Monthly Archives: 8月 2020

スイス鉄道乗りまくりツアー②

27 8月 2020
スイス鉄道乗りまくりツアー② はコメントを受け付けていません

ブリエンツ・ロートホルンの山頂からブリエンツ湖を望む、遥か下に列車が見える

先週イタリアから帰ってきたら、フランスはすっかり涼しくなっていました。スイスに行く前はとても暑かったのですがもう秋の到来でしょうか。
さて、今回はスイス旅行の後編です。
インターラーケンを後にし、今回一番の目的であったブリエンツ・ロートホルン鉄道へ。標高2000m級のブリエンツ・ロートホルンまで行く登山鉄道で、電化が早くから進行したスイスにおいて唯一現在でも定期列車として蒸気機関車を運行している鉄道です。麓側に勾配に対応すべく前傾して造られている小さな蒸気機関車が付き、前に客車が基本2両連結されます。

前傾した形状の愛らしい蒸気機関車

小さいながらユングフラウ鉄道と同じ250パーミルの急勾配を登る蒸気機関車は何とも健気で可愛らしく、乗客も大半はやはり蒸気機関車を求めてやってくるようですね。旧来からの石炭炊き機関車もありますが、現在の主力は1990年代に製造されたオイル炊きの機関車で、これは1人で運転できるそう。できればやはり石炭炊きの機関車が良い気持ちもありますが、いつ運転するか分からないので最初の蒸機列車に乗りました。というのはダイヤ上の始発に乗ると少し安い運賃が適用されるのでそれを狙って行ってみたのですが、ディーゼルだったので次の列車を待つことにしたのです。最初の蒸機列車を待つ間は機関車単体での入れ替えや、客車の連結シーンを見られるのでおすすめですよ。歯車を持つ走行装置の機構の美しさに見とれます。出発するとしばらくはトンネルがあったりしますが、やがて広い草原に出てS字を描きながら頂上に向かって登って行きます。ここでは前方、あるいは後方に続行している列車や反対方面の列車を遠目に見つつ、眼下にブリエンツ湖が見えてきます。頂上駅には姉妹鉄道である日本の大井川鐵道との友好を示すプレートや古い機関車のボイラーの展示があり、少し歩くとレストランや土産売り場、展望台があります。展望台には機械の熱を求めているのか何故か大量の羽アリがいてあまり長居できず…。ちなみに山の裏側にはロープーウェイがあり、反対側の麓に下りることもできます。

ヨーロッパ最古の木造橋

その後中世の街並みが残る小さな都市ルツェルンに移動。ホテルに荷物を置いて日没まで観光を少ししました。
1993年に火災に見舞われましたが、14世紀に架けられたヨーロッパ最古の木造橋であるカペル橋の天井にはルツェルンの歴史が描かれている絵の連作があります。しかしドイツ語でしか説明がないので雰囲気だけしか分からず、おまけに逆順の旧市街側から渡ってしまいました。絵を見るなら駅がある方から渡りましょう。
聖堂巡りは高い天井と豪華な祭壇が美しいホーフ教会、白い内装にピンクや金色の華やかなバロック装飾が施されたイエズス会教会、小さいながら中世のフレスコ画と精巧な木彫があるフランシスコ会教会に行きました。ルツェルンはスイスの中でもカトリックを維持し、反宗教改革の拠点になっていた街です。
ヴェルサイユに関係があるものとして見ておくべきものは瀕死のライオン像です。氷河に削り取られた砂岩の岩壁に1821年に彫られた彫刻で、フランス革命時のテュイルリー宮殿襲撃とその後に非業の死を遂げたスイス衛兵たちの忠義を讃えています。負けると分かっていながら最後まで戦ったスイス衛兵たちを矢が刺さったライオンに見立て、フランス王家の紋章が入った盾をなおも守ろうとしている姿は寓意ながら胸を打ちます。スイス衛兵たちの悲劇の詳細をネットで調べつつ合掌。
1386年建造で見張り台と共に当時のまま残るムゼック市壁は少し丘の上にあります。頑張って時計塔に登ってみたらちょうど正時になり鐘が鳴りました。塔の上からは美しい街並みとルツェルン湖、遠くに次の日登るピラトゥス山などが一望できます。

