Monthly Archives: 3月 2019

ヴェルサイユ宮殿観光の手引き③

27 3月 2019
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ヴェルサイユ宮殿の代名詞、鏡の回廊

日本ではもう桜が咲いていると聞き及びますが、ここヴェルサイユでも実は咲いています。ヴェルサイユ・シャンティエ駅前の工事進展と共に桜が植えられ、木は小さいながらも元気よく咲いています。桜と花見については追って特集を組みたいと思います。
先週は学生オーケストラの本番が2回、王室礼拝堂とパリ郊外の小さな教会でありました。いやはや、とにかく終わってよかったという感じですね。これらの作品にはプロの現場でまたお目にかかりたいものです。

さて、今回のヴェルサイユ宮殿ツアーはついに宮殿の中心部へ、あの大回廊へ参ります。
カーテンが引かれた薄暗いアポロンの間を出ると再び明るい空間となり、左手にはもう既にあの鏡の回廊が私たちを出迎えていますが、焦らずまずはこの部屋をじっくりと見ましょう。「戦争の間」と呼ばれるこの部屋は回廊を挟んで反対側にある「平和の間」と対になっており、3つの空間がルイ14世の成し遂げた軍事的・民事的功績を讃える設計になっています。この部屋は特に1678年に終結したオランダ戦争が主題となっており、天井の中心には「勝利の女神たちに囲まれて雲の上に座る武装したフランス」がルイ14世の肖像が描かれた盾を持ち、周り4つの絵に雷を落としています。これらはそれぞれ当時の敵国でフランスに敗戦したオランダ、スペイン、神聖ローマ帝国と、4つ目は埋め合わせとして「反抗と不和の間で怒り狂う戦争の女神ベローヌ」となっています。4つの絵の間には2人の天使がブルボン家の家訓であるNec pluribus impar(ラテン語で多数に劣らずの意)が書かれたリボンを掲げています。壁面に目を移してみれば、アポロンの間側に大きな楕円形のレリーフ「敵を踏みしだく馬上のルイ14世」があり、上にはトランペットと月桂冠を持った名声の女神2人がルイ14世へ王冠を授けようとしており、下には鎖につながれた捕虜がいます。暖炉(使用することはできずただの飾りのようです)の蓋には女神クリオが王国のこれからの歴史を石板に刻もうとしています。
さて、十分すぎるほどルイ14世の勝利と威光を見たところで、いよいよあの「鏡の回廊」へ足を進めましょう。回廊の名前にもなっている17にも及ぶ鏡の扉は庭園を望む窓と対になっていますが、当時贅沢品であった鏡をこれだけの量使用するということはフランスの豊かさと工業力を表していました。鏡の製造はコルベールの重商主義政策の一環で設立された王立鏡面ガラス製作所(今日のサン=ゴバン社)によって行われ、この製作所はやがて当時主流であったヴェネツィア製品を凌ぐ品質を誇るようになったのです。天井には1661年の親政開始から1678年のオランダ戦争終結までのルイ14世の功績が注意深く考案された見事な配置で描かれています。この素晴らしい絵画群はずっと眺めていたいところではありますが、何にせよ天井画なので首が痛くなってくるんですよね…(笑)。車の点検で使うような寝られる台車で鑑賞してみたい!のは叶いそうにもないので、じっくり鑑賞されたい方は専門書で見られることをお勧めします。何せヴェルサイユ宮殿観光はまだまだ続くのですから。後は書いていけばキリがないので実際に行ってこの感動を味わってください、と言いたいところですが一つだけ特筆するなら、是非大理石の柱のピラスター上部にある柱頭に注目してください。これは「フランス式オーダー」というコルベールの要請でル・ブランが創作したものなのです。一見コリント式柱頭に見えますが、よく見ると左右の両端は雄鶏になっており、上にルイ14世の象徴である太陽を戴くフランス王家の紋章ユリがデザインされています。こうしてギリシャやローマから脈々と続くオーダーという建築様式に新たな形を作ることによって、芸術的に優れていたこれら古代の国々と肩を並べようとしているのです。回廊を進むと奥に平和の間があり、そこから王妃のアパルトマンが続きますが、現在修復中でこの先は私もまだ入ったことがありません。平和の間の入り口付近にはシャム使節から送られた銀製のポットが展示されています。
