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スイス鉄道乗りまくりツアー②

27 8月 2020
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ブリエンツ・ロートホルンの山頂からブリエンツ湖を望む、遥か下に列車が見える

先週イタリアから帰ってきたら、フランスはすっかり涼しくなっていました。スイスに行く前はとても暑かったのですがもう秋の到来でしょうか。
さて、今回はスイス旅行の後編です。
インターラーケンを後にし、今回一番の目的であったブリエンツ・ロートホルン鉄道へ。標高2000m級のブリエンツ・ロートホルンまで行く登山鉄道で、電化が早くから進行したスイスにおいて唯一現在でも定期列車として蒸気機関車を運行している鉄道です。麓側に勾配に対応すべく前傾して造られている小さな蒸気機関車が付き、前に客車が基本2両連結されます。

前傾した形状の愛らしい蒸気機関車

小さいながらユングフラウ鉄道と同じ250パーミルの急勾配を登る蒸気機関車は何とも健気で可愛らしく、乗客も大半はやはり蒸気機関車を求めてやってくるようですね。旧来からの石炭炊き機関車もありますが、現在の主力は1990年代に製造されたオイル炊きの機関車で、これは1人で運転できるそう。できればやはり石炭炊きの機関車が良い気持ちもありますが、いつ運転するか分からないので最初の蒸機列車に乗りました。というのはダイヤ上の始発に乗ると少し安い運賃が適用されるのでそれを狙って行ってみたのですが、ディーゼルだったので次の列車を待つことにしたのです。最初の蒸機列車を待つ間は機関車単体での入れ替えや、客車の連結シーンを見られるのでおすすめですよ。歯車を持つ走行装置の機構の美しさに見とれます。出発するとしばらくはトンネルがあったりしますが、やがて広い草原に出てS字を描きながら頂上に向かって登って行きます。ここでは前方、あるいは後方に続行している列車や反対方面の列車を遠目に見つつ、眼下にブリエンツ湖が見えてきます。頂上駅には姉妹鉄道である日本の大井川鐵道との友好を示すプレートや古い機関車のボイラーの展示があり、少し歩くとレストランや土産売り場、展望台があります。展望台には機械の熱を求めているのか何故か大量の羽アリがいてあまり長居できず…。ちなみに山の裏側にはロープーウェイがあり、反対側の麓に下りることもできます。

ヨーロッパ最古の木造橋

その後中世の街並みが残る小さな都市ルツェルンに移動。ホテルに荷物を置いて日没まで観光を少ししました。
1993年に火災に見舞われましたが、14世紀に架けられたヨーロッパ最古の木造橋であるカペル橋の天井にはルツェルンの歴史が描かれている絵の連作があります。しかしドイツ語でしか説明がないので雰囲気だけしか分からず、おまけに逆順の旧市街側から渡ってしまいました。絵を見るなら駅がある方から渡りましょう。
聖堂巡りは高い天井と豪華な祭壇が美しいホーフ教会、白い内装にピンクや金色の華やかなバロック装飾が施されたイエズス会教会、小さいながら中世のフレスコ画と精巧な木彫があるフランシスコ会教会に行きました。ルツェルンはスイスの中でもカトリックを維持し、反宗教改革の拠点になっていた街です。
ヴェルサイユに関係があるものとして見ておくべきものは瀕死のライオン像です。氷河に削り取られた砂岩の岩壁に1821年に彫られた彫刻で、フランス革命時のテュイルリー宮殿襲撃とその後に非業の死を遂げたスイス衛兵たちの忠義を讃えています。負けると分かっていながら最後まで戦ったスイス衛兵たちを矢が刺さったライオンに見立て、フランス王家の紋章が入った盾をなおも守ろうとしている姿は寓意ながら胸を打ちます。スイス衛兵たちの悲劇の詳細をネットで調べつつ合掌。
1386年建造で見張り台と共に当時のまま残るムゼック市壁は少し丘の上にあります。頑張って時計塔に登ってみたらちょうど正時になり鐘が鳴りました。塔の上からは美しい街並みとルツェルン湖、遠くに次の日登るピラトゥス山などが一望できます。

