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サン・ジョルジュ・コンソートの演奏会

26 2月 2020
サン・ジョルジュ・コンソートの演奏会 はコメントを受け付けていません

今回の主役、 セバスティアン・ド・ブロサール(Wikipediaより加工の上転載)

今回は先週参加した「サン・ジョルジュ・コンソート」の演奏会についてご紹介します。
「サン・ジョルジュ・コンソート」は同じパトリックの弟子であるアレクサンドル・ガルニエくんが主宰していて、ヴェルサイユバロック音楽研究センターの歌手2人と器楽奏者数人で構成されています。年末にプロモーションビデオを撮影したので、良かったらこちらをご覧ください。

「プティ・ヴィオロン」にも参加して下さったファゴットの長谷川太郎さんも一緒に演奏しています。
本当はこの撮影の2週間後に本番をやるはずだったのですが、男性歌手の親族に不幸があって直前のリハーサルがすべてキャンセルになり、演奏会も中止になってしまいました。
今回の演奏会はそのやり直しというわけなのですが、長谷川さんは日程上参加できず映像に出ているヴィオルの女の子は事情により交代、プログラムも少々入れ替わり昨年のリハーサルはあまり意味のないものになってしまいました(笑)。
プログラムは「セバスティアン・ド・ブロサールの図書館での旅」と題されていて、様々な楽譜を収集していたフランスの理論家、作曲家であるブロサールの曲とそのコレクションに含まれているドイツ、イタリア、フランスの音楽を織り交ぜるという構成でした。ドイツはシュッツ、ブクステフーデ、ブルーンス、イタリアはベルターリ、メルラ、カレザーナ、フランスはシャルパンティエ、デュモンを演奏しました。
コンセプトと選曲がとても良い演奏会でしたが、中でも名曲だったのはブロサールのオラトリオ「悔い改めた魂と神との対話Dialogus poenitentis animae cum Deo」です。
https://youtu.be/m9luWuNvm4E
次々に拍子が変わっていき、とても切迫感がありますね!
ブロサールの作品はあまり演奏されませんが、この曲は編成が少なくコストもあまりかからないので業界の皆様は是非レパートリーに加えてみてはいかがでしょうか。

さて企画は大変良かったのですが、メンバーとリハーサルには少々問題がありまして…。
まずリハーサルの開始時間になってもフランス人たちは平気で遅れてくるし、来たら来たでゆっくりコーヒーやお茶を淹れだす始末で…フランスの学生アンサンブルってこういう感じなんですかね。始まっても関係ないお喋りは多いし、演奏中に誰か発言しても止まるまでに時間がかかったりと、とにかくタイムロスが多いんです。その上全然譜読みしてきてなかったり、テンポ通り演奏できなかったりと、日本の現場だったら半分くらいの時間で仕上げられたんじゃないかと思いました。
あとはメンバーの中にカップルが2組いるからかどうなのか、遠慮のない会話を続けているうちにヒートアップして皆が苛立ってくることもしばしば。リハーサル初回だったか、女性歌手が耐えられなくなって途中で帰ってしまったこともありました。
結果、前日のリハーサルになってもまともに曲の最後まで通して弾けることは殆どなく、当日も本番ギリギリまでリハーサル(という名の半ば譜読み)が続けられました。本番は途中で止まることこそありませんでしたが、クオリティの方は「お察しください(笑)」でした。
8月にもまたプロジェクトをやるらしく今のところ参加予定なのですが、あまり気が進まないなあ…と内心思っています。まあ少し稼げるのが幸い。リハーサル終盤は彼らもタイムロスが多いことを自覚していたので、次は改善されることを祈ります。うーん、無理かなあ。

