Monthly Archives: 9月 2019

ヴェルサイユ宮殿展示演奏

25 9月 2019
ヴェルサイユ宮殿展示演奏 はコメントを受け付けていません

展示演奏会場の様子。クラヴサン担当のシャルルが準備中

早くも日本滞在から一か月が経とうとしています。滞在中はここぞとばかりにいろいろな場所へ行って遊んだせいか、去年よりも望郷の念が少し強く感じられる今日この頃です。
さて、先週末はヨーロッパ各国で「ヨーロッパ文化遺産の日」と題したイベントが催されていました。
このイベントは毎年9月の第3週末に開催され、フランスではその膨大な歴史的建造物のうち、平常時は観光客が立ち入ることができない場所も開放されます。また有料の博物館等も無料観覧できるようになるところが多いようです。
ヴェルサイユはもちろん歴史的建造物の宝庫ですから、ヴェルサイユ公共図書館やイタリア人音楽家旧邸、ヴェルサイユ地方音楽院やヴェルサイユバロック音楽研究センターも観光客向けに開放されました。ヴェルサイユ宮殿も王のアパルトマンや鏡の回廊とまではいかないまでも、王室礼拝堂や王室歌劇場は無料で入ることができたようです。
そんな中、私はヴェルサイユ宮殿の北翼棟にあるフランス史博物館の「ルイ14世の間」の一室で2日間展示演奏を行いました。これらの部屋は元は宮廷貴族のためのアパルトマンでしたが、ルイ=フィリップ王がヴェルサイユ宮殿を博物館とした際に改装され旧体制時代の内装は残っていません。現在では買い戻されたごく少数の家具と、壁面には王族、軍人、学者や文化人などの肖像画が並んでいます。
展示演奏はヴァイオリン同門下の3人で1日2時間半ずつ担当しました。といってもずっと弾いているわけではなく、任意に適宜休憩を入れながらで良いという話でした。
土曜日の私の担当は朝9時半から12時の枠。最初は人が来ずとりあえずリハーサルしようかと言って弾き始めたら、次第に観客が増えてきました。
今回用意したのはジャン=ジョゼフ・カッサネア・ド・モンドンヴィルの倍音のソナタ1曲、ジュリアン=アマーブル・マテューのソナタ1曲と、それにクラヴサンのシャルルが用意したジャン=フィリップ・ラモーのクラヴサン曲2曲です。どれもルイ15世時代、1730-50年代の作品です。
演奏会ではないので楽章が終わるたびに拍手をもらい、次の部屋へ進む客と入ってくる客の動向を見ながら次の楽章に移るという進行でした。でもその場に留まって全ての楽章を聴いてくれる方も多かったです。師匠パトリックと私の部屋の大家さんも来てくれました。
所々で係の方がヴェルサイユ宮殿とルイ14世時代の音楽活動について簡単に紹介していましたが、曲については私から話すことになりました。
全ての楽章を弾き終わると、ありがとうございました、この後も良い観光をと言って締めくくるのですが、そのまま留まって次の演奏を待ち望んで下さる方も多く、またその間にも次々と新しい客が入ってきて本格的な休憩をするということは中々できませんでした。だって客が待っているなら弾きたいですもの。
そんなわけで、給水とトイレ休憩、シャルルが弾く2曲の間を除いてほぼ休憩はありませんでした。いや実際にはあったのかもしれないですが、このような形態の演奏は初めてで精神的に休めなかったというのが実情でしょうか。
終了後はのんびりと配布された昼食をとり、ヴィオル担当で日曜日のみ参加のマノンと合流して翌日のためのリハーサルを音楽院で行った後は帰宅して昼寝…のつもりが相当疲れたのか夕食前まで寝てしまいました。
日曜日の担当は午後、15時から17時半の最後の枠。午前中から午後にかけて雨が降り湿度が上がったのと、日曜日だからか午後の枠だからなのか観客が前日の比ではなく、会場は相当に蒸し暑くなりました。しかもシャルルがパリのメトロで問題があったらしく中々到着せず、観客が待ち焦がれる中で急遽バッハの無伴奏を弾くことになり若干変な汗をかく始末…。私は汗をかきやすいので夏場の演奏は対策を欠かさないのですが、もう秋になって大丈夫だろうと思っていたんです。でもバッハを弾き終わって、やっと到着したシャルルとそのままモンドンヴィルのソナタを弾いていたらもう顔から汗が噴き出していました。
その後は窓を開けてもらったのと、半ばかぶりつき状態になっていた最前列の観客に一歩下がっていただいたので多少は涼しくなりました。でも熱気と湿気で狂ったクラヴサンの調律はそのまま…(笑)。
今回嬉しかったのが、意外?にもマテューのソナタの評判が良かったこと。彼は27年間にわたって王室礼拝堂の楽長を務め、ルイ15世とルイ16世に重用されたヴァイオリン奏者、作曲家でしたが、今日では全く忘れ去られてしまっています。ヴェルサイユ宮殿で約250年後、自分の作品を日本人が演奏するとは彼も思っていなかったでしょうが、多くの人々に受け入れられたのであれば少しは供養になったのかなと思います。
一方課題だったのはモンドンヴィルのソナタで使用した倍音奏法。このソナタはヴァイオリン史上最初期の倍音奏法使用例で、その他の一般的なバロックヴァイオリンのレパートリーではほとんど登場しないこの奏法は、モダンヴァイオリンの弦では何の問題もありませんがガット弦では鳴らし方をもう少し研究しなければいけないなと思いました。

