ヴェルサイユ便り

古楽科オープンキャンパス

22 1月 2020

午前中は様々な科の公開授業が行われました

先週と今週は演奏会続きです。土曜日には今日特集する古楽科オープンキャンパス、月曜日には校内の室内楽演奏会、明日は王室礼拝堂での木曜演奏会です。室内楽演奏会ではテレマンのいわゆる「パリ四重奏」の第6番ホ短調を演奏しました。名の知れた名曲ですが今回は学部生の試験も兼ねているため他のグループも多く、全ての楽章をやる代わりに繰り返しは全カット。繰り返しをカットして演奏するってどうしても抵抗あるんですよね。時間の都合なら楽章をカットして代わりに繰り返しはしっかりやるべきだといつも思います。
私たち以外のグループは今年入ったポーランド人の女の子が一手に引き受けていて、何だか嘱託伴奏員のようでした(笑)。後述しますが土曜日のオープンキャンパスでは自分の協奏曲もあったのにその上よくがんばるなと思いました。それにしても他のチェンバロ科はどこに行ったのでしょう…?

さて、今回は先週土曜日に開かれた古楽科オープンキャンパスの模様をお伝えします。
10月にお伝えしたオープンキャンパスはモダン科も演奏していましたが、今回は古楽科だけのオープンキャンパス。それだけ大所帯ということですね。
ちなみに先日も書きましたが、このオープンキャンパス内の演奏会では今年入学した研究科の学生が1人ずつ協奏曲を披露し、一応形だけの中間試験を受けます。今回はヴァイオリン2人がそれぞれヴィヴァルディの協奏曲、リコーダー1人がテレマンの室内協奏曲、そして前述したポーランド人のチェンバロの女の子がJ.S.バッハのチェンバロ協奏曲BWV1057を弾きました。そうです、あのブランデンブルク協奏曲第4番のチェンバロ版です。オケパートのヴァイオリンは私とパトリックが全て担当しました。
オープンキャンパスの午前中は公開授業となっていて、私たちの午後に向けたリハーサルも公開となりました。私含め生徒たちはいつもの癖でそこかしこの椅子に荷物やら楽器ケースやらを置いてしまっていたので、お客様が増えてくると片づける羽目に…。
リハーサルをしていたのであまり行けませんでしたが、他の部屋でも並行して室内楽や専攻のレッスンが公開で行われていました。休憩の合間を縫って私も少しだけ他専攻のレッスンにお邪魔。こういう機会はなかなかないですものね。
そんなこんなでしっかり昼食をとる暇もなく午後の本番が始まりました。ヴァイオリンの2人はアマチュアなのであまり期待はしていませんでしたが無難にまとめてきてくれました。リコーダーの子とはリハーサルが少ない中で先週の1回のレッスンで細かい指導があったため上出来。トリはチェンバロ協奏曲、あの速くて難しいパッセージ共々素晴らしい演奏を披露してくれました!一方で残念だったのは我々オーケストラ。前日までのリハーサルはたった2回でこの曲をやるにはただでさえ少ないのに、リコーダーとヴィオラ奏者が交代となって本番のメンバーがそろったのは当日だけという始末。あれだけソリストが仕上げてきてくれるなら我々ももう少し準備したかったです。

さて私たちの本番が終わってしばらくすると、金管やオーボエのアンサンブルとより音の小さな室内楽の演奏会が並行して開催されたので私は金管やオーボエのアンサンブルを聴きに行ってみました。ナチュラルトランペット、サックバット(トロンボーンの古楽器)、オーボエがそれぞれバンドを組んでルネサンスからバロックまで様々な曲を披露しました。オーボエはオーケストラによく顔を出すので顔見知りも結構いるのですが、金管の学生ってこんなにいたんだなと初めて知りました(笑)。あとトランペットバンドはもう少し大きな場所で聴きたかったですね。学校の中庭とか。
夜にはもう一つ、ヴィオラ・ダ・ガンバや撥弦楽器主体の室内楽の演奏会がありました。私は午後の本番で疲れが出て、開始まで家で仮眠をとるつもりが本格的に寝てしまい行くことができませんでした…。

日本にはない、専攻も豊富な大所帯の古楽科ならではのオープンキャンパスといった感じでした。これを機に他科とも積極的に交流を図っていきたいなと思いました(もう半年くらいしかありませんが)。

次回は新シリーズ、駿太のこだわりクッキング第1弾です。


モン・サン=ミシェルへの旅(後編)モン・サン=ミシェル

15 1月 2020

夕暮れのモン・サン=ミシェル

今週は土曜日に行われるオープンキャンパスの演奏会準備で大忙しです。今年から研究科(perfectionnement)に入った学生が挙ってコンチェルトを弾くので、数少ないヴァイオリンの学生はフル稼働。昨年一年目だった私は王室礼拝堂で演奏できましたが、今年はそういった機会はなく全員音楽院で演奏するようです。去年入った私は運が良かったのですね。

さて今回は前回の続き、モン・サン=ミシェルについてです。
高速道路を下りて田舎道を走っていくと、海が見えると同時に遠くにあの有名なモン・サン=ミシェルが見えました(私は運転していたので正面に見えた時しか見ませんでしたが)。両親も話していましたが天空の城ラピュタのようですね。遠くから見ても存在感があります。
モン・サン=ミシェル周辺は一般車の通行が禁止されているので、最後までモン・サン=ミシェルを目標地としてカーナビに従ってしまうと通行禁止の道に行ってしまいます。車で行く際は駐車場を目標にしたほうが良いですね。
さて駐車場に車を停め、看板に従って行くと木目調の側面が特徴的なナヴェットと呼ばれる往復バスでモン・サン=ミシェルの麓まで行くことができます。鉄道車両のように両運転台になっているのは折り返すのに便利だからだと思いますが、車内は輸送需要に対してあまり広いとは言えず超満員。景色を楽しみたいなら一本見送って着席した方が良いかもしれません。途中ホテルやレストランにアクセスできる停留所にも止まるので、長く滞在するにも便利ですね。
まずは全景を観察。砂浜と海に面した下層は荒々しい岩肌と堅牢な城壁に守られた市街地、上層は修道院と付属教会になっています。イギリスとの百年戦争時には要塞としての機能を果たし、陥落せず持ちこたえた堅固さが容易に見て取れます。ちなみに厳島神社とコラボして夏頃に設置されていた鳥居は既に撤去済みでした。どこにあったのでしょうかね。
門をくぐって中に入っていくとまずはお土産売り場やカフェ、歴史展示館や秘宝館が並ぶ市街地部分を通ります。まるで江の島のようです。監獄時代のモン・サン=ミシェルを詳しく知りたい方はこうした史料館に入ってみるのも良いかもしれませんが別途入館料がかかります。少し進むと左手にサン=ピエール教区教会があります。私たちは帰り際に寄ってみましたが、素朴で可愛らしい内装の聖堂でした。
やがて無骨な城塞のような修道院の建物が眼前に迫ってきます。階段も多少上りますが特別辛いというほどではありませんでした。例のごとく金属探知チェックがあった後、縦に長い「司祭の間」でチケットの購入やオーディオガイドを借りることができます。この「司祭の間」についての説明書きやオーディオガイドの説明は見学の一番最後にあります。
チケットを提示して見学を始めるとまずは付属教会と修道僧居住棟の間を進む大階段があります。最初から中世の雰囲気満点ですね。海岸を上がりきって「西のテラス」に出ると、大西洋と周りの陸地を一望することができます。修道院と教会の建設に使った石材はここから見ることのできる小島から運んできたのだとか。
教会の西側ファサードはこの部分が火災に遭った後1780年に再建されたもので、かつてのファサード部分は手前の階段と礎石にその名残を見ることができます(こういうネタは個人的にとても好き)。1010年に完成した聖堂の内部は身廊がロマネスク様式で天井は板張り、内陣は1421年に崩壊してしまったため再建されゴシック様式になっていますが、全体的にあまり飾り気がなく素朴な印象を受けました。
順路を進んで行くと有名な「ラ・メルヴェイユ(驚異)」と呼ばれる13世紀に建てられた北側の棟に入ります。なぜ驚異と呼ばれるかというと、この建物は付属教会と違い岩山の上に建てられているのではなく、地盤が遥か下層にありその上に3階建てになっており、なおかつそれが周囲の施設と絶妙に接続されているからです。基本的に建築には石材が用いられるため、これを実現するには高度な強度計算と設計、建築技術が求められることでしょう。一つ一つ部屋を見てしまうと全体像を把握するのはなかなか難しいと思いますが、パンフレットなどにある各階層の図を見るとそれが良く分かります。

