ヴェルサイユ便り

パリ・シテ島編③サント=シャペル

20 11月 2019

息をのむ美しさの上層礼拝堂

先週は王室礼拝堂の木曜演奏会と、学生オーケストラによるパーセルの「妖精の女王」の演奏会がありました。木曜演奏会はヴェルサイユの研究センターの子供たちによる合唱とのアンサンブルで、シャルパンティエとモランによるプティ・モテのプログラム。今年はメンバーが入れ替わったのか、昨年いたびっくりするくらい上手い女の子たちがいなかったのが少し残念でしたが、それでも10歳くらいの少年少女が立派に独唱をやっている姿は素晴らしいの一言です。
学生オーケストラの方は今回はややリハーサルが少ないのが心配でしたが、パトリックの安定した指揮で無事1回目の本番が終了。今週と来月にあと3回本番があります。

さて今回からは先月書いたパリのシテ島編の続きとして、サント=シャペルとコンシェルジュリーについてご紹介します。
フランスに来てからというもの、今まで様々な宮殿や聖堂に行ってきましたが、何故かこの2つだけは今まで手付かずのままでした。何でもシテ島周辺はいつも観光客だらけで治安もあまり良くないし、いつでも行けると思っていたらノートルダム大聖堂の火災があってしばらく付近が封鎖されてしまうしで…でも今回、特にサント=シャペルは行って良かった、なぜもっと早く行かなかったのかと改めて思いましたね。
シテ島の歴史は非常に古く、紀元前から人が生活しておりその後ローマ人の征服により都市が発展するとこの地に宮殿と行政機関が置かれました。その後フランク王国となりシテ宮殿が建設され、シャルル5世がより安全な居城を求め移住してからは財務監督、裁判所、牢獄が置かれるようになりました。ちなみにこのシテ宮殿にはとても長い歴史と数多くの事件がありますので、ここでは省略いたします。
現在シテ宮殿の建物で現存しているのは今回紹介する2つで、これらはフランスに現存する最古の王宮施設になります。コンシェルジュリーが10世紀にカペー朝を開いたユーグ・カペーによって整備、サント=シャペルが13世紀に聖王ルイ9世によって建てられました。

どちらから行っても良いのですが、前回予告したのでまずはサント=シャペルから。
サント=シャペルは1248年に完成した聖堂で、最も重要な茨の冠の他キリストの受難に関する聖遺物を保管する聖堂として建設されました。ちなみに茨の冠はビザンツ帝国(東ローマ帝国)の皇帝から購入したもので、その費用はシャペルの建設費用に匹敵したそうです。しかしそれは単なる王の物欲によるものではなく、これによってキリスト教世界でのパリの地位を一気に引き上げる意図がありました。現在、聖遺物はノートルダム大聖堂保管となっており、火災の際も無事運び出されたそうです。
聖堂にアクセスするには裁判所の門の横にあるパレ通りに面した入り口から入ります。裁判所に隣接する形で少し奥まった立地のため聖堂の姿を探しながら行くと少し迷ってしまうかもしれません。入り口付近には空港のような手荷物検査場があり、チケット売り場は聖堂の入り口にあります。
まずは外観を観察。とにかくステンドグラスの面積が大きいのと、トレーサリー(装飾的な枠組み)が極度に細いのが分かります。レヨナン式ゴシックと呼ばれる繊細な装飾が見所です。小ぶりでこれまた繊細な装飾を持つ尖塔はフランス革命時に破壊され、19世紀に再建されたもの。聖堂正面は特段凝った装飾があるというわけではありませんが、とても大きいバラ窓が目につく所でしょうか(この真価は内側から見たとき分かります)。入り口ではイエスを抱えたマリア像が出迎えてくれます。
この聖堂は上下2層に分かれており、上の礼拝堂が王や身分の高い者のため、下の礼拝堂が王家の使用人のための聖堂で、上の礼拝堂へはシテ宮殿から伸びる通路で直接行けるようになっていました。
まずは下の礼拝堂から見学。格下の礼拝堂とはいえ鮮やかな彩色が施されています(現在見られるのは19世紀の修復によるもの)。脇にある柱には青地に金のフランス王家の紋章と、もう一方は赤地に金で塔の紋章があしらってありますが、これはルイ9世の母の血統であるカスティーリャ王家の紋章だそうです。
その他奥の左手に13世紀のフレスコ画や、周辺から出土した壁の欠片なども置いてありますので上の礼拝堂に行くのを焦らずにチェックしてみてくださいね。
さて下の礼拝堂を見終わったら階段で上の礼拝堂へ。到達した瞬間、あまりの美しさに言葉を失うほどです。この日は雨で外から差し込む光は決して多くありませんでしたが、それでもとにかく聖堂内が光り輝いていました。もうこれは言葉で言い表せないので、是非実際に来て体感してみてください。キリスト教徒であればなおさらのこと、そうでなくても誰もが心洗われる空間だと思います。
正面から見て左から右に15のステンドグラスで、1113の聖書の場面が描かれています。詳しくはオーディオガイドを聞きながら見ると良いと思いますが、一番最初の創世記の場面などは何となくわかります。
ステンドグラスの間の柱の根本には12使徒の像が置かれていて、ペテロ像を始め幾つかは13世紀中頃のオリジナルとのこと。ステンドグラスを鑑賞して首が痛くなったら是非これらの像も見てください。
奥にはこの聖堂の主役である聖遺物を保管するための構造物があり、高壇の金の聖遺物箱の中にかつては保管されていました。ところでこの大きい壇があるために、中心にあって全ステンドグラス中最も重要な受難の場面が半分ほど見えないのですが..まあ実物の方が重要ですものね。
後ろを振り返ると先ほど外側から見た大きなバラ窓の真価が分かります。題材はヨハネの黙示録で、中央にキリストが描かれています。もっともこれは完成当初はなかったもので、15世紀に追加されたものだそうです。
こんなに素晴らしい聖堂も、フランス革命期にはただの事務所として使われ、せっかくのステンドグラスも整理棚が手前に置かれその魅力はすっかり忘れ去られていました。ただそのために破壊を免れ、今日こうして私たちが見ることができるのは数奇な運命ですね。