次回はパリの日本人たちの台所、京子食品についてお伝えします、

ヴェルサイユのノートルダム地区(後編)

18 9月 2019
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市民の憩いの場となっている旧王立病院の中庭

すこし夏が戻ってきたようで、日中は半袖でないと少し暑い快晴の日が続いています。しかし日が暮れるのは日増しに早くなり、あの長い暗闇の冬がすぐそこまで来ているかと思うとこの青空を味わえるのも今のうちです。
今週から新学期が始まりました。バカンス中は開校時間が短く、小さい部屋で練習することを強いられていたのでようやくといった感じです。室内楽担当の先生は家庭の事情でしばらく来られないとのことで、アンサンブルは今しばらくお預けに…。

さて、今回は前回に引き続きヴェルサイユのノートルダム地区についてお伝えします。

  • ポンパドゥール夫人の館
  • 前回紹介した王妃の厩舎からさらに西へ進むと、ルイ15世の愛人として宮廷で権勢を誇ったポンパドゥール夫人の館があります。彼女はもちろん宮殿内にもアパルトマンを持っていましたが、宮殿に隣接するこの場所にも館を持っていました。ルイ15世の趣味による建築でしたが、19世紀以降ホテルとして転用された際に高く増築され今日ではよく見る集合住宅のような外観になってしまいました。現在は政府所有で基本的に内部に立ち入ることはできません。

  • モンタンシエ劇場
  • ポンパドゥール夫人の館の右隣に、1777年に完成したモンタンシエ劇場があります。内部は水色と金色で彩られた小さいながらも豪華な劇場です。すぐそばに王室歌劇場があるのに…王政末期の財政難にしては羽振りがいいですね。
    現在では市営の劇場になっていて、演劇を始めたくさんのプログラムを上演しています。機会があれば観てみようと思っています。

  • ランビネ博物館
  • モンタンシエ劇場から北へ進み、レーヌ通りを東へ進むと、ランビネ博物館があります。ルイ15世治世下の建築でランビネ家の館でしたが、1929年にヴェルサイユ市へ遺贈され市営博物館となりました。18世紀の装飾美術品、革命やヴェルサイユ市の歴史に関係する品が展示されています。
    今回の記事を書くにあたり入館しようと思ったのですが、今週末に無料開放があるのでその際に行くことにしました(笑)。
    庭園も様々な花が植えられ可愛らしい仕上がりとなっています。

  • 旧王立病院(リシャール病院)
  • レーヌ通りをさらに東へ進むと、ギリシャ神殿風の正面が特徴的な広大な建築、旧王立病院があります。ルイ14世によって計画された壮大なヴェルサイユ造営では、王の夢の一方で工事による怪我人も続出していました。そのような者たちを受け入れていた慈善病院が1720年にこの王立病院となりました。その後増築が繰り返され現在の姿になりましたが、1981年に病院が移転したことでこの建物は放棄され一時期は荒廃していました。
    しかし2009年から再整備が始まり、現在では内外ともすっかり美しい姿を取り戻しています。中庭は毎日開放され市民の憩いの場になっている他、曜日限定でアート展覧会も開催されています。他の建物内は一般人は立ち入れず静まりかえっていますが、一部は歯科医院となっているようです。

ヴェルサイユは宮殿だけでなく、このようにいろいろな見所がたくさんあります。宮殿があまりにも広大で観光するにはどうしてもそれだけで一日使ってしまいますので、ヴェルサイユには泊りがけで来るか、何度か足を運んで是非他の場所にも行ってみてくださいね。

次週は今週末行われる「ヨーロッパ文化遺産の日」とヴェルサイユ宮殿での展示演奏についてお伝えします。

ヴェルサイユのノートルダム地区(前編)

