し泡立ち始めたらオリーブオイルと同量かやや少ない程度のゆで汁を、フライパンをゆすりながら少しずつ入れて乳化させていく。最初にゆで汁を入れたときに油が少し跳ね、ゆすった時にシャーという音がするくらいまでフライパンを熱すると成功しやすい。オイルがゆで汁と良く混じり、白濁すれば成功。ゆで汁がオイルより多いと確実に失敗する。
⑨乳化が完了する頃合で茹で時間を迎えるので、湯切りをしてフライパンに投入する。
⑩火を止め、菜箸で手早く混ぜ合わせさらに乳化を促進させた後、器に盛る。器はやや深さのあるものを選ぶとよい。
⑪黒胡椒を表面にうっすらとかけて完成。かけ過ぎると味が大きく変わってしまうので最後まで気を抜かないように。

味のイメージとしては食べた時に塩、ニンニク、唐辛子、オイルのそれぞれの要素が強く拮抗している状態が理想です。全体的にそれぞれの
主張が弱かったり、ある要素が突出してしまったりしていたら改善の余地ありと言えるでしょう。
あとできれば食べ終わった後、器にあまりオイルが残らない程度にオイルとゆで汁の量を調整できるとなお良いと思います。
特に乳化の工程は難しいので、納得のいくものができるまで何度も作ってみましょう。なおこのレシピではニンニクと唐辛子はそのまま具になっていますが、途中で取り出す方法もありますのでそこの辺りはお好みで。
基本がしっかりとできてしまえば、その後でトッピングを入れたりアレンジを加えても良いと思います。私は目下キャベツ入りのアレンジを研究中です。

ちなみに私は代謝が非常に良くて少し唐辛子を食べると大量に汗をかくので、食べた後はすかさずシャワーを浴びなければならなくなります(笑)。汗をかかないように唐辛子を減らしたこともありましたが、それだとやはりあまり上手くいきません。余談でした。

今回は駿太のこだわりクッキング第1回でした。レシピを文章で書くのは初めてなのですが上手く伝わっているでしょうか。
次回は趣向を変えて、最近社会のあることについて思う独り言を書いてみます。興味があれば読んでみてください。

古楽科オープンキャンパス

22 1月 2020

午前中は様々な科の公開授業が行われました

先週と今週は演奏会続きです。土曜日には今日特集する古楽科オープンキャンパス、月曜日には校内の室内楽演奏会、明日は王室礼拝堂での木曜演奏会です。室内楽演奏会ではテレマンのいわゆる「パリ四重奏」の第6番ホ短調を演奏しました。名の知れた名曲ですが今回は学部生の試験も兼ねているため他のグループも多く、全ての楽章をやる代わりに繰り返しは全カット。繰り返しをカットして演奏するってどうしても抵抗あるんですよね。時間の都合なら楽章をカットして代わりに繰り返しはしっかりやるべきだといつも思います。
私たち以外のグループは今年入ったポーランド人の女の子が一手に引き受けていて、何だか嘱託伴奏員のようでした(笑)。後述しますが土曜日のオープンキャンパスでは自分の協奏曲もあったのにその上よくがんばるなと思いました。それにしても他のチェンバロ科はどこに行ったのでしょう…?

さて、今回は先週土曜日に開かれた古楽科オープンキャンパスの模様をお伝えします。
10月にお伝えしたオープンキャンパスはモダン科も演奏していましたが、今回は古楽科だけのオープンキャンパス。それだけ大所帯ということですね。
ちなみに先日も書きましたが、このオープンキャンパス内の演奏会では今年入学した研究科の学生が1人ずつ協奏曲を披露し、一応形だけの中間試験を受けます。今回はヴァイオリン2人がそれぞれヴィヴァルディの協奏曲、リコーダー1人がテレマンの室内協奏曲、そして前述したポーランド人のチェンバロの女の子がJ.S.バッハのチェンバロ協奏曲BWV1057を弾きました。そうです、あのブランデンブルク協奏曲第4番のチェンバロ版です。オケパートのヴァイオリンは私とパトリックが全て担当しました。
オープンキャンパスの午前中は公開授業となっていて、私たちの午後に向けたリハーサルも公開となりました。私含め生徒たちはいつもの癖でそこかしこの椅子に荷物やら楽器ケースやらを置いてしまっていたので、お客様が増えてくると片づける羽目に…。
リハーサルをしていたのであまり行けませんでしたが、他の部屋でも並行して室内楽や専攻のレッスンが公開で行われていました。休憩の合間を縫って私も少しだけ他専攻のレッスンにお邪魔。こういう機会はなかなかないですものね。
そんなこんなでしっかり昼食をとる暇もなく午後の本番が始まりました。ヴァイオリンの2人はアマチュアなのであまり期待はしていませんでしたが無難にまとめてきてくれました。リコーダーの子とはリハーサルが少ない中で先週の1回のレッスンで細かい指導があったため上出来。トリはチェンバロ協奏曲、あの速くて難しいパッセージ共々素晴らしい演奏を披露してくれました!一方で残念だったのは我々オーケストラ。前日までのリハーサルはたった2回でこの曲をやるにはただでさえ少ないのに、リコーダーとヴィオラ奏者が交代となって本番のメンバーがそろったのは当日だけという始末。あれだけソリストが仕上げてきてくれるなら我々ももう少し準備したかったです。

