ヴェルサイユ便り

留学1年目の総まとめ

31 7月 2019

すっかり仕事場になったヴェルサイユ宮殿王室礼拝堂


ついに梅雨が明けましたね。日本の夏はフランスに比べて湿度が高く、まとわりつくような暑さで汗がなかなか乾かないのが曲者です。私は汗をかきやすいのでフランスの方が過ごしやすいですね。
先週末は西日本の方へ旅行に行ってきました。ずっと行きたかった広島県の厳島神社に行くことができたのと、山口県のSLやまぐち号に20年ぶりに乗車、京都の鉄道博物館にも寄って日本の鉄道を満喫してきました。やはり日本の鉄道は面白いです。

さて、今回は留学1年目の総まとめということで、この1年間にあった主なトピックと感想、お役立ち情報について書ければと思います。

・師匠パトリック・コーエン=アケニヌ
一昨年の9月に一度会ってレッスンを受けただけでの渡仏でしたが、今の自分の目指す目標にはとても合致した先生でした。特にアンサンブルでの統率の仕方を彼から学んでいます。
来年度はプロのオーケストラにいくつか呼んで下さるとのことなので、今から楽しみです。

・ヴェルサイユ地方音楽院
学校については過去の記事でも取り上げましたが、18世紀の建物の響きを感じられること、学校のプロジェクトでヴェルサイユ宮殿王室礼拝堂や大厩舎などで演奏できたことはとても良い経験になりました。入学時のガイダンスがほとんどなく、例えば部屋の使用の際に守衛に一声かけることは後になって知りましたが(笑)、2年目も積極的に活動していきたいと思います。
来年度はパリ地方音楽院と合同でマレの音楽悲劇上演プロジェクトがあるとのこと!

・フランス語
うーん、何とかここまで来ましたがまだまだ力を伸ばしたいです。私の場合はただ会話ができればいいということではなくて、18世紀以前の専門書を読んだり、オペラやカンタータなどのテキストの朗唱法や詩の裏側まで知らなければいけないので…。
会話でもここのところは新たな問題があって、頭で文章がある程度速く作れるようになった分、口が追いつかないんです。私は日本語でも唇をほとんど動かさずに話す癖があって、フランス語の発音に必要な唇周辺の筋肉が全然足りていないんですね。発音練習を飽きずにやっていきたいと思います。
またフランス語は多少上達しましたが、日本語ほど高度な会話はできずにいたので言語能力そのものは落ちてしまった気がします。ある程度日本人の友人は近くにいた方が良いのかもしれません。

・住居
現在の部屋は内見せずに渡仏前に契約しましたが、少し狭いだけで基本的には問題なく大家さんもとても良い方でした。あと学校や宮殿に近いのが何よりの魅力。
住居関連のトラブルは多いと聞くので良かったです。

・行政その他の手続き
滞在許可証の手続きなどは現在も面会の予約を取って書類を提出するという形ですが、現在は住宅補助や社会保険などオンラインでできる手続きが多くなり、自分のペースで落ち着いて説明を読んで進められるようになりました。今後もどんどんオンラインでできる手続きの割合は増えていくと思います。

その他…
・フランスは生活に必要な雑貨が軒並み高いので、出国前に日本の100円ショップで一通りそろえて行ったのは大正解でした。今回も少し買い足していきたいと思います。
・「アポスティーユ付きの戸籍謄本を法定翻訳した書類」の準備がキャンパスフランスのガイダンスやネット上で話題になりますが、結果的に提出するのはいつも翻訳書類である出生証明書のみで、戸籍謄本の原本を提出する機会はありませんでした。アポスティーユは原本についているもので出生証明書にには反映されないので、アポスティーユは必要なかったことになります。また翻訳はパリの日本大使館に依頼しましたが、提出の際にこの点を咎められることは全くありませんでした(大使館で行ったものは法定翻訳にはならない)。ただ、大学など高等教育機関へ登録する場合にはこれらが必要なのかもしれません。
・フランス人たちは日本のことついてとても興味を持ちながら話を振ってくるのですが、あまり詳しいことになると私も時々知らないことがあり返答に困ることがありました。例えば豊洲市場の移転に関する詳しい経緯とか、日本の寺社に使用されている木材は何なのかとか。世界で活躍する日本人の一人として、もっと日本のことを知らなければいけないなと思いました。

・総括
留学前、このグローバル化された現代社会において果たして音楽留学は必要なのかと思っていた時期がありました。しかし今ははっきりと断言できます。西洋音楽を学ぶならヨーロッパへの留学は絶対にお勧めです。
まず何といっても建築物が違うんです。日本にはコンサートホール以外にクラシック音楽の演奏に適した空間はほぼないと言って良いでしょう。またバロック音楽を始めとした古楽の演奏においてはこうしたホールもほとんどは大きすぎて不向きです。私はヴェルサイユの王室礼拝堂や地方音楽院のアパルトマン、市庁舎の大広間といった18世紀の建築物での演奏を通じて、演奏する空間の大切さを改めて思い知りました。
また絵画や彫刻などの素晴らしい作品をルーヴル美術館等で気軽に見ることができるのも大きいです。音楽という抽象的な芸術を知っていくには、具象化された芸術である建築や美術の理解が大きな助けになります。しかし残念ながら渡仏前の自分は音楽を勉強することはあっても、他の芸術を勉強することについては全く足りていませんでした。日本にやってくる美術品などほんの一握りです。是非一度ヨーロッパで素晴らしい建築物を見て、美術館や博物館を回ることをお勧めします。

今回は留学1年目の総まとめをお伝えしました。
8月の更新はお休みさせていただきたいと思いますので、次回は9月にヴェルサイユに戻ってからまた書きたいと思います。
今後とも当ブログをどうぞよろしくお願いします。


イヴリヌ県庁での滞在許可証更新手続き

24 7月 2019

ヴェルサイユのイヴリヌ県庁

日本に帰国してきて数日が経ちました。まだ梅雨が明けていないことには少し驚きましたが、久しぶりのはずの日本の電車やコンビニなど、案外昨日のことのようでした。
羽田空港に着いて最初に思ったのは、日本はどこもとにかく清潔。これはパリはおろかヴェルサイユでもあり得ないなと思いました。フランス人からしてみればもっと驚くことでしょう。
一方フランスに一年居て、唯一日本のものが恋しいと思ったのが鉄道。一か月程度滞在するので、鉄分を十分に補給したいなと思います。

さて、今回はヴェルサイユのイヴリヌ県庁で行った滞在許可証の更新手続きについてお伝えします。
私が住むヴェルサイユ市はパリに近いですが行政上はイヴリヌ県の管轄なので、パリ市の警視庁で行う更新手続きとは多少異なる点があると思います。この記述を参考にされる方はご了承ください。
私の学生ビザと滞在許可証は7月31日で切れるものだったので、18日の出国前に手続きを完了させて仮の滞在許可証であるレセピセを受け取らなければいけませんでした。期限が切れても更新手続きの予約を取っていれば多少は滞在できるようですが、一度出国してしまうと再入国する際に観光ビザとなってしまい、滞在許可証の申請ができなくなります。
まず始めに、イヴリヌ県庁のホームページから滞在許可証更新手続きのランデブー(RDV)予約を行うのですが、ここからしてまず大問題。県庁の説明書きには期限が切れる日の2か月前から手続きができると当時書いてあり(改めて見てみるとこれは6月28日に改定されたようで、現在では4か月前からと書かれています)、インターネット上の様々なフランスの滞在許可証更新に関する日本の方の記述では3か月前から予約という記述が多かったのでRDVの1か月前から予約ができるのかなと思っていたのですが、いざ4月に予約画面で予約を進めてみると、なんと予約表が4か月先まで開放されていて7月分は既に埋まっているではありませんか…。年明けにでも予約の一歩手前の段階まで進んでみるべきでした。一時帰国の航空券はもう買ってあるし、8月に出演する日本の演奏会も決まっているので帰国しないわけにもいきません。絶体絶命。
その日からキャンセルが出たら逃さず押さえると息巻いて(笑)、こまめに予約サイトにアクセスすること約一か月、あと一息のところで他の人に取られるということもありましたが、やがて予約手続きの入力もプロ並みになってきて(何のプロ?)、無事に帰国当日の7月18日の予約を勝ち取ることに成功。いやいや、危ない橋を渡るのはやめましょう。
RDVの予約画面に必要な書類リストが掲載されていたので、これに従って書類の準備を進めることができました。以下に必要書類と説明書きの意訳、準備に際してのコメントを掲載します。

