ヴェルサイユ便り

ヴェルサイユの大厩舎

15 5月 2019

今日も厩舎として使用されている壮麗な大厩舎

もう5月も中旬だというのに、未だ朝晩は冷え込む日が多いです。一時期の暑さはどこへ行ってしまったのでしょう…まあ暑いよりは快適で良いのですが。
先週の予告通り、先週末はヴェルサイユの大厩舎へ行ってきました。
大厩舎は宮殿に向かって右側にある施設で、先週紹介した小厩舎と同じくジュール・アルドゥアン=マンサールによって設計され小厩舎よりも一足早い1682年に完成しました。主な用途は王族などが戦闘や狩猟の際に使用する乗馬用の馬を管理することで、現在でも一部が厩舎や馬場として使用されています。ルイ14世により開校された馬術曲芸学校は1830年に閉校してしまいますが、今日でもヴェルサイユ馬術アカデミーがその遺志を引き継いでいます。
またこの建物には国王の従者養成学校があり、音楽関係でいえばトランペット隊やオーボエ隊など音の大きい楽器の楽師たちがここに詰めていました。
今日では馬術アカデミーの他、馬車ギャラリーと公立史料館が使用しています。
さて入場する際ですが、先週紹介した小厩舎とは違い宮殿側にある門から入ることができました。ちなみに、パリ通り側からも馬車ギャラリーの案内に従って入ることができます。厩舎を見学する際は水曜日、土日祝日のみの公開になるので注意しましょう。土曜日は18時から、日曜日と祝日は15時から馬術ショーが行われています。
正面に受付があり、私はここで馬術ショーの当日券を買いましたがアカデミーの公式サイトで事前購入することもできます。
内部に入ると中央の馬場の後方に観客席が設置されており、馬場は天井から丸い照明、壁面には鏡が設置されていて、窓は覆われており開始前は薄暗くなっています。毎週末開催のショーですが開始時には大半の席は埋まりました。
ショーが始まると、まず弓を持った3人の女性がおもむろに出てきて矢を放ちます。これがなぜかアーチェリーではなく和弓で、出で立ちも袴でした。命中率はそこそこといった感じ。
それから男性騎手1人と黒い馬、女性騎手4-6人と白馬のショーが交替で行われていきます。男性騎手の方は人と馬が心を通わせる様子を見せ、女性騎手の方は古典舞踏のように幾何学模様を描いたり馬上でフェンシングを披露したりしていました。これらは全てステレオによる音楽付きなのですが、プログラムは殆どがJ.S.バッハで、モダン楽器の演奏も多かったです。せっかくヴェルサイユなのだからリュリやマレを取り入れても良いのになと思いました。後半の方にはストラヴィンスキー(だと思う)のステージがあり、そこでは騎手は隅で見守るだけで馬だけが演技をし、自ら寝転がって背に土を付けたり2頭で舐めあったりするなど不思議な空間になりました。あれはどうやって調教するのでしょう。
あと、なぜか騎手たちが歌いだすステージも…。このステージは無伴奏で、騎手にしては上手いですが音楽なら礼拝堂や歌劇場で聴くのにと思ってしまいました。
とはいえ日本ではあまり見る機会がなかった馬術ショー、全体的には楽しむことができました。ヴェルサイユ宮殿観光の際には是非足を運んでみてはいかがでしょうか。
ショー終了後は厩舎の見学ができます。一度外に出るのですが、この日は晴天で薄暗い館内から外に出ると眩しくて目を開けていられない…。騎手の方々も入退場の際は難儀なのかなと思いました。
厩舎の見学は、この建物が一部ながら用途通りに使用されているのを見るのが楽しかったです。各馬にはそれぞれ名前が付けられていて、品種と共にネームプレートに書かれていました。グリンカやバルトーク、オクターブなど音楽に関する名前が多かったと記憶しています。
売店には過去のショーのDVDや書籍、蹄鉄などが売られていました。蹄鉄は少しだけ買ってもいいかなと思いました(笑)。
さて、もう一つの目玉である馬車ギャラリーは正面受付の右側から無料で入場することができます。ここに収蔵されている馬車やセダンチェア(一人用の人力移動椅子)はルイ=フィリップ王のヴェルサイユ宮殿美術館化の一環で収集されたものが中心で、残念ながら旧体制時代のものはセダンチェアと子供用馬車、ソリ以外はありません(そもそも旧体制時代、馬車は持ち主が死去すると売り払われるのが常で保存はされなかった。)ナポレオン時代以降が好きな方は、ナポレオン1世とマリー・ルイーズの結婚時に使われた大変豪華な馬車があったりするので楽しめるでしょう。馬車の前には馬の模型があり、装飾品も共に展示されています。個人的には旧体制時代の馬車も見たかったところではありますが。
公共史料館は土曜日に特設展示が行われているようで、機会があればまた入ってみたいと思います。

今回はヴェルサイユの大厩舎についてお伝えしました。来週は現在通っているパリの語学学校についてお伝えしようと思います。


王の菜園と小厩舎

8 5月 2019

王の菜園は今日もなお現役

先週あたりから急に寒さが戻ってきてしまい、まだコートを着て出歩いています。家にいても暑くないので快適ではあるのですが、5月にもなってこれはどうしたことでしょう。
フランスでは今日は戦勝記念日で祝日です。日曜と祝日は学校が開いていないので狭い家に籠って練習するしかないのが悩みどころ。

さて、今回は現在ヴェルサイユで行われている建築と景色の展覧会に合わせて、王の菜園と小厩舎を紹介します。
王の菜園は以前紹介したサン=ルイ大聖堂とスイス衛兵の池の間に位置している畑です。元はルイ14世の食卓に並ぶ野菜や果物を栽培していたところで、菜園の中に銅像がある造園技師ジャン=バティスト・ド・ラ・カンティニにより1683年に設立されました。彼によってこの菜園では温室の設置など最先端の栽培法が実践され、当時は貴重品であったグリーンピースの栽培にも成功しました。その後も国王の食卓を潤すための菜園として機能し続け、1874年には国立高等園芸学校が開校、現在は国立高等造園学校となっています。それぞれの区画では希少種の保存や古い栽培法の伝承、有機栽培の実践が行われており、学生による実験区画もあります。
サン=ルイ大聖堂を左手に臨みマルシャン・ジョッフル通りを進むと小さい建物(道に面している部分が細長くなっている)がありますので、そこにある受付で通常は入場料を払い入園します。右手には温室、中央部分には畑、左手と畑の奥には果樹園があります。中央部分は壁で覆われ、土地が一段低くなっています。これは風の影響を和らげ、また太陽光が壁に当たることによって発せられる熱によって菜園内の温度を上げる工夫だそうです。中央部には水汲み場として機能する噴水があります。
右手奥にある比較的大きな建物には今回は入ることができましたが、普段は立ち入りできないかもしれません。入場した建物とちょうど対角線上にある小屋には直売所があり、野菜やジュース、ジャムなどが売られていました。本当は今旬の苺があれば買おうと思ったのですが、もう過ぎてしまったようです…。来年はちゃんと調べて買いに行こう。
散策する際は整然と区画分けされた畑や見事に整形された果樹、スイス衛兵の池側に設けられた国王のための門を見てみると良いでしょう。
サン=ルイ大聖堂の周辺では展覧会に合わせた「庭園のエスプリ(精神、気質などの意)」と題した祭りが開催されていて、花などの植物、造園器具や置物まで扱う一大マルシェとなっていました。盆栽もありましたよ(笑)。

さて、今回の展覧会はヴェルサイユの様々な施設で開催されていますが、その一つに通常はガイド付きでしか見学できない小厩舎も含まれているので、この機会に初潜入しました。
小厩舎はジュール・アルドゥアン=マンサールの手によって設計され、対となる大厩舎と並行して1679年に着工されました。宮殿を正面に見て左側にあるのが小厩舎です。この施設は馬車用の馬と馬車が収容され、蹄鉄製造所も併設していました。その後革命を経て軍の施設となりますが、現在では国立高等建築学校とフランス美術館研究修復センターが建物の一部を使用しており、ルーブル美術館の彫刻収蔵品やヴェルサイユ宮殿の彫刻のオリジナルを保管、展示しています。厩舎としての機能は今日ではありません。
宮殿側の入り口は閉まっていたので大回りして裏側、リーヴ・ゴーシュ駅周辺の商店近くから入館。少し前までこの付近は工事中だったのですが、いつの間にか完成してすっかり整備されました。この入り口にある建物が蹄鉄製造所であったようです。
厩舎内部に入ると、全方向にひたすら大小の彫像と建築物の一部のコピーが陳列されています。ちょうど正面に、有名なヴェルサイユ宮殿のラトーヌの泉水にあった彫像のオリジナルがありました。他、古いイタリア彫刻を17世紀以降にコピーした彫像や、いかにも古そうなローマの衣装を纏った首や腕が欠けているものも多い彫像などがあります。こうした彫像から当時の服飾、ジェスチャーを垣間見ることができるのは言うまでもないでしょう。
左手奥では打って変わって現代アート展が開かれていました。さっと見て終わりました。