そんなわけで、パリに来たら絶対に!この聖堂へ足を運んでみてくださいね。
次回はコンシェルジュリー編をお送りします。

フランス南西への旅③バイヨンヌ、ポー編

13 11月 2019

非常に高い天井を持つサント・マリー大聖堂

今週から今年度のオーケストラプロジェクトや王室礼拝堂の木曜演奏会が動き出しました。9月にこちらに帰ってきてほぼずっと一人で練習していたので、やはりオーケストラや合唱はいいなとつくづく思いながら弾いています。

さて今回はフランス南西への旅最終回、バイヨンヌとポー編です。
この日は祝日の11月1日でしたので博物館系は軒並み休館。滞在時間もあまり取れなかったのでざっと見るにとどめました。
バイヨンヌは古くから軍事的に重要な拠点となっていて、町は城壁と城塞、2つの川によって防御の構えを見せています。支流のニーヴ川を挟んでシャトー・ヴュー(古い城)がある方をグラン・バイヨンヌ、シャトー・ヌフがある方をプチ・バイヨンヌと呼びます。2つの城は古い方が11世紀、新しい方が13世紀と何れも古い城ですが、あくまでも防御のための要塞であって飾り気のない無骨な外観となっています。内部は双方とも公開していないようです。
グラン・バイヨンヌにあるサント・マリー大聖堂は見どころの多い聖堂です。13世紀から建築が始まったゴシック聖堂ですが、特筆すべきはその天井の高さ。掲載の写真で見ていただければお分かりの通り、何だか縦に引き伸ばしたように見えますが特に写真の加工はしていません。祭壇の後ろの各聖堂部分は他と打って変わって美しい彩色が施されていますが、あまりどぎつくなく繊細な感じに見て取れます。
外観は周囲に民家が建っていて中々きれいに全景写真が撮れないのですが、西正面は2つの鐘楼を備え、正面入り口部分が張り出した構造になっています。扉の周りには彫刻を削り取った跡が見られ、特に説明書きはありませんでしたが意図的に破壊されてしまったのだなと理解できました。入り口の左右には渦巻の形にデザインされた窓があります。こんな形は初めて見ましたね。南側には方形の大きな回廊があるのですが、祝日のためか入ることはできませんでした。
大聖堂から南へ住宅街を少し歩くと、「古い肉屋の塔」があります。ローマ時代の見張り塔を再利用したものだそうで、私はローマ遺跡がとても好きなので行ってみましたがただの円形の塔でした(笑)。
大聖堂周辺のグラン・バイヨンヌの家々は白い壁に色とりどりの柱が露出した古いもので、素朴でどこか懐かしいような印象を受けます。
最後にカズナーヴというショコラティエの喫茶コーナーで有名なショコラ・ムスー(泡立てココア)をいただきました。1854年の創業以来伝統的なチョコレートの製法を守り続けているそうで、ココアもやや苦みと酸味の強い独特な味でした。でもとても美味しかったですよ。
他にもプチ・バイヨンヌのニーヴ川沿いにはバスク地方の歴史や文化を紹介しているバスク博物館があるのですが、例によって休館でした。開いていたら是非入ってみたかったところです。

川越しに見ることができるポーの城

バイヨンヌからアンテルシテ(特急)に乗車し約一時間、最後の目的地ポーの街を目指します。乗車したアンテルシテは客車列車ではなく固定編成の電車列車でした。近郊電車だけでなく特急も客車から電車への転換が進んでいるのですね。
ポーはブルボン朝を創始したアンリ4世の生誕地で、ピレネー山脈を望む眺望が楽しめる街としても有名です。国鉄の駅は市街地より幾分低い土地にあり、駅前から無料で乗車できる緑の車体の可愛らしいケーブルカーがありますが行程上必要なかったので乗車しませんでした。ケーブルカーで行き着くことのできるピレネー大通りからはピレネー山脈を見ることができますが、天気が良くないとあまり綺麗に見えないのかもしれません。それでもとにかく山脈は遠くにあるので、雄大な景色というのではないのだと思います。
まずは散策がてら地図上でボーモン宮という建物を見つけたので行ってみましたが、1900年に建てられた冬の別荘だそうで、現在は集会等に使われているとのこと。バロック調で外観は美しいですが19世紀以降の建物ということでいつも通りスルー。
城にほど近いサン=マルタン教会と少し北方にあるサン=ジャック教会はいずれも古くからあった聖堂を取り壊して19世紀以降に再建されたものでした。
さてアンリ4世が生まれたという城、祝日のため休館だろうと思い最後に外観のみ見ようと思っていたのですが、行ってみると中から人が出てくるではありませんか。開館していたのか、ラッキー!と思い入館しようとしたらもうすぐ閉館すると言われてしまいました。ちゃんと確認すればよかった!!!残念。
まあそれでもフランス革命時に内部は荒らされ、ルイ=フィリップ王やナポレオン3世によって大規模な改築が行われてしまったのでアンリ4世時代を偲べるものは殆どないとのことですが。
少し時間があったので川越しに橋と城を見ることができる地点に行ってみましたが、うーん、夕方でかつ曇り空の景色は何だかちょっと今一つ。川霧が出ていたのは綺麗でしたけどね。

