ヴェルサイユ便り

パリ・シテ島編②ポンヌフ

16 10月 2019

名は新橋でも今は最古の橋

今回は先週に引き続きシテ島についてのお話なのですが、ここで皆さまにお詫びです。
サント・シャペルとコンシェルジュリー、もう少し延期させてください!
というのはですね、今度こそ入るぞと思って意気揚々とサント・シャペルの入場列に並んだわけなのですが、ふと「11月からの第一日曜日は無料」の看板が目に留まったんです。そうだ、今日なら学生料金でも8€だけど来月の第一日曜日に来れば無料じゃないか!

…という経緯があったので、今回はシテ島にかかる有名な橋、ポンヌフについての紹介です。
ここはアヴィニョンの橋のように入場料はとりませんので(笑)。

ポンヌフはシテ島の西側に架かり、パリ右岸と左岸をつなぐ今も昔も重要な橋です。ポンヌフとは「新橋」という意味ですが、1578年にアンリ3世の手によって起工され、1607年に竣工した現在のパリでは最古の橋となっています。石造りの頑丈な橋で基本構造は竣工時から変わっていません。フランスには「ポンヌフのように丈夫だ」ということわざがあるそうです。
橋は右岸からシテ島の部分(7つのアーチ)とシテ島から左岸の部分(5つのアーチ)の2つからなっていますが、シテ島の陸地部分のアンリ4世騎馬像周辺も同一の意匠となっています。側面には怪人面Mascaronと呼ばれる怖い形相をした男の顔の装飾が等間隔に延々と続いていて、一つとして同じものはないように…思えます(確認はしていません)。これだけ見ていても結構楽しいですよ。
橋を実際渡ってみると、なるほど現役の橋だなあという感じなのですが、その幅の広さに注目してみてください。現在の道路部分は自動車道路の片側2車線くらいの広さはあります。大型観光バスも余裕で通過。それでいて左右の歩道部分もとても広く、ストリートミュージシャンがいても困らないほど。橋脚部分には半円形のベンチになっている休憩スペースもあります。いやそんなに長い橋じゃないですけどね…。こういった幅の広い橋の設計が、頑丈さと相まって後に架け替えられたり改造されることなく現在まで残った理由の一つでしょう。
またこの橋はパリの中心部にあるだけあって、様々な事件の舞台や芸術作品の題材になってきました。そのような事に思いを馳せてみるのも良いでしょう。

最後に、この橋はシテ島を挟んで2つの部分からなる橋だけあって、全景を良く眺められる場所は非常に限られてきます。お勧めは西側に架かるポンデザールの中央付近から見ること。今回の写真もここから撮影しています。でもここからではどうしても少し遠くなってしまうので、間近で見たいなら河岸の歩道から観察すると良いでしょう。

次回は今週行われているヴェルサイユ地方音楽院のオープンキャンパスを紹介します。


パリ・シテ島編①ノートルダム大聖堂の現況

9 10月 2019

ノートルダム大聖堂の現在の様子

昨日はこの記事を書くためにシテ島へ赴きましたが、粒の細かい雨と風で結構濡れてしまいました。雨の日が増えてきたので、中々外を出歩く気になれず少し運動不足気味です。
シテ島へはノートルダム大聖堂の火事直後以来久しぶりに行ってみました。今回は大聖堂の現況をお伝えします。
大聖堂前のシャルルマーニュ像やポワン・ゼロがある広場、反対側のヨハネ23世広場を始め周囲は白い鉄製の囲いで覆われ、工事関係者のためのテントと事務室が多く設置されています。
木製の尖塔があった位置には火災当時のまま鉄骨の足場が組まれていますが、南側のバラ窓のところにも足場が組まれていました。その他の聖堂の側面にある窓は透明なシートで覆われています。
東側、つまり後陣部分の屋根とフライング・バットレス(外壁から外側に向かって伸びる、聖堂天井のアーチ構造を支える役割を持つ構造物)の内側には木製の枠組みが追加されていました。やはり火災の際に石材が高温にさらされたことにより強度に支障をきたしたのでしょうか。
火災直後に訪れた際は聖堂北側のクロワトル=ノートル=ダム通りは閉鎖されていましたが、現在は通行できるようになっています。この通りからよく観察できる北側のバラ窓は白い覆いが掛けられていて状態を確認することはできません。火災当時火が吹き出ていた上部の小さい窓は損傷が激しいのか木材で補強がなされていました。
以上が大聖堂の外観の現況です。修復は時間がかかるでしょうが、いつの日かまた昔のような美しい姿に戻るといいですね。そういえば尖塔と屋根のデザインはどうなるのでしょうか。18世紀にも趣味の悪い改築が行われ、19世紀の修復で原型に近い姿を取り戻しましたが歴史は繰り返されてしまうのでしょうか。

さて今回はノートルダム大聖堂以外の名所である、サント・シャペルとコンシェルジュリーについてお伝えしたかったのですが、2つの入り口が面しているパレ通りが警察によって封鎖されているではありませんか!といってもこれはノートルダム大聖堂火災によるものではなく、周囲で行われていたデモ対策だったようです。
そんなわけで、来週こそ!お伝えしたいと思います。


パリの日本食品店、京子食品

2 10月 2019

KYOKOじゃないの?でお馴染み(私だけか)

早いものでもう10月ですね。日本では消費増税が行われましたが、果たして今後の経済はどうなるのでしょうか。
昨日、イヴリヌ県庁から新しい滞在許可証の用意ができたという旨のSMSが届きました。申請してから2か月超、もしかしたら日本にいる間フランスからのSMSが受け取れなかったのではないかと気をもんでいましたが、無事取りに行けることになり良かったです。
あと7月の始めにネットショッピングでサンダルを注文したのですが、その後なかなか発送して来ず帰国の日を迎えてしまいました。不在でも郵便局員がどこかに置いておいてくれるかなと思いきや返送されたようで、ショップから先日連絡があり再送料10£(イギリスのお店なのでポンド)かかるとのこと… サンダルがどうしても欲しかったあの暑い夏は過ぎてしまいましたが、欲しいものだったので再送を待つことにします。住所は合っているし表札も出しているのだから置いて行ってくれればいいのに!!!

