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フランス南西への旅①ボルドー編

31 10月 2019
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ペイ・ベルラン塔から見たボルドーの街並み

今週はヴェルサイユを離れフランス南西部に来ています。昨日までボルドーに滞在、今はスペイン国境近くのサン=ジャン・ド・リュズにおります。
今回は旅行途中につきいささか簡略的ではありますが、ボルドーの街と訪れた施設を紹介します。

そもそもなぜ今回ボルドーに来たかと言いますと、師匠パトリックの紹介でボルドー地方音楽院の教職コンクールに際する生徒役を担当するためでした。謝礼は僅かばかりの商品券だけですが、旅費は全て出るのでまあ良いかと。
呼ばれていたのは火曜日の午前中だったので当日の朝パリを立つ予定だったのですが、前日の昼頃突然フランス国鉄からメールが来ました。なんとTGVアトランティクのストライキにより予約していた列車を始め殆どが運休となってしまったのです。色々考えた挙句、約束の時間に音楽院へ着くにはもう今日出るしかないという結論に達して、運休にならなかった最終のTGVと今夜のホテルを予約してあたふたと用意を開始…。
21時頃ボルドーに着き、どこを観光できるわけでもなくそのままホテルへ直行しこの日は終了。もう少し運休が早く分かっていれば早く来て観光したのに!
翌火曜日は時間通りに音楽院へ赴きました。予め提示されていた曲目は5曲あり、ヴェストホフのソロ組曲もあってわりと譜読みに時間を取ったのですが、蓋を開けてみればヴェストホフは結局弾かずじまい。まず教職受験者のおじさんが2曲弾いた後、私ともう一人の生徒役が出てマッテイスのチャッコーナの冒頭を少しだけ弾いてレッスン風な事をして終了。その人の可否はどうなったのかわかりませんが、生徒役としてはなんだか拍子抜けでした。そもそも2人必要だったのかすら怪しい…笑。
まあそんなこんなで昼には自由となり、同じく生徒役として来たヴェルサイユ地方音楽院フルート科のクレマンと昼食を共にし、後は観光の時間となりました。彼は前日に楽譜を印刷したと言っていました。とほほ。

ボルドーはご存知ワインの生産と、ガロンヌ川河口に位置し大型船が出入りできる港を持っていることでローマ時代から栄えてきました。10世紀後半からアキテーヌ公国領となり、婚姻によってイギリスの支配下に入ったこともありましたが、百年戦争以後はフランス王国に帰属することになります。しかしその豊かさと自治力の高さからルイ14世の絶対王政確立まで度々王権に対して反発し、反王権勢力の溜まり場のようになっていました。フランス革命期には穏健派であるジロンド派の本拠地になりました。その後の大きな戦争でパリが危うくなると、一時的に政府が置かれる街として機能しました。
現在でもボルドーといえばワイン、世界中のワインファンがぶどう農家やワイン生産者の元へやってきます。
そんなボルドーですが、とにかく17-18世紀の古い街並みが魅力的です。ヴェルサイユ以上の規模と範囲を誇っていて、車や人が全て居なくなったらすぐにでもタイムスリップできそうです。どの程度かというと、現代的な車や看板があればとても浮いて奇異に見えてしまうくらい。
景観保持の努力は路面電車の線路に架線を張らず地表集電にしているといったところにも見られます。

それでは以下、滞在中に訪れた施設です。

  • ボルドー地方音楽院
  • フランスの偉大なヴァイオリ二スト、ジャック・ティボーの名を冠する音楽院です。ボルドーの街並みとは異なり現代的な建築物で、外見は上野の東京文化会館のような印象。広大な校舎で練習室がたくさんありました。隣接する聖十字架修道院をキャンパス内から間近に見ることができます。

  • アキテーヌ博物館
  • 先史時代から現代までのボルドーやアキテーヌ地方を中心とした展示を見ることができます。色々ありましたが特に印象的だったのは黒人奴隷貿易に関する展示でした。

  • ボルドー美術館
  • 15世期から20世紀までの主に絵画、一部彫刻コレクションが展示されています。ティツィアーノやルーベンスもあるので見逃さずに。ボルドーの街並みを描いた18-19世紀の作品もあり、町並みが当時からほとんど変わっていないことが分かります。

  • カンコンス広場とジロンド派の記念碑
  • トランペット城と呼ばれたかつての要塞の跡地で、19世紀に広場として整備されました。訪れた際にはたくさんの屋台が設置されていましたが常設かどうかは分かりません。西側の端にはジロンド派の記念碑と噴水があります。

  • 円形闘技場跡
  • 公共公園の近くの住宅街にひっそりと佇む、数少ないボルドーのローマ遺跡。2万2千人を収容できた巨大な闘技場でしたがフランス革命頃の町の改造によりほとんどが破壊され、現在ではそのほんの一部を見ることができます。

