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【最終回】いつも心にヴェルサイユを

2 10月 2020
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最後にもう1度訪れた際のヴェルサイユ宮殿

ヴェルサイユに居を構えてから2年と2か月、ついにこの地を去る時がやってきました。右も左もわからないままフランス生活を始めた日が昨日の事のような、本当にあっという間の留学生活でした。
そういうわけで、今回は帰国に向けた撤退の模様と、留学の総括を書きたいと思います。
先週のリサイタルが終わってから一夜明けた火曜日から部屋の片づけを開始。その前から少しづつ着手する予定でしたが、まだ使うものが多いのと、追い詰められないとなかなかやらないのもあってあまり進捗は良くありませんでした。夜はパトリックの家に行って晩餐会、最初に私が蕎麦を出し、続いてパトリックがフランス料理の茄子の炒め物を出し、最後に私が昼間作ったわらび餅を出す日仏文化交流。蕎麦を食べ終わった後はちゃんと蕎麦湯を飲みましたし、わらび餅は彼らにとって非常に興味深いものだったようです。
水曜日から日曜日までは、なんとドイツ旅行に出かけました。帰国準備をしないといけないのは分かっていながら、やはりどうしても1回ドイツには行っておきたかったのです。もっと早く行けばよかったんですけどね。ベルリン、ライプツィヒ、ノイエンマルクト、バイロイト、ニュルンベルク、ネルトリンゲン、マンハイムを訪れました。音楽関係ではフリードリヒ大王のロココ趣味を直接感じるためベルリンのシャルロッテンベルク宮殿とサン・スーシ宮殿へ、ライプツィヒではもちろんバッハが勤めていた聖トーマス教会と聖ニコラス教会、バッハ博物館、シューマン邸、バイロイトでは規模は小さいながらもバロック様式の劇場ががほぼそのまま現存する数少ない例であるバイロイト辺境伯劇場と外観だけヴァーグナーのバイロイト祝祭劇場、あと懲りずに宮殿観光、マンハイムではマンハイム楽派の作曲家が活躍したマンハイム宮殿へ行きました。その他はドイツといえばやはり鉄道ということで、各地に点在する蒸気機関車を中心とした博物館に行きました。あとはやはり人間の負の歴史もしっかり見ておこうと思い、ベルリンの壁や東西冷戦の痕跡が残る場所、そしてベルリン近郊にあるザクセンハウゼン強制収容所に行きました。ドレスデンやハンブルク、ケルンなどにも行きたかったのですがどうしてもこれ以上予定を詰めることができませんでした。
そんなわけで月曜日になり、本格的に片付け開始。掃除は来た時よりも美しくをモットーに念入りに行っていきましたが、荷造りの方は遅々として進まず…。あとやはり最後にもう一度ルーヴル美術館とヴェルサイユ宮殿に行っておきたくて、それでも時間を使い水曜日の夜になってもかなりの物がパッキングされていない状態になってしまいました。もうこうなったら徹夜作業、最後の夜で感傷に浸る間もなく朝を迎えました。厄介なことに出発の朝はあいにくの雨、桐朋時代からの先輩が大変ありがたいことに手伝いに来てくれましたが、2人でも2つのスーツケースと段ボール箱を運搬して雨の中を行くのは困難でした。しかもリーヴ・ゴーシュ駅にたどり着いてみるとC線が運転見合わせ状態になっていて、改めてヴェルサイユ・シャンティエ駅まで歩く羽目に。ちょうど9月いっぱいでナヴィゴが期限を迎えてしまい、切符を買おうと思ったら月初めでナヴィゴをチャージする人が多くラッシュ時であったこともあって券売機は長蛇の列…。改札を通った後は改めて階段が多いのを感じながら、国鉄、メトロを乗り継いでオペラからロワシーバスに乗車しました。価格も高く酔うので嫌いなのですがもう必要悪です。空港に着く頃には段ボール箱が濡れてかなり強度が落ちており、大きいラップでぐるぐる巻きにするパッキングサービスを初めて利用しました。出国審査は空いていてすぐ終わりましたが手荷物検査が全然進まず20分ほど待たされ、気が付いたら搭乗時間ぎりぎりに。急いで携帯SIMの解約電話をかけて、飛行機に搭乗しました。さようなら、ありがとうフランス。
徹夜したので飛行機の中で良く寝られ、飛行時間が短く感じました笑。さて成田空港に着いてみると、3月の帰国時とは違い唾液採取の検査場が設けられ、結果が出るまで1時間ほど待ちました。スタッフの装備もフェイスシールドが追加されています。いや、これ3月以前からやるべきだったでしょう?あの時はこのブログにも書きましたが中国とイタリアのそれぞれ一部地域に滞在していた人は自己申告して専用レーンに行くようになっていました。対策が遅すぎます。やりようによっては内需を維持して経済をあまり落ち込ませないことだってできたはずです。
あと、検査結果を待っている間周りから会話がちらほら聞こえてきましたが、やはり陽性=患者だと思っている人が多いようです。それと、この検査の精度っていかばかりなんでしょうね。
その後は父の運転する車で帰宅しました。さて14日間の引きこもり!

それでは次に、留学の総括をしたいと思います。
世界中の録音や動画を瞬時にインターネットで検索できるようになり、世界のトッププレーヤーも数多く日本にやってくるようになった現代において、果たして留学することに大きな意味はあるのかと留学前は思っていました。しかし実際に留学してみると、そんな考えは完全に誤りであることが分かりました。西洋音楽とは即ち西洋文化であって、西洋の言語、宗教、習慣や建築、美術、文学、演劇など様々な他分野の芸術と相関し、音楽だけを切り離すことはなかなか難しいものです。日本で楽器を習って楽典やソルフェージュをやっているだけでは、西洋音楽に携わるにあたり最低限必要な技術と知識を習得しているにすぎません。本当の意味で西洋音楽を学ぶには、例え1回でもヨーロッパに渡って、歴史的な街並みを歩いたり歴史的建築物の中で演奏してみることは必須の経験だと今は考えています。特にヴェルサイユ地方音楽院は1672年からある、ヴェルサイユ宮殿の一部を成していると言っても良い建物で、一階はあまり改装が行われておらず17-8世紀の音響を学ぶには良い環境でした。響きが良い、というと勿論そうなのですが、良い音を出せば良く響き、悪い音を出せば悪く響くのです。どういう音が良い音なのか空間が教えてくれるという、日本ではしたことのない体験をしました。もちろんヴェルサイユ宮殿の王室礼拝堂、鏡の回廊などもそうであることは言うまでもありません。西洋音楽に携わろうという人、特に古楽を専攻したい方は歴史的建造物の中でこういう体験をすることを強くお勧めします。
次に、ことフランスのバロック時代の音楽を勉強したかった私にとってヴェルサイユは最高の環境でした。宮殿を始め古い建物が多く残っているのはもちろんのこと、このレパートリーに非常に明るいパトリック・コーエン=アケニーヌの下で勉強できたこと、ヴェルサイユ・バロック音楽研究センターのプロジェクトである、学生歌手や少年少女合唱団と毎週のように参加した王室礼拝堂の木曜演奏会、大小さまざまな弦楽器を使用する24のヴィオロンのオーケストラプロジェクトに参加できたのは非常に大きな喜びでした。長年指導にあたっているオリヴィエ・シュネーベリOlivier Schneebeliはかなりの高齢でそろそろ引退する時期だと思うのですが、毎回エネルギッシュに指揮を執る姿がとても印象的でこちらまで力をもらうようでした。また幸いほとんど全ての機会において首席を担当させてもらい、アンサンブルを牽引する役割も学ぶことができました。
その中で残念だったのは、やはり最後まで私のフランス語コミュニケーションが完全ではなかったことです。そもそも自分の考えを他人に分かりやすく伝えることが下手だという問題もありますが、やはりヴェルサイユにいるのですからもう少し美しく趣味良い話し方をしてみたかったです。それでも一年目に語学学校に通い詰めたことで少しはレベルが上がったのか、例えば電気の契約の電話では着いた時はほぼ全く内容が分かりませんでしたが、火曜日に契約終了の電話をした時には8割くらいは分かるようになっていました。ほぼ同じような内容だったと思うのでとても懐かしかったです。
あとは、できれば26歳になるまでにもっといろいろな美術館や博物館に入り、旅行をたくさんしたかったです。いつでも行けると思っているとなかなか行かず機を逸してしまいますね。かなり多くの機会において25歳以下の学生は優遇されるので、留学を考えている方は是非早いうちに行くことをお勧めします。

目を閉じると今でも思い浮かぶのは、まるでオペラの一場面のようなプラタナスの並木道と、その先に聳え立つ壮大で美しいヴェルサイユ宮殿、そしてそこで一緒に活動した先生方や同僚の顔です。私の心の中にはいつもヴェルサイユがあって、いつでも記憶の中を旅することができます。例え2年間だけでもヴェルサイユで活動できて本当に良かったと、これからもそう思い返していくことでしょう。

今回でこのブログは終了になります。2年間に渡りご愛読いただきまして、誠にありがとうございました。

【完】


ヴェルサイユ宮殿観光の手引き・国王のプティ・アパルトマン編

16 9月 2020
ヴェルサイユ宮殿観光の手引き・国王のプティ・アパルトマン編 はコメントを受け付けていません。

振り子時計の部屋

なぜか今週に入り突然暑くなり、昨日の気温は33℃。一体どうしたというのでしょうか…。夏用の服は母に持って帰ってもらってしまったので、Tシャツのローテーションがかなりきついです。
来週に修了リサイタルを控え、今週は自主練習とリハーサルの合間を縫い、少しずつ月末の帰国に向けた片付けをしています。