さて今日はパリの日本食品店として有名な京子食品の紹介です。
パリのオペラ・ガルニエ(いわゆるオペラ座)の周辺にはジュンク堂書店、 ブックオフ、ヤマト運輸といった日本企業の店舗や、ラーメンを始めとした日本食店が多く並ぶなどまるで日本人街のようになっています。またフランスの銀行ながら日本語で対応してくれる、留学初心者には大変心強いLCL銀行ピラミッド支店 (日本人支店とあだ名されています)もまたこの地区にあります。
そんな地区の中で、日本食材を買うため私が何度か足を運んでいるのが京子食品です。大きいオペラ座通りから横に伸びるプティ・シャン通り沿いにあり、道を少し進むとすぐに「京子」の四角い看板が見えます。フランス語表記はKIOKO。KYOKOじゃないの?と思うかもしれませんが、フランス語でYはIが二つということになっているので KYOKOだと「きよこ」になってしまうのだと思います。
そんなことを毎度考えながら入店。一階は米、野菜、冷凍・冷蔵食品、調味料、お菓子や飲料などが並び、2階には乾麺やインスタント食品、各種の粉、製菓材料、食器や調理用品も売られています。そのラインナップたるや、まるで日本!ここに来れば日本食材はほぼ困らないでしょう。こんなものまで!というものがたくさんあるので、見ているだけでもとても楽しいです。私個人的に非常にポイントが高いのが蕎麦の乾麺の品揃え。私が一番気に入っている滝沢更科の十割そばがあるんですよ!温蕎麦に最適なので是非お試しあれ。
そんな品々も全てが日本産というわけではなく、野菜などはフランスやその他の国々で収穫されたものが多数売られています。やはり鮮度の観点ではどうしても日本からの輸入には限界がありますから、 日本と比較的気候や土壌が似ている場所でそれらを栽培する努力が行われているのでしょう。
値段設定は日本で買うよりはやや高いのは仕方ありませんが、それを考慮すればそれほど気にならない商品が多いと思います。それから少し前までは少額のクレジットカード利用はできなかったのですが、今では1€から対応してくれるようになりました。これはありがたい!
スタッフはフランス人、日本人が半々くらいという印象です。何か困ったことがあっても日本語で対応してくれると思いますよ。
その他詳しい最新情報はどうぞ公式サイトで。
京子食品 http://www.kioko.fr

来週はパリのシテ島についてご紹介します。ついにあのサント・シャペルに行きます!え、まだ行ってなかったのかって?(笑)


ヴェルサイユ宮殿展示演奏

25 9月 2019

展示演奏会場の様子。クラヴサン担当のシャルルが準備中

早くも日本滞在から一か月が経とうとしています。滞在中はここぞとばかりにいろいろな場所へ行って遊んだせいか、去年よりも望郷の念が少し強く感じられる今日この頃です。
さて、先週末はヨーロッパ各国で「ヨーロッパ文化遺産の日」と題したイベントが催されていました。
このイベントは毎年9月の第3週末に開催され、フランスではその膨大な歴史的建造物のうち、平常時は観光客が立ち入ることができない場所も開放されます。また有料の博物館等も無料観覧できるようになるところが多いようです。
ヴェルサイユはもちろん歴史的建造物の宝庫ですから、ヴェルサイユ公共図書館やイタリア人音楽家旧邸、ヴェルサイユ地方音楽院やヴェルサイユバロック音楽研究センターも観光客向けに開放されました。ヴェルサイユ宮殿も王のアパルトマンや鏡の回廊とまではいかないまでも、王室礼拝堂や王室歌劇場は無料で入ることができたようです。
そんな中、私はヴェルサイユ宮殿の北翼棟にあるフランス史博物館の「ルイ14世の間」の一室で2日間展示演奏を行いました。これらの部屋は元は宮廷貴族のためのアパルトマンでしたが、ルイ=フィリップ王がヴェルサイユ宮殿を博物館とした際に改装され旧体制時代の内装は残っていません。現在では買い戻されたごく少数の家具と、壁面には王族、軍人、学者や文化人などの肖像画が並んでいます。
展示演奏はヴァイオリン同門下の3人で1日2時間半ずつ担当しました。といってもずっと弾いているわけではなく、任意に適宜休憩を入れながらで良いという話でした。
土曜日の私の担当は朝9時半から12時の枠。最初は人が来ずとりあえずリハーサルしようかと言って弾き始めたら、次第に観客が増えてきました。
今回用意したのはジャン=ジョゼフ・カッサネア・ド・モンドンヴィルの倍音のソナタ1曲、ジュリアン=アマーブル・マテューのソナタ1曲と、それにクラヴサンのシャルルが用意したジャン=フィリップ・ラモーのクラヴサン曲2曲です。どれもルイ15世時代、1730-50年代の作品です。
演奏会ではないので楽章が終わるたびに拍手をもらい、次の部屋へ進む客と入ってくる客の動向を見ながら次の楽章に移るという進行でした。でもその場に留まって全ての楽章を聴いてくれる方も多かったです。師匠パトリックと私の部屋の大家さんも来てくれました。
所々で係の方がヴェルサイユ宮殿とルイ14世時代の音楽活動について簡単に紹介していましたが、曲については私から話すことになりました。
全ての楽章を弾き終わると、ありがとうございました、この後も良い観光をと言って締めくくるのですが、そのまま留まって次の演奏を待ち望んで下さる方も多く、またその間にも次々と新しい客が入ってきて本格的な休憩をするということは中々できませんでした。だって客が待っているなら弾きたいですもの。
そんなわけで、給水とトイレ休憩、シャルルが弾く2曲の間を除いてほぼ休憩はありませんでした。いや実際にはあったのかもしれないですが、このような形態の演奏は初めてで精神的に休めなかったというのが実情でしょうか。
終了後はのんびりと配布された昼食をとり、ヴィオル担当で日曜日のみ参加のマノンと合流して翌日のためのリハーサルを音楽院で行った後は帰宅して昼寝…のつもりが相当疲れたのか夕食前まで寝てしまいました。
日曜日の担当は午後、15時から17時半の最後の枠。午前中から午後にかけて雨が降り湿度が上がったのと、日曜日だからか午後の枠だからなのか観客が前日の比ではなく、会場は相当に蒸し暑くなりました。しかもシャルルがパリのメトロで問題があったらしく中々到着せず、観客が待ち焦がれる中で急遽バッハの無伴奏を弾くことになり若干変な汗をかく始末…。私は汗をかきやすいので夏場の演奏は対策を欠かさないのですが、もう秋になって大丈夫だろうと思っていたんです。でもバッハを弾き終わって、やっと到着したシャルルとそのままモンドンヴィルのソナタを弾いていたらもう顔から汗が噴き出していました。
その後は窓を開けてもらったのと、半ばかぶりつき状態になっていた最前列の観客に一歩下がっていただいたので多少は涼しくなりました。でも熱気と湿気で狂ったクラヴサンの調律はそのまま…(笑)。
今回嬉しかったのが、意外?にもマテューのソナタの評判が良かったこと。彼は27年間にわたって王室礼拝堂の楽長を務め、ルイ15世とルイ16世に重用されたヴァイオリン奏者、作曲家でしたが、今日では全く忘れ去られてしまっています。ヴェルサイユ宮殿で約250年後、自分の作品を日本人が演奏するとは彼も思っていなかったでしょうが、多くの人々に受け入れられたのであれば少しは供養になったのかなと思います。
一方課題だったのはモンドンヴィルのソナタで使用した倍音奏法。このソナタはヴァイオリン史上最初期の倍音奏法使用例で、その他の一般的なバロックヴァイオリンのレパートリーではほとんど登場しないこの奏法は、モダンヴァイオリンの弦では何の問題もありませんがガット弦では鳴らし方をもう少し研究しなければいけないなと思いました。