  • ピエール橋
  • ガロンヌ川には街の防衛上、長らく橋はありませんでした。最初の橋は1822年に完成したこのピエール橋で、赤煉瓦と砂岩による美しい橋です。架線がなく一見分かりませんが路面電車も通っています。

  • シテ・デュ・ヴァン
  • 直訳すると「ワインの首都」となりますが、ワインセンターのようなものでしょうか。曲線が特徴的なモダンの建築物です。残念ながら閉館時間が迫っていて入館を断念しましたが、ワインに関する色々な展示、講座の実施があるようです。

3つの世界遺産登録の聖堂

  • サン=スラン大寺院
  • 古い部分は11世紀初頭の建設であるロマネスク聖堂。度々増改築したようで、柱の形状が途中から異なっていたり本来は祭壇下にある地下聖堂が聖堂中央付近にあったり、主祭壇の奥は平面なのにその横の小さな聖堂はちゃんと半円形になっていたりと、なかなか迷要素の多い聖堂です。地下聖堂には4世紀頃の石棺が安置されていている他、夏季には聖堂南側の入り口から入って4-6世紀頃のキリスト教徒たちの地下墓地を見学できるようです。

  • サン=タンドレ大聖堂
  • 古い部分は11世紀、大部分は12世紀の建設によるゴシック聖堂です。ルイ14世の両親、ルイ13世とアンヌ・ドートリッシュの結婚式はこの聖堂で執り行われました。
    一番の特徴は聖堂の正面が通常の西側ではなく、司教の宮殿が位置する北側に設定されていることです。このことから西側はまるで切り落としたかのように全く装飾がありません。聖堂内部はその規模もさることながら、天井のリブ・ヴォールトの意匠が特徴的です。
    外壁は現在ほとんどが修復され新築のように真っ白になっています。
    ペイ・ベルラン塔と名付けられた聖堂北側の独立した鐘楼には登ることができます。この地域は地盤が弱く、重量のある塔と鐘の振動から聖堂を守るために独立しているのだとか。教会の塔には付き物の狭い螺旋階段を登っていくと2つのテラスがあり、今回掲載の写真のようにボルドーの街を一望することができます。

  • サン=ミシェル大寺院
  • 14世紀末から建設が開始された聖堂。やはり鐘楼が聖堂西正面の前方に独立して建てられています。この塔には登ることはできませんでした。
    聖堂内部の壁面はわりとあっさりしているなという印象です。後方のオルガン周辺の壁面だけ近年修復したのか真っ白になっていました。

この他にもまだまだ魅力的な場所がたくさんあると思います。ワインだけではないボルドー、皆様も是非足を運んでみてくださいね。
次回はさらに南西へ、ビアリッツ、サン=ジャン・ド・リュズへ旅を続けます。

ヴェルサイユ地方音楽院のオープンキャンパス

23 10月 2019
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今年工事が完了したヴェルサイユ地方音楽院のホール

昨日は天皇陛下の即位礼正殿の儀が執り行われましたね。私もネットの動画で観ましたが、日本の伝統に誇りを感じることのできる厳かな儀式に見えました。
こちらの方はというと、2週間のバカンスに入りました。去年も全く同じことを思ったのですが、始まって早々バカンスというのは何だか出鼻を挫かれるような感じがするんですよね…。

さて今回は先週行われたヴェルサイユ地方音楽院のオープンキャンパスについてご紹介します。
オープンキャンパスでは14日から18日まで連続5夜、各科の演奏による演奏会が行われました。全部は把握していないのですが、少年少女による合唱やダンスなど幼少教育部門も参加していたようです。
この演奏会は音楽院の正面奥にあるオディトリウム(ホール)で行われました。昨年はずっと工事していた建物で、私は今回初めて演奏に使用しました。古楽には響きも雰囲気も音楽院のアパルトマンの方が良いように感じましたが、照明設備も完備された綺麗なホールです。
私は第一夜と第五夜に参加しました。第一夜はミシェル=リシャール・ドラランド作曲の「ヴェルサイユの噴水」のごく一部を上演。指揮は師匠パトリックです。楽隊の編成はあまり大きくありませんでしたが、ヴェルサイユ・バロック音楽研究センターからは今年からの新メンバーを交えた歌手たちが参加し、相変わらず素晴らしい演奏をしてくれました。リハーサルは当日の午後、2時間程度やった後にホールで通しリハーサルをしたのみ。当日リハーサルで本番というプロジェクトは初めての経験でした。面白かったのはアンコール用に歌詞を差し替えたこと。ルイ14世に向けられた「最高の偉大さに敬意を表そう」を「このオディトリウムに敬意を表そう」と「クロード・ドビュッシーに敬意を表そう」(このホールがドビュッシーの名を冠しているため)に差し替えて歌われました。燦然と輝くルイ14世賛歌の音楽にドビュッシーの名が登場したのです(笑)。
第五夜はマラン・マレのトリオの一部を演奏。ヴァイオリンはパトリックと私のみ、他はリコーダー、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ギターとパーカッションの先生が当日合流しました。この先生とは今回初めてお会いしましたが、リハーサルで2回ほど通しただけで見事にパーカッションを付けてくれました。
ホールの規模はそう大きくはないので200人程度の収容力ですが、2夜とも満席だったと思います。