この後再び電車のアンテルシテで約3時間、乗り換えのためにトゥールーズへ行きました。次に乗る寝台特急との兼ね合いで1等車の切符を買いましたが、2等車の座席と大して変わりませんでした。ぼったくりやなこれ(笑)。
トゥールーズでは1時間乗り換え時間があったのであの美しい街並みをもう一度見たいと思い、市庁舎やサン=セルナン・バジリカ聖堂へ赴きました。昨年、フランス国内旅行で初めて訪れた街でしたが、個人的には未だに最も好きな街であり続けています。詳しくは過去の記事をご覧くださいね。
最後は寝台特急アンテルシテ・ド・ニュイに乗車。前回の2等車3段寝台は座るには少し辛かったので、今回は1等車2段寝台にしてみました。夜行列車は何度乗っても良いですね。

以上、全3回に渡ってフランス南西への旅をお届けしました。来週はついに!パリのサント=シャペルとコンシェルジュリーのレポートをお届けします。もう行ってきたので大丈夫です(笑)。

フランス南西への旅②ビアリッツ、サン=ジャン=ド=リュズ編

7 11月 2019

大西洋に面した「処女の岩」

今回も前回に引き続き、フランス南西旅行のレポートです。
ボルドーから近郊列車TERに乗車し、大西洋沿いのリゾート地ビアリッツを目指します。
ビアリッツといえば今年の8月にG7主要国首脳会議があったことで一躍有名になりましたが、普段はゆったりとした時が流れるリゾート地です。気温も20度近くあり、終始コートを脱いで歩いていました。
国鉄の駅からバスに乗って20分ほど、バス停から歩いてまずは「処女の岩」を目指しました。途中の商店街などはまるで湘南のようで、海沿いの観光地はどこも似ているなと思いました。砂浜ではもう間もなく日が沈むというのに海水浴をしている人がちらほら。10月末ですが寒くないのでしょうか。
「処女の岩」は水族館のある岬から橋で渡った先にあり、マリア像があることからこの名がついています。まるで江の島のようですね。一面に広がる大西洋。大西洋は初めて見ました。
完全に暗くなる前にもう少し散策してみることに。「大浜辺La grande plage」には少し降りて歩いてみました。
ナポレオン三世の皇后ウジェニーの別荘を改装したホテル「オテル・デュ・パレ」に行ってみましたが、現在改装中とのこと。外観はルイ13世様式の建物ですが、それ以外は全く分からずじまい。
時間が余ったのでもう少し歩いて灯台まで行きましたが、海を見る他は特に何もありませんでした。
その後再びTERに乗ってサン=ジャン=ド=リュズヘ。この日は終了です。

ルイ14世の結婚式を見守った教会

翌日、ボルドーでの詰め込み観光が少し体に堪えたのか9時頃まで寝てしまい、ようやく行動開始。
ホテルには2泊するので極力荷を部屋に置いて、国鉄駅前からバスでラ・リューヌ山を目指します。といっても目的の大部分は山頂に登ることではなく、途中の登山鉄道に乗車すること。
1924年に開業したラ・リューヌ鉄道は今年95周年を迎え、その旨が宣伝されていました。古めかしい木製の機関車が麓側に着き、これまた木造で車体を軋ませながら走る客車2両を押し上げていきます。
ホームに入場が始まるとすかさず機関車に最も近い麓側の席を確保。え、何故かって?もちろん登坂で負荷がかかるモーターの唸りを聞きたいからです(笑)。
出発前に車両を観察してみましたが、どうも通常の線路に接する車輪には動力を伝えず、線路の間にあるラックレールと噛み合う歯車のみで坂を上っていくようです。乗務員は機関車と一番前の客車に乗り込みました。
いよいよ坂に挑みます。とても急な坂!日本にはケーブルカー以外にこんな急坂を行く鉄道はありません。見る見るうちに麓の駅が遠くなっていき、遠方にサン=ジャン=ド=リュズの街と大西洋が見えてきました。車内放送はフランス語、スペイン語、バスク語の三か国語で何か説明がありましたが、とにかくモーターの音がすごくてよく聞き取れませんでした(笑)。いいんですよ!私はこれで!
しばらくすると平坦線となり、崖と岩肌の間を抜ける模型のような線路を走っていきます。途中に対向列車と行き違いできる部分があり、みんな手を振って応えてくれました。やがて再び急勾配区間となり、山頂に到着。頂上はあいにく雲の中で景色は何も見えませんでしたが、晴れていればピレネー山脈や大西洋等が一望できるようです。
せっかくきたので晴れるかもしれないと一縷の望みをかけ、山頂の喫茶店でココアを飲んで一服しましたが結局晴れずじまい。少しだけ周辺を散策してみることにしました。といっても前述のウジェニー妃の記念碑と、放牧されている馬を見るくらいで、後はフランスとスペインの見えない国境を楽しみました。一応スペイン上陸を果たしたということで。
サン=ジャン=ド=リュズの町まで戻った後は2つ目の目的へ。それはルイ14世の足跡をたどることでした。
この小さな港町が歴史の表舞台に立ったのは1660年、若きフランス国王ルイ14世とスペインの王女マリー・テレーズの結婚式が行われたことでした。サン=ジャン=バティスト教会がその会場となりました。この教会は一部は15世紀の竣工ですが大部分は1649年に完成しましたが、装飾どころか開口部もあまりない質素な建築で規模もあまり大きくありません。実際問題として国王夫妻の結婚式を行うには参列者を迎えきれないため、木製の階上席が後方に5階、両側面に3階建てで設けられている風変わりな内部になっています。内陣の壁面は鮮やかに彩色され、祭壇の構造物は青を基調として葡萄、天使、生き物が巻き付くように装飾された円柱の間に聖人たちか配置されているという凝ったものになっています(ゴテゴテしているという方が正しいかも)。結婚式の際の絵の背景にもこの祭壇が描かれていますので、当時からあったものでしょう。祭壇に向かって右手の外壁には、かつて国王夫妻の通路としてのみ使用され、その後閉塞された部分が説明書きと共にあります。
教会から海に向かって少し歩くと、ルイ14世が結婚式に際してしばし滞在した館「ルイ14世の家」があります。建物が面している「ルイ14世広場」に木が植えられていて綺麗に写真を撮ることができないのですが、両角に張り出した部分を持つこの町ではやや凝った設計の建物です。内部見学は1日3回のツアーのみですので、訪れる際は必ずスケジュールをよくご確認ください。内部は応接間、寝室とそれなりに豪華ではありましたが、ヴェルサイユ宮殿を良く知っていると目を見張るような感動はあまりないかもしれません。ただルイ14世が若き日にここを訪れたのだなという思いには浸ることができました。
海沿いにもう少し歩いていくと煉瓦と砂岩でできた「王女の館」もありますが、こちらは地上階に一般の商店があり、観光用には開放していないようです。