大厩舎もまだ入ったことがないので、来週は大厩舎についてお伝えしようと思います。


ノルマンディー地方とオーケストラ

1 5月 2019

第二次世界大戦で焼け野原になったものの、見事に復興を果たしたカーンの街

平成が終わり、令和の時代が始まりましたね。日本は祝祭ムードかと思いますが、フランスではメーデーのため過激なデモ集団が黄色いベスト運動と合流して活動し、パリは毎週土曜日と同じく警戒態勢になっています。

さて、今週は先週まで遠征に行っていたノルマンディー地方とそのオーケストラについてです。
今回参加したオーケストラは普段はモダン楽器で活動している40代~50代のメンバー中心の室内アンサンブルで、今回コーエン=アケニヌ氏の指導の下バロック弓とガット弦に挑戦したとのこと。管楽器はさすがに難しかったのか個別に集められたメンバーでした。おそらく指導は一週間程度であっただろうと思いますが、それにしては上出来でしたね。ましてプログラムはフランス・バロック屈指のレパートリー、ルクレールとラモー、古楽器奏者でさえ演奏は容易ではありませんので。
リハーサルは1週間前に2日、本番前に1日の計3日でした。細かいディテールは詰められなかったところは挙げればキリがありませんが、師匠団員ともどもよく健闘したのではないかと思っています。師匠は複雑な曲にもかかわらず終始弾き振りで、その牽引ぶりは非常によく勉強になりました。
1回目の本番はオーケストラの本拠地であるカーンの私設劇場で行われ、2回目はバスで移動しコタンタン半島のレ・ピューLes Pieuxという街の音楽学校で行われました。道中2時間超でしたが、よく眠れました(笑)。

さて、本番の日は活動が午後からでしたので、カーンの街を観光しに回りました。
まずは市街地の中に位置するサン=ジャン教会。12世紀に完成したこの教会ですが、湿地帯に建設されたため地盤が弱く北西方向に傾斜してしてしまっています。近年基礎工事が行われ強度上は問題ないようですが、正面から見ると感覚がおかしくなったのかと思ってしまいます。壁面はゴシック様式にしては随分と装飾が簡素ですが、百年戦争を始め特に第二次世界大戦の連合国軍とドイツ軍の戦闘による壊滅的な被害から再建されているので、殆どオリジナルとは言えません。内部で特徴的だったのはアーチのリブの多さと、ステンドグラス部分の枠組みが曲線主体になっていること。どことなくオリエント風な感じがするのは気のせいでしょうか。
次は男子修道院と付属のサン=ティエンヌ教会。この修道院は征服王ウィリアム1世が血縁関係にあるマチルダと結婚したため、当時近親婚を禁じていた教皇に破門された際に許しを請うべく1066年に寄進したのが由来となっています。ところが修道院の建物は完全に18世紀の様式。隣にある教会だけがロマネスク様式になっています。これはどうしたことかというと、フランス革命後ナポレオンによって学校に改装されたためなのです。室内も18世紀以降の改築の手が入っていますが、中庭の回廊部分は11世紀の雰囲気を味わうことができ、1層目から3層目までの大小それぞれのアーチはとても美しかったです。
サン=ティエンヌ教会は内外共にロマネスク様式の教会でした。アーチを支える円柱と、リブの多さがやはり特徴的です。内陣部分は天井から放射状に延びるリブ・ヴォールトが下の円柱まで線で結ばれ、その間にアーチが組み合わされた非常に美しい設計でした。
ちなみに修道院近くには古サン=ティエンヌ教会跡というものがあり、1793年から使われていない廃教会です。革命後の混乱に乗じた破壊活動や第二次世界大戦の砲撃などで半分近くが完全に崩壊しており、内部に立ち入ることもできません(というか内部が外から見える。)廃教会というのは初めて見ました。
カーン城の手前には立派な尖塔とバラ窓、凝った彫刻を持つサン=ピエール教会がありますが、現在修復中で立ち入ることはできませんでした。特に後陣部分の壁面、欄干とそこから伸びる小さな塔はカーンの他の教会とは異なり細かい装飾が施されています。13世紀から16世紀まで建設が続き、ゴシック様式とルネサンス様式が混ざっているのが特色かと思います。
カーン城はノルマンコンクエスト時代の1060年頃に征服王によって築かれた城で、高い壁と大きな見張り台が今日でも威容を誇っていますが残念ながら肝心の塔は残っていません。内部は残存する付属の建物を利用したノルマンディー博物館とモダンな建築のカーン美術館があり、今回はあまり時間がなかったので美術館だけ入りました。15世紀からのイタリア、フランス、フランドルの絵画コレクションが多数あり、空いている館内でじっくりと鑑賞することができました。

土曜日の深夜にピューからカーンへ帰り、日曜日はヴェルサイユへ帰るだけの行程でしたがそれではもったいないので、少し足を延ばしてバイユーBayeuxの街を訪れました。目的はタペストリー美術館と大聖堂、そしてノルマンディー上陸作戦の激戦地オマハ・ビーチ。しかし日曜日はバスが全面運休でオマハ・ビーチへは行くことができませんでした。
タペストリー美術館は17世紀末に建てられた建物を使用していますが、内部は完全に美術館として改装されています。ノルマンコンクエストの物語を描いた全長63.6mの長大な絵巻物となっているこのタペストリーを展示するために、U字型の特別なショーケースが用意されています。世界史の授業でかすかに記憶のあるノルマンコンクエスト、細部にわたるまで描かれているので鑑賞前に簡単に予習することをお勧めします。鑑賞の際は日本語の音声ガイドを借りることができますが、進行が早くゆっくりと鑑賞することができません…。しかも機器には再生停止ボタンがあるのに止まらない(笑)。結局最初は音声を聞くのを途中でやめタペストリーを観察しながら史実を予習し、その後音声ガイドに従って2周しました。染色された毛糸により麻布に刺繍された人物や馬は900年以上も経った現在でもとても色鮮やかで、登場人物の表情や動作も生き生きしていると共に、焼き払われる家屋から逃げ出す母子や身ぐるみを剥がれバラバラになった兵士の死体など、戦争の悲惨さも見せてくれます。
次にバイユー大聖堂を訪れました。ノルマン・ゴシック様式を代表するこの大聖堂は外部、内部とも緻密なアーチの配置と装飾が非常に美しい荘厳な建築です。特に外壁の円柱は3/4よりさらに前面に出ていて、遠くから見ると完全な円柱のように見えるのと、内部の壁面には通常は何も装飾がされないアーチ間の平面部分にも幾何学模様などが彫り込まれ、それらは単一ではなく各部で違ったデザインとなっています。アーチの多彩な幾何学模様の装飾も、どことなく東洋的な印象を受けるのはなぜでしょうか。11世紀に建設されたこの大聖堂は何度か火災に遭い再建が行われていますが、建築当初の雰囲気は正面の塔と地下聖堂で感じることができます。第二次世界大戦の際は壊滅的な被害を受けたカーンとは違い、連合国軍によっていち早く解放されたため被害はありませんでした。ちなみにこの大聖堂に展示されるために作られたのが前述のタペストリーなので、聖堂を見る際はもう行われないであろうタペストリーの展示風景を想像するのも一興でしょう。
最後にオマハ・ビーチに行けなかった代わりに1944年ノルマンディー戦争記念館を訪れました。内部は上陸作戦から内陸の侵攻作戦の様子を順を追って紹介していて、当時の通信機器や軍服、戦車や大砲などが陳列されていました。近代兵器にはあまり興味がないのであまり詳しくは見ませんでしたが、記録映画の上映では当時の爆撃や砲撃の様子が延々と紹介されていて、タペストリー美術館同様改めて戦争の悲惨さを感じました。いつの時代も人間のやることは変わっていませんね。