次回は「新型コロナウィルスとアジア人差別」について書いてみようと思います。

駿太のこだわりクッキング② カレー

19 2月 2020
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カレーの魔力に憑りつかれる…

ここのところ急に雨が降ったりやんだりしています。寒さも和らぎ、もう春の到来でしょうか。
新型コロナウィルスの感染が世界各地で拡大していますね。フランスでの確認症例は11例に留まっており、数字上は対策できているような印象を持ちます。航空便についてはエールフランス航空の中国便は全便欠航していますが、それ以外の航空便は運行しているようです。それにも関わらずパリやヴェルサイユのフランス人たちは誰もマスクをしていません。それどころかアジア系の人(多分中国人)のマスク着用率はむしろ依然より減った印象があります。単純に中国からの観光客が減ったのか、それとも差別を恐れて敢えて着用していないか。もしそうだとしたらフランス人たちも既に保菌者ということに気づかぬまま拡散し続けるというかなり危険な状況になりますね。
中国人か?と聞かれ日本人だと答えると安心されるという話をちらほら聞きますが、日本の方でも対策を頑張ってもらわないとこのままではいずれ日本人も隔離、差別の対象になってしまうかもしれません。政府には頑張ってほしい所です。

さて、今回は駿太のこだわりクッキング第2弾、カレーをご紹介したいと思います。
前回のペペロンチーノの投稿では意外にもいろいろな方から好評を頂きました。「今度作ってみる!」と言って下さる方もおり、嬉しい限りです。
今回のカレーのレシピを研究した経緯ですが、まずフランスでは日本と違い「カレールウ」なるものは売っておらず、代わりにスーパーマーケットの一角には必ずスパイスコーナーがあり、ありとあらゆるスパイスやハーブが売られています。こちらに来てから数か月経った頃、そろそろカレーが食べたくなってきたので意を決してスパイスを買うことにしたのですが、まず何のスパイスを買ったらいいのか分かりません。色々調べた結果、「東京カリ~番長」さんのこのレシピにたどり着きました。
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/tokyocurrybancho/17-00121
たった4種類で良いとは、何ともお手軽じゃないですか!日本ではカレールウを使ってしまう場合が多いと思いますが、こんなに手軽ならスパイスカレーをやらない手はないですよ!
ということで早速4つのスパイスを買ってきて、これを基にカレーを作りました。
これが…旨い!!!いわゆる日本の「お母さんが作るカレー」とは全く別物の、実に味わい深いカレーができました。最も日本で市販されているカレールウは専門家たちによりたくさんのスパイスや調味料が調合されているので、こちらの方が味わい深いはずなのですけどね。スパイスの種類を増やせば増やすほど、味としては輪郭がぼやけた特徴のないものになっていくようです。あとおそらく指定の水量が多すぎます。
そんなわけでこのレシピで基本的には満足だったのですが、そこは駿太のこだわりクッキング、徐々に改変を始めました。
以下改変点とレシピを書きますが、まずは「東京カリ~番長」さんのレシピに沿って一回作ってみて下さい。前回のペペロンチーノ同様、基本をしっかり固めてそこから発展させていくことが大事だと思います。あとスパイスの配合については完全に趣味の問題ですので、作り手によりいくらでも改変の余地があります。

【改変点】
・たまねぎを切る際、写真では根の部分を残してそこに包丁を入れるように紹介されていますが、根は不潔であることも多いので茎(根より内側にあり硬く捨てる部分)を残しながらぎりぎり根だけを落とすようにすると、みじん切りをする際に同じような手法を採ることができます。
・カレーを作る上で、如何にたまねぎの甘みを引き出すかが重要であると思っています。検討した結果、電子レンジで加熱した後に炒めると良いことが分かりました。
・香菜をいちいち買ってくるのが面倒なので、乾燥ハーブに置き換えています。
・トマトピューレーをトマトケチャップに置き換えています。ケチャップには通常いくつかの調味料が加えられていて、カレーのコクを出すのに有用だそうです。「東京カリ~番長」さんの他の記事でもケチャップの代用について言及していますが、トマトピューレーの場合の半分の量にすると良いとのこと。確かに入れすぎるとケチャップ味になってしまいます。
・スパイスの配合はクミンとターメリックが多め、チリペッパーはやや少なめに調整しています。クミンは個人的な趣味ですが、ターメリックはカレーの色を出すためのスパイスなのでやや多め、チリペッパーは入れすぎるとただ辛いだけで他の味がかき消されてしまうので少なめから調整していくのが良いと思います。
・4種のスパイスと塩を1つずつ器に出し個別に入れるよう紹介されていますが、1つの容器に入れてよく混ぜた上で加えた方が味の偏りがなくなると思います。
・個人的な趣味で鶏肉を牛肉に置き換えています。ヨーロッパの肉は臭みが強いので、塩、黒胡椒、ナツメグ、赤ワインで下処理を行います。
・個人的な趣味で大豆(フランスでは白いんげん豆で代用)、グリーンピースを加えています。
・煮込む際にローリエを投入します。