来週はフランス南西への旅、まずはボルドー編です。

パリ・シテ島編②ポンヌフ

16 10月 2019
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名は新橋でも今は最古の橋

今回は先週に引き続きシテ島についてのお話なのですが、ここで皆さまにお詫びです。
サント・シャペルとコンシェルジュリー、もう少し延期させてください!
というのはですね、今度こそ入るぞと思って意気揚々とサント・シャペルの入場列に並んだわけなのですが、ふと「11月からの第一日曜日は無料」の看板が目に留まったんです。そうだ、今日なら学生料金でも8€だけど来月の第一日曜日に来れば無料じゃないか!

…という経緯があったので、今回はシテ島にかかる有名な橋、ポンヌフについての紹介です。
ここはアヴィニョンの橋のように入場料はとりませんので(笑)。

ポンヌフはシテ島の西側に架かり、パリ右岸と左岸をつなぐ今も昔も重要な橋です。ポンヌフとは「新橋」という意味ですが、1578年にアンリ3世の手によって起工され、1607年に竣工した現在のパリでは最古の橋となっています。石造りの頑丈な橋で基本構造は竣工時から変わっていません。フランスには「ポンヌフのように丈夫だ」ということわざがあるそうです。
橋は右岸からシテ島の部分(7つのアーチ)とシテ島から左岸の部分(5つのアーチ)の2つからなっていますが、シテ島の陸地部分のアンリ4世騎馬像周辺も同一の意匠となっています。側面には怪人面Mascaronと呼ばれる怖い形相をした男の顔の装飾が等間隔に延々と続いていて、一つとして同じものはないように…思えます(確認はしていません)。これだけ見ていても結構楽しいですよ。
橋を実際渡ってみると、なるほど現役の橋だなあという感じなのですが、その幅の広さに注目してみてください。現在の道路部分は自動車道路の片側2車線くらいの広さはあります。大型観光バスも余裕で通過。それでいて左右の歩道部分もとても広く、ストリートミュージシャンがいても困らないほど。橋脚部分には半円形のベンチになっている休憩スペースもあります。いやそんなに長い橋じゃないですけどね…。こういった幅の広い橋の設計が、頑丈さと相まって後に架け替えられたり改造されることなく現在まで残った理由の一つでしょう。
またこの橋はパリの中心部にあるだけあって、様々な事件の舞台や芸術作品の題材になってきました。そのような事に思いを馳せてみるのも良いでしょう。

最後に、この橋はシテ島を挟んで2つの部分からなる橋だけあって、全景を良く眺められる場所は非常に限られてきます。お勧めは西側に架かるポンデザールの中央付近から見ること。今回の写真もここから撮影しています。でもここからではどうしても少し遠くなってしまうので、間近で見たいなら河岸の歩道から観察すると良いでしょう。

次回は今週行われているヴェルサイユ地方音楽院のオープンキャンパスを紹介します。

パリ・シテ島編①ノートルダム大聖堂の現況

9 10月 2019
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ノートルダム大聖堂の現在の様子

昨日はこの記事を書くためにシテ島へ赴きましたが、粒の細かい雨と風で結構濡れてしまいました。雨の日が増えてきたので、中々外を出歩く気になれず少し運動不足気味です。
シテ島へはノートルダム大聖堂の火事直後以来久しぶりに行ってみました。今回は大聖堂の現況をお伝えします。
大聖堂前のシャルルマーニュ像やポワン・ゼロがある広場、反対側のヨハネ23世広場を始め周囲は白い鉄製の囲いで覆われ、工事関係者のためのテントと事務室が多く設置されています。
木製の尖塔があった位置には火災当時のまま鉄骨の足場が組まれていますが、南側のバラ窓のところにも足場が組まれていました。その他の聖堂の側面にある窓は透明なシートで覆われています。
東側、つまり後陣部分の屋根とフライング・バットレス(外壁から外側に向かって伸びる、聖堂天井のアーチ構造を支える役割を持つ構造物)の内側には木製の枠組みが追加されていました。やはり火災の際に石材が高温にさらされたことにより強度に支障をきたしたのでしょうか。
火災直後に訪れた際は聖堂北側のクロワトル=ノートル=ダム通りは閉鎖されていましたが、現在は通行できるようになっています。この通りからよく観察できる北側のバラ窓は白い覆いが掛けられていて状態を確認することはできません。火災当時火が吹き出ていた上部の小さい窓は損傷が激しいのか木材で補強がなされていました。
以上が大聖堂の外観の現況です。修復は時間がかかるでしょうが、いつの日かまた昔のような美しい姿に戻るといいですね。そういえば尖塔と屋根のデザインはどうなるのでしょうか。18世紀にも趣味の悪い改築が行われ、19世紀の修復で原型に近い姿を取り戻しましたが歴史は繰り返されてしまうのでしょうか。