美しい回廊

順路上最初に行くこの棟の施設はとりわけ有名な「回廊」で、2列の柱が修道僧の歩幅に合わせて交互に配置されている静謐で美しい空間です。天井には下層への負担軽減のため木材が使用されています。
次は「合同の食事室」ですが、側面の開口部が斜めに開けられており入り口からは見えないようになっているのが何とも見事です。
階下の「迎賓の間」は巡礼に訪れた国王や貴族を迎えるための場所で、天上のヴォールト架構がやや華やかな印象を与えてくれます。
「柱の礼拝堂」は先ほど見学した付属教会の内陣部分の階下にあたります。聖堂は大部分が岩石の上に直接建てられていますが、内陣部分はこの空間によって支えられています。巨木のような太い柱がいくつもあるだけの空間で、この場所で礼拝をおこなうことはなかったようです。
ここから付属教会を挟んで南側へ進むことになります。「聖マルタン礼拝堂」は付属教会の交差廊(内陣の手前の横に長い部分)の正面から見て右側部分の階下にあたります。開口部や装飾はほとんどありませんが、高い天井や窓の開口の仕方に中世建築の技術の粋を見ることができるでしょう。
続いては修道僧の納骨堂。今日では納骨堂としての姿を認めることは難しく、代わりに1820年頃に設置された貨物エレベーターの複製が目を引きます。巨大な車輪の中で収監された政治犯がハムスターよろしく歩き、その動力で下層から荷物を引き上げていたのです。
納骨される死者を弔うための「聖エティエンヌのチャペル」、西側のテラスの階下に位置する「南北階段」を通ると、「修道僧の遊歩場」という空間に着きます。この空間の用途は良く分かっていないそうで、比較的低い天井を持つ縦に長い空間が続きます。
「騎士の間」は「回廊」の階下にあり、修道僧たちが写本を作るなどの仕事場として用いていました。「修道僧の遊歩場」とは一転して天井の高い開放的な空間です。
最後に「司祭の間」へ戻り、土産物売り場を見て終了です。本当はテラスに行けるようですが、16時半で閉まってしまい行くことができませんでした。
17時を過ぎるとちょうど夕暮れ時となり、ライトアップされて美しい島の姿を見ることができました。

さて再び車を運転してカーンへ戻ります。日本のようにガソリン満タンで返却するのですが、ガソリンスタンドのシステムが良く分からない…。説明を読むと、まず建物の中にいる店員にこれからガソリンを入れる旨を告げて、入れ終わったらまた店内で清算するという手順のよう。なんて手間のかかる方式なんでしょう。
その後はカーンの市街地で迷ってしまいあわや列車を逃すかというところでしたが、何とか返却の駐車場にたどり着き列車に乗ることができました。フランスのカーナビって使いづらいです…。と思って携帯でグーグルマップのナビを見ながら行ったらおかしなことになりました(笑)。

次回は今週のオープンキャンパスの様子をお伝えしたいと思います。


モン・サン=ミシェルへの旅(前編)オマハ・ビーチ

8 1月 2020

オマハ・ビーチのモニュメント

皆さま、明けましておめでとうございます。今年はカレンダー上都合がよく年末年始の休暇が長かった方も多いのではないでしょうか。
フランスでは相変わらず国鉄とパリ交通公団のストライキが続いていて、音楽院の夜の授業はパリに帰る人のために早く切り上げられたり、校内演奏会が延期になったりと身の回りでは少なからず影響があります。このストライキが始まってからもう一か月、RERのC線を始め全く列車を運行していない区間が数多くありますが一体いつになったら終わるのでしょう。

さてそんな中、フランスに来た両親と共に年末は色々なところに行きました。その中から今回はノルマンディー地方とモン・サン=ミシェルに行った話をご紹介したいと思います。
モン・サン=ミシェルに行こうとすると列車で行く、レンタカーで行く、バスやバスツアーで行くなど色々な手段がありますが、休暇中は列車やバスの値段が高く3人ではコストがかさむので、色々検討した結果ノルマンディー地方のカーンまで列車で行ってそこからレンタカーで行くことにしました。
ちなみになぜヴェルサイユからレンタカーで行かないのかというと、フランスのレンタカー料金体系は日本と少し違って、基本料金は一日単位で30-40€と安いのですがある一定距離(250kmなど)走るとそこから1kmあたりの追加料金が加算され、長距離を走るにはもの凄く高額になってしまうプランが大半なのです。フランスでレンタカーを借りる際はしっかり説明を読むことをお勧めします…。
そのような訳なので、一人往復20€弱と割と安く列車の切符が取れるカーンまでまずは行く…のですが、ここにもストライキが立ちはだかりました。前日になって予約していた列車が往復とも運休になると分かり、慌てて他の運転する列車を予約。差額分は払い戻されるという説明書きがあったので良かったですが、混雑して予約できなかったら旅行がキャンセルになってしまうところでした。メールでの通知も来ず国鉄のサイトで確認しなければならず、長距離列車を多用する方はストライキ期間中さぞ大変だろうなと思います。
カーンに着き、予約していた駅前のレンタカー窓口で手続きをします。今回利用したのはAVISという会社で、フランスでは大手の一つでフランス国鉄と提携しており、列車と一緒に予約すると特別料金が適用されたりします。初めてなので手続きが上手くできるかどうか少し心配でしたが、少し説明と書類にサインをするだけで簡単に借りることができました。一方で残念だったのは車種。予約する時に画面に表示されていたのはFIATの500で、私は一度この小さくてかわいい車を運転してみたかったのですが渡された鍵はPeugeot。「FIATじゃないんですかー?」と店員のお姉さんに言ってみましたが「Peugeotの方が広くて良いでしょ」と笑顔で言われてしまいました(笑)。事前に3人で乗ることを申告していたわけではなかったので単に配車の都合でしょうね。というかそもそもFIAT500相当クラスの予約というだけでFIAT500が指定されているのではなかったのだと思います。
そんなこんなでやや広めのPeugeot(残念過ぎて車種も覚えていません)で発進。事前に一応フランスの交通法規は勉強しましたがいざ走ってみると意味不明な標識や信号機があったりで特にカーンの市街地は中々スリリング。パリじゃなくて良かった…。
ちなみに私の運転免許証はどうなっているのかというと、学生は制度上フランスの運転免許証に切り替えができないので、在仏日本大使館で用意してもらった翻訳書類と日本の運転免許証で運転しました。国際免許証でも良いのですが日本にいた時はフランスで運転するつもりはなかったので申請していませんでした。
カーンの市街地を出て、直接モン・サン=ミシェルに向かっても良いのですがせっかくなので少し寄り道。今回カーンを起点にしたのは、昨年オーケストラの仕事で来た際に行くことができなかった第二次世界大戦の激戦、ノルマンディー上陸作戦が行われた浜辺に立ち寄るためでもありました。特に近代史や軍事のマニアというわけではありませんが、歴史を知る上で一度訪れておこうと思ったのです。
連合軍による上陸作戦が行われたノルマンディーの浜辺はいくつもありますが、今回は米軍の上陸地点で有名なオマハ・ビーチに行ってみました。高速道路を下りてしばらく田舎道を走ると、海岸沿いに建つコンクリート製の碑の近くに駐車場を見つけたので車を停めました。
のどかで人気のない静かな浜辺、コンクリート製の碑の裏側には写真のように現代アートのようなモニュメントがありました。これは何を現しているのでしょう…?この地に倒れた兵士たちの魂が昇っていく様でしょうか。周りを見渡してみると、海から陸地に到達するまで浜辺の距離がかなりあり、遮蔽物のない中で丘にあるドイツ軍の陣地から放たれる銃弾をかいくぐって突撃するのはかなり困難であったことが容易に想像できました。しばし黙祷。
近くにいくつかある戦争博物館は全て冬季休業のため入ることができず、あまり時間もなかったので近くのレストランで昼食をとった後本来の目的地モン・サン=ミシェルを目指すことにしました。このレストランもこんな過去がなければ外部から客など来なかったのかもしれませんが、特に夏季は当時を偲ぶ観光客や戦没者遺族が集まって繁盛するのかなと思いました。