次回はパリの日本人たちの台所、京子食品についてお伝えします、


ヴェルサイユのノートルダム地区(後編)

18 9月 2019

市民の憩いの場となっている旧王立病院の中庭

すこし夏が戻ってきたようで、日中は半袖でないと少し暑い快晴の日が続いています。しかし日が暮れるのは日増しに早くなり、あの長い暗闇の冬がすぐそこまで来ているかと思うとこの青空を味わえるのも今のうちです。
今週から新学期が始まりました。バカンス中は開校時間が短く、小さい部屋で練習することを強いられていたのでようやくといった感じです。室内楽担当の先生は家庭の事情でしばらく来られないとのことで、アンサンブルは今しばらくお預けに…。

さて、今回は前回に引き続きヴェルサイユのノートルダム地区についてお伝えします。

  • ポンパドゥール夫人の館
  • 前回紹介した王妃の厩舎からさらに西へ進むと、ルイ15世の愛人として宮廷で権勢を誇ったポンパドゥール夫人の館があります。彼女はもちろん宮殿内にもアパルトマンを持っていましたが、宮殿に隣接するこの場所にも館を持っていました。ルイ15世の趣味による建築でしたが、19世紀以降ホテルとして転用された際に高く増築され今日ではよく見る集合住宅のような外観になってしまいました。現在は政府所有で基本的に内部に立ち入ることはできません。

  • モンタンシエ劇場
  • ポンパドゥール夫人の館の右隣に、1777年に完成したモンタンシエ劇場があります。内部は水色と金色で彩られた小さいながらも豪華な劇場です。すぐそばに王室歌劇場があるのに…王政末期の財政難にしては羽振りがいいですね。
    現在では市営の劇場になっていて、演劇を始めたくさんのプログラムを上演しています。機会があれば観てみようと思っています。

  • ランビネ博物館
  • モンタンシエ劇場から北へ進み、レーヌ通りを東へ進むと、ランビネ博物館があります。ルイ15世治世下の建築でランビネ家の館でしたが、1929年にヴェルサイユ市へ遺贈され市営博物館となりました。18世紀の装飾美術品、革命やヴェルサイユ市の歴史に関係する品が展示されています。
    今回の記事を書くにあたり入館しようと思ったのですが、今週末に無料開放があるのでその際に行くことにしました(笑)。
    庭園も様々な花が植えられ可愛らしい仕上がりとなっています。

  • 旧王立病院(リシャール病院)
  • レーヌ通りをさらに東へ進むと、ギリシャ神殿風の正面が特徴的な広大な建築、旧王立病院があります。ルイ14世によって計画された壮大なヴェルサイユ造営では、王の夢の一方で工事による怪我人も続出していました。そのような者たちを受け入れていた慈善病院が1720年にこの王立病院となりました。その後増築が繰り返され現在の姿になりましたが、1981年に病院が移転したことでこの建物は放棄され一時期は荒廃していました。
    しかし2009年から再整備が始まり、現在では内外ともすっかり美しい姿を取り戻しています。中庭は毎日開放され市民の憩いの場になっている他、曜日限定でアート展覧会も開催されています。他の建物内は一般人は立ち入れず静まりかえっていますが、一部は歯科医院となっているようです。

ヴェルサイユは宮殿だけでなく、このようにいろいろな見所がたくさんあります。宮殿があまりにも広大で観光するにはどうしてもそれだけで一日使ってしまいますので、ヴェルサイユには泊りがけで来るか、何度か足を運んで是非他の場所にも行ってみてくださいね。

次週は今週末行われる「ヨーロッパ文化遺産の日」とヴェルサイユ宮殿での展示演奏についてお伝えします。


ヴェルサイユのノートルダム地区(前編)

11 9月 2019

活気を見せるノートルダム市場

季節はすっかり秋になり、朝晩はだいぶ冷え込むようになりました。道行く人にはなんとコートにマフラーの人までいます。ちょっとそれは早すぎるのではと思うのですが、案外フランス人は寒がりなのでしょうか。
バカンスも今週で終わり、来週から音楽院の授業が始まります。ヴァイオリン科の顔合わせは今週ありましたが、他の楽器にはどんな人が来るのか楽しみです。
さて今週はヴェルサイユのノートルダム地区についてご紹介します。
普段私が行動するのは住んでいるサン=ルイ地区ばかりで、パリ通りを挟んで反対側にあるノートルダム地区にはあまり行かないのですが、実はここにも色々と施設や見どころがあって行ってみると楽しいものです。

  • ヴェルサイユ・ノートルダム教会
  • この地区のシンボルです。ルイ14世治下の1684年から建設が開始され、2年後に完成しました。設計は王の建築家でお馴染みのジュール・アルドゥアン・マンサールによりますが、王室礼拝堂やパリの廃兵院聖堂に比べて非常に静的な外観になっています。正面のファサードは中央扉の左右に2本ずつの円柱が配置され上部の三角の破風を支える構図になっていますが、バロック建築にしては凹凸がほとんど強調されず、装飾も控えめです。
    聖堂に入ると、左手にマンサールの胸像と彼を記念するプレートがあります。身廊(聖堂の中央部分)と側廊(身廊の左右部分)を隔てる壁面は古代ローマ風に円柱のピラスターと上部のフリーズが美しく配置されていて、華やかさは抑えられているもののこの辺りはマンサールらしさが感じられます。奥の内陣部分の天井の縁取りには花の装飾要素が取り入れられています。
    現在、一番奥には「シャペル・デュ・サクレ=クール」と呼ばれる円形の別の聖堂がありますが、これは19世紀になってから増築されたものです。