さて今回はノートルダム大聖堂以外の名所である、サント・シャペルとコンシェルジュリーについてお伝えしたかったのですが、2つの入り口が面しているパレ通りが警察によって封鎖されているではありませんか!といってもこれはノートルダム大聖堂火災によるものではなく、周囲で行われていたデモ対策だったようです。
そんなわけで、来週こそ!お伝えしたいと思います。

パリの日本食品店、京子食品

2 10月 2019
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KYOKOじゃないの?でお馴染み(私だけか)

早いものでもう10月ですね。日本では消費増税が行われましたが、果たして今後の経済はどうなるのでしょうか。
昨日、イヴリヌ県庁から新しい滞在許可証の用意ができたという旨のSMSが届きました。申請してから2か月超、もしかしたら日本にいる間フランスからのSMSが受け取れなかったのではないかと気をもんでいましたが、無事取りに行けることになり良かったです。
あと7月の始めにネットショッピングでサンダルを注文したのですが、その後なかなか発送して来ず帰国の日を迎えてしまいました。不在でも郵便局員がどこかに置いておいてくれるかなと思いきや返送されたようで、ショップから先日連絡があり再送料10£(イギリスのお店なのでポンド)かかるとのこと… サンダルがどうしても欲しかったあの暑い夏は過ぎてしまいましたが、欲しいものだったので再送を待つことにします。住所は合っているし表札も出しているのだから置いて行ってくれればいいのに!!!

さて今日はパリの日本食品店として有名な京子食品の紹介です。
パリのオペラ・ガルニエ(いわゆるオペラ座)の周辺にはジュンク堂書店、 ブックオフ、ヤマト運輸といった日本企業の店舗や、ラーメンを始めとした日本食店が多く並ぶなどまるで日本人街のようになっています。またフランスの銀行ながら日本語で対応してくれる、留学初心者には大変心強いLCL銀行ピラミッド支店 (日本人支店とあだ名されています)もまたこの地区にあります。
そんな地区の中で、日本食材を買うため私が何度か足を運んでいるのが京子食品です。大きいオペラ座通りから横に伸びるプティ・シャン通り沿いにあり、道を少し進むとすぐに「京子」の四角い看板が見えます。フランス語表記はKIOKO。KYOKOじゃないの?と思うかもしれませんが、フランス語でYはIが二つということになっているので KYOKOだと「きよこ」になってしまうのだと思います。
そんなことを毎度考えながら入店。一階は米、野菜、冷凍・冷蔵食品、調味料、お菓子や飲料などが並び、2階には乾麺やインスタント食品、各種の粉、製菓材料、食器や調理用品も売られています。そのラインナップたるや、まるで日本!ここに来れば日本食材はほぼ困らないでしょう。こんなものまで!というものがたくさんあるので、見ているだけでもとても楽しいです。私個人的に非常にポイントが高いのが蕎麦の乾麺の品揃え。私が一番気に入っている滝沢更科の十割そばがあるんですよ!温蕎麦に最適なので是非お試しあれ。
そんな品々も全てが日本産というわけではなく、野菜などはフランスやその他の国々で収穫されたものが多数売られています。やはり鮮度の観点ではどうしても日本からの輸入には限界がありますから、 日本と比較的気候や土壌が似ている場所でそれらを栽培する努力が行われているのでしょう。
値段設定は日本で買うよりはやや高いのは仕方ありませんが、それを考慮すればそれほど気にならない商品が多いと思います。それから少し前までは少額のクレジットカード利用はできなかったのですが、今では1€から対応してくれるようになりました。これはありがたい!
スタッフはフランス人、日本人が半々くらいという印象です。何か困ったことがあっても日本語で対応してくれると思いますよ。
その他詳しい最新情報はどうぞ公式サイトで。
京子食品 http://www.kioko.fr

来週はパリのシテ島についてご紹介します。ついにあのサント・シャペルに行きます!え、まだ行ってなかったのかって?(笑)