次回はいよいよモン・サン=ミシェルのレポートです。


モンパルナスとクレープ店街

18 12月 2019

クレープ店が競い合う2つの通り

先週の木曜演奏会ではド・ラランド作曲による王のための器楽組曲をいくつか演奏しました。トランペットとティンパニ、太鼓も入り大変華やかな響きでした。ド・ラランドの器楽曲は当アンサンブルが2015年の「太陽王の愛した舞踏と音楽」で演奏した「第2ファンタジーまたはカプリース」を始め旋律とバスのみで今日に伝えられているものが多く、オーケストラで演奏する際は内声パートの補完が必要になります。今回使用した楽譜はヴェルサイユバロック音楽研究センターの楽譜編纂責任者で研究家のトマス・ルコント氏と、ヴェルサイユ地方音楽院の室内楽教師でチェリストのフランソワ・ポリ氏の補筆によるもので、私が担当したのはオート・コントルでしたがいずれも当時の書法を研究しており、十分に旋律的でよく仕上がっているものでした。先日行ったアンサンブル・コレスポンダンスの演奏会でもルコント氏補筆の「第2ファンタジーまたはカプリース」が演奏されていましたし、各氏を始めとした補筆版でこれらド・ラランドの名曲が日本で聴ける日も近いかもしれませんね。
金曜日にはパーセルの「妖精の女王」の最後の演奏会があり、これで本年の演奏会は終了になりました。学生のアマチュアのためのオーケストラで前回の演奏会から日が開いたこともあり完成度は今一つ。帰りの車の中では「まあ教育目的のオーケストラだから…」とパトリックが漏らしていました。

さて、今回の特集はモンパルナスについてです。
昨年から今年の春にかけては語学学校に行くため平日はほぼ毎日通っていましたが、あまり周辺を散策することはありませんでした。クレープ店街で有名なことも知っていましたが一人で入る気にもなれず、知人と2軒ほど入った以外はまったく知らないまま。今回思い立って改めて行ってみました。
とはいうものの現在もストライキ真っ最中。まずはヴェルサイユシャンティエ駅からN線の朝の最後の電車を捕まえる…はずが運よく近郊電車TERが来たので乗車。過去にも書いたかもしれませんがTERか無停車の快速電車に乗れると13分でモンパルナスに着けるので、ヴェルサイユから一番早く着けるパリの駅がモンパルナスなのです。
10時前に着いてしまいまだクレープ店が開かないのでまずは駅の中を探索。語学学校に行っている期間はずっと工事をしていたのですが、最近になって1、2階にカフェやブティックが整備されました。普段なら賑わいを見せるのでしょうが、朝の運行時間が終わり国鉄、メトロともに夕方まで列車がなくなって駅舎内は閑古鳥が鳴いていました…。
正面から駅を出るとガラス張りのビル、モンパルナスタワーがそびえています。高さ210m、日本人の感覚からすればそんなに飛びぬけて高いビルではありませんが、歴史的建造物が多いパリ市内では最も高いビルで、長らくフランスで最も高いビルでしたが2011年に増改築されたデファンス地区のトゥール・ファースト225mにその座を奪われたそうです。
オフィスビルですので観光客が行けるのは展望デッキ、テラスと56階のレストラン「ル・シェル・ド・パリ」だけです。展望階に行くための入場料は18€…これ高くありません?ルーヴルよりも高いですよ?しかもパリ・ミュージアム・パスも適用外。
というわけで、取材のために入ろうかと一瞬思いましたが特段興味もないのでやめました(笑)。いつか行ったら追記します。
タワーの横には同じようなガラス張りのデザインのショッピングセンターであるギャラリー・ラファイエットがあります。こちらも入ったことがなかったので今回入ってみましたが、何の変哲もないショッピングモールでした。ちなみに有名なギャラリー・ラファイエットはオペラ地区にある本店です。
そうこうしているうちに良い時間になってきたのでクレープ店街へ。クレープ店が集中しているのはモンパルナスタワーの東、オデッサ通りとモンパルナス通りです。なぜモンパルナスにクレープ店が多いのかというと、モンパルナス駅がブルターニュ地方からの鉄道の終着駅であったため、駅周辺にこの地方の人々のコミュニティが出来ていったからです。数あるクレープ店の中で特に有名なのがモンパルナス通りにあるジョスランというお店。いざ行ってみると!あれれ、シャッターが下りている…ドアの張り紙を見ると、水曜日と日曜日に営業…と。普通逆じゃないですか?あるいはこれもストライキの影響か。
2軒隣にプティ・ジョスランというお店がありこちらは営業していましたが、せっかくなので本家ジョスランに行きたいなと思い今回は別のお店にすることに。インターネットの事前調べで評判が高かったオデッサ通りの「マノワール・ブルトン」へ入店しました。
ガレット、クレープ、飲み物のランチセットが9.90€でお得だったのでこれを注文。ガレットはラタトゥイユ(南仏の野菜炒め)とハム、チーズが入った「プロヴァンサル」、クレープはクレープ生地にチョコレートがかかっているだけのシンプルな「ショコラ・メゾン」、飲み物は王道のシードルにしました。ガレットはこのセットで選べる「プロヴァンサル」以外の2つは私の苦手な卵が入っているものだったので他に選択肢がなかったというのが実情…。
ここでガレットとクレープの違いを少しご紹介。一般的にガレットはそば粉を原料とし、肉、卵、野菜、チーズなどを包んだ物が多く、クレープはガレットから派生したもので小麦粉を原料とし、チョコレート、生クリーム、フルーツなどを包んだ(載せただけのことも多い)物を差します。ガレットは主食、クレープはスイーツという認識で概ね良いでしょう(逆のパターンもあります)。これらを出す店を「クレープリーCrêperie」と言いますが、なぜ本流であるはずのガレットリーではないのでしょうね。
注文してしてからあまり待たずに早速ガレットが来ました。このラタトゥイユが包まれた「プロヴァンサル」、とても美味しかったです!家でも何とか作れないかなと思い中身を調査してみましたが、ラタトゥイユ、ハム、チーズだけでラタトゥイユと生地さえ用意すれば簡単にできそうでした。
続いてクレープ。チョコレートがかかっただけのシンプルなものですが、ガレットと通して食べ終えてみるとかなり満腹になりました。ガレット、クレープって見た目は薄くて軽そうですが結構ボリュームあるんです。結構食べる方の私がこのような感想を持ちますから、少食の方はどちらか一方にした方が良いかもしれません。
クレープを食べ終わった後はコーヒーを店員に勧められ、大概は注文すると思いますがまだシードルが残っていたので今回は遠慮することに。

さて、シードルでほろ酔いになって店を出ると時刻は14時少し前。N線は16時半まで列車がなく2時間半何かをして待っても良かったのですが、せっかくなのでどうにかして帰る方法を探し出す冒険をすることに。バス、メトロ、トラムを駆使して何とか16時頃にヴェルサイユに帰ることができました。ただモンパルナスから乗車したバスが超満員で所要時間も伸びており、気分がやや悪くなりました…。移動できないことはありませんが、やはり無理せずに列車が動く時間まで待つほうが良いなと思いました。
このストライキ、クリスマス期間も停戦はないと労働組合は発表しています。私は日頃ヴェルサイユにいるので影響はあまりありませんが、毎日通勤通学でパリを移動している方々には本当にお疲れ様と言いたいですね。一体いつまでこの状況は続くのでしょうか。

次回はアップロードの都合により新年1月8日になります。休暇中に訪れるモン・サン=ミシェルを特集したいと思います。皆さま良いクリスマスと新年を!