さて私たちの本番が終わってしばらくすると、金管やオーボエのアンサンブルとより音の小さな室内楽の演奏会が並行して開催されたので私は金管やオーボエのアンサンブルを聴きに行ってみました。ナチュラルトランペット、サックバット(トロンボーンの古楽器)、オーボエがそれぞれバンドを組んでルネサンスからバロックまで様々な曲を披露しました。オーボエはオーケストラによく顔を出すので顔見知りも結構いるのですが、金管の学生ってこんなにいたんだなと初めて知りました(笑)。あとトランペットバンドはもう少し大きな場所で聴きたかったですね。学校の中庭とか。
夜にはもう一つ、ヴィオラ・ダ・ガンバや撥弦楽器主体の室内楽の演奏会がありました。私は午後の本番で疲れが出て、開始まで家で仮眠をとるつもりが本格的に寝てしまい行くことができませんでした…。

日本にはない、専攻も豊富な大所帯の古楽科ならではのオープンキャンパスといった感じでした。これを機に他科とも積極的に交流を図っていきたいなと思いました(もう半年くらいしかありませんが)。

次回は新シリーズ、駿太のこだわりクッキング第1弾です。

モン・サン=ミシェルへの旅(後編)モン・サン=ミシェル

15 1月 2020

夕暮れのモン・サン=ミシェル

今週は土曜日に行われるオープンキャンパスの演奏会準備で大忙しです。今年から研究科(perfectionnement)に入った学生が挙ってコンチェルトを弾くので、数少ないヴァイオリンの学生はフル稼働。昨年一年目だった私は王室礼拝堂で演奏できましたが、今年はそういった機会はなく全員音楽院で演奏するようです。去年入った私は運が良かったのですね。

さて今回は前回の続き、モン・サン=ミシェルについてです。
高速道路を下りて田舎道を走っていくと、海が見えると同時に遠くにあの有名なモン・サン=ミシェルが見えました(私は運転していたので正面に見えた時しか見ませんでしたが)。両親も話していましたが天空の城ラピュタのようですね。遠くから見ても存在感があります。
モン・サン=ミシェル周辺は一般車の通行が禁止されているので、最後までモン・サン=ミシェルを目標地としてカーナビに従ってしまうと通行禁止の道に行ってしまいます。車で行く際は駐車場を目標にしたほうが良いですね。
さて駐車場に車を停め、看板に従って行くと木目調の側面が特徴的なナヴェットと呼ばれる往復バスでモン・サン=ミシェルの麓まで行くことができます。鉄道車両のように両運転台になっているのは折り返すのに便利だからだと思いますが、車内は輸送需要に対してあまり広いとは言えず超満員。景色を楽しみたいなら一本見送って着席した方が良いかもしれません。途中ホテルやレストランにアクセスできる停留所にも止まるので、長く滞在するにも便利ですね。
まずは全景を観察。砂浜と海に面した下層は荒々しい岩肌と堅牢な城壁に守られた市街地、上層は修道院と付属教会になっています。イギリスとの百年戦争時には要塞としての機能を果たし、陥落せず持ちこたえた堅固さが容易に見て取れます。ちなみに厳島神社とコラボして夏頃に設置されていた鳥居は既に撤去済みでした。どこにあったのでしょうかね。
門をくぐって中に入っていくとまずはお土産売り場やカフェ、歴史展示館や秘宝館が並ぶ市街地部分を通ります。まるで江の島のようです。監獄時代のモン・サン=ミシェルを詳しく知りたい方はこうした史料館に入ってみるのも良いかもしれませんが別途入館料がかかります。少し進むと左手にサン=ピエール教区教会があります。私たちは帰り際に寄ってみましたが、素朴で可愛らしい内装の聖堂でした。
やがて無骨な城塞のような修道院の建物が眼前に迫ってきます。階段も多少上りますが特別辛いというほどではありませんでした。例のごとく金属探知チェックがあった後、縦に長い「司祭の間」でチケットの購入やオーディオガイドを借りることができます。この「司祭の間」についての説明書きやオーディオガイドの説明は見学の一番最後にあります。
チケットを提示して見学を始めるとまずは付属教会と修道僧居住棟の間を進む大階段があります。最初から中世の雰囲気満点ですね。海岸を上がりきって「西のテラス」に出ると、大西洋と周りの陸地を一望することができます。修道院と教会の建設に使った石材はここから見ることのできる小島から運んできたのだとか。
教会の西側ファサードはこの部分が火災に遭った後1780年に再建されたもので、かつてのファサード部分は手前の階段と礎石にその名残を見ることができます(こういうネタは個人的にとても好き)。1010年に完成した聖堂の内部は身廊がロマネスク様式で天井は板張り、内陣は1421年に崩壊してしまったため再建されゴシック様式になっていますが、全体的にあまり飾り気がなく素朴な印象を受けました。
順路を進んで行くと有名な「ラ・メルヴェイユ(驚異)」と呼ばれる13世紀に建てられた北側の棟に入ります。なぜ驚異と呼ばれるかというと、この建物は付属教会と違い岩山の上に建てられているのではなく、地盤が遥か下層にありその上に3階建てになっており、なおかつそれが周囲の施設と絶妙に接続されているからです。基本的に建築には石材が用いられるため、これを実現するには高度な強度計算と設計、建築技術が求められることでしょう。一つ一つ部屋を見てしまうと全体像を把握するのはなかなか難しいと思いますが、パンフレットなどにある各階層の図を見るとそれが良く分かります。