まるでケーブルカーのようなピラトゥス鉄道

翌日はまた鉄活動。まずは昨日遠くに見たピラトゥス山に上るためのピラトゥス鉄道に乗車します。というか鉄道が目的なんですけどね。
ブリエンツ方向へ少し戻ったアルプナハシュタット駅の山側にある駅から出る、まるでケーブルカーのような平行四辺形型の車両を持つ路線ですが、これはケーブルカーではなく線路の間に歯車を持つラック式鉄道の一種で、最勾配は驚異の48パーセント!!!これだけの急勾配ですから歯車が絶対に外れないよう、地面に対して平行に、歯車レールを双方から挟み込むように歯車が取り付けられるロッヒャー式という世界でも唯一の機構が採用されています。この機構のために通常の鉄道のような分岐が作れず、車両ごと水平に移動したり分岐部分がひっくり返る特殊な分岐が使われているのも面白いです。
経験したことのない勾配の鉄道ですから、発車してすぐに麓の街並みが小さく見えてしまいます。なお1両が小さいため基本的に複数の列車が続行しますので、前方の列車を追いかけたり後方の列車に追われたりしながら進みます。アルプナッハー湖、ルツェルン湖を眼下に見つつ、終盤は荒々しい岩肌の崖が周辺にそびえたちます。崖にしがみつくように敷設された線路を行き、終点に到着。
イエス・キリストの死刑を決定したローマの総督ポンテオ・ピラトの霊がたどり着いたという伝説があるピラトゥス山。山頂駅からいくつかの峰に登れるので、近くにある難易度の低そうなところを3つ挑戦してみました。眼下に広がるルツェルンの街、2つの湖、平野、山脈と絶景が広がります。途中の鉄道が目的でしたが登った甲斐がありました。
ルツェルンに戻り、今度はスイス交通博物館へ。旧市街から少し離れたところにあるので、湖畔に沿って散歩しながら行きました。ここはすごい!鉄道の展示はもちろんのこと、「交通博物館」の名の下にロープーウェイ、自動車、船舶、航空宇宙、果てはソリやボブスレーまであり、全てが網羅されている博物館は一日いても飽きないと思います。鉄道は国鉄の車両はもちろん、ユングフラウやブリエンツの機関車、ピラトゥスで開業時に使用されていた蒸気動車の展示もあり、また近年完成したゴッタルド・ベーストンネルに関する展示が広くとられていました。あと特筆すべきはその多くが体験型であること。多くの車両に入ることができるのはもちろん、シュミレーター、手で動かして構造を理解するための模型、中庭では工事現場を模したエリアで小さなショベルカーや石を運搬するベルトコンベアで遊ぶことができます。子供向けですが私も少しやってみました(笑)。こうやって子供たちに遊ばせながら交通に関する知識を学ばせ、将来の人材育成につなげようという姿勢が感じられました。

フルカ山岳蒸気鉄道の蒸気機関車

最終日はフルカ峠を走るフルカ山岳蒸気鉄道に乗車するため、ルツェルンから南下。昨日博物館の展示で見た鉄道の難所ゴッタルド峠を途中まで登り、ゲシェネン駅でゴッタルド鉄道トンネル(新しいゴッタルドベーストンネルではない)の坑口を見つつ、赤と白の鮮やかな塗装の小さな車両を持つマッターホルン・ゴッタルド鉄道に乗り換え、レアルプ駅を目指します。途中からは有名な氷河特急のルートでした。レアルプ駅に着き、進行方向に歩いていくと右手にフルカ山岳蒸気鉄道の車庫と駅舎が見えてきます。
フルカ山岳蒸気鉄道は、1982年に開通した現行線のフルカベーストンネルに置き換えられ一度廃止されたフルカ峠を越える旧線のルートを有志により復活して夏期のみ運行している保存鉄道です。廃止から10年ほど経った1992年から徐々に区間を伸ばし、オーバーヴァルトまでの全区間が開通したのは2010年。その名の通り基本的には蒸気機関車による牽引で、かつての難所に果敢に挑んでいきます。
座席はインターネットで予約していきましたが、客車に行って見ると窓に予約者リストが貼り出されていて、座席には名前が書かれたシールが貼ってありました。しかもローヌ氷河が見られる右側の座席!早く予約しておいて本当に良かった。
現行線ではオーバーヴァルトまで20分程度で着いてしまいますが、このフルカ山岳蒸気鉄道で行くと途中休憩を含め2時間10分かかります。それだけ現行線では失われた雄大な景色や蒸気機関車の奮闘を楽しめるということです!
ちなみに使われている客車は西部劇に出てくるような乗降口が屋外に設けられているタイプで、車両間を行き来する際は非常にスリリングです(笑)。指定席なので車両を移動する必要はないのですが、なかなかできない経験なので通ってみました。フルカ駅で飲食の販売があり、おじさんが美味しそうなソーセージを焼いていたので迷わず購入。こうやって運賃収入だけでなく付帯事業で収入を稼いでいるのですね。ローヌ氷河はレアルプから乗車すると終盤に見えてくるのですが、如何せん氷が殆どなく浸食された岩肌が見えるばかりでした…。全線乗車して大満足!今後も是非活動を継続していってほしいです。
その後はローザンヌまで戻り、時間があったので少しだけジュネーヴを観光してみることにしました。行ったのはジャン=ジャック・ルソーの生家。現在工事中ですが外観を見ることができました。後は宗教改革記念碑、オーストリア皇妃エリザベトが暗殺されたことを記念する銅像を見て終了。国連本部も興味がありましたが少し離れていて時間が足りませんでした。
今回行ったスイスの街はどこも清潔な印象があったのですが、ジュネーヴは少し汚い印象がありました。フランスが近いからでしょうか(笑)。