今回はノルマンディー地方とそのオーケストラについてお伝えしました。次回はヴェルサイユ宮殿にほど近い、王の菜園を紹介したいと思います。


ソー公園の花見祭り

24 4月 2019

ちょうど見頃を迎えていたソー公園の八重桜

先週まで薄いコートを着ていたのに、いきなり暖かくなりました。昼間は25度を超え、道行く人にはノースリーブの人もいるほど。
私の部屋は最上階で日当たりが良いので、窓を閉めていると暑くなってきます。これが長い夏の始まりか。
先週はフランス初仕事となるオーケストラのリハーサルでノルマンディー地方のカーンに行ってきました。これについては次週詳しく取り上げますが、往復師匠の車に便乗するだけのとても楽な旅路でした。明日からまた現地へ行って、金曜日と土曜日本番です。

先週末は復活祭前でしたが、パリ郊外のソー公園では花見祭りが行われていたので行ってきました。
まずソー公園について。この地には15世紀から有力貴族の城館がありましたが、最も華やかだったのはルイ14世の有名な財務総監ジャン=バティスト・コルベールの時代でしょう。ヴェルサイユも手掛けた庭園技師アンドレ・ル・ノートル、室内装飾家シャルル・ル・ブランの技がここでも光っており、国王も臨席した祭典が開かれました。もっともコルベールは、あの豪華すぎるヴォー=ル=ヴィコント城を作ったために国王の嫉妬を買った財務卿フーケの二の舞にならないように、拡張のし過ぎには気を使っていたようです。
革命後は競売にかけられ、改築が行われた結果今日ではコルベール時代の面影を残すものはわずかとなっています。
さて、ヴェルサイユ・シャンティエ駅からRERC線とB線を乗り継いでラ・クロワ=ド=ベルニー駅で下車。少し歩いて公園の南側の入り口から入りました。花見祭りが開かれているだけあって、入り口付近の売店は行列ができて大変繁盛しています。
大運河の周りに高いポプラの木が左右対称に植えられ遠くまで続いている様は圧巻。これもル・ノートルの設計なのでしょうか。ヴェルサイユには大運河の周りに高い木々を植える演出はありませんが、これも良いなと思いました。
桜が植えられているのは大運河の西側の2か所、南のボスケ(人工の木立)には白い桜(木に詳しくないので品種が分かりません)、北のボスケには桃色の八重桜が植えられています。これらはもちろんコルベール時代にあったものではなく、20世紀初頭にパリで活躍した実業家薩摩治郎八が寄贈したものだそうです。まあ、満開の桜を見ればル・ノートルも許してくれるでしょう。南の白い桜は若干時季が過ぎたようで終わっているものもありましたが、まだ咲いているところもたくさんありました。木陰ではたくさんの人が日本同様飲んだり食べたり騒いだりしています。
西側中央付近のシャトネー広場で花見祭りは行われていました。事前に見たプログラムだと阿波踊りと書いてあったのでたくさんの人が踊ってるのかと思いきや、会場では観客の前で2人の日本人らしき人たちが太鼓を叩いているだけ。観客席は区画割りがされていて、中で見物するのは有料のようです。しばらく様子を見ようかと思いましたが、この日も天気が良く気温は25度を超えており、広場で遮蔽物がない会場はいつまでもいると熱中症になりそうだったので引き上げることにしました。今回のレポートのメインとなるはずだったのですが、そんなに大掛かりでもないし、何より出国から1年も経ってないのであまり物珍しさもなかったというのが本音。それよりもフランス式庭園を観たいなと思いました。
続いて北のボスケの八重桜ですが、こちらは文句なしに満開でした。日本の桜といえば染井吉野ばかりで八重桜は比較的少ないですが、個人的には好きなんですよね。南のボスケよりも花見客が多かったです。中央付近では何やら舞踊を披露している女性たちがいましたが、うーん、どう見ても日本ではないアジアのどこかの人たち…。
その後は現在工事中の城館と北に位置する小城館を外観だけ眺め、東に位置するオーロラ館と厩舎跡地にある建物で行われていたコルベール展を少し見ました。コルベール展はコルベール一族の系譜と各人の肖像画の展示が行われているもの。後はオランジュリーに入ることができるのですが、ここは来月演奏を行うために入るのでパスしました。
不覚にも飲み物を持ってこなかったので散策後半は喉がカラカラになりました。これからの季節は水分補給は必須ですね。
結局、個人的に一番感動したのは最初の大運河の眺めだったかもしれません。でも何年も住めば、毎年この公園に咲く桜を見て懐かしく思うのでしょうね。パリ周辺にお住まいの方は、是非お花見に足を運んでみてはいかがでしょうか。

今回はソー公園の花見祭りについてお伝えしました。次回はロルマンディー地方とオーケストラについてお送りします。


【緊急特集】パリ・ノートルダム大聖堂火災による被害状況

17 4月 2019

中央にあった木造の尖塔と聖堂を覆う屋根は完全に焼失した

今回はパリのサント=シャペルをご紹介する予定でしたが、急遽予定を変更してパリのノートルダム大聖堂の現況についてお伝えしたいと思います。
既に多くの方がご存知とは思いますが、パリの中心部シテ島にあるノートルダム大聖堂が15日夜から16日早朝にかけて火災に遭い、フランスのみならず世界中に衝撃を与えました。19:50頃出火し、屋根伝いに徐々に延焼し木造の尖塔も炎上、間もなく崩落しました。懸命な消火活動が行われましたが午前3時頃鎮火に至るまで約7時間燃え続け、結果木造部分の尖塔と屋根が完全に焼失する結果となりました。
火災当時、私はヴェルサイユの音楽院でちょうど室内楽の授業に参加していましたが、教室の隅の方で数人がスマートフォンの画面に映るニュース映像を手に「ノートルダムが燃えている」と騒ぎ出しました。初めは当然先生が私語をする生徒たちを一喝しましたが、間もなく一時この話題で持ちきりに。私は演奏担当だったのであまりその人たちのそばに行けず、どこのノートルダムだろう、もしかしてヴェルサイユ?とも思いましたが間もなくあのパリのノートルダムだと知りました。
22時頃帰宅してからずっとライブのニュース映像を見ていましたが、一向に鎮火する様子はなく勢いよく燃えていました。ヴォールト天井や壁面、絵画やステンドグラスもただでは済まないのだろうと考えていました。就寝前に日本でも盛んに報道されていることを知り、世界の注目度を改めて認識しました。

TwitterなどをはじめとするSNSの普及によって憶測やデマが横行しがちな現代ですので、これは自分の目で確かめなくてはと思い昨日の午後現場周辺を見に行ってきました。
語学学校の授業が終わりモンパルナスからシテ島へ向けてメトロに乗りましたが、現場周辺のサン=ミッシェル・ノートルダム、シテ駅などは閉鎖されており通過扱いになっていましたのでオデオン駅で降りて歩くことしばし。サン=ミッシェル広場まではいつもと変わらない人混み(常に混雑している観光地ですので)でしたが、セーヌ川沿いに大聖堂を望めるサン=ミッシェル通りとその先のモンテベロ通りは大聖堂の見物客でごった返し、ポン・デ・クール橋は警察によって封鎖されており報道陣の車が多数止まっていました。
まもなく大聖堂の入り口にあたる西正面が見えてきましたが、西側のファサードと2つの塔は見る限りでは無傷でした。北の塔に延焼したという報道を聞いたような記憶がありましたが、特に焼けたような様子は確認できないように思います。
続いて南側。西側から東側の後陣まで聖堂を覆っていた群青色の屋根と木造の尖塔は完全に無くなり、石の建造物と化しています。外壁、ステンドグラスは見た限りではほぼ被害はありませんが、唯一バラ窓と呼ばれる円形の窓の上部にある小さな窓のステンドグラスは失われたようで、その窓から火が出ていたことを物語る焦げ跡が残っていました。大きなバラ窓が失われなかったのは幸いでしたが、上部の小さい窓の焼失は大変残念です。
後陣部分に回って見てみると、あの壮観なフライング・バットレスは相変わらず健在ですが、屋根がなくなったために禿げ頭のような印象になってしまいました。しかし後陣部分も外壁やステンドグラスの損傷は見受けられませんでした。セーヌ川の散歩コースや橋の上には写真を撮る人、報道陣にインタビューを受ける人などで混み合っていました。
サン=ルイ島を経由して北側へ回ってみましたがシテ島が封鎖されているため外壁を見ることはほとんどできませんでした。前の建物に遮られていないバラ窓上部の三角形の部分は見ることができましたが、残念ながら南側同様こちらの小さな窓のステンドグラスも失われてしまいました。焦げ跡は南側よりもはっきり分かるほど黒ずんでいます。

