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「国王の24のヴィオロン」復元プロジェクト

29 5月 2019
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研究センター所属の弦楽器たち

日本ではもう真夏日になる地方もあるそうですね。こちらもようやく暖かくなってきましたが、まだ日によりけりです。
先週の活動は「国王の24のヴィオロン」復元プロジェクトによるリュリの「平和の田園詩」上演一色でした。

今回の演奏の様子はこちら

このプロジェクトは2008年からヴェルサイユバロック音楽研究センターが行なっています。現在ではヴァイオリン、ヴィオラ、チェロといった弦楽器はサイズが殆ど画一化されていますが、19世紀以前はそれ以外にも微妙なサイズの楽器がたくさんあり、特にヴィオラは担当する音域によって殆どヴァイオリンと変わらない小さなものから腕に収まりきらない大きなものまでサイズが豊富でした。17世紀フランス宮廷のオーケストラ「国王の24のヴィオロン」も例外ではなく、通常5声部からなるパートそれぞれが違うサイズの楽器で演奏されていました。即ち6挺のDessusと呼ばれるヴァイオリン、それぞれ4挺ずつのHaute-contre、Taille、Quinteと呼ばれるサイズの異なるヴィオラ、6挺のBasseと呼ばれるチェロよりも大きく調弦も一全音下に調弦される楽器です。これらの楽器のセットがパトリック・コーエン=アケニヌ氏と2人の楽器製作者によって製作され、プロジェクトの演奏に用いられています。製作の様子はこちらの動画をご覧ください。
今回私はDessusを担当しました。プロジェクトの最初に楽器の蔵出しが行われ、私もそこに同席させていただいてほとんどの楽器を試奏することができました。選んだのはPolidor(ポリドール)という楽器。今日一般的なヴァイオリンのサイズよりほんの僅かに小さいもので、私の楽器と比べたところ弦長はかすかに短い程度ですが箱が小ぶりです。他にもバルタザールやメルキオールといった名前が一台ずつ付けられています。見つけられませんでしたがカスパーもいるのでしょうか。エヴァンゲリオンのスーパーコンピューターではありませんよ(笑)。製作されてからまだ10年経っていない新作楽器ですが、1年に2、3回学生に使われるか使われないかでほとんどは楽器庫かショーケースにあるこれらの楽器、正直状態が良いとはあまり言えません。私のポリドール君も6台中最も調子が良かったものの蔵出しの際に弦や魂柱の位置を調整し、やっと演奏に耐えられるかなというレベルです。今後もっと演奏機会が増えれば状態も良くなるはず。
オーケストラの指揮はパトリックが行いアンサンブルのメンバーも数人演奏に参加していますが、殆どは周辺の音楽院の学生による演奏です。個々のレベルは…うーん、私が一年目にしてコンサートマスターを拝命するくらいです(笑)。研究センターの歌手のレベルが高いだけに、器楽の演奏レベルももう少し高めたいところ。ちなみに今回は24台全ての楽器を使っているわけではなく、人数比は4-3-3-3-4。
リハーサルは月曜日、火曜日、木曜日の3日間ほぼ一日中行われましたが、私含め日頃慣れない楽器でのアンサンブルなのでもう少し下慣らしの期間があれば良かったなと思います。金曜日には当時も演奏が行われ「平和の田園詩」の舞台になっているソーのオランジュリー(オレンジ温室)で演奏会が行われました。地域でも大々的に宣伝が行われていたようで、チケットは完売。縦長のオランジュリーの最後方まで設けられた客席は一杯になりました。
ちなみに「平和の田園詩」は、スペインとの大同盟戦争終結によるラティスボンの和約が1684年に締結されたことによる戦勝祝いとルイ14世賛美のための作品で、翌85年8月16日にルイ14世臨席の下、今回も演奏したソーの館のオランジュリーで上演されました。台本はあの有名な悲劇作家ラシーヌ。ちなみに現在あるオランジュリーは残念ながら後年になって建てられたもので、当時演奏されたオランジュリーではありません。それでも当時と同じ地で作品を上演できるのは感無量というところ。
満員の観客の熱気と、そもそものオランジュリーという室温が上がりやすい建物の構造もあって上演中は暑く、調弦を絶えず確認しなければならない本番でした。音を採るチェンバロも調律が崩れてくるので、コンサートマスターとして調弦を行う際は難しかったですね。
続いて日曜日にはオルセーの県立音楽院のホールで演奏、最後は来週末のヴェルサイユ大厩舎での演奏です。あの巨大な空間での演奏はどうなるのか、楽しみなところです。