中央付近の鏡の扉が開いているので、そこから次の国王のアパルトマンへ進みましょう。この順路は執務室から衛兵の間へ、逆の順序で進んでゆくのをお忘れなく。「閣議の間」は元々2つの部屋であったものをルイ15世が1755年に現在のような姿へまとめたので、装飾はこれまで見てきた豪華絢爛なバロック様式とは異なり優雅で繊細なロココ様式のものとなっています。戦争の開始など1世紀以上にわたり政治的に重要な決定が行われてきたこの部屋は、革命まで政府の中枢でした。ルイ15世の小アパルトマンをこの部屋から覗くことができますが、残念ながら普段は非公開です。ツアーで見学ができるようです。
次はヴェルサイユ宮殿の中心部、国王の寝室です。今までの国王の大アパルトマンや鏡の回廊でも十分すぎるほど豪華でしたが、この部屋はとにかく金、金、金。円天井までの壁面はほぼ全て金色で埋め尽くされており、装飾は他に例を見ないほどの密度です。ベッドの周りの布は季節ごとに交換できるようになっており、これは宮廷を移動する古の国王の習慣によっています。ベッドの上部には女性に擬人化されたフランスが国王の眠りを見守るという構図になっています。このように壁面は全て金箔の装飾が施されていますが、天井は対照的にただの白い漆喰で装飾や天井画はありません。その方が壁の装飾が際立つからでしょうか…。ちなみにこの寝室ができたのはルイ14世晩年の1701年で、その後の15世と16世は小アパルトマンで就寝したためこの寝室は儀式用となりました。ここまで広く豪華な寝室は寝るにはやはり落ち着かなかったのでしょうね。
さて、次は第2控えの間である「牛眼の間」で、天井付近の帯状装飾にある楕円形の窓が名前の由来となっています。以前はこの空間に寝室と控えの間がありましたが、謁見する人数が増え手狭になったようです。壁にはルイ14世とその家族の肖像画が掛けられていますが、この部屋で特筆すべきは天井付近のフリーズにあたる帯状装飾です。化粧漆喰と金箔による格子模様を背景として活気あふれる子供たちが思い思いに遊んでいる様は、おそらく老齢になったルイ14世が若かった頃の狩りや舞踏の楽しみを思い出すためのものでしょう。
次は第1控えの間ですが、「国王の公式晩餐控えの間」として国王が宮廷人や訪問客の前で夕食を摂った部屋です。テーブルには復元されたナプキンや燭台、その周りには国王や親族、宮廷人他のための椅子が再現され置かれています。壁面の装飾は第一控えの間だけあって前の部屋よりもずっと控えめなものになっています。
次の衛兵の間にはもうほとんど装飾がなく、ただの広い空間で特に見るものはありません。唯一ある暖炉上の絵画や壁の上部にある兜や矢筒の装飾はこの場所を警備した近衛兵にちなむものです。なんだかとても物足りなく感じてしまうのは、この前の部屋たちの眩い豪華さで感覚がおかしくなってしまったせいでしょうか。
この部屋を出ると、多色の大理石が用いられた「王妃の階段」となります。対となる「大使の階段」は現存しませんが、この階段も負けないほど豪華なものです。階段の横には「東洋風衣装の人物のいる宮殿の風景」の騙し絵が掛けられ、空間に広がりを持たせています。この階段を下りずに左の扉を進むと、ルイ=フィリップ王が作ったフランス史博物館となり革命以後の歴史を絵画で見ることができますが、残念ながら旧体制時代の面影はありません。