滞在許可証の更新に必要な書類の一覧(学生用)
以下の書類全ての原本、コピーを手続き当日に提出すること。注意、全ての書類が完全でなければ申請は却下とする。
①滞在許可証
②身分と国籍に関する証明書:パスポート、国籍身分証など…
→など…と曖昧に記述されているので少し不安が残りました。出生証明書(戸籍謄本の翻訳書類)が必要との話もあったので一応持っていきましたが、提出はパスポートのみでその他は要求されませんでした。
③結婚している、子供がいる場合
・配偶者の滞在許可証
・3か月以内の結婚証明書
・子供の出生証明書
→私は該当しないので必要ありません。
④証明写真3枚
→あれはダメ、これはダメといろいろな注意書きがありますが、証明写真機で見本通りしっかり撮れば問題ないと思います。ちなみに1枚は使わなかったようで返却されました。
⑤3か月以内の住居の証明書(家賃支払い書、賃貸契約書、電気、ガス、電話、インターネットの請求書など…)
→フランスには日本の住民票に相当するものがないので、その住所に居住していることを証明するためにこのような書類が1つ必要です。私はいつも電気の請求書を提出しています。
⑥来年度の学校登録証明書
⑦今年度の成績表
→更新手続きがあまりに早すぎると学期途中では最終的な成績表が出ないので、結果的には遅い時期で良かったです。
⑧今年度の精勤証明書
→授業の出席率に関する書類です。
⑨来年度有効な保険加入証明書
・28歳未満の場合は総合社会保険(セキュリテ・ソシアル)への加入
・28歳以上の場合は任意保険への加入
→実はこれが第二の問題でした。通常この総合社会保険はフランスに入国したらすぐに加入するべきなのですが、外国人向けの登録サイトがいつ見ても文字化けしていて登録できず、そのうちどうでも良くなって今年の4月まで放置していたのです。やがてサイトの言語選択のタブのいずれかを選択をすることにより文字化けは解消することが分かり、滞在許可証更新に必要なことから慌てて登録手続きを始めたのですが、今度は登録していないはずなのになぜか加入番号が割り当てられているという謎の事態に直面し、結局ヴェルサイユの総合社会保険オフィスに数回出向きました。手続きはすべて完了したものの7月になるまで加入証明書が郵送されて来ず、更新手続き当日に間に合わないのではないかと悶々とした数週間を過ごす羽目になりました。フランスの手続きは何でも早めに余裕を見て、危ない橋を渡るのはやめましょう(2回目)。
⑩財源に関する証明書
・1か月あたり615€以上の留学資金があることを証明できるフランスの銀行の残高証明書、または過去1年間で10回以上送金された旨の証明書
→いつも使っているLCL銀行口座の残高を少し余裕を見て増やしておき残高証明書を用意しました。1ヶ月以内のものでないと受理されないケースがあるようなので、なるべく直近のものが良いと思います。
・被扶養者の場合:被扶養証明書、扶養している人の身分証のコピー、扶養している人の仕事の契約書と過去1年分の給与明細
→私は現在両親から経済支援を受けているのでこれに該当すると言えば該当するのですが、それぞれの書類を翻訳する手間や費用がかかることから、上述の留学資金は自分の貯金であるという建前を取っておきました。これは分かりようがないので大丈夫なはずです。
・奨学金を受けている場合はその証明書
・就業している場合はその契約書と給与明細
→短期のオーケストラプロジェクトなどは参加しましたが、これは該当しないと思います。
⑪記入、サイン済みの質問表
→質問表はRDVの予約画面で入手できます。

さて当日、いつもモノプリに行く際に前を通っている県庁に赴きました。初めて入るので迷うかもしれないと思い、RDVよりも20分ほど早めに着きました。
地上階には入口付近に写真機やコピー機、中央付近に2つの質問窓口のような区画、右奥に手続きのための個別窓口が20程度あったように記憶しています。RDVの予約サイトでは窓口を3つの中から選んだので、外国人のための滞在許可証更新手続き窓口が別に3つ用意されているイメージだったのですが、どうもそれらしいものが見当たりません。入口付近のマダムに予約時間が書かれた紙を見せながら聞いてみると、日本の役所のように予約番号を発券する機械を操作してくれて予約番号の紙を渡され、奥の沢山ある窓口の前で待つように言われました。まだ予約時間の15分ほど前でしたが、数分経つとすぐに呼ばれました。こういう仕組みなのですね、言われなければ分からない!
手続きが始まると、担当のマダムに言われるがまま書類のコピーを淡々と提出していきました。パスポート以外の書類の原本については全く触れられませんでした。必要書類リストの順番通りに準備して行ったのですが、実際に提出する順番は異なっていて書類の束を前後しながら探さなければなりませんでした。県庁や担当者によって違うのかもしれませんが、こういうやり方なら複数ページのあるクリアフォルダーに予め入れておけばスムーズだったなと思いました。
最後に念願のレセピセを受け取り、あっという間に終了。優しいマダムで良かったです。
初回なので緊張気味でしたが、書類さえしっかり揃えて行けば全然問題のない手続きでした。来年以降も書類の不備のないよう気を付けたいなと思います。

今回は滞在許可証更新についてお伝えしました。次回は留学一年目の総まとめを書きたいと思います。


オーヴェルニュ地方のロマネスク教会とピュイ・ド・ドーム山

18 7月 2019

圧倒的な彩色が印象的なイソワールの旧サントストルモワヌ修道院

先週末の日曜日は革命記念日で、深夜までどこかで音楽をかけて人々が騒いでいました。幸いこの日の夜は涼しかったので、窓を閉めて就寝でき事なきを得ました。パリは「黄色いベスト運動」も革命記念日にちなんで盛り上がったようですが、例によってヴェルサイユに引きこもっていました。
今週の帰国前の滞在許可証申請のために、入念に書類準備を進めています。詳細は来週お伝えしますが、無事に申請を終えてレセピセ(仮の滞在許可証)を受け取れないとこちらに帰ってくることが難しくなるので、全て書類が準備出来たとわかっていても何だか不安になってしまいます。
帰国準備も進めています。部屋の各部の大掃除、冷蔵庫内の整理、お土産の準備など。来たときは極限まで物を詰め込んだスーツケースも、今回はかなりスペースに余裕ができそうです。

