ヴェルサイユ便り

修了リサイタル

23 9月 2020

サル・ラモーでの最後の演奏会になりました

先週土曜日は帰国に際して処分する品を譲渡するために、パリ周辺に住む知り合いを数人誘って交流会を開きました。私自身、引き揚げる3人の方からいろいろな品を譲っていただいていたので、大半の品が次の持ち主の手に渡って良かったです。ただテュイルリー庭園でやっていたのですが、途中から大雨になって散々な目に…。笑
日曜日はツール・ド・フランスの最終ステージで、ヴェルサイユ宮殿前もコースに含まれていたので観戦に行きました。15時半頃からスポンサー企業の車列がクラクションを頻繁に鳴らして粗品を観客に放り投げながら通過。警察や救急車の乗員まで車内から記念撮影を行ったりしていて、何だか良くも悪くもフランスだなと思いました。そのまま待つこと1時間半あまり、競技者たちが通過。殆ど群衆で走行していたので長らく待った割にはわずか1分ばかりの観戦時間でした。まあ一度見てみたかったので良い思い出です。本当は同日行われていたルマン24時間耐久レースに行きたかったのですが、次の日にリサイタルを控えて土曜日から泊まりがけはさすがに叶いませんでした…。

さて今回は修了リサイタルの模様をお伝えします。
元々6月に試験を兼ねた修了リサイタルが予定されていたのですが、感染対策のため全ての公開試験は中止となり、2019年度の卒業者は試験がないまま卒業となってしまいました。しかしこれで私が留学を終えるのはあまりに不憫に思ったのか、パトリックが9月に記念のリサイタルをやるように勧めてくれました。
ヴェルサイユの音楽活動ではリュリを始めルイ14世時代の作品を演奏する機会が非常に多く大変勉強になりましたが、私がテーマに選んだのはルイ15世時代のロココ様式。ルイ15世の王女でヴァイオリンを達者に弾いたマダム・アデライードに捧げるプログラムという体裁を取りました。
何故ロココ様式を選んだのかというと、まず日本にいる時からこの様式が好きだったのと、ヴェルサイユ宮殿の多くの部屋はルイ14世の死後様々な主人によって改装されていて、まさにロココ様式の粋を今日に伝えており、それらを見ることによって見識が飛躍的に広がったからです。またルイ14世時代はヴァイオリンはまだあくまでオーケストラや舞踏での伴奏楽器としての役割が大きく、フランスでヴァイオリンの独奏曲が発展するのは主にルイ15世時代であり、このレパートリーを押さえるのは必須と思いました。
そんな訳で、今回選んだのはマダム・アデライードの時代にヴェルサイユで活躍したアントワーヌ・ドヴェルニュ、ルイ・オベール、ジュリアン=アマーブル・マチューの3人のソナタ。ドヴェルニュはオペラで若干有名ですが、オベールとマチューはフランスでもまだまだ知名度が高くありません。しかし特にマチューは最後の王室礼拝堂楽長として王国の終焉まで活躍しており、宮廷で非常に重用された存在だったようです。
昨年来ソロを弾く時に伴奏を頼んでいるチェロとチェンバロの同僚に今回も共演を頼むことができ、リハーサル3回、レッスン2回で本番に臨みました。彼らもロココ様式の雰囲気を掴むのはなかなか難しいようで、試行錯誤しながら進めていきました。
当日は午後にリハーサルかつ最後のレッスンがあった後、直前に2、3箇所微調整をして本番へ。音楽院が公式に主催しているわけではないのであらゆるセッティングを自分でやらなければならず本番前は結構大変でした。お客様は感染対策のため門下の同僚はリハーサルに来るなどしてできるだけ人数を絞って20人弱、間隔を開けて着席しました。
パトリックのコメントが少しあった後に私もコメント。日本語同様大まかに話の内容を決めるだけで話したので、未だフランス語が不完全なのがバレました…もう仕方ないですね。
この日も日中は暑く、室内の空気もまだ少し温かいままだったので演奏中は汗だくになりました。
2曲ソロソナタを弾いた後、最後のマチューはパトリックとのデュオ。1764年出版の作品ですがもう片足をクラシックに踏み入れたような曲で締め括りました。
通常のアンサンブルの演奏会なら終わった後にその場でパーティーをするのですが、感染対策のためそれも中止。有志で近くのバーに行って解散しました。
この2年間、パトリックを始め素晴らしい先生から教えを受けたのもさることながら、ヴェルサイユ地方音楽院の18世紀からある歴史的な建物の部屋で練習、演奏する機会を得ていたことは大変貴重だったなと、改めて思いました。

このヴェルサイユ便りも次回で最終回になります。引き揚げ準備の模様と、留学の総括を書きたいと思います。


ヴェルサイユ宮殿観光の手引き・国王のプティ・アパルトマン編

16 9月 2020

振り子時計の部屋

なぜか今週に入り突然暑くなり、昨日の気温は33℃。一体どうしたというのでしょうか…。夏用の服は母に持って帰ってもらってしまったので、Tシャツのローテーションがかなりきついです。
来週に修了リサイタルを控え、今週は自主練習とリハーサルの合間を縫い、少しずつ月末の帰国に向けた片付けをしています。

今回はヴェルサイユ宮殿シリーズのラストを締めくくる、国王のプティ・アパルトマンをめぐるガイドツアーに参加した感想をお送りいたします。
以前から「マルスの間」の扉の向こうや「閣議の間」の先に連なる部屋を巡るガイドツアーが行われているのを見て行ってみたいと思っていましたが、気が付いたら留学も最終盤になってしまいました。公式サイトから10€のガイドツアーを予約していざ宮殿へ。
集合場所は正面に向かって左の閣僚棟になります。チケットの画面を見せて、ガイドの解説(フランス語のみ)を聞くためのイヤホンを装着して出発。一般客と同じ入口から入るためやや列が途切れそうになりながら、荷物検査を済ませ大理石の中庭まで進み、宮殿全体の簡単な説明があった後に、向かって右側に位置するアデライード王女のアパルトマンの出口の右にある柵を開錠し中に入ります。ここ通ってみたかった!
プティ・アパルトマンに入る前に、まずこの場所にかつてあった「大使の階段」の模型見学と解説があります。「大使の階段」は1679年に完成した壮麗な空間で、国王のグラン・アパルトマンに通じる公式階段として訪問者を出迎えていました。多色の大理石と金鍍金のブロンズ、ル・ブランの絵画により装飾された美しい空間でしたが、ルイ15世時代になると次第に使われなくなり荒廃したためと、王が内殿の拡充を望んだことから1752年に取り壊されてしまいました。代わりに造られた簡素で狭い階段はこの見学の最後に通ることになります。
マリー・アントワネットの肖像画が掛けられた玄関ホールと衛兵の間を抜けて、手摺の下に繊細な装飾が施された「王の階段」を登って行くと、「犬の控えの間」に着きます。名前の由来は金鍍金が施された繊細な猟犬たちの装飾によっていて、この一帯の部屋は「狩猟」がテーマになっています。ルイ15世も歴代の王同様に狩猟を好んでいました。室内を飾る絵画の内数点がモノクロの複製品になっているのですが、かつてそこにあった絵画をイメージして挿入しているか、あるいは修復中でしょうか?
「狩帰りの食事の間」では週に1度か2度、狩猟から帰ってきたルイ15世が取り巻きと共に食事を摂っていました。室内の装飾は簡潔ながら洗練されており、今日では稼働していませんがルイ16世時代に製作された豪華な気圧計が置かれています。
少し順路を戻って「振り子時計の間」を通過し、「ルイ15世の寝室」に案内されました。「振り子時計の間」は素通りかと思い素早く写真を撮りましたが、後でちゃんと戻るのでご安心あれ(笑)。ルイ15世は、ルイ14世が晩年使用していた城館の中央にある「王の寝室」では実際に就寝せず、儀式用の寝室として実際の寝泊まりはこの「ルイ15世の寝室」でしていました。もっとも、儀式用の寝室はグラン・アパルトマンにもあるのですが…。ここも非常に洗練された装飾で、扉の上にはルイ15世が愛した王女たち(娘としてだけではなく女性として愛していたという噂もある…意味深)の絵画があります。部屋の大半は白い布で仕切られその奥が見えないようになっていたのですが、色々な写真を見てみると寝台を置くためのくぼみであるアルコーブがあるようですね。現在は修復中なのでしょうか?
「振り子時計の間」に戻ります。ルイ15世は天文学に興味を持っており、現在も稼働している年月日、月の弦を表示する振り子時計が置かれているのが部屋の名前の由来です。この時計はフランス王国で初めて公式時間を定めるのに使用されました。また部屋を斜めに横切るように床に埋め込まれている銅の線はパリ子午線を表しています。この部屋の装飾も繊細で美しく、特に天井のシャンデリアを吊るす部分と北側の壁面の羽目板装飾が凝った作りだなと感じました。
次は「王の奥の間」または「角の間」。ちょうど城館の角に位置しています。この部屋で、ルイ15世はポンパドゥール侯爵夫人の葬列を涙ながらに見送ったとか。毎度同じ感想ですが、今回は奥の間だけあって非常に洗練され凝った装飾があしらわれています。まさにルイ15世ロココ様式。ルイ14世のバロック様式も圧倒的な美しさがありますが、これはこれでまた圧巻です。今日この場所にある家具も凝ったものばかりで、部屋によく調和しています。
「次の間」、「黄金の皿の間」、「浴室」と小さい部屋が続きます。ルイ14世時代までは王の絵画、書物、宝物などの展示スペースになっていて、ダ・ヴィンチのいわゆる「モナ・リザ」もかつてはここに展示されていました。「黄金の皿の間」は特別に装飾が細かく、壁面の羽目板装飾には様々な楽器がデザインされています。これはかつて、ヴァイオリンを巧みに演奏し音楽を愛していたアデライード王女の奥の間だった事に由来します。「浴室」は羽目板部分に水浴びする人々が描かれている装飾が施され、水の喜びを表しています。ルイ14世は大の風呂嫌いで生涯で数回しか入浴しなかったそうですが、ルイ15世はそうではなかったようですね。浴槽はルイ16世によって使用用途が変更されたため撤去されてしまいました。
次からはルイ16世様式の部屋になります。「ルイ16世の図書室」は地理学が好きだったルイ16世のお気に入りだった部屋で、地図を大きく広げるための大きな円テーブルや地球儀があり、壁面は金で縁取られた本棚で占められています。面白いのは2つある通路の扉までまるで本棚であるかのように、本の背表紙たちだけが扉に据え付けられていること。扉を開けるときに妙な感覚がします(笑)。
次の「磁器の食堂」はルイ15世が狩り帰りの夜食のために整備しましたが、主にルイ16世時代に盛んに使用されました。最近修復が行われたのか、目を見張るほど金鍍金の装飾が鮮やかで、椅子と扉を隠すカーテンの水色とのコントラストも相まって非常に美しいです。部屋の名前の由来は、ルイ16世が毎年クリスマスになるとこの部屋で王立セーヴル製陶所の新作を紹介したことだそうです。
大アパルトマンに通じる狭い階段に面した「軽食の間」は現在セーヴル焼を展示するコーナーになっています。ここから扉を開けて、大アパルトマンのヴェニュスの間へ入る体験が少しできます。
階段の反対側には「ルイ16世の娯楽の間」がありますが、明かりがつけられておらず入り口から中を覗くだけでした。ここはかつて、ルイ14世の「珍重品陳列室」であり「豊穣の間」から入れる部屋でしたが、その後改装され原型を全く留めていません。ルイ16世時代には王が親しい者たちとコーヒーを飲んだり娯楽に興じたりする空間でした。
階段を下りて「大使の階段」の模型があるところまで戻り、見学は終了です。その場で解散になるので、ここから個人的にグラン・アパルトマン等の見学を始めることもできます。