今回は戦争の間から国王のアパルトマンまでご紹介しました。次回は一階に降りて、王女のアパルトマンを見ていくことに致しましょう。

ヴェルサイユ宮殿観光の手引き②

21 3月 2019
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王はいなくとも、玉座はなくともなお輝きあり

気がつけばもう3月も後半。日本では新生活に向けての準備をされている方も多いのではないでしょうか。
先週末は参加している学生オーケストラの1回目の本番がありました。管弦とにかく人数が多い、指揮もあまり上手な人ではない…など心労の絶えないこのプロジェクト、まともに全曲が通ったことがなかったのでどうなるやらと思いましたが、案の定諸所で事故が発生…。首席としてはそのたびに処理に当たらねばならず通常の3倍ほどの神経を使いましたね。でもこれも経験。次回は王室礼拝堂の木曜演奏会です。

さて、今週もヴェルサイユ宮殿の見学を続けていきましょう。今回は宮殿の目玉の一つ、「国王の大アパルトマン」です。
「エルキュールの間」の壁に大きく掛かっている「パリサイ人シモンの家の宴」の絵に向かって右の順路を進むと、まず最初に「豊穣の間」という小さな部屋があります。この部屋は奥の扉の先にあるルイ14世の珍重品陳列室の入り口になっており、ごく一部の招待客だけが出入りすることができました。王権には付き物のこの財宝というキーワードが「豊穣」の名の由来でしょう。緑を基調とする壁紙と贅沢に使われた金色がそれにふさわしい華やかで贅沢な雰囲気を醸し出しています。ルイ14世の催す「夜会」の際にはここで冷たい飲み物などが振舞われました。壁面にはルイ14世の後継者である4人の肖像画が掛けられており、一番右がルイ15世です。知らないと見落としがちですが、奥の扉上部の天井画に描かれている金と青色の船型の容器は王権の象徴で、大切な宴会の際に置かれました。容器の中身は王のナプキンですが、王権の象徴であるがゆえに横を通る際は全員会釈をしなければならなかったそうです。
さて、この先からが国王の大アパルトマンです。

・アパルトマンとは?
この連載でも「アパルトマン」という言葉を既に数回使用してしまいましたが、そもそもアパルトマンとは何なのでしょうか。
日本の「アパート」の語源となっている英語のapartmentのフランス語なのですが、要するに建物をいくつかの部屋に分けた住居、という意味と捉えれば良いでしょう。そしてヴェルサイユ宮殿は当然王族の住居ですから、どのアパルトマンも格式の高いものとなっています。
個々に応じて多少の相違はあるものの、構成としては衛兵の間、控えの間(2つあることが多い)、大広間、寝室、奥の間(図書室など)という5つの用途に充てられた部屋があり、奥に進んでいくごとに入室を許可される人数は減っていきます。寝室というと一番プライベートな空間のように思えますが、高い身分の者は選別した訪問客を寝室にまで入れなければなりませんでした。