次回は最終回、バイヨンヌとポー編をお送りします。

フランス南西への旅①ボルドー編

31 10月 2019

ペイ・ベルラン塔から見たボルドーの街並み

今週はヴェルサイユを離れフランス南西部に来ています。昨日までボルドーに滞在、今はスペイン国境近くのサン=ジャン・ド・リュズにおります。
今回は旅行途中につきいささか簡略的ではありますが、ボルドーの街と訪れた施設を紹介します。

そもそもなぜ今回ボルドーに来たかと言いますと、師匠パトリックの紹介でボルドー地方音楽院の教職コンクールに際する生徒役を担当するためでした。謝礼は僅かばかりの商品券だけですが、旅費は全て出るのでまあ良いかと。
呼ばれていたのは火曜日の午前中だったので当日の朝パリを立つ予定だったのですが、前日の昼頃突然フランス国鉄からメールが来ました。なんとTGVアトランティクのストライキにより予約していた列車を始め殆どが運休となってしまったのです。色々考えた挙句、約束の時間に音楽院へ着くにはもう今日出るしかないという結論に達して、運休にならなかった最終のTGVと今夜のホテルを予約してあたふたと用意を開始…。
21時頃ボルドーに着き、どこを観光できるわけでもなくそのままホテルへ直行しこの日は終了。もう少し運休が早く分かっていれば早く来て観光したのに!
翌火曜日は時間通りに音楽院へ赴きました。予め提示されていた曲目は5曲あり、ヴェストホフのソロ組曲もあってわりと譜読みに時間を取ったのですが、蓋を開けてみればヴェストホフは結局弾かずじまい。まず教職受験者のおじさんが2曲弾いた後、私ともう一人の生徒役が出てマッテイスのチャッコーナの冒頭を少しだけ弾いてレッスン風な事をして終了。その人の可否はどうなったのかわかりませんが、生徒役としてはなんだか拍子抜けでした。そもそも2人必要だったのかすら怪しい…笑。
まあそんなこんなで昼には自由となり、同じく生徒役として来たヴェルサイユ地方音楽院フルート科のクレマンと昼食を共にし、後は観光の時間となりました。彼は前日に楽譜を印刷したと言っていました。とほほ。

ボルドーはご存知ワインの生産と、ガロンヌ川河口に位置し大型船が出入りできる港を持っていることでローマ時代から栄えてきました。10世紀後半からアキテーヌ公国領となり、婚姻によってイギリスの支配下に入ったこともありましたが、百年戦争以後はフランス王国に帰属することになります。しかしその豊かさと自治力の高さからルイ14世の絶対王政確立まで度々王権に対して反発し、反王権勢力の溜まり場のようになっていました。フランス革命期には穏健派であるジロンド派の本拠地になりました。その後の大きな戦争でパリが危うくなると、一時的に政府が置かれる街として機能しました。
現在でもボルドーといえばワイン、世界中のワインファンがぶどう農家やワイン生産者の元へやってきます。
そんなボルドーですが、とにかく17-18世紀の古い街並みが魅力的です。ヴェルサイユ以上の規模と範囲を誇っていて、車や人が全て居なくなったらすぐにでもタイムスリップできそうです。どの程度かというと、現代的な車や看板があればとても浮いて奇異に見えてしまうくらい。
景観保持の努力は路面電車の線路に架線を張らず地表集電にしているといったところにも見られます。

それでは以下、滞在中に訪れた施設です。

  • ボルドー地方音楽院
  • フランスの偉大なヴァイオリ二スト、ジャック・ティボーの名を冠する音楽院です。ボルドーの街並みとは異なり現代的な建築物で、外見は上野の東京文化会館のような印象。広大な校舎で練習室がたくさんありました。隣接する聖十字架修道院をキャンパス内から間近に見ることができます。

  • アキテーヌ博物館
  • 先史時代から現代までのボルドーやアキテーヌ地方を中心とした展示を見ることができます。色々ありましたが特に印象的だったのは黒人奴隷貿易に関する展示でした。

  • ボルドー美術館
  • 15世期から20世紀までの主に絵画、一部彫刻コレクションが展示されています。ティツィアーノやルーベンスもあるので見逃さずに。ボルドーの街並みを描いた18-19世紀の作品もあり、町並みが当時からほとんど変わっていないことが分かります。

  • カンコンス広場とジロンド派の記念碑
  • トランペット城と呼ばれたかつての要塞の跡地で、19世紀に広場として整備されました。訪れた際にはたくさんの屋台が設置されていましたが常設かどうかは分かりません。西側の端にはジロンド派の記念碑と噴水があります。

  • 円形闘技場跡
  • 公共公園の近くの住宅街にひっそりと佇む、数少ないボルドーのローマ遺跡。2万2千人を収容できた巨大な闘技場でしたがフランス革命頃の町の改造によりほとんどが破壊され、現在ではそのほんの一部を見ることができます。