美しい回廊

順路上最初に行くこの棟の施設はとりわけ有名な「回廊」で、2列の柱が修道僧の歩幅に合わせて交互に配置されている静謐で美しい空間です。天井には下層への負担軽減のため木材が使用されています。
次は「合同の食事室」ですが、側面の開口部が斜めに開けられており入り口からは見えないようになっているのが何とも見事です。
階下の「迎賓の間」は巡礼に訪れた国王や貴族を迎えるための場所で、天上のヴォールト架構がやや華やかな印象を与えてくれます。
「柱の礼拝堂」は先ほど見学した付属教会の内陣部分の階下にあたります。聖堂は大部分が岩石の上に直接建てられていますが、内陣部分はこの空間によって支えられています。巨木のような太い柱がいくつもあるだけの空間で、この場所で礼拝をおこなうことはなかったようです。
ここから付属教会を挟んで南側へ進むことになります。「聖マルタン礼拝堂」は付属教会の交差廊(内陣の手前の横に長い部分)の正面から見て右側部分の階下にあたります。開口部や装飾はほとんどありませんが、高い天井や窓の開口の仕方に中世建築の技術の粋を見ることができるでしょう。
続いては修道僧の納骨堂。今日では納骨堂としての姿を認めることは難しく、代わりに1820年頃に設置された貨物エレベーターの複製が目を引きます。巨大な車輪の中で収監された政治犯がハムスターよろしく歩き、その動力で下層から荷物を引き上げていたのです。
納骨される死者を弔うための「聖エティエンヌのチャペル」、西側のテラスの階下に位置する「南北階段」を通ると、「修道僧の遊歩場」という空間に着きます。この空間の用途は良く分かっていないそうで、比較的低い天井を持つ縦に長い空間が続きます。
「騎士の間」は「回廊」の階下にあり、修道僧たちが写本を作るなどの仕事場として用いていました。「修道僧の遊歩場」とは一転して天井の高い開放的な空間です。
最後に「司祭の間」へ戻り、土産物売り場を見て終了です。本当はテラスに行けるようですが、16時半で閉まってしまい行くことができませんでした。
17時を過ぎるとちょうど夕暮れ時となり、ライトアップされて美しい島の姿を見ることができました。

さて再び車を運転してカーンへ戻ります。日本のようにガソリン満タンで返却するのですが、ガソリンスタンドのシステムが良く分からない…。説明を読むと、まず建物の中にいる店員にこれからガソリンを入れる旨を告げて、入れ終わったらまた店内で清算するという手順のよう。なんて手間のかかる方式なんでしょう。
その後はカーンの市街地で迷ってしまいあわや列車を逃すかというところでしたが、何とか返却の駐車場にたどり着き列車に乗ることができました。フランスのカーナビって使いづらいです…。と思って携帯でグーグルマップのナビを見ながら行ったらおかしなことになりました(笑)。

次回は今週のオープンキャンパスの様子をお伝えしたいと思います。

モン・サン=ミシェルへの旅(前編)オマハ・ビーチ

8 1月 2020

オマハ・ビーチのモニュメント

皆さま、明けましておめでとうございます。今年はカレンダー上都合がよく年末年始の休暇が長かった方も多いのではないでしょうか。
フランスでは相変わらず国鉄とパリ交通公団のストライキが続いていて、音楽院の夜の授業はパリに帰る人のために早く切り上げられたり、校内演奏会が延期になったりと身の回りでは少なからず影響があります。このストライキが始まってからもう一か月、RERのC線を始め全く列車を運行していない区間が数多くありますが一体いつになったら終わるのでしょう。

さてそんな中、フランスに来た両親と共に年末は色々なところに行きました。その中から今回はノルマンディー地方とモン・サン=ミシェルに行った話をご紹介したいと思います。
モン・サン=ミシェルに行こうとすると列車で行く、レンタカーで行く、バスやバスツアーで行くなど色々な手段がありますが、休暇中は列車やバスの値段が高く3人ではコストがかさむので、色々検討した結果ノルマンディー地方のカーンまで列車で行ってそこからレンタカーで行くことにしました。
ちなみになぜヴェルサイユからレンタカーで行かないのかというと、フランスのレンタカー料金体系は日本と少し違って、基本料金は一日単位で30-40€と安いのですがある一定距離(250kmなど)走るとそこから1kmあたりの追加料金が加算され、長距離を走るにはもの凄く高額になってしまうプランが大半なのです。フランスでレンタカーを借りる際はしっかり説明を読むことをお勧めします…。
そのような訳なので、一人往復20€弱と割と安く列車の切符が取れるカーンまでまずは行く…のですが、ここにもストライキが立ちはだかりました。前日になって予約していた列車が往復とも運休になると分かり、慌てて他の運転する列車を予約。差額分は払い戻されるという説明書きがあったので良かったですが、混雑して予約できなかったら旅行がキャンセルになってしまうところでした。メールでの通知も来ず国鉄のサイトで確認しなければならず、長距離列車を多用する方はストライキ期間中さぞ大変だろうなと思います。
カーンに着き、予約していた駅前のレンタカー窓口で手続きをします。今回利用したのはAVISという会社で、フランスでは大手の一つでフランス国鉄と提携しており、列車と一緒に予約すると特別料金が適用されたりします。初めてなので手続きが上手くできるかどうか少し心配でしたが、少し説明と書類にサインをするだけで簡単に借りることができました。一方で残念だったのは車種。予約する時に画面に表示されていたのはFIATの500で、私は一度この小さくてかわいい車を運転してみたかったのですが渡された鍵はPeugeot。「FIATじゃないんですかー?」と店員のお姉さんに言ってみましたが「Peugeotの方が広くて良いでしょ」と笑顔で言われてしまいました(笑)。事前に3人で乗ることを申告していたわけではなかったので単に配車の都合でしょうね。というかそもそもFIAT500相当クラスの予約というだけでFIAT500が指定されているのではなかったのだと思います。
そんなこんなでやや広めのPeugeot(残念過ぎて車種も覚えていません)で発進。事前に一応フランスの交通法規は勉強しましたがいざ走ってみると意味不明な標識や信号機があったりで特にカーンの市街地は中々スリリング。パリじゃなくて良かった…。
ちなみに私の運転免許証はどうなっているのかというと、学生は制度上フランスの運転免許証に切り替えができないので、在仏日本大使館で用意してもらった翻訳書類と日本の運転免許証で運転しました。国際免許証でも良いのですが日本にいた時はフランスで運転するつもりはなかったので申請していませんでした。
カーンの市街地を出て、直接モン・サン=ミシェルに向かっても良いのですがせっかくなので少し寄り道。今回カーンを起点にしたのは、昨年オーケストラの仕事で来た際に行くことができなかった第二次世界大戦の激戦、ノルマンディー上陸作戦が行われた浜辺に立ち寄るためでもありました。特に近代史や軍事のマニアというわけではありませんが、歴史を知る上で一度訪れておこうと思ったのです。
連合軍による上陸作戦が行われたノルマンディーの浜辺はいくつもありますが、今回は米軍の上陸地点で有名なオマハ・ビーチに行ってみました。高速道路を下りてしばらく田舎道を走ると、海岸沿いに建つコンクリート製の碑の近くに駐車場を見つけたので車を停めました。
のどかで人気のない静かな浜辺、コンクリート製の碑の裏側には写真のように現代アートのようなモニュメントがありました。これは何を現しているのでしょう…?この地に倒れた兵士たちの魂が昇っていく様でしょうか。周りを見渡してみると、海から陸地に到達するまで浜辺の距離がかなりあり、遮蔽物のない中で丘にあるドイツ軍の陣地から放たれる銃弾をかいくぐって突撃するのはかなり困難であったことが容易に想像できました。しばし黙祷。
近くにいくつかある戦争博物館は全て冬季休業のため入ることができず、あまり時間もなかったので近くのレストランで昼食をとった後本来の目的地モン・サン=ミシェルを目指すことにしました。このレストランもこんな過去がなければ外部から客など来なかったのかもしれませんが、特に夏季は当時を偲ぶ観光客や戦没者遺族が集まって繁盛するのかなと思いました。