以上が外部から見ることができた現況です。率直な感想としては、尖塔と屋根以外は思ったほど被害を受けていないなという印象です。行くまではもっと深刻な被害が出ているだろうと思っていました。最も遠くから外観を見ただけですので、詳しくは何とも言えません。
内部はニュース映像や写真で確認することしかできませんが、ヴォールト天井は中央部と後陣部分の2か所に穴が開いており、他の部分も長時間炎に晒されたわけですから多少なりとも被害はあるように思います。聖堂内部は屋根や尖塔の瓦礫が散乱しています。聖遺物などの文化財は消防隊による決死の救出劇により難を逃れたと報道されていますが、壁面にあった大量の絵画や彫像はどうなったでしょうか。また音楽界では話題になっている大オルガンは、火と放水によって残念ながらほぼ完全に破壊されたという記述がありました。オルガンは典礼上重要な役割を担うわけですから、これはとても残念なことです。
マクロン大統領は強い語調で再建を宣言していましたが、黄色いベスト運動など多くの問題を抱える中で果たしてうまく事が運ぶかどうか。パリのシンボルですので再建しないということはあり得ないでしょうが、おそらく私の留学中はもう内部には入れないのだろうと思っています。まだ塔にも上っていなかったのに。
ところで出火原因は一体何なのでしょう。まだはっきりとした原因は特定されていないようですが、修復工事の何かが原因となっていることは間違いありません。この点を早く突き止めないと、現在目下修復中のヴェルサイユ宮殿を始め多くの現場も「対岸の火事」ではないことになります。
いつも当たり前にそこにあって、空気のように街並みに溶け込んでいる歴史的建造物。何百年もその雄姿を見せてくれているものでさえ、常なるものはないなと改めて感じた事件でした。

今回はパリ・ノートルダム大聖堂の現況についてお伝えしました。次回はソー公園の花見祭りについてお伝えしたいと思います。
それにしても、またサント=シャペルに行き損なってしまいました…。シテ島が落ち着いてから行くことにします。


中世の城塞、ヴァンセンヌ城

10 4月 2019

高さ50m、中世の塔としては最も高いドン・ジョン塔

暖かい日もあれば肌寒い日もある。コートを着て出かけたら昼間は暑くて荷物になったり、ブレザーでいいやと思って出たら案外寒かったり。春はどこでも衣服の選択が難しい季節ですね。
先週の木曜日は王室礼拝堂でリュリのミゼレーレの本番がありました。当日はいきなり現地のリハーサルで、しかも一回通すだけ。歌手たちは慣れているかもしれませんが、私はオリヴィエの指揮は初めてだったので各部の始めや終わりが少し不安のまま本番へ。演奏してみたらやはりその通りで、特に一番最後などは難しかったです。時間の制約がある中で細部までしっかり仕上げることはなかなか大変ですね。

さて、今回は前回までのヴェルサイユ宮殿とは打って変わって、堅牢な中世の城であるヴァンセンヌ城について紹介したいと思います。
パリの中心部から5㎞ほど東に位置するこの城は中世のカペー朝時代に狩りの館として建設され、その後増築を重ねながらヴァロワ朝時代のシャルル5世の手によって完成を見ます。その後変化があるのは初期のルイ14世時代、南側に新しい城館とアーケードを建設しました。以後はヴェルサイユが中心となっていくのでこの城に手が加えられることはありませんでしたが、革命後ナポレオンによって要塞化され、大砲を配備するため四隅の塔は城壁と同じ高さまで解体されました。現在でもフランス軍に関する史料を多く保管しています。
メトロ1番線の終点であるヴァンセンヌ城駅を降りると、駅構内から既にヴァンセンヌ城の歴史について紹介している展示コーナーがあります。城に一番近い出口から外に出るとすぐに城門が見えます。城門へは橋を渡っていきますが、下を見ると堀が結構深いのが分かります。なるほど、さすがは城塞。
手荷物検査を受けて中に入ると、城壁で囲まれた敷地内にいくつか建物が点在しています。右手の建物でチケットが購入でき、日本語のガイドマップを入手することができます。左手の芝生の中央にはシャルル5世時代の噴水の遺構があります。窪んでいるので遠くから見ただけではわかりませんので、ガイドマップを見て探してみましょう。かつてこの付近には館があったようです。
中庭の中央まで進むと、右手にドン・ジョン塔、左手にサント=シャペルがあります。どちらから行っても良いですがここではまずドン・ジョン塔から入ってみましょう。
先ほど城塞の中に入ったばかりなのに、この部分も小さな城塞になっています。深い堀はかつては水堀であったようで、城壁の土台部分は内側に向かって傾斜しています。橋を渡っていくと右側に守衛所がありチケットを提示するのですが、あまりやる気がないのか中で談笑していて私が来ているのに中々出てこない(笑)。ちゃんと仕事しましょうね。中に入ると左手の方に順路があり、螺旋階段を上っていきます。上がった先は2つの秘書室に挟まれた国王の執務室。ヴェルサイユ宮殿と違って国王の執務室といえども狭く普通によくある事務所くらいの大きさです。壁は当時は彩色されていたのでしょうが今日ではただの石の壁。
この棟を上っていくと屋上に上がることができ、領主になった気分で辺りを見渡すことができます。傍らには1369年に教会ではなく宮殿という世俗の建物としては初めて設置された鐘の複製があります(本物はシャペルに置いてあります)。階段を下りて主塔に行く前に、周りを囲む通路を一周してみましょう。今日では屋根がついていますが、中世の時代にはなかったようです。城の外側に面する窓は幅の広いものと狭いものが交互に配置されていますが、これって日本の城砦にもありますよね。日本では弓用と鉄砲用の窓として機能しますが、フランスも同じなのでしょうか。また足元には一定の間隔で開口部があります。現在では金網で転落しないようになっていますが、おそらくよじ登ってくる外敵に向かって投石などをするのでしょう。
通路を一周したら、橋を渡って主塔に入りましょう。まずは閣議の間。中央の柱から放射状に伸びるリブヴォールトが美しいです。壁面のディスプレイではシャルル5世の歴史に関する映像を見ることができます。上の階に上がると国王の寝室や礼拝所、宝物室や読書室があり、一部は壁面の装飾が残されていて、当時を偲ぶことができます。シャルル5世はとても勉強熱心で本をたくさん読んでいたため、王の希望により快適な図書室が設けられたそうですよ。
順路を進んで地上階まで下りると、建設当初からある井戸と、この城塞に囚人として住んだ人たちの展示があります。堅牢な建築故に、16世紀から監獄として度々使用され、ルイ14世の嫉妬を買った財務卿フーケ、フロンドの乱で王権と対立した大コンデ、『百科全書』の出版を危険視されたディドロなどがこの地で蟄居を余儀なくされました。同じくフロンドの乱で逮捕されたボーフォール公はこの城塞の西側から脱獄し、アレクサンドル・デュマの小説にもその様子が描かれています。
塔の外に出るとこの部分の見学は終了です。四方を囲む通路の下には城塞修復の映像が放映されている部屋がありましたが、興味があれば行ってもいいでしょう。
城門を出たら、次は向かいにあるサント=シャペルへ行ってみましょう。パリの有名なサント=シャペル(実はまだ行っていない私)を模して造られたシャペルで、西正面の彫刻は凝ったものになっています。聖堂内は簡潔にまとめられている印象で、大きいステンドグラスが美しいです。祭壇の右側に前述の鐘のオリジナルがあります。奥へ進むと右に国王、左に王妃のための礼拝所がありますが国王の礼拝所は非公開でした。入り口付近の階段から階上席へ上がることができます。
シャペルを出たら、次は左手のル・ヴォーの城館へ行きましょう。ドン・ジョン塔の無骨な建築、シャペルのゴシック様式とは異なる古典様式の美しいアーケードをくぐると、右側に国王の城館、左に王妃の城館があります。ル・ヴォーがヴェルサイユはおろか、ヴォー=ル=ヴィコント城さえ手掛ける前の初期の建築であるこの2つの城館は完全に左右対称に設計されており、静謐な古典様式でまとめられています…が、やはり後の作品を知っているだけにもう一捻り欲しいなあなどと思ってしまいました。右側の国王の城館のみ入ることができましたが、内部ではフランス軍の特設展示が開かれており、軍服や勲章が延々と陳列されていました。ルイ14世時代の雰囲気を味わいたかったので少し残念。ルイ14世の図書室は壁面に美しい装飾が施されていて是非入りたかったのですが、入口部分しか見られませんでした。今日も図書室になっているようです。
余力があれば是非、堀の外を一周して城壁を眺めてみましょう。ドン・ジョン塔の裏側や南側、東側の門も見ることができます。