  • ノートルダム市場
  • ノートルダム教会から教区通りを東に進むと、交差点を囲うように建物が建てられた市場があります。ルイ13世時代からの長い歴史を持つこの市場は月曜日を除く毎日開催されていて、交差点付近の屋外、4隅の建物内で展開され活気を呈しています。ヴェルサイユでフランスのマルシェを堪能したいならここでしょう。
    地下には駐車場が整備され、4隅の馬に乗る貴族の絵でカモフラージュされたエレベーターで行くことができるようです。
    北西のエリアには古美術商店が多く立ち並び、18世紀の調度品たちが店内に飾られているのを窓越しに眺められるのですが、あまりにディープそうでまだ入る勇気がありません笑。まあ買っても今の部屋には置くところがないですしね。
    彼らはまた、ヴェルサイユ宮殿の散逸した調度品の買い戻しや修復にも一役買っているのです。

  • オシュ高校
  • ノートルダム市場をさらに東へ進むと、オシュ高校があります。この建物は元々、ルイ15世の王妃マリー・レグザンスカの命令により建てられた女子寄宿学校で、その後王室大学を経て今日のオシュ高校になりました。正門から庭園と奥の聖堂を覗くだけですが、ルイ15世時代の建築物として一見の価値はあると思います。

  • オシュ広場
  • 今度はノートルダム教会から南に行ってみましょう。1671年にこの地区を飾るために計画された八角形の広場で、当初は噴水広場と呼ばれていました。周囲の建物は殆どが住居ですが、現在でも八角形の広場の構造を保っています。
    今日では噴水はなく、中央にはヴェルサイユ生まれでフランス革命に参加した将軍であるラザール・オシュの銅像が置かれています。銅像周辺の木の下では昼間は年老いたマダムやムッシュが談笑し、夜は若者が屯して騒いでいます。
    ちなみにノートルダム教会からこの広場の方を見ると、オシュの銅像の向こうに宮殿前にあるルイ14世の騎馬像が見えます。整備された美しい街並みですね。

  • 水源のパヴィリオン
  • オシュ広場から西へ進むとすぐ、ルイ14世様式の建物があります。説明をよく読んでみるとここの地下には周辺の噴水へ水を供給するための貯水池があったとのことで、付属の建物が今日でも残っています。通り沿いの建物のドアには呼び鈴とネームプレートがあったので、現在は住居になっているのでしょう。この建物に住めるのか、すごいぞヴェルサイユ。

  • 王妃の厩舎
  • 当初はルイ14世の馬のための厩舎としてルイ・ル・ヴォーの設計により建設されましたが、まもなく宮殿の正面にマンサールの設計による巨大な厩舎が造営されたため、この厩舎は王妃のための馬の厩舎となりました。現在は控訴裁判所となっているため観光目的で入ることはできませんが、正門から中庭とコの字形の厩舎の建物を見ることができます。砂岩と赤煉瓦を配置したルイ13世様式の美しい建物です。

あと4つ紹介したいところがあるのですが、長くなったので来週に持ち越したいと思います。


日本で過ごした夏休み

4 9月 2019

ついに来訪が叶った厳島神社

皆さまお久しぶりです。先週ヴェルサイユに帰ってまいりました。
日本滞在中、多くの方からこのブログを楽しみにしているとの声を戴きまして、本当に嬉しい限りでございます。2年目も最新のフランスの情報、私の活動の様子やガイドブックにはあまり載っていない観光スポットの紹介などをしていければと思いますので、どうぞお付き合いくださいませ。

さて今回はまだ戻ってきたばかりで特段書くことがないので、この夏休みの私の様子をご紹介します。
滞在許可証を申請した日、深夜の便でシャルル・ド・ゴール空港発。翌日羽田空港到着、日本の携帯電話契約は休止扱いにしていたのでとりあえず空港のWifiで自宅に連絡をし、後は駅などで電波を捕まえて帰ろうかと思いましたが、日本の駅ってFreeWifiはないんですね!完全に忘れてました。電波難民になりながらも一年ぶりの日本の電車を堪能して自宅最寄りの駅に到着し、電波を探し回った挙句駅の中にある喫茶店の微弱な電波を拾い何とか自宅に再連絡。
家では去年と何も変わることなく両親が出迎えてくれましたが、猫たちは最初私のことを忘れていた様子。しばらくすると記憶がよみがえったようで懐いてきてくれました。

数日後、『オルフェ「フレンチ・カンタータの時代」』公演のリハーサルが始まりました。毎年取り組んでいるカンタータですが、この一年で触れたヴェルサイユで行われている研究と演奏からより多くの事柄が見えてくるようになりました。公演当日は例年以上のお客様にご来場いただき、多くの方から「弾き方が変わったね」と言っていただけました。自分では毎日少しずつの変化なので気づきにくいですが、無事成長できているのだなと思いました。

7月末にはずっと行きたかった広島県の厳島神社と、山口県のSLやまぐち号の乗車を目当てに西国旅行をしました。このブログでいつも書いているように、留学後から建築に興味が湧いてきたので、自ずと日本の寺社もそういう視点で見るようになっています。平安時代の貴族邸宅と寺社の建築様式を織り交ぜた社殿が海上に浮かぶ姿は何とも美しかったです。また大鳥居は現在修復中で足場が組まれていますが、行った時は偶然にも管絃祭開催のため足場が撤去されていて美しい姿を見ることができました。無事修復が完了することを祈るばかりです。
ちなみに現在日仏文化交流の一環でフランスのモン=サン=ミシェルに鳥居が出現しているようですが、厳島神社には周辺にポスターが貼ってあるだけで特にオブジェの追加はされていませんでした(笑)。

SLやまぐち号は約20年ぶりの乗車。出国してからとにかく日本の蒸気機関車を見たかったのと、近年新しくなった客車に乗車しに行きました。蒸気機関車はこれに飽き足らず、帰り際に京都鉄道博物館にも立ち寄って身も心も蒸気機関車でいっぱいになりました。
あとは奈良線に残存するあの懐かしい103系通勤電車をひたすら堪能。もう二度と動くこの電車に乗ることはないかもしれないと思うと寂しい限りでした。博物館にもあるけれど、やっぱり生きている車両が一番。
今回の滞在ではこの他にも長野や千葉へも列車に乗りに行き、向こう一年分以上の鉄分を補給しました。やっぱり鉄道は日本のものが好きなんですよね。