さて、今回は先週行ってきたオーヴェルニュ地方にある2つのロマネスク教会とピュイ・ド・ドーム山についてご紹介します。
本当は2月にも書いた、貴族の家柄のヴァイオリンの同僚の家へ再び招待されたのですが、急に滞在予定が変更になったらしく今回は都合がつかなくなってしまいました。既に列車の切符を買ってしまっていたので、代わりにどこかへ観光に行こうと計画した次第です。
パリのベルシー駅からクレルモン=フェランまで特急に乗車し、さらに近郊列車TERで30分ほどのところにあるイソワールIssoireという町に降り立ちます。駅前からロマネスク聖堂特有の八角形の塔が見え、そこに向かって少し歩くと旧サントストルモワヌ修道院Ancienne Abbatiale St-Austremoineとその聖堂が見えてきます。聖堂は1135年に建造され、オーヴェルニュ地方のロマネスク聖堂の中でも最大級の規模と壮麗さを誇ります。現在、左にある修道院の建物は工事中で白いカバーが掛けられており、内部に入ることもできませんでした。聖堂の方も一部の外壁や内部で修復が行われています。
後陣や塔にはこの地方の聖堂で特徴的な星形模様と市松模様があしらわれていて、後陣には黄道十二宮のレリーフがあります。本来黄道十二宮はキリスト教とは関係のない異教のものですが、イエスの12人の弟子に例えられることからしばしば教会建築に取り入れられるようです。道なりに聖堂北側へ進むと、壁面に小さいですが「アブラハムの前に現れた三天使」と「イサクの犠牲」、「パンの奇跡」の3つのレリーフがあります。風化が進んでおり個々の人物の表情を捉えることはできません。西側に回って内部へ入ります。西側のファサードは至ってシンプルで、扉と窓の部分以外は飾りがなく「壁」といった感じです。
扉から入ってすぐ右側に、15世紀に描かれた「最後の審判」の壁画がある部屋があるのですが、残念ながら修復工事による時間限定公開のため入ることができませんでした。聖堂内部に入ると、その彩色のあまりの豊かさに圧倒されます。この感動は文字にしても伝わらないのですが、朱色を基調とした柱はもちろん、壁面にも石積みのブロックの縁取りが描かれていて、天井には壁紙のように花や星の図像が規則正しく描かれています。内陣部分は特に豪華で、よく見ると柱の柱頭がアカンサスの葉のコリント様式だけではなく人物や動物などがデザインされているではありませんか。これは最後の晩餐や磔刑など聖書に登場する場面が表現されていますので、分かりやすいものだけでも是非注意深く観察されることをお勧めします。祭壇の両脇にある階段から地下聖堂に行くことができ、安置されている色鮮やかな聖遺物入れを見ることができます。
インターネットで「イソワール」と検索するとこの聖堂の詳細な説明や写真が掲載された旅行レポートのサイトが複数ありますので、もっと詳しく知りたい方はそちらをご覧ください。

さて、イソワールから再びTERに30分ほど乗車し、今度はブリウードBrioudeという町に行きます。駅から目当ての聖堂までは15分くらいで、可愛らしい建物が並ぶ細い路地を抜けていくとそのサン=ジュリアン・バジリカ聖堂に到着します。周囲に建物が立っていて東側からしか全体像を捉えられないので、左から回り込んで後陣を見てみましょう。この聖堂にも星形の模様が見られますが、塔を始め外壁に赤い石材が効果的に用いられていて、イソワールの聖堂よりも外観は華やかです。聖堂の向かいに観光客向けの無料案内施設がありますので、是非入って聖堂に関する説明を読むのと、少し高いところから聖堂を見ることをお勧めします。ちなみに聖堂周辺には古代末期から中世初期の教会関連施設の跡地があり、この観光施設で説明を読むことができます。西側のファサードはロマネスクの簡素なものながらイソワールのものよりはやや装飾的です。
北側か南側の扉から内部に入ります。やはり柱を中心に彩色が施されていますが、こちらは修復が行われていないので全体的に落ち着いた淡い色調になっていて、剥がれ落ちている部分もあります。こうしたものを修復するかしないかは意見が分かれるところではありますね。イソワールの時のような圧倒的な感動は味わいたいけれど、当時の絵をそのまま見たいという思いもある。ちなみにこの聖堂で特徴的なのは床面で、多色の小石が粗く敷き詰められていてそれらが模様を成しています。歩くだけならいいのですが、見学中に関係者が何かを台車で運んでいた際にはとてつもない轟音が聖堂内に鳴り響きました(笑)。後陣のそれぞれの半円部分の天井にもフレスコ画が描かれているので、よく観察してみましょう。地下聖堂には例によって聖遺物入れが安置されています。西側にある螺旋階段を上って階上席に行くことができ、南側には天井と壁面一杯に13世紀のフレスコ画が施された聖ミカエルの礼拝所があります。

聖ミカエルの礼拝所に描かれた13世紀のフレスコ画

主題は最後の審判で、天井のキリストを福音史家と天使が取り囲み、北側の壁には悪魔サタンと地獄が描かれています。また両端には美徳が悪徳を踏み潰す様子も描かれています。椅子が置いてありますのでしばしじっくりと観察しました。壁の下の方は剥がれ落ちていますが、大事な天井付近は良い状態を保っていると思います。あと、この部分からは聖堂内の柱の柱頭が良く観察できます。イソワールのように彩色されているわけではありませんが、メドゥーサ、トリトン、ドラゴンや羊飼い、音楽家などの図像がデザインされています。聖堂内にパンフレットが置いてありますので参考にすると良いでしょう。
ブリウードからクレルモン=フェランまでTERで戻り、ホテルで一泊しました。大聖堂などをもう一度訪れようかと思いましたが、既に19時を回っており入ることができませんでした。

さて翌日はクレルモン=フェランの西にあるピュイ・ド・ドーム山を目指します。クレルモン=フェラン駅前からナヴェットというバスが出ているのですが、どうも路線がいくつかあるようで、事前に調べたバスに乗車する際、これは火山のテーマパークに行くためのものであってピュイ・ド・ドーム山に行くものではないことが運転手の説明により判明。山に行くにはGare du Panoramique des Dôme行きに乗らなければならないようです。といってもそのバスは10分ほど前に行ってしまったばかりで次は約1時間半後。仕方なく国鉄駅で待つことに…。フランスのバスって本当に分かりにくいんですよね。ちなみにこのバスはやや長距離バスですが、市内移動の路線バスと同じ切符で乗れるので事前に券売機で切符を買っておきました。40分ほどでピュイ・ド・ドーム山の麓に到着します。

ピュイ・ド・ドーム山、手前に登山鉄道の線路があります

ピュイ・ド・ドーム山は一帯に広がるシェヌ・デ・ピュイの火山帯の主峰で、クレルモン=フェランを含む県の名称になっています。ちなみにこの山脈に降る雨が火山性の地層に染み込んでできた天然水が、日本でも販売されている「ヴォルヴィック」です。
バスは登山鉄道の山麓駅に到着しますが、景色が良いかもしれないと思い頂上まで登山することにしました。まずは登山道の山麓が登山鉄道駅とは離れているので40分ほど森林の中を歩きます。この日も雲一つない快晴で日差しが強かったのですが、ここまでは森林の間を抜けるので日陰で暑くはありませんでした。しかし登山道に入ると、登るにつれて日陰が減ってきます…。休憩を多くとりながらゆっくりと登りますが容赦なく太陽が照り付け、発汗が抑えられません。しかも結局、頂上付近以外は特段天気が良いわけではありませんでした。まあ日頃運動不足気味なのでたまには良いですね。観光目的であれば迷わず登山鉄道を利用することをお勧めします。
頂上にはまず鉄道の駅に併設された食事処、お土産コーナーとこの山についての展示があります。山麓駅にも同じような展示がありますが、この山でクレルモン出身の哲学、物理等で活躍したブレーズ・パスカルが1648年、水銀柱を山頂に持っていき真空と大気圧の関係を証明する実験を行ったということです。このことから圧力と応力の単位に「パスカル」が用いられるようになり、私たち日本人が台風ニュースでおなじみの「ヘクトパスカル」という単位も生まれました。
山麓からも見える白い尖った構造物は電波塔ですが、その手前にローマ時代の遺跡があります。このブログにも関係のある伝令使メルクリウスに捧げられた壮麗な神殿でしたが、現在は基礎部分しか残っていません。なぜこんなにも破壊されてしまったのでしょうか。後の蛮族がわざわざ山に登ってまで破壊したのか、石材取りに使われてしまったか。でももっと標高の低い他のところに石切り場はあります。ここのところの説明は何も書かれていませんでしたが、いずれにせよ1872年の気象台建設工事の際まで存在は忘れられていたようです。
遺跡の傍に資料館があり、詳細な遺跡の説明と発掘の様子、神殿の復元模型などを見ることができます。今日では基礎部分しか残されていないので、建物自体がどのような設計だったかはいくつかの仮説があるようです。
ローマ時代の神殿に思いを馳せたところで、頂上の遊歩道を一周してみました。東側にはクレルモン=フェランの市街地や黒い大聖堂が遠くに見え、北側から西側には山々が連なっています。パラグライダーで楽しんでいる人々がたくさんいました。やはり標高が高いので風が吹くと若干体感気温が低く、登山時には全く要らなかったウインドブレーカーを着用しました。
さて、下山は鉄道を利用します。インターネットサイトで切符を購入すると10%引きの価格になるのでお勧めです。この鉄道は急勾配を克服するために線路の間に車両側の歯車とかみ合わせるためのラックレールが設置されたラック式鉄道(シュトループ式)です。2012年にリニューアル開業したとのことで、設備や車両は新しいですが鉄道ファンとしてはスイスのように昔ながらの蒸気機関車が良かったななどと思いました。当然ながら何の苦労もなく山麓に到着。景色を見るのが目的ならやはり登山道よりもこちらの方がおすすめです。

