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パリ・シテ島編③サント=シャペル

20 11月 2019

息をのむ美しさの上層礼拝堂

先週は王室礼拝堂の木曜演奏会と、学生オーケストラによるパーセルの「妖精の女王」の演奏会がありました。木曜演奏会はヴェルサイユの研究センターの子供たちによる合唱とのアンサンブルで、シャルパンティエとモランによるプティ・モテのプログラム。今年はメンバーが入れ替わったのか、昨年いたびっくりするくらい上手い女の子たちがいなかったのが少し残念でしたが、それでも10歳くらいの少年少女が立派に独唱をやっている姿は素晴らしいの一言です。
学生オーケストラの方は今回はややリハーサルが少ないのが心配でしたが、パトリックの安定した指揮で無事1回目の本番が終了。今週と来月にあと3回本番があります。

さて今回からは先月書いたパリのシテ島編の続きとして、サント=シャペルとコンシェルジュリーについてご紹介します。
フランスに来てからというもの、今まで様々な宮殿や聖堂に行ってきましたが、何故かこの2つだけは今まで手付かずのままでした。何でもシテ島周辺はいつも観光客だらけで治安もあまり良くないし、いつでも行けると思っていたらノートルダム大聖堂の火災があってしばらく付近が封鎖されてしまうしで…でも今回、特にサント=シャペルは行って良かった、なぜもっと早く行かなかったのかと改めて思いましたね。
シテ島の歴史は非常に古く、紀元前から人が生活しておりその後ローマ人の征服により都市が発展するとこの地に宮殿と行政機関が置かれました。その後フランク王国となりシテ宮殿が建設され、シャルル5世がより安全な居城を求め移住してからは財務監督、裁判所、牢獄が置かれるようになりました。ちなみにこのシテ宮殿にはとても長い歴史と数多くの事件がありますので、ここでは省略いたします。
現在シテ宮殿の建物で現存しているのは今回紹介する2つで、これらはフランスに現存する最古の王宮施設になります。コンシェルジュリーが10世紀にカペー朝を開いたユーグ・カペーによって整備、サント=シャペルが13世紀に聖王ルイ9世によって建てられました。

どちらから行っても良いのですが、前回予告したのでまずはサント=シャペルから。
サント=シャペルは1248年に完成した聖堂で、最も重要な茨の冠の他キリストの受難に関する聖遺物を保管する聖堂として建設されました。ちなみに茨の冠はビザンツ帝国(東ローマ帝国)の皇帝から購入したもので、その費用はシャペルの建設費用に匹敵したそうです。しかしそれは単なる王の物欲によるものではなく、これによってキリスト教世界でのパリの地位を一気に引き上げる意図がありました。現在、聖遺物はノートルダム大聖堂保管となっており、火災の際も無事運び出されたそうです。
聖堂にアクセスするには裁判所の門の横にあるパレ通りに面した入り口から入ります。裁判所に隣接する形で少し奥まった立地のため聖堂の姿を探しながら行くと少し迷ってしまうかもしれません。入り口付近には空港のような手荷物検査場があり、チケット売り場は聖堂の入り口にあります。
まずは外観を観察。とにかくステンドグラスの面積が大きいのと、トレーサリー(装飾的な枠組み)が極度に細いのが分かります。レヨナン式ゴシックと呼ばれる繊細な装飾が見所です。小ぶりでこれまた繊細な装飾を持つ尖塔はフランス革命時に破壊され、19世紀に再建されたもの。聖堂正面は特段凝った装飾があるというわけではありませんが、とても大きいバラ窓が目につく所でしょうか(この真価は内側から見たとき分かります)。入り口ではイエスを抱えたマリア像が出迎えてくれます。
この聖堂は上下2層に分かれており、上の礼拝堂が王や身分の高い者のため、下の礼拝堂が王家の使用人のための聖堂で、上の礼拝堂へはシテ宮殿から伸びる通路で直接行けるようになっていました。
まずは下の礼拝堂から見学。格下の礼拝堂とはいえ鮮やかな彩色が施されています(現在見られるのは19世紀の修復によるもの)。脇にある柱には青地に金のフランス王家の紋章と、もう一方は赤地に金で塔の紋章があしらってありますが、これはルイ9世の母の血統であるカスティーリャ王家の紋章だそうです。
その他奥の左手に13世紀のフレスコ画や、周辺から出土した壁の欠片なども置いてありますので上の礼拝堂に行くのを焦らずにチェックしてみてくださいね。
さて下の礼拝堂を見終わったら階段で上の礼拝堂へ。到達した瞬間、あまりの美しさに言葉を失うほどです。この日は雨で外から差し込む光は決して多くありませんでしたが、それでもとにかく聖堂内が光り輝いていました。もうこれは言葉で言い表せないので、是非実際に来て体感してみてください。キリスト教徒であればなおさらのこと、そうでなくても誰もが心洗われる空間だと思います。
正面から見て左から右に15のステンドグラスで、1113の聖書の場面が描かれています。詳しくはオーディオガイドを聞きながら見ると良いと思いますが、一番最初の創世記の場面などは何となくわかります。
ステンドグラスの間の柱の根本には12使徒の像が置かれていて、ペテロ像を始め幾つかは13世紀中頃のオリジナルとのこと。ステンドグラスを鑑賞して首が痛くなったら是非これらの像も見てください。
奥にはこの聖堂の主役である聖遺物を保管するための構造物があり、高壇の金の聖遺物箱の中にかつては保管されていました。ところでこの大きい壇があるために、中心にあって全ステンドグラス中最も重要な受難の場面が半分ほど見えないのですが..まあ実物の方が重要ですものね。
後ろを振り返ると先ほど外側から見た大きなバラ窓の真価が分かります。題材はヨハネの黙示録で、中央にキリストが描かれています。もっともこれは完成当初はなかったもので、15世紀に追加されたものだそうです。
こんなに素晴らしい聖堂も、フランス革命期にはただの事務所として使われ、せっかくのステンドグラスも整理棚が手前に置かれその魅力はすっかり忘れ去られていました。ただそのために破壊を免れ、今日こうして私たちが見ることができるのは数奇な運命ですね。

そんなわけで、パリに来たら絶対に!この聖堂へ足を運んでみてくださいね。
次回はコンシェルジュリー編をお送りします。

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