これで長かったスイス旅行は全て終了です。
その後のイタリア旅行についても記事にしようと思っていたのですが、各都市の建築物や美術品があまりに凄すぎて書いても駄文になるか超大作になりそうなので、ここで行程だけ紹介しておきますね。
最初はパリから飛行機でヴェネツィアへ。ヴェネツィア楽派の本拠地として有名なサン・マルコ大聖堂やモンテヴェルディの墓があるサンタ・マリア・グロリオーザ・デーイ・フラーリ教会などに行きました。
一泊してボローニャ、フィレンツェを通りローマへ。行程上どうしても月曜日にせざるを得ず、残念ながら多くの博物館や美術館が休館でした。ボローニャは協奏曲発展を推し進めたボローニャ楽派の拠点であるサン・ペトローニオ大聖堂やアッカデミア・フィラルモニカ、ボローニャ大学の旧館であるアルキジンナジオなどに行き、昼食にいわゆるボロネーゼパスタを食べました。フィレンツェはあの有名なサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に行きましたが、洗礼堂や鐘楼は事前予約が必要で既に完売していて入れず…。
ローマは何とかその前の行程を圧縮して丸2日取りました。何といっても古代ローマとローマ・カトリックの本拠地。1日目はヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂とシスティーナ礼拝堂を含むヴァチカン美術館、ついでにトレビの泉やスペイン階段も見てきました。ヴァチカンはとにかく全てが他の教会を圧倒していますね。トレビの泉は現在近くに寄れないように規制されていて、無理やりコインを投げ入れようとしましたが入りませんでした…(笑)。2日目は古代ローマ遺跡巡り。コロッセオ、皇帝たちのフォルム、数々の神殿、浴場、競技場、少し歩けばすぐローマ遺跡に巡り合えます。大部分が破壊されていたりキリスト教化されていたりしますが、断片から往時の様子を想像して古代ローマの威光を感じ取りました。またパンテオンにはコレッリの墓があります。凄かった、ローマ。
次の日はナポリ近郊のポンペイを訪れました。紀元79年のヴェスヴィオ火山の噴火による火砕流で一瞬にして消滅都市となってしまい、その後18世紀中頃の発掘まで蛮族による破壊や風雨による劣化もなく保存されていた貴重な遺跡都市です。都市丸ごと1つ遺跡なので敷地は広大で、疲労と暑さと戦いながら主な見所を見学して回りました。噴火の前に地震もあったのでそれぞれの建物は完全というわけではありませんが、とにかく都市の区画は全く手つかず。建物内部の壁画は美術館に展示するため取り去られたものも多いですが、今もそのまま残っているものもあり、そろそろ約2000年経とうというのにとにかく色が鮮やか。それでも発掘から250年ほど経ち、多くの場所で劣化が進行しているそうです。亡くなった市民へ黙祷を捧げてからナポリに引き返し、卵城、王宮、サン・カルロ劇場、ヌオーヴォ城などを外観のみ見学。劇場は目下工事中でした。翌朝帰る前にナポリ大聖堂と考古学博物館にあるポンペイから運ばれた壁画コレクションを見て、全ての旅程は終了。博物館にあるといっても温度や湿度管理は全く行われておらず、ケースの中にあるわけでもなく手の届く位置にあります。これでは元あった場所にあるのと比べてそんなに劣化具合は変わらないのではないかと思いました。これからは適切な保存をお願いしたいですね。

次回は今週行われるオーケストラとヴァイオリンデュオの演奏会の模様をお伝えします。久しぶりに音楽ネタですね。

スイス鉄道乗りまくりツアー①

19 8月 2020
スイス鉄道乗りまくりツアー① はコメントを受け付けていません

ユングフラウ鉄道の起点、クライネ・シャイデック駅

ただいまイタリアにて偉大な芸術のフォアグラ状態になっている佐藤でございます。
引き続き旅行記で恐縮ですが、今回は先週のスイスでの活動報告を簡単にさせていただきます。題名の通り、今回はかなり鉄道要素高めです。

まずはパリ・リヨン駅からTGVでスイスのローザンヌへ。乗り換え時間にスイスフランを用意し、ヴヴェイという駅まで再び国鉄に乗ります。
途中、右側にはレマン湖、左側には葡萄畑の車窓。ローザンヌ周辺はワインの産地なんですね。
ヴヴェイからモントルー・ヴヴェイ・リヴィエラ交通(MVR)という線路幅1mの小さな電車に乗り換え、最初の目的であるブロネー=シャンビー博物館鉄道へ。

様々な車両を収蔵する博物館

1966年に廃線になった全長3㎞ほどの区間を利用して、ボランティアの手により夏期の休日のみ運行される保存鉄道です。博物館入場と1日乗車のセット券をボランティア駅員のおじさんから購入。ブロネー駅から最初に乗ったのはオープン客車を1両連結した赤い電車。3等まであったスイスの座席設定ですが、この鉄道はどこに座ってもよさそうなので少し座席幅が広く快適な2等座席に座ってみました。車体を軋ませながらゆっくりと上り坂を登って行き、眼下にレマン湖が見えたところで左手に博物館兼車庫が見えてきます。終点はここですが、まずはその先のシャンビー駅に行って折り返すダイヤになっています。博物館兼車庫に着くと、1mゲージの蒸気、電気、ディーゼルなど多様な古い車両が前後の車庫にひしめき合うように収められていて、もう何時間でもいられそうです。保存状態が非常に良いのは勿論のこと、これら大半が現在でも営業できるそう。フランスの鉄道博物館と違って、基本的にどの車両も中に入れます。半分程度見たところで蒸気機関車の運転時刻になりました。小さいながら健気にも走り装置が2組あるドイツの機関車で往復乗車。機関士と機関助士もおそらくボランティアで、楽しそうに運転していましたね。博物館に戻った後は残りの車両を見て、駅舎併設のカフェで休憩した後ブロネーへ戻りました。途中で茶色い電気機関車や水色の電車が動いていたのでそれに乗れるのかと思いましたが、乗れたのは結局来た時と同じ赤い電車でした。
ローザンヌに戻り、軽く街を観光。ローザンヌ大聖堂は17:30で閉まってしまい入れなかったので外観だけ。丘の上にあるので、大聖堂の手前からローザンヌの旧市街を見ることができました。あとはレマン湖畔を歩きつつオリンピック博物館も外観だけ見ようと行きました。建物に向かって上がっていく階段には大会開催年と都市が刻まれていて、最後は2018年の平昌。2020と東京は果たしてこの次に刻まれるのでしょうか…。