ロココ様式の粋を見ることができる国王のプティ・アパルトマンの見学ツアー、是非予約して行ってみて下さいね。
次回は私の修了リサイタルの模様をお伝えします。


国王戴冠とシャンパンの町ランス

9 9月 2020

ノートルダム大聖堂の正面で記念写真

先週はフランスに滞在していた母と共にシャンパーニュ地方の町、ランスへ行ってきました。
パリの東駅からTGVに45分程度乗れば着いてしまうランス、歴代国王が戴冠した町だけあって1度行かなければと思っていながらなかなか実現せずにいました。近いと逆にいつでもいいやと思ってしまいますよね。しかし今回、母が喜ぶシャンパンのセラーも目的の一つとしてついに行くことになりました。
駅を降りると、正面にさりげなくジャン=バティスト・コルベールの銅像があります。ここは最後帰るときに通ったのですが、ルイ14世の財務を支えたコルベールはランス生まれなんですね。
駅から15分ほど、17-8世紀の古い街並みを楽しみながら歩いていくとランス・ノートルダム大聖堂の鐘楼が見えてきました。見るからに装飾の細かいゴシック建築です。正面に回ってみると、聖人などの彫刻で扉付近が埋め尽くされていてものすごい迫力があります。
しばらく大聖堂正面を観察した後、朝一番に入場予約をした大聖堂に隣接するトー宮殿へ先に入りました。今はコロナウィルス対策でどこも事前予約が必須で、旅行をするにもあまりスケジュールの融通がききません。
トー宮殿は平時は大司教の住まいで、新国王が戴冠するためにやってくるときには御座所として使用され、様々な祝典も行われました。現在は戴冠にまつわる宝物や大聖堂の彫刻のオリジナルを保管する博物館になっています。入って早々、大きな不発弾が置かれていて何だろうなと思っていたら、ランスは第一次世界大戦中にドイツ軍との戦闘の舞台となって、かなりの被害を受けたんですね。砲撃後の町の写真や、鉛が溶けだして固まってしまった大聖堂のガーゴイル(雨水を排出する役割を持つ彫刻)などが多数ありました。

シャルルマーニュの護符や戴冠式で使用する聖杯

階を上がると大きな饗宴の間があります。立派な暖炉と高い天井を持つこの部屋で戴冠に際する饗宴が催されていたんですね。
順路を進み宝物を保管している部屋に行くと、シャルルマーニュの護符や戴冠式で使用する聖杯などがあります。シャルルマーニュの護符は注意しないと見逃してしまうほど小さなものですが、とても価値のある品です。
オリジナルの彫刻が陳列されている部屋を通ると順路の最後に、大聖堂の中央扉の上を飾る彫刻のオリジナルがあります。聖母マリアが冠を授けられている様子を描いていますが、冠が風化していてまるで拳骨を食らっているようだと母が言っていました(笑)。向かって一番右の天使がにんまり笑っているのでこれが有名な「微笑みの天使」かなと思ったのですが、笑っている天使の彫刻はいくつもあるようで、一番有名なのは正面扉付近にあるものらしいです。

西側正面の室内側の聖人たちとバラ窓

宝物やオリジナルの彫刻を見終えたところでいよいよ大聖堂へ。まず入って驚いたのは西側正面の室内側にも聖人たちの彫刻があること。様々なゴシック聖堂を見てきましたが、内側にまでこういった彫刻が施されている聖堂は初めて見ました。上下2つのバラ窓、その中間に位置する横長のステンドグラスの美しさは写真では到底伝わりません。そして何といっても天井が高い!中心部の高さは38mあり、フランスで最も高いとのこと。
中央を祭壇に向かって進んでいくと、「ここで聖レミがフランク王クロヴィスを洗礼した」と書かれた石板が床にはめ込まれています。古い聖堂の位置から、おそらくこの付近でフランク王国の初代国王クロヴィスが洗礼を受けたと考えられています。フランク王国は現在のフランスの起源となった国で、初代のクロヴィスがレミギウス司教(聖レミ)から洗礼を受けたことに由来し、その後ランスの司教から聖別されて戴冠しなければフランスの正式な国王として認められないという慣習が定着しました。そのためルイ14世は勿論の事、ほとんどの歴代国王がこの大聖堂で戴冠しています。戴冠式が行われる聖堂として多くの参列者を収容する必要があることから、次第に増築され現在のような大規模な聖堂となりました。
祭壇に向かって左方にある北側のバラ窓は天地創造を表していて、下には立派なオルガンが備え付けられています。通常祭壇と向かい合うように西側にある事が多いオルガンですが、この聖堂は西側の大部分がステンドグラスであるため設置する場所がなかったのでしょう。
奥に向かって進むと白いドレスと甲冑を着たジャンヌ・ダルクの像があります。百年戦争中のフランス国王シャルル7世にここで戴冠するよう勧めたジャンヌですが、この像はその後の悲しい末路を予感させるようです。
祭壇裏の北側のステンドグラスはバラ窓と違って近代的なデザインのものになっています。これは1974年にシャガールが寄進したもので、非常に評価が高く有名なのですが私としてはやはりゴシック建築に合う古いステンドグラスの方が好みですね。
南側へ移動していくと、「死と復活の祭壇」とその手前にローマ時代のモザイク床があります。祭壇の彫刻も素晴らしいのですが、古代ローマファンとしては先にモザイク床の方へ目が行ってしまいました。ローマ時代、ここには浴場があったようです。
南側のバラ窓は復活を表しています。大きな円の中に小さい円を組み合わせたデザインで、下にある3つの中くらいの円とよく調和していますね。
南側の身廊にはここで戴冠した25人の国王の名前が刻まれた石板があります。ほぼフランス国王一覧といった感じです。
最後に改めて大聖堂を眺め、戴冠式の際の華やかな様子に思いを馳せて見学を終えました。本当に来てよかったです。

母の目的であるヴーヴ・クリコのワインセラーに向かう途中に聖レミ旧大修道院(聖レミ聖堂)がありうまく立ち寄ることができました。聖レミの遺体が安置されている聖堂で、ロマネスクとゴシックの様式が混在しています。西側正面は先ほどの大聖堂で、彫刻で覆いつくすような壁面を見てしまったのでやや簡素に見えてしまいますが、ロマネスク様式の建物をゴシック様式で装飾していることを考えると標準的といったところでしょう。
聖堂内へは南側から入ります。内部に入って驚いたのが、外観のやや質素な印象と打って変わって内部は壮大で身廊の幅が広くとられており、特に驚いたのは側廊の2階部分に当たる階上廊(トリビューン)が1階部分と大差ないほどかなり大きく設計されているということです。また西側のステンドグラスもノートルダムに負けないほど美しいです。
南側の身廊にはこの聖堂で戴冠した9-10世紀の3人の国王の名前が記された石板がありました。何故3人だけこの聖堂で戴冠したのか気になりましたが調べても良く分かりませんでした。ただ同じようにランスの司教から聖別され戴冠しているので意味はさほど変わらないのだと思います。
祭壇の奥に聖レミの遺体が安置されていますが、この構造物は19世紀に再建されたものだそう。唐草模様のようなデザインの金属製の扉が備えられていて内部が良く観察できませんでしたが、金色の小さな祭壇があります。これを取り巻く仕切りは非常に豪華なバロック様式のもので、大理石の円柱の間に歴代の司教(だと思います)などの像が並んでいます。
北側に聖レミ博物館が併設されていますが、ちょうど昼休みだったので後で入ることにし、いよいよ母お待ちかねのヴーヴ・クリコのシャンパンセラーへ。

ヴーヴ・クリコのシャンパンセラー

今回は母のために英語の解説による一人あたり55€のツアー「クリコのサインClicquot
signature」を予約しました。ヴーヴ・クリコの歴史を知りながら迷路のようなシャンパンセラーを進んでいき、終盤で2つのシャンパンのブラインドテイスティングがあるコースです。
受付でEチケットを見せて待合室で待つことしばし、ガイドの男性に導かれ道路を挟んで反対側の建物から階段を下りセラー見学が始まりました。ただこの人、英語がフランス語訛りかあるいはどこかの言語訛りなのか、何を言っているのかとにかく全然分からない(笑)。それでも渡されたタブレットや途中にある画面での動画による解説や、ボトルを保管する棚、ボトルを回転させる機械などを見ることで楽しむことができました。セラー内は寒いかと思いきや、長袖程度で十分の温度でした。
ブラインドテイスティングでは最初に注がれたシャンパンの方が馴染みのある味で、2つ目の方は少し後味が残る感じで私は1つ目の方が好きだったのですが、種明かしが行われると2つ目の方が熟成されたシャンパンでした。値段もかなり違うと思います。まあ私にはもったいないということでしょうか。ちなみにテイスティングといっても結構大きなワイングラスに半分ほど注いでくれるのが2杯なので、私は結構酔いました(笑)。
最後に1900年代から年号が書かれた階段を上って見学終了。時々飛んでいる年があるのが謎でした。ブティックでは母がロゼの辛口シャンパンをお買い上げ。日本で買うよりもずっと安いです。

ほろ酔いで歩きながら元来た道を戻り、聖レミ博物館へ。ベネディクト会の修道院だった18世紀の建物を使用していて、均整のとれたバロック建築になっています。展示室には先史時代からの日常品、武器、彫像といったあらゆるものが所蔵されていて、私の好きなローマ時代の品もたくさんありました。

パリから気軽に日帰りできる町ランス、皆様も是非行ってみて下さいね。
次回はヴェルサイユ宮殿シリーズ、ガイドツアーでしか行けない国王の私的アパルトマン群をご紹介します。