大規模ストライキとデモ

11 12月 2019

国鉄ストライキでがらんとしたサン=ラザール駅

先週の日曜日は王室礼拝堂でセバスチャン・ドーセ率いるアンサンブル・コレスポンダンスのド・ラランドのグラン・モテを聴きに行きました。王室礼拝堂でのド・ラランドはもうただただ至福の時間!ミゼレーレやディエス・イレといった葬礼のためのモテを中心に構成されていてとても重厚感のあるプログラムでした。
さらに昨日は王室歌劇場でクリストフ・ルセ率いるレ・タラン・リリクのリュリ「イジス」をコンサート上演で観ました。ルセとそのオーケストラは今回生では初めて聴きましたが、優雅さと繊細さが特徴のアンサンブルですね。リュリの音楽の素晴らしさは言うまでもありません。先日の「カドミュスとエルミオーヌ」でも思ったのですが、リュリの悲劇って通して観劇すると5幕の最後にすごくこみあげてくる感動があるんです。舞台装置や衣装があればなおさらなのでしょう。ところで20時に始まり、終わったのが23時半頃だったのですが、観客や出演者、スタッフの皆さんは無事家に帰れたのでしょうか…。

さて今週は、現在パリを震撼させているストライキについてお伝えします。
マクロン大統領が掲げている年金改革政策への抗議で、先週5日からフランス各地でストライキ、デモが盛んに行われています。初日であった5日には警察、消防、病院、教育機関までストライキを行いました。公共性の非常に高いこれらの組織がストライキをするって日本人の感覚からするとかなり異常なことですよね(もちろん緊急時には対応を行ったそうです)。その他電力、運送、航空など参加した会社は挙げればきりがありません。
もちろん常日頃からストライキを頻発しているフランス国鉄SNCF、パリ交通公団RATPもストライキを実施しているのですが、これらが異常なのはこのストライキが「無期限」であること。つまり何らかの譲歩を引き出せない限り終わらないということです。間もなく一週間を迎える今日も実施され続けています。当然市民の通勤事情にも深刻な影響がありますが、私の友人の一人は先週2日間は自宅勤務「テレ・トラヴァイユ」できたと言っていました。
幸いこの一週間の私の活動はヴェルサイユのみでしたのでほとんど影響を受けませんでしたが、パリに住む同僚や演奏会に来るお客様方は大変。車に皆で相乗りしたり、あるいは何時間もかけて歩いたりして対処しているようです。5日には王室礼拝堂で木曜演奏会があり、ヴェルサイユ宮殿も閉鎖される中誰も聴きに来ないのではと心配していましたが、通常の7割くらいのお客様が来てくれました。殆どヴェルサイユ市民なのかもしれませんね。ありがたいことです。
ヴェルサイユの街は至って平和、一番アクセスのよいRERC線が全面運休のためか日頃宮殿へ押し寄せる観光客も減っているようで何だか静かです。それでもヴェルサイユ・リーヴ・ドロワト駅を発着するL線は本数は減っているものの日中も列車があり、ヴェルサイユ・シャンティエ駅を通るN線は朝と夕方、夜のみですが運行しているので、ヴェルサイユ観光を考えている皆様はどうか諦めずに、これら2線のスケジュールを確認の上いらっしゃってくださいね。またパリのポン・ド・セーヴルとヴェルサイユを結ぶ171番のバスも本数は少ないものの運行しています。なおヴェルサイユ周辺のバスについてはフェービュスというパリ交通公団とは別の会社が運行しており、こちらはストライキを行っておらず日頃と変わりなく運行しています。パリのticket+やナヴィゴで乗車できるので、宮殿から遠くの駅に着いてしまってもすぐにアクセスできますよ。
と、このままでは「ヴェルサイユは平和です」という記事で終わってしまうので、昨日パリへ用事を済ませに行ってきました。
本数が比較的多い朝に出発、最初の目的地はエトワール凱旋門近くにある日本大使館。ヴェルサイユ・リーヴ・ドロワト駅からL線でまずはデファンスを目指します。普段このラッシュ時間帯にこの線に乗車することはないので通常と比べてどうかは何とも分かりかねるのですが、2駅くらい進むと車内は日本の通勤電車よろしく超満員。その後の駅では列車に乗車できずホームに溢れた人たちが各駅で見られました。おそらく本数削減になっていることと無関係ではないでしょう。メトロやバスでもそうなのですが、フランス人はどうもドア付近に溜まりあまり車内奥に進もうとせず、また自分たちが鮨詰めになることを非常に嫌がります。天下に名高い混雑路線、東急田園都市線沿線民であった私としては「あと5人は乗れるのにな…」とか思ってしまいますが、積極的に次の電車を待つフランスの方が良いのかもしれません。
そんなこんなで、混雑はあったもののおおむね時間通りにデファンスに到着、ここからRERのA線でエトワールまで乗ります。ホームに既に列車がいたので何の苦も無く乗車することができましたが、こちらも本数削減が行われ日中は運休。
大使館の開館と同時に手続きを済ませ、A線で次の目的地オペラ周辺へ。朝の最後の列車を何とか捕まえることができました。駅にあるバス案内の電光掲示板は軒並み「保証なし」、つまりいつ来るか分からないということです。シャルル・ド・ゴール空港へアクセスするロワシー・バスも同様で、乗降場にも行ってみましたが明確な案内はありませんでした。でも道路上には結構バスを見かけましたので、各線とも一応走ってはいるようです。
オペラ周辺で用事を済ませてヴェルサイユに帰るにあたり、14番線のメトロでサン=ラザール駅を目指します。メトロは全面閉鎖される路線も多い中、1番線と14番線は自動運転のためストライキの影響を受けず通常運行しています。この2つをうまく利用することがストライキ中のパリ移動でカギになると思いますね。
あとはサン=ラザール駅からあらかじめ予定されていたL線の列車でヴェルサイユへ帰ることができました。いつもひっきりなしに列車が往来する大ターミナル駅も写真の通り。長距離列車もかなり運休になっているようです。

こうしたストライキと並行して、5日、7日、昨日10日とパリで大規模なデモが行われ、商店が閉鎖したり警官隊が大規模に展開するなどしています。危ないかもしれないので、パリに来た際にデモが行われていたらなるべく近づかないようにするのがおすすめです。
以上のような現況ですので、近日パリを訪れる方はフランス国鉄、パリ交通公団の公式サイト(英語あり)で発表される最新情報をよくご確認の上、最大限観光を楽しんでくださいね。
次回はモンパルナスのタワーとガレット店街についてご紹介します。