11 9月 2019
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活気を見せるノートルダム市場

季節はすっかり秋になり、朝晩はだいぶ冷え込むようになりました。道行く人にはなんとコートにマフラーの人までいます。ちょっとそれは早すぎるのではと思うのですが、案外フランス人は寒がりなのでしょうか。
バカンスも今週で終わり、来週から音楽院の授業が始まります。ヴァイオリン科の顔合わせは今週ありましたが、他の楽器にはどんな人が来るのか楽しみです。
さて今週はヴェルサイユのノートルダム地区についてご紹介します。
普段私が行動するのは住んでいるサン=ルイ地区ばかりで、パリ通りを挟んで反対側にあるノートルダム地区にはあまり行かないのですが、実はここにも色々と施設や見どころがあって行ってみると楽しいものです。

  • ヴェルサイユ・ノートルダム教会
  • この地区のシンボルです。ルイ14世治下の1684年から建設が開始され、2年後に完成しました。設計は王の建築家でお馴染みのジュール・アルドゥアン・マンサールによりますが、王室礼拝堂やパリの廃兵院聖堂に比べて非常に静的な外観になっています。正面のファサードは中央扉の左右に2本ずつの円柱が配置され上部の三角の破風を支える構図になっていますが、バロック建築にしては凹凸がほとんど強調されず、装飾も控えめです。
    聖堂に入ると、左手にマンサールの胸像と彼を記念するプレートがあります。身廊(聖堂の中央部分)と側廊(身廊の左右部分)を隔てる壁面は古代ローマ風に円柱のピラスターと上部のフリーズが美しく配置されていて、華やかさは抑えられているもののこの辺りはマンサールらしさが感じられます。奥の内陣部分の天井の縁取りには花の装飾要素が取り入れられています。
    現在、一番奥には「シャペル・デュ・サクレ=クール」と呼ばれる円形の別の聖堂がありますが、これは19世紀になってから増築されたものです。

  • ノートルダム市場
  • ノートルダム教会から教区通りを東に進むと、交差点を囲うように建物が建てられた市場があります。ルイ13世時代からの長い歴史を持つこの市場は月曜日を除く毎日開催されていて、交差点付近の屋外、4隅の建物内で展開され活気を呈しています。ヴェルサイユでフランスのマルシェを堪能したいならここでしょう。
    地下には駐車場が整備され、4隅の馬に乗る貴族の絵でカモフラージュされたエレベーターで行くことができるようです。
    北西のエリアには古美術商店が多く立ち並び、18世紀の調度品たちが店内に飾られているのを窓越しに眺められるのですが、あまりにディープそうでまだ入る勇気がありません笑。まあ買っても今の部屋には置くところがないですしね。
    彼らはまた、ヴェルサイユ宮殿の散逸した調度品の買い戻しや修復にも一役買っているのです。

  • オシュ高校
  • ノートルダム市場をさらに東へ進むと、オシュ高校があります。この建物は元々、ルイ15世の王妃マリー・レグザンスカの命令により建てられた女子寄宿学校で、その後王室大学を経て今日のオシュ高校になりました。正門から庭園と奥の聖堂を覗くだけですが、ルイ15世時代の建築物として一見の価値はあると思います。

  • オシュ広場
  • 今度はノートルダム教会から南に行ってみましょう。1671年にこの地区を飾るために計画された八角形の広場で、当初は噴水広場と呼ばれていました。周囲の建物は殆どが住居ですが、現在でも八角形の広場の構造を保っています。
    今日では噴水はなく、中央にはヴェルサイユ生まれでフランス革命に参加した将軍であるラザール・オシュの銅像が置かれています。銅像周辺の木の下では昼間は年老いたマダムやムッシュが談笑し、夜は若者が屯して騒いでいます。
    ちなみにノートルダム教会からこの広場の方を見ると、オシュの銅像の向こうに宮殿前にあるルイ14世の騎馬像が見えます。整備された美しい街並みですね。

  • 水源のパヴィリオン
  • オシュ広場から西へ進むとすぐ、ルイ14世様式の建物があります。説明をよく読んでみるとここの地下には周辺の噴水へ水を供給するための貯水池があったとのことで、付属の建物が今日でも残っています。通り沿いの建物のドアには呼び鈴とネームプレートがあったので、現在は住居になっているのでしょう。この建物に住めるのか、すごいぞヴェルサイユ。

  • 王妃の厩舎
  • 当初はルイ14世の馬のための厩舎としてルイ・ル・ヴォーの設計により建設されましたが、まもなく宮殿の正面にマンサールの設計による巨大な厩舎が造営されたため、この厩舎は王妃のための馬の厩舎となりました。現在は控訴裁判所となっているため観光目的で入ることはできませんが、正門から中庭とコの字形の厩舎の建物を見ることができます。砂岩と赤煉瓦を配置したルイ13世様式の美しい建物です。