今回はヴェルサイユ宮殿シリーズのラストを締めくくる、国王のプティ・アパルトマンをめぐるガイドツアーに参加した感想をお送りいたします。
以前から「マルスの間」の扉の向こうや「閣議の間」の先に連なる部屋を巡るガイドツアーが行われているのを見て行ってみたいと思っていましたが、気が付いたら留学も最終盤になってしまいました。公式サイトから10€のガイドツアーを予約していざ宮殿へ。
集合場所は正面に向かって左の閣僚棟になります。チケットの画面を見せて、ガイドの解説(フランス語のみ)を聞くためのイヤホンを装着して出発。一般客と同じ入口から入るためやや列が途切れそうになりながら、荷物検査を済ませ大理石の中庭まで進み、宮殿全体の簡単な説明があった後に、向かって右側に位置するアデライード王女のアパルトマンの出口の右にある柵を開錠し中に入ります。ここ通ってみたかった!
プティ・アパルトマンに入る前に、まずこの場所にかつてあった「大使の階段」の模型見学と解説があります。「大使の階段」は1679年に完成した壮麗な空間で、国王のグラン・アパルトマンに通じる公式階段として訪問者を出迎えていました。多色の大理石と金鍍金のブロンズ、ル・ブランの絵画により装飾された美しい空間でしたが、ルイ15世時代になると次第に使われなくなり荒廃したためと、王が内殿の拡充を望んだことから1752年に取り壊されてしまいました。代わりに造られた簡素で狭い階段はこの見学の最後に通ることになります。
マリー・アントワネットの肖像画が掛けられた玄関ホールと衛兵の間を抜けて、手摺の下に繊細な装飾が施された「王の階段」を登って行くと、「犬の控えの間」に着きます。名前の由来は金鍍金が施された繊細な猟犬たちの装飾によっていて、この一帯の部屋は「狩猟」がテーマになっています。ルイ15世も歴代の王同様に狩猟を好んでいました。室内を飾る絵画の内数点がモノクロの複製品になっているのですが、かつてそこにあった絵画をイメージして挿入しているか、あるいは修復中でしょうか?
「狩帰りの食事の間」では週に1度か2度、狩猟から帰ってきたルイ15世が取り巻きと共に食事を摂っていました。室内の装飾は簡潔ながら洗練されており、今日では稼働していませんがルイ16世時代に製作された豪華な気圧計が置かれています。
少し順路を戻って「振り子時計の間」を通過し、「ルイ15世の寝室」に案内されました。「振り子時計の間」は素通りかと思い素早く写真を撮りましたが、後でちゃんと戻るのでご安心あれ(笑)。ルイ15世は、ルイ14世が晩年使用していた城館の中央にある「王の寝室」では実際に就寝せず、儀式用の寝室として実際の寝泊まりはこの「ルイ15世の寝室」でしていました。もっとも、儀式用の寝室はグラン・アパルトマンにもあるのですが…。ここも非常に洗練された装飾で、扉の上にはルイ15世が愛した王女たち(娘としてだけではなく女性として愛していたという噂もある…意味深)の絵画があります。部屋の大半は白い布で仕切られその奥が見えないようになっていたのですが、色々な写真を見てみると寝台を置くためのくぼみであるアルコーブがあるようですね。現在は修復中なのでしょうか?
「振り子時計の間」に戻ります。ルイ15世は天文学に興味を持っており、現在も稼働している年月日、月の弦を表示する振り子時計が置かれているのが部屋の名前の由来です。この時計はフランス王国で初めて公式時間を定めるのに使用されました。また部屋を斜めに横切るように床に埋め込まれている銅の線はパリ子午線を表しています。この部屋の装飾も繊細で美しく、特に天井のシャンデリアを吊るす部分と北側の壁面の羽目板装飾が凝った作りだなと感じました。
次は「王の奥の間」または「角の間」。ちょうど城館の角に位置しています。この部屋で、ルイ15世はポンパドゥール侯爵夫人の葬列を涙ながらに見送ったとか。毎度同じ感想ですが、今回は奥の間だけあって非常に洗練され凝った装飾があしらわれています。まさにルイ15世ロココ様式。ルイ14世のバロック様式も圧倒的な美しさがありますが、これはこれでまた圧巻です。今日この場所にある家具も凝ったものばかりで、部屋によく調和しています。
「次の間」、「黄金の皿の間」、「浴室」と小さい部屋が続きます。ルイ14世時代までは王の絵画、書物、宝物などの展示スペースになっていて、ダ・ヴィンチのいわゆる「モナ・リザ」もかつてはここに展示されていました。「黄金の皿の間」は特別に装飾が細かく、壁面の羽目板装飾には様々な楽器がデザインされています。これはかつて、ヴァイオリンを巧みに演奏し音楽を愛していたアデライード王女の奥の間だった事に由来します。「浴室」は羽目板部分に水浴びする人々が描かれている装飾が施され、水の喜びを表しています。ルイ14世は大の風呂嫌いで生涯で数回しか入浴しなかったそうですが、ルイ15世はそうではなかったようですね。浴槽はルイ16世によって使用用途が変更されたため撤去されてしまいました。
次からはルイ16世様式の部屋になります。「ルイ16世の図書室」は地理学が好きだったルイ16世のお気に入りだった部屋で、地図を大きく広げるための大きな円テーブルや地球儀があり、壁面は金で縁取られた本棚で占められています。面白いのは2つある通路の扉までまるで本棚であるかのように、本の背表紙たちだけが扉に据え付けられていること。扉を開けるときに妙な感覚がします(笑)。
次の「磁器の食堂」はルイ15世が狩り帰りの夜食のために整備しましたが、主にルイ16世時代に盛んに使用されました。最近修復が行われたのか、目を見張るほど金鍍金の装飾が鮮やかで、椅子と扉を隠すカーテンの水色とのコントラストも相まって非常に美しいです。部屋の名前の由来は、ルイ16世が毎年クリスマスになるとこの部屋で王立セーヴル製陶所の新作を紹介したことだそうです。
大アパルトマンに通じる狭い階段に面した「軽食の間」は現在セーヴル焼を展示するコーナーになっています。ここから扉を開けて、大アパルトマンのヴェニュスの間へ入る体験が少しできます。
階段の反対側には「ルイ16世の娯楽の間」がありますが、明かりがつけられておらず入り口から中を覗くだけでした。ここはかつて、ルイ14世の「珍重品陳列室」であり「豊穣の間」から入れる部屋でしたが、その後改装され原型を全く留めていません。ルイ16世時代には王が親しい者たちとコーヒーを飲んだり娯楽に興じたりする空間でした。
階段を下りて「大使の階段」の模型があるところまで戻り、見学は終了です。その場で解散になるので、ここから個人的にグラン・アパルトマン等の見学を始めることもできます。

ロココ様式の粋を見ることができる国王のプティ・アパルトマンの見学ツアー、是非予約して行ってみて下さいね。
次回は私の修了リサイタルの模様をお伝えします。


ヴェルサイユ宮殿観光の手引き・庭園編②

29 7月 2020
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ルイ14世の威光を示すアポロンの泉水

今週は久しぶりにルーヴルに行ってきました。コロナウィルス対策により事前予約必須で、入口も限定されています。せっかくルーヴル友の会で列に並ばずに入れる権利があるのに、今は一般客列に並ぶしかないようですね…。さらに以前は案内所で配布されていた館内図がなくなっています。館内図なしで周るのはかなり難しいので次回からは持って来なければ。
また今日から南仏へ行ってきます。リゾート地エクス=アン=プロヴァンスや地中海に面したマルセイユ、ニース、モナコを訪れます。


さて今回もヴェルサイユ宮殿の庭園をルイ14世の案内で巡りましょう。ラトーヌの泉水と国王の散策路の間にある眺望点から再開です。

9.「枝付き燭台のボスケの方から下りて行き、途中それを眺めながらサテュルヌ(の泉水)へ向かうように。そこを半周して、国王の島へ行こう。」
枝付き燭台というのはいくつか蝋燭を立てることのできる燭台のことで、この名前の由来は中央の水柱の周囲にたくさんの放水管を備える泉水か木立の形か、あるいはその両方でしょう。木立に入ってしまうと幾何学模様に剪定されていることはあまり分からなくなってしまいますね。サテュルヌは農耕と時の神で、ここでは冬を表す泉水です。中心の羽の生えたサテュルヌの周りに愛の神と貝殻がデザインされています。左に回り込んで、「国王の島」へ進みましょう。

10.「両側に噴水のある土手道の上を進み、大きな池を一周、低い方に着いたら立ち止まって、水柱、小舟、彫刻と柱廊を見るように。」
周辺を池で囲み自らのいる場所を「島」と表現する何とも贅沢な場所ですが、残念ながら大きい池の方は1818年に埋め立てられ、イギリス式庭園へ改造されてしまいました。今日では小さい池のみが残っているので、こちらの土手道を代わりに歩きましょう。夏期の休日は一定間隔で行われる音楽と噴水の華やかなスペクタクルを楽しむことができます。次に進むには本来の道筋通りイギリス式庭園の右手から延びる道を行くか、サテュルヌの泉水まで戻って進んでも良いでしょう。

11.「アポロン(の泉水)へと続く小径まで行き、低い方から回廊(の園)へ入ろう。ひとまわりしてから列柱(の園)へと続く道の方へ出るように。」
ここで言われている「回廊の園」は、1704年頃にマンサールによって今日見ることができる「マロニエの園」に造り替えられました。先王の時代にフランスに輸入されたマロニエの木が中央に2列植えられ、その周辺を古代の著名人たちの胸像が取り囲んでいます。

12.「列柱(の園)へ入り、中央へ進んでから、ひとめぐりして、柱、帯状面、浅浮彫と泉水を眺めるよう。出るときに足を止めて、ギーディーの(「名声」)群像を見た後、国王の散策路の側から(次へ)進むように。」
「プロゼルピーヌを誘拐するプリュトン」の彫像を中心に薔薇色の大理石を使った円柱と浅浮彫、小さい泉水が配置された美しい空間です。建築家としてのマンサールの技量が遺憾なく発揮されていますね。帯状面には渦巻き模様、浅浮彫には楽器を演奏する子供達がデザインされ、薔薇色の円柱と共に華やかさを引き立たせています。「名声」群像というのが何なのかはまたよく分かりません。
13.「アポロン(の泉水)の方へ下りて行き、そこで立ち止まって、国王の散策路に並んでいる彫像や壷、ラトーヌ(の泉水)と城館を眺め、(反対側の)大運河も見るように。同じ日のうちにメナジュリーとトリアノンを訪ねたければ、残りの泉を見る前に行くよう。」
ついに大本命登場…なのですがアポロンの泉水を見るようにとの言葉はありませんね。まあ自明ということなのでしょう。城館の方を見てみると、国王の散策路の傾斜と両側の並木により城館の端が隠されている効果で、今度は逆に城館までが遠く感じ、広大な庭園を巡ってきたのだと錯覚します。戦車に乗った太陽神アポロンは言うまでもなくルイ14世を表し、今まさに水面から出て地上に光をもたらそうとしています。戦車を引く馬は噴水の水飛沫を浴びてまるで汗をかいているよう。周囲には栄光のラッパを吹く従者と海の怪物もいます。言及されていませんがもちろん周囲を回ってよく観察すると良いでしょう。
メナジュリー(動物園)は大運河と交差する小運河の左端に位置していましたが今日では現存しません。トリアノンに行くには右手へ進みます。ちなみに大運河の手前右手にはレストランや土産物店がありますが、この建物は当時同盟関係にあったヴェネツィア共和国から派遣された水夫たちが住んでいたことから「小ヴェニス」と呼ばれています。現在でも夏期には運河でボート遊びができますよ。