ヴェルサイユ宮殿スペクタクルのレビュー

4 12月 2019

来年創立250周年を迎える王室歌劇場ではアツいプログラムが目白押し

今日の最高気温は4度、いよいよ寒さが身に染みる季節になりました。宮殿周辺や私の住んでいる通りでは今週からイルミネーションが始まり、通りゆく人々の心を温めてくれます。
そんな中、ヴェルサイユ宮殿では連日アツいスペクタクルが催されています!今回は先月下旬から今週にかけて行った5つのオペラ、演奏会をまとめてレビューしたいと思います。

まずは11月20日、王室歌劇場でエマニュエル・アイム率いるル・コンセール・ダストレのグラン・モテ。ラモーの「主が連れ帰ってくださった時In convertendo Dominus」、モンドンヴィルの「イスラエルの民エジプトを出でIn exitu Israël」、そしてカンプラのレクイエムという超激アツなプログラム。これはもう行くしかないですよねー。エマニュエル・アイムは業界ではまだまだ少ない女性指揮者で、このアンサンブルを生で聴いたのは今回が初めてでしたが、デビュー時のラモー「イポリトとアリシ」の素晴らしい上演の映像は随分前から知っていました。
ラモーの「主が連れ帰ってくださった時」はあの1曲目がもう最高に良いんですよね。弦楽器とフルートが織りなすあの絶妙な色合い…。これこそラモーの成せる業といった感じです。このオーケストラもしっかり表現してくれました。モンドンヴィルの「イスラエルの民エジプトを出で」は今回初めて聴きましたが、この作品はすごい!特異な調性の使用、劇的な歌詞を表現するためのオーケストラの効果音、最初から最後までモンドンヴィルの世界に引き込まれました。オーケストラパートも難易度の高い箇所が多かったように思いましたが、弦楽器奏者たちが果敢に挑んでいて効果は抜群。カンプラのレクイエムは6月に私たちも演奏したので記憶に新しい所ではありますが、研究センターの指揮者オリヴィエ・シュネーベリとは当然違う味付けでまた新鮮でした。
さて続いてはその翌日、王室礼拝堂での木曜演奏会を終えた後に行ったエルキュールの間での演奏会。リュリとその後継者のオペラで活躍したオートコントル歌手ルイ・ゴラール・デュメスニーLouis Gaulard Dumesnyへのオマージュを捧げたプログラムで、ベルギー人テノール歌手レヌー・ファン・メシュレンReinoud Van Mechelenが彼のアンサンブルを率いて歌い通すリサイタルでした。エルキュールの間での演奏会は年に数回あるのみで、主に室内楽や歌手のリサイタルが行われています。あの息をのむほどの装飾が施されたルイ14世渾身の作であるエルキュールの間での演奏は雰囲気からしてもう格別。
演奏の方はというと、オーケストラは力強いバスラインが特に素晴らしくて申し分ないのですが、当のメシュレンは…どちらかというとタイユ寄りで、オートコントルにしてはやや声が重いかなと個人的には思ったのと、レシタティフは「歌う」のではなくもう少し個々の言葉を「語る」方が良いかなと思いましたが、一緒に聴いていた研究センターの歌手たちは絶賛していたのでそうでもないのかもしれません。プログラム構成はリュリとその弟子のコラス、デマレ、シャルパンティエの悲劇の名場面集といった感じでした。個人的にツボだったのはアンコールでカンプラの「優雅なヨーロッパ」スペインの冒頭の素晴らしいパッサカーユを用意してくれたこと。あの作品は悲劇ではないのでこの演奏会には取り入れなかったのかなと思っていたところでの演奏だったので、これはとても嬉しかったです。
3つ目は24日に行った王室歌劇場でのカヴァッリ作「エルコール・アマント」の舞台上演。ルイ14世の宰相マザラン枢機卿の下イタリア・オペラをフランスに導入しようとカヴァッリをパリに招聘して制作、1662年に上演された記念碑的な作品です。演奏はラファエル・ピション率いるピグマリオン。3時間半の長大な作品ですが、あまり上演されないだけに詳細なあらすじがインターネットでも見つけられず、結局良く分からないまま観劇してしまったのを後悔しました。パンフレット買えばよかったですね。演奏は素晴らしいかったのですが、演出が個人的にはあまり好みではありませんでした。喜劇なので突っ込みポイントを作るのは良いけれど、真剣な場面でもちょくちょく変な笑いのポイントを作ってしまっていて何だか気が散るし、あとヴィーナスがピンクの気球(のような飛ぶ何か)を操縦しながら降りてきたり、ネプチューンが金色の潜水艦から出てきたりと音楽の雰囲気とはあまりに不釣り合いな現代的要素があるのもマイナスポイント。まあでもこの作品を舞台上演で観劇できる機会はそうそうないので、その点では満足でした。
4つ目は26日のリュリ「カドミュスとエルミオーヌ」の王室歌劇場でのコンサート上演、演奏はヴァンサン・デュメストル率いるル・ポエムアルモニーク!同じ作品の照明、衣装共に上演当時をできるだけ再現した上演映像はもうただ素晴らしいの一言で、コンサート上演なのは少し残念ですが是非生で聴きたいと思いました。上演前にはヴァンサンの「15分解説」にも行くことができ、オペラ上演のこと、発音のことなど色々な話が聞けました。演奏は勿論一級品。どうしたらあのサウンドが実現できるんでしょうね…。プロローグと5幕の長大な作品ですがあっという間に終わってしまいました。もっと聴いていたかった。
最後は昨日12月3日のジャン=バティスト・ロバンの王室礼拝堂でのオルガンリサイタル。ロバンは私の所属するヴェルサイユ地方音楽院のオルガン講師でもあります。王室礼拝堂のオルガンは日頃の木曜演奏会でパリ国立高等音楽院のオルガン専攻生により演奏が行われていて何度も聴いたことがあるのですが、ロバン先生の演奏ということで今回改めて聴きました。ルイ・マルシャンやジャン=フランソワ・ダンドリューの「プラン・ジュPlein Jeu(満ちた演奏での意)」の楽章は奏者と共にヴェルサイユ王室礼拝堂のオルガンの本領発揮というところ。もうこれに慣れてしまったら他で聴く気なんて無くなってしまうくらい、威厳と品格が溢れた響きです。一方でロバン先生自作の曲も1曲披露されました。難解すぎて一般的にはやや不快な現代作品(愛好家の方々申し訳ありません)というわけではありませんでしたが、やはり前後にこのオルガンと空間により適した古い作品が並んだだけに、個人的には古い作品が好みだなと思いました。あとオルガンリサイタルながらトランペットとパーカッションが加わり、リュリの「町人貴族」でのトルコ人行進曲やド・ラランドの「ヴェルサイユ大運河のためのコンセール」なども聴くことができました。

来年2020年はヴェルサイユ王室歌劇場創設250周年にあたり、特にオペラは昨年度よりも興味深いプログラムが多くラインナップされています。今後も少しずつこのブログでレビューしていきたいと思います。
次回は今週末フランスを震撼させる?予定のストライキ&デモについてお伝えしたいと思います。


パリ・シテ島編④コンシェルジュリー

27 11月 2019

マリー・アントワネットも散歩したであろう女たちの庭

先週から今週にかけてヴェルサイユ宮殿では見逃せないスペクタクルが連日目白押し。私は合計4つのオペラ、演奏会に行ってしまいました!木曜日には自分が出演する木曜演奏会もあり、出演者から聴衆へ早変わり。そのまま出演できればいいんですけどね…。

