Posts Tagged Cathédrale Notre-Dame de Paris

パリ・シテ島編①ノートルダム大聖堂の現況

9 10月 2019
パリ・シテ島編①ノートルダム大聖堂の現況 はコメントを受け付けていません

ノートルダム大聖堂の現在の様子

昨日はこの記事を書くためにシテ島へ赴きましたが、粒の細かい雨と風で結構濡れてしまいました。雨の日が増えてきたので、中々外を出歩く気になれず少し運動不足気味です。
シテ島へはノートルダム大聖堂の火事直後以来久しぶりに行ってみました。今回は大聖堂の現況をお伝えします。
大聖堂前のシャルルマーニュ像やポワン・ゼロがある広場、反対側のヨハネ23世広場を始め周囲は白い鉄製の囲いで覆われ、工事関係者のためのテントと事務室が多く設置されています。
木製の尖塔があった位置には火災当時のまま鉄骨の足場が組まれていますが、南側のバラ窓のところにも足場が組まれていました。その他の聖堂の側面にある窓は透明なシートで覆われています。
東側、つまり後陣部分の屋根とフライング・バットレス(外壁から外側に向かって伸びる、聖堂天井のアーチ構造を支える役割を持つ構造物)の内側には木製の枠組みが追加されていました。やはり火災の際に石材が高温にさらされたことにより強度に支障をきたしたのでしょうか。
火災直後に訪れた際は聖堂北側のクロワトル=ノートル=ダム通りは閉鎖されていましたが、現在は通行できるようになっています。この通りからよく観察できる北側のバラ窓は白い覆いが掛けられていて状態を確認することはできません。火災当時火が吹き出ていた上部の小さい窓は損傷が激しいのか木材で補強がなされていました。
以上が大聖堂の外観の現況です。修復は時間がかかるでしょうが、いつの日かまた昔のような美しい姿に戻るといいですね。そういえば尖塔と屋根のデザインはどうなるのでしょうか。18世紀にも趣味の悪い改築が行われ、19世紀の修復で原型に近い姿を取り戻しましたが歴史は繰り返されてしまうのでしょうか。

さて今回はノートルダム大聖堂以外の名所である、サント・シャペルとコンシェルジュリーについてお伝えしたかったのですが、2つの入り口が面しているパレ通りが警察によって封鎖されているではありませんか!といってもこれはノートルダム大聖堂火災によるものではなく、周囲で行われていたデモ対策だったようです。
そんなわけで、来週こそ!お伝えしたいと思います。

【緊急特集】パリ・ノートルダム大聖堂火災による被害状況

17 4月 2019
【緊急特集】パリ・ノートルダム大聖堂火災による被害状況 はコメントを受け付けていません

中央にあった木造の尖塔と聖堂を覆う屋根は完全に焼失した

今回はパリのサント=シャペルをご紹介する予定でしたが、急遽予定を変更してパリのノートルダム大聖堂の現況についてお伝えしたいと思います。
既に多くの方がご存知とは思いますが、パリの中心部シテ島にあるノートルダム大聖堂が15日夜から16日早朝にかけて火災に遭い、フランスのみならず世界中に衝撃を与えました。19:50頃出火し、屋根伝いに徐々に延焼し木造の尖塔も炎上、間もなく崩落しました。懸命な消火活動が行われましたが午前3時頃鎮火に至るまで約7時間燃え続け、結果木造部分の尖塔と屋根が完全に焼失する結果となりました。
火災当時、私はヴェルサイユの音楽院でちょうど室内楽の授業に参加していましたが、教室の隅の方で数人がスマートフォンの画面に映るニュース映像を手に「ノートルダムが燃えている」と騒ぎ出しました。初めは当然先生が私語をする生徒たちを一喝しましたが、間もなく一時この話題で持ちきりに。私は演奏担当だったのであまりその人たちのそばに行けず、どこのノートルダムだろう、もしかしてヴェルサイユ?とも思いましたが間もなくあのパリのノートルダムだと知りました。
22時頃帰宅してからずっとライブのニュース映像を見ていましたが、一向に鎮火する様子はなく勢いよく燃えていました。ヴォールト天井や壁面、絵画やステンドグラスもただでは済まないのだろうと考えていました。就寝前に日本でも盛んに報道されていることを知り、世界の注目度を改めて認識しました。