14.フロール(の泉水)へと続く小径へ入り、アポロンの水浴(群像)の方へ行こう。そこをひとめぐりして、彫刻、陳列室と浅浮彫を見るように。」
今度は反対側のエリアに入ります。並木のトンネルのような道を進んで右に曲がると、ドームの園があります。ここは何度か改造された後、1677年にマンサールが2つの豪華な大理石のパヴィリオンを建てました。現在ではこれらは礎石を残して失われ、残っているのは泉水を囲む六角形の欄干とさらにその周囲を囲む欄干のみです。これらから察するに、かなり美しい園だったのではないでしょうか。アポロンの水浴というのもよく分かりません。

15.「アンスラード(の泉水)を通り、そこを半周だけして、それを見た後、低い方から出るよう。」
アンスラードは最高神ジュピテルに反逆した巨人たちの筆頭で、ジュピテルに対して自分が投げた岩に自ら潰されたという巨人です。半周してからでないとよく観察できないので、木組みのアーケードをくぐって進みましょう。怪力の巨人らしく非常に高らかに水柱を上げ、今まさに堕ちてくる岩を苦悶の表情で見上げています。

16.「閣議の間(の園)へ入り、フロール(の泉水)までまた登って行って、そこを半周するように。」
フロールの泉水を右手に見ながら反対側の区画へ。中央の十字の泉水と4つの小さな泉水を持っていたこの園をルイ14世はかなり好んでいたようで頻繁に散歩や祝祭を行っていましたが、1704年に改造され今日の姿になりました。中央の噴水は薔薇の冠のデザインの中に231もの放水管があるそうです。

17.「山(の泉水)の方へ行き、星型の中央へ入る前に曲がった小径を半ばめぐるよう、そこへ着いたら、山(の泉水)をひとめぐりするように。」
この泉水は周囲の木立を含めて完全に失われ、ただの空き地になっています。かつては中央の泉水の周りに星型に木立と小さな泉水が配置されていました。

18.「セレス(の泉水)の方へ行き、劇場(の園)を目指すよう。そこで(様々な)場面転換を見たり、アーケード(の中)の噴水を眺めるように。」
セレスは豊穣の女神で、麦の束が添えられていることから夏を表す泉水だと分かります。次は劇場と名の付く園なのでどんなものか期待してしまいますが、これも今日では現存しません。古地図を見てみると、三方から水が流れ落ちる仕掛けだったようです。現在では中央にジャック=ミシェル・オトニエル作の「太陽王の美しい踊り」という現代的なオブジェが配置された泉水になっています。一方アーケードの中の噴水は現存しており、花々を持つ子供たちの楽しげな姿を見ることができます。

今回はここまで、次回はいよいよ完結編です。


ヴェルサイユ宮殿観光の手引き・庭園編①

22 7月 2020
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ラトーヌの泉水の上から大運河を望む

今週から罰金を伴うマスクの着用義務が「閉鎖された公共空間」にも拡大されました。美術館や教会、コンサートに行くにもマスクが必要ですね。それよりレストランの密集をなんとかした方が良いのではと思うのですが…。

さて今回は久しぶりのヴェルサイユ宮殿シリーズ、庭園編をお送りします。
まずここで言う「庭園」ですが、今回は城館から大運河の手前までに展開されている、いわゆる「小公園petit parc」を取り扱います。
ヴェルサイユの庭園はまだ宮殿が狩猟のための小さな館であったルイ13世の頃から存在していましたが、大規模な整備が行われたのはルイ14世の親政が始まった1660年代から、その治世の絶頂期となった1680年頃で、その後も増改築が繰り返され現代に至ります。設計は多くのフランス式庭園を手掛けたアンドレ・ル・ノートルで、太陽神アポロンを中心としたギリシャ・ローマ神話や自然、季節などの世界観を寓意として織り交ぜて、各部が有機的に結び付けられるような設計を行いました。
元々沼地であった土地を整備し、各所の噴水を稼働させるため遥か北を流れるセーヌ川に巨大な揚水装置「マルリーの機械」を設置、水道橋や貯水池などが整備されました。不毛な土地に大宮殿とそれに見合う庭園を造るという、自然を克服する事業にルイ14世は喜びを覚えていたようです。ただし結局全ての噴水を稼働させるだけの水は確保できず、見学者が通る時にだけ各所の噴水を稼働させていました。現在では機械の進歩により全てを稼働させることができますが、かなり費用が掛かるのか時間帯が限定されています。
詳しく書き始めると一冊本が出来上がってしまいそうなので詳しくは専門書に譲ることとして、今回は現代の庭園を観光するという視点で書いていきたいと思います。
どのように鑑賞するのも自由なのですが、よりこの庭園を楽しむためにはやはり施主であるルイ14世の意向を知っておくに越したことはないと思います。幸い彼自身が「ヴェルサイユ庭園鑑賞法」という書物を編纂していますので、国王お勧めの鑑賞ルートと見どころに沿ってご紹介していきます。
なお日本語翻訳につきましては、建築史学者、工学博士である中島智章氏が日本建築学会計画系論文集に寄稿されている『ルイ14世編「ヴェルサイユ庭園案内法」にみる庭園鑑賞法』を引用させていただきます。原典は1691-1695年頃に編纂された第3版です。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/65/532/65_KJ00004223710/_article/-char/ja/
なお同氏は他の論文でも非常に詳しくヴェルサイユ宮殿や庭園について研究をなさっているので、興味があればそちらも是非お読みになる事をお勧めします。また『図説ヴェルサイユ宮殿
太陽王ルイ14世とブルボン王朝の建築遺産』(河出書房新社ふくろうの本、2008)も非常に詳しく、また分かりやすく解説されている本ですのでお勧めです。
それでは庭園鑑賞を始めましょう!

引用元:BnF Gallica, Plan général de Versailles , son parc, son Louvre,
ses jardins , ses fontaines, ses bosquets et sa ville / par N. de Fer
– 1700

1.「大理石の内庭からの玄関の間より城館を出でてテラスの上に至るよう。その壇上に足を止めて、水の花壇の様子と動物陳列室の泉を眺めるように。」
ここで言う「玄関の間」というのは鏡の回廊の下、今日の見学ルートではヴィクトワール王女、アデライード王女のアパルトマンに入る順路にあり、通常の見学コースではここから庭園に出ることはできません。従って城館の見学後であれば地下から上がる出口の階段を出て右に回り込み、城館と中央翼棟との接続部分をくぐり抜けて庭園に行きます。最初から庭園を目指す場合は城館の入口Bの左手を目指して行きましょう。夏期の庭園有料時には左手に切符売り場と検札所があります。音楽付き、噴水と音楽付きの日は城館とは別に入場料が必要です。検札を受けて入場した後、右に回り込んで城館の西側を目指しますが、こうすると必然的にオランジュリーの上や南の花壇を通るので、今日ではこちらを先に見学した方が良いかもしれません(後述します)。
さて順路通りにまずは城館の西側に面している一段高くなったところから左右の水花壇と奥の「動物陳列室の泉」を眺めます。動物陳列室と急に言われても何のことか分からないと思いますが、左右に動物の銅像が配置され木立に囲まれた泉があります。

2.「続いてラトーヌ(の階段)の上のところまで直進し、立ち止まってラトーヌ(の泉水)、とかげ(の泉水)、斜路、彫刻、国王の散策路、アポロン(の泉水)、大運河を眺め、さらに振り返って花壇と城館を見るように。」
水花壇に配置されたフランスの河川が擬人化されている銅像などを観察しつつ、水花壇の間を通り抜け階段のところから全景を眺めます。ラトーヌの泉水、国王の散歩道(緑の絨毯とも呼ばれる大運河の手前の部分)、アポロンの泉水から大運河まで傾斜のある地形になっていることにより、実際にはかなり距離があるのですが視覚的な効果によってそれらが近くにあるように、お互いが密接に関わっているように感じることができます。遠景だからこそ感じることのできる彫刻や植木、芝生の配置にも注目しましょう。

3.「左へ曲がって、スフィンクスの間を通り抜ける。歩いて行くと動物陳列室の前へ至り、そこで立ち止まって噴水の水柱と水面を眺めるように。スフィンクスに至ったところで立ち止まり、南の花壇を見よう。オランジュリーの上のところまでまっすぐ行って、そこからオレンジの花壇とスイス人の湖を見るように。」
この最初に書かれている「スフィンクス」はどう探しても見つけることができないので、後年取り除かれてしまったのでしょう。左手の「動物陳列室の泉」を詳しく観察します。ルイ14世は水柱と水面というばかりで彫刻については何も触れていませんが、右は「雄鹿を打ち倒す猟犬」、左が「熊を打ち倒す虎」です。
2つ目のスフィンクスは今日でも見つけることができ、検札所から1.のテラスに行く行程でおそらく通ると思います。愛の神が上に乗ったスフィンクスが一対置かれている階段の中心から左右の花壇、泉水を見ましょう。ボードゲームの駒のような三角形に剪定された植木が整然と配置された中に、幾何学模様を描いた背丈の低い植え込みがあり、季節が良ければその中の花も楽しむことができます。
オランジュリーの上から見下ろすと、自分が今までいた場所がいかに高台であったかが良く分かります。泉水を中心に美しい幾何学模様を描いた芝生が四方に配置され、夏期であれば周囲にオレンジやレモンなどの果樹が置かれています。奥には王の菜園のための貯水池であるスイス人の湖があり、その奥に彫像が置かれています。オランジュリーから見ると遠すぎて何だか良く分かりませんが、炎を馬で超えるメッティウス・クルティウスというローマの建国伝説に登場する勇者がデザインされています。私はこの彫像には毎日ジョギングでお目にかかっています。