まるでケーブルカーのようなピラトゥス鉄道

翌日はまた鉄活動。まずは昨日遠くに見たピラトゥス山に上るためのピラトゥス鉄道に乗車します。というか鉄道が目的なんですけどね。
ブリエンツ方向へ少し戻ったアルプナハシュタット駅の山側にある駅から出る、まるでケーブルカーのような平行四辺形型の車両を持つ路線ですが、これはケーブルカーではなく線路の間に歯車を持つラック式鉄道の一種で、最勾配は驚異の48パーセント!!!これだけの急勾配ですから歯車が絶対に外れないよう、地面に対して平行に、歯車レールを双方から挟み込むように歯車が取り付けられるロッヒャー式という世界でも唯一の機構が採用されています。この機構のために通常の鉄道のような分岐が作れず、車両ごと水平に移動したり分岐部分がひっくり返る特殊な分岐が使われているのも面白いです。
経験したことのない勾配の鉄道ですから、発車してすぐに麓の街並みが小さく見えてしまいます。なお1両が小さいため基本的に複数の列車が続行しますので、前方の列車を追いかけたり後方の列車に追われたりしながら進みます。アルプナッハー湖、ルツェルン湖を眼下に見つつ、終盤は荒々しい岩肌の崖が周辺にそびえたちます。崖にしがみつくように敷設された線路を行き、終点に到着。
イエス・キリストの死刑を決定したローマの総督ポンテオ・ピラトの霊がたどり着いたという伝説があるピラトゥス山。山頂駅からいくつかの峰に登れるので、近くにある難易度の低そうなところを3つ挑戦してみました。眼下に広がるルツェルンの街、2つの湖、平野、山脈と絶景が広がります。途中の鉄道が目的でしたが登った甲斐がありました。
ルツェルンに戻り、今度はスイス交通博物館へ。旧市街から少し離れたところにあるので、湖畔に沿って散歩しながら行きました。ここはすごい!鉄道の展示はもちろんのこと、「交通博物館」の名の下にロープーウェイ、自動車、船舶、航空宇宙、果てはソリやボブスレーまであり、全てが網羅されている博物館は一日いても飽きないと思います。鉄道は国鉄の車両はもちろん、ユングフラウやブリエンツの機関車、ピラトゥスで開業時に使用されていた蒸気動車の展示もあり、また近年完成したゴッタルド・ベーストンネルに関する展示が広くとられていました。あと特筆すべきはその多くが体験型であること。多くの車両に入ることができるのはもちろん、シュミレーター、手で動かして構造を理解するための模型、中庭では工事現場を模したエリアで小さなショベルカーや石を運搬するベルトコンベアで遊ぶことができます。子供向けですが私も少しやってみました(笑)。こうやって子供たちに遊ばせながら交通に関する知識を学ばせ、将来の人材育成につなげようという姿勢が感じられました。