それでは以下レシピです。「東京カリ~番長」さんのレシピから改変のない場合は記述をそのまま引用します。

・材料(駿太の2食分、おおよそ3人前)
牛すじ肉:100g
玉ねぎ:小2個
大豆(または白いんげん豆)の缶詰:1/2、120g程度
グリーンピース:70g
トマトケチャップ:大さじ2
クミンパウダー:大さじ山盛り1(駿太は粉末と種子そのままのものを半分ずつハイブリッドで調合しています)
コリアンダーパウダー:大さじ1
レッドチリパウダー:小さじ1(多少少なめから調整)
ターメリックパウダー:小さじ山盛り1
にんにく:2片(10g)
しょうが:1片(16g)
塩:小さじ1(牛肉の下処理用と玉ねぎの脱水促進用は分量外)
黒胡椒:少々
ナツメグ:少々
赤ワイン:小さい器で牛肉が浸る程度
水:500cc
乾燥ハーブ(Herbes de Provence):大さじ3程度(お好みで調整)
砂糖・少々
調理油:大さじ3
ローリエ:2枚

・作り方
①牛肉を細かく切り塩、黒胡椒、ナツメグを振りかけながらすりこみ、赤ワインに浸しておく。
②玉ねぎをみじん切りにし、ラップをかけて電子レンジで6分加熱(我が家のレンジのスペックが未だに分かりません)。
③フライパンで調理油を強火で熱し、玉ねぎ、乾燥ハーブ(分量の半分)、塩4つまみを加えてアメ色になるまで炒める。途中で水100cc程度(分量外)の差し水をする。
④にんにく・しょうがを加え、青臭さがなくなるまで中火で炒める。
⑤トマトケチャップを加え、水分がなくなるまで炒める。
⑥火を弱めパウダースパイスと塩を加え、よく混ぜながら1~2分炒める(ここで「カレーの素」が完成)。
⑦①で用意した牛肉を赤ワインごと加え、「カレーの素」と絡めながら肉の表面が色づくまで中火で炒める。「カレーの素」が焦げないよう、最初は「カレーの素」をフライパンの片側にかき寄せ、もう一方で肉を炒めると良い。
⑧大豆(白いんげん豆)、グリーンピース、水、ローリエを加え、強火でしっかり沸騰させる。水は若干少なく入れておいて、足りなければ後から足す。
⑨弱火にし、ふたをしないで15分程煮込む(途中何度かかき混ぜる)。
⑩乾燥ハーブ(分量のもう半分)を加え、よく混ぜ合わせながら煮込む。
⑪砂糖を加えしっかり混ぜ合わせたら、塩味を調えて完成。

ポイントは「東京カリ~番長」さんの書いている「玉ねぎ炒めは強火でしっかり!」「煮込むときは弱火でじっくり!」「水も塩も後からでも足せます」が重要です。玉ねぎの焦げについては多少は気にしないと書かれていますが、やはり限界を超えてしまうと苦くなるのでギリギリを攻めましょう(笑)。
スパイスの調合については、趣味に合わせていろいろ研究してみて下さいね。そうしていくうちに、皆さんもきっとカレーの魔力に憑りつかれることでしょう。