その他のトピックと言えばそう、お盆でしょうか。我が家では古式ゆかしく、茄子ときゅうりで牛と馬を作ってちゃんとお盆をやるんです。牛と馬は物心ついてから毎年私が作っていましたが、昨年は既に渡仏していたのでできなかったんです。この先どんどんやる機会が減っていくのかもしれませんが、日本にいる年は必ずやりたいなと思います。別にフランスで作ってもいいんですけどね、あの巨大な茄子で(笑)。

一か月以上に渡った日本滞在もあっという間に過ぎてしまい、あたふたと買い物と荷造りをして出国となりました。帰ってきてみて、日本に置き忘れたものや買い忘れたものがちらほら…リストをもっとちゃんと作らないとだめですね。

今回は日本で過ごした夏休みについてお伝えしました。新学期まであまりイベントがありませんが、次回はヴェルサイユのノートルダム地区について、近々探検の上ご紹介できればと思います。


留学1年目の総まとめ

31 7月 2019

すっかり仕事場になったヴェルサイユ宮殿王室礼拝堂


ついに梅雨が明けましたね。日本の夏はフランスに比べて湿度が高く、まとわりつくような暑さで汗がなかなか乾かないのが曲者です。私は汗をかきやすいのでフランスの方が過ごしやすいですね。
先週末は西日本の方へ旅行に行ってきました。ずっと行きたかった広島県の厳島神社に行くことができたのと、山口県のSLやまぐち号に20年ぶりに乗車、京都の鉄道博物館にも寄って日本の鉄道を満喫してきました。やはり日本の鉄道は面白いです。

さて、今回は留学1年目の総まとめということで、この1年間にあった主なトピックと感想、お役立ち情報について書ければと思います。

・師匠パトリック・コーエン=アケニヌ
一昨年の9月に一度会ってレッスンを受けただけでの渡仏でしたが、今の自分の目指す目標にはとても合致した先生でした。特にアンサンブルでの統率の仕方を彼から学んでいます。
来年度はプロのオーケストラにいくつか呼んで下さるとのことなので、今から楽しみです。

・ヴェルサイユ地方音楽院
学校については過去の記事でも取り上げましたが、18世紀の建物の響きを感じられること、学校のプロジェクトでヴェルサイユ宮殿王室礼拝堂や大厩舎などで演奏できたことはとても良い経験になりました。入学時のガイダンスがほとんどなく、例えば部屋の使用の際に守衛に一声かけることは後になって知りましたが(笑)、2年目も積極的に活動していきたいと思います。
来年度はパリ地方音楽院と合同でマレの音楽悲劇上演プロジェクトがあるとのこと!

・フランス語
うーん、何とかここまで来ましたがまだまだ力を伸ばしたいです。私の場合はただ会話ができればいいということではなくて、18世紀以前の専門書を読んだり、オペラやカンタータなどのテキストの朗唱法や詩の裏側まで知らなければいけないので…。
会話でもここのところは新たな問題があって、頭で文章がある程度速く作れるようになった分、口が追いつかないんです。私は日本語でも唇をほとんど動かさずに話す癖があって、フランス語の発音に必要な唇周辺の筋肉が全然足りていないんですね。発音練習を飽きずにやっていきたいと思います。
またフランス語は多少上達しましたが、日本語ほど高度な会話はできずにいたので言語能力そのものは落ちてしまった気がします。ある程度日本人の友人は近くにいた方が良いのかもしれません。

・住居
現在の部屋は内見せずに渡仏前に契約しましたが、少し狭いだけで基本的には問題なく大家さんもとても良い方でした。あと学校や宮殿に近いのが何よりの魅力。
住居関連のトラブルは多いと聞くので良かったです。

・行政その他の手続き
滞在許可証の手続きなどは現在も面会の予約を取って書類を提出するという形ですが、現在は住宅補助や社会保険などオンラインでできる手続きが多くなり、自分のペースで落ち着いて説明を読んで進められるようになりました。今後もどんどんオンラインでできる手続きの割合は増えていくと思います。

その他…
・フランスは生活に必要な雑貨が軒並み高いので、出国前に日本の100円ショップで一通りそろえて行ったのは大正解でした。今回も少し買い足していきたいと思います。
・「アポスティーユ付きの戸籍謄本を法定翻訳した書類」の準備がキャンパスフランスのガイダンスやネット上で話題になりますが、結果的に提出するのはいつも翻訳書類である出生証明書のみで、戸籍謄本の原本を提出する機会はありませんでした。アポスティーユは原本についているもので出生証明書にには反映されないので、アポスティーユは必要なかったことになります。また翻訳はパリの日本大使館に依頼しましたが、提出の際にこの点を咎められることは全くありませんでした(大使館で行ったものは法定翻訳にはならない)。ただ、大学など高等教育機関へ登録する場合にはこれらが必要なのかもしれません。
・フランス人たちは日本のことついてとても興味を持ちながら話を振ってくるのですが、あまり詳しいことになると私も時々知らないことがあり返答に困ることがありました。例えば豊洲市場の移転に関する詳しい経緯とか、日本の寺社に使用されている木材は何なのかとか。世界で活躍する日本人の一人として、もっと日本のことを知らなければいけないなと思いました。

・総括
留学前、このグローバル化された現代社会において果たして音楽留学は必要なのかと思っていた時期がありました。しかし今ははっきりと断言できます。西洋音楽を学ぶならヨーロッパへの留学は絶対にお勧めです。
まず何といっても建築物が違うんです。日本にはコンサートホール以外にクラシック音楽の演奏に適した空間はほぼないと言って良いでしょう。またバロック音楽を始めとした古楽の演奏においてはこうしたホールもほとんどは大きすぎて不向きです。私はヴェルサイユの王室礼拝堂や地方音楽院のアパルトマン、市庁舎の大広間といった18世紀の建築物での演奏を通じて、演奏する空間の大切さを改めて思い知りました。
また絵画や彫刻などの素晴らしい作品をルーヴル美術館等で気軽に見ることができるのも大きいです。音楽という抽象的な芸術を知っていくには、具象化された芸術である建築や美術の理解が大きな助けになります。しかし残念ながら渡仏前の自分は音楽を勉強することはあっても、他の芸術を勉強することについては全く足りていませんでした。日本にやってくる美術品などほんの一握りです。是非一度ヨーロッパで素晴らしい建築物を見て、美術館や博物館を回ることをお勧めします。

今回は留学1年目の総まとめをお伝えしました。
8月の更新はお休みさせていただきたいと思いますので、次回は9月にヴェルサイユに戻ってからまた書きたいと思います。
今後とも当ブログをどうぞよろしくお願いします。