さて今回はシテ島編の続きとして、コンシェルジュリーのご紹介をします。
コンシェルジュリーは3つの丸い塔と1つの四角い「時計の塔」を持つ、バロック様式の建物が多い周辺ではひときわ目を引くゴシック様式の宮殿です。王がシテ宮殿から居城を移した後、王によって宮殿の管理を任された管財人のことを「コンシェルジュ」と呼び、次第にその名が建物の名前となっていきました。ここにはその堅牢な構造から高等法院や革命裁判所と牢獄が置かれ、牢獄は激動の革命期を経て実に1934年まで使用されていました。よってこの建物は宮殿としてよりも牢獄として有名であり、マリー・アントワネットを始めフランス革命期の多くの囚人を収容したことで知られています。
パレ通りに面した時計の塔にはその名の通り壁時計があり、オリジナルではないものの1585年製の時計が今も動いています。雨ざらしですがよく手入れしているようで、青地に金の装飾が目を引きます。
時計の左手から入場ができます。さすがといいますか、ここにも入り口には空港のような手荷物検査場があります。まず最初は半地下のようになっている巨大な空間、衛兵の間からスタートです。フィリップ4世治世下の1302年に完成した空間で側面に4つの大きな暖炉を持ち、柱から伸びたリブが交差しあうヴォールト架構になっています。日頃はがらんとしているのかもしれませんが、今はちょうど「マリー・アントワネット~その像の変貌~」展が開催されていて、スペースはほぼ展示で埋め尽くされていました。マリーの服飾、書簡から彼女を題材とした絵画、映像作品に至るまで多角度からその姿に迫る展示となっていますので、マリーが好きな方は行ってみてくださいね(ちなみに私は特段マリーが好きというわけではないです)。
順路の次の部屋は厨房で、ジャン2世の治世化に設置されました。この辺りは中世の宮殿の雰囲気を味わえる空間ですね。部屋の角に調理場と排煙設備があり、天井は同じくヴォールト架構です。シテ宮殿の昔の様子をCGで再現している映像が流れていて中々興味深いです。
衛兵の間へ戻り入り口から見て奥へ進むと、警備の間と「パリ通り」があります。警備の間は衛兵の間と同じ役割を担う部屋ですが、より小さくかつて上部にあった大広間への控えの間となっています。「パリ通りLa rue de Paris」は縦に長い空間で元々は衛兵の間の一部でしたが、後に仕切られて最も身分の低い囚人であるパイユーが収監される、わらが敷かれたのみの雑居房となっていました。ちなみに「パリ」は町の名前ではなく死刑執行人として知られたムッシュー・ド・パリから取られた名前とのこと。周囲に窓はなく日が当たらない雑居房は非常に不衛生で病気が蔓延する酷いものでしたが、今日ではそんな過去はどこへやら、お土産売り場になっています。
「パリ通り」を抜けると、左右に格子で仕切られた小部屋がありいよいよ牢獄といった感じです。それぞれ囚人を登録する書記、牢獄の所長、囚人の収監前に断髪を行うための部屋だそうです。右手の順路ではフランス革命とコンシェルジュ牢獄を紹介する展示を見ることができます。収監されるのも有料であった当時は前述したパイユーと、ピストリエ、プリゾニエ・ドゥ・マークという3つの階級で生活環境が全く異なり、パイユーはベッドすらなくわらが敷かれた房で家畜のように扱われ、中流階級のピストリエでも簡易ベッドが置かれただけの雑居房であったのに対し、マリーを始めとした富裕層プリゾニエ・ドゥ・マークは独房で家具を入れることができるなど比較的快適な生活ができたようです。
階段を上がると「名前の部屋」と呼ばれるフランス革命期に収監された四千余名の人物の記録を見ることができる部屋があるのですが、何故か私が行ったときは閉鎖されていて、隙間から壁にたくさんの人名が書かれていることだけ確認できました。廊下には3つの独房がありますが、これは革命200周年の1989年に復元されたもののようです。しかしそれでも当時の獄中生活の過酷さを容易に想像することができます。奥の部屋では革命と裁判所についての展示があります。共和政を守るという名の下設置された公安委員会は恐怖政治を行う独裁機構となり、敵対する勢力を政治犯として次々と裁きましたが、やがて独裁からの解放を願った市民のうねりからロベスピエールらも処刑され、公正な裁判所への刷新が行われました。
階段を降りると礼拝堂があります。元々は王のための礼拝堂でしたが牢獄になってからは囚人のための礼拝堂となり、フランス革命期にはここすらも雑居房になっていました。奥にはマリーが使用していた独房の1つである贖罪礼拝堂があります。革命後、ルイ18世によって修復が行われたとのことですが、近年また修復されたようで事前に見ていた写真の様子と全く違いました。黒い壁面に白い火の玉?のような小さい模様が描かれています。今回掲載した写真の「女たちの庭」は礼拝堂の外にあり、女性囚人の散歩と洗濯のために使われていました。散歩をするにはあまりに小さい中庭ですが、マリーもここで少しは気晴らしができたことでしょう。

マリー・アントワネットが最後の数か月を過ごしたコンシェルジュリー、彼女の足跡を辿りに是非足を運んでみてくださいね。
来週はこの頃ヴェルサイユで鑑賞したスペクタクルをまとめてレビューしたいと思います。


パリ・シテ島編③サント=シャペル

20 11月 2019

息をのむ美しさの上層礼拝堂

先週は王室礼拝堂の木曜演奏会と、学生オーケストラによるパーセルの「妖精の女王」の演奏会がありました。木曜演奏会はヴェルサイユの研究センターの子供たちによる合唱とのアンサンブルで、シャルパンティエとモランによるプティ・モテのプログラム。今年はメンバーが入れ替わったのか、昨年いたびっくりするくらい上手い女の子たちがいなかったのが少し残念でしたが、それでも10歳くらいの少年少女が立派に独唱をやっている姿は素晴らしいの一言です。
学生オーケストラの方は今回はややリハーサルが少ないのが心配でしたが、パトリックの安定した指揮で無事1回目の本番が終了。今週と来月にあと3回本番があります。

さて今回からは先月書いたパリのシテ島編の続きとして、サント=シャペルとコンシェルジュリーについてご紹介します。
フランスに来てからというもの、今まで様々な宮殿や聖堂に行ってきましたが、何故かこの2つだけは今まで手付かずのままでした。何でもシテ島周辺はいつも観光客だらけで治安もあまり良くないし、いつでも行けると思っていたらノートルダム大聖堂の火災があってしばらく付近が封鎖されてしまうしで…でも今回、特にサント=シャペルは行って良かった、なぜもっと早く行かなかったのかと改めて思いましたね。
シテ島の歴史は非常に古く、紀元前から人が生活しておりその後ローマ人の征服により都市が発展するとこの地に宮殿と行政機関が置かれました。その後フランク王国となりシテ宮殿が建設され、シャルル5世がより安全な居城を求め移住してからは財務監督、裁判所、牢獄が置かれるようになりました。ちなみにこのシテ宮殿にはとても長い歴史と数多くの事件がありますので、ここでは省略いたします。
現在シテ宮殿の建物で現存しているのは今回紹介する2つで、これらはフランスに現存する最古の王宮施設になります。コンシェルジュリーが10世紀にカペー朝を開いたユーグ・カペーによって整備、サント=シャペルが13世紀に聖王ルイ9世によって建てられました。