さて、「豊穣の間」の次からが国王の大アパルトマンになるわけですが、「豊穣の間」は上述の通り珍重品陳列室の入り口で、入室できるのはごく一部の人であったはずです。それでは訪問客はどこからこのアパルトマンへ入るのが正しいのか?答えは、今は存在しない「大使の階段」の存在です。王女のアパルトマン見学順路の最後に置かれた模型で見ることのできるこの「大使の階段」は、有色の大理石、絵画、彫刻が見事に組み合わされたとても美しく豪華な階段でしたが、ガラス窓からの明かりが乏しく次第に使用されなくなったことや、強度上問題があったことからルイ15世治世下の1752年に取り壊されてしまいました。
そんな今はなき階段に思いを馳せながら、最初の部屋である「ヴィーナスの間」へ入ります。第一控えの間にあたるこの部屋の名はギリシャ神話の美の女神と、明けの明星である金星とのどちらの意味も持っており、天井画の中心にはこの部屋の主題であるヴィーナスが、その周りにはそれぞれ神話の世界が描かれています。他の部屋や庭園もそうであるように、神話に登場する神々の威光を借りることによって権力を象徴しているのです。また長方形の部分には古代の英雄に関する場面が描かれていますが、これはルイ14世の出来事の婉曲表現に他ならないわけです。正面には古代ローマ風の衣装を着たルイ14世の彫像がありますが、これは左右の騙し絵の中にある彫像と対応しているという仕掛けになっています。
次の第二控えの間にあたる「ディアーヌの間」は、狩猟の女神であるディアーヌが主題となっています。宮殿内で「狩猟」という主題が度々登場するのは、もちろん王が狩猟好きであったことに由来するものです。規則正しく組み合わされた大理石やそれぞれの絵画もさることながら、この部屋で美しいのは中央に置かれたイタリアの巨匠ベルニーニ製作のルイ14世胸像でしょう。小さいながら、国王が若く最も美しかった姿を私たちに伝えてくれます。ルイ14世の「夜会」ではこの部屋はビリヤード場となり、国王の巧みなプレーに皆が拍手を送ったことから「拍手の部屋」とも呼ばれているそうです。
さて、次は「マルスの間」。長方形の少し大きなこの部屋は衛兵の間であり、「軍神マルス」という主題と「衛兵」が意味づけされています。主役は天井画の中心で狼に引かれた戦車に乗っており、それを中心に戦争に関連する絵画として西側に「豊穣と至福を従えたエルキュールが支える勝利の女神」、東側に「地球の権力を支配する恐怖、怒り、そして激しい不安」を見ることができます。こうして勝利や恐怖を与える軍神マルスですが、一方でマルスはフランス語で3月を意味する単語でもあります。この2重の意味から、冬の終わりと春の訪れによって花々が咲く=戦争の終わりと平和の訪れによって芸術が発展するという意味づけがなされました。暖炉を挟んで両側の壁面には対になる大きな絵が掛けられ、左側はフランス人画家シャルル・ル・ブラン作、右側はエルキュールの間にもあったイタリア人画家ヴェロネーゼ作です。これは国王が庇護するフランス・バロックとイタリア・バロックの対決であり、軍配はもちろんフランス人画家のル・ブランに上がりました(見え見えの出来レースですね)。ルイ14世の「夜会」ではこの部屋は舞踏のために使用され、暖炉の左右には楽団を配置できる場所がありましたが1750年に取り壊されました。楽士としては残念。
さて、衛兵の間を通ることができたなら、次は寝室です。「メルキュールの間」は国王に謁見することができる間であり、その折には直接請願書を手渡すことが許されていました(実際に読まれ内容が実行されるかはともかくとして。)この開かれた宮廷というスタンスこそ、多くの人々がヴェルサイユを目指した理由の一つです。しかしここは儀式用の寝室であり、実際に寝室として使われることは一部の例外を除いてありませんでした。今日置かれている寝台はオリジナルではなく、以前はアポロンの間に置かれていたものを後にルイ=フィリップ王が移動させて設置したとのことです。天井画は雄鶏が引く戦車に乗ったメルクリウスを中心に、周りにヴィーナス、科学、芸術が擬人化され描かれています。ここでも国王は芸術、科学、また文化の庇護者であることを物語っており、円天井部分の絵はそれぞれルイ14世の功績を古代の出来事に重ね合わせたものです。調度品はルイ14世時代からもう既に戦費調達目的で金銀の装飾が供出されたのに始まり、殆どオリジナルのものはありませんが、傍らにある精巧な振り子時計だけは革命前にもこの部屋にあったものです。なおこの部屋と次のアポロンの間は壁紙の日焼け防止のためかいつもカーテンが引いてあり薄暗く、立ち入れる場所もわずかで混み合うため他の人と接触しやすいです。スリなどの犯罪にも注意しましょう。
次はついに玉座のある「アポロンの間」です。自らを太陽王として太陽神アポロンと結び付けていたルイ14世の玉座の間ですから、この主題の選択は必然的でしょう。当初の玉座は高さが2.6mもあるものでしたが、これも戦費調達のため供出されてしまいました。ガイドブックには木製の肘掛椅子が置かれている写真が載っていますが、近頃は何もなく後ろにタペストリーがあるのみです。天井画は4頭の馬に引かれた黄金の戦車に乗るアポロンが、擬人化された四季とフランスが傍らで見守る中で世界を夜明けへと導いています。円天井の四隅にはヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、アジアが擬人化され描かれており、中央にいるアポロン(ルイ14世)が全世界を従える様が表現されているのです。装飾もこの上なく豪華で、見ていて飽きることがありません。そして壁面に目を向けてみれば、かの有名なルイ14世の肖像画が対面のルイ16世と共に、私たち訪問客を今日でも出迎えてくれます。

今週は国王の大アパルトマンを中心にご案内しました。次回はいよいよ、世界で最も美しいあの回廊へ参ります。

ヴェルサイユ宮殿観光の手引き①

13 3月 2019
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もうどこを撮影してよいか分からないほどの豪華さを誇るエルキュールの間

春の嵐というのはフランスにもあるようで、今週は風が強い日が多かったり、天気が急変する日が多いです。一昨日は少しですが雹が降りました。
先週はオーヴェルニュから帰ってすぐに学生オーケストラのプロジェクトが始まりました。「王立音楽アカデミーの不評に終わった作品たち(Les échecsとはつまり失敗作という意味ですが…良い訳が思いつきませんでした)」というタイトルで、シャルパンティエの《メデ》、ジャケ・ド・ラ・ゲールの《セファルとプロクリス》、アンリ・デマレの《テアジェーヌとカリクレ》の抜粋を演奏しています。今回も光栄なことにコンサートマスターを務めさせていただいているのですが、管弦共々とにかく人数が多くて大変…。ニュアンスはおろか、装飾の有無一つとっても突き合わせるのが至難の業です。昔はいったいどうやって規律ある演奏をしていたのかと、リハーサルをしながら思いを馳せる日々です。しかもバカンスが明けたので、今週のリハーサルは木曜のみ…。はてさてどうなることでしょう。