4.「右へ曲がり、アポロンのブロンズ像とアンティノユスの間を抜け、進行方向に体を向けたまま立ち止まり、バッキュス(の泉水)とサテュルヌ(の泉水)を見よう。」
アポロンのブロンズ像とアンティノユスというのも今日では見つけることができません。オランジュリーの上から右に進むと階段があり、その端に壷の彫刻が置かれているのですがこの部分にあったのでしょうか?その先まで進むと、眼下に背丈の高い木立に囲まれた直線が見え、その線上にバッキュスの泉水とサテュルヌの泉水を一望することができます。ここは観光客はほぼ素通りしてしまうポイントですが、国王お勧めの場所だけあり結構美しい眺望ですよ。

5.「オランジュリーの右の斜路を下り、オレンジの庭園を抜け、泉の方へまっすぐに進み、そこからオランジュリーを眺めるように。大きなオレンジの木の中を通る園路を抜け、オランジュリーの屋内へ入り、迷宮の側に面した入り口から外へ出よう。」
百階段と呼ばれる階段を下り、ジュール・アルドゥアン=マンサールが設計したオランジュリーの建築を堪能します。幾何学模様を描く芝生、奥にある城館と共にこのオランジュリーを眺める構図は昔は絵画、現在ではよくポストカードの写真になる程に美しいです。通常はオランジュリーに入ることはできないのですが、いくつかの窓が換気のために開けられていることがよくあるのでそこから内部を観察することができるでしょう。階段の麓まで戻り、階段の左手側の地表面を進んで行くとルイ14世のLの字があしらわれた紋章が付いた大きな扉にたどり着きます。オランジュリーを通ったつもりになって、先へ進みましょう。なお、ここのあたりは傾斜地になっていて、百階段の側面を地表から見てみると傾斜に沿って斜めに石材を加工して建設されていることが分かります。

6.「迷宮へ入り、雌鴨と犬(の寓意群像)のところまで下りた後、また登っていってバッキュス(の泉水)の側から外へ出るように。」
ここはかつて有名であった木立で作られた迷路があり、ヴィオラ・ダ・ガンバの名手マラン・マレもこの迷宮を題材にして曲を作っていますが、残念ながら今日では完全に失われ、1775年にマリー・アントワネットが「王妃の木立」として作り変えてしまいました。木立が老朽化して維持が難しかったという理由もあるようですが、迷宮で遊んでみたかったですね。現在工事が行われていますが間もなく完了するそうです。全体図を見ると、道が入り組んでいて少し迷宮的な要素も残っているかもしれないと思いました。
バッキュスは酒の神で、秋には葡萄が収穫できワインが作られるのでよくバッキュスには葡萄が結び付けられます。ここでも例外なく葡萄があしらわれています。ということは、ここは「秋」を表す泉水だということですね。もちろん残り3つの季節もありますので、後で見ていきましょう。

7.「舞踏会場(の園)を見に行き、ひとめぐりしてから、中央へ行った後、ラトーヌの斜路の下へ出よう。」
映画「王は踊る」に登場し、フィクションながら映画「ヴェルサイユの宮廷庭師」の舞台になった有名な舞踏会場の園です。楕円形の空間の1/4は水が流れ落ちる階段状の泉水、残りの部分は階段状の植え込みにより構成されています。泉水は小石や貝殻を固めて作られているので、この場所は「ロカイユの木立」の名も持っています。高い水柱が上がるわけではありませんが、水が滝のように階段を流れ落ちる様子はまさに壮観です。ここで舞踏と演奏を鑑賞してみたいですね。

8.「ラトーヌ(の斜路)の下のところの眺望点をさしてまっすぐに進み、その途中、ボスケの一つにあるサティールの小泉を見るように。眺望点に着いたら、そこで立ち止まり、斜路、壷、彫刻、とかげ(の泉水)、ラトーヌ(の泉水)と城館を望み、その反対側に、国王の散策路、アポロン(の泉水)、大運河、ボスケの木立、フロール(の泉水)、サテュルヌ(の泉水)、右手にセレス(の泉水)、左手にバッキュス(の泉水)を眺めよう。」
このサティールの小泉というものが何なのか良く分かりません。1700年の地図を見てもこの導線上に泉らしきものは確認できないのです…。まあそれは良いとして、彼の言う「眺望点」に進んでみましょう。先ほど見たバッキュスの泉水と反対側にあるセレスの泉水を結ぶ横軸、ラトーヌの泉水と大運河の手前にあるアポロンの泉水を結ぶ縦軸が交差する点がその眺望点です。
まず城館側の景色から見ます。ラトーヌの泉水の主題になっているラトーヌはギリシャ神話に登場する最高神ジュピテルの愛人で、彼の正妻であるジュノンは彼女が妊娠したことに激怒し永久追放を宣告しました。彼女は逃避行の中でリュキアという国にたどり着き、喉の渇きに耐え兼ね池で水を飲もうとした時、農民たちがジュノンの命令に従い彼女の邪魔をしました。怒ったラトーヌはジュピテルに懇願し、彼らはカエルに変身してしまう呪いにかかりました。ヴェルサイユの泉水では中央に2人の子、アポロンとディアーヌを庇うラトーヌ、周囲にカエルに変えられた農民、あるいはまさに変身途中の農民が配置され、彼らは必死にラトーヌに水をかけようとしています。この泉水が意図するところは即ち、ルイ14世による絶対王政。ルイ14世の幼少から青年時代はまだ王権が弱く、有力貴族や民衆によるフロンドの乱が勃発し暴徒がルイ14世の寝室にまで侵入、結果パリを追われる事態にまでなりました。ルイ14世はこれが生涯トラウマだったようで、この泉水にも「逆らう者は容赦しない」という意図が込められています。
今度は大運河の方を見てみると、中央には国王の散策路と呼ばれる芝生とアポロンの泉水、その先に大運河が望めます。これは城館やラトーヌの泉水の上からでも見ることができるのですが、ここで特徴的なのは四季を表す泉水が同時に見られること。右斜め奥と左斜め奥にあるフロールの泉水、サテュルヌの泉水までもが細い道で繋がっていることによってこの一点から見ることができます。場所を調整しないとしっかり見ることができないので、よく探してみましょう。ただただル・ノートルの構想には脱帽するばかりです。

非常に文量が多くなったので、今回はここで区切ることにします。2回のつもりでしたがこれは3回になりそうですね…。


遂に鏡の回廊デビュー、ヴェルサイユ宮殿の「王室の夜会」

15 7月 2020
遂に鏡の回廊デビュー、ヴェルサイユ宮殿の「王室の夜会」 はコメントを受け付けていません。

本番前のひととき

今回は先週末に初乗り番を迎えたヴェルサイユ宮殿の「王室の夜会La Sérénade Royale」の紹介です。
毎年夏期と年末にヴェルサイユ宮殿で行われているスペクタクルのツアーで、鏡の回廊での演奏と舞踏を中心に各会場でリュート伴奏による歌唱、コメディアンによる小喜劇、フェンシングの演武を観ることができます。ツアーは20分ごとに全部で5グループあり、演者は1日で5回公演を行います。それぞれ18世紀風の衣装を身にまとい、観客は当時の宮廷の雰囲気を存分に堪能できることでしょう。
鏡の回廊での演奏は毎回私の師匠であるパトリックが率いるレ・フォリー・フランセーズが担っていて、内心自分も弾いてみたいなと思っていたのですが楽隊は4人と極めて少数、しかもフランス宮廷の雰囲気を醸し出さなければならないので東洋人顔の私が参加するのは難しいかなと考えていました。しかし今回、パトリックからめでたくお呼びがかかりました!
今回のプログラムは全てジャン=フィリップ・ラモーのバレである「優雅なインド」と「プラテ」から構成されたもので、アンサンブルの難易度は割と高いものもありますがリハーサルは先月行われた1回のみ。まあこのプログラムは昨年からやっているものなので他のメンバーは事情を良く知っていて、細かい調整は本番の中で続けるといった感じなのでしょうか。でもダンサーとの兼ね合いもありますし私としては少し不安…。
プログラムは「王の絵描きたち」と題されていて、ダンサーたちは筆とパレットを持って登場し、観客の中からモデル役を選んで…のくだりは新型コロナウィルスの影響でマネキンになり、出来上がった絵がどれも変な絵という笑いを取ったところで国王役が威厳をもって登場、風格を保って踊りますが途中でなぜか上半身の服を脱がされ虎の毛皮を着させられて終わる…という内容です。個人的には威厳のある国王の踊りをもっと見たい感じがするのですが(笑)。
新型コロナウィルスの影響はプログラムだけではなくこのツアー全体にも影響していて、本来は6月13日からのはずが2週休演となり、あわや全公演中止かというところでしたが6月27日から開始できることになりました。それでも観客はマスク必須です。マスクと言っても仮面の方じゃありませんよ。
さて6月27日、7月4日と別のメンバーが担当して私はお休みだったのですが先週末から参加開始。宮殿の入り口ではアーティストのバッジを提示すると荷物検査もなく入館できました。木曜演奏会の際はいつも荷物検査があって時間がかかるのでこれは嬉しい!
ところがよく考えてみると楽屋の場所を事前に告知されておらず、とりあえずリハーサル時に荷物を置いていた鏡の回廊に隣接する「牛眼の間」に行ってみると、観光客がいるばかりで演者らしき人はおらず。宮殿のスタッフに聞いてみると、どうやら順路の始めの方にある北の翼棟の「ガブリエルの間」という所らしく、一度建物を出て順路をもう一度だどる羽目に。スタッフについて行ってみるとなるほど納得、昨年9月に展示演奏を行った時に楽屋として使った、一般には開放されていない部屋でした。まあ着けたので良かった。
楽屋は衣装掛けとアイロンスペースの他は既にダンサーたちが化粧とストレッチで大半を占拠…もといお使いになっておられて、楽隊は隅の着替え場所(といっても男女一緒に着替えるので囲いの意味はあまりない)でさっさと着替えてあとはあまり居場所がない感じでした。私も早速着替えようとすると衣装係のマダムから「アイロンをかけた方が良いからちょっと待って!」と言われ待つことしばし。一応シャツは事前に言われたので自分で頑張ってアイロンがけしてきたのですが、彼女的には不十分だったようでもう次回からは丸投げしようと思っていると、なぜかベストとズボンからアイロンをかけ始め、シャツは一番最後に。順番が逆だとすぐに着替え始められたんですがねー。その間もダンサーの衣装を優先的にやらねばならなかったらしく私の衣装は後回し…。いや別に間に合ったから良いんですけど。楽屋探しで時間を使ってしまったので、もう少し家を出るのが遅ければ他の楽隊メンバーに迷惑をかけるところでした。
その後差し替えになった1曲を本番前に2回ほど合わせていざ鏡の回廊へ移動。自主的にアマゾンで買ったカツラもばっちり着けました。衣装を着てカツラも付けると、東洋人の私でもなるほどサマになります。買ってよかった!
鏡の回廊は夕方になると西日が差し込んで結構暑いことがリハーサルで分かったので、制汗対策をしていきましたがカツラもあってやっぱり暑い!当時の廷臣たちはみんなこうして頭に汗をかいていたことが良く分かります。幸い演奏スペースは衝立が後ろに設置されて直射日光を避けることができました。
一度ダンサーと何曲かリハーサルを行ったところでいざ本番、ついに奏者としての鏡の回廊公式デビューです。観客は現在あまり外国人観光客が来られる状況にはないので少ないかなと思っていましたが、例年と遜色ないくらいの盛況ぶりでした。
各回は20分しか間がなく、観客は長蛇の列になって進むので前の回の最後尾が過ぎてから次の回の先頭が来るまであまり時間はなく、水分補給をする程度で楽屋に戻る時間などはありませんでした。どうしても御手洗いに行きたくなったらどうするんでしょうね。
ちなみに私は第2ヴァイオリンなので各曲のテンポの決定権はあまりないのですが、回が終わるごとにこの曲はもう少し遅く…次の回では少し遅すぎたので中間くらい…と調整が続きました。次回以降は楽隊もダンサーも少しずつメンバーが違うので、毎回違った仕上がりになる事でしょう。
あと最初の方で力が入っていたのか4、5回目あたりで少し疲れが出てきてしまいました。最後まで新鮮さと体力を保たなければなりませんね。
私の担当は8月末まで毎週土曜日、9月19日とあと8回あるので、思いっきり鏡の回廊での演奏を楽しみたいと思います。