今回はオーヴェルニュ地方のロマネスク教会とピュイ・ド・ドーム山についてお伝えしました。今夜、日本に向けて出発します。1か月ほど滞在しますので、お会いできる方はその際を楽しみにしております。
次回はイヴリヌ県庁での滞在許可証更新についてレポートしたいと思います。


ヴェルサイユ宮殿の特別オペラ

10 7月 2019

ルイ14世時代さながら大理石の中庭で行われるオペラ上演

数週間に渡って快晴が続き、全然雨が降りません。冬は地面が絶えず濡れていたのに、今では少しだけでも雨が降ってほしいなと思います。
6月の最後の週に比べれば気温は下がりましたが、それでも最上階の我が家は相変わらず暑いです。ホームセンターで買ってきた散水ホースで時折屋根に打ち水をしていて、気化熱で微かに涼しくなっている(?)気分を味わっています。
先週の金曜日は前の週に急に頼まれた本番に参加してきました。季節外れのルソン・ド・テネブルで、ジャン・ジルを中心にしたプログラムでした。ジルをやるのは初めてだったのですが、とにかくリハーサルが少なく咀嚼する前に終わってしまいました。せっかくならもっと練りたかったです。
土曜日にはパリのJapan Expoに参加するため来仏した中学の同級生にヴェルサイユ宮殿を案内しました。本当に卒業以来10年ぶりの再会で、とても懐かしかったです。短い時間でしたがヴェルサイユを楽しんでいただけたようです。

さて、今回は七夕の日曜日にヴェルサイユ宮殿の大理石の中庭で行なわれた特別オペラについてご紹介したいと思います。
これは今シーズンの最後のスペクタクルで、分類上もSpécialとなっています。いつも買っている25歳以下の割安チケットはなく、高級クラス198€と総督クラス298€の設定しかありません。少し悩みましたが、大理石の中庭のオペラ上演は観てみたかったので少し大枚を叩いて高級クラスを購入。
この演奏会には他のヴェルサイユのスペクタクルとは異なりドレスコードまであります。指定はTenue de cocktail。何かと思ってインターネットで調べてみると、どうやら普通のスーツを着ていれば問題なさそうだったので本番用の紺色スーツを着用していきました。
19時半頃、宮殿の正面にある金色の扉が開かれました。普段は左右のデュフール棟かガブリエル棟の入口からしか入ることがないので、この正門と言うべき扉を通ったのは初めてです。まずは王女のアパルトマンを通って鏡の回廊の下にある回廊でシャンパンと一口軽食をいただきます。少しですが庭に出ることも出来ました。ここで高級クラスと総督クラスの差別化が図られており、総督クラス用には別のビュッフェが用意されていました。
20時半からいよいよ上演開始です。演目はシャルパンティエの「花咲ける芸術Les arts florissants」。一度観てみたかった作品でした。音楽、詩、建築、絵画の4つの芸術が擬人化され、戦争と平和を巻き込みながら展開していくという筋書きとしては他愛もない牧歌劇です。歌手はさすが、朗唱のニュアンスも良く聞こえましたが器楽が室内楽編成で少し弱かったという印象がありました。ただとにかく雰囲気が良く、徐々に日が落ちていく中で熱く展開されるこのスペクタクルはとても感動的でした。
ドレスコードによりスーツの上着も着用していたため暑さは危惧していましたが、開演する頃には涼しい風が吹き始めむしろ寒いくらいになりました。ノースリーブのドレスを着た女性の演者や観客はきっと寒かったと思います。
終演後は再び回廊でビュッフェが振舞われ、今度はスイーツが出てきました。
少し値段は張りますがそれだけの価値がある、大満足のスペクタクルでした。来年もまた行きたいなと思っています。

次回はオーヴェルニュのロマネスク教会とピュイ・ド・ドームについてお伝えします。


ローマの水道橋とアルルの衣装祭

3 7月 2019

「アルルの女」が集う衣装祭のショー

先週はとにかく暑いの一言しかなかったです。夜は涼しくなるものの室内の熱気がなかなか抜けず、窓に向かって扇風機を回して換気してみたり、扇風機の前に氷を置いたり、「ほんとにあった怖い話」を観てみたりしましたが気休め程度。何日も寝苦しい夜が続き寝不足になりました。
今週は一転して最高気温が25度前後になり、窓を開けていれば涼しい風が窓から入ってきます。あの悪夢の一週間はいったい何だったのでしょうか。

さて、先週末はそんな暑さの中、私は南仏へ旅行をしていました。昨年訪れたアルルで開催される有名なお祭り、衣装祭を観に行くためです。
パリからTGVで3時間半、まずは教皇庁宮殿や聖ベネゼ橋でおなじみのアヴィニョンに到着。今回はここからバスに乗って、ポン・デュ・ガールという古代ローマの水道橋を見に行きます。しかし出発ターミナルであるはずのアヴィニョン中央駅のバスターミナルに行くと、トラム建設工事のためアヴィニョンTGV駅からの出発に変更しているとのこと。元々乗り継ぎにあまり時間がなかったので、乗るはずだったバスはあきらめて1時間後の便に乗るべくアヴィニョンTGV駅へ近郊電車TERで移動しました。でもいざ行ってみるとバスの案内がどこにもなく、本当にここでいいのか30分くらい悶々とする羽目になりました。
バス停には30人くらいの非常にガラの悪い青少年たちがはしゃぎながら何かのバスを待っていて、騒がしいのを耐えながら一緒にバスを待っていると、どうやら彼らもポン・デュ・ガールに行くらしいということが分かりました。ポン・デュ・ガールの下を流れるガルドン川では遊泳ができるそうなので、彼らも泳ぎに行くのでしょう。バスが到着すると彼らは我先に乗り始め、しかも一人ずつ乗車賃の清算をやるものですから私を始め他の数人の乗客は20分くらい外で待たされました。何とか定員内で全員乗ることができましたが、もし定員オーバーになったらどうするつもりだったのでしょう。夏の遊泳シーズンはバスの増便をお願いしたいですね。
ポン・デュ・ガールに着くまで45分、彼らは大声で歌ったり携帯から音楽を流したり、ちょっかいを出し合ったりとやりたい放題。私はYoutubeでずっとオペラを観ていました。
ポン・デュ・ガールにほど近いバス停に着くと、彼らは橋の方ではなく違う方向へ進み、橋や博物館がある道へ進むのは私だけでした。気温は35℃を超える中日陰もない道を進むことしばし、まずは博物館へ入ります。博物館はローマの都市の水道設備、水に関係する施設である公衆浴場や便所と、水道橋や水路トンネルの建設について紹介しています。ポン・デュ・ガールを筆頭とするこの導水路はユゼスの水源地からニームの町へ水を供給するために紀元前19年頃建設されました。3層からなる巨大なポン・デュ・ガールの水道橋はローマの建築技術の高さを物語っており、世界遺産に指定され今日でもたくさんの観光客を迎えています。博物館内ではユゼスからニームまでの全ての水道橋が模型で再現され、壁面には上空から導水路を辿る映像が流れていてしばし見入りました。
さて、冷房が効いた館内で体力が回復したところで、いよいよ水道橋を見に行きます。気温は38℃に達していました。しばらく道を進むと先ほどまで模型で見ていた水道橋がその威容を現します。