次回は現在参加しているアンサンブル「サン・ジョルジュ・コンソート」の演奏会の模様をお伝えします。

J.S.バッハ無伴奏曲集のマスタークラス

12 2月 2020
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マスタークラスはチェロ、ヴァイオリンの2日間行われました

先週は月曜日に校内演奏会、木曜日に王室礼拝堂木曜演奏会、土曜日に今回のテーマであるマスタークラスがあったのでとても忙しかったですが、今週に入り2週間のバカンスになったのでようやく一息つけるというところです。
このマスタークラスはヴェルサイユでは珍しく(?)J.S.バッハ、特にヴァイオリンとチェロの無伴奏曲集に焦点を当てたもので、講師はヴァイオリンにクリスティン・ブッシュChristine Busch、チェロにオフェリー・ガイヤールOphélie Gaillardを迎えて行われたものです。2人とも古楽的アプローチを主とする奏者ですが、古楽科だけの企画ではなく生徒はモダンとバロック半々くらいでした。
オフェリーの方は水曜日に行われていて私は行くことができませんでしたが、伝え聞くところによるとチェロの鳴らし方、重音奏法等々とても有意義なレッスンであったようです。
さて今回のマスタークラスのことは数か月前から予告されていたのでヴァイオリン科は各自バッハの無伴奏を用意しましたが、私はせっかくなので大曲であるソナタ第3番のアダージョとフーガに取り組みました。そうです、あのコラール(ロンドン橋の歌じゃありませんよ笑)に基づく長大なフーガです。体力的な問題はありつつも個人的には3つあるソナタの中で一番弾きやすいんですよね。
年明けからパトリックに何度もレッスンを受けましたが、問題になるのはいつもテンポがどうしても遅くなってしまう、音を持続しすぎるなどモダン時代の名残からくるものばかり。モダン時代にもこのソナタを好んで弾いていただけあって、どうしても抜けない習慣という物があるものですね。
クリスティン・ブッシュはシュトゥットガルト生まれのドイツ人で、アーノンクールのウィーン・コンツェントゥス・ムジクスやフライブルク・バロックオーケストラなどでの活動経験を持ち、ベルリンやシュトゥットガルトで教鞭をとりつつ古楽、モダン双方で活躍しているようです。今回も彼女はバロック、モダンの2つの楽器を持って来ました。
私の番の前に2人モダンの生徒がいましたが、これが何というか、何だか懐かしいような、15年くらい前は自分もああやって弾いていたなという感じでした(笑)。モダンの世界からはずいぶん前に離れてしまいましたが、ヨーロッパですら今でもこういう弾き方って一応主流なんですよね。しかも地方音楽院だからなのかどうなのか、レベルが正直あまり高くありません。1人目はソナタ第2番の第1楽章グラーヴェを弾いていて、バスラインの弾き方や和音の表現などがレッスンの中心でした。これはまあ、古楽的アプローチの入門編といったところですね。