次回は久しぶりのヴェルサイユ宮殿シリーズ、庭園編をお送りしたいと思います。


ヴェルサイユ宮殿スペクタクルのレビュー

4 12月 2019
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来年創立250周年を迎える王室歌劇場ではアツいプログラムが目白押し

今日の最高気温は4度、いよいよ寒さが身に染みる季節になりました。宮殿周辺や私の住んでいる通りでは今週からイルミネーションが始まり、通りゆく人々の心を温めてくれます。
そんな中、ヴェルサイユ宮殿では連日アツいスペクタクルが催されています!今回は先月下旬から今週にかけて行った5つのオペラ、演奏会をまとめてレビューしたいと思います。

まずは11月20日、王室歌劇場でエマニュエル・アイム率いるル・コンセール・ダストレのグラン・モテ。ラモーの「主が連れ帰ってくださった時In convertendo Dominus」、モンドンヴィルの「イスラエルの民エジプトを出でIn exitu Israël」、そしてカンプラのレクイエムという超激アツなプログラム。これはもう行くしかないですよねー。エマニュエル・アイムは業界ではまだまだ少ない女性指揮者で、このアンサンブルを生で聴いたのは今回が初めてでしたが、デビュー時のラモー「イポリトとアリシ」の素晴らしい上演の映像は随分前から知っていました。
ラモーの「主が連れ帰ってくださった時」はあの1曲目がもう最高に良いんですよね。弦楽器とフルートが織りなすあの絶妙な色合い…。これこそラモーの成せる業といった感じです。このオーケストラもしっかり表現してくれました。モンドンヴィルの「イスラエルの民エジプトを出で」は今回初めて聴きましたが、この作品はすごい!特異な調性の使用、劇的な歌詞を表現するためのオーケストラの効果音、最初から最後までモンドンヴィルの世界に引き込まれました。オーケストラパートも難易度の高い箇所が多かったように思いましたが、弦楽器奏者たちが果敢に挑んでいて効果は抜群。カンプラのレクイエムは6月に私たちも演奏したので記憶に新しい所ではありますが、研究センターの指揮者オリヴィエ・シュネーベリとは当然違う味付けでまた新鮮でした。
さて続いてはその翌日、王室礼拝堂での木曜演奏会を終えた後に行ったエルキュールの間での演奏会。リュリとその後継者のオペラで活躍したオートコントル歌手ルイ・ゴラール・デュメスニーLouis Gaulard Dumesnyへのオマージュを捧げたプログラムで、ベルギー人テノール歌手レヌー・ファン・メシュレンReinoud Van Mechelenが彼のアンサンブルを率いて歌い通すリサイタルでした。エルキュールの間での演奏会は年に数回あるのみで、主に室内楽や歌手のリサイタルが行われています。あの息をのむほどの装飾が施されたルイ14世渾身の作であるエルキュールの間での演奏は雰囲気からしてもう格別。
演奏の方はというと、オーケストラは力強いバスラインが特に素晴らしくて申し分ないのですが、当のメシュレンは…どちらかというとタイユ寄りで、オートコントルにしてはやや声が重いかなと個人的には思ったのと、レシタティフは「歌う」のではなくもう少し個々の言葉を「語る」方が良いかなと思いましたが、一緒に聴いていた研究センターの歌手たちは絶賛していたのでそうでもないのかもしれません。プログラム構成はリュリとその弟子のコラス、デマレ、シャルパンティエの悲劇の名場面集といった感じでした。個人的にツボだったのはアンコールでカンプラの「優雅なヨーロッパ」スペインの冒頭の素晴らしいパッサカーユを用意してくれたこと。あの作品は悲劇ではないのでこの演奏会には取り入れなかったのかなと思っていたところでの演奏だったので、これはとても嬉しかったです。
3つ目は24日に行った王室歌劇場でのカヴァッリ作「エルコール・アマント」の舞台上演。ルイ14世の宰相マザラン枢機卿の下イタリア・オペラをフランスに導入しようとカヴァッリをパリに招聘して制作、1662年に上演された記念碑的な作品です。演奏はラファエル・ピション率いるピグマリオン。3時間半の長大な作品ですが、あまり上演されないだけに詳細なあらすじがインターネットでも見つけられず、結局良く分からないまま観劇してしまったのを後悔しました。パンフレット買えばよかったですね。演奏は素晴らしいかったのですが、演出が個人的にはあまり好みではありませんでした。喜劇なので突っ込みポイントを作るのは良いけれど、真剣な場面でもちょくちょく変な笑いのポイントを作ってしまっていて何だか気が散るし、あとヴィーナスがピンクの気球(のような飛ぶ何か)を操縦しながら降りてきたり、ネプチューンが金色の潜水艦から出てきたりと音楽の雰囲気とはあまりに不釣り合いな現代的要素があるのもマイナスポイント。まあでもこの作品を舞台上演で観劇できる機会はそうそうないので、その点では満足でした。
4つ目は26日のリュリ「カドミュスとエルミオーヌ」の王室歌劇場でのコンサート上演、演奏はヴァンサン・デュメストル率いるル・ポエムアルモニーク!同じ作品の照明、衣装共に上演当時をできるだけ再現した上演映像はもうただ素晴らしいの一言で、コンサート上演なのは少し残念ですが是非生で聴きたいと思いました。上演前にはヴァンサンの「15分解説」にも行くことができ、オペラ上演のこと、発音のことなど色々な話が聞けました。演奏は勿論一級品。どうしたらあのサウンドが実現できるんでしょうね…。プロローグと5幕の長大な作品ですがあっという間に終わってしまいました。もっと聴いていたかった。
最後は昨日12月3日のジャン=バティスト・ロバンの王室礼拝堂でのオルガンリサイタル。ロバンは私の所属するヴェルサイユ地方音楽院のオルガン講師でもあります。王室礼拝堂のオルガンは日頃の木曜演奏会でパリ国立高等音楽院のオルガン専攻生により演奏が行われていて何度も聴いたことがあるのですが、ロバン先生の演奏ということで今回改めて聴きました。ルイ・マルシャンやジャン=フランソワ・ダンドリューの「プラン・ジュPlein Jeu(満ちた演奏での意)」の楽章は奏者と共にヴェルサイユ王室礼拝堂のオルガンの本領発揮というところ。もうこれに慣れてしまったら他で聴く気なんて無くなってしまうくらい、威厳と品格が溢れた響きです。一方でロバン先生自作の曲も1曲披露されました。難解すぎて一般的にはやや不快な現代作品(愛好家の方々申し訳ありません)というわけではありませんでしたが、やはり前後にこのオルガンと空間により適した古い作品が並んだだけに、個人的には古い作品が好みだなと思いました。あとオルガンリサイタルながらトランペットとパーカッションが加わり、リュリの「町人貴族」でのトルコ人行進曲やド・ラランドの「ヴェルサイユ大運河のためのコンセール」なども聴くことができました。

来年2020年はヴェルサイユ王室歌劇場創設250周年にあたり、特にオペラは昨年度よりも興味深いプログラムが多くラインナップされています。今後も少しずつこのブログでレビューしていきたいと思います。
次回は今週末フランスを震撼させる?予定のストライキ&デモについてお伝えしたいと思います。


ヴェルサイユ宮殿展示演奏

25 9月 2019
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展示演奏会場の様子。クラヴサン担当のシャルルが準備中