今回はヴァンセンヌ城についてお伝えしました。次回は前述したパリのサント=シャペルをご紹介したいと思います。


ヴェルサイユ宮殿観光の手引き④

3 4月 2019

ヴィクトワール王女の大広間

新元号「令和」が発表されましたね。遠く離れたフランスでも4月1日は日本人同士でこの話をしていました。平成生まれの私としては改元は始めてなので何だか感慨深いです。
先週は語学学校で毎月末に行われている校外学習でパリ高等裁判所を見学してきました。日本でも見たことのない実際の裁判の様子に加え、裁判官、弁護士共に黒い法服を着ていたのが印象的でした。建物はパリ郊外にあり、近代的な建物で法廷も会議室のような感じでした。
先週末には師匠パトリックのリサイタルが小さな教会で行われました。テレマン、ビーバーとJ.S.バッハのパルティータ2番という完全無伴奏リサイタル。9月から師弟関係を開始しましたが初めて「本気」の演奏を聴くことができました。学ぶべきことはまだまだありそうです。
今週は木曜演奏会に向けてヴェルサイユバロック音楽研究センターの学生と少年合唱団と共にリュリの名曲《ミゼレーレ》に取り組んでいます。指揮はあの有名なオリヴィエ・シュネーベリ、今まで演奏会で何度か見かけましたが共演するのは初めてです。彼の熱血指導、特に歌詞の朗誦法に関してはとても素晴らしくて、歌手たちは皆若いにも関わらず今まで経験したことのないような彫りの深い表現を伴った歌唱を披露してくれます。やはりここに来てよかった!と思うと同時に、改めて格の違いを思い知らされたという感じですね。

さて、今回のヴェルサイユ宮殿観光ツアーは地上階の王女たちのアパルトマンです。
「王妃の階段」を下りて一度栄光の中庭に出て、宮殿正面に向かって進みます。白と黒の大理石が敷かれた部分は特に「大理石の中庭」と呼ばれ区別されており、ルイ14世の時代からここで野外オペラ上演などが行われています。ヴェルサイユ宮殿の核であるルイ13世の小城館に三方を囲まれ音響もそれなりにあるようですよ。機会があったら観劇してみたい!ここで記念撮影されている方も多くいて写り込むのは申し訳ない気にもなりますが、順路なので中庭を進み正面中央の扉から中へ入りましょう。
巨大な大理石の円柱の間を抜けると、いくつかの彫像が置かれているだけの割とそっけない回廊があります。鏡の回廊の下の部分にあたるこの「下の回廊」はルイ・ル・ヴォーによって建築され、現存しない国王の浴室へと続いていました。普通なら何も見ず素通りしてしまうかもしれませんが、是非彫像を見てください。春夏秋冬、四代元素(水、土、火、空気)が擬人化されています。これらの題材は庭園を見る際にも重要になりますので頭の隅に留めておきましょう。
右手にある通路を進むと王女たちのアパルトマンに入ります。ヴェルサイユの儀礼では、王家の子供たちは召使い付きのアパルトマンを与えられましたが、今日ここにあるのは革命による王家の終焉により最後の持ち主となったヴィクトワール王女とアデライード王女のものです。革命の際に調度品が散逸したのに加えて、ルイ=フィリップ王がここにも展示室を作ったため今日見られる姿は復元されたものですが、2人の王女の生活の様子を思い浮かべることができます。
まずはヴィクトワール王女のアパルトマンから。最初の部屋は第一控えの間で、装飾はほとんどなく簡素なものです。壁には女性の肖像画としてはとても大きいサイズである3枚が掛かっており、右から順にヴィクトワール王女、姉妹の中で唯一結婚しスペインへ嫁いだエリザベート王女、アデライード王女です。このアデライードの肖像画は過去に私がライナーノーツの制作に協力したCDのジャケットになっていて、最初に訪れた時すぐにそれと分かりました。
次は第二控えの間。第一控えの間より装飾は格段に多くなりますが、国王の大アパルトマンで見られたようなバロック装飾とは異なり繊細なロココ様式の木彫です。なおこの王女たちのアパルトマンについては多くの装飾が失われており復元されたものもあるようですが、どれがオリジナルでどれが復元されたものなのか見ただけではわかりません…。本文では今日の状態をお伝えします。
大広間に入ると、並べて置かれた2台のチェンバロが存在感を放っています。残念ながら王家の楽器ではありませんが、18世紀のオリジナル楽器とのこと。詳しく見たいところですがロープが張られ近くで見られないだけでなく、ふたが閉められカバーが掛かっています…。この王広間で2人の王女はしばしば演奏会を開き、自分の楽器演奏の技量を披露しました。ヴィクトワール王女はチェンバロとハープ、アデライード王女はヴァイオリンを弾きました。彼女たちはどの肖像画を見ても特徴は明らかで、ヴィクトワールはふくよかで温厚、アデライードは細身で生き生きとした感じですが、これは彼女たちの楽器にとても良く合っていたことでしょう。ちなみにこの部屋には一部にバロック様式の装飾を見ることができますが、これはかつてこの場所にあったルイ14世の浴室の一角である八角形の部屋の名残です。壁には肖像画が多くかかっていますが、その中には幼少期より修道院へ送られ母親である王妃が長らく会うことができなかった、ヴィクトワールを含む4人の末の王女たちを見ることができます。
寝室は緑色を基調とする夏用の布で装飾されていますが、これは当時の製作技法により復元されたものです。他のアパルトマン同様、冬はビロードの布に取り替えられますが、今日の宮殿の調度が夏用になっているのは革命で王族が去ったのが夏であったからです。壁の装飾は壁布が大半を占めるためあまり多く見ることはできませんが、天井と壁の間には子供(天使?)や女性をモチーフにした優美な装飾を見ることができます。この部屋にも大きな肖像画が掛かっていますが、赤いドレスを着てヴィオールを弾いている女性は24歳で亡くなったアンリエット王女です。彼女もまた音楽を愛好し楽器演奏に長けていました。その他特徴のある家具は向かって右の暖炉の上に置かれた緑の陶磁器の壺でしょうか。これらは革命の際に売られて散逸しましたが、近年宮殿が買い戻したヴィクトワールの所有品の一つです。
次は奥の間です。寝室が公的空間であるのに対して、奥の間は真にプライベートな間であり、家主に特別に招かれた時のみ入ることができました。部屋の装飾は優美な木彫が多く使われていますが、天井と壁の間の装飾は楽器をモチーフとしたものです。窓際には妹ヴィクトワールの肖像の横で机に向かうアデライードの肖像画を見ることができます。生涯未婚で子供もいなかった2人の王女たちにとって姉妹の絆は大事なものであったのでしょう。
次の部屋は同じく私的な空間である図書室です。現存するのはヴィクトワールの図書室のみであり、その上にあったアデライードの図書室は失われてしまいました。2人はとても読書好きで蔵書が大量にあり、科学の本なども読んでいたそうです。ヴィクトワールの蔵書は緑色、アデライードの蔵書は赤色の製本で整理されていました。
ここから先はアデライードのアパルトマンになりますが、図書室を軸に今度は私的空間から公的空間へ出ていくことになります。まず最初は奥の間ですが、おそらく大部分の装飾は失われたのでしょう、奥の間にしては装飾が少ない印象です。このアパルトマンはかつてルイ15世の公妾であったポンパドゥール侯爵夫人が所有していたものであり、この奥の間は「赤い漆の間」と呼ばれていました。
次は寝室。ヴィクトワールの寝室とほぼ同様で、ここにもアデライードとヴィクトワールの肖像画が対になって掛けられています。一連のアパルトマンには一体何枚彼女たちの肖像画があるのでしょうか。天井の端には子供(天使?)をモチーフにした装飾があります。彼女たちのアパルトマンでたびたび見られるこの題材は、もしかすると子供のいなかった2人の母性をくすぐるものだったのかもしれないなと思いました(違うかもしれません)。部屋の右には高級家具職人ジャン・アンリ・リーズナー製作の精巧な箪笥、その上に金箔ブロンズの燭台があります。
アデライードの大広間には室内用のオルガンと傍らにハープが置かれているのが目につきます。室内用と言ってもいわゆるポジティフオルガンではなく、教会などにある大オルガンをそのままスケールダウンした感じの豪華なもので、装飾も凝っています。中央の二匹の犬(グレイハウンドという犬らしい)は女性を表す婉曲表現で、この所有者が王女であったことを示しています。壁にはまたしても2人の王女の肖像画がありますが、右にあるアデライードの肖像画はよく見ると足元にいる犬が楽譜を踏んでいます…何かの表現なのでしょうか。
あとは簡素な第二控えの間と第一控えの間を見て終了…と思いきや、いきなり大きな部屋に出ます。弓兵の上着の名に由来する「オクトンの間」と呼ばれるこの場所には元々衛兵の間があり、その後ポンパドゥール夫人がアパルトマンの第一、第二控えの間に改装して以来アデライードのアパルトマンの一部として革命を迎えますが、その後かつての衛兵の間を復元したようです。大広間側には金色の鉄柵があり、かつてはルイ14世の浴室へと続いていました。
最後に「大使の階段」の入り口ホール跡を通りますが、ここに大使の階段の模型があります。近くに行って見たいのですがロープが張られていて遠くからしか見ることができません。見せてくれればいいのにー。
こうして再び栄光の中庭へ出て、王女たちのアパルトマンの見学は終了です。宮殿の見学を終了する際は反対側、最初に中庭に出たところから「Sortie(出口)」の案内に従って階段を下っていくとオーディオガイドの返却所があります。持ったまま出ようとすると警報が鳴るので必ず返しましょう。