次回はヴェルサイユ宮殿シリーズの続編、王妃のアパルトマンをご紹介します。

パリの語学学校ISMAC

22 5月 2019
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コーヒーマシンがある待合室

今週は師匠パトリック・コーエン=アケニヌ氏の指揮でリュリの《平和の田園詩Idylle sur la paix》に取り組んでいます。ヴェルサイユバロック音楽研究センターが行っている「国王の24のヴィオロン」の復元演奏プロジェクトの一環で、ヴァイオリンは標準よりも少しだけ小型の楽器、ヴィオラは3つの異なるサイズの楽器(オート=コントル、タイユ、キャント)、低音はチェロとは調弦が異なるバス・ド・ヴィオロンを使用したオーケストラです。歌手はもちろん研究センターの学生たちで、彼らの歌唱は何度聴いても表現の彫りが深くて上手いなと思います。
今回はコンサートマスターを拝命しましたので、プロジェクトが終わるまでの間「国王の24のヴィオロンの第一ヴァイオリン奏者」という名誉ある称号を得ることになりました(笑)。冗談はともかく、こんなに刺激のある本番を1年目に何回もできるとは、やはりここに来てよかったなと思います。
ここに来てよかったなと思うといえば、宮殿から伸びるソー通りやパリ通りの並木道を歩くたびにもそう思うんですよね。最近葉が増えてきて、一段と壮麗な眺めになっています。