早くも日本滞在から一か月が経とうとしています。滞在中はここぞとばかりにいろいろな場所へ行って遊んだせいか、去年よりも望郷の念が少し強く感じられる今日この頃です。
さて、先週末はヨーロッパ各国で「ヨーロッパ文化遺産の日」と題したイベントが催されていました。
このイベントは毎年9月の第3週末に開催され、フランスではその膨大な歴史的建造物のうち、平常時は観光客が立ち入ることができない場所も開放されます。また有料の博物館等も無料観覧できるようになるところが多いようです。
ヴェルサイユはもちろん歴史的建造物の宝庫ですから、ヴェルサイユ公共図書館やイタリア人音楽家旧邸、ヴェルサイユ地方音楽院やヴェルサイユバロック音楽研究センターも観光客向けに開放されました。ヴェルサイユ宮殿も王のアパルトマンや鏡の回廊とまではいかないまでも、王室礼拝堂や王室歌劇場は無料で入ることができたようです。
そんな中、私はヴェルサイユ宮殿の北翼棟にあるフランス史博物館の「ルイ14世の間」の一室で2日間展示演奏を行いました。これらの部屋は元は宮廷貴族のためのアパルトマンでしたが、ルイ=フィリップ王がヴェルサイユ宮殿を博物館とした際に改装され旧体制時代の内装は残っていません。現在では買い戻されたごく少数の家具と、壁面には王族、軍人、学者や文化人などの肖像画が並んでいます。
展示演奏はヴァイオリン同門下の3人で1日2時間半ずつ担当しました。といってもずっと弾いているわけではなく、任意に適宜休憩を入れながらで良いという話でした。
土曜日の私の担当は朝9時半から12時の枠。最初は人が来ずとりあえずリハーサルしようかと言って弾き始めたら、次第に観客が増えてきました。
今回用意したのはジャン=ジョゼフ・カッサネア・ド・モンドンヴィルの倍音のソナタ1曲、ジュリアン=アマーブル・マテューのソナタ1曲と、それにクラヴサンのシャルルが用意したジャン=フィリップ・ラモーのクラヴサン曲2曲です。どれもルイ15世時代、1730-50年代の作品です。
演奏会ではないので楽章が終わるたびに拍手をもらい、次の部屋へ進む客と入ってくる客の動向を見ながら次の楽章に移るという進行でした。でもその場に留まって全ての楽章を聴いてくれる方も多かったです。師匠パトリックと私の部屋の大家さんも来てくれました。
所々で係の方がヴェルサイユ宮殿とルイ14世時代の音楽活動について簡単に紹介していましたが、曲については私から話すことになりました。
全ての楽章を弾き終わると、ありがとうございました、この後も良い観光をと言って締めくくるのですが、そのまま留まって次の演奏を待ち望んで下さる方も多く、またその間にも次々と新しい客が入ってきて本格的な休憩をするということは中々できませんでした。だって客が待っているなら弾きたいですもの。
そんなわけで、給水とトイレ休憩、シャルルが弾く2曲の間を除いてほぼ休憩はありませんでした。いや実際にはあったのかもしれないですが、このような形態の演奏は初めてで精神的に休めなかったというのが実情でしょうか。
終了後はのんびりと配布された昼食をとり、ヴィオル担当で日曜日のみ参加のマノンと合流して翌日のためのリハーサルを音楽院で行った後は帰宅して昼寝…のつもりが相当疲れたのか夕食前まで寝てしまいました。
日曜日の担当は午後、15時から17時半の最後の枠。午前中から午後にかけて雨が降り湿度が上がったのと、日曜日だからか午後の枠だからなのか観客が前日の比ではなく、会場は相当に蒸し暑くなりました。しかもシャルルがパリのメトロで問題があったらしく中々到着せず、観客が待ち焦がれる中で急遽バッハの無伴奏を弾くことになり若干変な汗をかく始末…。私は汗をかきやすいので夏場の演奏は対策を欠かさないのですが、もう秋になって大丈夫だろうと思っていたんです。でもバッハを弾き終わって、やっと到着したシャルルとそのままモンドンヴィルのソナタを弾いていたらもう顔から汗が噴き出していました。
その後は窓を開けてもらったのと、半ばかぶりつき状態になっていた最前列の観客に一歩下がっていただいたので多少は涼しくなりました。でも熱気と湿気で狂ったクラヴサンの調律はそのまま…(笑)。
今回嬉しかったのが、意外?にもマテューのソナタの評判が良かったこと。彼は27年間にわたって王室礼拝堂の楽長を務め、ルイ15世とルイ16世に重用されたヴァイオリン奏者、作曲家でしたが、今日では全く忘れ去られてしまっています。ヴェルサイユ宮殿で約250年後、自分の作品を日本人が演奏するとは彼も思っていなかったでしょうが、多くの人々に受け入れられたのであれば少しは供養になったのかなと思います。
一方課題だったのはモンドンヴィルのソナタで使用した倍音奏法。このソナタはヴァイオリン史上最初期の倍音奏法使用例で、その他の一般的なバロックヴァイオリンのレパートリーではほとんど登場しないこの奏法は、モダンヴァイオリンの弦では何の問題もありませんがガット弦では鳴らし方をもう少し研究しなければいけないなと思いました。

次回はパリの日本人たちの台所、京子食品についてお伝えします、


マントノン夫人展とマリー・レクザンスカ趣味展

12 6月 2019
マントノン夫人展とマリー・レクザンスカ趣味展 はコメントを受け付けていません。

現在開催されている2人の女性に関する特設展

相変わらず涼しい日が続いています。一時期暑くなって冬用の布団や服を物置に移動しましたが、一部をもう一度持って来なくてはならなくなりました。まあ暑いよりは快適で良いですね(何度も書きます)。
先週は木曜演奏会でカンプラのレクイエム、大厩舎で「平和の田園詩」の本番がありました。どちらもヴェルサイユ音楽研究センターと密接に連携した内容、会場共に素晴らしいプロジェクトでした。今年の大きな演奏会はこれで終わりましたがとても良い経験を1年目でできたなと思っています。

さて今回は現在ヴェルサイユ宮殿で開かれている2つの特設展、マントノン夫人展とマリー・レクザンスカ趣味展についてお伝えします。
今年で没後300年になることを記念した「マントノン夫人展~権力への道の中で~」は王のアパルトマンの向かいに設けられたマントノン夫人のアパルトマンで開かれています。
ここでマントノン夫人について簡単に触れておくと、まず彼女の本名はフランソワーズ・ドービニェといい、幼少期はカリブ海の植民地マルティーク島で過ごしました。開拓には成功せず一家は貧しいままフランス本土へ帰国、間もなく両親がなくなり25歳年上の喜劇作家ポール・スカロンと出会い結婚、妻としてだけではなくリウマチで身体が不自由だったスカロンの看護師も務めました。夫の文芸サロンでモンテスパン侯爵夫人と出会い、まもなく彼女がルイ14世の愛人となって子供を設けると、フランソワーズは夫人から子供たちの養育係に任命されました。出産しただけでその後の母としての務めは果たさなかったモンテスパン侯爵夫人に代わって献身的に子供たちを養育するフランソワーズは王の目に留まり、多額の年金を与えたことで彼女はマントノンの所領と城を購入し、マントノン侯爵夫人と呼ばれるようになりました。国王の寵愛の衰えを感じていたモンテスパン侯爵夫人は彼女へも嫉妬の矛先を向けますが、やがてモンテスパン夫人は黒ミサ事件により宮廷を去り、マントノン侯爵夫人はルイ14世の寵愛を得るようになります。1685年末、既に王妃がなくなっていたためルイ14世とマントノン侯爵夫人は密かに結婚、ヴェルサイユ宮殿に今日あるアパルトマンを与えられました。大貴族の出身でもない彼女が国王のアパルトマンの近くに居を構えたことは宮廷内に衝撃を与えました。それからの晩年のルイ14世は一日数時間を彼女と共に過ごし、信心深い彼女の影響を多大に受けました。非公式ながらも国王の妻となったマントノン侯爵夫人は豪奢な生活を送るのではなく、弱小貴族の子女を支援する聖ルイ王立学校を創設するなど貧困救済と教育に力を入れていました。ルイ14世の崩御が決定的なものとなると、彼女はヴェルサイユ近郊のサン=シールへ身を引き、1719年に亡くなりました。
マントノン夫人のアパルトマンは2つの控の間、寝室、大広間からなっています。大理石の階段を上がった先、左手に国王のアパルトマンを見て右手にそのアパルトマンは位置しています。特設展では控えの間にまずポール・スカロンやモンテスパン侯爵夫人との関係を示す展示物があります。寝室と大広間には慎み深そうな印象を受ける有名な彼女の肖像画がある他、ルイ14世との書簡も展示されています。ルイ14世に愛された女性、王とモンテスパン侯爵夫人の子供の代母、及び教育者としての彼女のそれぞれの一面を垣間見ることのできる特設展でした。室内の装飾はいずれもオリジナルのものではないのでしょうが、それでも彼女がこの地で王と共に静かな時を過ごしたことに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

さて大理石の階段を降りて右へ進むと、王太子妃のアパルトマンの空間でマリー・レクザンスカ趣味展を見学することができます。
マリー・レクザンスカはルイ15世の王妃ですが、マリー・アントワネットと比べると知名度は決して高くなく、また評価もあまりされない人物です。しかし彼女は王国の後継者を残すという大きな使命を果たしただけでなく、ルイ15世時代の文化の洗練に大きく寄与していました。この展覧会ではそのことを改めて認識することができます。
マリー・レクザンスカはポーランド国王スタ二スラフ1世の娘でしたが、まもなく彼はポーランド王位を追われ一家はフランスのアルザスへと亡命を余儀なくされました。ルイ15世は1721年にスペインのフェリペ5世の娘マリアナ・ビクトリアと婚約していましたが、間もなくルイ15世が重病を患うと、まだ幼くルイ15世との子を成すのに時間がかかりすぎると判断されたマリアナ・ビクトリアとの婚約は破棄され、スペインへと送り返されることになりました。当時周辺ではカトリックの王国は少なく、ルイ15世に適した王族の血を引く女性として最終的に選ばれたのが、当時もはや弱小貴族となり果てていた元ポーランド国王の娘マリー・レクザンスカだったのでした。1725年の結婚から2年後の1727年からこれ以上の出産は危険であると医師に警告される1738年までに、彼女は2男8女の子供を出産するという王妃の重要な使命を果たしました。しかし出産に疲れ果てた彼女はその後一転してルイ15世を拒否するようになり、以後は信仰や芸術、貧困救済などへ力を注ぎました。
第一控えの間では彼女の両親と子供たちの多くの肖像画に囲まれ、待望の王太子を抱えた威厳あるマリー・レクザンスカの肖像画が掛かっています。ちなみにジャン=マルク・ナティエによる王女たちの肖像画は王女のアパルトマンでも見ることのできるものですが、説明書きには複製という但書がないのでオリジナルのものが展示されていると思います(ナティエ作の王女たちの肖像画は個人的に好きなのでこれは嬉しいです)。