フルカ山岳蒸気鉄道の蒸気機関車

最終日はフルカ峠を走るフルカ山岳蒸気鉄道に乗車するため、ルツェルンから南下。昨日博物館の展示で見た鉄道の難所ゴッタルド峠を途中まで登り、ゲシェネン駅でゴッタルド鉄道トンネル(新しいゴッタルドベーストンネルではない)の坑口を見つつ、赤と白の鮮やかな塗装の小さな車両を持つマッターホルン・ゴッタルド鉄道に乗り換え、レアルプ駅を目指します。途中からは有名な氷河特急のルートでした。レアルプ駅に着き、進行方向に歩いていくと右手にフルカ山岳蒸気鉄道の車庫と駅舎が見えてきます。
フルカ山岳蒸気鉄道は、1982年に開通した現行線のフルカベーストンネルに置き換えられ一度廃止されたフルカ峠を越える旧線のルートを有志により復活して夏期のみ運行している保存鉄道です。廃止から10年ほど経った1992年から徐々に区間を伸ばし、オーバーヴァルトまでの全区間が開通したのは2010年。その名の通り基本的には蒸気機関車による牽引で、かつての難所に果敢に挑んでいきます。
座席はインターネットで予約していきましたが、客車に行って見ると窓に予約者リストが貼り出されていて、座席には名前が書かれたシールが貼ってありました。しかもローヌ氷河が見られる右側の座席!早く予約しておいて本当に良かった。
現行線ではオーバーヴァルトまで20分程度で着いてしまいますが、このフルカ山岳蒸気鉄道で行くと途中休憩を含め2時間10分かかります。それだけ現行線では失われた雄大な景色や蒸気機関車の奮闘を楽しめるということです!
ちなみに使われている客車は西部劇に出てくるような乗降口が屋外に設けられているタイプで、車両間を行き来する際は非常にスリリングです(笑)。指定席なので車両を移動する必要はないのですが、なかなかできない経験なので通ってみました。フルカ駅で飲食の販売があり、おじさんが美味しそうなソーセージを焼いていたので迷わず購入。こうやって運賃収入だけでなく付帯事業で収入を稼いでいるのですね。ローヌ氷河はレアルプから乗車すると終盤に見えてくるのですが、如何せん氷が殆どなく浸食された岩肌が見えるばかりでした…。全線乗車して大満足!今後も是非活動を継続していってほしいです。
その後はローザンヌまで戻り、時間があったので少しだけジュネーヴを観光してみることにしました。行ったのはジャン=ジャック・ルソーの生家。現在工事中ですが外観を見ることができました。後は宗教改革記念碑、オーストリア皇妃エリザベトが暗殺されたことを記念する銅像を見て終了。国連本部も興味がありましたが少し離れていて時間が足りませんでした。
今回行ったスイスの街はどこも清潔な印象があったのですが、ジュネーヴは少し汚い印象がありました。フランスが近いからでしょうか(笑)。

これで長かったスイス旅行は全て終了です。
その後のイタリア旅行についても記事にしようと思っていたのですが、各都市の建築物や美術品があまりに凄すぎて書いても駄文になるか超大作になりそうなので、ここで行程だけ紹介しておきますね。
最初はパリから飛行機でヴェネツィアへ。ヴェネツィア楽派の本拠地として有名なサン・マルコ大聖堂やモンテヴェルディの墓があるサンタ・マリア・グロリオーザ・デーイ・フラーリ教会などに行きました。
一泊してボローニャ、フィレンツェを通りローマへ。行程上どうしても月曜日にせざるを得ず、残念ながら多くの博物館や美術館が休館でした。ボローニャは協奏曲発展を推し進めたボローニャ楽派の拠点であるサン・ペトローニオ大聖堂やアッカデミア・フィラルモニカ、ボローニャ大学の旧館であるアルキジンナジオなどに行き、昼食にいわゆるボロネーゼパスタを食べました。フィレンツェはあの有名なサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に行きましたが、洗礼堂や鐘楼は事前予約が必要で既に完売していて入れず…。
ローマは何とかその前の行程を圧縮して丸2日取りました。何といっても古代ローマとローマ・カトリックの本拠地。1日目はヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂とシスティーナ礼拝堂を含むヴァチカン美術館、ついでにトレビの泉やスペイン階段も見てきました。ヴァチカンはとにかく全てが他の教会を圧倒していますね。トレビの泉は現在近くに寄れないように規制されていて、無理やりコインを投げ入れようとしましたが入りませんでした…(笑)。2日目は古代ローマ遺跡巡り。コロッセオ、皇帝たちのフォルム、数々の神殿、浴場、競技場、少し歩けばすぐローマ遺跡に巡り合えます。大部分が破壊されていたりキリスト教化されていたりしますが、断片から往時の様子を想像して古代ローマの威光を感じ取りました。またパンテオンにはコレッリの墓があります。凄かった、ローマ。
次の日はナポリ近郊のポンペイを訪れました。紀元79年のヴェスヴィオ火山の噴火による火砕流で一瞬にして消滅都市となってしまい、その後18世紀中頃の発掘まで蛮族による破壊や風雨による劣化もなく保存されていた貴重な遺跡都市です。都市丸ごと1つ遺跡なので敷地は広大で、疲労と暑さと戦いながら主な見所を見学して回りました。噴火の前に地震もあったのでそれぞれの建物は完全というわけではありませんが、とにかく都市の区画は全く手つかず。建物内部の壁画は美術館に展示するため取り去られたものも多いですが、今もそのまま残っているものもあり、そろそろ約2000年経とうというのにとにかく色が鮮やか。それでも発掘から250年ほど経ち、多くの場所で劣化が進行しているそうです。亡くなった市民へ黙祷を捧げてからナポリに引き返し、卵城、王宮、サン・カルロ劇場、ヌオーヴォ城などを外観のみ見学。劇場は目下工事中でした。翌朝帰る前にナポリ大聖堂と考古学博物館にあるポンペイから運ばれた壁画コレクションを見て、全ての旅程は終了。博物館にあるといっても温度や湿度管理は全く行われておらず、ケースの中にあるわけでもなく手の届く位置にあります。これでは元あった場所にあるのと比べてそんなに劣化具合は変わらないのではないかと思いました。これからは適切な保存をお願いしたいですね。