さて、今回は現在私が通っている語学学校についてお伝えしたいと思います。
実は私、今年の学生ビザはこの語学学校の入学で取得しました。その理由は音楽院で現在所属している研究科(Perfectionnement)の入学試験は昨年の10月初旬にあり、その1週間後からもう授業が始まるというスケジュールになっていたからです。テスト生用のビザから切り替えるという方法もあるのですが、面倒だという噂を耳にしたのとフランス語も勉強したかったので語学学校へ通うことにしました。
ISMAC(Institut Supérieur de Management et Communication)はアジア諸国向けのビジネススクールに併設されている学校です。語学学校の校舎はビジネススクールとは別で、13区のグラシエール通り沿いにあります。ヴェルサイユからはモンパルナスまでN線、駅から91番バスで通っています。校舎といっても独立した一つの建物ではなく、マンションの手前にあって建物は一体になっています。内部は教室が4つとコーヒーマシンがある小さな待合室(写真参照)があるのみです。冷水器などあったらいいなと常々思いますがまあ別に困らないですね。受付の方は日本語を話せるスタッフが大抵の場合は控えており、初心者の方やこみ入った内容を相談したい場合も心配ないと思います。
授業は平日毎日あり、基本の授業が2時間、アトリエと呼ばれるその日ごとに決められたテーマに沿って学習する授業が1時間半、また月一回は校外学習会があります。レベルはA0(内容は知りませんがA1よりさらに初歩のレベルの授業だと思います)からB1は同一の授業料で、B2とC1はそれよりも高くなります。時間割については公式サイトには明記されていませんが、メールで問い合わせれば確認できます。基本の授業の生徒数はおおよそ10人程度ですが、アトリエは2つのクラスが合同で行う場合が多いので人数が増えます。
パリには数えきれないほどの語学学校があるかと思いますが、決める際にまず重視したのは何といっても授業料でした。このISMACという学校は8か月で1600€(当時は1500€でした)で、有名な学校では倍ほどするところもありますからかなり割安な方です。あとはインターネットにあるいくつかの口コミとパリの邦字新聞オヴニOvniの記事、またアジア諸国の人々に対して理解のある先生が多いという特色も決め手になりました。アジアの諸言語は文法が似通っているところも多いですから、それだけフランス語でつまづきやすいポイントも抑えているかなと思ったからです。
昨年の5月に数回メールのやり取りをして、授業料を振り込んだら入学を証明する書類が送られてきました。1年目なら語学学校のビザ取得は問題なく気楽かな…と思ったら、ビザ申請手続き中に日本のキャンパスフランスから思わぬ横槍が。曰く「FLE資格(フランス語を母国語でない生徒に教える能力を保証する資格)を有している学校ではないので授業の質に難があるかもしれないから違う学校に変えることを勧める」とのこと。うーんとあの、いや、もう授業料払ったんですけどね。なんで今更そんなこと仰るのでしょうとブツブツ文句を言いながら急いで学校へその旨メールしてみたら「よくあるケースなのでその点は大丈夫だと返答してください」とのこと。最も講師陣は全員FLE資格を持っていることを確認済みだったのでその旨も添えてキャンパスフランスへメッセージを送ったら今度は承認されました。その後は滞りなく渡仏。
9月に授業が始まってからは1か月ほどは、オヴニの記事にも出ていて学校で一番人気のアドリアン先生のクラスでした。テンポよく授業を進めていて、気が付くと授業が終わってしまうという本当に授業が上手い先生です。またそれだけではなく、韓国、中国への関心はもちろん、日本には神戸での在住経験があるようで日本とその人々のことをとてもよく知っています。しかし残念なことにまもなく時間割と先生の担当が変わってしまいました。その後の先生もまあまあ良かったのですが、アドリアン先生にはかなわないかなあ。
レベルは基礎をもう一度固めようと思い手堅くA2から始め、今ではB1のクラスに通っています。文法の授業はA2はさすがに知っていることがほとんどでしたが、忘れていることやいつもつまづくポイントを再確認できました。
一年間で12月、4月、8月の計三回テストがあり、TCFを模した筆記試験と口頭試験があります。授業内容もTCFやDELFを意識した聞き取りや記述の授業が多くあり、レベル取得にも効果的だと思います。
まもなくここでの学習生活も終わろうとしていますが、全体的には満足の学校でした。ただ改めて思うことは、主体的に取り組み意欲的に発言する方が上達するということ。間違っても何か言う、書いてみるということがとても大事だと思います。
パリの語学学校を探している方は、是非参考に。

次回は「国王の24のヴィオロン」の復元演奏プロジェクトについてお伝えします。

ヴェルサイユの大厩舎

15 5月 2019
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今日も厩舎として使用されている壮麗な大厩舎