「夏の歓楽」での24のヴィオロンと師匠とのデュオ

2 9月 2020

レコレ庭園で行った師匠とのデュオ

最近は旅行記ばかりでしたが、今回は久しぶりの音楽活動報告です。
現在ヴェルサイユでは「夏の歓楽Plaisirs d’été」と銘打った13日間のイベント週間が催されています。コロナ禍で中止になったモリエール月間の代替、新型コロナウィルスによる外出制限からしばらく経ち少し余暇が楽しめるようになったことを祝う目的で、市内の様々な場所を使い演奏会、演劇などの公演が行われています。感染拡大防止のため予約制にしたり、屋外で行ったりするなどいろいろと腐心しているようです。
その中で私も2つのプロジェクト、3つの演奏会に参加しました。
1つ目のプロジェクトは昨年もご紹介した、パトリックの弾き振りによる24のヴィオロンのオーケストラで、弦楽器はヴェルサイユ・バロック音楽研究センターが保有する通常のヴァイオリンよりも一回り小さいドゥシュ・ド・ヴィオロン、3つの異なる大きさのヴィオラ、チェロよりも大きく全音低い調弦によるバス・ド・ヴィオロンを使用します。私は今回も主旋律を担当するドゥシュ・ド・ヴィオロンを演奏することになったので、倉庫から出して各自使う楽器を決める際に昨年も使用したおそらく最も状態の良い「ポリドール」をすかさず手に取りました。あまり使われていないのか結構状態の悪いものも中にはあるので…。
今回は感染拡大防止のため出演する演奏者も制限され、本来5人いるドゥシュ・ド・ヴィオロンは練習こそ一緒にしましたが、本番ではA、Bグループに分けられ私以外は2回ある公演のどちらかのみの出演となってしまいました。ヴィオラやオーボエ、ファゴットも同じような状況で、せっかく人数が多いのに減らされてしまうのは残念でした。
演奏曲目は「夏の歓楽」のイベントに合わせた内容で、リュリの《魔法の島の歓楽》、《愛の神の勝利》、4月に舞台上演が行われるはずだったマレの《アリアヌとバッキュス》の器楽曲抜粋、当アンサンブルも演奏したド・ラランドの《国王の晩餐のための音楽》の第三カプリース(国王が度々所望した)を演奏しました。リュリもド・ラランドももちろん素晴らしいのですが、マレの《アリアヌとバッキュス》の序曲やシャコンヌがとても味わい深い曲で、4月の舞台上演が叶わなかったのが本当に悔やまれました。
今回のメンバーはヴェルサイユや周辺の音楽院の学生を中心に、バカンス中であまり人数が集まらなかったのかフランス以外で学んでいるという学生もいました。全体的なレヴェルは、まあ残念ながらアマチュアの域を出ないくらいです。
リハーサルはヴェルサイユ地方音楽院のオディトリウム(ホール)で行われました。練習中以外はマスク着用、入口と出口の導線分け、休憩中は室内に残ってはいけないなどいろいろ不便はありましたが、リハーサル自体は以前とほとんど遜色ない環境で行われました。パトリックの指導はいつも通り明確でしたが、曲が多い割にリハーサルが3日間しかなく、オーケストラとしての成熟度も曲の完成度も今一つといった感じで本番を迎えてしまいました。特にオーボエバンドはもう少し音程やタイミングの整理をしてほしかったです。
一回目、金曜日20時からの本番はヴェルサイユ宮殿併設の大厩舎の中庭で行われました。野外ですが四方を壁に囲まれしっかりとした音響があります。ただあまり天気が良くなくリハーサルを終え皆が舞台を下りた直後、突風が吹いて譜面台が殆ど全て倒れるという事件が発生。その後、譜面台の足と床をテープで固定したようなのですが、本番までに少し雨が降ったのでテープが剥がれ使い物にならなくなっていました(笑)。本番中は風で楽譜がめくれないように用意された洗濯バサミで固定しながら進めていきましたが、強い風が吹くと留めていない箇所がめくれます。さらに直前に雨が降ったので湿度が高く、室内と違い気温が低いことも相まって調弦があっという間に狂ってしまい開放弦が殆ど使えない中で演奏を続けなければなりませんでした。17-8世紀はこうした野外演奏も当たり前のように行われていたので、当時と同じようにその中で起こる問題に直面し対処する良い経験ができましたが演奏のクオリティーは下がりました。
観客は座席が少ないためか事前予約で一杯で、70-80人はいたと思いますが本当なら座席を増やしてもっと多くの方に楽しんで頂きたかったです。何とか最後まで雨は降らず、演奏者、観客とも濡れずに済みました。
2回目の公演は日曜日の19時から行われたのですが、残念ながらこの日は金曜日にも増して雨模様で、事前のリハーサルでは学校のオディトリウムでの演奏に切り替えるかもしれないと案内がありました。しかし直前にいくらか天気が回復したことで厩舎での野外演奏を決行。結果、リュリを演奏し終えたところで雨が降り出してしまい、そのまま止まずプログラム半ばで終了となってしまいました。学校でやれば最後まで演奏出来てクオリティーも良かったのに…。お世話になった楽器ポリドールともこれでお別れです。

2つ目のプロジェクトは師匠であるパトリック・コーエン=アケニヌとのヴァイオリンデュオで、ルクレールのソナタを3曲演奏しました。リハーサルはオーケストラのリハーサルの間をぬって行いましたが、お互いになかなかきつかったですね。私も指導監督されるだけでなくアイディアを出しながら仕上げていったのですが、それでも師匠のアイディアや音色の豊富さには改めて勉強させられました。
本番はオーケストラ公演日に挟まれた土曜日16時から、音楽院の近くにあるレコレ庭園で行われました。この日も雨模様で、直前には強い雨も降りましたが開始時間には何とか回復。途中で数滴雨粒を感じましたが雨に関しては何とか最後まで持ちました。問題だったのは風で、演奏中何度も突風が吹いて譜面台が倒れそうになったり、一度私の楽譜がめくれて演奏不能になってしまいもう一度演奏しなおさなければならない事態も発生しました。野外演奏は経験が必要ですね。
アンコールには直前に渡されたラべ・ル・フィス編曲によるラモーの有名な《未開人たちの平和のパイプの踊り》を演奏。しかも私の方が格段に難しい伴奏パート担当になり、頑張って譜読みしました。パトリックの方はほぼ原曲通りなので余裕で弾いていました(笑)。
観客は40-50人ほどが来ていたと思います。予約不要だったので大家さんや知人を気軽に誘うことができました。演奏中の写真や、ある人のスケッチがVilledeVersaillesのインスタグラムに投稿されていたようです。
終了後すぐに宮殿へ向かいパトリックと共に鏡の回廊での夜会に出演。毎週あった私の出番もついに最終回を迎えてしまいました。

次回は今週行くシャンパーニュ地方の都市、ランスをご紹介します。


スイス鉄道乗りまくりツアー②

27 8月 2020

ブリエンツ・ロートホルンの山頂からブリエンツ湖を望む、遥か下に列車が見える

先週イタリアから帰ってきたら、フランスはすっかり涼しくなっていました。スイスに行く前はとても暑かったのですがもう秋の到来でしょうか。
さて、今回はスイス旅行の後編です。
インターラーケンを後にし、今回一番の目的であったブリエンツ・ロートホルン鉄道へ。標高2000m級のブリエンツ・ロートホルンまで行く登山鉄道で、電化が早くから進行したスイスにおいて唯一現在でも定期列車として蒸気機関車を運行している鉄道です。麓側に勾配に対応すべく前傾して造られている小さな蒸気機関車が付き、前に客車が基本2両連結されます。

前傾した形状の愛らしい蒸気機関車

小さいながらユングフラウ鉄道と同じ250パーミルの急勾配を登る蒸気機関車は何とも健気で可愛らしく、乗客も大半はやはり蒸気機関車を求めてやってくるようですね。旧来からの石炭炊き機関車もありますが、現在の主力は1990年代に製造されたオイル炊きの機関車で、これは1人で運転できるそう。できればやはり石炭炊きの機関車が良い気持ちもありますが、いつ運転するか分からないので最初の蒸機列車に乗りました。というのはダイヤ上の始発に乗ると少し安い運賃が適用されるのでそれを狙って行ってみたのですが、ディーゼルだったので次の列車を待つことにしたのです。最初の蒸機列車を待つ間は機関車単体での入れ替えや、客車の連結シーンを見られるのでおすすめですよ。歯車を持つ走行装置の機構の美しさに見とれます。出発するとしばらくはトンネルがあったりしますが、やがて広い草原に出てS字を描きながら頂上に向かって登って行きます。ここでは前方、あるいは後方に続行している列車や反対方面の列車を遠目に見つつ、眼下にブリエンツ湖が見えてきます。頂上駅には姉妹鉄道である日本の大井川鐵道との友好を示すプレートや古い機関車のボイラーの展示があり、少し歩くとレストランや土産売り場、展望台があります。展望台には機械の熱を求めているのか何故か大量の羽アリがいてあまり長居できず…。ちなみに山の裏側にはロープーウェイがあり、反対側の麓に下りることもできます。

ヨーロッパ最古の木造橋

その後中世の街並みが残る小さな都市ルツェルンに移動。ホテルに荷物を置いて日没まで観光を少ししました。
1993年に火災に見舞われましたが、14世紀に架けられたヨーロッパ最古の木造橋であるカペル橋の天井にはルツェルンの歴史が描かれている絵の連作があります。しかしドイツ語でしか説明がないので雰囲気だけしか分からず、おまけに逆順の旧市街側から渡ってしまいました。絵を見るなら駅がある方から渡りましょう。
聖堂巡りは高い天井と豪華な祭壇が美しいホーフ教会、白い内装にピンクや金色の華やかなバロック装飾が施されたイエズス会教会、小さいながら中世のフレスコ画と精巧な木彫があるフランシスコ会教会に行きました。ルツェルンはスイスの中でもカトリックを維持し、反宗教改革の拠点になっていた街です。
ヴェルサイユに関係があるものとして見ておくべきものは瀕死のライオン像です。氷河に削り取られた砂岩の岩壁に1821年に彫られた彫刻で、フランス革命時のテュイルリー宮殿襲撃とその後に非業の死を遂げたスイス衛兵たちの忠義を讃えています。負けると分かっていながら最後まで戦ったスイス衛兵たちを矢が刺さったライオンに見立て、フランス王家の紋章が入った盾をなおも守ろうとしている姿は寓意ながら胸を打ちます。スイス衛兵たちの悲劇の詳細をネットで調べつつ合掌。
1386年建造で見張り台と共に当時のまま残るムゼック市壁は少し丘の上にあります。頑張って時計塔に登ってみたらちょうど正時になり鐘が鳴りました。塔の上からは美しい街並みとルツェルン湖、遠くに次の日登るピラトゥス山などが一望できます。

まるでケーブルカーのようなピラトゥス鉄道

翌日はまた鉄活動。まずは昨日遠くに見たピラトゥス山に上るためのピラトゥス鉄道に乗車します。というか鉄道が目的なんですけどね。
ブリエンツ方向へ少し戻ったアルプナハシュタット駅の山側にある駅から出る、まるでケーブルカーのような平行四辺形型の車両を持つ路線ですが、これはケーブルカーではなく線路の間に歯車を持つラック式鉄道の一種で、最勾配は驚異の48パーセント!!!これだけの急勾配ですから歯車が絶対に外れないよう、地面に対して平行に、歯車レールを双方から挟み込むように歯車が取り付けられるロッヒャー式という世界でも唯一の機構が採用されています。この機構のために通常の鉄道のような分岐が作れず、車両ごと水平に移動したり分岐部分がひっくり返る特殊な分岐が使われているのも面白いです。
経験したことのない勾配の鉄道ですから、発車してすぐに麓の街並みが小さく見えてしまいます。なお1両が小さいため基本的に複数の列車が続行しますので、前方の列車を追いかけたり後方の列車に追われたりしながら進みます。アルプナッハー湖、ルツェルン湖を眼下に見つつ、終盤は荒々しい岩肌の崖が周辺にそびえたちます。崖にしがみつくように敷設された線路を行き、終点に到着。
イエス・キリストの死刑を決定したローマの総督ポンテオ・ピラトの霊がたどり着いたという伝説があるピラトゥス山。山頂駅からいくつかの峰に登れるので、近くにある難易度の低そうなところを3つ挑戦してみました。眼下に広がるルツェルンの街、2つの湖、平野、山脈と絶景が広がります。途中の鉄道が目的でしたが登った甲斐がありました。
ルツェルンに戻り、今度はスイス交通博物館へ。旧市街から少し離れたところにあるので、湖畔に沿って散歩しながら行きました。ここはすごい!鉄道の展示はもちろんのこと、「交通博物館」の名の下にロープーウェイ、自動車、船舶、航空宇宙、果てはソリやボブスレーまであり、全てが網羅されている博物館は一日いても飽きないと思います。鉄道は国鉄の車両はもちろん、ユングフラウやブリエンツの機関車、ピラトゥスで開業時に使用されていた蒸気動車の展示もあり、また近年完成したゴッタルド・ベーストンネルに関する展示が広くとられていました。あと特筆すべきはその多くが体験型であること。多くの車両に入ることができるのはもちろん、シュミレーター、手で動かして構造を理解するための模型、中庭では工事現場を模したエリアで小さなショベルカーや石を運搬するベルトコンベアで遊ぶことができます。子供向けですが私も少しやってみました(笑)。こうやって子供たちに遊ばせながら交通に関する知識を学ばせ、将来の人材育成につなげようという姿勢が感じられました。

