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オーヴェルニュ地方のロマネスク教会とピュイ・ド・ドーム山

18 7月 2019

圧倒的な彩色が印象的なイソワールの旧サントストルモワヌ修道院

先週末の日曜日は革命記念日で、深夜までどこかで音楽をかけて人々が騒いでいました。幸いこの日の夜は涼しかったので、窓を閉めて就寝でき事なきを得ました。パリは「黄色いベスト運動」も革命記念日にちなんで盛り上がったようですが、例によってヴェルサイユに引きこもっていました。
今週の帰国前の滞在許可証申請のために、入念に書類準備を進めています。詳細は来週お伝えしますが、無事に申請を終えてレセピセ(仮の滞在許可証)を受け取れないとこちらに帰ってくることが難しくなるので、全て書類が準備出来たとわかっていても何だか不安になってしまいます。
帰国準備も進めています。部屋の各部の大掃除、冷蔵庫内の整理、お土産の準備など。来たときは極限まで物を詰め込んだスーツケースも、今回はかなりスペースに余裕ができそうです。

さて、今回は先週行ってきたオーヴェルニュ地方にある2つのロマネスク教会とピュイ・ド・ドーム山についてご紹介します。
本当は2月にも書いた、貴族の家柄のヴァイオリンの同僚の家へ再び招待されたのですが、急に滞在予定が変更になったらしく今回は都合がつかなくなってしまいました。既に列車の切符を買ってしまっていたので、代わりにどこかへ観光に行こうと計画した次第です。
パリのベルシー駅からクレルモン=フェランまで特急に乗車し、さらに近郊列車TERで30分ほどのところにあるイソワールIssoireという町に降り立ちます。駅前からロマネスク聖堂特有の八角形の塔が見え、そこに向かって少し歩くと旧サントストルモワヌ修道院Ancienne Abbatiale St-Austremoineとその聖堂が見えてきます。聖堂は1135年に建造され、オーヴェルニュ地方のロマネスク聖堂の中でも最大級の規模と壮麗さを誇ります。現在、左にある修道院の建物は工事中で白いカバーが掛けられており、内部に入ることもできませんでした。聖堂の方も一部の外壁や内部で修復が行われています。
後陣や塔にはこの地方の聖堂で特徴的な星形模様と市松模様があしらわれていて、後陣には黄道十二宮のレリーフがあります。本来黄道十二宮はキリスト教とは関係のない異教のものですが、イエスの12人の弟子に例えられることからしばしば教会建築に取り入れられるようです。道なりに聖堂北側へ進むと、壁面に小さいですが「アブラハムの前に現れた三天使」と「イサクの犠牲」、「パンの奇跡」の3つのレリーフがあります。風化が進んでおり個々の人物の表情を捉えることはできません。西側に回って内部へ入ります。西側のファサードは至ってシンプルで、扉と窓の部分以外は飾りがなく「壁」といった感じです。
扉から入ってすぐ右側に、15世紀に描かれた「最後の審判」の壁画がある部屋があるのですが、残念ながら修復工事による時間限定公開のため入ることができませんでした。聖堂内部に入ると、その彩色のあまりの豊かさに圧倒されます。この感動は文字にしても伝わらないのですが、朱色を基調とした柱はもちろん、壁面にも石積みのブロックの縁取りが描かれていて、天井には壁紙のように花や星の図像が規則正しく描かれています。内陣部分は特に豪華で、よく見ると柱の柱頭がアカンサスの葉のコリント様式だけではなく人物や動物などがデザインされているではありませんか。これは最後の晩餐や磔刑など聖書に登場する場面が表現されていますので、分かりやすいものだけでも是非注意深く観察されることをお勧めします。祭壇の両脇にある階段から地下聖堂に行くことができ、安置されている色鮮やかな聖遺物入れを見ることができます。
インターネットで「イソワール」と検索するとこの聖堂の詳細な説明や写真が掲載された旅行レポートのサイトが複数ありますので、もっと詳しく知りたい方はそちらをご覧ください。

さて、イソワールから再びTERに30分ほど乗車し、今度はブリウードBrioudeという町に行きます。駅から目当ての聖堂までは15分くらいで、可愛らしい建物が並ぶ細い路地を抜けていくとそのサン=ジュリアン・バジリカ聖堂に到着します。周囲に建物が立っていて東側からしか全体像を捉えられないので、左から回り込んで後陣を見てみましょう。この聖堂にも星形の模様が見られますが、塔を始め外壁に赤い石材が効果的に用いられていて、イソワールの聖堂よりも外観は華やかです。聖堂の向かいに観光客向けの無料案内施設がありますので、是非入って聖堂に関する説明を読むのと、少し高いところから聖堂を見ることをお勧めします。ちなみに聖堂周辺には古代末期から中世初期の教会関連施設の跡地があり、この観光施設で説明を読むことができます。西側のファサードはロマネスクの簡素なものながらイソワールのものよりはやや装飾的です。
北側か南側の扉から内部に入ります。やはり柱を中心に彩色が施されていますが、こちらは修復が行われていないので全体的に落ち着いた淡い色調になっていて、剥がれ落ちている部分もあります。こうしたものを修復するかしないかは意見が分かれるところではありますね。イソワールの時のような圧倒的な感動は味わいたいけれど、当時の絵をそのまま見たいという思いもある。ちなみにこの聖堂で特徴的なのは床面で、多色の小石が粗く敷き詰められていてそれらが模様を成しています。歩くだけならいいのですが、見学中に関係者が何かを台車で運んでいた際にはとてつもない轟音が聖堂内に鳴り響きました(笑)。後陣のそれぞれの半円部分の天井にもフレスコ画が描かれているので、よく観察してみましょう。地下聖堂には例によって聖遺物入れが安置されています。西側にある螺旋階段を上って階上席に行くことができ、南側には天井と壁面一杯に13世紀のフレスコ画が施された聖ミカエルの礼拝所があります。