もう5月も中旬だというのに、未だ朝晩は冷え込む日が多いです。一時期の暑さはどこへ行ってしまったのでしょう…まあ暑いよりは快適で良いのですが。
先週の予告通り、先週末はヴェルサイユの大厩舎へ行ってきました。
大厩舎は宮殿に向かって右側にある施設で、先週紹介した小厩舎と同じくジュール・アルドゥアン=マンサールによって設計され小厩舎よりも一足早い1682年に完成しました。主な用途は王族などが戦闘や狩猟の際に使用する乗馬用の馬を管理することで、現在でも一部が厩舎や馬場として使用されています。ルイ14世により開校された馬術曲芸学校は1830年に閉校してしまいますが、今日でもヴェルサイユ馬術アカデミーがその遺志を引き継いでいます。
またこの建物には国王の従者養成学校があり、音楽関係でいえばトランペット隊やオーボエ隊など音の大きい楽器の楽師たちがここに詰めていました。
今日では馬術アカデミーの他、馬車ギャラリーと公立史料館が使用しています。
さて入場する際ですが、先週紹介した小厩舎とは違い宮殿側にある門から入ることができました。ちなみに、パリ通り側からも馬車ギャラリーの案内に従って入ることができます。厩舎を見学する際は水曜日、土日祝日のみの公開になるので注意しましょう。土曜日は18時から、日曜日と祝日は15時から馬術ショーが行われています。
正面に受付があり、私はここで馬術ショーの当日券を買いましたがアカデミーの公式サイトで事前購入することもできます。
内部に入ると中央の馬場の後方に観客席が設置されており、馬場は天井から丸い照明、壁面には鏡が設置されていて、窓は覆われており開始前は薄暗くなっています。毎週末開催のショーですが開始時には大半の席は埋まりました。
ショーが始まると、まず弓を持った3人の女性がおもむろに出てきて矢を放ちます。これがなぜかアーチェリーではなく和弓で、出で立ちも袴でした。命中率はそこそこといった感じ。
それから男性騎手1人と黒い馬、女性騎手4-6人と白馬のショーが交替で行われていきます。男性騎手の方は人と馬が心を通わせる様子を見せ、女性騎手の方は古典舞踏のように幾何学模様を描いたり馬上でフェンシングを披露したりしていました。これらは全てステレオによる音楽付きなのですが、プログラムは殆どがJ.S.バッハで、モダン楽器の演奏も多かったです。せっかくヴェルサイユなのだからリュリやマレを取り入れても良いのになと思いました。後半の方にはストラヴィンスキー(だと思う)のステージがあり、そこでは騎手は隅で見守るだけで馬だけが演技をし、自ら寝転がって背に土を付けたり2頭で舐めあったりするなど不思議な空間になりました。あれはどうやって調教するのでしょう。
あと、なぜか騎手たちが歌いだすステージも…。このステージは無伴奏で、騎手にしては上手いですが音楽なら礼拝堂や歌劇場で聴くのにと思ってしまいました。
とはいえ日本ではあまり見る機会がなかった馬術ショー、全体的には楽しむことができました。ヴェルサイユ宮殿観光の際には是非足を運んでみてはいかがでしょうか。
ショー終了後は厩舎の見学ができます。一度外に出るのですが、この日は晴天で薄暗い館内から外に出ると眩しくて目を開けていられない…。騎手の方々も入退場の際は難儀なのかなと思いました。
厩舎の見学は、この建物が一部ながら用途通りに使用されているのを見るのが楽しかったです。各馬にはそれぞれ名前が付けられていて、品種と共にネームプレートに書かれていました。グリンカやバルトーク、オクターブなど音楽に関する名前が多かったと記憶しています。
売店には過去のショーのDVDや書籍、蹄鉄などが売られていました。蹄鉄は少しだけ買ってもいいかなと思いました(笑)。
さて、もう一つの目玉である馬車ギャラリーは正面受付の右側から無料で入場することができます。ここに収蔵されている馬車やセダンチェア(一人用の人力移動椅子)はルイ=フィリップ王のヴェルサイユ宮殿美術館化の一環で収集されたものが中心で、残念ながら旧体制時代のものはセダンチェアと子供用馬車、ソリ以外はありません(そもそも旧体制時代、馬車は持ち主が死去すると売り払われるのが常で保存はされなかった。)ナポレオン時代以降が好きな方は、ナポレオン1世とマリー・ルイーズの結婚時に使われた大変豪華な馬車があったりするので楽しめるでしょう。馬車の前には馬の模型があり、装飾品も共に展示されています。個人的には旧体制時代の馬車も見たかったところではありますが。
公共史料館は土曜日に特設展示が行われているようで、機会があればまた入ってみたいと思います。

今回はヴェルサイユの大厩舎についてお伝えしました。来週は現在通っているパリの語学学校についてお伝えしようと思います。

王の菜園と小厩舎

8 5月 2019
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王の菜園は今日もなお現役

先週あたりから急に寒さが戻ってきてしまい、まだコートを着て出歩いています。家にいても暑くないので快適ではあるのですが、5月にもなってこれはどうしたことでしょう。
フランスでは今日は戦勝記念日で祝日です。日曜と祝日は学校が開いていないので狭い家に籠って練習するしかないのが悩みどころ。