次回は今週行われるオーケストラとヴァイオリンデュオの演奏会の模様をお伝えします。久しぶりに音楽ネタですね。


フランス南西への旅②ビアリッツ、サン=ジャン=ド=リュズ編

7 11月 2019
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大西洋に面した「処女の岩」

今回も前回に引き続き、フランス南西旅行のレポートです。
ボルドーから近郊列車TERに乗車し、大西洋沿いのリゾート地ビアリッツを目指します。
ビアリッツといえば今年の8月にG7主要国首脳会議があったことで一躍有名になりましたが、普段はゆったりとした時が流れるリゾート地です。気温も20度近くあり、終始コートを脱いで歩いていました。
国鉄の駅からバスに乗って20分ほど、バス停から歩いてまずは「処女の岩」を目指しました。途中の商店街などはまるで湘南のようで、海沿いの観光地はどこも似ているなと思いました。砂浜ではもう間もなく日が沈むというのに海水浴をしている人がちらほら。10月末ですが寒くないのでしょうか。
「処女の岩」は水族館のある岬から橋で渡った先にあり、マリア像があることからこの名がついています。まるで江の島のようですね。一面に広がる大西洋。大西洋は初めて見ました。
完全に暗くなる前にもう少し散策してみることに。「大浜辺La grande plage」には少し降りて歩いてみました。
ナポレオン三世の皇后ウジェニーの別荘を改装したホテル「オテル・デュ・パレ」に行ってみましたが、現在改装中とのこと。外観はルイ13世様式の建物ですが、それ以外は全く分からずじまい。
時間が余ったのでもう少し歩いて灯台まで行きましたが、海を見る他は特に何もありませんでした。
その後再びTERに乗ってサン=ジャン=ド=リュズヘ。この日は終了です。