イヴリヌ県庁での滞在許可証更新手続き

24 7月 2019

ヴェルサイユのイヴリヌ県庁

日本に帰国してきて数日が経ちました。まだ梅雨が明けていないことには少し驚きましたが、久しぶりのはずの日本の電車やコンビニなど、案外昨日のことのようでした。
羽田空港に着いて最初に思ったのは、日本はどこもとにかく清潔。これはパリはおろかヴェルサイユでもあり得ないなと思いました。フランス人からしてみればもっと驚くことでしょう。
一方フランスに一年居て、唯一日本のものが恋しいと思ったのが鉄道。一か月程度滞在するので、鉄分を十分に補給したいなと思います。

さて、今回はヴェルサイユのイヴリヌ県庁で行った滞在許可証の更新手続きについてお伝えします。
私が住むヴェルサイユ市はパリに近いですが行政上はイヴリヌ県の管轄なので、パリ市の警視庁で行う更新手続きとは多少異なる点があると思います。この記述を参考にされる方はご了承ください。
私の学生ビザと滞在許可証は7月31日で切れるものだったので、18日の出国前に手続きを完了させて仮の滞在許可証であるレセピセを受け取らなければいけませんでした。期限が切れても更新手続きの予約を取っていれば多少は滞在できるようですが、一度出国してしまうと再入国する際に観光ビザとなってしまい、滞在許可証の申請ができなくなります。
まず始めに、イヴリヌ県庁のホームページから滞在許可証更新手続きのランデブー(RDV)予約を行うのですが、ここからしてまず大問題。県庁の説明書きには期限が切れる日の2か月前から手続きができると当時書いてあり(改めて見てみるとこれは6月28日に改定されたようで、現在では4か月前からと書かれています)、インターネット上の様々なフランスの滞在許可証更新に関する日本の方の記述では3か月前から予約という記述が多かったのでRDVの1か月前から予約ができるのかなと思っていたのですが、いざ4月に予約画面で予約を進めてみると、なんと予約表が4か月先まで開放されていて7月分は既に埋まっているではありませんか…。年明けにでも予約の一歩手前の段階まで進んでみるべきでした。一時帰国の航空券はもう買ってあるし、8月に出演する日本の演奏会も決まっているので帰国しないわけにもいきません。絶体絶命。
その日からキャンセルが出たら逃さず押さえると息巻いて(笑)、こまめに予約サイトにアクセスすること約一か月、あと一息のところで他の人に取られるということもありましたが、やがて予約手続きの入力もプロ並みになってきて(何のプロ?)、無事に帰国当日の7月18日の予約を勝ち取ることに成功。いやいや、危ない橋を渡るのはやめましょう。
RDVの予約画面に必要な書類リストが掲載されていたので、これに従って書類の準備を進めることができました。以下に必要書類と説明書きの意訳、準備に際してのコメントを掲載します。

滞在許可証の更新に必要な書類の一覧(学生用)
以下の書類全ての原本、コピーを手続き当日に提出すること。注意、全ての書類が完全でなければ申請は却下とする。
①滞在許可証
②身分と国籍に関する証明書:パスポート、国籍身分証など…
→など…と曖昧に記述されているので少し不安が残りました。出生証明書(戸籍謄本の翻訳書類)が必要との話もあったので一応持っていきましたが、提出はパスポートのみでその他は要求されませんでした。
③結婚している、子供がいる場合
・配偶者の滞在許可証
・3か月以内の結婚証明書
・子供の出生証明書
→私は該当しないので必要ありません。
④証明写真3枚
→あれはダメ、これはダメといろいろな注意書きがありますが、証明写真機で見本通りしっかり撮れば問題ないと思います。ちなみに1枚は使わなかったようで返却されました。
⑤3か月以内の住居の証明書(家賃支払い書、賃貸契約書、電気、ガス、電話、インターネットの請求書など…)
→フランスには日本の住民票に相当するものがないので、その住所に居住していることを証明するためにこのような書類が1つ必要です。私はいつも電気の請求書を提出しています。
⑥来年度の学校登録証明書
⑦今年度の成績表
→更新手続きがあまりに早すぎると学期途中では最終的な成績表が出ないので、結果的には遅い時期で良かったです。
⑧今年度の精勤証明書
→授業の出席率に関する書類です。
⑨来年度有効な保険加入証明書
・28歳未満の場合は総合社会保険(セキュリテ・ソシアル)への加入
・28歳以上の場合は任意保険への加入
→実はこれが第二の問題でした。通常この総合社会保険はフランスに入国したらすぐに加入するべきなのですが、外国人向けの登録サイトがいつ見ても文字化けしていて登録できず、そのうちどうでも良くなって今年の4月まで放置していたのです。やがてサイトの言語選択のタブのいずれかを選択をすることにより文字化けは解消することが分かり、滞在許可証更新に必要なことから慌てて登録手続きを始めたのですが、今度は登録していないはずなのになぜか加入番号が割り当てられているという謎の事態に直面し、結局ヴェルサイユの総合社会保険オフィスに数回出向きました。手続きはすべて完了したものの7月になるまで加入証明書が郵送されて来ず、更新手続き当日に間に合わないのではないかと悶々とした数週間を過ごす羽目になりました。フランスの手続きは何でも早めに余裕を見て、危ない橋を渡るのはやめましょう(2回目)。
⑩財源に関する証明書
・1か月あたり615€以上の留学資金があることを証明できるフランスの銀行の残高証明書、または過去1年間で10回以上送金された旨の証明書
→いつも使っているLCL銀行口座の残高を少し余裕を見て増やしておき残高証明書を用意しました。1ヶ月以内のものでないと受理されないケースがあるようなので、なるべく直近のものが良いと思います。
・被扶養者の場合:被扶養証明書、扶養している人の身分証のコピー、扶養している人の仕事の契約書と過去1年分の給与明細
→私は現在両親から経済支援を受けているのでこれに該当すると言えば該当するのですが、それぞれの書類を翻訳する手間や費用がかかることから、上述の留学資金は自分の貯金であるという建前を取っておきました。これは分かりようがないので大丈夫なはずです。
・奨学金を受けている場合はその証明書
・就業している場合はその契約書と給与明細
→短期のオーケストラプロジェクトなどは参加しましたが、これは該当しないと思います。
⑪記入、サイン済みの質問表
→質問表はRDVの予約画面で入手できます。