次回はいよいよモン・サン=ミシェルのレポートです。

モンパルナスとクレープ店街

18 12月 2019

クレープ店が競い合う2つの通り

先週の木曜演奏会ではド・ラランド作曲による王のための器楽組曲をいくつか演奏しました。トランペットとティンパニ、太鼓も入り大変華やかな響きでした。ド・ラランドの器楽曲は当アンサンブルが2015年の「太陽王の愛した舞踏と音楽」で演奏した「第2ファンタジーまたはカプリース」を始め旋律とバスのみで今日に伝えられているものが多く、オーケストラで演奏する際は内声パートの補完が必要になります。今回使用した楽譜はヴェルサイユバロック音楽研究センターの楽譜編纂責任者で研究家のトマス・ルコント氏と、ヴェルサイユ地方音楽院の室内楽教師でチェリストのフランソワ・ポリ氏の補筆によるもので、私が担当したのはオート・コントルでしたがいずれも当時の書法を研究しており、十分に旋律的でよく仕上がっているものでした。先日行ったアンサンブル・コレスポンダンスの演奏会でもルコント氏補筆の「第2ファンタジーまたはカプリース」が演奏されていましたし、各氏を始めとした補筆版でこれらド・ラランドの名曲が日本で聴ける日も近いかもしれませんね。
金曜日にはパーセルの「妖精の女王」の最後の演奏会があり、これで本年の演奏会は終了になりました。学生のアマチュアのためのオーケストラで前回の演奏会から日が開いたこともあり完成度は今一つ。帰りの車の中では「まあ教育目的のオーケストラだから…」とパトリックが漏らしていました。