大聖堂の塔から見たベルン旧市街

2日目、この日は鉄道要素なしで首都ベルンを観光。至る所に水飲み場があり、長いアーケードが続く古い街並みが残る街です。連邦院の建物を横目に見つつ、まずはベルン大聖堂へ。天井のリブが格子状になっていて、それに沿って模様が描かれています。個人的に興味深かったのは信徒用の長椅子。背もたれと座面が共通設計になっていて、前後に転換できるんです。教会版転換クロスシートでしょうか?(鉄分なしと言ったのに…。)フランスでは見たことない長椅子ですね。これならオルガンを聴く際などに身体を捻じって振り返る必要がありません。塔にも登ってみました。ここからは赤茶色の小さな六角形の瓦葺きで統一されたベルンの旧市街が一望できます。あの大量の瓦を造るのって業者の入札とかあるんだろうか、なんて考えてしまいました。
アーレ川を渡った先にクマ公園があるのですが、残念ながらクマの姿は見えず。街を創設したツェーリンゲン大公が猟で仕留めた最初の動物がクマだったので、それが街の名前や旗、シンボルになっています。ところでアーレ川では結構泳いでいる人がいたのですが、見たところとても流れが速く危険そう…。橋脚に激突したりしないのでしょうか?川は街を半周するように流れているので、うまくすれば流れるプールのようにして楽しめるのかもしれません。
旧市街に戻ってアインシュタインの家に行きました。彼が3年間住んでいた家で、調度品や資料が展示されています。受付の人が何故か日本人の方でした。2階には彼の経歴や功績の説明があり、音楽活動の説明もありました。
そろそろ正時になる頃、近くにある有名な時計塔へ。アインシュタインはこの時計の針から特殊相対性理論の着想を得たようですが、凡人の私には皆目分かりません。正時になるとからくり人形が作動しますが、うーん、期待が大きすぎたのかちょっとしょぼかったかも?自動オルガンくらい鳴るのかと思いました。周りにいた人たちもこれで終わりかと、しばらく待っていましたがやがて離散しました。古くて貴重なので良いんですけどね。
その後は宿泊地インターラーケンへ移動、この日は終了です。

スフィンクス展望台から見下ろすアレッチ氷河

西のトゥーン湖と東のブリエンツ湖に挟まれた名前の通りの小さな町、インターラーケン。周囲を山々と湖で囲まれ、登山やスキー、パラグライダーやカヌーといった自然アドベンチャーを求めやってくる客で賑わっています。私もその一人、目的はそう、ずばりユングフラウ鉄道です。
ユングフラウ鉄道というのは正確には一部区間の鉄道なのですが、その手前の2つの鉄道もユングフラウ鉄道の傘下にあり、これらをまとめてユングフラウ鉄道と呼ぶことが多いようです。山頂のユングフラウヨッホ駅まで厳しい自然の中を走る登山鉄道だけあって運賃が高く、最短で往復しても117.4フランかかります。日本円だと大体13000円くらい。その他の別の支線やロープーウェイに乗るにはさらに運賃が必要で、公式サイトにはいろいろな乗車パスの設定があるのですが、これがたくさんありすぎてとにかく分かりづらい…。結局その都度切符を購入しましたが、時期によってはこれより少し安くなるプランがあるのかも?しれません。
インターラーケン・オスト駅からまずはベルナーオーバーラント鉄道の区間。近年車両が新しくなったようで近代的な広く快適な車両になっています。途中で左手に古めかしい機関車や客車を持つシーニゲ・プラッテ鉄道が見えてきますが、これは後で乗ります。しばらくすると小川に沿って峡谷の中へ入っていき、徐々に高度を上げていきます。2番手はヴェンゲルンアルプ鉄道。線路の間に歯車レールを持ち、ここで一気に高度を稼ぎます。標高3000m級の山々と氷河が間近に迫ってきました。ラストはユングフラウ鉄道。最初の駅を過ぎるとずっとトンネルになってしまい車窓はあまり楽しめないのですが、途中のアイスメーア駅では少し停車するので、大半の人は一度下りて展望台から景色を眺めます。最急勾配は250パーミル、日本にあるケーブルカーを除いた鉄道の最急勾配は大井川鐵道井川線の90パーミルですから、これはその約2.8倍あるわけです(ところがこの旅行では後にとてつもない勾配の鉄道に乗ることになります…次回)。長い勾配を上った先の終点はユングフラウヨッホ駅。標高3454mにある、ヨーロッパで最も高いところにある鉄道駅です。駅は山中にあり、黒部峡谷鉄道を思い起こさせました。少し歩いたところにスフィンクスと名付けられた標高3571mの展望台があり、そこから目の前に延々と続くアレッチ氷河やユングフラウを始めとした山々、遥か下遠くに先ほど乗り換えた駅を見ることができます。この日の天気予報は午前中何とか少しだけ天気が良く、その後一時雷雨とあまり良くないものでしたが、行って見れば何のその、快晴でした。急いで午前中の内に来た甲斐がありました。服装は長袖とウィンドブレーカーというやや軽装で行ってしまいましたが、風が吹かなければ日が当たってあまり寒くありません。絶景が見られるかどうかは天気によって大きく左右されるようで、公式サイトではライヴ映像も配信されていて最新の天気を確認することができます。展望台の他は尾根に沿って歩く道が2つ、あとは氷河の中にある氷の彫刻の展示コーナーや、通路に鉄道の建設工事の展示などがありました。氷の彫刻コーナーはさすがに寒かったですね。
ところでユングフラウ鉄道には短い右ルートと長い左ルートがあり、行きは所要時間が短い右ルートで行ったので帰りは左ルートを試してみることに。ですが距離が長いだけあって勾配がきつくなく途中から普通の鉄道のようになってしまうので、特段用事がなければ短い右ルートの往復で良さそうです。下りてくる途中でユングフラウの山頂付近はだんだん雲に覆われ始めました。早く行って本当に良かったー。