TwitterなどをはじめとするSNSの普及によって憶測やデマが横行しがちな現代ですので、これは自分の目で確かめなくてはと思い昨日の午後現場周辺を見に行ってきました。
語学学校の授業が終わりモンパルナスからシテ島へ向けてメトロに乗りましたが、現場周辺のサン=ミッシェル・ノートルダム、シテ駅などは閉鎖されており通過扱いになっていましたのでオデオン駅で降りて歩くことしばし。サン=ミッシェル広場まではいつもと変わらない人混み(常に混雑している観光地ですので)でしたが、セーヌ川沿いに大聖堂を望めるサン=ミッシェル通りとその先のモンテベロ通りは大聖堂の見物客でごった返し、ポン・デ・クール橋は警察によって封鎖されており報道陣の車が多数止まっていました。
まもなく大聖堂の入り口にあたる西正面が見えてきましたが、西側のファサードと2つの塔は見る限りでは無傷でした。北の塔に延焼したという報道を聞いたような記憶がありましたが、特に焼けたような様子は確認できないように思います。
続いて南側。西側から東側の後陣まで聖堂を覆っていた群青色の屋根と木造の尖塔は完全に無くなり、石の建造物と化しています。外壁、ステンドグラスは見た限りではほぼ被害はありませんが、唯一バラ窓と呼ばれる円形の窓の上部にある小さな窓のステンドグラスは失われたようで、その窓から火が出ていたことを物語る焦げ跡が残っていました。大きなバラ窓が失われなかったのは幸いでしたが、上部の小さい窓の焼失は大変残念です。
後陣部分に回って見てみると、あの壮観なフライング・バットレスは相変わらず健在ですが、屋根がなくなったために禿げ頭のような印象になってしまいました。しかし後陣部分も外壁やステンドグラスの損傷は見受けられませんでした。セーヌ川の散歩コースや橋の上には写真を撮る人、報道陣にインタビューを受ける人などで混み合っていました。
サン=ルイ島を経由して北側へ回ってみましたがシテ島が封鎖されているため外壁を見ることはほとんどできませんでした。前の建物に遮られていないバラ窓上部の三角形の部分は見ることができましたが、残念ながら南側同様こちらの小さな窓のステンドグラスも失われてしまいました。焦げ跡は南側よりもはっきり分かるほど黒ずんでいます。

以上が外部から見ることができた現況です。率直な感想としては、尖塔と屋根以外は思ったほど被害を受けていないなという印象です。行くまではもっと深刻な被害が出ているだろうと思っていました。最も遠くから外観を見ただけですので、詳しくは何とも言えません。
内部はニュース映像や写真で確認することしかできませんが、ヴォールト天井は中央部と後陣部分の2か所に穴が開いており、他の部分も長時間炎に晒されたわけですから多少なりとも被害はあるように思います。聖堂内部は屋根や尖塔の瓦礫が散乱しています。聖遺物などの文化財は消防隊による決死の救出劇により難を逃れたと報道されていますが、壁面にあった大量の絵画や彫像はどうなったでしょうか。また音楽界では話題になっている大オルガンは、火と放水によって残念ながらほぼ完全に破壊されたという記述がありました。オルガンは典礼上重要な役割を担うわけですから、これはとても残念なことです。
マクロン大統領は強い語調で再建を宣言していましたが、黄色いベスト運動など多くの問題を抱える中で果たしてうまく事が運ぶかどうか。パリのシンボルですので再建しないということはあり得ないでしょうが、おそらく私の留学中はもう内部には入れないのだろうと思っています。まだ塔にも上っていなかったのに。
ところで出火原因は一体何なのでしょう。まだはっきりとした原因は特定されていないようですが、修復工事の何かが原因となっていることは間違いありません。この点を早く突き止めないと、現在目下修復中のヴェルサイユ宮殿を始め多くの現場も「対岸の火事」ではないことになります。
いつも当たり前にそこにあって、空気のように街並みに溶け込んでいる歴史的建造物。何百年もその雄姿を見せてくれているものでさえ、常なるものはないなと改めて感じた事件でした。

今回はパリ・ノートルダム大聖堂の現況についてお伝えしました。次回はソー公園の花見祭りについてお伝えしたいと思います。
それにしても、またサント=シャペルに行き損なってしまいました…。シテ島が落ち着いてから行くことにします。