ルイ14世の結婚式を見守った教会

翌日、ボルドーでの詰め込み観光が少し体に堪えたのか9時頃まで寝てしまい、ようやく行動開始。
ホテルには2泊するので極力荷を部屋に置いて、国鉄駅前からバスでラ・リューヌ山を目指します。といっても目的の大部分は山頂に登ることではなく、途中の登山鉄道に乗車すること。
1924年に開業したラ・リューヌ鉄道は今年95周年を迎え、その旨が宣伝されていました。古めかしい木製の機関車が麓側に着き、これまた木造で車体を軋ませながら走る客車2両を押し上げていきます。
ホームに入場が始まるとすかさず機関車に最も近い麓側の席を確保。え、何故かって?もちろん登坂で負荷がかかるモーターの唸りを聞きたいからです(笑)。
出発前に車両を観察してみましたが、どうも通常の線路に接する車輪には動力を伝えず、線路の間にあるラックレールと噛み合う歯車のみで坂を上っていくようです。乗務員は機関車と一番前の客車に乗り込みました。
いよいよ坂に挑みます。とても急な坂!日本にはケーブルカー以外にこんな急坂を行く鉄道はありません。見る見るうちに麓の駅が遠くなっていき、遠方にサン=ジャン=ド=リュズの街と大西洋が見えてきました。車内放送はフランス語、スペイン語、バスク語の三か国語で何か説明がありましたが、とにかくモーターの音がすごくてよく聞き取れませんでした(笑)。いいんですよ!私はこれで!
しばらくすると平坦線となり、崖と岩肌の間を抜ける模型のような線路を走っていきます。途中に対向列車と行き違いできる部分があり、みんな手を振って応えてくれました。やがて再び急勾配区間となり、山頂に到着。頂上はあいにく雲の中で景色は何も見えませんでしたが、晴れていればピレネー山脈や大西洋等が一望できるようです。
せっかくきたので晴れるかもしれないと一縷の望みをかけ、山頂の喫茶店でココアを飲んで一服しましたが結局晴れずじまい。少しだけ周辺を散策してみることにしました。といっても前述のウジェニー妃の記念碑と、放牧されている馬を見るくらいで、後はフランスとスペインの見えない国境を楽しみました。一応スペイン上陸を果たしたということで。
サン=ジャン=ド=リュズの町まで戻った後は2つ目の目的へ。それはルイ14世の足跡をたどることでした。
この小さな港町が歴史の表舞台に立ったのは1660年、若きフランス国王ルイ14世とスペインの王女マリー・テレーズの結婚式が行われたことでした。サン=ジャン=バティスト教会がその会場となりました。この教会は一部は15世紀の竣工ですが大部分は1649年に完成しましたが、装飾どころか開口部もあまりない質素な建築で規模もあまり大きくありません。実際問題として国王夫妻の結婚式を行うには参列者を迎えきれないため、木製の階上席が後方に5階、両側面に3階建てで設けられている風変わりな内部になっています。内陣の壁面は鮮やかに彩色され、祭壇の構造物は青を基調として葡萄、天使、生き物が巻き付くように装飾された円柱の間に聖人たちか配置されているという凝ったものになっています(ゴテゴテしているという方が正しいかも)。結婚式の際の絵の背景にもこの祭壇が描かれていますので、当時からあったものでしょう。祭壇に向かって右手の外壁には、かつて国王夫妻の通路としてのみ使用され、その後閉塞された部分が説明書きと共にあります。
教会から海に向かって少し歩くと、ルイ14世が結婚式に際してしばし滞在した館「ルイ14世の家」があります。建物が面している「ルイ14世広場」に木が植えられていて綺麗に写真を撮ることができないのですが、両角に張り出した部分を持つこの町ではやや凝った設計の建物です。内部見学は1日3回のツアーのみですので、訪れる際は必ずスケジュールをよくご確認ください。内部は応接間、寝室とそれなりに豪華ではありましたが、ヴェルサイユ宮殿を良く知っていると目を見張るような感動はあまりないかもしれません。ただルイ14世が若き日にここを訪れたのだなという思いには浸ることができました。
海沿いにもう少し歩いていくと煉瓦と砂岩でできた「王女の館」もありますが、こちらは地上階に一般の商店があり、観光用には開放していないようです。

次回は最終回、バイヨンヌとポー編をお送りします。


フランス南西への旅①ボルドー編

31 10月 2019
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ペイ・ベルラン塔から見たボルドーの街並み

今週はヴェルサイユを離れフランス南西部に来ています。昨日までボルドーに滞在、今はスペイン国境近くのサン=ジャン・ド・リュズにおります。
今回は旅行途中につきいささか簡略的ではありますが、ボルドーの街と訪れた施設を紹介します。