  • ピエール橋
  • ガロンヌ川には街の防衛上、長らく橋はありませんでした。最初の橋は1822年に完成したこのピエール橋で、赤煉瓦と砂岩による美しい橋です。架線がなく一見分かりませんが路面電車も通っています。

  • シテ・デュ・ヴァン
  • 直訳すると「ワインの首都」となりますが、ワインセンターのようなものでしょうか。曲線が特徴的なモダンの建築物です。残念ながら閉館時間が迫っていて入館を断念しましたが、ワインに関する色々な展示、講座の実施があるようです。

3つの世界遺産登録の聖堂

  • サン=スラン大寺院
  • 古い部分は11世紀初頭の建設であるロマネスク聖堂。度々増改築したようで、柱の形状が途中から異なっていたり本来は祭壇下にある地下聖堂が聖堂中央付近にあったり、主祭壇の奥は平面なのにその横の小さな聖堂はちゃんと半円形になっていたりと、なかなか迷要素の多い聖堂です。地下聖堂には4世紀頃の石棺が安置されていている他、夏季には聖堂南側の入り口から入って4-6世紀頃のキリスト教徒たちの地下墓地を見学できるようです。

  • サン=タンドレ大聖堂
  • 古い部分は11世紀、大部分は12世紀の建設によるゴシック聖堂です。ルイ14世の両親、ルイ13世とアンヌ・ドートリッシュの結婚式はこの聖堂で執り行われました。
    一番の特徴は聖堂の正面が通常の西側ではなく、司教の宮殿が位置する北側に設定されていることです。このことから西側はまるで切り落としたかのように全く装飾がありません。聖堂内部はその規模もさることながら、天井のリブ・ヴォールトの意匠が特徴的です。
    外壁は現在ほとんどが修復され新築のように真っ白になっています。
    ペイ・ベルラン塔と名付けられた聖堂北側の独立した鐘楼には登ることができます。この地域は地盤が弱く、重量のある塔と鐘の振動から聖堂を守るために独立しているのだとか。教会の塔には付き物の狭い螺旋階段を登っていくと2つのテラスがあり、今回掲載の写真のようにボルドーの街を一望することができます。

  • サン=ミシェル大寺院
  • 14世紀末から建設が開始された聖堂。やはり鐘楼が聖堂西正面の前方に独立して建てられています。この塔には登ることはできませんでした。
    聖堂内部の壁面はわりとあっさりしているなという印象です。後方のオルガン周辺の壁面だけ近年修復したのか真っ白になっていました。

この他にもまだまだ魅力的な場所がたくさんあると思います。ワインだけではないボルドー、皆様も是非足を運んでみてくださいね。
次回はさらに南西へ、ビアリッツ、サン=ジャン・ド・リュズへ旅を続けます。

ヴェルサイユ地方音楽院のオープンキャンパス

23 10月 2019

今年工事が完了したヴェルサイユ地方音楽院のホール

昨日は天皇陛下の即位礼正殿の儀が執り行われましたね。私もネットの動画で観ましたが、日本の伝統に誇りを感じることのできる厳かな儀式に見えました。
こちらの方はというと、2週間のバカンスに入りました。去年も全く同じことを思ったのですが、始まって早々バカンスというのは何だか出鼻を挫かれるような感じがするんですよね…。

さて今回は先週行われたヴェルサイユ地方音楽院のオープンキャンパスについてご紹介します。
オープンキャンパスでは14日から18日まで連続5夜、各科の演奏による演奏会が行われました。全部は把握していないのですが、少年少女による合唱やダンスなど幼少教育部門も参加していたようです。
この演奏会は音楽院の正面奥にあるオディトリウム(ホール)で行われました。昨年はずっと工事していた建物で、私は今回初めて演奏に使用しました。古楽には響きも雰囲気も音楽院のアパルトマンの方が良いように感じましたが、照明設備も完備された綺麗なホールです。
私は第一夜と第五夜に参加しました。第一夜はミシェル=リシャール・ドラランド作曲の「ヴェルサイユの噴水」のごく一部を上演。指揮は師匠パトリックです。楽隊の編成はあまり大きくありませんでしたが、ヴェルサイユ・バロック音楽研究センターからは今年からの新メンバーを交えた歌手たちが参加し、相変わらず素晴らしい演奏をしてくれました。リハーサルは当日の午後、2時間程度やった後にホールで通しリハーサルをしたのみ。当日リハーサルで本番というプロジェクトは初めての経験でした。面白かったのはアンコール用に歌詞を差し替えたこと。ルイ14世に向けられた「最高の偉大さに敬意を表そう」を「このオディトリウムに敬意を表そう」と「クロード・ドビュッシーに敬意を表そう」(このホールがドビュッシーの名を冠しているため)に差し替えて歌われました。燦然と輝くルイ14世賛歌の音楽にドビュッシーの名が登場したのです(笑)。
第五夜はマラン・マレのトリオの一部を演奏。ヴァイオリンはパトリックと私のみ、他はリコーダー、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ギターとパーカッションの先生が当日合流しました。この先生とは今回初めてお会いしましたが、リハーサルで2回ほど通しただけで見事にパーカッションを付けてくれました。
ホールの規模はそう大きくはないので200人程度の収容力ですが、2夜とも満席だったと思います。

来週はフランス南西への旅、まずはボルドー編です。

パリ・シテ島編②ポンヌフ

16 10月 2019

名は新橋でも今は最古の橋

今回は先週に引き続きシテ島についてのお話なのですが、ここで皆さまにお詫びです。
サント・シャペルとコンシェルジュリー、もう少し延期させてください!
というのはですね、今度こそ入るぞと思って意気揚々とサント・シャペルの入場列に並んだわけなのですが、ふと「11月からの第一日曜日は無料」の看板が目に留まったんです。そうだ、今日なら学生料金でも8€だけど来月の第一日曜日に来れば無料じゃないか!