さて当日、いつもモノプリに行く際に前を通っている県庁に赴きました。初めて入るので迷うかもしれないと思い、RDVよりも20分ほど早めに着きました。
地上階には入口付近に写真機やコピー機、中央付近に2つの質問窓口のような区画、右奥に手続きのための個別窓口が20程度あったように記憶しています。RDVの予約サイトでは窓口を3つの中から選んだので、外国人のための滞在許可証更新手続き窓口が別に3つ用意されているイメージだったのですが、どうもそれらしいものが見当たりません。入口付近のマダムに予約時間が書かれた紙を見せながら聞いてみると、日本の役所のように予約番号を発券する機械を操作してくれて予約番号の紙を渡され、奥の沢山ある窓口の前で待つように言われました。まだ予約時間の15分ほど前でしたが、数分経つとすぐに呼ばれました。こういう仕組みなのですね、言われなければ分からない!
手続きが始まると、担当のマダムに言われるがまま書類のコピーを淡々と提出していきました。パスポート以外の書類の原本については全く触れられませんでした。必要書類リストの順番通りに準備して行ったのですが、実際に提出する順番は異なっていて書類の束を前後しながら探さなければなりませんでした。県庁や担当者によって違うのかもしれませんが、こういうやり方なら複数ページのあるクリアフォルダーに予め入れておけばスムーズだったなと思いました。
最後に念願のレセピセを受け取り、あっという間に終了。優しいマダムで良かったです。
初回なので緊張気味でしたが、書類さえしっかり揃えて行けば全然問題のない手続きでした。来年以降も書類の不備のないよう気を付けたいなと思います。

今回は滞在許可証更新についてお伝えしました。次回は留学一年目の総まとめを書きたいと思います。


オーヴェルニュ地方のロマネスク教会とピュイ・ド・ドーム山

18 7月 2019

圧倒的な彩色が印象的なイソワールの旧サントストルモワヌ修道院

先週末の日曜日は革命記念日で、深夜までどこかで音楽をかけて人々が騒いでいました。幸いこの日の夜は涼しかったので、窓を閉めて就寝でき事なきを得ました。パリは「黄色いベスト運動」も革命記念日にちなんで盛り上がったようですが、例によってヴェルサイユに引きこもっていました。
今週の帰国前の滞在許可証申請のために、入念に書類準備を進めています。詳細は来週お伝えしますが、無事に申請を終えてレセピセ(仮の滞在許可証)を受け取れないとこちらに帰ってくることが難しくなるので、全て書類が準備出来たとわかっていても何だか不安になってしまいます。
帰国準備も進めています。部屋の各部の大掃除、冷蔵庫内の整理、お土産の準備など。来たときは極限まで物を詰め込んだスーツケースも、今回はかなりスペースに余裕ができそうです。

さて、今回は先週行ってきたオーヴェルニュ地方にある2つのロマネスク教会とピュイ・ド・ドーム山についてご紹介します。
本当は2月にも書いた、貴族の家柄のヴァイオリンの同僚の家へ再び招待されたのですが、急に滞在予定が変更になったらしく今回は都合がつかなくなってしまいました。既に列車の切符を買ってしまっていたので、代わりにどこかへ観光に行こうと計画した次第です。
パリのベルシー駅からクレルモン=フェランまで特急に乗車し、さらに近郊列車TERで30分ほどのところにあるイソワールIssoireという町に降り立ちます。駅前からロマネスク聖堂特有の八角形の塔が見え、そこに向かって少し歩くと旧サントストルモワヌ修道院Ancienne Abbatiale St-Austremoineとその聖堂が見えてきます。聖堂は1135年に建造され、オーヴェルニュ地方のロマネスク聖堂の中でも最大級の規模と壮麗さを誇ります。現在、左にある修道院の建物は工事中で白いカバーが掛けられており、内部に入ることもできませんでした。聖堂の方も一部の外壁や内部で修復が行われています。
後陣や塔にはこの地方の聖堂で特徴的な星形模様と市松模様があしらわれていて、後陣には黄道十二宮のレリーフがあります。本来黄道十二宮はキリスト教とは関係のない異教のものですが、イエスの12人の弟子に例えられることからしばしば教会建築に取り入れられるようです。道なりに聖堂北側へ進むと、壁面に小さいですが「アブラハムの前に現れた三天使」と「イサクの犠牲」、「パンの奇跡」の3つのレリーフがあります。風化が進んでおり個々の人物の表情を捉えることはできません。西側に回って内部へ入ります。西側のファサードは至ってシンプルで、扉と窓の部分以外は飾りがなく「壁」といった感じです。
扉から入ってすぐ右側に、15世紀に描かれた「最後の審判」の壁画がある部屋があるのですが、残念ながら修復工事による時間限定公開のため入ることができませんでした。聖堂内部に入ると、その彩色のあまりの豊かさに圧倒されます。この感動は文字にしても伝わらないのですが、朱色を基調とした柱はもちろん、壁面にも石積みのブロックの縁取りが描かれていて、天井には壁紙のように花や星の図像が規則正しく描かれています。内陣部分は特に豪華で、よく見ると柱の柱頭がアカンサスの葉のコリント様式だけではなく人物や動物などがデザインされているではありませんか。これは最後の晩餐や磔刑など聖書に登場する場面が表現されていますので、分かりやすいものだけでも是非注意深く観察されることをお勧めします。祭壇の両脇にある階段から地下聖堂に行くことができ、安置されている色鮮やかな聖遺物入れを見ることができます。
インターネットで「イソワール」と検索するとこの聖堂の詳細な説明や写真が掲載された旅行レポートのサイトが複数ありますので、もっと詳しく知りたい方はそちらをご覧ください。