そもそもなぜ今回ボルドーに来たかと言いますと、師匠パトリックの紹介でボルドー地方音楽院の教職コンクールに際する生徒役を担当するためでした。謝礼は僅かばかりの商品券だけですが、旅費は全て出るのでまあ良いかと。
呼ばれていたのは火曜日の午前中だったので当日の朝パリを立つ予定だったのですが、前日の昼頃突然フランス国鉄からメールが来ました。なんとTGVアトランティクのストライキにより予約していた列車を始め殆どが運休となってしまったのです。色々考えた挙句、約束の時間に音楽院へ着くにはもう今日出るしかないという結論に達して、運休にならなかった最終のTGVと今夜のホテルを予約してあたふたと用意を開始…。
21時頃ボルドーに着き、どこを観光できるわけでもなくそのままホテルへ直行しこの日は終了。もう少し運休が早く分かっていれば早く来て観光したのに!
翌火曜日は時間通りに音楽院へ赴きました。予め提示されていた曲目は5曲あり、ヴェストホフのソロ組曲もあってわりと譜読みに時間を取ったのですが、蓋を開けてみればヴェストホフは結局弾かずじまい。まず教職受験者のおじさんが2曲弾いた後、私ともう一人の生徒役が出てマッテイスのチャッコーナの冒頭を少しだけ弾いてレッスン風な事をして終了。その人の可否はどうなったのかわかりませんが、生徒役としてはなんだか拍子抜けでした。そもそも2人必要だったのかすら怪しい…笑。
まあそんなこんなで昼には自由となり、同じく生徒役として来たヴェルサイユ地方音楽院フルート科のクレマンと昼食を共にし、後は観光の時間となりました。彼は前日に楽譜を印刷したと言っていました。とほほ。

ボルドーはご存知ワインの生産と、ガロンヌ川河口に位置し大型船が出入りできる港を持っていることでローマ時代から栄えてきました。10世紀後半からアキテーヌ公国領となり、婚姻によってイギリスの支配下に入ったこともありましたが、百年戦争以後はフランス王国に帰属することになります。しかしその豊かさと自治力の高さからルイ14世の絶対王政確立まで度々王権に対して反発し、反王権勢力の溜まり場のようになっていました。フランス革命期には穏健派であるジロンド派の本拠地になりました。その後の大きな戦争でパリが危うくなると、一時的に政府が置かれる街として機能しました。
現在でもボルドーといえばワイン、世界中のワインファンがぶどう農家やワイン生産者の元へやってきます。
そんなボルドーですが、とにかく17-18世紀の古い街並みが魅力的です。ヴェルサイユ以上の規模と範囲を誇っていて、車や人が全て居なくなったらすぐにでもタイムスリップできそうです。どの程度かというと、現代的な車や看板があればとても浮いて奇異に見えてしまうくらい。
景観保持の努力は路面電車の線路に架線を張らず地表集電にしているといったところにも見られます。

それでは以下、滞在中に訪れた施設です。

  • ボルドー地方音楽院
  • フランスの偉大なヴァイオリ二スト、ジャック・ティボーの名を冠する音楽院です。ボルドーの街並みとは異なり現代的な建築物で、外見は上野の東京文化会館のような印象。広大な校舎で練習室がたくさんありました。隣接する聖十字架修道院をキャンパス内から間近に見ることができます。

  • アキテーヌ博物館
  • 先史時代から現代までのボルドーやアキテーヌ地方を中心とした展示を見ることができます。色々ありましたが特に印象的だったのは黒人奴隷貿易に関する展示でした。

  • ボルドー美術館
  • 15世期から20世紀までの主に絵画、一部彫刻コレクションが展示されています。ティツィアーノやルーベンスもあるので見逃さずに。ボルドーの街並みを描いた18-19世紀の作品もあり、町並みが当時からほとんど変わっていないことが分かります。

  • カンコンス広場とジロンド派の記念碑
  • トランペット城と呼ばれたかつての要塞の跡地で、19世紀に広場として整備されました。訪れた際にはたくさんの屋台が設置されていましたが常設かどうかは分かりません。西側の端にはジロンド派の記念碑と噴水があります。

  • 円形闘技場跡
  • 公共公園の近くの住宅街にひっそりと佇む、数少ないボルドーのローマ遺跡。2万2千人を収容できた巨大な闘技場でしたがフランス革命頃の町の改造によりほとんどが破壊され、現在ではそのほんの一部を見ることができます。