機関車と客車が可愛らしいシーニゲ・プラッテ鉄道

ヴィルダースヴィル駅まで帰ってきたところで、今度は先ほど見たシーニゲ・プラッテ鉄道に乗車。登山鉄道で降りてきたばかりなのにまた別の山に登山鉄道で登るという…。こちらの方が歴史が古く、車両も古いので鉄道ファンとしては楽しいです。麓側に小さな電気機関車が一両、その前に基本2両の赤とベージュの客車が繋がれ、先ほどのユングフラウ鉄道と同じ250パーミルを懸命に登って行きます。トンネルはそう多くないので、山間を抜ける少しのスリルと景色を楽しめるのが魅力ですね。終点のシーニゲ・プラッテ駅には高山植物園があり、麓まで下りる束の間、目を楽しませてくれます。エーデルワイスもあるらしいのですが残念ながら見つけられませんでした…。お昼にはアルペンホルンの演奏もあるようです。天気の都合がなければこちらにまず来ればよかったですね。

1回で終わらせるつもりでしたが、意外に長くなってしまったので2回に分割したいと思います。次回はブリエンツ、ルツェルン、フルカ峠に行きます。

フランス南東部、モナコ旅行記

12 8月 2020
フランス南東部、モナコ旅行記 はコメントを受け付けていません

大公宮殿からモナコ市内を見下ろす

先週は「サン=ジョルジュ・コンソート」のノルマンディー地方ツアーが無事終わりました。1日目はバイユー近郊のジュエイ=モンダイエにあるサン=マルタン修道院教会で、2日目はグランヴィルのノートルダム教会で演奏しました。サン=マルタン修道院教会では18世紀の大オルガンを使って演奏を行い、奏者は階上のオルガンの周りに身を寄せ合って演奏しましたが、オルガンの構造物に遮られ視覚的にコンタクトが取れなかったり、距離が遠くずれが生じたりしてなかなか大変でした。でも教会の大オルガンでアンサンブルをしたことはなかったので貴重な経験でしたね。
今週からパリ市内の一部で屋外においてもマスク着用が義務化されました。先週から暑くなったのでなかなかきつい時もありますが、観光客も対象ですのでパリに来られる際は基本的にどこでもマスクを着けておくのが無難でしょう。
少し前までマスク=重病者のイメージで着けるのが憚られたのに、こんなにも変わってしまうのですね。果たして効果はいかに。
日本では相変わらずマスコミが「感染者」(=患者ではない)の増加を好んで報じて国民の不安を煽り立てているようですが、良識ある皆様はどうか誤った情報に流されず、正しくウィルスを恐れて生活していけるよう願っています。

さて今回は少し前になりますが、2週間前に行ったフランス南東部とモナコの旅行について簡単に活動報告したいと思います。それぞれの歴史や背景などを書き出すととても長くなるので、今回はあくまで記録です。
こちらに来てからフランス国内のいろいろな所を旅行しましたが、南東部の地中海に面した辺りは手付かずでした。特に歴史的建造物がたくさんあるというわけでもないのですが、やはりあの辺りの雰囲気を知っておきたいなと思いまして。