今回は王女たちのアパルトマンについてお伝えしました。正殿とそれに続く棟で公開されている場所は他にルイ=フィリップ王の整備した戦争の回廊やフランス史博物館などがありますが、いずれも旧体制時代のものではないため割愛したいと思います(気が向いたらやるかも)。庭園やトリアノンは、もう少し暖かくなってからのお楽しみということで。
来週はところ変わって「ヴァンセンヌ城」をお伝えしたいと思います。


ヴェルサイユ宮殿観光の手引き③

27 3月 2019

ヴェルサイユ宮殿の代名詞、鏡の回廊

日本ではもう桜が咲いていると聞き及びますが、ここヴェルサイユでも実は咲いています。ヴェルサイユ・シャンティエ駅前の工事進展と共に桜が植えられ、木は小さいながらも元気よく咲いています。桜と花見については追って特集を組みたいと思います。
先週は学生オーケストラの本番が2回、王室礼拝堂とパリ郊外の小さな教会でありました。いやはや、とにかく終わってよかったという感じですね。これらの作品にはプロの現場でまたお目にかかりたいものです。

さて、今回のヴェルサイユ宮殿ツアーはついに宮殿の中心部へ、あの大回廊へ参ります。
カーテンが引かれた薄暗いアポロンの間を出ると再び明るい空間となり、左手にはもう既にあの鏡の回廊が私たちを出迎えていますが、焦らずまずはこの部屋をじっくりと見ましょう。「戦争の間」と呼ばれるこの部屋は回廊を挟んで反対側にある「平和の間」と対になっており、3つの空間がルイ14世の成し遂げた軍事的・民事的功績を讃える設計になっています。この部屋は特に1678年に終結したオランダ戦争が主題となっており、天井の中心には「勝利の女神たちに囲まれて雲の上に座る武装したフランス」がルイ14世の肖像が描かれた盾を持ち、周り4つの絵に雷を落としています。これらはそれぞれ当時の敵国でフランスに敗戦したオランダ、スペイン、神聖ローマ帝国と、4つ目は埋め合わせとして「反抗と不和の間で怒り狂う戦争の女神ベローヌ」となっています。4つの絵の間には2人の天使がブルボン家の家訓であるNec pluribus impar(ラテン語で多数に劣らずの意)が書かれたリボンを掲げています。壁面に目を移してみれば、アポロンの間側に大きな楕円形のレリーフ「敵を踏みしだく馬上のルイ14世」があり、上にはトランペットと月桂冠を持った名声の女神2人がルイ14世へ王冠を授けようとしており、下には鎖につながれた捕虜がいます。暖炉(使用することはできずただの飾りのようです)の蓋には女神クリオが王国のこれからの歴史を石板に刻もうとしています。
さて、十分すぎるほどルイ14世の勝利と威光を見たところで、いよいよあの「鏡の回廊」へ足を進めましょう。回廊の名前にもなっている17にも及ぶ鏡の扉は庭園を望む窓と対になっていますが、当時贅沢品であった鏡をこれだけの量使用するということはフランスの豊かさと工業力を表していました。鏡の製造はコルベールの重商主義政策の一環で設立された王立鏡面ガラス製作所(今日のサン=ゴバン社)によって行われ、この製作所はやがて当時主流であったヴェネツィア製品を凌ぐ品質を誇るようになったのです。天井には1661年の親政開始から1678年のオランダ戦争終結までのルイ14世の功績が注意深く考案された見事な配置で描かれています。この素晴らしい絵画群はずっと眺めていたいところではありますが、何にせよ天井画なので首が痛くなってくるんですよね…(笑)。車の点検で使うような寝られる台車で鑑賞してみたい!のは叶いそうにもないので、じっくり鑑賞されたい方は専門書で見られることをお勧めします。何せヴェルサイユ宮殿観光はまだまだ続くのですから。後は書いていけばキリがないので実際に行ってこの感動を味わってください、と言いたいところですが一つだけ特筆するなら、是非大理石の柱のピラスター上部にある柱頭に注目してください。これは「フランス式オーダー」というコルベールの要請でル・ブランが創作したものなのです。一見コリント式柱頭に見えますが、よく見ると左右の両端は雄鶏になっており、上にルイ14世の象徴である太陽を戴くフランス王家の紋章ユリがデザインされています。こうしてギリシャやローマから脈々と続くオーダーという建築様式に新たな形を作ることによって、芸術的に優れていたこれら古代の国々と肩を並べようとしているのです。回廊を進むと奥に平和の間があり、そこから王妃のアパルトマンが続きますが、現在修復中でこの先は私もまだ入ったことがありません。平和の間の入り口付近にはシャム使節から送られた銀製のポットが展示されています。
中央付近の鏡の扉が開いているので、そこから次の国王のアパルトマンへ進みましょう。この順路は執務室から衛兵の間へ、逆の順序で進んでゆくのをお忘れなく。「閣議の間」は元々2つの部屋であったものをルイ15世が1755年に現在のような姿へまとめたので、装飾はこれまで見てきた豪華絢爛なバロック様式とは異なり優雅で繊細なロココ様式のものとなっています。戦争の開始など1世紀以上にわたり政治的に重要な決定が行われてきたこの部屋は、革命まで政府の中枢でした。ルイ15世の小アパルトマンをこの部屋から覗くことができますが、残念ながら普段は非公開です。ツアーで見学ができるようです。
次はヴェルサイユ宮殿の中心部、国王の寝室です。今までの国王の大アパルトマンや鏡の回廊でも十分すぎるほど豪華でしたが、この部屋はとにかく金、金、金。円天井までの壁面はほぼ全て金色で埋め尽くされており、装飾は他に例を見ないほどの密度です。ベッドの周りの布は季節ごとに交換できるようになっており、これは宮廷を移動する古の国王の習慣によっています。ベッドの上部には女性に擬人化されたフランスが国王の眠りを見守るという構図になっています。このように壁面は全て金箔の装飾が施されていますが、天井は対照的にただの白い漆喰で装飾や天井画はありません。その方が壁の装飾が際立つからでしょうか…。ちなみにこの寝室ができたのはルイ14世晩年の1701年で、その後の15世と16世は小アパルトマンで就寝したためこの寝室は儀式用となりました。ここまで広く豪華な寝室は寝るにはやはり落ち着かなかったのでしょうね。
さて、次は第2控えの間である「牛眼の間」で、天井付近の帯状装飾にある楕円形の窓が名前の由来となっています。以前はこの空間に寝室と控えの間がありましたが、謁見する人数が増え手狭になったようです。壁にはルイ14世とその家族の肖像画が掛けられていますが、この部屋で特筆すべきは天井付近のフリーズにあたる帯状装飾です。化粧漆喰と金箔による格子模様を背景として活気あふれる子供たちが思い思いに遊んでいる様は、おそらく老齢になったルイ14世が若かった頃の狩りや舞踏の楽しみを思い出すためのものでしょう。
次は第1控えの間ですが、「国王の公式晩餐控えの間」として国王が宮廷人や訪問客の前で夕食を摂った部屋です。テーブルには復元されたナプキンや燭台、その周りには国王や親族、宮廷人他のための椅子が再現され置かれています。壁面の装飾は第一控えの間だけあって前の部屋よりもずっと控えめなものになっています。
次の衛兵の間にはもうほとんど装飾がなく、ただの広い空間で特に見るものはありません。唯一ある暖炉上の絵画や壁の上部にある兜や矢筒の装飾はこの場所を警備した近衛兵にちなむものです。なんだかとても物足りなく感じてしまうのは、この前の部屋たちの眩い豪華さで感覚がおかしくなってしまったせいでしょうか。
この部屋を出ると、多色の大理石が用いられた「王妃の階段」となります。対となる「大使の階段」は現存しませんが、この階段も負けないほど豪華なものです。階段の横には「東洋風衣装の人物のいる宮殿の風景」の騙し絵が掛けられ、空間に広がりを持たせています。この階段を下りずに左の扉を進むと、ルイ=フィリップ王が作ったフランス史博物館となり革命以後の歴史を絵画で見ることができますが、残念ながら旧体制時代の面影はありません。