  • ピエール橋
  • ガロンヌ川には街の防衛上、長らく橋はありませんでした。最初の橋は1822年に完成したこのピエール橋で、赤煉瓦と砂岩による美しい橋です。架線がなく一見分かりませんが路面電車も通っています。

  • シテ・デュ・ヴァン
  • 直訳すると「ワインの首都」となりますが、ワインセンターのようなものでしょうか。曲線が特徴的なモダンの建築物です。残念ながら閉館時間が迫っていて入館を断念しましたが、ワインに関する色々な展示、講座の実施があるようです。

3つの世界遺産登録の聖堂

  • サン=スラン大寺院
  • 古い部分は11世紀初頭の建設であるロマネスク聖堂。度々増改築したようで、柱の形状が途中から異なっていたり本来は祭壇下にある地下聖堂が聖堂中央付近にあったり、主祭壇の奥は平面なのにその横の小さな聖堂はちゃんと半円形になっていたりと、なかなか迷要素の多い聖堂です。地下聖堂には4世紀頃の石棺が安置されていている他、夏季には聖堂南側の入り口から入って4-6世紀頃のキリスト教徒たちの地下墓地を見学できるようです。

  • サン=タンドレ大聖堂
  • 古い部分は11世紀、大部分は12世紀の建設によるゴシック聖堂です。ルイ14世の両親、ルイ13世とアンヌ・ドートリッシュの結婚式はこの聖堂で執り行われました。
    一番の特徴は聖堂の正面が通常の西側ではなく、司教の宮殿が位置する北側に設定されていることです。このことから西側はまるで切り落としたかのように全く装飾がありません。聖堂内部はその規模もさることながら、天井のリブ・ヴォールトの意匠が特徴的です。
    外壁は現在ほとんどが修復され新築のように真っ白になっています。
    ペイ・ベルラン塔と名付けられた聖堂北側の独立した鐘楼には登ることができます。この地域は地盤が弱く、重量のある塔と鐘の振動から聖堂を守るために独立しているのだとか。教会の塔には付き物の狭い螺旋階段を登っていくと2つのテラスがあり、今回掲載の写真のようにボルドーの街を一望することができます。

  • サン=ミシェル大寺院
  • 14世紀末から建設が開始された聖堂。やはり鐘楼が聖堂西正面の前方に独立して建てられています。この塔には登ることはできませんでした。
    聖堂内部の壁面はわりとあっさりしているなという印象です。後方のオルガン周辺の壁面だけ近年修復したのか真っ白になっていました。

この他にもまだまだ魅力的な場所がたくさんあると思います。ワインだけではないボルドー、皆様も是非足を運んでみてくださいね。
次回はさらに南西へ、ビアリッツ、サン=ジャン・ド・リュズへ旅を続けます。


クレルモン=フェランとオーヴェルニュ地方

7 3月 2019
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我が領地オーヴェルニュよ…(違)