…という経緯があったので、今回はシテ島にかかる有名な橋、ポンヌフについての紹介です。
ここはアヴィニョンの橋のように入場料はとりませんので(笑)。

ポンヌフはシテ島の西側に架かり、パリ右岸と左岸をつなぐ今も昔も重要な橋です。ポンヌフとは「新橋」という意味ですが、1578年にアンリ3世の手によって起工され、1607年に竣工した現在のパリでは最古の橋となっています。石造りの頑丈な橋で基本構造は竣工時から変わっていません。フランスには「ポンヌフのように丈夫だ」ということわざがあるそうです。
橋は右岸からシテ島の部分(7つのアーチ)とシテ島から左岸の部分(5つのアーチ)の2つからなっていますが、シテ島の陸地部分のアンリ4世騎馬像周辺も同一の意匠となっています。側面には怪人面Mascaronと呼ばれる怖い形相をした男の顔の装飾が等間隔に延々と続いていて、一つとして同じものはないように…思えます(確認はしていません)。これだけ見ていても結構楽しいですよ。
橋を実際渡ってみると、なるほど現役の橋だなあという感じなのですが、その幅の広さに注目してみてください。現在の道路部分は自動車道路の片側2車線くらいの広さはあります。大型観光バスも余裕で通過。それでいて左右の歩道部分もとても広く、ストリートミュージシャンがいても困らないほど。橋脚部分には半円形のベンチになっている休憩スペースもあります。いやそんなに長い橋じゃないですけどね…。こういった幅の広い橋の設計が、頑丈さと相まって後に架け替えられたり改造されることなく現在まで残った理由の一つでしょう。
またこの橋はパリの中心部にあるだけあって、様々な事件の舞台や芸術作品の題材になってきました。そのような事に思いを馳せてみるのも良いでしょう。

最後に、この橋はシテ島を挟んで2つの部分からなる橋だけあって、全景を良く眺められる場所は非常に限られてきます。お勧めは西側に架かるポンデザールの中央付近から見ること。今回の写真もここから撮影しています。でもここからではどうしても少し遠くなってしまうので、間近で見たいなら河岸の歩道から観察すると良いでしょう。

次回は今週行われているヴェルサイユ地方音楽院のオープンキャンパスを紹介します。

パリ・シテ島編①ノートルダム大聖堂の現況

9 10月 2019

ノートルダム大聖堂の現在の様子

昨日はこの記事を書くためにシテ島へ赴きましたが、粒の細かい雨と風で結構濡れてしまいました。雨の日が増えてきたので、中々外を出歩く気になれず少し運動不足気味です。
シテ島へはノートルダム大聖堂の火事直後以来久しぶりに行ってみました。今回は大聖堂の現況をお伝えします。
大聖堂前のシャルルマーニュ像やポワン・ゼロがある広場、反対側のヨハネ23世広場を始め周囲は白い鉄製の囲いで覆われ、工事関係者のためのテントと事務室が多く設置されています。
木製の尖塔があった位置には火災当時のまま鉄骨の足場が組まれていますが、南側のバラ窓のところにも足場が組まれていました。その他の聖堂の側面にある窓は透明なシートで覆われています。
東側、つまり後陣部分の屋根とフライング・バットレス(外壁から外側に向かって伸びる、聖堂天井のアーチ構造を支える役割を持つ構造物)の内側には木製の枠組みが追加されていました。やはり火災の際に石材が高温にさらされたことにより強度に支障をきたしたのでしょうか。
火災直後に訪れた際は聖堂北側のクロワトル=ノートル=ダム通りは閉鎖されていましたが、現在は通行できるようになっています。この通りからよく観察できる北側のバラ窓は白い覆いが掛けられていて状態を確認することはできません。火災当時火が吹き出ていた上部の小さい窓は損傷が激しいのか木材で補強がなされていました。
以上が大聖堂の外観の現況です。修復は時間がかかるでしょうが、いつの日かまた昔のような美しい姿に戻るといいですね。そういえば尖塔と屋根のデザインはどうなるのでしょうか。18世紀にも趣味の悪い改築が行われ、19世紀の修復で原型に近い姿を取り戻しましたが歴史は繰り返されてしまうのでしょうか。

さて今回はノートルダム大聖堂以外の名所である、サント・シャペルとコンシェルジュリーについてお伝えしたかったのですが、2つの入り口が面しているパレ通りが警察によって封鎖されているではありませんか!といってもこれはノートルダム大聖堂火災によるものではなく、周囲で行われていたデモ対策だったようです。
そんなわけで、来週こそ!お伝えしたいと思います。

パリの日本食品店、京子食品

2 10月 2019

KYOKOじゃないの?でお馴染み(私だけか)

早いものでもう10月ですね。日本では消費増税が行われましたが、果たして今後の経済はどうなるのでしょうか。
昨日、イヴリヌ県庁から新しい滞在許可証の用意ができたという旨のSMSが届きました。申請してから2か月超、もしかしたら日本にいる間フランスからのSMSが受け取れなかったのではないかと気をもんでいましたが、無事取りに行けることになり良かったです。
あと7月の始めにネットショッピングでサンダルを注文したのですが、その後なかなか発送して来ず帰国の日を迎えてしまいました。不在でも郵便局員がどこかに置いておいてくれるかなと思いきや返送されたようで、ショップから先日連絡があり再送料10£(イギリスのお店なのでポンド)かかるとのこと… サンダルがどうしても欲しかったあの暑い夏は過ぎてしまいましたが、欲しいものだったので再送を待つことにします。住所は合っているし表札も出しているのだから置いて行ってくれればいいのに!!!