今回は戦争の間から国王のアパルトマンまでご紹介しました。次回は一階に降りて、王女のアパルトマンを見ていくことに致しましょう。


ヴェルサイユ宮殿観光の手引き②

21 3月 2019

王はいなくとも、玉座はなくともなお輝きあり

気がつけばもう3月も後半。日本では新生活に向けての準備をされている方も多いのではないでしょうか。
先週末は参加している学生オーケストラの1回目の本番がありました。管弦とにかく人数が多い、指揮もあまり上手な人ではない…など心労の絶えないこのプロジェクト、まともに全曲が通ったことがなかったのでどうなるやらと思いましたが、案の定諸所で事故が発生…。首席としてはそのたびに処理に当たらねばならず通常の3倍ほどの神経を使いましたね。でもこれも経験。次回は王室礼拝堂の木曜演奏会です。

さて、今週もヴェルサイユ宮殿の見学を続けていきましょう。今回は宮殿の目玉の一つ、「国王の大アパルトマン」です。
「エルキュールの間」の壁に大きく掛かっている「パリサイ人シモンの家の宴」の絵に向かって右の順路を進むと、まず最初に「豊穣の間」という小さな部屋があります。この部屋は奥の扉の先にあるルイ14世の珍重品陳列室の入り口になっており、ごく一部の招待客だけが出入りすることができました。王権には付き物のこの財宝というキーワードが「豊穣」の名の由来でしょう。緑を基調とする壁紙と贅沢に使われた金色がそれにふさわしい華やかで贅沢な雰囲気を醸し出しています。ルイ14世の催す「夜会」の際にはここで冷たい飲み物などが振舞われました。壁面にはルイ14世の後継者である4人の肖像画が掛けられており、一番右がルイ15世です。知らないと見落としがちですが、奥の扉上部の天井画に描かれている金と青色の船型の容器は王権の象徴で、大切な宴会の際に置かれました。容器の中身は王のナプキンですが、王権の象徴であるがゆえに横を通る際は全員会釈をしなければならなかったそうです。
さて、この先からが国王の大アパルトマンです。

・アパルトマンとは?
この連載でも「アパルトマン」という言葉を既に数回使用してしまいましたが、そもそもアパルトマンとは何なのでしょうか。
日本の「アパート」の語源となっている英語のapartmentのフランス語なのですが、要するに建物をいくつかの部屋に分けた住居、という意味と捉えれば良いでしょう。そしてヴェルサイユ宮殿は当然王族の住居ですから、どのアパルトマンも格式の高いものとなっています。
個々に応じて多少の相違はあるものの、構成としては衛兵の間、控えの間(2つあることが多い)、大広間、寝室、奥の間(図書室など)という5つの用途に充てられた部屋があり、奥に進んでいくごとに入室を許可される人数は減っていきます。寝室というと一番プライベートな空間のように思えますが、高い身分の者は選別した訪問客を寝室にまで入れなければなりませんでした。

さて、「豊穣の間」の次からが国王の大アパルトマンになるわけですが、「豊穣の間」は上述の通り珍重品陳列室の入り口で、入室できるのはごく一部の人であったはずです。それでは訪問客はどこからこのアパルトマンへ入るのが正しいのか?答えは、今は存在しない「大使の階段」の存在です。王女のアパルトマン見学順路の最後に置かれた模型で見ることのできるこの「大使の階段」は、有色の大理石、絵画、彫刻が見事に組み合わされたとても美しく豪華な階段でしたが、ガラス窓からの明かりが乏しく次第に使用されなくなったことや、強度上問題があったことからルイ15世治世下の1752年に取り壊されてしまいました。
そんな今はなき階段に思いを馳せながら、最初の部屋である「ヴィーナスの間」へ入ります。第一控えの間にあたるこの部屋の名はギリシャ神話の美の女神と、明けの明星である金星とのどちらの意味も持っており、天井画の中心にはこの部屋の主題であるヴィーナスが、その周りにはそれぞれ神話の世界が描かれています。他の部屋や庭園もそうであるように、神話に登場する神々の威光を借りることによって権力を象徴しているのです。また長方形の部分には古代の英雄に関する場面が描かれていますが、これはルイ14世の出来事の婉曲表現に他ならないわけです。正面には古代ローマ風の衣装を着たルイ14世の彫像がありますが、これは左右の騙し絵の中にある彫像と対応しているという仕掛けになっています。
次の第二控えの間にあたる「ディアーヌの間」は、狩猟の女神であるディアーヌが主題となっています。宮殿内で「狩猟」という主題が度々登場するのは、もちろん王が狩猟好きであったことに由来するものです。規則正しく組み合わされた大理石やそれぞれの絵画もさることながら、この部屋で美しいのは中央に置かれたイタリアの巨匠ベルニーニ製作のルイ14世胸像でしょう。小さいながら、国王が若く最も美しかった姿を私たちに伝えてくれます。ルイ14世の「夜会」ではこの部屋はビリヤード場となり、国王の巧みなプレーに皆が拍手を送ったことから「拍手の部屋」とも呼ばれているそうです。
さて、次は「マルスの間」。長方形の少し大きなこの部屋は衛兵の間であり、「軍神マルス」という主題と「衛兵」が意味づけされています。主役は天井画の中心で狼に引かれた戦車に乗っており、それを中心に戦争に関連する絵画として西側に「豊穣と至福を従えたエルキュールが支える勝利の女神」、東側に「地球の権力を支配する恐怖、怒り、そして激しい不安」を見ることができます。こうして勝利や恐怖を与える軍神マルスですが、一方でマルスはフランス語で3月を意味する単語でもあります。この2重の意味から、冬の終わりと春の訪れによって花々が咲く=戦争の終わりと平和の訪れによって芸術が発展するという意味づけがなされました。暖炉を挟んで両側の壁面には対になる大きな絵が掛けられ、左側はフランス人画家シャルル・ル・ブラン作、右側はエルキュールの間にもあったイタリア人画家ヴェロネーゼ作です。これは国王が庇護するフランス・バロックとイタリア・バロックの対決であり、軍配はもちろんフランス人画家のル・ブランに上がりました(見え見えの出来レースですね)。ルイ14世の「夜会」ではこの部屋は舞踏のために使用され、暖炉の左右には楽団を配置できる場所がありましたが1750年に取り壊されました。楽士としては残念。
さて、衛兵の間を通ることができたなら、次は寝室です。「メルキュールの間」は国王に謁見することができる間であり、その折には直接請願書を手渡すことが許されていました(実際に読まれ内容が実行されるかはともかくとして。)この開かれた宮廷というスタンスこそ、多くの人々がヴェルサイユを目指した理由の一つです。しかしここは儀式用の寝室であり、実際に寝室として使われることは一部の例外を除いてありませんでした。今日置かれている寝台はオリジナルではなく、以前はアポロンの間に置かれていたものを後にルイ=フィリップ王が移動させて設置したとのことです。天井画は雄鶏が引く戦車に乗ったメルクリウスを中心に、周りにヴィーナス、科学、芸術が擬人化され描かれています。ここでも国王は芸術、科学、また文化の庇護者であることを物語っており、円天井部分の絵はそれぞれルイ14世の功績を古代の出来事に重ね合わせたものです。調度品はルイ14世時代からもう既に戦費調達目的で金銀の装飾が供出されたのに始まり、殆どオリジナルのものはありませんが、傍らにある精巧な振り子時計だけは革命前にもこの部屋にあったものです。なおこの部屋と次のアポロンの間は壁紙の日焼け防止のためかいつもカーテンが引いてあり薄暗く、立ち入れる場所もわずかで混み合うため他の人と接触しやすいです。スリなどの犯罪にも注意しましょう。
次はついに玉座のある「アポロンの間」です。自らを太陽王として太陽神アポロンと結び付けていたルイ14世の玉座の間ですから、この主題の選択は必然的でしょう。当初の玉座は高さが2.6mもあるものでしたが、これも戦費調達のため供出されてしまいました。ガイドブックには木製の肘掛椅子が置かれている写真が載っていますが、近頃は何もなく後ろにタペストリーがあるのみです。天井画は4頭の馬に引かれた黄金の戦車に乗るアポロンが、擬人化された四季とフランスが傍らで見守る中で世界を夜明けへと導いています。円天井の四隅にはヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、アジアが擬人化され描かれており、中央にいるアポロン(ルイ14世)が全世界を従える様が表現されているのです。装飾もこの上なく豪華で、見ていて飽きることがありません。そして壁面に目を向けてみれば、かの有名なルイ14世の肖像画が対面のルイ16世と共に、私たち訪問客を今日でも出迎えてくれます。