さて、今回の特集はモンパルナスについてです。
昨年から今年の春にかけては語学学校に行くため平日はほぼ毎日通っていましたが、あまり周辺を散策することはありませんでした。クレープ店街で有名なことも知っていましたが一人で入る気にもなれず、知人と2軒ほど入った以外はまったく知らないまま。今回思い立って改めて行ってみました。
とはいうものの現在もストライキ真っ最中。まずはヴェルサイユシャンティエ駅からN線の朝の最後の電車を捕まえる…はずが運よく近郊電車TERが来たので乗車。過去にも書いたかもしれませんがTERか無停車の快速電車に乗れると13分でモンパルナスに着けるので、ヴェルサイユから一番早く着けるパリの駅がモンパルナスなのです。
10時前に着いてしまいまだクレープ店が開かないのでまずは駅の中を探索。語学学校に行っている期間はずっと工事をしていたのですが、最近になって1、2階にカフェやブティックが整備されました。普段なら賑わいを見せるのでしょうが、朝の運行時間が終わり国鉄、メトロともに夕方まで列車がなくなって駅舎内は閑古鳥が鳴いていました…。
正面から駅を出るとガラス張りのビル、モンパルナスタワーがそびえています。高さ210m、日本人の感覚からすればそんなに飛びぬけて高いビルではありませんが、歴史的建造物が多いパリ市内では最も高いビルで、長らくフランスで最も高いビルでしたが2011年に増改築されたデファンス地区のトゥール・ファースト225mにその座を奪われたそうです。
オフィスビルですので観光客が行けるのは展望デッキ、テラスと56階のレストラン「ル・シェル・ド・パリ」だけです。展望階に行くための入場料は18€…これ高くありません?ルーヴルよりも高いですよ?しかもパリ・ミュージアム・パスも適用外。
というわけで、取材のために入ろうかと一瞬思いましたが特段興味もないのでやめました(笑)。いつか行ったら追記します。
タワーの横には同じようなガラス張りのデザインのショッピングセンターであるギャラリー・ラファイエットがあります。こちらも入ったことがなかったので今回入ってみましたが、何の変哲もないショッピングモールでした。ちなみに有名なギャラリー・ラファイエットはオペラ地区にある本店です。
そうこうしているうちに良い時間になってきたのでクレープ店街へ。クレープ店が集中しているのはモンパルナスタワーの東、オデッサ通りとモンパルナス通りです。なぜモンパルナスにクレープ店が多いのかというと、モンパルナス駅がブルターニュ地方からの鉄道の終着駅であったため、駅周辺にこの地方の人々のコミュニティが出来ていったからです。数あるクレープ店の中で特に有名なのがモンパルナス通りにあるジョスランというお店。いざ行ってみると!あれれ、シャッターが下りている…ドアの張り紙を見ると、水曜日と日曜日に営業…と。普通逆じゃないですか?あるいはこれもストライキの影響か。
2軒隣にプティ・ジョスランというお店がありこちらは営業していましたが、せっかくなので本家ジョスランに行きたいなと思い今回は別のお店にすることに。インターネットの事前調べで評判が高かったオデッサ通りの「マノワール・ブルトン」へ入店しました。
ガレット、クレープ、飲み物のランチセットが9.90€でお得だったのでこれを注文。ガレットはラタトゥイユ(南仏の野菜炒め)とハム、チーズが入った「プロヴァンサル」、クレープはクレープ生地にチョコレートがかかっているだけのシンプルな「ショコラ・メゾン」、飲み物は王道のシードルにしました。ガレットはこのセットで選べる「プロヴァンサル」以外の2つは私の苦手な卵が入っているものだったので他に選択肢がなかったというのが実情…。
ここでガレットとクレープの違いを少しご紹介。一般的にガレットはそば粉を原料とし、肉、卵、野菜、チーズなどを包んだ物が多く、クレープはガレットから派生したもので小麦粉を原料とし、チョコレート、生クリーム、フルーツなどを包んだ(載せただけのことも多い)物を差します。ガレットは主食、クレープはスイーツという認識で概ね良いでしょう(逆のパターンもあります)。これらを出す店を「クレープリーCrêperie」と言いますが、なぜ本流であるはずのガレットリーではないのでしょうね。
注文してしてからあまり待たずに早速ガレットが来ました。このラタトゥイユが包まれた「プロヴァンサル」、とても美味しかったです!家でも何とか作れないかなと思い中身を調査してみましたが、ラタトゥイユ、ハム、チーズだけでラタトゥイユと生地さえ用意すれば簡単にできそうでした。
続いてクレープ。チョコレートがかかっただけのシンプルなものですが、ガレットと通して食べ終えてみるとかなり満腹になりました。ガレット、クレープって見た目は薄くて軽そうですが結構ボリュームあるんです。結構食べる方の私がこのような感想を持ちますから、少食の方はどちらか一方にした方が良いかもしれません。
クレープを食べ終わった後はコーヒーを店員に勧められ、大概は注文すると思いますがまだシードルが残っていたので今回は遠慮することに。

さて、シードルでほろ酔いになって店を出ると時刻は14時少し前。N線は16時半まで列車がなく2時間半何かをして待っても良かったのですが、せっかくなのでどうにかして帰る方法を探し出す冒険をすることに。バス、メトロ、トラムを駆使して何とか16時頃にヴェルサイユに帰ることができました。ただモンパルナスから乗車したバスが超満員で所要時間も伸びており、気分がやや悪くなりました…。移動できないことはありませんが、やはり無理せずに列車が動く時間まで待つほうが良いなと思いました。
このストライキ、クリスマス期間も停戦はないと労働組合は発表しています。私は日頃ヴェルサイユにいるので影響はあまりありませんが、毎日通勤通学でパリを移動している方々には本当にお疲れ様と言いたいですね。一体いつまでこの状況は続くのでしょうか。

次回はアップロードの都合により新年1月8日になります。休暇中に訪れるモン・サン=ミシェルを特集したいと思います。皆さま良いクリスマスと新年を!

大規模ストライキとデモ

11 12月 2019

国鉄ストライキでがらんとしたサン=ラザール駅

先週の日曜日は王室礼拝堂でセバスチャン・ドーセ率いるアンサンブル・コレスポンダンスのド・ラランドのグラン・モテを聴きに行きました。王室礼拝堂でのド・ラランドはもうただただ至福の時間!ミゼレーレやディエス・イレといった葬礼のためのモテを中心に構成されていてとても重厚感のあるプログラムでした。
さらに昨日は王室歌劇場でクリストフ・ルセ率いるレ・タラン・リリクのリュリ「イジス」をコンサート上演で観ました。ルセとそのオーケストラは今回生では初めて聴きましたが、優雅さと繊細さが特徴のアンサンブルですね。リュリの音楽の素晴らしさは言うまでもありません。先日の「カドミュスとエルミオーヌ」でも思ったのですが、リュリの悲劇って通して観劇すると5幕の最後にすごくこみあげてくる感動があるんです。舞台装置や衣装があればなおさらなのでしょう。ところで20時に始まり、終わったのが23時半頃だったのですが、観客や出演者、スタッフの皆さんは無事家に帰れたのでしょうか…。