フルカ山岳蒸気鉄道の蒸気機関車

最終日はフルカ峠を走るフルカ山岳蒸気鉄道に乗車するため、ルツェルンから南下。昨日博物館の展示で見た鉄道の難所ゴッタルド峠を途中まで登り、ゲシェネン駅でゴッタルド鉄道トンネル(新しいゴッタルドベーストンネルではない)の坑口を見つつ、赤と白の鮮やかな塗装の小さな車両を持つマッターホルン・ゴッタルド鉄道に乗り換え、レアルプ駅を目指します。途中からは有名な氷河特急のルートでした。レアルプ駅に着き、進行方向に歩いていくと右手にフルカ山岳蒸気鉄道の車庫と駅舎が見えてきます。
フルカ山岳蒸気鉄道は、1982年に開通した現行線のフルカベーストンネルに置き換えられ一度廃止されたフルカ峠を越える旧線のルートを有志により復活して夏期のみ運行している保存鉄道です。廃止から10年ほど経った1992年から徐々に区間を伸ばし、オーバーヴァルトまでの全区間が開通したのは2010年。その名の通り基本的には蒸気機関車による牽引で、かつての難所に果敢に挑んでいきます。
座席はインターネットで予約していきましたが、客車に行って見ると窓に予約者リストが貼り出されていて、座席には名前が書かれたシールが貼ってありました。しかもローヌ氷河が見られる右側の座席!早く予約しておいて本当に良かった。
現行線ではオーバーヴァルトまで20分程度で着いてしまいますが、このフルカ山岳蒸気鉄道で行くと途中休憩を含め2時間10分かかります。それだけ現行線では失われた雄大な景色や蒸気機関車の奮闘を楽しめるということです!
ちなみに使われている客車は西部劇に出てくるような乗降口が屋外に設けられているタイプで、車両間を行き来する際は非常にスリリングです(笑)。指定席なので車両を移動する必要はないのですが、なかなかできない経験なので通ってみました。フルカ駅で飲食の販売があり、おじさんが美味しそうなソーセージを焼いていたので迷わず購入。こうやって運賃収入だけでなく付帯事業で収入を稼いでいるのですね。ローヌ氷河はレアルプから乗車すると終盤に見えてくるのですが、如何せん氷が殆どなく浸食された岩肌が見えるばかりでした…。全線乗車して大満足!今後も是非活動を継続していってほしいです。
その後はローザンヌまで戻り、時間があったので少しだけジュネーヴを観光してみることにしました。行ったのはジャン=ジャック・ルソーの生家。現在工事中ですが外観を見ることができました。後は宗教改革記念碑、オーストリア皇妃エリザベトが暗殺されたことを記念する銅像を見て終了。国連本部も興味がありましたが少し離れていて時間が足りませんでした。
今回行ったスイスの街はどこも清潔な印象があったのですが、ジュネーヴは少し汚い印象がありました。フランスが近いからでしょうか(笑)。

これで長かったスイス旅行は全て終了です。
その後のイタリア旅行についても記事にしようと思っていたのですが、各都市の建築物や美術品があまりに凄すぎて書いても駄文になるか超大作になりそうなので、ここで行程だけ紹介しておきますね。
最初はパリから飛行機でヴェネツィアへ。ヴェネツィア楽派の本拠地として有名なサン・マルコ大聖堂やモンテヴェルディの墓があるサンタ・マリア・グロリオーザ・デーイ・フラーリ教会などに行きました。
一泊してボローニャ、フィレンツェを通りローマへ。行程上どうしても月曜日にせざるを得ず、残念ながら多くの博物館や美術館が休館でした。ボローニャは協奏曲発展を推し進めたボローニャ楽派の拠点であるサン・ペトローニオ大聖堂やアッカデミア・フィラルモニカ、ボローニャ大学の旧館であるアルキジンナジオなどに行き、昼食にいわゆるボロネーゼパスタを食べました。フィレンツェはあの有名なサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に行きましたが、洗礼堂や鐘楼は事前予約が必要で既に完売していて入れず…。
ローマは何とかその前の行程を圧縮して丸2日取りました。何といっても古代ローマとローマ・カトリックの本拠地。1日目はヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂とシスティーナ礼拝堂を含むヴァチカン美術館、ついでにトレビの泉やスペイン階段も見てきました。ヴァチカンはとにかく全てが他の教会を圧倒していますね。トレビの泉は現在近くに寄れないように規制されていて、無理やりコインを投げ入れようとしましたが入りませんでした…(笑)。2日目は古代ローマ遺跡巡り。コロッセオ、皇帝たちのフォルム、数々の神殿、浴場、競技場、少し歩けばすぐローマ遺跡に巡り合えます。大部分が破壊されていたりキリスト教化されていたりしますが、断片から往時の様子を想像して古代ローマの威光を感じ取りました。またパンテオンにはコレッリの墓があります。凄かった、ローマ。
次の日はナポリ近郊のポンペイを訪れました。紀元79年のヴェスヴィオ火山の噴火による火砕流で一瞬にして消滅都市となってしまい、その後18世紀中頃の発掘まで蛮族による破壊や風雨による劣化もなく保存されていた貴重な遺跡都市です。都市丸ごと1つ遺跡なので敷地は広大で、疲労と暑さと戦いながら主な見所を見学して回りました。噴火の前に地震もあったのでそれぞれの建物は完全というわけではありませんが、とにかく都市の区画は全く手つかず。建物内部の壁画は美術館に展示するため取り去られたものも多いですが、今もそのまま残っているものもあり、そろそろ約2000年経とうというのにとにかく色が鮮やか。それでも発掘から250年ほど経ち、多くの場所で劣化が進行しているそうです。亡くなった市民へ黙祷を捧げてからナポリに引き返し、卵城、王宮、サン・カルロ劇場、ヌオーヴォ城などを外観のみ見学。劇場は目下工事中でした。翌朝帰る前にナポリ大聖堂と考古学博物館にあるポンペイから運ばれた壁画コレクションを見て、全ての旅程は終了。博物館にあるといっても温度や湿度管理は全く行われておらず、ケースの中にあるわけでもなく手の届く位置にあります。これでは元あった場所にあるのと比べてそんなに劣化具合は変わらないのではないかと思いました。これからは適切な保存をお願いしたいですね。

次回は今週行われるオーケストラとヴァイオリンデュオの演奏会の模様をお伝えします。久しぶりに音楽ネタですね。


スイス鉄道乗りまくりツアー①

19 8月 2020

ユングフラウ鉄道の起点、クライネ・シャイデック駅

ただいまイタリアにて偉大な芸術のフォアグラ状態になっている佐藤でございます。
引き続き旅行記で恐縮ですが、今回は先週のスイスでの活動報告を簡単にさせていただきます。題名の通り、今回はかなり鉄道要素高めです。

まずはパリ・リヨン駅からTGVでスイスのローザンヌへ。乗り換え時間にスイスフランを用意し、ヴヴェイという駅まで再び国鉄に乗ります。
途中、右側にはレマン湖、左側には葡萄畑の車窓。ローザンヌ周辺はワインの産地なんですね。
ヴヴェイからモントルー・ヴヴェイ・リヴィエラ交通(MVR)という線路幅1mの小さな電車に乗り換え、最初の目的であるブロネー=シャンビー博物館鉄道へ。

様々な車両を収蔵する博物館

1966年に廃線になった全長3㎞ほどの区間を利用して、ボランティアの手により夏期の休日のみ運行される保存鉄道です。博物館入場と1日乗車のセット券をボランティア駅員のおじさんから購入。ブロネー駅から最初に乗ったのはオープン客車を1両連結した赤い電車。3等まであったスイスの座席設定ですが、この鉄道はどこに座ってもよさそうなので少し座席幅が広く快適な2等座席に座ってみました。車体を軋ませながらゆっくりと上り坂を登って行き、眼下にレマン湖が見えたところで左手に博物館兼車庫が見えてきます。終点はここですが、まずはその先のシャンビー駅に行って折り返すダイヤになっています。博物館兼車庫に着くと、1mゲージの蒸気、電気、ディーゼルなど多様な古い車両が前後の車庫にひしめき合うように収められていて、もう何時間でもいられそうです。保存状態が非常に良いのは勿論のこと、これら大半が現在でも営業できるそう。フランスの鉄道博物館と違って、基本的にどの車両も中に入れます。半分程度見たところで蒸気機関車の運転時刻になりました。小さいながら健気にも走り装置が2組あるドイツの機関車で往復乗車。機関士と機関助士もおそらくボランティアで、楽しそうに運転していましたね。博物館に戻った後は残りの車両を見て、駅舎併設のカフェで休憩した後ブロネーへ戻りました。途中で茶色い電気機関車や水色の電車が動いていたのでそれに乗れるのかと思いましたが、乗れたのは結局来た時と同じ赤い電車でした。
ローザンヌに戻り、軽く街を観光。ローザンヌ大聖堂は17:30で閉まってしまい入れなかったので外観だけ。丘の上にあるので、大聖堂の手前からローザンヌの旧市街を見ることができました。あとはレマン湖畔を歩きつつオリンピック博物館も外観だけ見ようと行きました。建物に向かって上がっていく階段には大会開催年と都市が刻まれていて、最後は2018年の平昌。2020と東京は果たしてこの次に刻まれるのでしょうか…。

