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フランス南西への旅②ビアリッツ、サン=ジャン=ド=リュズ編

7 11月 2019
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大西洋に面した「処女の岩」

今回も前回に引き続き、フランス南西旅行のレポートです。
ボルドーから近郊列車TERに乗車し、大西洋沿いのリゾート地ビアリッツを目指します。
ビアリッツといえば今年の8月にG7主要国首脳会議があったことで一躍有名になりましたが、普段はゆったりとした時が流れるリゾート地です。気温も20度近くあり、終始コートを脱いで歩いていました。
国鉄の駅からバスに乗って20分ほど、バス停から歩いてまずは「処女の岩」を目指しました。途中の商店街などはまるで湘南のようで、海沿いの観光地はどこも似ているなと思いました。砂浜ではもう間もなく日が沈むというのに海水浴をしている人がちらほら。10月末ですが寒くないのでしょうか。
「処女の岩」は水族館のある岬から橋で渡った先にあり、マリア像があることからこの名がついています。まるで江の島のようですね。一面に広がる大西洋。大西洋は初めて見ました。
完全に暗くなる前にもう少し散策してみることに。「大浜辺La grande plage」には少し降りて歩いてみました。
ナポレオン三世の皇后ウジェニーの別荘を改装したホテル「オテル・デュ・パレ」に行ってみましたが、現在改装中とのこと。外観はルイ13世様式の建物ですが、それ以外は全く分からずじまい。
時間が余ったのでもう少し歩いて灯台まで行きましたが、海を見る他は特に何もありませんでした。
その後再びTERに乗ってサン=ジャン=ド=リュズヘ。この日は終了です。

ルイ14世の結婚式を見守った教会

翌日、ボルドーでの詰め込み観光が少し体に堪えたのか9時頃まで寝てしまい、ようやく行動開始。
ホテルには2泊するので極力荷を部屋に置いて、国鉄駅前からバスでラ・リューヌ山を目指します。といっても目的の大部分は山頂に登ることではなく、途中の登山鉄道に乗車すること。
1924年に開業したラ・リューヌ鉄道は今年95周年を迎え、その旨が宣伝されていました。古めかしい木製の機関車が麓側に着き、これまた木造で車体を軋ませながら走る客車2両を押し上げていきます。
ホームに入場が始まるとすかさず機関車に最も近い麓側の席を確保。え、何故かって?もちろん登坂で負荷がかかるモーターの唸りを聞きたいからです(笑)。
出発前に車両を観察してみましたが、どうも通常の線路に接する車輪には動力を伝えず、線路の間にあるラックレールと噛み合う歯車のみで坂を上っていくようです。乗務員は機関車と一番前の客車に乗り込みました。
いよいよ坂に挑みます。とても急な坂!日本にはケーブルカー以外にこんな急坂を行く鉄道はありません。見る見るうちに麓の駅が遠くなっていき、遠方にサン=ジャン=ド=リュズの街と大西洋が見えてきました。車内放送はフランス語、スペイン語、バスク語の三か国語で何か説明がありましたが、とにかくモーターの音がすごくてよく聞き取れませんでした(笑)。いいんですよ!私はこれで!
しばらくすると平坦線となり、崖と岩肌の間を抜ける模型のような線路を走っていきます。途中に対向列車と行き違いできる部分があり、みんな手を振って応えてくれました。やがて再び急勾配区間となり、山頂に到着。頂上はあいにく雲の中で景色は何も見えませんでしたが、晴れていればピレネー山脈や大西洋等が一望できるようです。
せっかくきたので晴れるかもしれないと一縷の望みをかけ、山頂の喫茶店でココアを飲んで一服しましたが結局晴れずじまい。少しだけ周辺を散策してみることにしました。といっても前述のウジェニー妃の記念碑と、放牧されている馬を見るくらいで、後はフランスとスペインの見えない国境を楽しみました。一応スペイン上陸を果たしたということで。
サン=ジャン=ド=リュズの町まで戻った後は2つ目の目的へ。それはルイ14世の足跡をたどることでした。
この小さな港町が歴史の表舞台に立ったのは1660年、若きフランス国王ルイ14世とスペインの王女マリー・テレーズの結婚式が行われたことでした。サン=ジャン=バティスト教会がその会場となりました。この教会は一部は15世紀の竣工ですが大部分は1649年に完成しましたが、装飾どころか開口部もあまりない質素な建築で規模もあまり大きくありません。実際問題として国王夫妻の結婚式を行うには参列者を迎えきれないため、木製の階上席が後方に5階、両側面に3階建てで設けられている風変わりな内部になっています。内陣の壁面は鮮やかに彩色され、祭壇の構造物は青を基調として葡萄、天使、生き物が巻き付くように装飾された円柱の間に聖人たちか配置されているという凝ったものになっています(ゴテゴテしているという方が正しいかも)。結婚式の際の絵の背景にもこの祭壇が描かれていますので、当時からあったものでしょう。祭壇に向かって右手の外壁には、かつて国王夫妻の通路としてのみ使用され、その後閉塞された部分が説明書きと共にあります。
教会から海に向かって少し歩くと、ルイ14世が結婚式に際してしばし滞在した館「ルイ14世の家」があります。建物が面している「ルイ14世広場」に木が植えられていて綺麗に写真を撮ることができないのですが、両角に張り出した部分を持つこの町ではやや凝った設計の建物です。内部見学は1日3回のツアーのみですので、訪れる際は必ずスケジュールをよくご確認ください。内部は応接間、寝室とそれなりに豪華ではありましたが、ヴェルサイユ宮殿を良く知っていると目を見張るような感動はあまりないかもしれません。ただルイ14世が若き日にここを訪れたのだなという思いには浸ることができました。
海沿いにもう少し歩いていくと煉瓦と砂岩でできた「王女の館」もありますが、こちらは地上階に一般の商店があり、観光用には開放していないようです。