さて今日はパリの日本食品店として有名な京子食品の紹介です。
パリのオペラ・ガルニエ(いわゆるオペラ座)の周辺にはジュンク堂書店、 ブックオフ、ヤマト運輸といった日本企業の店舗や、ラーメンを始めとした日本食店が多く並ぶなどまるで日本人街のようになっています。またフランスの銀行ながら日本語で対応してくれる、留学初心者には大変心強いLCL銀行ピラミッド支店 (日本人支店とあだ名されています)もまたこの地区にあります。
そんな地区の中で、日本食材を買うため私が何度か足を運んでいるのが京子食品です。大きいオペラ座通りから横に伸びるプティ・シャン通り沿いにあり、道を少し進むとすぐに「京子」の四角い看板が見えます。フランス語表記はKIOKO。KYOKOじゃないの?と思うかもしれませんが、フランス語でYはIが二つということになっているので KYOKOだと「きよこ」になってしまうのだと思います。
そんなことを毎度考えながら入店。一階は米、野菜、冷凍・冷蔵食品、調味料、お菓子や飲料などが並び、2階には乾麺やインスタント食品、各種の粉、製菓材料、食器や調理用品も売られています。そのラインナップたるや、まるで日本!ここに来れば日本食材はほぼ困らないでしょう。こんなものまで!というものがたくさんあるので、見ているだけでもとても楽しいです。私個人的に非常にポイントが高いのが蕎麦の乾麺の品揃え。私が一番気に入っている滝沢更科の十割そばがあるんですよ!温蕎麦に最適なので是非お試しあれ。
そんな品々も全てが日本産というわけではなく、野菜などはフランスやその他の国々で収穫されたものが多数売られています。やはり鮮度の観点ではどうしても日本からの輸入には限界がありますから、 日本と比較的気候や土壌が似ている場所でそれらを栽培する努力が行われているのでしょう。
値段設定は日本で買うよりはやや高いのは仕方ありませんが、それを考慮すればそれほど気にならない商品が多いと思います。それから少し前までは少額のクレジットカード利用はできなかったのですが、今では1€から対応してくれるようになりました。これはありがたい!
スタッフはフランス人、日本人が半々くらいという印象です。何か困ったことがあっても日本語で対応してくれると思いますよ。
その他詳しい最新情報はどうぞ公式サイトで。
京子食品 http://www.kioko.fr

来週はパリのシテ島についてご紹介します。ついにあのサント・シャペルに行きます!え、まだ行ってなかったのかって?(笑)

ヴェルサイユ宮殿展示演奏

25 9月 2019

展示演奏会場の様子。クラヴサン担当のシャルルが準備中

早くも日本滞在から一か月が経とうとしています。滞在中はここぞとばかりにいろいろな場所へ行って遊んだせいか、去年よりも望郷の念が少し強く感じられる今日この頃です。
さて、先週末はヨーロッパ各国で「ヨーロッパ文化遺産の日」と題したイベントが催されていました。
このイベントは毎年9月の第3週末に開催され、フランスではその膨大な歴史的建造物のうち、平常時は観光客が立ち入ることができない場所も開放されます。また有料の博物館等も無料観覧できるようになるところが多いようです。
ヴェルサイユはもちろん歴史的建造物の宝庫ですから、ヴェルサイユ公共図書館やイタリア人音楽家旧邸、ヴェルサイユ地方音楽院やヴェルサイユバロック音楽研究センターも観光客向けに開放されました。ヴェルサイユ宮殿も王のアパルトマンや鏡の回廊とまではいかないまでも、王室礼拝堂や王室歌劇場は無料で入ることができたようです。
そんな中、私はヴェルサイユ宮殿の北翼棟にあるフランス史博物館の「ルイ14世の間」の一室で2日間展示演奏を行いました。これらの部屋は元は宮廷貴族のためのアパルトマンでしたが、ルイ=フィリップ王がヴェルサイユ宮殿を博物館とした際に改装され旧体制時代の内装は残っていません。現在では買い戻されたごく少数の家具と、壁面には王族、軍人、学者や文化人などの肖像画が並んでいます。
展示演奏はヴァイオリン同門下の3人で1日2時間半ずつ担当しました。といってもずっと弾いているわけではなく、任意に適宜休憩を入れながらで良いという話でした。
土曜日の私の担当は朝9時半から12時の枠。最初は人が来ずとりあえずリハーサルしようかと言って弾き始めたら、次第に観客が増えてきました。
今回用意したのはジャン=ジョゼフ・カッサネア・ド・モンドンヴィルの倍音のソナタ1曲、ジュリアン=アマーブル・マテューのソナタ1曲と、それにクラヴサンのシャルルが用意したジャン=フィリップ・ラモーのクラヴサン曲2曲です。どれもルイ15世時代、1730-50年代の作品です。
演奏会ではないので楽章が終わるたびに拍手をもらい、次の部屋へ進む客と入ってくる客の動向を見ながら次の楽章に移るという進行でした。でもその場に留まって全ての楽章を聴いてくれる方も多かったです。師匠パトリックと私の部屋の大家さんも来てくれました。
所々で係の方がヴェルサイユ宮殿とルイ14世時代の音楽活動について簡単に紹介していましたが、曲については私から話すことになりました。
全ての楽章を弾き終わると、ありがとうございました、この後も良い観光をと言って締めくくるのですが、そのまま留まって次の演奏を待ち望んで下さる方も多く、またその間にも次々と新しい客が入ってきて本格的な休憩をするということは中々できませんでした。だって客が待っているなら弾きたいですもの。
そんなわけで、給水とトイレ休憩、シャルルが弾く2曲の間を除いてほぼ休憩はありませんでした。いや実際にはあったのかもしれないですが、このような形態の演奏は初めてで精神的に休めなかったというのが実情でしょうか。
終了後はのんびりと配布された昼食をとり、ヴィオル担当で日曜日のみ参加のマノンと合流して翌日のためのリハーサルを音楽院で行った後は帰宅して昼寝…のつもりが相当疲れたのか夕食前まで寝てしまいました。
日曜日の担当は午後、15時から17時半の最後の枠。午前中から午後にかけて雨が降り湿度が上がったのと、日曜日だからか午後の枠だからなのか観客が前日の比ではなく、会場は相当に蒸し暑くなりました。しかもシャルルがパリのメトロで問題があったらしく中々到着せず、観客が待ち焦がれる中で急遽バッハの無伴奏を弾くことになり若干変な汗をかく始末…。私は汗をかきやすいので夏場の演奏は対策を欠かさないのですが、もう秋になって大丈夫だろうと思っていたんです。でもバッハを弾き終わって、やっと到着したシャルルとそのままモンドンヴィルのソナタを弾いていたらもう顔から汗が噴き出していました。
その後は窓を開けてもらったのと、半ばかぶりつき状態になっていた最前列の観客に一歩下がっていただいたので多少は涼しくなりました。でも熱気と湿気で狂ったクラヴサンの調律はそのまま…(笑)。
今回嬉しかったのが、意外?にもマテューのソナタの評判が良かったこと。彼は27年間にわたって王室礼拝堂の楽長を務め、ルイ15世とルイ16世に重用されたヴァイオリン奏者、作曲家でしたが、今日では全く忘れ去られてしまっています。ヴェルサイユ宮殿で約250年後、自分の作品を日本人が演奏するとは彼も思っていなかったでしょうが、多くの人々に受け入れられたのであれば少しは供養になったのかなと思います。
一方課題だったのはモンドンヴィルのソナタで使用した倍音奏法。このソナタはヴァイオリン史上最初期の倍音奏法使用例で、その他の一般的なバロックヴァイオリンのレパートリーではほとんど登場しないこの奏法は、モダンヴァイオリンの弦では何の問題もありませんがガット弦では鳴らし方をもう少し研究しなければいけないなと思いました。