どちらから行っても良いのですが、前回予告したのでまずはサント=シャペルから。
サント=シャペルは1248年に完成した聖堂で、最も重要な茨の冠の他キリストの受難に関する聖遺物を保管する聖堂として建設されました。ちなみに茨の冠はビザンツ帝国(東ローマ帝国)の皇帝から購入したもので、その費用はシャペルの建設費用に匹敵したそうです。しかしそれは単なる王の物欲によるものではなく、これによってキリスト教世界でのパリの地位を一気に引き上げる意図がありました。現在、聖遺物はノートルダム大聖堂保管となっており、火災の際も無事運び出されたそうです。
聖堂にアクセスするには裁判所の門の横にあるパレ通りに面した入り口から入ります。裁判所に隣接する形で少し奥まった立地のため聖堂の姿を探しながら行くと少し迷ってしまうかもしれません。入り口付近には空港のような手荷物検査場があり、チケット売り場は聖堂の入り口にあります。
まずは外観を観察。とにかくステンドグラスの面積が大きいのと、トレーサリー(装飾的な枠組み)が極度に細いのが分かります。レヨナン式ゴシックと呼ばれる繊細な装飾が見所です。小ぶりでこれまた繊細な装飾を持つ尖塔はフランス革命時に破壊され、19世紀に再建されたもの。聖堂正面は特段凝った装飾があるというわけではありませんが、とても大きいバラ窓が目につく所でしょうか(この真価は内側から見たとき分かります)。入り口ではイエスを抱えたマリア像が出迎えてくれます。
この聖堂は上下2層に分かれており、上の礼拝堂が王や身分の高い者のため、下の礼拝堂が王家の使用人のための聖堂で、上の礼拝堂へはシテ宮殿から伸びる通路で直接行けるようになっていました。
まずは下の礼拝堂から見学。格下の礼拝堂とはいえ鮮やかな彩色が施されています(現在見られるのは19世紀の修復によるもの)。脇にある柱には青地に金のフランス王家の紋章と、もう一方は赤地に金で塔の紋章があしらってありますが、これはルイ9世の母の血統であるカスティーリャ王家の紋章だそうです。
その他奥の左手に13世紀のフレスコ画や、周辺から出土した壁の欠片なども置いてありますので上の礼拝堂に行くのを焦らずにチェックしてみてくださいね。
さて下の礼拝堂を見終わったら階段で上の礼拝堂へ。到達した瞬間、あまりの美しさに言葉を失うほどです。この日は雨で外から差し込む光は決して多くありませんでしたが、それでもとにかく聖堂内が光り輝いていました。もうこれは言葉で言い表せないので、是非実際に来て体感してみてください。キリスト教徒であればなおさらのこと、そうでなくても誰もが心洗われる空間だと思います。
正面から見て左から右に15のステンドグラスで、1113の聖書の場面が描かれています。詳しくはオーディオガイドを聞きながら見ると良いと思いますが、一番最初の創世記の場面などは何となくわかります。
ステンドグラスの間の柱の根本には12使徒の像が置かれていて、ペテロ像を始め幾つかは13世紀中頃のオリジナルとのこと。ステンドグラスを鑑賞して首が痛くなったら是非これらの像も見てください。
奥にはこの聖堂の主役である聖遺物を保管するための構造物があり、高壇の金の聖遺物箱の中にかつては保管されていました。ところでこの大きい壇があるために、中心にあって全ステンドグラス中最も重要な受難の場面が半分ほど見えないのですが..まあ実物の方が重要ですものね。
後ろを振り返ると先ほど外側から見た大きなバラ窓の真価が分かります。題材はヨハネの黙示録で、中央にキリストが描かれています。もっともこれは完成当初はなかったもので、15世紀に追加されたものだそうです。
こんなに素晴らしい聖堂も、フランス革命期にはただの事務所として使われ、せっかくのステンドグラスも整理棚が手前に置かれその魅力はすっかり忘れ去られていました。ただそのために破壊を免れ、今日こうして私たちが見ることができるのは数奇な運命ですね。

そんなわけで、パリに来たら絶対に!この聖堂へ足を運んでみてくださいね。
次回はコンシェルジュリー編をお送りします。


フランス南西への旅③バイヨンヌ、ポー編

13 11月 2019

非常に高い天井を持つサント・マリー大聖堂

今週から今年度のオーケストラプロジェクトや王室礼拝堂の木曜演奏会が動き出しました。9月にこちらに帰ってきてほぼずっと一人で練習していたので、やはりオーケストラや合唱はいいなとつくづく思いながら弾いています。

さて今回はフランス南西への旅最終回、バイヨンヌとポー編です。
この日は祝日の11月1日でしたので博物館系は軒並み休館。滞在時間もあまり取れなかったのでざっと見るにとどめました。
バイヨンヌは古くから軍事的に重要な拠点となっていて、町は城壁と城塞、2つの川によって防御の構えを見せています。支流のニーヴ川を挟んでシャトー・ヴュー(古い城)がある方をグラン・バイヨンヌ、シャトー・ヌフがある方をプチ・バイヨンヌと呼びます。2つの城は古い方が11世紀、新しい方が13世紀と何れも古い城ですが、あくまでも防御のための要塞であって飾り気のない無骨な外観となっています。内部は双方とも公開していないようです。
グラン・バイヨンヌにあるサント・マリー大聖堂は見どころの多い聖堂です。13世紀から建築が始まったゴシック聖堂ですが、特筆すべきはその天井の高さ。掲載の写真で見ていただければお分かりの通り、何だか縦に引き伸ばしたように見えますが特に写真の加工はしていません。祭壇の後ろの各聖堂部分は他と打って変わって美しい彩色が施されていますが、あまりどぎつくなく繊細な感じに見て取れます。
外観は周囲に民家が建っていて中々きれいに全景写真が撮れないのですが、西正面は2つの鐘楼を備え、正面入り口部分が張り出した構造になっています。扉の周りには彫刻を削り取った跡が見られ、特に説明書きはありませんでしたが意図的に破壊されてしまったのだなと理解できました。入り口の左右には渦巻の形にデザインされた窓があります。こんな形は初めて見ましたね。南側には方形の大きな回廊があるのですが、祝日のためか入ることはできませんでした。
大聖堂から南へ住宅街を少し歩くと、「古い肉屋の塔」があります。ローマ時代の見張り塔を再利用したものだそうで、私はローマ遺跡がとても好きなので行ってみましたがただの円形の塔でした(笑)。
大聖堂周辺のグラン・バイヨンヌの家々は白い壁に色とりどりの柱が露出した古いもので、素朴でどこか懐かしいような印象を受けます。
最後にカズナーヴというショコラティエの喫茶コーナーで有名なショコラ・ムスー(泡立てココア)をいただきました。1854年の創業以来伝統的なチョコレートの製法を守り続けているそうで、ココアもやや苦みと酸味の強い独特な味でした。でもとても美味しかったですよ。
他にもプチ・バイヨンヌのニーヴ川沿いにはバスク地方の歴史や文化を紹介しているバスク博物館があるのですが、例によって休館でした。開いていたら是非入ってみたかったところです。

川越しに見ることができるポーの城

バイヨンヌからアンテルシテ(特急)に乗車し約一時間、最後の目的地ポーの街を目指します。乗車したアンテルシテは客車列車ではなく固定編成の電車列車でした。近郊電車だけでなく特急も客車から電車への転換が進んでいるのですね。
ポーはブルボン朝を創始したアンリ4世の生誕地で、ピレネー山脈を望む眺望が楽しめる街としても有名です。国鉄の駅は市街地より幾分低い土地にあり、駅前から無料で乗車できる緑の車体の可愛らしいケーブルカーがありますが行程上必要なかったので乗車しませんでした。ケーブルカーで行き着くことのできるピレネー大通りからはピレネー山脈を見ることができますが、天気が良くないとあまり綺麗に見えないのかもしれません。それでもとにかく山脈は遠くにあるので、雄大な景色というのではないのだと思います。
まずは散策がてら地図上でボーモン宮という建物を見つけたので行ってみましたが、1900年に建てられた冬の別荘だそうで、現在は集会等に使われているとのこと。バロック調で外観は美しいですが19世紀以降の建物ということでいつも通りスルー。
城にほど近いサン=マルタン教会と少し北方にあるサン=ジャック教会はいずれも古くからあった聖堂を取り壊して19世紀以降に再建されたものでした。
さてアンリ4世が生まれたという城、祝日のため休館だろうと思い最後に外観のみ見ようと思っていたのですが、行ってみると中から人が出てくるではありませんか。開館していたのか、ラッキー!と思い入館しようとしたらもうすぐ閉館すると言われてしまいました。ちゃんと確認すればよかった!!!残念。
まあそれでもフランス革命時に内部は荒らされ、ルイ=フィリップ王やナポレオン3世によって大規模な改築が行われてしまったのでアンリ4世時代を偲べるものは殆どないとのことですが。
少し時間があったので川越しに橋と城を見ることができる地点に行ってみましたが、うーん、夕方でかつ曇り空の景色は何だかちょっと今一つ。川霧が出ていたのは綺麗でしたけどね。