さて今週は、現在パリを震撼させているストライキについてお伝えします。
マクロン大統領が掲げている年金改革政策への抗議で、先週5日からフランス各地でストライキ、デモが盛んに行われています。初日であった5日には警察、消防、病院、教育機関までストライキを行いました。公共性の非常に高いこれらの組織がストライキをするって日本人の感覚からするとかなり異常なことですよね(もちろん緊急時には対応を行ったそうです)。その他電力、運送、航空など参加した会社は挙げればきりがありません。
もちろん常日頃からストライキを頻発しているフランス国鉄SNCF、パリ交通公団RATPもストライキを実施しているのですが、これらが異常なのはこのストライキが「無期限」であること。つまり何らかの譲歩を引き出せない限り終わらないということです。間もなく一週間を迎える今日も実施され続けています。当然市民の通勤事情にも深刻な影響がありますが、私の友人の一人は先週2日間は自宅勤務「テレ・トラヴァイユ」できたと言っていました。
幸いこの一週間の私の活動はヴェルサイユのみでしたのでほとんど影響を受けませんでしたが、パリに住む同僚や演奏会に来るお客様方は大変。車に皆で相乗りしたり、あるいは何時間もかけて歩いたりして対処しているようです。5日には王室礼拝堂で木曜演奏会があり、ヴェルサイユ宮殿も閉鎖される中誰も聴きに来ないのではと心配していましたが、通常の7割くらいのお客様が来てくれました。殆どヴェルサイユ市民なのかもしれませんね。ありがたいことです。
ヴェルサイユの街は至って平和、一番アクセスのよいRERC線が全面運休のためか日頃宮殿へ押し寄せる観光客も減っているようで何だか静かです。それでもヴェルサイユ・リーヴ・ドロワト駅を発着するL線は本数は減っているものの日中も列車があり、ヴェルサイユ・シャンティエ駅を通るN線は朝と夕方、夜のみですが運行しているので、ヴェルサイユ観光を考えている皆様はどうか諦めずに、これら2線のスケジュールを確認の上いらっしゃってくださいね。またパリのポン・ド・セーヴルとヴェルサイユを結ぶ171番のバスも本数は少ないものの運行しています。なおヴェルサイユ周辺のバスについてはフェービュスというパリ交通公団とは別の会社が運行しており、こちらはストライキを行っておらず日頃と変わりなく運行しています。パリのticket+やナヴィゴで乗車できるので、宮殿から遠くの駅に着いてしまってもすぐにアクセスできますよ。
と、このままでは「ヴェルサイユは平和です」という記事で終わってしまうので、昨日パリへ用事を済ませに行ってきました。
本数が比較的多い朝に出発、最初の目的地はエトワール凱旋門近くにある日本大使館。ヴェルサイユ・リーヴ・ドロワト駅からL線でまずはデファンスを目指します。普段このラッシュ時間帯にこの線に乗車することはないので通常と比べてどうかは何とも分かりかねるのですが、2駅くらい進むと車内は日本の通勤電車よろしく超満員。その後の駅では列車に乗車できずホームに溢れた人たちが各駅で見られました。おそらく本数削減になっていることと無関係ではないでしょう。メトロやバスでもそうなのですが、フランス人はどうもドア付近に溜まりあまり車内奥に進もうとせず、また自分たちが鮨詰めになることを非常に嫌がります。天下に名高い混雑路線、東急田園都市線沿線民であった私としては「あと5人は乗れるのにな…」とか思ってしまいますが、積極的に次の電車を待つフランスの方が良いのかもしれません。
そんなこんなで、混雑はあったもののおおむね時間通りにデファンスに到着、ここからRERのA線でエトワールまで乗ります。ホームに既に列車がいたので何の苦も無く乗車することができましたが、こちらも本数削減が行われ日中は運休。
大使館の開館と同時に手続きを済ませ、A線で次の目的地オペラ周辺へ。朝の最後の列車を何とか捕まえることができました。駅にあるバス案内の電光掲示板は軒並み「保証なし」、つまりいつ来るか分からないということです。シャルル・ド・ゴール空港へアクセスするロワシー・バスも同様で、乗降場にも行ってみましたが明確な案内はありませんでした。でも道路上には結構バスを見かけましたので、各線とも一応走ってはいるようです。
オペラ周辺で用事を済ませてヴェルサイユに帰るにあたり、14番線のメトロでサン=ラザール駅を目指します。メトロは全面閉鎖される路線も多い中、1番線と14番線は自動運転のためストライキの影響を受けず通常運行しています。この2つをうまく利用することがストライキ中のパリ移動でカギになると思いますね。
あとはサン=ラザール駅からあらかじめ予定されていたL線の列車でヴェルサイユへ帰ることができました。いつもひっきりなしに列車が往来する大ターミナル駅も写真の通り。長距離列車もかなり運休になっているようです。

こうしたストライキと並行して、5日、7日、昨日10日とパリで大規模なデモが行われ、商店が閉鎖したり警官隊が大規模に展開するなどしています。危ないかもしれないので、パリに来た際にデモが行われていたらなるべく近づかないようにするのがおすすめです。
以上のような現況ですので、近日パリを訪れる方はフランス国鉄、パリ交通公団の公式サイト(英語あり)で発表される最新情報をよくご確認の上、最大限観光を楽しんでくださいね。
次回はモンパルナスのタワーとガレット店街についてご紹介します。

ヴェルサイユ宮殿スペクタクルのレビュー

4 12月 2019

来年創立250周年を迎える王室歌劇場ではアツいプログラムが目白押し

今日の最高気温は4度、いよいよ寒さが身に染みる季節になりました。宮殿周辺や私の住んでいる通りでは今週からイルミネーションが始まり、通りゆく人々の心を温めてくれます。
そんな中、ヴェルサイユ宮殿では連日アツいスペクタクルが催されています!今回は先月下旬から今週にかけて行った5つのオペラ、演奏会をまとめてレビューしたいと思います。