カンプラが学んだサン=ソヴール大聖堂

パリからTGVに乗って、まずはエクス=アン=プロヴァンスを訪れました。何故かというと、私の敬愛する作曲家アンドレ=カンプラの生まれ故郷だからです!大概の日本人はポール・セザンヌ目当てで行くと思いますが…。早速、まずはカンプラが聖歌隊で歌い音楽を学んだサン=ソヴール大聖堂に行きました。古い部分は5世紀末のものが残る非常に古い教会です。今日あるオルガンは19世紀のものだそうですが、カンプラがここで勉強したのだなとしばし思いを巡らしました。回廊はガイドツアーのみの開放で、それぞれの柱や柱頭のデザインなど事細かに解説がありました。
次はカンプラが生まれた家探し!彼の生家はピュイ・ヌフ通りにあったらしく、現在でもこの通りは存在するのでプレートか説明書きがあることを期待して行ってみましたが、残念ながらそれらしきものはありませんでした。17世紀の地図を見てみると現在と道の形が一緒なのでおそらくこの両側のどこかの家だと思うのですが…。隣の通りが「カンプラ通り」だったり、近くの幼稚園と中学校がカンプラの名を冠しているので割と地元では愛されている存在なのだと思います。生家が詳細に分かるなら是非掲示してほしいですね。
出発までまだ時間があったのでタピスリー美術館と歴史博物館にも行きました。タピスリーって宮殿には付き物で何だか見慣れてしまいましたが、微妙な色彩を織物で表現するってすごいですよね。
この地区は17-8世紀の建物がとても多く残っていて、カンプラがいた時代を容易に想像させてくれました。
しかしこの日も快晴でとても暑かったです。こういう空ってカンプラのような南仏の音楽を連想させますよね。

マルセイユの旧港と城塞

続いてマルセイユ。出ました地中海!旧港には停泊中の小舟やヨットのマストがずらり、その手前では漁師さんたちが釣った魚を売っています。マグロもありましたね。
2日目の朝、まずは旧港から出るフェリーで少し離れた島にある「イフ城」に行きました。城塞なので特に建築として面白いところはあまりないのですが、アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』で主人公の牢獄として舞台になったことで有名です。私はこの小説を読んだことはないのですが…。独立した島の堅固な要塞なだけあって、牢獄にはうってつけといった感じです。周囲に何も遮るものがないので日向はとても暑かったです。
本土に帰って、旧慈善院にある博物館群を観に行きました。夏期は無料とのこと!マルセイユは古くから地中海貿易の拠点だった関係で、この博物館はエジプト、オリエントの古代文明を始めとしたコレクションを多数所有していて見ごたえがありました。
続いてロンシャン宮にあるマルセイユ美術館。ここも無料でした。私が個人的に好きなフィリップ・ド・シャンパーニュもありましたが、特にプロヴァンス出身の画家たちの作品が多く所蔵されています。1720年の大規模なペスト流行の様子を描いた作品もいくつかありました。
お決まりの教会巡りですが、この町の大きな聖堂、ノートルダム・ド・ラ・ギャルドやラ・マジョールはいずれも再建された19世紀の建築です。しかしサン=ヴィクトール修道院は古い建物。見た目は城塞のようで無骨ですが、古い部分は5世紀のものが残る歴史ある建物です。特に地下聖堂は3世紀の墓地の跡で非常に古く圧巻でした!手持ちの現金が足りず入場を諦めかけましたが、近くのATMで調達して入った甲斐がありました。

念願のFIAT500でチュリニ峠を走破

さて翌日はニースへ向けて電車で移動。国際映画祭で有名なカンヌも通りました。今回ニースに何をしに来たかというと、海で泳ぐため…ではなく、レンタカーを借りてモナコ・グランプリやラリー・モンテカルロのコースを実際に走りに来たのです。
ニース空港に隣接するレンタカーセンターで早速手続き。帰路の飛行機とセットで予約し少し安い値段になりました。車種はFIAT500か同等クラスという予約でしたが、できれば一度FIAT500に乗ってみたかったんです。渡された鍵はFIAT!念願叶いました。エンジンをかけ中央のモニターを操作しナビを設定しようとすると…あれ、ナビがない。そんなことあります?でも何度探してもナビらしきメニューはなく、仕方ないのでGoogleのナビを設定した携帯をダッシュボードに置いて何とか出発…。振動で頻繁に倒れてしまい手を出すのが危なかったので、ハンドルの裏に置く方法を確立しました。
海沿いを走り、せっかくなので少し海岸に降りてみようとモナコの少し手前にあるカップ=ダイユに車を停めて少し散策。入り組んだ入江が続いていて、あちらこちらで海水浴を楽しんでいる人たちがいました。暑くて滝のように汗をかいたので、準備して少し海に入れば良かったと後になって思いました。

それから少し車を走らせモナコ公国へ入りました。特に国境の案内もないまま入ってしまいましたが、周囲の国旗や警察官の服装の違いで国の違いを感じられました。まずは大公宮殿へ御挨拶に…と思ったら、現在一般公開は中止しているとのこと。外側だけ拝見させていただきました。
行こうかどうか迷っていましたが、宮殿に入れなかったのでモナコ大公のカーコレクション博物館へ。歴代大公のコレクションやモナコ・グランプリ、ラリー・モンテカルロで優勝した車が多数。欧米の旧車好きにはたまらない博物館だと思います。
車を見た後はいよいよモナコグランプリのコースへ。事前にナビに経由地を設定しておいて走ることができました。ただしトンネル区間以外はほぼ市街地なので混んでいてレース気分はあまり味わえず。道路脇の縁石が赤と白の縞模様になっているところがいくつか、タイヤ痕もありましたね。楽しくて3周してしまいました。