3層からなる巨大なローマ水道橋ポン・デュ・ガール

僻地にあるためか、ニームやアルルにあるローマの建造物よりも破壊されている部分が少なく保存状態は良いように思います。北側の3層目には道路として使用するための部分が後の時代に追加されましたが、南側の部分はほぼオリジナルの状態が残っていますので、博物館から行く際は橋をくぐって反対側から眺めることをお勧めします。
河原に降りて10分くらい観察し、暑さに耐えきれなくなって戻りました。一応橋の通行できる部分を往復してみましたが、反対側には特に何も施設はありません。とりあえずただ暑くて体調が悪くなりそうだったので博物館のカフェでアイスを買い涼むことにしました。
バス停に着くと、何とまたあの青少年たちがいるではありませんか。結局アヴィニョンからのバスはオペラを観ながら耐え忍ぶ往復1時間半の旅路になりました。帰りはトラム工事が終わったのか中央駅のバスターミナルへ到着しました。その後は冷房付きの近郊電車TERで20分、アルルに到着。ホテルに直行しシャワーで汗を流した後、夜のアルルを一通り散歩しましたがまだ暑く少し汗ばんでしまいました。

さて、日曜日の午前中はいよいよ衣装祭です。例年は午後にもイベントがあるみたいですが、この酷暑のため中止になったとのこと。
この衣装祭は自らの伝統衣装やプロヴァンス語(オック語の一種)といった首都パリとは異なる独特の文化を継承していくためのお祭りで、日本で言えば沖縄や東北の伝統的なお祭りといったところでしょうか。
まず朝9時から、円形闘技場の近くのノートルダムで朝の祈りの儀式が行われましたが、聖堂が小さいため多くの人は外で待っていました。私も入れなかったので結局何をやっていたか分からずじまい。そうこうしているうちにプロヴァンスの伝統楽器を使った鼓笛隊の演奏が始まり、まもなく行列の行進が始まりました。10歳に満たない子供からご老人まで、伝統衣装を着て練り歩きます。いわゆる「アルルの女」と呼ぶにふさわしい20代~30代の女性たちももちろん良いですが、私は特に子供たちが健気に衣装を着て歩く姿が可愛くて好きでした。
一通り行列を見たところで次にショーが行われる古代劇場へ移動。何とか中央付近の日陰を確保できました。日向にいたらとても耐えられる気がしません。
ショーが始まると、まず「アルルの女王」と呼ばれる3年に一度選ばれる白いドレスを着た女性がプロヴァンス語でスピーチをします。フランス語への翻訳はありませんでしたので、分かる部分もありますが全然分からない単語もありました。そのあとは18世紀からの各時代の衣装を着たグループが登場し、舞踏を披露してくれました。
次第に日が昇ってきて座った時は日陰だった私の席も徐々に日が差してきて、終わった時には暑さが限界に近かったです。日向の舞台で長袖の衣装を着て踊っていた彼らはさぞ暑かったことでしょう。
古代劇場を後にして、逃げるように古代フォーロム地下回廊へ入り、地下の冷気で一気に涼みました。体力が回復したところで中心部から少し離れた川沿いにあるアルル県立博物館へ。途中は日向を歩かねばならずかなりしんどかったです。県立博物館ではローマ時代の建築物の模型や生活用品などを見ることができましたが、あまり規模の大きな博物館ではありませんでした。帰りはバスが運行していることを知ったので、冷房の効いた小さいバスで移動。帰りのTGVまでまだ少し時間があったのでサン=トロフィーム教会を再び訪れました。

こんなわけで、もう少し涼しければアルルの町で活動したかったのですが如何せん暑くてなりませんでした。来年の夏もこんなに暑いようであれば、北欧に行くなり何か方法を模索しなければと思っています。

来週はヴェルサイユ宮殿の大理石の中庭で行われる特別オペラについてお伝えします。


ヴェルサイユの球戯場と室内楽演奏会

26 6月 2019

たくさんのヴェルサイユ市民に来場していただきました

今週は毎日30℃を超え、非冷房の家に長時間いるのはかなり厳しいです。それだけでなく湿度も60-70%あるので昨年到着した時よりも暑さを感じます。帰国まであと20日あまり、何とか耐え凌ごうと思います。
先週の金曜日はリュリの「町人貴族」を王室歌劇場で観てきました。通常のオペラ公演だと字幕がフランス語と英語の両方出るのですが、今回は語りの部分が多いためか英語の字幕のみ。私はフランス語の方が得意なので一生懸命聞きとろうとしますが、何せ喜劇なのでまくし立てて話すことが多くなかなか付いていけず…。一応話の流れは覚えていますが笑うべきポイントで笑えないのは悲しいですね。来年も違う団体が「町人貴族」をやるみたいなので、もう少し理解できるように精進しようと思います。

今回はヴェルサイユの球戯場で先週行われた室内楽演奏会の模様についてお伝えします。
まずヴェルサイユの球戯場(サル・デュ・ジュ・ド・ポームLa salle du Jeu de paume)はサン=ルイ地区、ヴェルサイユ地方音楽院の近くに位置しています。「ジュ・ド・ポーム(単にポームとも)」は今日のテニスの元となった競技で、直訳すると掌遊びという意味です。これは昔ラケットを使用するようになるまでは掌で直接ボールを打っていたことに由来します。16世紀以降フランスの貴族の間でこの競技は流行し、宮殿や貴族の城館に盛んに併設されました。ヴェルサイユ宮殿に併設された球戯場は元は宮殿の南側、現在のグラン・コマンがある場所にありましたがこの建物の建設により撤去され、1686年に現在の球戯場が完成した後は王族を始め宮廷人の間で親しまれました。
それだけではただの屋内テニスコート場なのですが、この球戯場がフランス史の表舞台に立つ日がやってきます。1789年6月20日、前日夜に自らの議会場を強制閉鎖された第三身分(平民)を始めとする国民議会の議員たちはこの球戯場に集結し、王国の憲法が制定されるまでは決して解散しないことを宣言しました。これがフランス革命の一連の事件の中でも有名な「球戯場の誓い」です。ちなみにこの時点ではまだ立憲君主制を目指しており、後に国王と王妃を処刑することになるとは誰も考えていませんでした。
こうしてフランス革命期の事件の舞台となったことでこの建物は国有化され、その後1883年に革命博物館として整備されました。今日見ることのできるジャン=シルヴァン・バイイの像とその周りにあるオブジェ、議員たちの胸像や壁面の文字はこの時のものです。
この博物館は入場無料で気軽に入ることができるので、ヴェルサイユを訪れた際は是非お立ち寄りすることをお勧めします。内部はテニスコートにバイイの像や議員たちの胸像、ショーケースに議員たちの宣誓署名書、ジュ・ド・ポームのボールやラケット等が展示され、かつて試合の観客席であった部分の壁面には当時の風刺画や革命の各事件の銅版画、「ラ・マルセイエーズ」の当時の楽譜の複製などを見ることができます。北側の壁には『球戯場の誓い』の壁画があり、当時の様子を偲ぶことができます。

さて、このフランス革命の舞台で先週、「球戯場の誓い」が行われたのと同じ6月20日にヴェルサイユ地方音楽院の室内楽発表会が行われました。毎年学期末の発表会はここで行われるのが通例のようで、先週紹介した「モリエール月間」とも提携しています。舞台は北側の壁画を背にして設置され、コートには観客のための椅子が並べられました。室内楽の授業のチームの他にハープ科の2人も参加し、ソナタと協奏曲を共演しました。クラシック弓を師匠パトリックから貸してもらい、久しぶりに古典派の音楽を演奏する機会となりました。その他4つのプログラムも3つに参加、蓋を開ければほぼ全てに出場していました。
この会場はテニスコートであり音響は特に考えられていないと思いますが、天井が高いこともあり響きがとても良いのです。ただ採光窓が多く日中のリハーサル時は日光が強く差し込み、時々楽譜が眩しくて見えなかったりチェンバロやハープの調律には少し不具合でした。それも19時からの本番では解消され、多くのヴェルサイユ市民に囲まれながら無事学期末の発表会は終わりました。
終演後は近くのヴェルサイユ地方音楽院の庭園で一部観客を交えたパーティーが行われ、その後も自主的な2次会を仲間と楽しみながら夜は更けていきました。