大聖堂の塔から見たベルン旧市街

2日目、この日は鉄道要素なしで首都ベルンを観光。至る所に水飲み場があり、長いアーケードが続く古い街並みが残る街です。連邦院の建物を横目に見つつ、まずはベルン大聖堂へ。天井のリブが格子状になっていて、それに沿って模様が描かれています。個人的に興味深かったのは信徒用の長椅子。背もたれと座面が共通設計になっていて、前後に転換できるんです。教会版転換クロスシートでしょうか?(鉄分なしと言ったのに…。)フランスでは見たことない長椅子ですね。これならオルガンを聴く際などに身体を捻じって振り返る必要がありません。塔にも登ってみました。ここからは赤茶色の小さな六角形の瓦葺きで統一されたベルンの旧市街が一望できます。あの大量の瓦を造るのって業者の入札とかあるんだろうか、なんて考えてしまいました。
アーレ川を渡った先にクマ公園があるのですが、残念ながらクマの姿は見えず。街を創設したツェーリンゲン大公が猟で仕留めた最初の動物がクマだったので、それが街の名前や旗、シンボルになっています。ところでアーレ川では結構泳いでいる人がいたのですが、見たところとても流れが速く危険そう…。橋脚に激突したりしないのでしょうか?川は街を半周するように流れているので、うまくすれば流れるプールのようにして楽しめるのかもしれません。
旧市街に戻ってアインシュタインの家に行きました。彼が3年間住んでいた家で、調度品や資料が展示されています。受付の人が何故か日本人の方でした。2階には彼の経歴や功績の説明があり、音楽活動の説明もありました。
そろそろ正時になる頃、近くにある有名な時計塔へ。アインシュタインはこの時計の針から特殊相対性理論の着想を得たようですが、凡人の私には皆目分かりません。正時になるとからくり人形が作動しますが、うーん、期待が大きすぎたのかちょっとしょぼかったかも?自動オルガンくらい鳴るのかと思いました。周りにいた人たちもこれで終わりかと、しばらく待っていましたがやがて離散しました。古くて貴重なので良いんですけどね。
その後は宿泊地インターラーケンへ移動、この日は終了です。

スフィンクス展望台から見下ろすアレッチ氷河

西のトゥーン湖と東のブリエンツ湖に挟まれた名前の通りの小さな町、インターラーケン。周囲を山々と湖で囲まれ、登山やスキー、パラグライダーやカヌーといった自然アドベンチャーを求めやってくる客で賑わっています。私もその一人、目的はそう、ずばりユングフラウ鉄道です。
ユングフラウ鉄道というのは正確には一部区間の鉄道なのですが、その手前の2つの鉄道もユングフラウ鉄道の傘下にあり、これらをまとめてユングフラウ鉄道と呼ぶことが多いようです。山頂のユングフラウヨッホ駅まで厳しい自然の中を走る登山鉄道だけあって運賃が高く、最短で往復しても117.4フランかかります。日本円だと大体13000円くらい。その他の別の支線やロープーウェイに乗るにはさらに運賃が必要で、公式サイトにはいろいろな乗車パスの設定があるのですが、これがたくさんありすぎてとにかく分かりづらい…。結局その都度切符を購入しましたが、時期によってはこれより少し安くなるプランがあるのかも?しれません。
インターラーケン・オスト駅からまずはベルナーオーバーラント鉄道の区間。近年車両が新しくなったようで近代的な広く快適な車両になっています。途中で左手に古めかしい機関車や客車を持つシーニゲ・プラッテ鉄道が見えてきますが、これは後で乗ります。しばらくすると小川に沿って峡谷の中へ入っていき、徐々に高度を上げていきます。2番手はヴェンゲルンアルプ鉄道。線路の間に歯車レールを持ち、ここで一気に高度を稼ぎます。標高3000m級の山々と氷河が間近に迫ってきました。ラストはユングフラウ鉄道。最初の駅を過ぎるとずっとトンネルになってしまい車窓はあまり楽しめないのですが、途中のアイスメーア駅では少し停車するので、大半の人は一度下りて展望台から景色を眺めます。最急勾配は250パーミル、日本にあるケーブルカーを除いた鉄道の最急勾配は大井川鐵道井川線の90パーミルですから、これはその約2.8倍あるわけです(ところがこの旅行では後にとてつもない勾配の鉄道に乗ることになります…次回)。長い勾配を上った先の終点はユングフラウヨッホ駅。標高3454mにある、ヨーロッパで最も高いところにある鉄道駅です。駅は山中にあり、黒部峡谷鉄道を思い起こさせました。少し歩いたところにスフィンクスと名付けられた標高3571mの展望台があり、そこから目の前に延々と続くアレッチ氷河やユングフラウを始めとした山々、遥か下遠くに先ほど乗り換えた駅を見ることができます。この日の天気予報は午前中何とか少しだけ天気が良く、その後一時雷雨とあまり良くないものでしたが、行って見れば何のその、快晴でした。急いで午前中の内に来た甲斐がありました。服装は長袖とウィンドブレーカーというやや軽装で行ってしまいましたが、風が吹かなければ日が当たってあまり寒くありません。絶景が見られるかどうかは天気によって大きく左右されるようで、公式サイトではライヴ映像も配信されていて最新の天気を確認することができます。展望台の他は尾根に沿って歩く道が2つ、あとは氷河の中にある氷の彫刻の展示コーナーや、通路に鉄道の建設工事の展示などがありました。氷の彫刻コーナーはさすがに寒かったですね。
ところでユングフラウ鉄道には短い右ルートと長い左ルートがあり、行きは所要時間が短い右ルートで行ったので帰りは左ルートを試してみることに。ですが距離が長いだけあって勾配がきつくなく途中から普通の鉄道のようになってしまうので、特段用事がなければ短い右ルートの往復で良さそうです。下りてくる途中でユングフラウの山頂付近はだんだん雲に覆われ始めました。早く行って本当に良かったー。

機関車と客車が可愛らしいシーニゲ・プラッテ鉄道

ヴィルダースヴィル駅まで帰ってきたところで、今度は先ほど見たシーニゲ・プラッテ鉄道に乗車。登山鉄道で降りてきたばかりなのにまた別の山に登山鉄道で登るという…。こちらの方が歴史が古く、車両も古いので鉄道ファンとしては楽しいです。麓側に小さな電気機関車が一両、その前に基本2両の赤とベージュの客車が繋がれ、先ほどのユングフラウ鉄道と同じ250パーミルを懸命に登って行きます。トンネルはそう多くないので、山間を抜ける少しのスリルと景色を楽しめるのが魅力ですね。終点のシーニゲ・プラッテ駅には高山植物園があり、麓まで下りる束の間、目を楽しませてくれます。エーデルワイスもあるらしいのですが残念ながら見つけられませんでした…。お昼にはアルペンホルンの演奏もあるようです。天気の都合がなければこちらにまず来ればよかったですね。

1回で終わらせるつもりでしたが、意外に長くなってしまったので2回に分割したいと思います。次回はブリエンツ、ルツェルン、フルカ峠に行きます。


フランス南東部、モナコ旅行記

12 8月 2020

大公宮殿からモナコ市内を見下ろす

先週は「サン=ジョルジュ・コンソート」のノルマンディー地方ツアーが無事終わりました。1日目はバイユー近郊のジュエイ=モンダイエにあるサン=マルタン修道院教会で、2日目はグランヴィルのノートルダム教会で演奏しました。サン=マルタン修道院教会では18世紀の大オルガンを使って演奏を行い、奏者は階上のオルガンの周りに身を寄せ合って演奏しましたが、オルガンの構造物に遮られ視覚的にコンタクトが取れなかったり、距離が遠くずれが生じたりしてなかなか大変でした。でも教会の大オルガンでアンサンブルをしたことはなかったので貴重な経験でしたね。
今週からパリ市内の一部で屋外においてもマスク着用が義務化されました。先週から暑くなったのでなかなかきつい時もありますが、観光客も対象ですのでパリに来られる際は基本的にどこでもマスクを着けておくのが無難でしょう。
少し前までマスク=重病者のイメージで着けるのが憚られたのに、こんなにも変わってしまうのですね。果たして効果はいかに。
日本では相変わらずマスコミが「感染者」(=患者ではない)の増加を好んで報じて国民の不安を煽り立てているようですが、良識ある皆様はどうか誤った情報に流されず、正しくウィルスを恐れて生活していけるよう願っています。

さて今回は少し前になりますが、2週間前に行ったフランス南東部とモナコの旅行について簡単に活動報告したいと思います。それぞれの歴史や背景などを書き出すととても長くなるので、今回はあくまで記録です。
こちらに来てからフランス国内のいろいろな所を旅行しましたが、南東部の地中海に面した辺りは手付かずでした。特に歴史的建造物がたくさんあるというわけでもないのですが、やはりあの辺りの雰囲気を知っておきたいなと思いまして。

カンプラが学んだサン=ソヴール大聖堂

パリからTGVに乗って、まずはエクス=アン=プロヴァンスを訪れました。何故かというと、私の敬愛する作曲家アンドレ=カンプラの生まれ故郷だからです!大概の日本人はポール・セザンヌ目当てで行くと思いますが…。早速、まずはカンプラが聖歌隊で歌い音楽を学んだサン=ソヴール大聖堂に行きました。古い部分は5世紀末のものが残る非常に古い教会です。今日あるオルガンは19世紀のものだそうですが、カンプラがここで勉強したのだなとしばし思いを巡らしました。回廊はガイドツアーのみの開放で、それぞれの柱や柱頭のデザインなど事細かに解説がありました。
次はカンプラが生まれた家探し!彼の生家はピュイ・ヌフ通りにあったらしく、現在でもこの通りは存在するのでプレートか説明書きがあることを期待して行ってみましたが、残念ながらそれらしきものはありませんでした。17世紀の地図を見てみると現在と道の形が一緒なのでおそらくこの両側のどこかの家だと思うのですが…。隣の通りが「カンプラ通り」だったり、近くの幼稚園と中学校がカンプラの名を冠しているので割と地元では愛されている存在なのだと思います。生家が詳細に分かるなら是非掲示してほしいですね。
出発までまだ時間があったのでタピスリー美術館と歴史博物館にも行きました。タピスリーって宮殿には付き物で何だか見慣れてしまいましたが、微妙な色彩を織物で表現するってすごいですよね。
この地区は17-8世紀の建物がとても多く残っていて、カンプラがいた時代を容易に想像させてくれました。
しかしこの日も快晴でとても暑かったです。こういう空ってカンプラのような南仏の音楽を連想させますよね。

マルセイユの旧港と城塞

続いてマルセイユ。出ました地中海!旧港には停泊中の小舟やヨットのマストがずらり、その手前では漁師さんたちが釣った魚を売っています。マグロもありましたね。
2日目の朝、まずは旧港から出るフェリーで少し離れた島にある「イフ城」に行きました。城塞なので特に建築として面白いところはあまりないのですが、アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』で主人公の牢獄として舞台になったことで有名です。私はこの小説を読んだことはないのですが…。独立した島の堅固な要塞なだけあって、牢獄にはうってつけといった感じです。周囲に何も遮るものがないので日向はとても暑かったです。
本土に帰って、旧慈善院にある博物館群を観に行きました。夏期は無料とのこと!マルセイユは古くから地中海貿易の拠点だった関係で、この博物館はエジプト、オリエントの古代文明を始めとしたコレクションを多数所有していて見ごたえがありました。
続いてロンシャン宮にあるマルセイユ美術館。ここも無料でした。私が個人的に好きなフィリップ・ド・シャンパーニュもありましたが、特にプロヴァンス出身の画家たちの作品が多く所蔵されています。1720年の大規模なペスト流行の様子を描いた作品もいくつかありました。
お決まりの教会巡りですが、この町の大きな聖堂、ノートルダム・ド・ラ・ギャルドやラ・マジョールはいずれも再建された19世紀の建築です。しかしサン=ヴィクトール修道院は古い建物。見た目は城塞のようで無骨ですが、古い部分は5世紀のものが残る歴史ある建物です。特に地下聖堂は3世紀の墓地の跡で非常に古く圧巻でした!手持ちの現金が足りず入場を諦めかけましたが、近くのATMで調達して入った甲斐がありました。