2人目はソナタ第1番の第4楽章プレストを弾いていましたが、こういった急速な楽章はモダン弓の問題が顕著に表れます。クリスティンは即座に自分のバロック弓を貸し与え生徒に弾かせると、この問題は9割方解決しました。この生徒の順応力の高さに皆驚いていて、クリスティンが「弾いたことある?」と聞きましたがその時が初めてだったとのことでした。それから彼女は持っているいくつかの弓を年代順に貸して最後に生徒のモダン弓に戻すと、もう弾き方が違います。こういう教え方もあるのだなと思いました(といっても私は中間年代の弓の持ち合わせがないので出来ませんが…)。
さて私の番。まずはアダージョを最後まで弾くと、論争の多い付点の匙加減問題からスタート。彼女は基本的には付点を長くせずに16分音符をほぼ音価通り弾くという立場のようで、私としてはこれは未だに結論は出ていませんが付点を若干長く弾いていたのでもう少し音価通り弾くよう勧めました。試してみるとこれが意外と良いんですね。後は和音の色付けや、多種類の音色を使い分けるようにとの勧めなどがありました。
次はフーガ。とにかく長大なので「反行形」の提示までのレッスンになってしまいましたが、フーガ主題のボウイングやアーテュキレーションがまず問題になりました。私は元が讃美歌であるコラールというだけあって全体的に滑らかに弾いていましたが、もう少し短く処理する音があっても良いとの勧めを受けました。後は細かいところは色々ありましたが、大まかにいうと壮大かつ重厚なフーガの中でいかに軽い部分を作るか、音色を使い分けて静かな部分を作るかという問題が大きく取り上げられました。
私の後は古楽科の同僚が、私のフーガとは一転して優雅なパルティータ第3番のガヴォット・アン・ロンドーを弾きました。さすがフランス人、弾き方がお洒落(笑)。クリスティンはドイツ人ですが負けず劣らず優雅かつ祝祭的な音楽の作り方を指導していました。
マスタークラスが終わって夜になると、ヴァイオリンとチェロの受講生の一部、クリスティンが演奏会を行いました。オフェリーは残念ながら来られなかったようです。私ももちろん弾きましたよ、アダージョとフーガ。通して本番で弾いたのは実は初めてかもしれません。良い経験でした。
私の後にはクリスティンが第3楽章と第4楽章を弾き、ソナタ第3番を通して聴けるような演出がなされました。最後に彼女はもう一度、今度はモダンヴァイオリンヴァージョンと題して同じ2曲を披露していましたが、私の個人的な感想としては、実はモダンヴァイオリンの方が上手なのではないか…ということでした。それだけ古楽的アプローチによるモダンヴァイオリンの弾き方が彼女の中で完成されているということと、あとは楽器のポテンシャルの違いも大きいのかなと思いました。バロックヴァイオリンに関しては好みの問題もありますので聴き手次第だと思います。彼女はこの無伴奏曲集を全て録音しているので、良かったら聴いてみてくださいね。