次回は最終回、バイヨンヌとポー編をお送りします。


フランス南西への旅①ボルドー編

31 10月 2019
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ペイ・ベルラン塔から見たボルドーの街並み

今週はヴェルサイユを離れフランス南西部に来ています。昨日までボルドーに滞在、今はスペイン国境近くのサン=ジャン・ド・リュズにおります。
今回は旅行途中につきいささか簡略的ではありますが、ボルドーの街と訪れた施設を紹介します。

そもそもなぜ今回ボルドーに来たかと言いますと、師匠パトリックの紹介でボルドー地方音楽院の教職コンクールに際する生徒役を担当するためでした。謝礼は僅かばかりの商品券だけですが、旅費は全て出るのでまあ良いかと。
呼ばれていたのは火曜日の午前中だったので当日の朝パリを立つ予定だったのですが、前日の昼頃突然フランス国鉄からメールが来ました。なんとTGVアトランティクのストライキにより予約していた列車を始め殆どが運休となってしまったのです。色々考えた挙句、約束の時間に音楽院へ着くにはもう今日出るしかないという結論に達して、運休にならなかった最終のTGVと今夜のホテルを予約してあたふたと用意を開始…。
21時頃ボルドーに着き、どこを観光できるわけでもなくそのままホテルへ直行しこの日は終了。もう少し運休が早く分かっていれば早く来て観光したのに!
翌火曜日は時間通りに音楽院へ赴きました。予め提示されていた曲目は5曲あり、ヴェストホフのソロ組曲もあってわりと譜読みに時間を取ったのですが、蓋を開けてみればヴェストホフは結局弾かずじまい。まず教職受験者のおじさんが2曲弾いた後、私ともう一人の生徒役が出てマッテイスのチャッコーナの冒頭を少しだけ弾いてレッスン風な事をして終了。その人の可否はどうなったのかわかりませんが、生徒役としてはなんだか拍子抜けでした。そもそも2人必要だったのかすら怪しい…笑。
まあそんなこんなで昼には自由となり、同じく生徒役として来たヴェルサイユ地方音楽院フルート科のクレマンと昼食を共にし、後は観光の時間となりました。彼は前日に楽譜を印刷したと言っていました。とほほ。

ボルドーはご存知ワインの生産と、ガロンヌ川河口に位置し大型船が出入りできる港を持っていることでローマ時代から栄えてきました。10世紀後半からアキテーヌ公国領となり、婚姻によってイギリスの支配下に入ったこともありましたが、百年戦争以後はフランス王国に帰属することになります。しかしその豊かさと自治力の高さからルイ14世の絶対王政確立まで度々王権に対して反発し、反王権勢力の溜まり場のようになっていました。フランス革命期には穏健派であるジロンド派の本拠地になりました。その後の大きな戦争でパリが危うくなると、一時的に政府が置かれる街として機能しました。
現在でもボルドーといえばワイン、世界中のワインファンがぶどう農家やワイン生産者の元へやってきます。
そんなボルドーですが、とにかく17-18世紀の古い街並みが魅力的です。ヴェルサイユ以上の規模と範囲を誇っていて、車や人が全て居なくなったらすぐにでもタイムスリップできそうです。どの程度かというと、現代的な車や看板があればとても浮いて奇異に見えてしまうくらい。
景観保持の努力は路面電車の線路に架線を張らず地表集電にしているといったところにも見られます。

それでは以下、滞在中に訪れた施設です。

  • ボルドー地方音楽院
  • フランスの偉大なヴァイオリ二スト、ジャック・ティボーの名を冠する音楽院です。ボルドーの街並みとは異なり現代的な建築物で、外見は上野の東京文化会館のような印象。広大な校舎で練習室がたくさんありました。隣接する聖十字架修道院をキャンパス内から間近に見ることができます。