さて、今回は現在ヴェルサイユで行われている建築と景色の展覧会に合わせて、王の菜園と小厩舎を紹介します。
王の菜園は以前紹介したサン=ルイ大聖堂とスイス衛兵の池の間に位置している畑です。元はルイ14世の食卓に並ぶ野菜や果物を栽培していたところで、菜園の中に銅像がある造園技師ジャン=バティスト・ド・ラ・カンティニにより1683年に設立されました。彼によってこの菜園では温室の設置など最先端の栽培法が実践され、当時は貴重品であったグリーンピースの栽培にも成功しました。その後も国王の食卓を潤すための菜園として機能し続け、1874年には国立高等園芸学校が開校、現在は国立高等造園学校となっています。それぞれの区画では希少種の保存や古い栽培法の伝承、有機栽培の実践が行われており、学生による実験区画もあります。
サン=ルイ大聖堂を左手に臨みマルシャン・ジョッフル通りを進むと小さい建物(道に面している部分が細長くなっている)がありますので、そこにある受付で通常は入場料を払い入園します。右手には温室、中央部分には畑、左手と畑の奥には果樹園があります。中央部分は壁で覆われ、土地が一段低くなっています。これは風の影響を和らげ、また太陽光が壁に当たることによって発せられる熱によって菜園内の温度を上げる工夫だそうです。中央部には水汲み場として機能する噴水があります。
右手奥にある比較的大きな建物には今回は入ることができましたが、普段は立ち入りできないかもしれません。入場した建物とちょうど対角線上にある小屋には直売所があり、野菜やジュース、ジャムなどが売られていました。本当は今旬の苺があれば買おうと思ったのですが、もう過ぎてしまったようです…。来年はちゃんと調べて買いに行こう。
散策する際は整然と区画分けされた畑や見事に整形された果樹、スイス衛兵の池側に設けられた国王のための門を見てみると良いでしょう。
サン=ルイ大聖堂の周辺では展覧会に合わせた「庭園のエスプリ(精神、気質などの意)」と題した祭りが開催されていて、花などの植物、造園器具や置物まで扱う一大マルシェとなっていました。盆栽もありましたよ(笑)。

さて、今回の展覧会はヴェルサイユの様々な施設で開催されていますが、その一つに通常はガイド付きでしか見学できない小厩舎も含まれているので、この機会に初潜入しました。
小厩舎はジュール・アルドゥアン=マンサールの手によって設計され、対となる大厩舎と並行して1679年に着工されました。宮殿を正面に見て左側にあるのが小厩舎です。この施設は馬車用の馬と馬車が収容され、蹄鉄製造所も併設していました。その後革命を経て軍の施設となりますが、現在では国立高等建築学校とフランス美術館研究修復センターが建物の一部を使用しており、ルーブル美術館の彫刻収蔵品やヴェルサイユ宮殿の彫刻のオリジナルを保管、展示しています。厩舎としての機能は今日ではありません。
宮殿側の入り口は閉まっていたので大回りして裏側、リーヴ・ゴーシュ駅周辺の商店近くから入館。少し前までこの付近は工事中だったのですが、いつの間にか完成してすっかり整備されました。この入り口にある建物が蹄鉄製造所であったようです。
厩舎内部に入ると、全方向にひたすら大小の彫像と建築物の一部のコピーが陳列されています。ちょうど正面に、有名なヴェルサイユ宮殿のラトーヌの泉水にあった彫像のオリジナルがありました。他、古いイタリア彫刻を17世紀以降にコピーした彫像や、いかにも古そうなローマの衣装を纏った首や腕が欠けているものも多い彫像などがあります。こうした彫像から当時の服飾、ジェスチャーを垣間見ることができるのは言うまでもないでしょう。
左手奥では打って変わって現代アート展が開かれていました。さっと見て終わりました。