ヴェルサイユ地方音楽院の1年目はこれで終了です。素晴らしい講師陣や校舎、ヴェルサイユ宮殿や研究センターとのプロジェクトに参加することができ大満足の1年でした。来年度もまた興味深いプロジェクトがありそうなので、このブログでご紹介できればと思います。
来週はアルルの衣装祭りについてお送りします。


ヴェルサイユのモリエール月間

19 6月 2019

6月のヴェルサイユでは、この広告を目にしない日はありません

年度末ということで、私の所属するヴェルサイユ地方音楽院はもちろんのこと、ヴェルサイユバロック音楽研究センター、パリ地方音楽院に所属する学生仲間の修了試験で先週頃から忙しくなってきたこの頃です。
年度末の試験事情は日本も大体同じですが、フランスの学生たちはどうもアンサンブルのオーガナイズが遅い、緩い傾向にあります。2週間前になってから依頼してきてそこから日程調整したり、楽譜や担当パートに関する情報が今一つ不明瞭だったり、引き受ける方は何とも苦労が絶えません…。試験はそれぞれ今週、来週辺りに集中していて、今週は室内楽の授業の発表演奏会も控えているのでオーガナイズが遅かったグループはどうしてもリハーサルが少なくメンバーの出席率も良くないため、中には立ち消えするものもあったり。来年は私も修了試験があるので、オーガナイズには気を付けよう…。
さてこれらヴェルサイユ地方音楽院、及び研究センターの公開修了試験は今週のテーマであるモリエール月間と連動していて、公演一覧に記載されています。
まずモリエールとは誰かというところからお話しすると、彼は17世紀にフランスで一世を風靡した喜劇作家であり、コルネイユやラシーヌとも並ぶフランス古典主義作家です。医者や教会、宮廷事情の鋭い風刺劇でパリの観衆から高い人気を得た他、ルイ14世にも寵愛されリュリと共に「町人貴族」を始めとしたコメディー・バレを制作していました。
そんな彼の名前を冠したモリエール月間(Le Mois Molière)は1996年から開始され、今年で24回目を迎えます。毎年6月に一か月間、ヴェルサイユの様々な施設でプロ・アマチュア団体による劇、演奏会、舞踏、サーカス、展覧会や講演会が催されます。公演内容はモリエールや17世紀に限ったものではなく、その公演の多さたるや日本の音楽祭など遠く及ばないほどで、文字通り1か月間毎日、何かしらの公演が複数行われています。一部は予約制、入場料を取る公演もありますが大半は入場自由で無料、ヴェルサイユ市民にも大いに親しまれているようです。今月の街の広告表示はほとんどがこの赤いモリエール月間の広告で、多くの商店の窓にもポスターが貼られています。
今年私が関わったものとしては王室礼拝堂木曜演奏会でのカンプラのレクイエム、大厩舎での国王の24のヴィオロン、ヴェルサイユバロック音楽研究センターの試験の1つ(モリエールのプログラム)、今週近所の球戯場で行われる室内楽授業の発表演奏会がありました。大厩舎や球戯場など、普段はあまり演奏では使用しない歴史ある空間で演奏することができるのもこのイベントの力でしょう。
しかし残念ながら観客としてはあまり多くの公演には行けず、肝心のモリエール作品上演にはついに行くことができませんでした。今週金曜日に王室歌劇場で「町人貴族」を観ますが、劇作品の鑑賞はまた来年のお楽しみということにします。
先週は研究センターの歌手の1人が修了試験として、市庁舎の大広間でカンタータ・フランセーズの演奏を行っていましたが、17世紀の朗誦法やジェスチャーを再現していてとても素晴らしかったです。しかしこれはフランスの聴衆がいて、しかもヴェルサイユのあの空間だからこそ演者・聴衆共にあれほどまでに白熱したのだと思うと、今後私はどう演奏活動を行っていけば良いかを大いに考えさせられました。

ヴェルサイユ宮殿の庭園の散策にも良い季節ですので、来年フランスへ旅行を考えている方は是非6月にヴェルサイユに来て、モリエール月間を楽しんでみてはいかがでしょうか。
来週はヴェルサイユの球戯場とそこでの室内楽演奏会についてお伝えしようと思います。


マントノン夫人展とマリー・レクザンスカ趣味展

12 6月 2019

現在開催されている2人の女性に関する特設展

相変わらず涼しい日が続いています。一時期暑くなって冬用の布団や服を物置に移動しましたが、一部をもう一度持って来なくてはならなくなりました。まあ暑いよりは快適で良いですね(何度も書きます)。
先週は木曜演奏会でカンプラのレクイエム、大厩舎で「平和の田園詩」の本番がありました。どちらもヴェルサイユ音楽研究センターと密接に連携した内容、会場共に素晴らしいプロジェクトでした。今年の大きな演奏会はこれで終わりましたがとても良い経験を1年目でできたなと思っています。

さて今回は現在ヴェルサイユ宮殿で開かれている2つの特設展、マントノン夫人展とマリー・レクザンスカ趣味展についてお伝えします。
今年で没後300年になることを記念した「マントノン夫人展~権力への道の中で~」は王のアパルトマンの向かいに設けられたマントノン夫人のアパルトマンで開かれています。
ここでマントノン夫人について簡単に触れておくと、まず彼女の本名はフランソワーズ・ドービニェといい、幼少期はカリブ海の植民地マルティーク島で過ごしました。開拓には成功せず一家は貧しいままフランス本土へ帰国、間もなく両親がなくなり25歳年上の喜劇作家ポール・スカロンと出会い結婚、妻としてだけではなくリウマチで身体が不自由だったスカロンの看護師も務めました。夫の文芸サロンでモンテスパン侯爵夫人と出会い、まもなく彼女がルイ14世の愛人となって子供を設けると、フランソワーズは夫人から子供たちの養育係に任命されました。出産しただけでその後の母としての務めは果たさなかったモンテスパン侯爵夫人に代わって献身的に子供たちを養育するフランソワーズは王の目に留まり、多額の年金を与えたことで彼女はマントノンの所領と城を購入し、マントノン侯爵夫人と呼ばれるようになりました。国王の寵愛の衰えを感じていたモンテスパン侯爵夫人は彼女へも嫉妬の矛先を向けますが、やがてモンテスパン夫人は黒ミサ事件により宮廷を去り、マントノン侯爵夫人はルイ14世の寵愛を得るようになります。1685年末、既に王妃がなくなっていたためルイ14世とマントノン侯爵夫人は密かに結婚、ヴェルサイユ宮殿に今日あるアパルトマンを与えられました。大貴族の出身でもない彼女が国王のアパルトマンの近くに居を構えたことは宮廷内に衝撃を与えました。それからの晩年のルイ14世は一日数時間を彼女と共に過ごし、信心深い彼女の影響を多大に受けました。非公式ながらも国王の妻となったマントノン侯爵夫人は豪奢な生活を送るのではなく、弱小貴族の子女を支援する聖ルイ王立学校を創設するなど貧困救済と教育に力を入れていました。ルイ14世の崩御が決定的なものとなると、彼女はヴェルサイユ近郊のサン=シールへ身を引き、1719年に亡くなりました。
マントノン夫人のアパルトマンは2つの控の間、寝室、大広間からなっています。大理石の階段を上がった先、左手に国王のアパルトマンを見て右手にそのアパルトマンは位置しています。特設展では控えの間にまずポール・スカロンやモンテスパン侯爵夫人との関係を示す展示物があります。寝室と大広間には慎み深そうな印象を受ける有名な彼女の肖像画がある他、ルイ14世との書簡も展示されています。ルイ14世に愛された女性、王とモンテスパン侯爵夫人の子供の代母、及び教育者としての彼女のそれぞれの一面を垣間見ることのできる特設展でした。室内の装飾はいずれもオリジナルのものではないのでしょうが、それでも彼女がこの地で王と共に静かな時を過ごしたことに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