今週は国王の大アパルトマンを中心にご案内しました。次回はいよいよ、世界で最も美しいあの回廊へ参ります。


ヴェルサイユ宮殿観光の手引き①

13 3月 2019

もうどこを撮影してよいか分からないほどの豪華さを誇るエルキュールの間

春の嵐というのはフランスにもあるようで、今週は風が強い日が多かったり、天気が急変する日が多いです。一昨日は少しですが雹が降りました。
先週はオーヴェルニュから帰ってすぐに学生オーケストラのプロジェクトが始まりました。「王立音楽アカデミーの不評に終わった作品たち(Les échecsとはつまり失敗作という意味ですが…良い訳が思いつきませんでした)」というタイトルで、シャルパンティエの《メデ》、ジャケ・ド・ラ・ゲールの《セファルとプロクリス》、アンリ・デマレの《テアジェーヌとカリクレ》の抜粋を演奏しています。今回も光栄なことにコンサートマスターを務めさせていただいているのですが、管弦共々とにかく人数が多くて大変…。ニュアンスはおろか、装飾の有無一つとっても突き合わせるのが至難の業です。昔はいったいどうやって規律ある演奏をしていたのかと、リハーサルをしながら思いを馳せる日々です。しかもバカンスが明けたので、今週のリハーサルは木曜のみ…。はてさてどうなることでしょう。

さて、今週から皆様お待ちかね?のヴェルサイユ宮殿をめぐるシリーズをお送りしたいと思います。
形態としましては、観光の順路に沿って各所説明を加えていき、私ならではのコメントをしていきたいと思います。詳しい歴史や絵画、調度品の由来などは書くとキリがありませんので、専門書へ譲ることとします。

・見学の前に!
①後述のようにチケット売り場はありますが、連日世界中から観光客が訪れるためヴェルサイユ宮殿はいつも混み合っています。公式ウェブサイトからチケットを入手でき、入口でスマートフォンのチケット画面を提示すれば売り場に並ぶ必要がなくなるのでお勧めです。
②スマートフォンアプリで「Versailles 3D」と検索すると、外観のみながら各年代のヴェルサイユ宮殿の姿をスマートフォン画面上で見ることができます。今日の姿と画面の中の昔の姿を比べながら見てみるととても面白いですよ。

・それでは宮殿へ
RERC線のヴェルサイユ・リーヴ・ゴーシュ駅を降りると目の前にバス停やマクドナルドがあります。まず通りを右に進んで、次の交差点を左に曲がると、何かと見間違うことは絶対にないあのヴェルサイユ宮殿が現れます。通り沿いの右手には大厩舎(馬車博物館と馬術学校)、左手には小厩舎(予約すればツアーにて見学可能な彫刻収蔵館と修復所、建築学校)があります。
宮殿前に付き、まず目に留まるのはルイ14世の騎馬銅像です。この像はルイ=フィリップ王の治世下である1836年に宮殿内で展示されるために作られたものでしたが、2009年に修復の上宮殿前に設置されました。意外と最近なんですね。
第一の柵と門の前の広場を「プラス・ダルム」といいまして、要するに兵隊が集う場所という意味ですが、今日では主に駐車場になっています。第一の門にあるテントで保安上の理由により、カバンを開けるよう要求されます(楽器ケースを開けるように言う人もいます笑。)
テントをくぐると、左右に縦長の建物があります。ここから第2の門までの広場を「栄誉の中庭」といいます。右が「北の閣僚翼棟」、左が「南の閣僚翼棟」と呼ばれ、18世紀には名の通り政府の閣僚たちが生活していました。現在は右側は年間パスポート販売とガイドツアーのための棟、左側が案内所と一般チケット売り場、あと実はお土産売り場があります(正殿内にもありますが、この棟の方が穴場です。)
ちなみに南の 閣僚翼棟にはグランコミューン(厨房がある正方形の施設)へ抜ける地下道があり、普段は柵で閉鎖されていますがここを通るツアーがあるようです。参加してみたい!
さてチケットを手に、いよいよ正殿の見学を始めます。正殿正面には左右に対となるギリシャ神殿風のファサード(面)を持った棟があり、右がガブリエル棟、左がデュフール棟といいます。グループツアーを除く宮殿観光は左の「A」と書かれたデュフール棟からアクセスし、グループツアーや演奏会などは右の「B」と書かれたガブリエル棟です。正面の金色の門からは入れません笑。
これら2つの棟についてあまり言及しているウェブサイトがないので少しだけ紹介しておきますね。
右のガブリエル棟はルイ15世の治世末期である1771年から、正面のファサードを改造する目的で壮大な構想が練られましたが、王国末期の財政難のため途中で頓挫し現在の姿になりました。内部の階段は作られることなく時は流れ、約200年後の1985年になってようやく内部が完成しました。アツいですね!
一方の対となるデュフール棟は、ガブリエル棟の建設によって左右の景観が崩れたのを嘆いたナポレオン1世が左右対称となるべく建設を命じたのに始まり、その後の復古王政期の1821年に工事が終了しました。しかし左右対称となったのはファサードのみで翼棟自体は今日も左右対称ではなく、正面もペディメント(破風と呼ばれる、円柱上部の3角形の部分)の彫刻は今も空白のまま未完成です。費用対効果は大きいと思うのですがいつかは作るのでしょうか…。
さてデュフール棟から中に入りチケットの提示が済むと、まるで空港のような保安検査場があります。その先には無料のオーディオガイド貸し出し窓口、地図などが置かれた案内所があります。
さて、では見学を始めましょう!(まだ始まっていなかった…)
順路としては、中庭を横切って向かい側に進むのが一応正しい順路のようですが、先に正殿の一番奥にある正面の扉から入って王女たちのアパルトマンを見ることも可能です。
王の中庭と呼ばれる広場を横切って向かい側のガブリエル棟に入ると、まず右手に王室礼拝堂があります。残念ながら一般観覧の際は立ち入ることができず薄暗いですが、演奏会の際は素晴らしい彫刻や天井画を見ることができます。後の順路で2階部分からも見られます。
あ、ちなみに順路を進んでいくとなかなか化粧室がないので、礼拝堂手前の化粧室には不安があれば入っておきましょう。
順路を進むと左手にヴェルサイユ宮殿の歴史に関する展示室が続きます。宮殿の増築の様子が興味深い3D映像で流れていて、オーディオガイドから自動で各言語による音声が流れる仕組みになっています。他には王族の肖像画、ヴェルサイユやその他宮殿の眺望を描いた当時の絵を観ることができます。最後の部屋には宮殿修復の様子の映像も流れていて、まさにヴェルサイユは1日で成らず、今日もその歴史が続いていることを認識させられます。
階段を上った先には王室歌劇場へ続く廊下がありますが、歌劇場も一般観覧はできません。通路を進むと企画展示室があり、少し前まで「ルイ=フィリップ展」が催されていました。現在は目下片付け中です。
通路を進むと「礼拝堂の間」があり、巨大な円柱が立ち並ぶ広々とした空間の中で、金箔の装飾が施された礼拝堂の扉は一際目を惹きます。午前10時から始まるミサに備えて正殿からやってくる国王を一目見ようと、ここに人々がひしめき合っていたとのこと。
さて、次はエルキュールの間です。ご覧ください、この眩いばかりの輝き!!!宮殿を訪れる客人を驚かせようと、ルイ14世が最晩年に造ったご自慢の部屋です。1710年に現在の王室礼拝堂が完成するまで礼拝に使用されていたこの空間に、様々な色の大理石を用い、上部を金箔で飾り、壁面にはヴェネツィア共和国から同盟の証として寄贈されていた「パリサイ人シモン家の宴」が堂々と飾られました。その向かいには人間が立ったまま入れそうなほどの開口部を持つ巨大かつ豪華な暖炉があります。天井画には先代の遺志を継いだルイ15世がフランソワ・ルモワーヌに描かせた、一室の天井画としては他に類を見ない大作である「エルキュールの神格化」がこの部屋の性格を決定づけています。約3年の月日を費やして彼はこの作品で成功を収めたにも関わらず、製作の心労が重なって直後に自殺してしまったそうです…。
昨年皇太子殿下が来訪された際の晩餐会に使われた部屋もこのエルキュールの間だったそうですよ。

さて、いよいよここから国王のアパルトマンに入っていくわけですが、それはまた次回のお楽しみ…。


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