先週の予告でヴェルサイユ宮殿のシリーズを始めるとしていましたが、今週旅行に行くことを忘れていたのでこのシリーズは来週からにしたいと思います。
月曜日から3日間、ヴェルサイユを離れオーヴェルニュ地方に滞在していました。音楽院のヴァイオリンの同僚に招待を受けたのがきっかけでした。この人は実は元来貴族の家柄で、家族はとても大きな家と土地を持っていたのです。
この家はアルトンヌという小さな町にあるのですが、せっかくなのでその前に少し足をのばしてクレルモン=フェランへ観光しに行きました。
パリからアンテルシテに乗車して3時間半の道程を終点までゆったりと行くつもりが、パリを発ってすぐに機関車の調子が悪くなったと放送があり途中の駅に停車したり徐行したり。そしてついにはいきなり運転打ち切りになり、乗客全員後続のアンテルシテに乗り換えさせられました。座席が足りたからよかったものの、満席で立ち客が出たらどうするつもりだったんでしょうか…。
まあ今回はゆったり旅なのであまり気にかけずにいると、お詫びのお弁当が配布されました。こんなのあるのか。中身は簡素で、サラダの缶詰とお菓子、水など。せっかくなのでいただきました。結局到着は約2時間遅れ、運賃は公式サイトで25%払い戻し。日本なら全額ですけどね。
クレルモン=フェランに着き、まずはロマネスク様式のノートルダム=デュ=ポール寺院へ。トゥールーズで見たサン=セルナン寺院を思い出しました。ロマネスク様式は飾り気はあまりないけれど、素朴でどこか懐かしいような印象を受けるんですよね。後陣の外部壁面に花の模様が描かれているのがこの地方の特徴のようです。月曜日の午後なので、聖堂内は自分一人。せっかくなのでグレゴリオ聖歌を少し歌ってみました。うーん、極上の響き…。祭壇の下には地下聖堂もありました。
クレルモン=フェランは周囲を火山に囲まれており、建造物は豊富にある黒い火山岩が多く用いられています。ノートルダム=デュ=ポールは塔を除いてはほとんど白色でしたが、次に訪れたゴシック様式の被昇天聖母大聖堂は黒く重厚感のある聖堂です。見慣れたガーゴイルも黒いとなんだか恐ろしい…。
中に入ると、外陣から内陣奥まで連なるヴォールトが圧巻です。黒いのが余計に存在感を放っているのでしょうか、先程までロマネスク様式の素朴な聖堂にいただけに、その違いは甚だ大きく感じられました。しかしステンドグラスは周囲とは対照的に至って繊細です。
ちなみにこの聖堂はラモーが1702年から4年ほどオルガニストを務めていました。西側の内部壁面にしっかり彼の名のプレートがあります。
2つの聖堂を見て、少し散策したかったのですがあいにく春の嵐で風が非常に強く、聖堂で休憩をしてから移動することに。クレルモン=フェランの駅から2両の流線形ディーゼルカーに乗ってオビアというとても小さな駅に降り立ちました。ホームと待合室があるだけのローカル線の駅、今にも日本のディーゼルカーが来そうです。
同僚の車に揺られること数分、ひたすら田園地帯を走った先の小さな町に着き、丘を上がっていった先に彼らの邸宅はありました。
家の広さもさることながら、驚いたのは馬が2頭いたこと…。しかし後で家の紹介を受けたら実はそれだけではありませんでした。畑あり、果樹園あり、フランス式庭園あり、噴水あり…。ないものはないといった感じです。
中に入ると、大勢の子供達に出迎えられました。同僚の兄弟のうち一人の子供が8人兄弟とのことで、とても賑やかです。夕食も囲炉裏…ならぬ暖炉を囲んでの楽しいひと時になりました。家長である同僚のお父様にもお会いしました。元軍人で除隊後はロマネスク建築を研究されていたそうで、もう80-90代のお歳だからかとても穏やかに話す方でした。
2日目はヴォルカン・ドヴェルニュ自然公園内のゲリー湖周辺でハイキングをしました。まだ雪が残る中、スキー場になっている山中を通常装備で歩くのは少し難儀でした…笑。特に途中から道なき道を歩き出してしまって、雪深く足がはまることも幾度か。でも景色は良かったです。
最終日の水曜日は午前中に同僚と初見大会をした後、夕方に例の馬たちと触れ合いました。まずはお世話。猫の毛繕いはしたことがありますが馬は初めてです。馬具をつけた後、周囲の農道を馬を牽いて散歩しました。見よう見まねでやってみますがなかなかできません。私が逆に牽かれていましたね笑。そして途中から乗せていただきました!初めての乗馬でしたが、これは数分で慣れることができました。でも昔はこれで長距離を走ったり戦場を駆けたりしたんですよね…大変です。あたりはひたすら農地が続くばかりで近代的なものは何もなく、さながら大河ドラマの登場人物になった気分でした。
こうして3日間のバカンスは終わりました。ゆったりとした時間は良かったですが、日本の田舎にいるのと正直あまり違いはないので、留学生としてはパリやヴェルサイユの方が刺激的ですね。

今回はクレルモン=フェランとオーヴェルニュ地方についてお伝えしました。次回からはお待ちかね、ヴェルサイユ宮殿のシリーズを開始します。