  • アキテーヌ博物館
  • 先史時代から現代までのボルドーやアキテーヌ地方を中心とした展示を見ることができます。色々ありましたが特に印象的だったのは黒人奴隷貿易に関する展示でした。

  • ボルドー美術館
  • 15世期から20世紀までの主に絵画、一部彫刻コレクションが展示されています。ティツィアーノやルーベンスもあるので見逃さずに。ボルドーの街並みを描いた18-19世紀の作品もあり、町並みが当時からほとんど変わっていないことが分かります。

  • カンコンス広場とジロンド派の記念碑
  • トランペット城と呼ばれたかつての要塞の跡地で、19世紀に広場として整備されました。訪れた際にはたくさんの屋台が設置されていましたが常設かどうかは分かりません。西側の端にはジロンド派の記念碑と噴水があります。

  • 円形闘技場跡
  • 公共公園の近くの住宅街にひっそりと佇む、数少ないボルドーのローマ遺跡。2万2千人を収容できた巨大な闘技場でしたがフランス革命頃の町の改造によりほとんどが破壊され、現在ではそのほんの一部を見ることができます。

  • ピエール橋
  • ガロンヌ川には街の防衛上、長らく橋はありませんでした。最初の橋は1822年に完成したこのピエール橋で、赤煉瓦と砂岩による美しい橋です。架線がなく一見分かりませんが路面電車も通っています。

  • シテ・デュ・ヴァン
  • 直訳すると「ワインの首都」となりますが、ワインセンターのようなものでしょうか。曲線が特徴的なモダンの建築物です。残念ながら閉館時間が迫っていて入館を断念しましたが、ワインに関する色々な展示、講座の実施があるようです。

3つの世界遺産登録の聖堂

  • サン=スラン大寺院
  • 古い部分は11世紀初頭の建設であるロマネスク聖堂。度々増改築したようで、柱の形状が途中から異なっていたり本来は祭壇下にある地下聖堂が聖堂中央付近にあったり、主祭壇の奥は平面なのにその横の小さな聖堂はちゃんと半円形になっていたりと、なかなか迷要素の多い聖堂です。地下聖堂には4世紀頃の石棺が安置されていている他、夏季には聖堂南側の入り口から入って4-6世紀頃のキリスト教徒たちの地下墓地を見学できるようです。

  • サン=タンドレ大聖堂
  • 古い部分は11世紀、大部分は12世紀の建設によるゴシック聖堂です。ルイ14世の両親、ルイ13世とアンヌ・ドートリッシュの結婚式はこの聖堂で執り行われました。
    一番の特徴は聖堂の正面が通常の西側ではなく、司教の宮殿が位置する北側に設定されていることです。このことから西側はまるで切り落としたかのように全く装飾がありません。聖堂内部はその規模もさることながら、天井のリブ・ヴォールトの意匠が特徴的です。
    外壁は現在ほとんどが修復され新築のように真っ白になっています。
    ペイ・ベルラン塔と名付けられた聖堂北側の独立した鐘楼には登ることができます。この地域は地盤が弱く、重量のある塔と鐘の振動から聖堂を守るために独立しているのだとか。教会の塔には付き物の狭い螺旋階段を登っていくと2つのテラスがあり、今回掲載の写真のようにボルドーの街を一望することができます。

  • サン=ミシェル大寺院
  • 14世紀末から建設が開始された聖堂。やはり鐘楼が聖堂西正面の前方に独立して建てられています。この塔には登ることはできませんでした。
    聖堂内部の壁面はわりとあっさりしているなという印象です。後方のオルガン周辺の壁面だけ近年修復したのか真っ白になっていました。

この他にもまだまだ魅力的な場所がたくさんあると思います。ワインだけではないボルドー、皆様も是非足を運んでみてくださいね。
次回はさらに南西へ、ビアリッツ、サン=ジャン・ド・リュズへ旅を続けます。


クレルモン=フェランとオーヴェルニュ地方

7 3月 2019
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我が領地オーヴェルニュよ…(違)