大厩舎もまだ入ったことがないので、来週は大厩舎についてお伝えしようと思います。

ノルマンディー地方とオーケストラ

1 5月 2019
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第二次世界大戦で焼け野原になったものの、見事に復興を果たしたカーンの街

平成が終わり、令和の時代が始まりましたね。日本は祝祭ムードかと思いますが、フランスではメーデーのため過激なデモ集団が黄色いベスト運動と合流して活動し、パリは毎週土曜日と同じく警戒態勢になっています。

さて、今週は先週まで遠征に行っていたノルマンディー地方とそのオーケストラについてです。
今回参加したオーケストラは普段はモダン楽器で活動している40代~50代のメンバー中心の室内アンサンブルで、今回コーエン=アケニヌ氏の指導の下バロック弓とガット弦に挑戦したとのこと。管楽器はさすがに難しかったのか個別に集められたメンバーでした。おそらく指導は一週間程度であっただろうと思いますが、それにしては上出来でしたね。ましてプログラムはフランス・バロック屈指のレパートリー、ルクレールとラモー、古楽器奏者でさえ演奏は容易ではありませんので。
リハーサルは1週間前に2日、本番前に1日の計3日でした。細かいディテールは詰められなかったところは挙げればキリがありませんが、師匠団員ともどもよく健闘したのではないかと思っています。師匠は複雑な曲にもかかわらず終始弾き振りで、その牽引ぶりは非常によく勉強になりました。
1回目の本番はオーケストラの本拠地であるカーンの私設劇場で行われ、2回目はバスで移動しコタンタン半島のレ・ピューLes Pieuxという街の音楽学校で行われました。道中2時間超でしたが、よく眠れました(笑)。

さて、本番の日は活動が午後からでしたので、カーンの街を観光しに回りました。
まずは市街地の中に位置するサン=ジャン教会。12世紀に完成したこの教会ですが、湿地帯に建設されたため地盤が弱く北西方向に傾斜してしてしまっています。近年基礎工事が行われ強度上は問題ないようですが、正面から見ると感覚がおかしくなったのかと思ってしまいます。壁面はゴシック様式にしては随分と装飾が簡素ですが、百年戦争を始め特に第二次世界大戦の連合国軍とドイツ軍の戦闘による壊滅的な被害から再建されているので、殆どオリジナルとは言えません。内部で特徴的だったのはアーチのリブの多さと、ステンドグラス部分の枠組みが曲線主体になっていること。どことなくオリエント風な感じがするのは気のせいでしょうか。
次は男子修道院と付属のサン=ティエンヌ教会。この修道院は征服王ウィリアム1世が血縁関係にあるマチルダと結婚したため、当時近親婚を禁じていた教皇に破門された際に許しを請うべく1066年に寄進したのが由来となっています。ところが修道院の建物は完全に18世紀の様式。隣にある教会だけがロマネスク様式になっています。これはどうしたことかというと、フランス革命後ナポレオンによって学校に改装されたためなのです。室内も18世紀以降の改築の手が入っていますが、中庭の回廊部分は11世紀の雰囲気を味わうことができ、1層目から3層目までの大小それぞれのアーチはとても美しかったです。
サン=ティエンヌ教会は内外共にロマネスク様式の教会でした。アーチを支える円柱と、リブの多さがやはり特徴的です。内陣部分は天井から放射状に延びるリブ・ヴォールトが下の円柱まで線で結ばれ、その間にアーチが組み合わされた非常に美しい設計でした。
ちなみに修道院近くには古サン=ティエンヌ教会跡というものがあり、1793年から使われていない廃教会です。革命後の混乱に乗じた破壊活動や第二次世界大戦の砲撃などで半分近くが完全に崩壊しており、内部に立ち入ることもできません(というか内部が外から見える。)廃教会というのは初めて見ました。
カーン城の手前には立派な尖塔とバラ窓、凝った彫刻を持つサン=ピエール教会がありますが、現在修復中で立ち入ることはできませんでした。特に後陣部分の壁面、欄干とそこから伸びる小さな塔はカーンの他の教会とは異なり細かい装飾が施されています。13世紀から16世紀まで建設が続き、ゴシック様式とルネサンス様式が混ざっているのが特色かと思います。
カーン城はノルマンコンクエスト時代の1060年頃に征服王によって築かれた城で、高い壁と大きな見張り台が今日でも威容を誇っていますが残念ながら肝心の塔は残っていません。内部は残存する付属の建物を利用したノルマンディー博物館とモダンな建築のカーン美術館があり、今回はあまり時間がなかったので美術館だけ入りました。15世紀からのイタリア、フランス、フランドルの絵画コレクションが多数あり、空いている館内でじっくりと鑑賞することができました。