フランスに戻り、続いてラリーのコースへ。まずはペイユの近くからサン=タニェスを通って戻ってくるコース。車一台がやっと通れるほどの狭い道ですが一方通行ではありません。むやみにコーナーへ突っ込んで対向車が来たら正面衝突は免れないでしょう。十分注意して「かもしれない運転」をしましたがそれでも出合い頭は少しヒヤッとしますね。走りに来る方はくれぐれも安全に楽しみましょう。とても長いコースで、一周で大満足しました。もう一度中間地点のサン=タニェスまで行き、町に降りて念のため給油。山間部にはガソリンスタンドが全くないのでガス欠になったら一巻の終わりです。
続いて大本命のチュリニ峠。そこに至るまでも延々峠道で、これがチュリニ峠かーと思っていたらまだだったりしました。先ほどのコースに比べればすれ違いできる広さはありますが、何せ断崖絶壁なので転落したらまず助からないでしょう。それなのに鉄のガードレールなどなく、あるのは木(笑)のガードレールらしきものや背の低い縁石だけ。ここを全開走行するラリードライバーってすごいですね…。チュリニ峠もとても長いコースですが、掲載した写真の場所のように峠の茶屋のようなレストランとホテルがあるエリアもあります。ツーリングにはうってつけですね。
何もない山間部ですが、集落がちらほらあって人も結構見かけました。こんな山奥に生活している人たちがいるんだなと思いました。
ニースのレストランでラタトゥイユを食べてみたいなと思っていましたが、峠を下ってニースに着いたのはもう22時過ぎで断念。夜になってもパリのように涼しくはなりませんでした。
散々峠道を走りましたが、結局使ったガソリンは15L程度でした。FIAT500は燃費が良いですね!

帰路はEasyJetというLCCでオルリー空港に到着。トラムでC線に乗り換えようと思い案内に沿って行きましたが全然分からない!より一般的なオルリーヴァルはNavigoの適用外で有料なので、トラムの方はあまり利用させる気がないのでしょう…。ぷんぷん。
ちなみにそこここにある消毒液で手を消毒する度どうも右手が痛いなと思ったら、ハンドルで擦れたようです。ドライビンググローブって必要ですね。まあ今回すごい峠をたくさん走って満足したので、峠遊びは当分やらなくても良い感じです。

次回は今週のスイス旅行の活動報告です。しばらく旅行記が続きますね。

ヴェルサイユ宮殿観光の手引き・庭園編③

5 8月 2020
ヴェルサイユ宮殿観光の手引き・庭園編③ はコメントを受け付けていません

圧倒的な規模を誇るネプテューヌの泉水

今週は以前紹介したアンサンブル「サン=ジョルジュ・コンソート」のノルマンディー地方ツアーがあり、昨日と今日でリハーサルをしました。前回の演奏会プログラムを一部改変したものなので、再演の曲は確認程度でさくさくとリハーサルが進みました。明日と明後日が本番です。

さて、今回はついにヴェルサイユ宮殿庭園案内の最終回です。早速見ていきましょう!

19.「北の斜面の低いところへ出て、沼(の園)へ入り、そこをひとめぐりするように。」
この園は1778年にユベール・ロベールによる「アポロンの水浴の園」に完全に置き換えられ、ルイ14世が意図するものは今日では何も見つけることができません。「沼の園」は長方形の池の中心に一本の木を植え、周囲から木に向かって水をかけるように噴水が配置されていたようです。池の縁には草木が生い茂り、それが「沼」を演出していたのだと思われます。
しかし「アポロンの水浴」は完全にルイ14世時代と無関係なわけではありません。なぜならこの園の主題であるアポロンとその取り巻きたちの3グループの彫像は、1684年の北翼棟の建設工事でやむなく取り壊された見事な建築物「テティスの洞窟」に置かれていた彫像なのです。王国末期になって、100年前の建築物を彼らなりに復興したのでしょう。中央にはニンフたちの世話を受けるアポロン、両側は彼の馬たちと従者たちが配置され、洞窟自体はロマンティック様式で本当の洞窟のようです。近寄って彫像をよく観察したいところではありますが、手前の芝生は進入禁止になっていて遠くからしか眺めることができません。失われたテティスの洞窟にしばし思いを馳せましょう。