王女たちの肖像画

第二控えの間には「五感」と題され王妃の奥の私室に飾られていたジャン=バティスト・ウドリーの作品が全て並べて展示されています。穏やかな田園風景に動物や人物が描かれる中で、触覚、聴覚、視覚、味覚、嗅覚が表されています。王妃はお気に入りの画家であった彼の作品を模写することから始め、ついに自分の作品を描くに至りました。「村」と題された「五感」の対面に展示されているこの油絵はとても良く仕上がっており、農村の家や村人、鳥や牛が生き生きと描かれています。1754年に彼女はルイ15世にこの絵を贈り、彼もこれを嬉しそうに受け取っていたという証言が残されています。左には同じく彼女の手による、王太子に戦場を見せるルイ15世の様子が描かれた「フォントネの戦い」を見ることができます。

中国の様子を想像で描いたキャンバスシリーズ

寝室には「中国人の部屋」と呼ばれるキャンバスシリーズの内の4枚が展示されています。当時流行していた中国趣味によりマリー・レクザンスカは1747年に奥の居室の一室を中国風に装飾しましたが、1761年からはこのキャンバスシリーズへと移行し、宮廷の5人の画家と王妃がこれを製作しました。中国絵画に着想を得ているのは勿論のこと、旅人や中国へキリスト教布教を行うイエズス会士の証言にインスピレーションを受けた建物や人物が、まるでその風景を見てきたかのように豊かに描写されています。これらの作品は王妃崩御の後、侍女であったノアイユ伯爵夫人に遺贈され、その後はノアイユ一族によって大切に保管されてきましたが2018年にヴェルサイユ宮殿によって買い戻されたということです。2枚ずつのキャンバスシリーズの間にある鏡の下には、スタ二スラフ1世をポーランド王位から追い出した新ポーランド国王アウグスト3世から外交関係の改善を目的として1737年にフランスへ贈った、マイセン製の磁器ティーセットの一部が展示されています。フランスとポーランドの国章がデザインされ、音楽家や役者たちなどが描写された細密画が施されています。これらもまた最近ヴェルサイユ宮殿が買い戻したものだそう。
最後の奥の間には、宗教画や宗教関係の蔵書が展示されており、彼女の信仰に根差した生活を垣間見ることができます。ジョゼフ=マリー・ヴィヤン作の「中国に到着したフランシスコ=ザビエル」は私用アパルトマンの扉上部に飾るためのもので、主題は彼女自身が選択したものです。聖人の中でもフランシスコ=ザビエルをとりわけ敬愛していた彼女は彼に関する聖遺物や絵画をいくつか所有していたということです。中国に到着したことを観客に想起させるのはそばに描かれた船に乗る中国人たちだけですが、これもまた中国、東国趣味の流れから来るものでしょう。
この部屋には最後の展示として「マリー・レクザンスカとギリシャ趣味」という名のもと3点の花瓶が置かれています。ロココ様式とは異なるこの新古典様式は、後のルイ16世、マリー・アントワネットの時代へとつながっていきます。

次回は現在ヴェルサイユで開催されている「モリエール月間」についてお送りします。


ヴェルサイユ宮殿観光の手引き⑤

6 6月 2019
ヴェルサイユ宮殿観光の手引き⑤ はコメントを受け付けていません。

歴代の王子・王女の誕生を見守った王妃の寝室

ついにヴェルサイユにも暑い日がやってきました。以前も書きましたが我が家は最上階なので熱気がこもりやすく、日中外出の際はブラインドを全部おろしますがそれでも帰宅する頃には熱くなっています…。日本に帰ったら窓に貼る遮熱フィルムを買おうと思います。
国王の24のヴィオロンの本番は来週にまだ1回残っていますが、今週は木曜演奏会に向けてアンドレ・カンプラのレクイエムに取り組んでいます。フランス・バロック屈指の名曲、私がこのジャンルにはまるきっかけになった曲の一つをヴェルサイユで、いつも通り情熱たっぷりのオリヴィエと素晴らしい研究センターの歌手、びっくりするくらい上手い少年少女歌手と一緒に上演できるとは嬉しい限りです。器楽も今回は初対面の人が多く、順調に知り合いを増やしているといったところですね。

さて今回は先日修復が終了し再公開されたヴェルサイユ宮殿の王妃のアパルトマンについてご紹介しましょう。
王妃のアパルトマンは鏡の回廊を挟んで戦争の間と対になっている平和の間から見学を始めます。平和の間は王妃のアパルトマンではありませんが、ルイ14世の治世終了後は鏡の回廊と平和の間の間に仕切りが設けられ、実質上の王妃のアパルトマン奥の間になっていました。ルイ15世の王妃マリー・レクザンスカはこの部屋で毎週日曜日に音楽会を開催しており、楽器の演奏に長けた王女アデライードやヴィクトワールたちを育みました。
なお王妃のアパルトマンの修復は終わりましたが、平和の間は現在も修復中で壁は覆われ、通路が設けられているだけになっています。公開されたらまた追記することとします。次は寝室から順に、公的空間へ向けて順路を進んでいきます。
・寝室
国王のアパルトマンはルイ14世時代から既に儀礼のためだけの空間で居住するためのものではなく、その後の国王も特に内装に手を加えなかったのに対し、王妃のアパルトマンは実用する居住空間であったためマリー・レクザンスカとマリー・アントワネットによって内装は変更されています。この寝室は天井の枠組みこそマリー・テレーズ(ルイ14世の王妃)時代のものが残るものの、他は全てマリー・レクザンスカの内装です。暖炉と鏡付近はバロック様式よりも優雅で繊細なロココ様式の木彫で装飾されており、寝台側の壁面はユリの花束とクジャクの羽がデザインされたマリー・アントワネット時代の壁布が復元されて寝台とも調和しています。扉の上にはマリー・レクザンスカの子女のうち5人が描かれ、多くの子を持つ母として生きた彼女の一面を垣間見ることができます。天井のグリザイユ画法(モノクローム画法)で描かれたフランソワ・ブーシェによる4つの絵はそれぞれ王妃が持つべき4つの美徳である豊穣、忠実、慈悲、慎重の寓意です。また4隅にある木彫を除いて他の天井部分は壁面の木彫に対応する騙し絵になっています。
この部屋では国王と同じく儀礼に従った謁見が行われたほか、王位継承権を持つ嫡子の正当性を主張するため出産はこの部屋で公開のもと行わなければなりませんでした。1789年10月6日、暴徒がヴェルサイユ宮殿に押し寄せた際には寝台の左右にある小さな隠し扉を通って、マリー・アントワネットは奥の間へと逃げ込みました。

・貴族の間
アパルトマンの機能上は控えの間にあたりますが、マリー・レクザンスカはこの部屋を大広間として整備し、設置した天蓋に座って謁見を行っていました。
部屋の主題は対になる国王のアパルトマンに対応させるため芸術と科学の守護神で天上からの使者であるメルクリウスとなっていて、中央にはメルクリウス、四方には絵画、哲学、織物、音楽に長けた女性たちの逸話が描かれています。寝室の装飾には手を加えなかったマリー・アントワネットはこの部屋には大きく手を入れ、壁面にはそれまでの木彫をやめてヤシの木の模様が入った緑のダマスク織の壁布をかけるという、当時流行の英国風を取り入れました。マリー・アントワネットお気に入りの家具職人リーズネルがこの部屋に収められたはずの洗練された家具は革命の際に散逸しましたが、一部は買い戻されて展示されています。

・大膳式の間
この部屋は第一控えの間であると同時に、国王と王妃の公式晩餐会である大膳式が行われる部屋でもありました。暖炉を背に国王夫妻は豪華な椅子に座り、その周りに座ることができるのは王族と侯爵夫人のみでした。食事においてもルイ14世はこれを儀式化し、権力誇示の場としました。王妃の死後1690年からルイ14世はこの大膳式を自分のアパルトマンの第一控えの間で行うようになりますが、ルイ15世の治世になるとこの儀式は再びこの部屋で行われるようになりました。マリー・アントワネットは食欲旺盛なルイ16世と対照的に、手袋を外さずあまり食事に手を付けなかったそうです。
この部屋の装飾は貴族の間と打って変わって赤い壁布となっており、天上には国王の大アパルトマンのマルスの間でも見ることのできたル・ブランの「アレクサンドロス大王にひれ伏すダレイオスの家族」を中心に、周りには戦場に赴く古代の勇猛な女性たちの場面が淡彩画で描かれています。戦争の神マルスは描かれてはいませんが、明らかにこの部屋の主題は戦争であり、マルスの間と対応しているのが分かります。暖炉の反対側には3人の子供と共に描かれたマリー・アントワネットの肖像画が掛けられています。

・衛兵の間
衛兵の間は通常あまり装飾がなく見どころが少ないものですが、この王妃のアパルトマンの衛兵の間は見どころがたくさんあります。今までの部屋は歴代の主人によって内装が大きく改造されましたが、この衛兵の間には王妃が来ることはないため改装は行われず、17世紀の内装が現在も残っています。壁面には多色の大理石が幾何学模様に実に美しくはめ込まれ、扉上部や鏡周辺にはバロック様式の木彫が見られます。天井の中心には最高神ジュピテルが神々しく描かれており、四隅に描かれた欄干から身を乗り出している宮廷人たちの称賛を受けています。この部屋の主題はジュピテルと共に正義であり、円天井は古代の偉大な王や哲学者を描いています。
衛兵の間を抜けると、かつては衛兵の控えの間であったルイ=フィリップ王の「戴冠の間」へ順路が続きます。