念願のFIAT500でチュリニ峠を走破

さて翌日はニースへ向けて電車で移動。国際映画祭で有名なカンヌも通りました。今回ニースに何をしに来たかというと、海で泳ぐため…ではなく、レンタカーを借りてモナコ・グランプリやラリー・モンテカルロのコースを実際に走りに来たのです。
ニース空港に隣接するレンタカーセンターで早速手続き。帰路の飛行機とセットで予約し少し安い値段になりました。車種はFIAT500か同等クラスという予約でしたが、できれば一度FIAT500に乗ってみたかったんです。渡された鍵はFIAT!念願叶いました。エンジンをかけ中央のモニターを操作しナビを設定しようとすると…あれ、ナビがない。そんなことあります?でも何度探してもナビらしきメニューはなく、仕方ないのでGoogleのナビを設定した携帯をダッシュボードに置いて何とか出発…。振動で頻繁に倒れてしまい手を出すのが危なかったので、ハンドルの裏に置く方法を確立しました。
海沿いを走り、せっかくなので少し海岸に降りてみようとモナコの少し手前にあるカップ=ダイユに車を停めて少し散策。入り組んだ入江が続いていて、あちらこちらで海水浴を楽しんでいる人たちがいました。暑くて滝のように汗をかいたので、準備して少し海に入れば良かったと後になって思いました。

それから少し車を走らせモナコ公国へ入りました。特に国境の案内もないまま入ってしまいましたが、周囲の国旗や警察官の服装の違いで国の違いを感じられました。まずは大公宮殿へ御挨拶に…と思ったら、現在一般公開は中止しているとのこと。外側だけ拝見させていただきました。
行こうかどうか迷っていましたが、宮殿に入れなかったのでモナコ大公のカーコレクション博物館へ。歴代大公のコレクションやモナコ・グランプリ、ラリー・モンテカルロで優勝した車が多数。欧米の旧車好きにはたまらない博物館だと思います。
車を見た後はいよいよモナコグランプリのコースへ。事前にナビに経由地を設定しておいて走ることができました。ただしトンネル区間以外はほぼ市街地なので混んでいてレース気分はあまり味わえず。道路脇の縁石が赤と白の縞模様になっているところがいくつか、タイヤ痕もありましたね。楽しくて3周してしまいました。

フランスに戻り、続いてラリーのコースへ。まずはペイユの近くからサン=タニェスを通って戻ってくるコース。車一台がやっと通れるほどの狭い道ですが一方通行ではありません。むやみにコーナーへ突っ込んで対向車が来たら正面衝突は免れないでしょう。十分注意して「かもしれない運転」をしましたがそれでも出合い頭は少しヒヤッとしますね。走りに来る方はくれぐれも安全に楽しみましょう。とても長いコースで、一周で大満足しました。もう一度中間地点のサン=タニェスまで行き、町に降りて念のため給油。山間部にはガソリンスタンドが全くないのでガス欠になったら一巻の終わりです。
続いて大本命のチュリニ峠。そこに至るまでも延々峠道で、これがチュリニ峠かーと思っていたらまだだったりしました。先ほどのコースに比べればすれ違いできる広さはありますが、何せ断崖絶壁なので転落したらまず助からないでしょう。それなのに鉄のガードレールなどなく、あるのは木(笑)のガードレールらしきものや背の低い縁石だけ。ここを全開走行するラリードライバーってすごいですね…。チュリニ峠もとても長いコースですが、掲載した写真の場所のように峠の茶屋のようなレストランとホテルがあるエリアもあります。ツーリングにはうってつけですね。
何もない山間部ですが、集落がちらほらあって人も結構見かけました。こんな山奥に生活している人たちがいるんだなと思いました。
ニースのレストランでラタトゥイユを食べてみたいなと思っていましたが、峠を下ってニースに着いたのはもう22時過ぎで断念。夜になってもパリのように涼しくはなりませんでした。
散々峠道を走りましたが、結局使ったガソリンは15L程度でした。FIAT500は燃費が良いですね!

帰路はEasyJetというLCCでオルリー空港に到着。トラムでC線に乗り換えようと思い案内に沿って行きましたが全然分からない!より一般的なオルリーヴァルはNavigoの適用外で有料なので、トラムの方はあまり利用させる気がないのでしょう…。ぷんぷん。
ちなみにそこここにある消毒液で手を消毒する度どうも右手が痛いなと思ったら、ハンドルで擦れたようです。ドライビンググローブって必要ですね。まあ今回すごい峠をたくさん走って満足したので、峠遊びは当分やらなくても良い感じです。

次回は今週のスイス旅行の活動報告です。しばらく旅行記が続きますね。


ヴェルサイユ宮殿観光の手引き・庭園編③

5 8月 2020

圧倒的な規模を誇るネプテューヌの泉水

今週は以前紹介したアンサンブル「サン=ジョルジュ・コンソート」のノルマンディー地方ツアーがあり、昨日と今日でリハーサルをしました。前回の演奏会プログラムを一部改変したものなので、再演の曲は確認程度でさくさくとリハーサルが進みました。明日と明後日が本番です。

さて、今回はついにヴェルサイユ宮殿庭園案内の最終回です。早速見ていきましょう!

19.「北の斜面の低いところへ出て、沼(の園)へ入り、そこをひとめぐりするように。」
この園は1778年にユベール・ロベールによる「アポロンの水浴の園」に完全に置き換えられ、ルイ14世が意図するものは今日では何も見つけることができません。「沼の園」は長方形の池の中心に一本の木を植え、周囲から木に向かって水をかけるように噴水が配置されていたようです。池の縁には草木が生い茂り、それが「沼」を演出していたのだと思われます。
しかし「アポロンの水浴」は完全にルイ14世時代と無関係なわけではありません。なぜならこの園の主題であるアポロンとその取り巻きたちの3グループの彫像は、1684年の北翼棟の建設工事でやむなく取り壊された見事な建築物「テティスの洞窟」に置かれていた彫像なのです。王国末期になって、100年前の建築物を彼らなりに復興したのでしょう。中央にはニンフたちの世話を受けるアポロン、両側は彼の馬たちと従者たちが配置され、洞窟自体はロマンティック様式で本当の洞窟のようです。近寄って彫像をよく観察したいところではありますが、手前の芝生は進入禁止になっていて遠くからしか眺めることができません。失われたテティスの洞窟にしばし思いを馳せましょう。

20.「三泉(の園)へ高い方から入り、下りて行って、3段になった泉を眺めたら、竜(の泉水)へと続く道に出るよう。」
1677年にル・ノートルによって造られた園ですが、1804年に完全に破壊されてしまいました。今日見られるのは2004年に復元されたものです。彫刻や噴水の形は違いますが、3つの泉水の間に水が流れ落ちる階段が設置された設計は当時のままです。
21.「竜(の泉水)の周りを巡り、ネプテューヌ(の泉水)の噴水と池を見るように。」
いよいよクライマックスです。圧倒的な規模を誇るネプテューヌの泉水と、竜の泉水から城館に近いピラミッドの泉水までが1つの群を形成しています。まずは竜の泉水。この竜はジュノンの命令でラトーヌを襲っていたピトンで、その子アポロンは間もなくピトンを退治して母の恨みを晴らしました。竜の周囲に配置された弓を持っている4人の子供はアポロンを表していて、竜はもがき苦しんで天に向かって水を高く吐き出しています。
続いてネプテューヌの泉水。縁に配置された小さな噴水を見ながら、土手を半周して中央へ行きましょう。手前に広大な池があって彫像は良く観察できないのですが、中央に三又の鉾を持ったネプテューヌ、周辺には海の怪物たちがいます。15分ごとに行われる噴水のショーは非常に見ごたえがあるので、休憩ついでに是非見てみて下さい。ちなみに池の背後には「王の名声」という彫像が配置されるようですが、修復中なのか現在は台座だけになっています。
22.「凱旋門(の園)の方へ行くよう。泉、噴水、水面と水槽の多様性、彫像、水の様々な効果に注目のこと。」
この園はル・ノートルによって1684年に完成しました。当時は上と下の二つの空間に分割されており、上には奥に凱旋門の泉水、左右に長方形を階段状に積み上げた泉水と4つのオベリスク、下には栄光、勝利、祝勝のフランスを表す3つの泉水があり、そのほとんどすべてが金鍍金仕上げという非常に豪華極まる園でしたが、残念ながら今日ではほとんどの構造物は失われ、残っているのは一番手前にある祝勝のフランスを表す泉水のみとなっており、上下の空間もつながってしまいました。わざわざ見るポイントが列挙されているので、ルイ14世自身もかなり気に入っていたのでしょう。興味がある方は是非、Bosquet de l’arc de Triompheで検索して当時の絵を見てみて下さい。あらゆる戦争で圧倒的な強さを誇った絶頂期のルイ14世と王国をよく物語っています。唯一現存する祝勝のフランスの泉水は武装した女性がフランスを表し、左右に敗者が座っています。
23.「竜(の泉水)の方に再び出て、園路(水の散策路)を通り、低いところの二つの泉水の間にある石の上に来た時、振り返ってネプテューヌ(の泉水)と竜(の泉水)を全て一瞥の下に見渡すよう。引き続きこの散策路を登って行くように。」
左右に様々な子供たちがデザインされた小さな泉水が置かれた園路を登って行きますが、「低いところの二つの泉水の間にある石」というのは今日では見つけることができません。車止めの木の杭が打ってある辺りでしょうか?ここからはネプテューヌの像は見えませんが、高く上がる水柱と手前の壺から湧き出る水柱、竜の泉水が1つの情景を成しています。園路の泉水の間には様々な形に剪定された小さな植木が並んでいます。
24.「下の泉水面のところで足を止め、浅浮彫とこの泉の他のところを見るよう。」
水浴びするニンフたちが描かれた中央の大きな浅浮彫の上から水が流れ落ちることによって、本当に水浴びしているかのような効果が得られています。中央の浅浮彫は金鍍金だったようですが、現在は鍍金はおろか地の鉛もくすんでしまっているのが残念。今後の修復に期待したいところです。
25.「それから、ピラミッド(の泉水)の方へ歩を進め、そこでしばらく足を止めて、さらに、研師像と恥じらいのヴェニュス像の間の大理石の階段を経て城館の方へ登ったら、階段の上で振り返り、北の花壇、彫刻、壷、冠(の泉水)、ピラミッド(の泉水)、それにネプテューヌ(の泉水)から(こちら側に)見えるものを観望し、そして、入ってきたのと同じ出入口を通って庭園を後にするように。」
海神トリトンたちとイルカによって支えられた5層のピラミッドの泉水は、構造は単純ですが水が流れ落ちるととても見ごたえがあります。階段の上から眺めると、幾何学模様に整備された左右の花壇とそれぞれ1つずつ配置された冠の泉水、生垣の中のニッチ(彫像を置くためのくぼみ)に配置された彫像、三角形に剪定された木々、今まで見てきたネプチューヌの泉水の水柱からピラミッドの泉水に至る一連の泉水群が一望できます。冠の泉水は2人ずつのトリトンと人魚が中央の冠を支えているデザインの泉水で、近くで観察したければ階段に至る前に2つあるうちのどちらかへ寄ってみるのも良いでしょう。
庭園を出るには少々遠いですが左手に城館を見ながら進み、左に曲がって南の花壇を右手に進み出場します。お疲れさまでした!