次回は前回好評だった駿太のこだわりクッキング第2弾、カレー編をお送りしたいと思います。

駿太の独り言① 日本のメディア

5 2月 2020
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日本では新型コロナウィルスの影響でマスクが薬局やスーパーから消えたと聞き及びます。フランスではスーパーはおろか薬局にすらマスクは売っていないので先週アマゾンで注文したのですが、なかなか発送連絡がありません。ちょうど日本から持って来たマスクが残り僅かというところで今手元にあるのはあと1枚。マスクが届くまで宮殿周辺にはなるべく近づかないことで対応していこうかなと思います。

~~~注意~~~
今回の話題は個人の思想信条に大きく関わる内容となっています。なるべく中立的な書き方をしようと心がけていますが、私にも個人的な考え方がありますので特に対極にある考え方をお持ちの方はこの記事をお読みになって気分を害する可能性があります。少しでもこのようなことを感じた場合は直ちにお読みになるのを止めることをお勧めいたします。
以上をご了承の上、下記へお進みください。
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一昨年ヴェルサイユで一人暮らしを始め、この素晴らしい環境の中に身を置くことで自らにたくさんの変化がありましたが、それまでは分からなかった日本のことを、日本を出たことによって客観的に見ることができるようになったという事があります。そしてその中で最も大きかったのは、日本のテレビや新聞から完全に離れたことによって、メディアを自らの意思で選んで情報を精査するように努めるようになった事だと思っています。
皆さまは日頃世間の出来事をどのようにお知りになるでしょうか。旧来からある新聞、ラジオ、テレビなどに加えて現代ではインターネットが普及して情報を取ることのできる選択肢が広がりましたが、依然として新聞、テレビの力は大きいのではないでしょうか。
私個人の話をしますと、小中学生の頃は専らテレビのニュースを観ていました。特に両親や学校から教わったわけではありませんでしたが、何となく公共放送であるNHKが中立的な立場を取っているような気がしたのでNHKのニュースが好きだったのを覚えています。民間放送はニュースを見るためにCMを見る気はしないし、特に討論の場になると解説員とか専門家を名乗った人が出てきて好き勝手な事を言っているようなイメージが何となくありました。このような感覚は今思えば「ある程度」は的を得ていたなと思い返します。
その後いつからか分かりませんが、両親が好むようになったのか家庭では民間放送のニュース番組を見るようになりました。高校以降は音楽専門になり忙しくなったので、あまりテレビに時間を割く余裕もなくニュースもあまり積極的には見なくなりましたが、それでも食事の時間などは家族揃ってテレビを観ながら過ごす事も多く、ドラマやバラエティー番組の前後などで時折ニュースを見聞きすることがありました。
ちなみに新聞はというと、昔は我が家でも一紙購読していましたが随分前に止め、それ以来家から新聞はなくなりました。私は本格的な新聞記事を読む年頃ではおそらくなかったので、本格的に新聞を広げて読んだ経験は殆どありません。新聞社の方には申し訳ないのですが、今やインターネットが完全に普及しているのでこれからも紙の新聞を読むことはないのかなと思っています。
大学に入りパソコンやスマートフォンを使う機会が格段に増えると、ニュースもインターネットで読むようになりました。私がその頃好んで使っていたポータルサイトのトップページには目の付く所に最新のニュースが何項目か表示されるようになっていて、ニュースを読むつもりがなくても気になってついつい読み耽り、リンクから関連記事を延々と読み続けることもしばしばありました。この状態はヴェルサイユに来てから数か月過ぎた頃まで続きました。
しかしある時、奇妙な出来事に出くわしました。その記事は日本に近いとある国の事についての記事でした。いつものようにリンクから関連記事を読んでいくと、ほとんど正反対の記述がされている記事がありました。これは一体どういうことなのでしょう。しばらく考えて、その理由が分かりました。一方の記事は、そのとある国のメディアの日本語版記事だったのです!画面の体裁はそのポータルサイトのもので、記事の発信元を調べるまでは他の日本のメディアと見分けが付きませんでした。その国と日本とは主に歴史的事実において多くの異なった見解を持っていて国際問題になっており、その国のメディアの記事は自国の主張を擁護していることは容易に想像できました。
これをきっかけに、自分がメディアという物についていかに無知であったかを知りました。そのポータルサイトでニュースを読む時は必ずその記事の発信元をチェックするようになりましたが、記事の見出しだけでは分からないのでだんだん面倒になり、それなら一層のこと信頼できそうなメディアを選んでそのウェブサイトでニュースを読めば良いのではないかと思い立ち、日本の主要な各メディアについて調べ始めました。いや、これは衝撃でしたね。こんな重要なことをなぜ今まで知らなかったのか、なぜ誰も教えてくれなかったのか。