今回は王妃のアパルトマンについてお伝えしました。次回は現在開催されているマリー・レクザスカ展とマントノン夫人展についてお伝えします。


ヴェルサイユ宮殿観光の手引き④

3 4月 2019
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ヴィクトワール王女の大広間

新元号「令和」が発表されましたね。遠く離れたフランスでも4月1日は日本人同士でこの話をしていました。平成生まれの私としては改元は始めてなので何だか感慨深いです。
先週は語学学校で毎月末に行われている校外学習でパリ高等裁判所を見学してきました。日本でも見たことのない実際の裁判の様子に加え、裁判官、弁護士共に黒い法服を着ていたのが印象的でした。建物はパリ郊外にあり、近代的な建物で法廷も会議室のような感じでした。
先週末には師匠パトリックのリサイタルが小さな教会で行われました。テレマン、ビーバーとJ.S.バッハのパルティータ2番という完全無伴奏リサイタル。9月から師弟関係を開始しましたが初めて「本気」の演奏を聴くことができました。学ぶべきことはまだまだありそうです。
今週は木曜演奏会に向けてヴェルサイユバロック音楽研究センターの学生と少年合唱団と共にリュリの名曲《ミゼレーレ》に取り組んでいます。指揮はあの有名なオリヴィエ・シュネーベリ、今まで演奏会で何度か見かけましたが共演するのは初めてです。彼の熱血指導、特に歌詞の朗誦法に関してはとても素晴らしくて、歌手たちは皆若いにも関わらず今まで経験したことのないような彫りの深い表現を伴った歌唱を披露してくれます。やはりここに来てよかった!と思うと同時に、改めて格の違いを思い知らされたという感じですね。

さて、今回のヴェルサイユ宮殿観光ツアーは地上階の王女たちのアパルトマンです。
「王妃の階段」を下りて一度栄光の中庭に出て、宮殿正面に向かって進みます。白と黒の大理石が敷かれた部分は特に「大理石の中庭」と呼ばれ区別されており、ルイ14世の時代からここで野外オペラ上演などが行われています。ヴェルサイユ宮殿の核であるルイ13世の小城館に三方を囲まれ音響もそれなりにあるようですよ。機会があったら観劇してみたい!ここで記念撮影されている方も多くいて写り込むのは申し訳ない気にもなりますが、順路なので中庭を進み正面中央の扉から中へ入りましょう。
巨大な大理石の円柱の間を抜けると、いくつかの彫像が置かれているだけの割とそっけない回廊があります。鏡の回廊の下の部分にあたるこの「下の回廊」はルイ・ル・ヴォーによって建築され、現存しない国王の浴室へと続いていました。普通なら何も見ず素通りしてしまうかもしれませんが、是非彫像を見てください。春夏秋冬、四代元素(水、土、火、空気)が擬人化されています。これらの題材は庭園を見る際にも重要になりますので頭の隅に留めておきましょう。
右手にある通路を進むと王女たちのアパルトマンに入ります。ヴェルサイユの儀礼では、王家の子供たちは召使い付きのアパルトマンを与えられましたが、今日ここにあるのは革命による王家の終焉により最後の持ち主となったヴィクトワール王女とアデライード王女のものです。革命の際に調度品が散逸したのに加えて、ルイ=フィリップ王がここにも展示室を作ったため今日見られる姿は復元されたものですが、2人の王女の生活の様子を思い浮かべることができます。
まずはヴィクトワール王女のアパルトマンから。最初の部屋は第一控えの間で、装飾はほとんどなく簡素なものです。壁には女性の肖像画としてはとても大きいサイズである3枚が掛かっており、右から順にヴィクトワール王女、姉妹の中で唯一結婚しスペインへ嫁いだエリザベート王女、アデライード王女です。このアデライードの肖像画は過去に私がライナーノーツの制作に協力したCDのジャケットになっていて、最初に訪れた時すぐにそれと分かりました。
次は第二控えの間。第一控えの間より装飾は格段に多くなりますが、国王の大アパルトマンで見られたようなバロック装飾とは異なり繊細なロココ様式の木彫です。なおこの王女たちのアパルトマンについては多くの装飾が失われており復元されたものもあるようですが、どれがオリジナルでどれが復元されたものなのか見ただけではわかりません…。本文では今日の状態をお伝えします。
大広間に入ると、並べて置かれた2台のチェンバロが存在感を放っています。残念ながら王家の楽器ではありませんが、18世紀のオリジナル楽器とのこと。詳しく見たいところですがロープが張られ近くで見られないだけでなく、ふたが閉められカバーが掛かっています…。この王広間で2人の王女はしばしば演奏会を開き、自分の楽器演奏の技量を披露しました。ヴィクトワール王女はチェンバロとハープ、アデライード王女はヴァイオリンを弾きました。彼女たちはどの肖像画を見ても特徴は明らかで、ヴィクトワールはふくよかで温厚、アデライードは細身で生き生きとした感じですが、これは彼女たちの楽器にとても良く合っていたことでしょう。ちなみにこの部屋には一部にバロック様式の装飾を見ることができますが、これはかつてこの場所にあったルイ14世の浴室の一角である八角形の部屋の名残です。壁には肖像画が多くかかっていますが、その中には幼少期より修道院へ送られ母親である王妃が長らく会うことができなかった、ヴィクトワールを含む4人の末の王女たちを見ることができます。
寝室は緑色を基調とする夏用の布で装飾されていますが、これは当時の製作技法により復元されたものです。他のアパルトマン同様、冬はビロードの布に取り替えられますが、今日の宮殿の調度が夏用になっているのは革命で王族が去ったのが夏であったからです。壁の装飾は壁布が大半を占めるためあまり多く見ることはできませんが、天井と壁の間には子供(天使?)や女性をモチーフにした優美な装飾を見ることができます。この部屋にも大きな肖像画が掛かっていますが、赤いドレスを着てヴィオールを弾いている女性は24歳で亡くなったアンリエット王女です。彼女もまた音楽を愛好し楽器演奏に長けていました。その他特徴のある家具は向かって右の暖炉の上に置かれた緑の陶磁器の壺でしょうか。これらは革命の際に売られて散逸しましたが、近年宮殿が買い戻したヴィクトワールの所有品の一つです。
次は奥の間です。寝室が公的空間であるのに対して、奥の間は真にプライベートな間であり、家主に特別に招かれた時のみ入ることができました。部屋の装飾は優美な木彫が多く使われていますが、天井と壁の間の装飾は楽器をモチーフとしたものです。窓際には妹ヴィクトワールの肖像の横で机に向かうアデライードの肖像画を見ることができます。生涯未婚で子供もいなかった2人の王女たちにとって姉妹の絆は大事なものであったのでしょう。
次の部屋は同じく私的な空間である図書室です。現存するのはヴィクトワールの図書室のみであり、その上にあったアデライードの図書室は失われてしまいました。2人はとても読書好きで蔵書が大量にあり、科学の本なども読んでいたそうです。ヴィクトワールの蔵書は緑色、アデライードの蔵書は赤色の製本で整理されていました。
ここから先はアデライードのアパルトマンになりますが、図書室を軸に今度は私的空間から公的空間へ出ていくことになります。まず最初は奥の間ですが、おそらく大部分の装飾は失われたのでしょう、奥の間にしては装飾が少ない印象です。このアパルトマンはかつてルイ15世の公妾であったポンパドゥール侯爵夫人が所有していたものであり、この奥の間は「赤い漆の間」と呼ばれていました。
次は寝室。ヴィクトワールの寝室とほぼ同様で、ここにもアデライードとヴィクトワールの肖像画が対になって掛けられています。一連のアパルトマンには一体何枚彼女たちの肖像画があるのでしょうか。天井の端には子供(天使?)をモチーフにした装飾があります。彼女たちのアパルトマンでたびたび見られるこの題材は、もしかすると子供のいなかった2人の母性をくすぐるものだったのかもしれないなと思いました(違うかもしれません)。部屋の右には高級家具職人ジャン・アンリ・リーズナー製作の精巧な箪笥、その上に金箔ブロンズの燭台があります。
アデライードの大広間には室内用のオルガンと傍らにハープが置かれているのが目につきます。室内用と言ってもいわゆるポジティフオルガンではなく、教会などにある大オルガンをそのままスケールダウンした感じの豪華なもので、装飾も凝っています。中央の二匹の犬(グレイハウンドという犬らしい)は女性を表す婉曲表現で、この所有者が王女であったことを示しています。壁にはまたしても2人の王女の肖像画がありますが、右にあるアデライードの肖像画はよく見ると足元にいる犬が楽譜を踏んでいます…何かの表現なのでしょうか。
あとは簡素な第二控えの間と第一控えの間を見て終了…と思いきや、いきなり大きな部屋に出ます。弓兵の上着の名に由来する「オクトンの間」と呼ばれるこの場所には元々衛兵の間があり、その後ポンパドゥール夫人がアパルトマンの第一、第二控えの間に改装して以来アデライードのアパルトマンの一部として革命を迎えますが、その後かつての衛兵の間を復元したようです。大広間側には金色の鉄柵があり、かつてはルイ14世の浴室へと続いていました。
最後に「大使の階段」の入り口ホール跡を通りますが、ここに大使の階段の模型があります。近くに行って見たいのですがロープが張られていて遠くからしか見ることができません。見せてくれればいいのにー。
こうして再び栄光の中庭へ出て、王女たちのアパルトマンの見学は終了です。宮殿の見学を終了する際は反対側、最初に中庭に出たところから「Sortie(出口)」の案内に従って階段を下っていくとオーディオガイドの返却所があります。持ったまま出ようとすると警報が鳴るので必ず返しましょう。

今回は王女たちのアパルトマンについてお伝えしました。正殿とそれに続く棟で公開されている場所は他にルイ=フィリップ王の整備した戦争の回廊やフランス史博物館などがありますが、いずれも旧体制時代のものではないため割愛したいと思います(気が向いたらやるかも)。庭園やトリアノンは、もう少し暖かくなってからのお楽しみということで。
来週はところ変わって「ヴァンセンヌ城」をお伝えしたいと思います。


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