まずは11月20日、王室歌劇場でエマニュエル・アイム率いるル・コンセール・ダストレのグラン・モテ。ラモーの「主が連れ帰ってくださった時In convertendo Dominus」、モンドンヴィルの「イスラエルの民エジプトを出でIn exitu Israël」、そしてカンプラのレクイエムという超激アツなプログラム。これはもう行くしかないですよねー。エマニュエル・アイムは業界ではまだまだ少ない女性指揮者で、このアンサンブルを生で聴いたのは今回が初めてでしたが、デビュー時のラモー「イポリトとアリシ」の素晴らしい上演の映像は随分前から知っていました。
ラモーの「主が連れ帰ってくださった時」はあの1曲目がもう最高に良いんですよね。弦楽器とフルートが織りなすあの絶妙な色合い…。これこそラモーの成せる業といった感じです。このオーケストラもしっかり表現してくれました。モンドンヴィルの「イスラエルの民エジプトを出で」は今回初めて聴きましたが、この作品はすごい!特異な調性の使用、劇的な歌詞を表現するためのオーケストラの効果音、最初から最後までモンドンヴィルの世界に引き込まれました。オーケストラパートも難易度の高い箇所が多かったように思いましたが、弦楽器奏者たちが果敢に挑んでいて効果は抜群。カンプラのレクイエムは6月に私たちも演奏したので記憶に新しい所ではありますが、研究センターの指揮者オリヴィエ・シュネーベリとは当然違う味付けでまた新鮮でした。
さて続いてはその翌日、王室礼拝堂での木曜演奏会を終えた後に行ったエルキュールの間での演奏会。リュリとその後継者のオペラで活躍したオートコントル歌手ルイ・ゴラール・デュメスニーLouis Gaulard Dumesnyへのオマージュを捧げたプログラムで、ベルギー人テノール歌手レヌー・ファン・メシュレンReinoud Van Mechelenが彼のアンサンブルを率いて歌い通すリサイタルでした。エルキュールの間での演奏会は年に数回あるのみで、主に室内楽や歌手のリサイタルが行われています。あの息をのむほどの装飾が施されたルイ14世渾身の作であるエルキュールの間での演奏は雰囲気からしてもう格別。
演奏の方はというと、オーケストラは力強いバスラインが特に素晴らしくて申し分ないのですが、当のメシュレンは…どちらかというとタイユ寄りで、オートコントルにしてはやや声が重いかなと個人的には思ったのと、レシタティフは「歌う」のではなくもう少し個々の言葉を「語る」方が良いかなと思いましたが、一緒に聴いていた研究センターの歌手たちは絶賛していたのでそうでもないのかもしれません。プログラム構成はリュリとその弟子のコラス、デマレ、シャルパンティエの悲劇の名場面集といった感じでした。個人的にツボだったのはアンコールでカンプラの「優雅なヨーロッパ」スペインの冒頭の素晴らしいパッサカーユを用意してくれたこと。あの作品は悲劇ではないのでこの演奏会には取り入れなかったのかなと思っていたところでの演奏だったので、これはとても嬉しかったです。
3つ目は24日に行った王室歌劇場でのカヴァッリ作「エルコール・アマント」の舞台上演。ルイ14世の宰相マザラン枢機卿の下イタリア・オペラをフランスに導入しようとカヴァッリをパリに招聘して制作、1662年に上演された記念碑的な作品です。演奏はラファエル・ピション率いるピグマリオン。3時間半の長大な作品ですが、あまり上演されないだけに詳細なあらすじがインターネットでも見つけられず、結局良く分からないまま観劇してしまったのを後悔しました。パンフレット買えばよかったですね。演奏は素晴らしいかったのですが、演出が個人的にはあまり好みではありませんでした。喜劇なので突っ込みポイントを作るのは良いけれど、真剣な場面でもちょくちょく変な笑いのポイントを作ってしまっていて何だか気が散るし、あとヴィーナスがピンクの気球(のような飛ぶ何か)を操縦しながら降りてきたり、ネプチューンが金色の潜水艦から出てきたりと音楽の雰囲気とはあまりに不釣り合いな現代的要素があるのもマイナスポイント。まあでもこの作品を舞台上演で観劇できる機会はそうそうないので、その点では満足でした。
4つ目は26日のリュリ「カドミュスとエルミオーヌ」の王室歌劇場でのコンサート上演、演奏はヴァンサン・デュメストル率いるル・ポエムアルモニーク!同じ作品の照明、衣装共に上演当時をできるだけ再現した上演映像はもうただ素晴らしいの一言で、コンサート上演なのは少し残念ですが是非生で聴きたいと思いました。上演前にはヴァンサンの「15分解説」にも行くことができ、オペラ上演のこと、発音のことなど色々な話が聞けました。演奏は勿論一級品。どうしたらあのサウンドが実現できるんでしょうね…。プロローグと5幕の長大な作品ですがあっという間に終わってしまいました。もっと聴いていたかった。
最後は昨日12月3日のジャン=バティスト・ロバンの王室礼拝堂でのオルガンリサイタル。ロバンは私の所属するヴェルサイユ地方音楽院のオルガン講師でもあります。王室礼拝堂のオルガンは日頃の木曜演奏会でパリ国立高等音楽院のオルガン専攻生により演奏が行われていて何度も聴いたことがあるのですが、ロバン先生の演奏ということで今回改めて聴きました。ルイ・マルシャンやジャン=フランソワ・ダンドリューの「プラン・ジュPlein Jeu(満ちた演奏での意)」の楽章は奏者と共にヴェルサイユ王室礼拝堂のオルガンの本領発揮というところ。もうこれに慣れてしまったら他で聴く気なんて無くなってしまうくらい、威厳と品格が溢れた響きです。一方でロバン先生自作の曲も1曲披露されました。難解すぎて一般的にはやや不快な現代作品(愛好家の方々申し訳ありません)というわけではありませんでしたが、やはり前後にこのオルガンと空間により適した古い作品が並んだだけに、個人的には古い作品が好みだなと思いました。あとオルガンリサイタルながらトランペットとパーカッションが加わり、リュリの「町人貴族」でのトルコ人行進曲やド・ラランドの「ヴェルサイユ大運河のためのコンセール」なども聴くことができました。

来年2020年はヴェルサイユ王室歌劇場創設250周年にあたり、特にオペラは昨年度よりも興味深いプログラムが多くラインナップされています。今後も少しずつこのブログでレビューしていきたいと思います。
次回は今週末フランスを震撼させる?予定のストライキ&デモについてお伝えしたいと思います。