さて、今週から皆様お待ちかね?のヴェルサイユ宮殿をめぐるシリーズをお送りしたいと思います。
形態としましては、観光の順路に沿って各所説明を加えていき、私ならではのコメントをしていきたいと思います。詳しい歴史や絵画、調度品の由来などは書くとキリがありませんので、専門書へ譲ることとします。

・見学の前に!
①後述のようにチケット売り場はありますが、連日世界中から観光客が訪れるためヴェルサイユ宮殿はいつも混み合っています。公式ウェブサイトからチケットを入手でき、入口でスマートフォンのチケット画面を提示すれば売り場に並ぶ必要がなくなるのでお勧めです。
②スマートフォンアプリで「Versailles 3D」と検索すると、外観のみながら各年代のヴェルサイユ宮殿の姿をスマートフォン画面上で見ることができます。今日の姿と画面の中の昔の姿を比べながら見てみるととても面白いですよ。

・それでは宮殿へ
RERC線のヴェルサイユ・リーヴ・ゴーシュ駅を降りると目の前にバス停やマクドナルドがあります。まず通りを右に進んで、次の交差点を左に曲がると、何かと見間違うことは絶対にないあのヴェルサイユ宮殿が現れます。通り沿いの右手には大厩舎(馬車博物館と馬術学校)、左手には小厩舎(予約すればツアーにて見学可能な彫刻収蔵館と修復所、建築学校)があります。
宮殿前に付き、まず目に留まるのはルイ14世の騎馬銅像です。この像はルイ=フィリップ王の治世下である1836年に宮殿内で展示されるために作られたものでしたが、2009年に修復の上宮殿前に設置されました。意外と最近なんですね。
第一の柵と門の前の広場を「プラス・ダルム」といいまして、要するに兵隊が集う場所という意味ですが、今日では主に駐車場になっています。第一の門にあるテントで保安上の理由により、カバンを開けるよう要求されます(楽器ケースを開けるように言う人もいます笑。)
テントをくぐると、左右に縦長の建物があります。ここから第2の門までの広場を「栄誉の中庭」といいます。右が「北の閣僚翼棟」、左が「南の閣僚翼棟」と呼ばれ、18世紀には名の通り政府の閣僚たちが生活していました。現在は右側は年間パスポート販売とガイドツアーのための棟、左側が案内所と一般チケット売り場、あと実はお土産売り場があります(正殿内にもありますが、この棟の方が穴場です。)
ちなみに南の 閣僚翼棟にはグランコミューン(厨房がある正方形の施設)へ抜ける地下道があり、普段は柵で閉鎖されていますがここを通るツアーがあるようです。参加してみたい!
さてチケットを手に、いよいよ正殿の見学を始めます。正殿正面には左右に対となるギリシャ神殿風のファサード(面)を持った棟があり、右がガブリエル棟、左がデュフール棟といいます。グループツアーを除く宮殿観光は左の「A」と書かれたデュフール棟からアクセスし、グループツアーや演奏会などは右の「B」と書かれたガブリエル棟です。正面の金色の門からは入れません笑。
これら2つの棟についてあまり言及しているウェブサイトがないので少しだけ紹介しておきますね。
右のガブリエル棟はルイ15世の治世末期である1771年から、正面のファサードを改造する目的で壮大な構想が練られましたが、王国末期の財政難のため途中で頓挫し現在の姿になりました。内部の階段は作られることなく時は流れ、約200年後の1985年になってようやく内部が完成しました。アツいですね!