土曜日の深夜にピューからカーンへ帰り、日曜日はヴェルサイユへ帰るだけの行程でしたがそれではもったいないので、少し足を延ばしてバイユーBayeuxの街を訪れました。目的はタペストリー美術館と大聖堂、そしてノルマンディー上陸作戦の激戦地オマハ・ビーチ。しかし日曜日はバスが全面運休でオマハ・ビーチへは行くことができませんでした。
タペストリー美術館は17世紀末に建てられた建物を使用していますが、内部は完全に美術館として改装されています。ノルマンコンクエストの物語を描いた全長63.6mの長大な絵巻物となっているこのタペストリーを展示するために、U字型の特別なショーケースが用意されています。世界史の授業でかすかに記憶のあるノルマンコンクエスト、細部にわたるまで描かれているので鑑賞前に簡単に予習することをお勧めします。鑑賞の際は日本語の音声ガイドを借りることができますが、進行が早くゆっくりと鑑賞することができません…。しかも機器には再生停止ボタンがあるのに止まらない(笑)。結局最初は音声を聞くのを途中でやめタペストリーを観察しながら史実を予習し、その後音声ガイドに従って2周しました。染色された毛糸により麻布に刺繍された人物や馬は900年以上も経った現在でもとても色鮮やかで、登場人物の表情や動作も生き生きしていると共に、焼き払われる家屋から逃げ出す母子や身ぐるみを剥がれバラバラになった兵士の死体など、戦争の悲惨さも見せてくれます。
次にバイユー大聖堂を訪れました。ノルマン・ゴシック様式を代表するこの大聖堂は外部、内部とも緻密なアーチの配置と装飾が非常に美しい荘厳な建築です。特に外壁の円柱は3/4よりさらに前面に出ていて、遠くから見ると完全な円柱のように見えるのと、内部の壁面には通常は何も装飾がされないアーチ間の平面部分にも幾何学模様などが彫り込まれ、それらは単一ではなく各部で違ったデザインとなっています。アーチの多彩な幾何学模様の装飾も、どことなく東洋的な印象を受けるのはなぜでしょうか。11世紀に建設されたこの大聖堂は何度か火災に遭い再建が行われていますが、建築当初の雰囲気は正面の塔と地下聖堂で感じることができます。第二次世界大戦の際は壊滅的な被害を受けたカーンとは違い、連合国軍によっていち早く解放されたため被害はありませんでした。ちなみにこの大聖堂に展示されるために作られたのが前述のタペストリーなので、聖堂を見る際はもう行われないであろうタペストリーの展示風景を想像するのも一興でしょう。
最後にオマハ・ビーチに行けなかった代わりに1944年ノルマンディー戦争記念館を訪れました。内部は上陸作戦から内陸の侵攻作戦の様子を順を追って紹介していて、当時の通信機器や軍服、戦車や大砲などが陳列されていました。近代兵器にはあまり興味がないのであまり詳しくは見ませんでしたが、記録映画の上映では当時の爆撃や砲撃の様子が延々と紹介されていて、タペストリー美術館同様改めて戦争の悲惨さを感じました。いつの時代も人間のやることは変わっていませんね。

今回はノルマンディー地方とそのオーケストラについてお伝えしました。次回はヴェルサイユ宮殿にほど近い、王の菜園を紹介したいと思います。