20.「三泉(の園)へ高い方から入り、下りて行って、3段になった泉を眺めたら、竜(の泉水)へと続く道に出るよう。」
1677年にル・ノートルによって造られた園ですが、1804年に完全に破壊されてしまいました。今日見られるのは2004年に復元されたものです。彫刻や噴水の形は違いますが、3つの泉水の間に水が流れ落ちる階段が設置された設計は当時のままです。
21.「竜(の泉水)の周りを巡り、ネプテューヌ(の泉水)の噴水と池を見るように。」
いよいよクライマックスです。圧倒的な規模を誇るネプテューヌの泉水と、竜の泉水から城館に近いピラミッドの泉水までが1つの群を形成しています。まずは竜の泉水。この竜はジュノンの命令でラトーヌを襲っていたピトンで、その子アポロンは間もなくピトンを退治して母の恨みを晴らしました。竜の周囲に配置された弓を持っている4人の子供はアポロンを表していて、竜はもがき苦しんで天に向かって水を高く吐き出しています。
続いてネプテューヌの泉水。縁に配置された小さな噴水を見ながら、土手を半周して中央へ行きましょう。手前に広大な池があって彫像は良く観察できないのですが、中央に三又の鉾を持ったネプテューヌ、周辺には海の怪物たちがいます。15分ごとに行われる噴水のショーは非常に見ごたえがあるので、休憩ついでに是非見てみて下さい。ちなみに池の背後には「王の名声」という彫像が配置されるようですが、修復中なのか現在は台座だけになっています。
22.「凱旋門(の園)の方へ行くよう。泉、噴水、水面と水槽の多様性、彫像、水の様々な効果に注目のこと。」
この園はル・ノートルによって1684年に完成しました。当時は上と下の二つの空間に分割されており、上には奥に凱旋門の泉水、左右に長方形を階段状に積み上げた泉水と4つのオベリスク、下には栄光、勝利、祝勝のフランスを表す3つの泉水があり、そのほとんどすべてが金鍍金仕上げという非常に豪華極まる園でしたが、残念ながら今日ではほとんどの構造物は失われ、残っているのは一番手前にある祝勝のフランスを表す泉水のみとなっており、上下の空間もつながってしまいました。わざわざ見るポイントが列挙されているので、ルイ14世自身もかなり気に入っていたのでしょう。興味がある方は是非、Bosquet de l’arc de Triompheで検索して当時の絵を見てみて下さい。あらゆる戦争で圧倒的な強さを誇った絶頂期のルイ14世と王国をよく物語っています。唯一現存する祝勝のフランスの泉水は武装した女性がフランスを表し、左右に敗者が座っています。
23.「竜(の泉水)の方に再び出て、園路(水の散策路)を通り、低いところの二つの泉水の間にある石の上に来た時、振り返ってネプテューヌ(の泉水)と竜(の泉水)を全て一瞥の下に見渡すよう。引き続きこの散策路を登って行くように。」
左右に様々な子供たちがデザインされた小さな泉水が置かれた園路を登って行きますが、「低いところの二つの泉水の間にある石」というのは今日では見つけることができません。車止めの木の杭が打ってある辺りでしょうか?ここからはネプテューヌの像は見えませんが、高く上がる水柱と手前の壺から湧き出る水柱、竜の泉水が1つの情景を成しています。園路の泉水の間には様々な形に剪定された小さな植木が並んでいます。
24.「下の泉水面のところで足を止め、浅浮彫とこの泉の他のところを見るよう。」
水浴びするニンフたちが描かれた中央の大きな浅浮彫の上から水が流れ落ちることによって、本当に水浴びしているかのような効果が得られています。中央の浅浮彫は金鍍金だったようですが、現在は鍍金はおろか地の鉛もくすんでしまっているのが残念。今後の修復に期待したいところです。
25.「それから、ピラミッド(の泉水)の方へ歩を進め、そこでしばらく足を止めて、さらに、研師像と恥じらいのヴェニュス像の間の大理石の階段を経て城館の方へ登ったら、階段の上で振り返り、北の花壇、彫刻、壷、冠(の泉水)、ピラミッド(の泉水)、それにネプテューヌ(の泉水)から(こちら側に)見えるものを観望し、そして、入ってきたのと同じ出入口を通って庭園を後にするように。」
海神トリトンたちとイルカによって支えられた5層のピラミッドの泉水は、構造は単純ですが水が流れ落ちるととても見ごたえがあります。階段の上から眺めると、幾何学模様に整備された左右の花壇とそれぞれ1つずつ配置された冠の泉水、生垣の中のニッチ(彫像を置くためのくぼみ)に配置された彫像、三角形に剪定された木々、今まで見てきたネプチューヌの泉水の水柱からピラミッドの泉水に至る一連の泉水群が一望できます。冠の泉水は2人ずつのトリトンと人魚が中央の冠を支えているデザインの泉水で、近くで観察したければ階段に至る前に2つあるうちのどちらかへ寄ってみるのも良いでしょう。
庭園を出るには少々遠いですが左手に城館を見ながら進み、左に曲がって南の花壇を右手に進み出場します。お疲れさまでした!

さてルイ14世の案内で庭園を巡ってきましたが、ルイ14世の意図としてはやはり水の効果が重要であることは明らかです。しかし現代の機械力をもってしても噴水の稼働にはかなり経費がかかるようで、噴水が稼働するのは夏期の休日、しかも全てが稼働するのは15時半から17時までの1時間半しかありません。私は少し庭園に詳しく体力がある方ですが、それでも全ての行程を回るのはかなり厳しいです。そこで、私なりにプランを考えてみました。現在の入り口から効率的に回れるよう、3のオランジュリーを上から見るところからスタートします。
・ルイ14世の栄光コース
3-1-2-4-5(オランジュリーは省略)-6-7-8-9-10-11(サテュルヌの泉水から進んで高い方から入り通り抜ける)-12-13-14-15-16-19-20-21-22-23-24-25-余力があればオランジュリーへ下りる
・かいつまんでじっくり見学コース
3-1-2-8-7-10-12-13-15-20-21-22-23-24-25
最後のネプテューヌの泉水からピラミッドの泉水に至るまでが非常に見ごたえがありますので、何とか時間内に最後までたどり着きたいところです。
また夏期の土曜日の夜は花火大会があり、花火開始前は20時ごろから噴水が稼働しますので、それに行くのも手でしょう。

以上、3回にわたって庭園の案内をお送りしました。皆様も是非、噴水の稼働する夏期の休日を狙ってヴェルサイユを訪れてみて下さいね。
次回は先週行ってきた南仏旅行の活動報告です。