さて大理石の階段を降りて右へ進むと、王太子妃のアパルトマンの空間でマリー・レクザンスカ趣味展を見学することができます。
マリー・レクザンスカはルイ15世の王妃ですが、マリー・アントワネットと比べると知名度は決して高くなく、また評価もあまりされない人物です。しかし彼女は王国の後継者を残すという大きな使命を果たしただけでなく、ルイ15世時代の文化の洗練に大きく寄与していました。この展覧会ではそのことを改めて認識することができます。
マリー・レクザンスカはポーランド国王スタ二スラフ1世の娘でしたが、まもなく彼はポーランド王位を追われ一家はフランスのアルザスへと亡命を余儀なくされました。ルイ15世は1721年にスペインのフェリペ5世の娘マリアナ・ビクトリアと婚約していましたが、間もなくルイ15世が重病を患うと、まだ幼くルイ15世との子を成すのに時間がかかりすぎると判断されたマリアナ・ビクトリアとの婚約は破棄され、スペインへと送り返されることになりました。当時周辺ではカトリックの王国は少なく、ルイ15世に適した王族の血を引く女性として最終的に選ばれたのが、当時もはや弱小貴族となり果てていた元ポーランド国王の娘マリー・レクザンスカだったのでした。1725年の結婚から2年後の1727年からこれ以上の出産は危険であると医師に警告される1738年までに、彼女は2男8女の子供を出産するという王妃の重要な使命を果たしました。しかし出産に疲れ果てた彼女はその後一転してルイ15世を拒否するようになり、以後は信仰や芸術、貧困救済などへ力を注ぎました。
第一控えの間では彼女の両親と子供たちの多くの肖像画に囲まれ、待望の王太子を抱えた威厳あるマリー・レクザンスカの肖像画が掛かっています。ちなみにジャン=マルク・ナティエによる王女たちの肖像画は王女のアパルトマンでも見ることのできるものですが、説明書きには複製という但書がないのでオリジナルのものが展示されていると思います(ナティエ作の王女たちの肖像画は個人的に好きなのでこれは嬉しいです)。

王女たちの肖像画

第二控えの間には「五感」と題され王妃の奥の私室に飾られていたジャン=バティスト・ウドリーの作品が全て並べて展示されています。穏やかな田園風景に動物や人物が描かれる中で、触覚、聴覚、視覚、味覚、嗅覚が表されています。王妃はお気に入りの画家であった彼の作品を模写することから始め、ついに自分の作品を描くに至りました。「村」と題された「五感」の対面に展示されているこの油絵はとても良く仕上がっており、農村の家や村人、鳥や牛が生き生きと描かれています。1754年に彼女はルイ15世にこの絵を贈り、彼もこれを嬉しそうに受け取っていたという証言が残されています。左には同じく彼女の手による、王太子に戦場を見せるルイ15世の様子が描かれた「フォントネの戦い」を見ることができます。

中国の様子を想像で描いたキャンバスシリーズ

寝室には「中国人の部屋」と呼ばれるキャンバスシリーズの内の4枚が展示されています。当時流行していた中国趣味によりマリー・レクザンスカは1747年に奥の居室の一室を中国風に装飾しましたが、1761年からはこのキャンバスシリーズへと移行し、宮廷の5人の画家と王妃がこれを製作しました。中国絵画に着想を得ているのは勿論のこと、旅人や中国へキリスト教布教を行うイエズス会士の証言にインスピレーションを受けた建物や人物が、まるでその風景を見てきたかのように豊かに描写されています。これらの作品は王妃崩御の後、侍女であったノアイユ伯爵夫人に遺贈され、その後はノアイユ一族によって大切に保管されてきましたが2018年にヴェルサイユ宮殿によって買い戻されたということです。2枚ずつのキャンバスシリーズの間にある鏡の下には、スタ二スラフ1世をポーランド王位から追い出した新ポーランド国王アウグスト3世から外交関係の改善を目的として1737年にフランスへ贈った、マイセン製の磁器ティーセットの一部が展示されています。フランスとポーランドの国章がデザインされ、音楽家や役者たちなどが描写された細密画が施されています。これらもまた最近ヴェルサイユ宮殿が買い戻したものだそう。
最後の奥の間には、宗教画や宗教関係の蔵書が展示されており、彼女の信仰に根差した生活を垣間見ることができます。ジョゼフ=マリー・ヴィヤン作の「中国に到着したフランシスコ=ザビエル」は私用アパルトマンの扉上部に飾るためのもので、主題は彼女自身が選択したものです。聖人の中でもフランシスコ=ザビエルをとりわけ敬愛していた彼女は彼に関する聖遺物や絵画をいくつか所有していたということです。中国に到着したことを観客に想起させるのはそばに描かれた船に乗る中国人たちだけですが、これもまた中国、東国趣味の流れから来るものでしょう。
この部屋には最後の展示として「マリー・レクザンスカとギリシャ趣味」という名のもと3点の花瓶が置かれています。ロココ様式とは異なるこの新古典様式は、後のルイ16世、マリー・アントワネットの時代へとつながっていきます。

次回は現在ヴェルサイユで開催されている「モリエール月間」についてお送りします。


ヴェルサイユ宮殿観光の手引き⑤

6 6月 2019

歴代の王子・王女の誕生を見守った王妃の寝室

ついにヴェルサイユにも暑い日がやってきました。以前も書きましたが我が家は最上階なので熱気がこもりやすく、日中外出の際はブラインドを全部おろしますがそれでも帰宅する頃には熱くなっています…。日本に帰ったら窓に貼る遮熱フィルムを買おうと思います。
国王の24のヴィオロンの本番は来週にまだ1回残っていますが、今週は木曜演奏会に向けてアンドレ・カンプラのレクイエムに取り組んでいます。フランス・バロック屈指の名曲、私がこのジャンルにはまるきっかけになった曲の一つをヴェルサイユで、いつも通り情熱たっぷりのオリヴィエと素晴らしい研究センターの歌手、びっくりするくらい上手い少年少女歌手と一緒に上演できるとは嬉しい限りです。器楽も今回は初対面の人が多く、順調に知り合いを増やしているといったところですね。

さて今回は先日修復が終了し再公開されたヴェルサイユ宮殿の王妃のアパルトマンについてご紹介しましょう。
王妃のアパルトマンは鏡の回廊を挟んで戦争の間と対になっている平和の間から見学を始めます。平和の間は王妃のアパルトマンではありませんが、ルイ14世の治世終了後は鏡の回廊と平和の間の間に仕切りが設けられ、実質上の王妃のアパルトマン奥の間になっていました。ルイ15世の王妃マリー・レクザンスカはこの部屋で毎週日曜日に音楽会を開催しており、楽器の演奏に長けた王女アデライードやヴィクトワールたちを育みました。
なお王妃のアパルトマンの修復は終わりましたが、平和の間は現在も修復中で壁は覆われ、通路が設けられているだけになっています。公開されたらまた追記することとします。次は寝室から順に、公的空間へ向けて順路を進んでいきます。
・寝室
国王のアパルトマンはルイ14世時代から既に儀礼のためだけの空間で居住するためのものではなく、その後の国王も特に内装に手を加えなかったのに対し、王妃のアパルトマンは実用する居住空間であったためマリー・レクザンスカとマリー・アントワネットによって内装は変更されています。この寝室は天井の枠組みこそマリー・テレーズ(ルイ14世の王妃)時代のものが残るものの、他は全てマリー・レクザンスカの内装です。暖炉と鏡付近はバロック様式よりも優雅で繊細なロココ様式の木彫で装飾されており、寝台側の壁面はユリの花束とクジャクの羽がデザインされたマリー・アントワネット時代の壁布が復元されて寝台とも調和しています。扉の上にはマリー・レクザンスカの子女のうち5人が描かれ、多くの子を持つ母として生きた彼女の一面を垣間見ることができます。天井のグリザイユ画法(モノクローム画法)で描かれたフランソワ・ブーシェによる4つの絵はそれぞれ王妃が持つべき4つの美徳である豊穣、忠実、慈悲、慎重の寓意です。また4隅にある木彫を除いて他の天井部分は壁面の木彫に対応する騙し絵になっています。
この部屋では国王と同じく儀礼に従った謁見が行われたほか、王位継承権を持つ嫡子の正当性を主張するため出産はこの部屋で公開のもと行わなければなりませんでした。1789年10月6日、暴徒がヴェルサイユ宮殿に押し寄せた際には寝台の左右にある小さな隠し扉を通って、マリー・アントワネットは奥の間へと逃げ込みました。