一方の対となるデュフール棟は、ガブリエル棟の建設によって左右の景観が崩れたのを嘆いたナポレオン1世が左右対称となるべく建設を命じたのに始まり、その後の復古王政期の1821年に工事が終了しました。しかし左右対称となったのはファサードのみで翼棟自体は今日も左右対称ではなく、正面もペディメント(破風と呼ばれる、円柱上部の3角形の部分)の彫刻は今も空白のまま未完成です。費用対効果は大きいと思うのですがいつかは作るのでしょうか…。
さてデュフール棟から中に入りチケットの提示が済むと、まるで空港のような保安検査場があります。その先には無料のオーディオガイド貸し出し窓口、地図などが置かれた案内所があります。
さて、では見学を始めましょう!(まだ始まっていなかった…)
順路としては、中庭を横切って向かい側に進むのが一応正しい順路のようですが、先に正殿の一番奥にある正面の扉から入って王女たちのアパルトマンを見ることも可能です。
王の中庭と呼ばれる広場を横切って向かい側のガブリエル棟に入ると、まず右手に王室礼拝堂があります。残念ながら一般観覧の際は立ち入ることができず薄暗いですが、演奏会の際は素晴らしい彫刻や天井画を見ることができます。後の順路で2階部分からも見られます。
あ、ちなみに順路を進んでいくとなかなか化粧室がないので、礼拝堂手前の化粧室には不安があれば入っておきましょう。
順路を進むと左手にヴェルサイユ宮殿の歴史に関する展示室が続きます。宮殿の増築の様子が興味深い3D映像で流れていて、オーディオガイドから自動で各言語による音声が流れる仕組みになっています。他には王族の肖像画、ヴェルサイユやその他宮殿の眺望を描いた当時の絵を観ることができます。最後の部屋には宮殿修復の様子の映像も流れていて、まさにヴェルサイユは1日で成らず、今日もその歴史が続いていることを認識させられます。
階段を上った先には王室歌劇場へ続く廊下がありますが、歌劇場も一般観覧はできません。通路を進むと企画展示室があり、少し前まで「ルイ=フィリップ展」が催されていました。現在は目下片付け中です。
通路を進むと「礼拝堂の間」があり、巨大な円柱が立ち並ぶ広々とした空間の中で、金箔の装飾が施された礼拝堂の扉は一際目を惹きます。午前10時から始まるミサに備えて正殿からやってくる国王を一目見ようと、ここに人々がひしめき合っていたとのこと。
さて、次はエルキュールの間です。ご覧ください、この眩いばかりの輝き!!!宮殿を訪れる客人を驚かせようと、ルイ14世が最晩年に造ったご自慢の部屋です。1710年に現在の王室礼拝堂が完成するまで礼拝に使用されていたこの空間に、様々な色の大理石を用い、上部を金箔で飾り、壁面にはヴェネツィア共和国から同盟の証として寄贈されていた「パリサイ人シモン家の宴」が堂々と飾られました。その向かいには人間が立ったまま入れそうなほどの開口部を持つ巨大かつ豪華な暖炉があります。天井画には先代の遺志を継いだルイ15世がフランソワ・ルモワーヌに描かせた、一室の天井画としては他に類を見ない大作である「エルキュールの神格化」がこの部屋の性格を決定づけています。約3年の月日を費やして彼はこの作品で成功を収めたにも関わらず、製作の心労が重なって直後に自殺してしまったそうです…。
昨年皇太子殿下が来訪された際の晩餐会に使われた部屋もこのエルキュールの間だったそうですよ。

さて、いよいよここから国王のアパルトマンに入っていくわけですが、それはまた次回のお楽しみ…。

クレルモン=フェランとオーヴェルニュ地方

7 3月 2019
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我が領地オーヴェルニュよ…(違)