パリ・シテ島編④コンシェルジュリー

27 11月 2019

マリー・アントワネットも散歩したであろう女たちの庭

先週から今週にかけてヴェルサイユ宮殿では見逃せないスペクタクルが連日目白押し。私は合計4つのオペラ、演奏会に行ってしまいました!木曜日には自分が出演する木曜演奏会もあり、出演者から聴衆へ早変わり。そのまま出演できればいいんですけどね…。

さて今回はシテ島編の続きとして、コンシェルジュリーのご紹介をします。
コンシェルジュリーは3つの丸い塔と1つの四角い「時計の塔」を持つ、バロック様式の建物が多い周辺ではひときわ目を引くゴシック様式の宮殿です。王がシテ宮殿から居城を移した後、王によって宮殿の管理を任された管財人のことを「コンシェルジュ」と呼び、次第にその名が建物の名前となっていきました。ここにはその堅牢な構造から高等法院や革命裁判所と牢獄が置かれ、牢獄は激動の革命期を経て実に1934年まで使用されていました。よってこの建物は宮殿としてよりも牢獄として有名であり、マリー・アントワネットを始めフランス革命期の多くの囚人を収容したことで知られています。
パレ通りに面した時計の塔にはその名の通り壁時計があり、オリジナルではないものの1585年製の時計が今も動いています。雨ざらしですがよく手入れしているようで、青地に金の装飾が目を引きます。
時計の左手から入場ができます。さすがといいますか、ここにも入り口には空港のような手荷物検査場があります。まず最初は半地下のようになっている巨大な空間、衛兵の間からスタートです。フィリップ4世治世下の1302年に完成した空間で側面に4つの大きな暖炉を持ち、柱から伸びたリブが交差しあうヴォールト架構になっています。日頃はがらんとしているのかもしれませんが、今はちょうど「マリー・アントワネット~その像の変貌~」展が開催されていて、スペースはほぼ展示で埋め尽くされていました。マリーの服飾、書簡から彼女を題材とした絵画、映像作品に至るまで多角度からその姿に迫る展示となっていますので、マリーが好きな方は行ってみてくださいね(ちなみに私は特段マリーが好きというわけではないです)。
順路の次の部屋は厨房で、ジャン2世の治世化に設置されました。この辺りは中世の宮殿の雰囲気を味わえる空間ですね。部屋の角に調理場と排煙設備があり、天井は同じくヴォールト架構です。シテ宮殿の昔の様子をCGで再現している映像が流れていて中々興味深いです。
衛兵の間へ戻り入り口から見て奥へ進むと、警備の間と「パリ通り」があります。警備の間は衛兵の間と同じ役割を担う部屋ですが、より小さくかつて上部にあった大広間への控えの間となっています。「パリ通りLa rue de Paris」は縦に長い空間で元々は衛兵の間の一部でしたが、後に仕切られて最も身分の低い囚人であるパイユーが収監される、わらが敷かれたのみの雑居房となっていました。ちなみに「パリ」は町の名前ではなく死刑執行人として知られたムッシュー・ド・パリから取られた名前とのこと。周囲に窓はなく日が当たらない雑居房は非常に不衛生で病気が蔓延する酷いものでしたが、今日ではそんな過去はどこへやら、お土産売り場になっています。
「パリ通り」を抜けると、左右に格子で仕切られた小部屋がありいよいよ牢獄といった感じです。それぞれ囚人を登録する書記、牢獄の所長、囚人の収監前に断髪を行うための部屋だそうです。右手の順路ではフランス革命とコンシェルジュ牢獄を紹介する展示を見ることができます。収監されるのも有料であった当時は前述したパイユーと、ピストリエ、プリゾニエ・ドゥ・マークという3つの階級で生活環境が全く異なり、パイユーはベッドすらなくわらが敷かれた房で家畜のように扱われ、中流階級のピストリエでも簡易ベッドが置かれただけの雑居房であったのに対し、マリーを始めとした富裕層プリゾニエ・ドゥ・マークは独房で家具を入れることができるなど比較的快適な生活ができたようです。
階段を上がると「名前の部屋」と呼ばれるフランス革命期に収監された四千余名の人物の記録を見ることができる部屋があるのですが、何故か私が行ったときは閉鎖されていて、隙間から壁にたくさんの人名が書かれていることだけ確認できました。廊下には3つの独房がありますが、これは革命200周年の1989年に復元されたもののようです。しかしそれでも当時の獄中生活の過酷さを容易に想像することができます。奥の部屋では革命と裁判所についての展示があります。共和政を守るという名の下設置された公安委員会は恐怖政治を行う独裁機構となり、敵対する勢力を政治犯として次々と裁きましたが、やがて独裁からの解放を願った市民のうねりからロベスピエールらも処刑され、公正な裁判所への刷新が行われました。
階段を降りると礼拝堂があります。元々は王のための礼拝堂でしたが牢獄になってからは囚人のための礼拝堂となり、フランス革命期にはここすらも雑居房になっていました。奥にはマリーが使用していた独房の1つである贖罪礼拝堂があります。革命後、ルイ18世によって修復が行われたとのことですが、近年また修復されたようで事前に見ていた写真の様子と全く違いました。黒い壁面に白い火の玉?のような小さい模様が描かれています。今回掲載した写真の「女たちの庭」は礼拝堂の外にあり、女性囚人の散歩と洗濯のために使われていました。散歩をするにはあまりに小さい中庭ですが、マリーもここで少しは気晴らしができたことでしょう。

マリー・アントワネットが最後の数か月を過ごしたコンシェルジュリー、彼女の足跡を辿りに是非足を運んでみてくださいね。
来週はこの頃ヴェルサイユで鑑賞したスペクタクルをまとめてレビューしたいと思います。

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