さてルイ14世の案内で庭園を巡ってきましたが、ルイ14世の意図としてはやはり水の効果が重要であることは明らかです。しかし現代の機械力をもってしても噴水の稼働にはかなり経費がかかるようで、噴水が稼働するのは夏期の休日、しかも全てが稼働するのは15時半から17時までの1時間半しかありません。私は少し庭園に詳しく体力がある方ですが、それでも全ての行程を回るのはかなり厳しいです。そこで、私なりにプランを考えてみました。現在の入り口から効率的に回れるよう、3のオランジュリーを上から見るところからスタートします。
・ルイ14世の栄光コース
3-1-2-4-5(オランジュリーは省略)-6-7-8-9-10-11(サテュルヌの泉水から進んで高い方から入り通り抜ける)-12-13-14-15-16-19-20-21-22-23-24-25-余力があればオランジュリーへ下りる
・かいつまんでじっくり見学コース
3-1-2-8-7-10-12-13-15-20-21-22-23-24-25
最後のネプテューヌの泉水からピラミッドの泉水に至るまでが非常に見ごたえがありますので、何とか時間内に最後までたどり着きたいところです。
また夏期の土曜日の夜は花火大会があり、花火開始前は20時ごろから噴水が稼働しますので、それに行くのも手でしょう。

以上、3回にわたって庭園の案内をお送りしました。皆様も是非、噴水の稼働する夏期の休日を狙ってヴェルサイユを訪れてみて下さいね。
次回は先週行ってきた南仏旅行の活動報告です。


ヴェルサイユ宮殿観光の手引き・庭園編②

29 7月 2020

ルイ14世の威光を示すアポロンの泉水

今週は久しぶりにルーヴルに行ってきました。コロナウィルス対策により事前予約必須で、入口も限定されています。せっかくルーヴル友の会で列に並ばずに入れる権利があるのに、今は一般客列に並ぶしかないようですね…。さらに以前は案内所で配布されていた館内図がなくなっています。館内図なしで周るのはかなり難しいので次回からは持って来なければ。
また今日から南仏へ行ってきます。リゾート地エクス=アン=プロヴァンスや地中海に面したマルセイユ、ニース、モナコを訪れます。


さて今回もヴェルサイユ宮殿の庭園をルイ14世の案内で巡りましょう。ラトーヌの泉水と国王の散策路の間にある眺望点から再開です。

9.「枝付き燭台のボスケの方から下りて行き、途中それを眺めながらサテュルヌ(の泉水)へ向かうように。そこを半周して、国王の島へ行こう。」
枝付き燭台というのはいくつか蝋燭を立てることのできる燭台のことで、この名前の由来は中央の水柱の周囲にたくさんの放水管を備える泉水か木立の形か、あるいはその両方でしょう。木立に入ってしまうと幾何学模様に剪定されていることはあまり分からなくなってしまいますね。サテュルヌは農耕と時の神で、ここでは冬を表す泉水です。中心の羽の生えたサテュルヌの周りに愛の神と貝殻がデザインされています。左に回り込んで、「国王の島」へ進みましょう。

10.「両側に噴水のある土手道の上を進み、大きな池を一周、低い方に着いたら立ち止まって、水柱、小舟、彫刻と柱廊を見るように。」
周辺を池で囲み自らのいる場所を「島」と表現する何とも贅沢な場所ですが、残念ながら大きい池の方は1818年に埋め立てられ、イギリス式庭園へ改造されてしまいました。今日では小さい池のみが残っているので、こちらの土手道を代わりに歩きましょう。夏期の休日は一定間隔で行われる音楽と噴水の華やかなスペクタクルを楽しむことができます。次に進むには本来の道筋通りイギリス式庭園の右手から延びる道を行くか、サテュルヌの泉水まで戻って進んでも良いでしょう。

11.「アポロン(の泉水)へと続く小径まで行き、低い方から回廊(の園)へ入ろう。ひとまわりしてから列柱(の園)へと続く道の方へ出るように。」
ここで言われている「回廊の園」は、1704年頃にマンサールによって今日見ることができる「マロニエの園」に造り替えられました。先王の時代にフランスに輸入されたマロニエの木が中央に2列植えられ、その周辺を古代の著名人たちの胸像が取り囲んでいます。

12.「列柱(の園)へ入り、中央へ進んでから、ひとめぐりして、柱、帯状面、浅浮彫と泉水を眺めるよう。出るときに足を止めて、ギーディーの(「名声」)群像を見た後、国王の散策路の側から(次へ)進むように。」
「プロゼルピーヌを誘拐するプリュトン」の彫像を中心に薔薇色の大理石を使った円柱と浅浮彫、小さい泉水が配置された美しい空間です。建築家としてのマンサールの技量が遺憾なく発揮されていますね。帯状面には渦巻き模様、浅浮彫には楽器を演奏する子供達がデザインされ、薔薇色の円柱と共に華やかさを引き立たせています。「名声」群像というのが何なのかはまたよく分かりません。
13.「アポロン(の泉水)の方へ下りて行き、そこで立ち止まって、国王の散策路に並んでいる彫像や壷、ラトーヌ(の泉水)と城館を眺め、(反対側の)大運河も見るように。同じ日のうちにメナジュリーとトリアノンを訪ねたければ、残りの泉を見る前に行くよう。」
ついに大本命登場…なのですがアポロンの泉水を見るようにとの言葉はありませんね。まあ自明ということなのでしょう。城館の方を見てみると、国王の散策路の傾斜と両側の並木により城館の端が隠されている効果で、今度は逆に城館までが遠く感じ、広大な庭園を巡ってきたのだと錯覚します。戦車に乗った太陽神アポロンは言うまでもなくルイ14世を表し、今まさに水面から出て地上に光をもたらそうとしています。戦車を引く馬は噴水の水飛沫を浴びてまるで汗をかいているよう。周囲には栄光のラッパを吹く従者と海の怪物もいます。言及されていませんがもちろん周囲を回ってよく観察すると良いでしょう。
メナジュリー(動物園)は大運河と交差する小運河の左端に位置していましたが今日では現存しません。トリアノンに行くには右手へ進みます。ちなみに大運河の手前右手にはレストランや土産物店がありますが、この建物は当時同盟関係にあったヴェネツィア共和国から派遣された水夫たちが住んでいたことから「小ヴェニス」と呼ばれています。現在でも夏期には運河でボート遊びができますよ。

14.フロール(の泉水)へと続く小径へ入り、アポロンの水浴(群像)の方へ行こう。そこをひとめぐりして、彫刻、陳列室と浅浮彫を見るように。」
今度は反対側のエリアに入ります。並木のトンネルのような道を進んで右に曲がると、ドームの園があります。ここは何度か改造された後、1677年にマンサールが2つの豪華な大理石のパヴィリオンを建てました。現在ではこれらは礎石を残して失われ、残っているのは泉水を囲む六角形の欄干とさらにその周囲を囲む欄干のみです。これらから察するに、かなり美しい園だったのではないでしょうか。アポロンの水浴というのもよく分かりません。

15.「アンスラード(の泉水)を通り、そこを半周だけして、それを見た後、低い方から出るよう。」
アンスラードは最高神ジュピテルに反逆した巨人たちの筆頭で、ジュピテルに対して自分が投げた岩に自ら潰されたという巨人です。半周してからでないとよく観察できないので、木組みのアーケードをくぐって進みましょう。怪力の巨人らしく非常に高らかに水柱を上げ、今まさに堕ちてくる岩を苦悶の表情で見上げています。

16.「閣議の間(の園)へ入り、フロール(の泉水)までまた登って行って、そこを半周するように。」
フロールの泉水を右手に見ながら反対側の区画へ。中央の十字の泉水と4つの小さな泉水を持っていたこの園をルイ14世はかなり好んでいたようで頻繁に散歩や祝祭を行っていましたが、1704年に改造され今日の姿になりました。中央の噴水は薔薇の冠のデザインの中に231もの放水管があるそうです。

17.「山(の泉水)の方へ行き、星型の中央へ入る前に曲がった小径を半ばめぐるよう、そこへ着いたら、山(の泉水)をひとめぐりするように。」
この泉水は周囲の木立を含めて完全に失われ、ただの空き地になっています。かつては中央の泉水の周りに星型に木立と小さな泉水が配置されていました。

18.「セレス(の泉水)の方へ行き、劇場(の園)を目指すよう。そこで(様々な)場面転換を見たり、アーケード(の中)の噴水を眺めるように。」
セレスは豊穣の女神で、麦の束が添えられていることから夏を表す泉水だと分かります。次は劇場と名の付く園なのでどんなものか期待してしまいますが、これも今日では現存しません。古地図を見てみると、三方から水が流れ落ちる仕掛けだったようです。現在では中央にジャック=ミシェル・オトニエル作の「太陽王の美しい踊り」という現代的なオブジェが配置された泉水になっています。一方アーケードの中の噴水は現存しており、花々を持つ子供たちの楽しげな姿を見ることができます。

今回はここまで、次回はいよいよ完結編です。


ヴェルサイユ宮殿観光の手引き・庭園編①

22 7月 2020

ラトーヌの泉水の上から大運河を望む

今週から罰金を伴うマスクの着用義務が「閉鎖された公共空間」にも拡大されました。美術館や教会、コンサートに行くにもマスクが必要ですね。それよりレストランの密集をなんとかした方が良いのではと思うのですが…。

さて今回は久しぶりのヴェルサイユ宮殿シリーズ、庭園編をお送りします。
まずここで言う「庭園」ですが、今回は城館から大運河の手前までに展開されている、いわゆる「小公園petit parc」を取り扱います。
ヴェルサイユの庭園はまだ宮殿が狩猟のための小さな館であったルイ13世の頃から存在していましたが、大規模な整備が行われたのはルイ14世の親政が始まった1660年代から、その治世の絶頂期となった1680年頃で、その後も増改築が繰り返され現代に至ります。設計は多くのフランス式庭園を手掛けたアンドレ・ル・ノートルで、太陽神アポロンを中心としたギリシャ・ローマ神話や自然、季節などの世界観を寓意として織り交ぜて、各部が有機的に結び付けられるような設計を行いました。
元々沼地であった土地を整備し、各所の噴水を稼働させるため遥か北を流れるセーヌ川に巨大な揚水装置「マルリーの機械」を設置、水道橋や貯水池などが整備されました。不毛な土地に大宮殿とそれに見合う庭園を造るという、自然を克服する事業にルイ14世は喜びを覚えていたようです。ただし結局全ての噴水を稼働させるだけの水は確保できず、見学者が通る時にだけ各所の噴水を稼働させていました。現在では機械の進歩により全てを稼働させることができますが、かなり費用が掛かるのか時間帯が限定されています。
詳しく書き始めると一冊本が出来上がってしまいそうなので詳しくは専門書に譲ることとして、今回は現代の庭園を観光するという視点で書いていきたいと思います。
どのように鑑賞するのも自由なのですが、よりこの庭園を楽しむためにはやはり施主であるルイ14世の意向を知っておくに越したことはないと思います。幸い彼自身が「ヴェルサイユ庭園鑑賞法」という書物を編纂していますので、国王お勧めの鑑賞ルートと見どころに沿ってご紹介していきます。
なお日本語翻訳につきましては、建築史学者、工学博士である中島智章氏が日本建築学会計画系論文集に寄稿されている『ルイ14世編「ヴェルサイユ庭園案内法」にみる庭園鑑賞法』を引用させていただきます。原典は1691-1695年頃に編纂された第3版です。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/65/532/65_KJ00004223710/_article/-char/ja/
なお同氏は他の論文でも非常に詳しくヴェルサイユ宮殿や庭園について研究をなさっているので、興味があればそちらも是非お読みになる事をお勧めします。また『図説ヴェルサイユ宮殿
太陽王ルイ14世とブルボン王朝の建築遺産』(河出書房新社ふくろうの本、2008)も非常に詳しく、また分かりやすく解説されている本ですのでお勧めです。
それでは庭園鑑賞を始めましょう!