先週の予告でヴェルサイユ宮殿のシリーズを始めるとしていましたが、今週旅行に行くことを忘れていたのでこのシリーズは来週からにしたいと思います。
月曜日から3日間、ヴェルサイユを離れオーヴェルニュ地方に滞在していました。音楽院のヴァイオリンの同僚に招待を受けたのがきっかけでした。この人は実は元来貴族の家柄で、家族はとても大きな家と土地を持っていたのです。
この家はアルトンヌという小さな町にあるのですが、せっかくなのでその前に少し足をのばしてクレルモン=フェランへ観光しに行きました。
パリからアンテルシテに乗車して3時間半の道程を終点までゆったりと行くつもりが、パリを発ってすぐに機関車の調子が悪くなったと放送があり途中の駅に停車したり徐行したり。そしてついにはいきなり運転打ち切りになり、乗客全員後続のアンテルシテに乗り換えさせられました。座席が足りたからよかったものの、満席で立ち客が出たらどうするつもりだったんでしょうか…。
まあ今回はゆったり旅なのであまり気にかけずにいると、お詫びのお弁当が配布されました。こんなのあるのか。中身は簡素で、サラダの缶詰とお菓子、水など。せっかくなのでいただきました。結局到着は約2時間遅れ、運賃は公式サイトで25%払い戻し。日本なら全額ですけどね。
クレルモン=フェランに着き、まずはロマネスク様式のノートルダム=デュ=ポール寺院へ。トゥールーズで見たサン=セルナン寺院を思い出しました。ロマネスク様式は飾り気はあまりないけれど、素朴でどこか懐かしいような印象を受けるんですよね。後陣の外部壁面に花の模様が描かれているのがこの地方の特徴のようです。月曜日の午後なので、聖堂内は自分一人。せっかくなのでグレゴリオ聖歌を少し歌ってみました。うーん、極上の響き…。祭壇の下には地下聖堂もありました。
クレルモン=フェランは周囲を火山に囲まれており、建造物は豊富にある黒い火山岩が多く用いられています。ノートルダム=デュ=ポールは塔を除いてはほとんど白色でしたが、次に訪れたゴシック様式の被昇天聖母大聖堂は黒く重厚感のある聖堂です。見慣れたガーゴイルも黒いとなんだか恐ろしい…。
中に入ると、外陣から内陣奥まで連なるヴォールトが圧巻です。黒いのが余計に存在感を放っているのでしょうか、先程までロマネスク様式の素朴な聖堂にいただけに、その違いは甚だ大きく感じられました。しかしステンドグラスは周囲とは対照的に至って繊細です。
ちなみにこの聖堂はラモーが1702年から4年ほどオルガニストを務めていました。西側の内部壁面にしっかり彼の名のプレートがあります。
2つの聖堂を見て、少し散策したかったのですがあいにく春の嵐で風が非常に強く、聖堂で休憩をしてから移動することに。クレルモン=フェランの駅から2両の流線形ディーゼルカーに乗ってオビアというとても小さな駅に降り立ちました。ホームと待合室があるだけのローカル線の駅、今にも日本のディーゼルカーが来そうです。
同僚の車に揺られること数分、ひたすら田園地帯を走った先の小さな町に着き、丘を上がっていった先に彼らの邸宅はありました。
家の広さもさることながら、驚いたのは馬が2頭いたこと…。しかし後で家の紹介を受けたら実はそれだけではありませんでした。畑あり、果樹園あり、フランス式庭園あり、噴水あり…。ないものはないといった感じです。
中に入ると、大勢の子供達に出迎えられました。同僚の兄弟のうち一人の子供が8人兄弟とのことで、とても賑やかです。夕食も囲炉裏…ならぬ暖炉を囲んでの楽しいひと時になりました。家長である同僚のお父様にもお会いしました。元軍人で除隊後はロマネスク建築を研究されていたそうで、もう80-90代のお歳だからかとても穏やかに話す方でした。
2日目はヴォルカン・ドヴェルニュ自然公園内のゲリー湖周辺でハイキングをしました。まだ雪が残る中、スキー場になっている山中を通常装備で歩くのは少し難儀でした…笑。特に途中から道なき道を歩き出してしまって、雪深く足がはまることも幾度か。でも景色は良かったです。
最終日の水曜日は午前中に同僚と初見大会をした後、夕方に例の馬たちと触れ合いました。まずはお世話。猫の毛繕いはしたことがありますが馬は初めてです。馬具をつけた後、周囲の農道を馬を牽いて散歩しました。見よう見まねでやってみますがなかなかできません。私が逆に牽かれていましたね笑。そして途中から乗せていただきました!初めての乗馬でしたが、これは数分で慣れることができました。でも昔はこれで長距離を走ったり戦場を駆けたりしたんですよね…大変です。あたりはひたすら農地が続くばかりで近代的なものは何もなく、さながら大河ドラマの登場人物になった気分でした。
こうして3日間のバカンスは終わりました。ゆったりとした時間は良かったですが、日本の田舎にいるのと正直あまり違いはないので、留学生としてはパリやヴェルサイユの方が刺激的ですね。

今回はクレルモン=フェランとオーヴェルニュ地方についてお伝えしました。次回からはお待ちかね、ヴェルサイユ宮殿のシリーズを開始します。