・貴族の間
アパルトマンの機能上は控えの間にあたりますが、マリー・レクザンスカはこの部屋を大広間として整備し、設置した天蓋に座って謁見を行っていました。
部屋の主題は対になる国王のアパルトマンに対応させるため芸術と科学の守護神で天上からの使者であるメルクリウスとなっていて、中央にはメルクリウス、四方には絵画、哲学、織物、音楽に長けた女性たちの逸話が描かれています。寝室の装飾には手を加えなかったマリー・アントワネットはこの部屋には大きく手を入れ、壁面にはそれまでの木彫をやめてヤシの木の模様が入った緑のダマスク織の壁布をかけるという、当時流行の英国風を取り入れました。マリー・アントワネットお気に入りの家具職人リーズネルがこの部屋に収められたはずの洗練された家具は革命の際に散逸しましたが、一部は買い戻されて展示されています。

・大膳式の間
この部屋は第一控えの間であると同時に、国王と王妃の公式晩餐会である大膳式が行われる部屋でもありました。暖炉を背に国王夫妻は豪華な椅子に座り、その周りに座ることができるのは王族と侯爵夫人のみでした。食事においてもルイ14世はこれを儀式化し、権力誇示の場としました。王妃の死後1690年からルイ14世はこの大膳式を自分のアパルトマンの第一控えの間で行うようになりますが、ルイ15世の治世になるとこの儀式は再びこの部屋で行われるようになりました。マリー・アントワネットは食欲旺盛なルイ16世と対照的に、手袋を外さずあまり食事に手を付けなかったそうです。
この部屋の装飾は貴族の間と打って変わって赤い壁布となっており、天上には国王の大アパルトマンのマルスの間でも見ることのできたル・ブランの「アレクサンドロス大王にひれ伏すダレイオスの家族」を中心に、周りには戦場に赴く古代の勇猛な女性たちの場面が淡彩画で描かれています。戦争の神マルスは描かれてはいませんが、明らかにこの部屋の主題は戦争であり、マルスの間と対応しているのが分かります。暖炉の反対側には3人の子供と共に描かれたマリー・アントワネットの肖像画が掛けられています。

・衛兵の間
衛兵の間は通常あまり装飾がなく見どころが少ないものですが、この王妃のアパルトマンの衛兵の間は見どころがたくさんあります。今までの部屋は歴代の主人によって内装が大きく改造されましたが、この衛兵の間には王妃が来ることはないため改装は行われず、17世紀の内装が現在も残っています。壁面には多色の大理石が幾何学模様に実に美しくはめ込まれ、扉上部や鏡周辺にはバロック様式の木彫が見られます。天井の中心には最高神ジュピテルが神々しく描かれており、四隅に描かれた欄干から身を乗り出している宮廷人たちの称賛を受けています。この部屋の主題はジュピテルと共に正義であり、円天井は古代の偉大な王や哲学者を描いています。
衛兵の間を抜けると、かつては衛兵の控えの間であったルイ=フィリップ王の「戴冠の間」へ順路が続きます。

今回は王妃のアパルトマンについてお伝えしました。次回は現在開催されているマリー・レクザスカ展とマントノン夫人展についてお伝えします。


「国王の24のヴィオロン」復元プロジェクト

29 5月 2019

研究センター所属の弦楽器たち

日本ではもう真夏日になる地方もあるそうですね。こちらもようやく暖かくなってきましたが、まだ日によりけりです。
先週の活動は「国王の24のヴィオロン」復元プロジェクトによるリュリの「平和の田園詩」上演一色でした。

今回の演奏の様子はこちら

このプロジェクトは2008年からヴェルサイユバロック音楽研究センターが行なっています。現在ではヴァイオリン、ヴィオラ、チェロといった弦楽器はサイズが殆ど画一化されていますが、19世紀以前はそれ以外にも微妙なサイズの楽器がたくさんあり、特にヴィオラは担当する音域によって殆どヴァイオリンと変わらない小さなものから腕に収まりきらない大きなものまでサイズが豊富でした。17世紀フランス宮廷のオーケストラ「国王の24のヴィオロン」も例外ではなく、通常5声部からなるパートそれぞれが違うサイズの楽器で演奏されていました。即ち6挺のDessusと呼ばれるヴァイオリン、それぞれ4挺ずつのHaute-contre、Taille、Quinteと呼ばれるサイズの異なるヴィオラ、6挺のBasseと呼ばれるチェロよりも大きく調弦も一全音下に調弦される楽器です。これらの楽器のセットがパトリック・コーエン=アケニヌ氏と2人の楽器製作者によって製作され、プロジェクトの演奏に用いられています。製作の様子はこちらの動画をご覧ください。
今回私はDessusを担当しました。プロジェクトの最初に楽器の蔵出しが行われ、私もそこに同席させていただいてほとんどの楽器を試奏することができました。選んだのはPolidor(ポリドール)という楽器。今日一般的なヴァイオリンのサイズよりほんの僅かに小さいもので、私の楽器と比べたところ弦長はかすかに短い程度ですが箱が小ぶりです。他にもバルタザールやメルキオールといった名前が一台ずつ付けられています。見つけられませんでしたがカスパーもいるのでしょうか。エヴァンゲリオンのスーパーコンピューターではありませんよ(笑)。製作されてからまだ10年経っていない新作楽器ですが、1年に2、3回学生に使われるか使われないかでほとんどは楽器庫かショーケースにあるこれらの楽器、正直状態が良いとはあまり言えません。私のポリドール君も6台中最も調子が良かったものの蔵出しの際に弦や魂柱の位置を調整し、やっと演奏に耐えられるかなというレベルです。今後もっと演奏機会が増えれば状態も良くなるはず。
オーケストラの指揮はパトリックが行いアンサンブルのメンバーも数人演奏に参加していますが、殆どは周辺の音楽院の学生による演奏です。個々のレベルは…うーん、私が一年目にしてコンサートマスターを拝命するくらいです(笑)。研究センターの歌手のレベルが高いだけに、器楽の演奏レベルももう少し高めたいところ。ちなみに今回は24台全ての楽器を使っているわけではなく、人数比は4-3-3-3-4。
リハーサルは月曜日、火曜日、木曜日の3日間ほぼ一日中行われましたが、私含め日頃慣れない楽器でのアンサンブルなのでもう少し下慣らしの期間があれば良かったなと思います。金曜日には当時も演奏が行われ「平和の田園詩」の舞台になっているソーのオランジュリー(オレンジ温室)で演奏会が行われました。地域でも大々的に宣伝が行われていたようで、チケットは完売。縦長のオランジュリーの最後方まで設けられた客席は一杯になりました。
ちなみに「平和の田園詩」は、スペインとの大同盟戦争終結によるラティスボンの和約が1684年に締結されたことによる戦勝祝いとルイ14世賛美のための作品で、翌85年8月16日にルイ14世臨席の下、今回も演奏したソーの館のオランジュリーで上演されました。台本はあの有名な悲劇作家ラシーヌ。ちなみに現在あるオランジュリーは残念ながら後年になって建てられたもので、当時演奏されたオランジュリーではありません。それでも当時と同じ地で作品を上演できるのは感無量というところ。
満員の観客の熱気と、そもそものオランジュリーという室温が上がりやすい建物の構造もあって上演中は暑く、調弦を絶えず確認しなければならない本番でした。音を採るチェンバロも調律が崩れてくるので、コンサートマスターとして調弦を行う際は難しかったですね。
続いて日曜日にはオルセーの県立音楽院のホールで演奏、最後は来週末のヴェルサイユ大厩舎での演奏です。あの巨大な空間での演奏はどうなるのか、楽しみなところです。

次回はヴェルサイユ宮殿シリーズの続編、王妃のアパルトマンをご紹介します。


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