さて、イソワールから再びTERに30分ほど乗車し、今度はブリウードBrioudeという町に行きます。駅から目当ての聖堂までは15分くらいで、可愛らしい建物が並ぶ細い路地を抜けていくとそのサン=ジュリアン・バジリカ聖堂に到着します。周囲に建物が立っていて東側からしか全体像を捉えられないので、左から回り込んで後陣を見てみましょう。この聖堂にも星形の模様が見られますが、塔を始め外壁に赤い石材が効果的に用いられていて、イソワールの聖堂よりも外観は華やかです。聖堂の向かいに観光客向けの無料案内施設がありますので、是非入って聖堂に関する説明を読むのと、少し高いところから聖堂を見ることをお勧めします。ちなみに聖堂周辺には古代末期から中世初期の教会関連施設の跡地があり、この観光施設で説明を読むことができます。西側のファサードはロマネスクの簡素なものながらイソワールのものよりはやや装飾的です。
北側か南側の扉から内部に入ります。やはり柱を中心に彩色が施されていますが、こちらは修復が行われていないので全体的に落ち着いた淡い色調になっていて、剥がれ落ちている部分もあります。こうしたものを修復するかしないかは意見が分かれるところではありますね。イソワールの時のような圧倒的な感動は味わいたいけれど、当時の絵をそのまま見たいという思いもある。ちなみにこの聖堂で特徴的なのは床面で、多色の小石が粗く敷き詰められていてそれらが模様を成しています。歩くだけならいいのですが、見学中に関係者が何かを台車で運んでいた際にはとてつもない轟音が聖堂内に鳴り響きました(笑)。後陣のそれぞれの半円部分の天井にもフレスコ画が描かれているので、よく観察してみましょう。地下聖堂には例によって聖遺物入れが安置されています。西側にある螺旋階段を上って階上席に行くことができ、南側には天井と壁面一杯に13世紀のフレスコ画が施された聖ミカエルの礼拝所があります。

聖ミカエルの礼拝所に描かれた13世紀のフレスコ画

主題は最後の審判で、天井のキリストを福音史家と天使が取り囲み、北側の壁には悪魔サタンと地獄が描かれています。また両端には美徳が悪徳を踏み潰す様子も描かれています。椅子が置いてありますのでしばしじっくりと観察しました。壁の下の方は剥がれ落ちていますが、大事な天井付近は良い状態を保っていると思います。あと、この部分からは聖堂内の柱の柱頭が良く観察できます。イソワールのように彩色されているわけではありませんが、メドゥーサ、トリトン、ドラゴンや羊飼い、音楽家などの図像がデザインされています。聖堂内にパンフレットが置いてありますので参考にすると良いでしょう。
ブリウードからクレルモン=フェランまでTERで戻り、ホテルで一泊しました。大聖堂などをもう一度訪れようかと思いましたが、既に19時を回っており入ることができませんでした。

さて翌日はクレルモン=フェランの西にあるピュイ・ド・ドーム山を目指します。クレルモン=フェラン駅前からナヴェットというバスが出ているのですが、どうも路線がいくつかあるようで、事前に調べたバスに乗車する際、これは火山のテーマパークに行くためのものであってピュイ・ド・ドーム山に行くものではないことが運転手の説明により判明。山に行くにはGare du Panoramique des Dôme行きに乗らなければならないようです。といってもそのバスは10分ほど前に行ってしまったばかりで次は約1時間半後。仕方なく国鉄駅で待つことに…。フランスのバスって本当に分かりにくいんですよね。ちなみにこのバスはやや長距離バスですが、市内移動の路線バスと同じ切符で乗れるので事前に券売機で切符を買っておきました。40分ほどでピュイ・ド・ドーム山の麓に到着します。

ピュイ・ド・ドーム山、手前に登山鉄道の線路があります

ピュイ・ド・ドーム山は一帯に広がるシェヌ・デ・ピュイの火山帯の主峰で、クレルモン=フェランを含む県の名称になっています。ちなみにこの山脈に降る雨が火山性の地層に染み込んでできた天然水が、日本でも販売されている「ヴォルヴィック」です。
バスは登山鉄道の山麓駅に到着しますが、景色が良いかもしれないと思い頂上まで登山することにしました。まずは登山道の山麓が登山鉄道駅とは離れているので40分ほど森林の中を歩きます。この日も雲一つない快晴で日差しが強かったのですが、ここまでは森林の間を抜けるので日陰で暑くはありませんでした。しかし登山道に入ると、登るにつれて日陰が減ってきます…。休憩を多くとりながらゆっくりと登りますが容赦なく太陽が照り付け、発汗が抑えられません。しかも結局、頂上付近以外は特段天気が良いわけではありませんでした。まあ日頃運動不足気味なのでたまには良いですね。観光目的であれば迷わず登山鉄道を利用することをお勧めします。
頂上にはまず鉄道の駅に併設された食事処、お土産コーナーとこの山についての展示があります。山麓駅にも同じような展示がありますが、この山でクレルモン出身の哲学、物理等で活躍したブレーズ・パスカルが1648年、水銀柱を山頂に持っていき真空と大気圧の関係を証明する実験を行ったということです。このことから圧力と応力の単位に「パスカル」が用いられるようになり、私たち日本人が台風ニュースでおなじみの「ヘクトパスカル」という単位も生まれました。
山麓からも見える白い尖った構造物は電波塔ですが、その手前にローマ時代の遺跡があります。このブログにも関係のある伝令使メルクリウスに捧げられた壮麗な神殿でしたが、現在は基礎部分しか残っていません。なぜこんなにも破壊されてしまったのでしょうか。後の蛮族がわざわざ山に登ってまで破壊したのか、石材取りに使われてしまったか。でももっと標高の低い他のところに石切り場はあります。ここのところの説明は何も書かれていませんでしたが、いずれにせよ1872年の気象台建設工事の際まで存在は忘れられていたようです。
遺跡の傍に資料館があり、詳細な遺跡の説明と発掘の様子、神殿の復元模型などを見ることができます。今日では基礎部分しか残されていないので、建物自体がどのような設計だったかはいくつかの仮説があるようです。
ローマ時代の神殿に思いを馳せたところで、頂上の遊歩道を一周してみました。東側にはクレルモン=フェランの市街地や黒い大聖堂が遠くに見え、北側から西側には山々が連なっています。パラグライダーで楽しんでいる人々がたくさんいました。やはり標高が高いので風が吹くと若干体感気温が低く、登山時には全く要らなかったウインドブレーカーを着用しました。
さて、下山は鉄道を利用します。インターネットサイトで切符を購入すると10%引きの価格になるのでお勧めです。この鉄道は急勾配を克服するために線路の間に車両側の歯車とかみ合わせるためのラックレールが設置されたラック式鉄道(シュトループ式)です。2012年にリニューアル開業したとのことで、設備や車両は新しいですが鉄道ファンとしてはスイスのように昔ながらの蒸気機関車が良かったななどと思いました。当然ながら何の苦労もなく山麓に到着。景色を見るのが目的ならやはり登山道よりもこちらの方がおすすめです。

今回はオーヴェルニュ地方のロマネスク教会とピュイ・ド・ドーム山についてお伝えしました。今夜、日本に向けて出発します。1か月ほど滞在しますので、お会いできる方はその際を楽しみにしております。
次回はイヴリヌ県庁での滞在許可証更新についてレポートしたいと思います。


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