次回はパリの日本人たちの台所、京子食品についてお伝えします、

ヴェルサイユのノートルダム地区(後編)

18 9月 2019

市民の憩いの場となっている旧王立病院の中庭

すこし夏が戻ってきたようで、日中は半袖でないと少し暑い快晴の日が続いています。しかし日が暮れるのは日増しに早くなり、あの長い暗闇の冬がすぐそこまで来ているかと思うとこの青空を味わえるのも今のうちです。
今週から新学期が始まりました。バカンス中は開校時間が短く、小さい部屋で練習することを強いられていたのでようやくといった感じです。室内楽担当の先生は家庭の事情でしばらく来られないとのことで、アンサンブルは今しばらくお預けに…。

さて、今回は前回に引き続きヴェルサイユのノートルダム地区についてお伝えします。

  • ポンパドゥール夫人の館
  • 前回紹介した王妃の厩舎からさらに西へ進むと、ルイ15世の愛人として宮廷で権勢を誇ったポンパドゥール夫人の館があります。彼女はもちろん宮殿内にもアパルトマンを持っていましたが、宮殿に隣接するこの場所にも館を持っていました。ルイ15世の趣味による建築でしたが、19世紀以降ホテルとして転用された際に高く増築され今日ではよく見る集合住宅のような外観になってしまいました。現在は政府所有で基本的に内部に立ち入ることはできません。

  • モンタンシエ劇場
  • ポンパドゥール夫人の館の右隣に、1777年に完成したモンタンシエ劇場があります。内部は水色と金色で彩られた小さいながらも豪華な劇場です。すぐそばに王室歌劇場があるのに…王政末期の財政難にしては羽振りがいいですね。
    現在では市営の劇場になっていて、演劇を始めたくさんのプログラムを上演しています。機会があれば観てみようと思っています。

  • ランビネ博物館
  • モンタンシエ劇場から北へ進み、レーヌ通りを東へ進むと、ランビネ博物館があります。ルイ15世治世下の建築でランビネ家の館でしたが、1929年にヴェルサイユ市へ遺贈され市営博物館となりました。18世紀の装飾美術品、革命やヴェルサイユ市の歴史に関係する品が展示されています。
    今回の記事を書くにあたり入館しようと思ったのですが、今週末に無料開放があるのでその際に行くことにしました(笑)。
    庭園も様々な花が植えられ可愛らしい仕上がりとなっています。

  • 旧王立病院(リシャール病院)
  • レーヌ通りをさらに東へ進むと、ギリシャ神殿風の正面が特徴的な広大な建築、旧王立病院があります。ルイ14世によって計画された壮大なヴェルサイユ造営では、王の夢の一方で工事による怪我人も続出していました。そのような者たちを受け入れていた慈善病院が1720年にこの王立病院となりました。その後増築が繰り返され現在の姿になりましたが、1981年に病院が移転したことでこの建物は放棄され一時期は荒廃していました。
    しかし2009年から再整備が始まり、現在では内外ともすっかり美しい姿を取り戻しています。中庭は毎日開放され市民の憩いの場になっている他、曜日限定でアート展覧会も開催されています。他の建物内は一般人は立ち入れず静まりかえっていますが、一部は歯科医院となっているようです。

ヴェルサイユは宮殿だけでなく、このようにいろいろな見所がたくさんあります。宮殿があまりにも広大で観光するにはどうしてもそれだけで一日使ってしまいますので、ヴェルサイユには泊りがけで来るか、何度か足を運んで是非他の場所にも行ってみてくださいね。

次週は今週末行われる「ヨーロッパ文化遺産の日」とヴェルサイユ宮殿での展示演奏についてお伝えします。

« 前ページへ次ページへ »