ここで、先ほどの質問に戻ります。皆さまは日頃世間の出来事をどのようにお知りになるでしょうか。もっと踏み込んで言うと、どのようにメディアを選んでそこから世間の出来事をお知りになるでしょうか。例えば新聞なら両親や学校の先生から勧められたとか、面白いコラムがあるからとか。テレビならたまたま家庭でよく観ているチャンネルだからとか、ニュースキャスターやアナウンサーに好きなタレントが出ているからとか。もしこのような理由のみでメディアを選んでいるのであれば、是非私と同じように各メディアについて一度調べてみることをお勧めします。
特に昨年は天皇陛下の御譲位に伴う皇室関連、前述したとある国を含む近隣アジア諸国関連のニュースが多かったことで各メディアの論調の違いは明確であったと思います。今年は自衛隊の海外派遣や憲法改正論議(全然進んでいませんが)、オリンピック・パラリンピック、そして目下進行中の新型ウィルス対策あたりが分かりやすい論題でしょうか。ピンときた方はその解釈で結構です。逆に全然ピンと来ない方は申し訳ありませんがおそらくメディアの思うがままになっています。
最も、完全に中立で正しいメディアなんていうものは存在しませんし(私がかつて信じていたNHKも然り)、極めて悪意のある捏造記事を平然と報道するメディアは論外としても、日本には言論の自由がありますのでいろいろな視点から報道するメディアがあって良いんです。しかし受け取り手である私たちは、それぞれのメディアが自らやその支持団体の考え方に基づいた主張に沿うように印象操作をして報道するということが日常的に行われているということを知らなければなりません。その有名な手法の一つがいわゆる「報道しない自由」です。都合の悪い事実は伏せて他の側面を強調することで、読者や視聴者が受ける印象を意のままに変えることができるのです。さらにその主張に沿うようなコメントをする解説員や専門家を選んで呼んできて、結果ありきの質問方法による世論調査のデータでも示せばもう完壁といった具合です。
では最初の質問の回答として、私たちはどうやってメディアを選べば良いのでしょうか。私の現在の考えは、それぞれのメディアについて良く知った上で自分の考えに最も近いメディアを選びつつ、時には違うメディアの情報も採り入れてみる。それらを全て鵜呑みにするのではなく5-6割程度に信用しておいて、ニュースの信憑性を疑った時にはそのソース(情報源)を辿ってみる、といった具合です。実際にこの作業をやってみると、そのメディアがソースの情報を曲解していたり付け足しを行っていたり、ひどいものになるとそんな事実はなかったりソースを途中で辿れなくなったりするなんてこともあります。
あともう一つ。立場の違うメディアが複数ある中、それらがある事柄について揃いも揃って「報道しない自由」を行使したらどうなるかという問題があります。この場合、インターネットなどを通じて他の情報を得ない限りメディアの思うがままに私たちは情報の遮断、印象操作をされてしまうということになります。これについては昨年の夏から秋にかけてとある県で行われた国際芸術祭内の展覧会についての報道が分かりやすい例でした。この展覧会はある特定の政治主張に基づくプロパガンダ作品のみで構成されていて、その内容は日本の国家や国民を貶め嘲笑するものでした。この展覧会は芸術祭の開幕直後から批判が殺到したことで間もなく中止されましたが、閉幕直前になって再び公開されました。この間、各メディアによって様々な報道がなされましたが、この展覧会の真実とその問題点を正しく報道したテレビ局は一つもありませんでした。新聞は私が日頃読んでいる新聞社だけがある程度正しく報道していましたが、それでもありのまま全てではありませんでした。実際、9割以上のメディアはその実態を報道しなかったので、これについて正しく理解している国民は少ないのではないかと思います。こんなにも多くの問題を抱えた展覧会はその後あまり糾弾されることもなく他のニュースに押し流され、今年はまた別の県で同じような展覧会が開催されようとしていると聞き及びます。この展覧会についての世論は「賛否両論」ですが、もし多くのメディアがその実態と問題点を正しく報道していたら世論は変わっていたでしょう。メディアはその大きな力で、世論を動かして国を変えることすらできてしまうのです。
それでは、こういった時に私たちはどうすれば良いのでしょうか。幸いなことに現代はSNSが普及して一個人でも情報を発信できる時代で、多くのメディアが目を背ける不都合な真実でも個人がそれを発し受け取ることができるようになりました。勿論不確実な情報やデマもたくさんあるので注意が必要ですが、メディアの力が及ばない所をこうしたSNSが補完していけるのではないかと思っています。前述の展覧会の実態についても、私はたくさんの個人から発信された写真や動画などを見て知ることができました。
インターネットの普及により情報量が増え、私たちには情報の真偽性を見極め取捨選択する力が求められていますが、これは旧来のメディアにも同じことが言えるのです。気づいたら日本が世論に基づいてとんでもない方向に向かって動いていた、あるいは既にそこにいたなんていうことのないように、メディアについて正しく理解している人が増えたら良いなと思います。

次回は今週末行われるマスタークラスについてのレポートを書きます。