引用元:BnF Gallica, Plan général de Versailles , son parc, son Louvre,
ses jardins , ses fontaines, ses bosquets et sa ville / par N. de Fer
– 1700

1.「大理石の内庭からの玄関の間より城館を出でてテラスの上に至るよう。その壇上に足を止めて、水の花壇の様子と動物陳列室の泉を眺めるように。」
ここで言う「玄関の間」というのは鏡の回廊の下、今日の見学ルートではヴィクトワール王女、アデライード王女のアパルトマンに入る順路にあり、通常の見学コースではここから庭園に出ることはできません。従って城館の見学後であれば地下から上がる出口の階段を出て右に回り込み、城館と中央翼棟との接続部分をくぐり抜けて庭園に行きます。最初から庭園を目指す場合は城館の入口Bの左手を目指して行きましょう。夏期の庭園有料時には左手に切符売り場と検札所があります。音楽付き、噴水と音楽付きの日は城館とは別に入場料が必要です。検札を受けて入場した後、右に回り込んで城館の西側を目指しますが、こうすると必然的にオランジュリーの上や南の花壇を通るので、今日ではこちらを先に見学した方が良いかもしれません(後述します)。
さて順路通りにまずは城館の西側に面している一段高くなったところから左右の水花壇と奥の「動物陳列室の泉」を眺めます。動物陳列室と急に言われても何のことか分からないと思いますが、左右に動物の銅像が配置され木立に囲まれた泉があります。

2.「続いてラトーヌ(の階段)の上のところまで直進し、立ち止まってラトーヌ(の泉水)、とかげ(の泉水)、斜路、彫刻、国王の散策路、アポロン(の泉水)、大運河を眺め、さらに振り返って花壇と城館を見るように。」
水花壇に配置されたフランスの河川が擬人化されている銅像などを観察しつつ、水花壇の間を通り抜け階段のところから全景を眺めます。ラトーヌの泉水、国王の散歩道(緑の絨毯とも呼ばれる大運河の手前の部分)、アポロンの泉水から大運河まで傾斜のある地形になっていることにより、実際にはかなり距離があるのですが視覚的な効果によってそれらが近くにあるように、お互いが密接に関わっているように感じることができます。遠景だからこそ感じることのできる彫刻や植木、芝生の配置にも注目しましょう。

3.「左へ曲がって、スフィンクスの間を通り抜ける。歩いて行くと動物陳列室の前へ至り、そこで立ち止まって噴水の水柱と水面を眺めるように。スフィンクスに至ったところで立ち止まり、南の花壇を見よう。オランジュリーの上のところまでまっすぐ行って、そこからオレンジの花壇とスイス人の湖を見るように。」
この最初に書かれている「スフィンクス」はどう探しても見つけることができないので、後年取り除かれてしまったのでしょう。左手の「動物陳列室の泉」を詳しく観察します。ルイ14世は水柱と水面というばかりで彫刻については何も触れていませんが、右は「雄鹿を打ち倒す猟犬」、左が「熊を打ち倒す虎」です。
2つ目のスフィンクスは今日でも見つけることができ、検札所から1.のテラスに行く行程でおそらく通ると思います。愛の神が上に乗ったスフィンクスが一対置かれている階段の中心から左右の花壇、泉水を見ましょう。ボードゲームの駒のような三角形に剪定された植木が整然と配置された中に、幾何学模様を描いた背丈の低い植え込みがあり、季節が良ければその中の花も楽しむことができます。
オランジュリーの上から見下ろすと、自分が今までいた場所がいかに高台であったかが良く分かります。泉水を中心に美しい幾何学模様を描いた芝生が四方に配置され、夏期であれば周囲にオレンジやレモンなどの果樹が置かれています。奥には王の菜園のための貯水池であるスイス人の湖があり、その奥に彫像が置かれています。オランジュリーから見ると遠すぎて何だか良く分かりませんが、炎を馬で超えるメッティウス・クルティウスというローマの建国伝説に登場する勇者がデザインされています。私はこの彫像には毎日ジョギングでお目にかかっています。

4.「右へ曲がり、アポロンのブロンズ像とアンティノユスの間を抜け、進行方向に体を向けたまま立ち止まり、バッキュス(の泉水)とサテュルヌ(の泉水)を見よう。」
アポロンのブロンズ像とアンティノユスというのも今日では見つけることができません。オランジュリーの上から右に進むと階段があり、その端に壷の彫刻が置かれているのですがこの部分にあったのでしょうか?その先まで進むと、眼下に背丈の高い木立に囲まれた直線が見え、その線上にバッキュスの泉水とサテュルヌの泉水を一望することができます。ここは観光客はほぼ素通りしてしまうポイントですが、国王お勧めの場所だけあり結構美しい眺望ですよ。

5.「オランジュリーの右の斜路を下り、オレンジの庭園を抜け、泉の方へまっすぐに進み、そこからオランジュリーを眺めるように。大きなオレンジの木の中を通る園路を抜け、オランジュリーの屋内へ入り、迷宮の側に面した入り口から外へ出よう。」
百階段と呼ばれる階段を下り、ジュール・アルドゥアン=マンサールが設計したオランジュリーの建築を堪能します。幾何学模様を描く芝生、奥にある城館と共にこのオランジュリーを眺める構図は昔は絵画、現在ではよくポストカードの写真になる程に美しいです。通常はオランジュリーに入ることはできないのですが、いくつかの窓が換気のために開けられていることがよくあるのでそこから内部を観察することができるでしょう。階段の麓まで戻り、階段の左手側の地表面を進んで行くとルイ14世のLの字があしらわれた紋章が付いた大きな扉にたどり着きます。オランジュリーを通ったつもりになって、先へ進みましょう。なお、ここのあたりは傾斜地になっていて、百階段の側面を地表から見てみると傾斜に沿って斜めに石材を加工して建設されていることが分かります。

6.「迷宮へ入り、雌鴨と犬(の寓意群像)のところまで下りた後、また登っていってバッキュス(の泉水)の側から外へ出るように。」
ここはかつて有名であった木立で作られた迷路があり、ヴィオラ・ダ・ガンバの名手マラン・マレもこの迷宮を題材にして曲を作っていますが、残念ながら今日では完全に失われ、1775年にマリー・アントワネットが「王妃の木立」として作り変えてしまいました。木立が老朽化して維持が難しかったという理由もあるようですが、迷宮で遊んでみたかったですね。現在工事が行われていますが間もなく完了するそうです。全体図を見ると、道が入り組んでいて少し迷宮的な要素も残っているかもしれないと思いました。
バッキュスは酒の神で、秋には葡萄が収穫できワインが作られるのでよくバッキュスには葡萄が結び付けられます。ここでも例外なく葡萄があしらわれています。ということは、ここは「秋」を表す泉水だということですね。もちろん残り3つの季節もありますので、後で見ていきましょう。

7.「舞踏会場(の園)を見に行き、ひとめぐりしてから、中央へ行った後、ラトーヌの斜路の下へ出よう。」
映画「王は踊る」に登場し、フィクションながら映画「ヴェルサイユの宮廷庭師」の舞台になった有名な舞踏会場の園です。楕円形の空間の1/4は水が流れ落ちる階段状の泉水、残りの部分は階段状の植え込みにより構成されています。泉水は小石や貝殻を固めて作られているので、この場所は「ロカイユの木立」の名も持っています。高い水柱が上がるわけではありませんが、水が滝のように階段を流れ落ちる様子はまさに壮観です。ここで舞踏と演奏を鑑賞してみたいですね。

8.「ラトーヌ(の斜路)の下のところの眺望点をさしてまっすぐに進み、その途中、ボスケの一つにあるサティールの小泉を見るように。眺望点に着いたら、そこで立ち止まり、斜路、壷、彫刻、とかげ(の泉水)、ラトーヌ(の泉水)と城館を望み、その反対側に、国王の散策路、アポロン(の泉水)、大運河、ボスケの木立、フロール(の泉水)、サテュルヌ(の泉水)、右手にセレス(の泉水)、左手にバッキュス(の泉水)を眺めよう。」
このサティールの小泉というものが何なのか良く分かりません。1700年の地図を見てもこの導線上に泉らしきものは確認できないのです…。まあそれは良いとして、彼の言う「眺望点」に進んでみましょう。先ほど見たバッキュスの泉水と反対側にあるセレスの泉水を結ぶ横軸、ラトーヌの泉水と大運河の手前にあるアポロンの泉水を結ぶ縦軸が交差する点がその眺望点です。
まず城館側の景色から見ます。ラトーヌの泉水の主題になっているラトーヌはギリシャ神話に登場する最高神ジュピテルの愛人で、彼の正妻であるジュノンは彼女が妊娠したことに激怒し永久追放を宣告しました。彼女は逃避行の中でリュキアという国にたどり着き、喉の渇きに耐え兼ね池で水を飲もうとした時、農民たちがジュノンの命令に従い彼女の邪魔をしました。怒ったラトーヌはジュピテルに懇願し、彼らはカエルに変身してしまう呪いにかかりました。ヴェルサイユの泉水では中央に2人の子、アポロンとディアーヌを庇うラトーヌ、周囲にカエルに変えられた農民、あるいはまさに変身途中の農民が配置され、彼らは必死にラトーヌに水をかけようとしています。この泉水が意図するところは即ち、ルイ14世による絶対王政。ルイ14世の幼少から青年時代はまだ王権が弱く、有力貴族や民衆によるフロンドの乱が勃発し暴徒がルイ14世の寝室にまで侵入、結果パリを追われる事態にまでなりました。ルイ14世はこれが生涯トラウマだったようで、この泉水にも「逆らう者は容赦しない」という意図が込められています。
今度は大運河の方を見てみると、中央には国王の散策路と呼ばれる芝生とアポロンの泉水、その先に大運河が望めます。これは城館やラトーヌの泉水の上からでも見ることができるのですが、ここで特徴的なのは四季を表す泉水が同時に見られること。右斜め奥と左斜め奥にあるフロールの泉水、サテュルヌの泉水までもが細い道で繋がっていることによってこの一点から見ることができます。場所を調整しないとしっかり見ることができないので、よく探してみましょう。ただただル・ノートルの構想には脱帽するばかりです。

非常に文量が多くなったので、今回はここで区切ることにします。2回のつもりでしたがこれは3回になりそうですね…。


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