先週の予告でヴェルサイユ宮殿のシリーズを始めるとしていましたが、今週旅行に行くことを忘れていたのでこのシリーズは来週からにしたいと思います。
月曜日から3日間、ヴェルサイユを離れオーヴェルニュ地方に滞在していました。音楽院のヴァイオリンの同僚に招待を受けたのがきっかけでした。この人は実は元来貴族の家柄で、家族はとても大きな家と土地を持っていたのです。
この家はアルトンヌという小さな町にあるのですが、せっかくなのでその前に少し足をのばしてクレルモン=フェランへ観光しに行きました。
パリからアンテルシテに乗車して3時間半の道程を終点までゆったりと行くつもりが、パリを発ってすぐに機関車の調子が悪くなったと放送があり途中の駅に停車したり徐行したり。そしてついにはいきなり運転打ち切りになり、乗客全員後続のアンテルシテに乗り換えさせられました。座席が足りたからよかったものの、満席で立ち客が出たらどうするつもりだったんでしょうか…。
まあ今回はゆったり旅なのであまり気にかけずにいると、お詫びのお弁当が配布されました。こんなのあるのか。中身は簡素で、サラダの缶詰とお菓子、水など。せっかくなのでいただきました。結局到着は約2時間遅れ、運賃は公式サイトで25%払い戻し。日本なら全額ですけどね。
クレルモン=フェランに着き、まずはロマネスク様式のノートルダム=デュ=ポール寺院へ。トゥールーズで見たサン=セルナン寺院を思い出しました。ロマネスク様式は飾り気はあまりないけれど、素朴でどこか懐かしいような印象を受けるんですよね。後陣の外部壁面に花の模様が描かれているのがこの地方の特徴のようです。月曜日の午後なので、聖堂内は自分一人。せっかくなのでグレゴリオ聖歌を少し歌ってみました。うーん、極上の響き…。祭壇の下には地下聖堂もありました。
クレルモン=フェランは周囲を火山に囲まれており、建造物は豊富にある黒い火山岩が多く用いられています。ノートルダム=デュ=ポールは塔を除いてはほとんど白色でしたが、次に訪れたゴシック様式の被昇天聖母大聖堂は黒く重厚感のある聖堂です。見慣れたガーゴイルも黒いとなんだか恐ろしい…。
中に入ると、外陣から内陣奥まで連なるヴォールトが圧巻です。黒いのが余計に存在感を放っているのでしょうか、先程までロマネスク様式の素朴な聖堂にいただけに、その違いは甚だ大きく感じられました。しかしステンドグラスは周囲とは対照的に至って繊細です。
ちなみにこの聖堂はラモーが1702年から4年ほどオルガニストを務めていました。西側の内部壁面にしっかり彼の名のプレートがあります。
2つの聖堂を見て、少し散策したかったのですがあいにく春の嵐で風が非常に強く、聖堂で休憩をしてから移動することに。クレルモン=フェランの駅から2両の流線形ディーゼルカーに乗ってオビアというとても小さな駅に降り立ちました。ホームと待合室があるだけのローカル線の駅、今にも日本のディーゼルカーが来そうです。
同僚の車に揺られること数分、ひたすら田園地帯を走った先の小さな町に着き、丘を上がっていった先に彼らの邸宅はありました。
家の広さもさることながら、驚いたのは馬が2頭いたこと…。しかし後で家の紹介を受けたら実はそれだけではありませんでした。畑あり、果樹園あり、フランス式庭園あり、噴水あり…。ないものはないといった感じです。
中に入ると、大勢の子供達に出迎えられました。同僚の兄弟のうち一人の子供が8人兄弟とのことで、とても賑やかです。夕食も囲炉裏…ならぬ暖炉を囲んでの楽しいひと時になりました。家長である同僚のお父様にもお会いしました。元軍人で除隊後はロマネスク建築を研究されていたそうで、もう80-90代のお歳だからかとても穏やかに話す方でした。
2日目はヴォルカン・ドヴェルニュ自然公園内のゲリー湖周辺でハイキングをしました。まだ雪が残る中、スキー場になっている山中を通常装備で歩くのは少し難儀でした…笑。特に途中から道なき道を歩き出してしまって、雪深く足がはまることも幾度か。でも景色は良かったです。
最終日の水曜日は午前中に同僚と初見大会をした後、夕方に例の馬たちと触れ合いました。まずはお世話。猫の毛繕いはしたことがありますが馬は初めてです。馬具をつけた後、周囲の農道を馬を牽いて散歩しました。見よう見まねでやってみますがなかなかできません。私が逆に牽かれていましたね笑。そして途中から乗せていただきました!初めての乗馬でしたが、これは数分で慣れることができました。でも昔はこれで長距離を走ったり戦場を駆けたりしたんですよね…大変です。あたりはひたすら農地が続くばかりで近代的なものは何もなく、さながら大河ドラマの登場人物になった気分でした。
こうして3日間のバカンスは終わりました。ゆったりとした時間は良かったですが、日本の田舎にいるのと正直あまり違いはないので、留学生としてはパリやヴェルサイユの方が刺激的ですね。

今回はクレルモン=フェランとオーヴェルニュ地方についてお伝えしました。次回からはお待ちかね、ヴェルサイユ宮殿のシリーズを開始します。