聖ミカエルの礼拝所に描かれた13世紀のフレスコ画

主題は最後の審判で、天井のキリストを福音史家と天使が取り囲み、北側の壁には悪魔サタンと地獄が描かれています。また両端には美徳が悪徳を踏み潰す様子も描かれています。椅子が置いてありますのでしばしじっくりと観察しました。壁の下の方は剥がれ落ちていますが、大事な天井付近は良い状態を保っていると思います。あと、この部分からは聖堂内の柱の柱頭が良く観察できます。イソワールのように彩色されているわけではありませんが、メドゥーサ、トリトン、ドラゴンや羊飼い、音楽家などの図像がデザインされています。聖堂内にパンフレットが置いてありますので参考にすると良いでしょう。
ブリウードからクレルモン=フェランまでTERで戻り、ホテルで一泊しました。大聖堂などをもう一度訪れようかと思いましたが、既に19時を回っており入ることができませんでした。

さて翌日はクレルモン=フェランの西にあるピュイ・ド・ドーム山を目指します。クレルモン=フェラン駅前からナヴェットというバスが出ているのですが、どうも路線がいくつかあるようで、事前に調べたバスに乗車する際、これは火山のテーマパークに行くためのものであってピュイ・ド・ドーム山に行くものではないことが運転手の説明により判明。山に行くにはGare du Panoramique des Dôme行きに乗らなければならないようです。といってもそのバスは10分ほど前に行ってしまったばかりで次は約1時間半後。仕方なく国鉄駅で待つことに…。フランスのバスって本当に分かりにくいんですよね。ちなみにこのバスはやや長距離バスですが、市内移動の路線バスと同じ切符で乗れるので事前に券売機で切符を買っておきました。40分ほどでピュイ・ド・ドーム山の麓に到着します。

ピュイ・ド・ドーム山、手前に登山鉄道の線路があります

ピュイ・ド・ドーム山は一帯に広がるシェヌ・デ・ピュイの火山帯の主峰で、クレルモン=フェランを含む県の名称になっています。ちなみにこの山脈に降る雨が火山性の地層に染み込んでできた天然水が、日本でも販売されている「ヴォルヴィック」です。
バスは登山鉄道の山麓駅に到着しますが、景色が良いかもしれないと思い頂上まで登山することにしました。まずは登山道の山麓が登山鉄道駅とは離れているので40分ほど森林の中を歩きます。この日も雲一つない快晴で日差しが強かったのですが、ここまでは森林の間を抜けるので日陰で暑くはありませんでした。しかし登山道に入ると、登るにつれて日陰が減ってきます…。休憩を多くとりながらゆっくりと登りますが容赦なく太陽が照り付け、発汗が抑えられません。しかも結局、頂上付近以外は特段天気が良いわけではありませんでした。まあ日頃運動不足気味なのでたまには良いですね。観光目的であれば迷わず登山鉄道を利用することをお勧めします。
頂上にはまず鉄道の駅に併設された食事処、お土産コーナーとこの山についての展示があります。山麓駅にも同じような展示がありますが、この山でクレルモン出身の哲学、物理等で活躍したブレーズ・パスカルが1648年、水銀柱を山頂に持っていき真空と大気圧の関係を証明する実験を行ったということです。このことから圧力と応力の単位に「パスカル」が用いられるようになり、私たち日本人が台風ニュースでおなじみの「ヘクトパスカル」という単位も生まれました。
山麓からも見える白い尖った構造物は電波塔ですが、その手前にローマ時代の遺跡があります。このブログにも関係のある伝令使メルクリウスに捧げられた壮麗な神殿でしたが、現在は基礎部分しか残っていません。なぜこんなにも破壊されてしまったのでしょうか。後の蛮族がわざわざ山に登ってまで破壊したのか、石材取りに使われてしまったか。でももっと標高の低い他のところに石切り場はあります。ここのところの説明は何も書かれていませんでしたが、いずれにせよ1872年の気象台建設工事の際まで存在は忘れられていたようです。
遺跡の傍に資料館があり、詳細な遺跡の説明と発掘の様子、神殿の復元模型などを見ることができます。今日では基礎部分しか残されていないので、建物自体がどのような設計だったかはいくつかの仮説があるようです。
ローマ時代の神殿に思いを馳せたところで、頂上の遊歩道を一周してみました。東側にはクレルモン=フェランの市街地や黒い大聖堂が遠くに見え、北側から西側には山々が連なっています。パラグライダーで楽しんでいる人々がたくさんいました。やはり標高が高いので風が吹くと若干体感気温が低く、登山時には全く要らなかったウインドブレーカーを着用しました。
さて、下山は鉄道を利用します。インターネットサイトで切符を購入すると10%引きの価格になるのでお勧めです。この鉄道は急勾配を克服するために線路の間に車両側の歯車とかみ合わせるためのラックレールが設置されたラック式鉄道(シュトループ式)です。2012年にリニューアル開業したとのことで、設備や車両は新しいですが鉄道ファンとしてはスイスのように昔ながらの蒸気機関車が良かったななどと思いました。当然ながら何の苦労もなく山麓に到着。景色を見るのが目的ならやはり登山道よりもこちらの方がおすすめです。

今回はオーヴェルニュ地方のロマネスク教会とピュイ・ド・ドーム山についてお伝えしました。今夜、日本に向けて出発します。1か月ほど滞在しますので、お会いできる方はその際を楽しみにしております。
次回はイヴリヌ県庁での滞在許可証更新についてレポートしたいと思います。

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