あと4つ紹介したいところがあるのですが、長くなったので来週に持ち越したいと思います。

日本で過ごした夏休み

4 9月 2019
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ついに来訪が叶った厳島神社

皆さまお久しぶりです。先週ヴェルサイユに帰ってまいりました。
日本滞在中、多くの方からこのブログを楽しみにしているとの声を戴きまして、本当に嬉しい限りでございます。2年目も最新のフランスの情報、私の活動の様子やガイドブックにはあまり載っていない観光スポットの紹介などをしていければと思いますので、どうぞお付き合いくださいませ。

さて今回はまだ戻ってきたばかりで特段書くことがないので、この夏休みの私の様子をご紹介します。
滞在許可証を申請した日、深夜の便でシャルル・ド・ゴール空港発。翌日羽田空港到着、日本の携帯電話契約は休止扱いにしていたのでとりあえず空港のWifiで自宅に連絡をし、後は駅などで電波を捕まえて帰ろうかと思いましたが、日本の駅ってFreeWifiはないんですね!完全に忘れてました。電波難民になりながらも一年ぶりの日本の電車を堪能して自宅最寄りの駅に到着し、電波を探し回った挙句駅の中にある喫茶店の微弱な電波を拾い何とか自宅に再連絡。
家では去年と何も変わることなく両親が出迎えてくれましたが、猫たちは最初私のことを忘れていた様子。しばらくすると記憶がよみがえったようで懐いてきてくれました。

数日後、『オルフェ「フレンチ・カンタータの時代」』公演のリハーサルが始まりました。毎年取り組んでいるカンタータですが、この一年で触れたヴェルサイユで行われている研究と演奏からより多くの事柄が見えてくるようになりました。公演当日は例年以上のお客様にご来場いただき、多くの方から「弾き方が変わったね」と言っていただけました。自分では毎日少しずつの変化なので気づきにくいですが、無事成長できているのだなと思いました。

7月末にはずっと行きたかった広島県の厳島神社と、山口県のSLやまぐち号の乗車を目当てに西国旅行をしました。このブログでいつも書いているように、留学後から建築に興味が湧いてきたので、自ずと日本の寺社もそういう視点で見るようになっています。平安時代の貴族邸宅と寺社の建築様式を織り交ぜた社殿が海上に浮かぶ姿は何とも美しかったです。また大鳥居は現在修復中で足場が組まれていますが、行った時は偶然にも管絃祭開催のため足場が撤去されていて美しい姿を見ることができました。無事修復が完了することを祈るばかりです。
ちなみに現在日仏文化交流の一環でフランスのモン=サン=ミシェルに鳥居が出現しているようですが、厳島神社には周辺にポスターが貼ってあるだけで特にオブジェの追加はされていませんでした(笑)。

SLやまぐち号は約20年ぶりの乗車。出国してからとにかく日本の蒸気機関車を見たかったのと、近年新しくなった客車に乗車しに行きました。蒸気機関車はこれに飽き足らず、帰り際に京都鉄道博物館にも立ち寄って身も心も蒸気機関車でいっぱいになりました。
あとは奈良線に残存するあの懐かしい103系通勤電車をひたすら堪能。もう二度と動くこの電車に乗ることはないかもしれないと思うと寂しい限りでした。博物館にもあるけれど、やっぱり生きている車両が一番。
今回の滞在ではこの他にも長野や千葉へも列車に乗りに行き、向こう一年分以上の鉄分を補給しました。やっぱり鉄道は日本のものが好きなんですよね。

その他のトピックと言えばそう、お盆でしょうか。我が家では古式ゆかしく、茄子ときゅうりで牛と馬を作ってちゃんとお盆をやるんです。牛と馬は物心ついてから毎年私が作っていましたが、昨年は既に渡仏していたのでできなかったんです。この先どんどんやる機会が減っていくのかもしれませんが、日本にいる年は必ずやりたいなと思います。別にフランスで作ってもいいんですけどね、あの巨大な茄子で(笑)。

一か月以上に渡った日本滞在もあっという間に過ぎてしまい、あたふたと買い物と荷造りをして出国となりました。帰ってきてみて、日本に置き忘れたものや買い忘れたものがちらほら…リストをもっとちゃんと作らないとだめですね。

今回は日本で過ごした夏休みについてお伝えしました。新学期まであまりイベントがありませんが、次回はヴェルサイユのノートルダム地区について、近々探検の上ご紹介できればと思います。