この後再び電車のアンテルシテで約3時間、乗り換えのためにトゥールーズへ行きました。次に乗る寝台特急との兼ね合いで1等車の切符を買いましたが、2等車の座席と大して変わりませんでした。ぼったくりやなこれ(笑)。
トゥールーズでは1時間乗り換え時間があったのであの美しい街並みをもう一度見たいと思い、市庁舎やサン=セルナン・バジリカ聖堂へ赴きました。昨年、フランス国内旅行で初めて訪れた街でしたが、個人的には未だに最も好きな街であり続けています。詳しくは過去の記事をご覧くださいね。
最後は寝台特急アンテルシテ・ド・ニュイに乗車。前回の2等車3段寝台は座るには少し辛かったので、今回は1等車2段寝台にしてみました。夜行列車は何度乗っても良いですね。

以上、全3回に渡ってフランス南西への旅をお届けしました。来週はついに!パリのサント=シャペルとコンシェルジュリーのレポートをお届けします。もう行ってきたので大丈夫です(笑)。


フランス南西への旅②ビアリッツ、サン=ジャン=ド=リュズ編

7 11月 2019

大西洋に面した「処女の岩」

今回も前回に引き続き、フランス南西旅行のレポートです。
ボルドーから近郊列車TERに乗車し、大西洋沿いのリゾート地ビアリッツを目指します。
ビアリッツといえば今年の8月にG7主要国首脳会議があったことで一躍有名になりましたが、普段はゆったりとした時が流れるリゾート地です。気温も20度近くあり、終始コートを脱いで歩いていました。
国鉄の駅からバスに乗って20分ほど、バス停から歩いてまずは「処女の岩」を目指しました。途中の商店街などはまるで湘南のようで、海沿いの観光地はどこも似ているなと思いました。砂浜ではもう間もなく日が沈むというのに海水浴をしている人がちらほら。10月末ですが寒くないのでしょうか。
「処女の岩」は水族館のある岬から橋で渡った先にあり、マリア像があることからこの名がついています。まるで江の島のようですね。一面に広がる大西洋。大西洋は初めて見ました。
完全に暗くなる前にもう少し散策してみることに。「大浜辺La grande plage」には少し降りて歩いてみました。
ナポレオン三世の皇后ウジェニーの別荘を改装したホテル「オテル・デュ・パレ」に行ってみましたが、現在改装中とのこと。外観はルイ13世様式の建物ですが、それ以外は全く分からずじまい。
時間が余ったのでもう少し歩いて灯台まで行きましたが、海を見る他は特に何もありませんでした。
その後再びTERに乗ってサン=ジャン=ド=リュズヘ。この日は終了です。

ルイ14世の結婚式を見守った教会

翌日、ボルドーでの詰め込み観光が少し体に堪えたのか9時頃まで寝てしまい、ようやく行動開始。
ホテルには2泊するので極力荷を部屋に置いて、国鉄駅前からバスでラ・リューヌ山を目指します。といっても目的の大部分は山頂に登ることではなく、途中の登山鉄道に乗車すること。
1924年に開業したラ・リューヌ鉄道は今年95周年を迎え、その旨が宣伝されていました。古めかしい木製の機関車が麓側に着き、これまた木造で車体を軋ませながら走る客車2両を押し上げていきます。
ホームに入場が始まるとすかさず機関車に最も近い麓側の席を確保。え、何故かって?もちろん登坂で負荷がかかるモーターの唸りを聞きたいからです(笑)。
出発前に車両を観察してみましたが、どうも通常の線路に接する車輪には動力を伝えず、線路の間にあるラックレールと噛み合う歯車のみで坂を上っていくようです。乗務員は機関車と一番前の客車に乗り込みました。
いよいよ坂に挑みます。とても急な坂!日本にはケーブルカー以外にこんな急坂を行く鉄道はありません。見る見るうちに麓の駅が遠くなっていき、遠方にサン=ジャン=ド=リュズの街と大西洋が見えてきました。車内放送はフランス語、スペイン語、バスク語の三か国語で何か説明がありましたが、とにかくモーターの音がすごくてよく聞き取れませんでした(笑)。いいんですよ!私はこれで!
しばらくすると平坦線となり、崖と岩肌の間を抜ける模型のような線路を走っていきます。途中に対向列車と行き違いできる部分があり、みんな手を振って応えてくれました。やがて再び急勾配区間となり、山頂に到着。頂上はあいにく雲の中で景色は何も見えませんでしたが、晴れていればピレネー山脈や大西洋等が一望できるようです。
せっかくきたので晴れるかもしれないと一縷の望みをかけ、山頂の喫茶店でココアを飲んで一服しましたが結局晴れずじまい。少しだけ周辺を散策してみることにしました。といっても前述のウジェニー妃の記念碑と、放牧されている馬を見るくらいで、後はフランスとスペインの見えない国境を楽しみました。一応スペイン上陸を果たしたということで。
サン=ジャン=ド=リュズの町まで戻った後は2つ目の目的へ。それはルイ14世の足跡をたどることでした。
この小さな港町が歴史の表舞台に立ったのは1660年、若きフランス国王ルイ14世とスペインの王女マリー・テレーズの結婚式が行われたことでした。サン=ジャン=バティスト教会がその会場となりました。この教会は一部は15世紀の竣工ですが大部分は1649年に完成しましたが、装飾どころか開口部もあまりない質素な建築で規模もあまり大きくありません。実際問題として国王夫妻の結婚式を行うには参列者を迎えきれないため、木製の階上席が後方に5階、両側面に3階建てで設けられている風変わりな内部になっています。内陣の壁面は鮮やかに彩色され、祭壇の構造物は青を基調として葡萄、天使、生き物が巻き付くように装飾された円柱の間に聖人たちか配置されているという凝ったものになっています(ゴテゴテしているという方が正しいかも)。結婚式の際の絵の背景にもこの祭壇が描かれていますので、当時からあったものでしょう。祭壇に向かって右手の外壁には、かつて国王夫妻の通路としてのみ使用され、その後閉塞された部分が説明書きと共にあります。
教会から海に向かって少し歩くと、ルイ14世が結婚式に際してしばし滞在した館「ルイ14世の家」があります。建物が面している「ルイ14世広場」に木が植えられていて綺麗に写真を撮ることができないのですが、両角に張り出した部分を持つこの町ではやや凝った設計の建物です。内部見学は1日3回のツアーのみですので、訪れる際は必ずスケジュールをよくご確認ください。内部は応接間、寝室とそれなりに豪華ではありましたが、ヴェルサイユ宮殿を良く知っていると目を見張るような感動はあまりないかもしれません。ただルイ14世が若き日にここを訪れたのだなという思いには浸ることができました。
海沿いにもう少し歩いていくと煉瓦と砂岩でできた「王女の館」もありますが、こちらは地上階に一般の商店があり、観光用には開放していないようです。

次回は最終回、バイヨンヌとポー編をお送りします。


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