Monthly Archives: 9月 2020

修了リサイタル

23 9月 2020
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サル・ラモーでの最後の演奏会になりました

先週土曜日は帰国に際して処分する品を譲渡するために、パリ周辺に住む知り合いを数人誘って交流会を開きました。私自身、引き揚げる3人の方からいろいろな品を譲っていただいていたので、大半の品が次の持ち主の手に渡って良かったです。ただテュイルリー庭園でやっていたのですが、途中から大雨になって散々な目に…。笑
日曜日はツール・ド・フランスの最終ステージで、ヴェルサイユ宮殿前もコースに含まれていたので観戦に行きました。15時半頃からスポンサー企業の車列がクラクションを頻繁に鳴らして粗品を観客に放り投げながら通過。警察や救急車の乗員まで車内から記念撮影を行ったりしていて、何だか良くも悪くもフランスだなと思いました。そのまま待つこと1時間半あまり、競技者たちが通過。殆ど群衆で走行していたので長らく待った割にはわずか1分ばかりの観戦時間でした。まあ一度見てみたかったので良い思い出です。本当は同日行われていたルマン24時間耐久レースに行きたかったのですが、次の日にリサイタルを控えて土曜日から泊まりがけはさすがに叶いませんでした…。

さて今回は修了リサイタルの模様をお伝えします。
元々6月に試験を兼ねた修了リサイタルが予定されていたのですが、感染対策のため全ての公開試験は中止となり、2019年度の卒業者は試験がないまま卒業となってしまいました。しかしこれで私が留学を終えるのはあまりに不憫に思ったのか、パトリックが9月に記念のリサイタルをやるように勧めてくれました。
ヴェルサイユの音楽活動ではリュリを始めルイ14世時代の作品を演奏する機会が非常に多く大変勉強になりましたが、私がテーマに選んだのはルイ15世時代のロココ様式。ルイ15世の王女でヴァイオリンを達者に弾いたマダム・アデライードに捧げるプログラムという体裁を取りました。
何故ロココ様式を選んだのかというと、まず日本にいる時からこの様式が好きだったのと、ヴェルサイユ宮殿の多くの部屋はルイ14世の死後様々な主人によって改装されていて、まさにロココ様式の粋を今日に伝えており、それらを見ることによって見識が飛躍的に広がったからです。またルイ14世時代はヴァイオリンはまだあくまでオーケストラや舞踏での伴奏楽器としての役割が大きく、フランスでヴァイオリンの独奏曲が発展するのは主にルイ15世時代であり、このレパートリーを押さえるのは必須と思いました。
そんな訳で、今回選んだのはマダム・アデライードの時代にヴェルサイユで活躍したアントワーヌ・ドヴェルニュ、ルイ・オベール、ジュリアン=アマーブル・マチューの3人のソナタ。ドヴェルニュはオペラで若干有名ですが、オベールとマチューはフランスでもまだまだ知名度が高くありません。しかし特にマチューは最後の王室礼拝堂楽長として王国の終焉まで活躍しており、宮廷で非常に重用された存在だったようです。
昨年来ソロを弾く時に伴奏を頼んでいるチェロとチェンバロの同僚に今回も共演を頼むことができ、リハーサル3回、レッスン2回で本番に臨みました。彼らもロココ様式の雰囲気を掴むのはなかなか難しいようで、試行錯誤しながら進めていきました。
当日は午後にリハーサルかつ最後のレッスンがあった後、直前に2、3箇所微調整をして本番へ。音楽院が公式に主催しているわけではないのであらゆるセッティングを自分でやらなければならず本番前は結構大変でした。お客様は感染対策のため門下の同僚はリハーサルに来るなどしてできるだけ人数を絞って20人弱、間隔を開けて着席しました。
パトリックのコメントが少しあった後に私もコメント。日本語同様大まかに話の内容を決めるだけで話したので、未だフランス語が不完全なのがバレました…もう仕方ないですね。
この日も日中は暑く、室内の空気もまだ少し温かいままだったので演奏中は汗だくになりました。
2曲ソロソナタを弾いた後、最後のマチューはパトリックとのデュオ。1764年出版の作品ですがもう片足をクラシックに踏み入れたような曲で締め括りました。
通常のアンサンブルの演奏会なら終わった後にその場でパーティーをするのですが、感染対策のためそれも中止。有志で近くのバーに行って解散しました。
この2年間、パトリックを始め素晴らしい先生から教えを受けたのもさることながら、ヴェルサイユ地方音楽院の18世紀からある歴史的な建物の部屋で練習、演奏する機会を得ていたことは大変貴重だったなと、改めて思いました。

このヴェルサイユ便りも次回で最終回になります。引き揚げ準備の模様と、留学の総括を書きたいと思います。

ヴェルサイユ宮殿観光の手引き・国王のプティ・アパルトマン編

16 9月 2020
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振り子時計の部屋

なぜか今週に入り突然暑くなり、昨日の気温は33℃。一体どうしたというのでしょうか…。夏用の服は母に持って帰ってもらってしまったので、Tシャツのローテーションがかなりきついです。
来週に修了リサイタルを控え、今週は自主練習とリハーサルの合間を縫い、少しずつ月末の帰国に向けた片付けをしています。

今回はヴェルサイユ宮殿シリーズのラストを締めくくる、国王のプティ・アパルトマンをめぐるガイドツアーに参加した感想をお送りいたします。
以前から「マルスの間」の扉の向こうや「閣議の間」の先に連なる部屋を巡るガイドツアーが行われているのを見て行ってみたいと思っていましたが、気が付いたら留学も最終盤になってしまいました。公式サイトから10€のガイドツアーを予約していざ宮殿へ。
集合場所は正面に向かって左の閣僚棟になります。チケットの画面を見せて、ガイドの解説(フランス語のみ)を聞くためのイヤホンを装着して出発。一般客と同じ入口から入るためやや列が途切れそうになりながら、荷物検査を済ませ大理石の中庭まで進み、宮殿全体の簡単な説明があった後に、向かって右側に位置するアデライード王女のアパルトマンの出口の右にある柵を開錠し中に入ります。ここ通ってみたかった!
プティ・アパルトマンに入る前に、まずこの場所にかつてあった「大使の階段」の模型見学と解説があります。「大使の階段」は1679年に完成した壮麗な空間で、国王のグラン・アパルトマンに通じる公式階段として訪問者を出迎えていました。多色の大理石と金鍍金のブロンズ、ル・ブランの絵画により装飾された美しい空間でしたが、ルイ15世時代になると次第に使われなくなり荒廃したためと、王が内殿の拡充を望んだことから1752年に取り壊されてしまいました。代わりに造られた簡素で狭い階段はこの見学の最後に通ることになります。
マリー・アントワネットの肖像画が掛けられた玄関ホールと衛兵の間を抜けて、手摺の下に繊細な装飾が施された「王の階段」を登って行くと、「犬の控えの間」に着きます。名前の由来は金鍍金が施された繊細な猟犬たちの装飾によっていて、この一帯の部屋は「狩猟」がテーマになっています。ルイ15世も歴代の王同様に狩猟を好んでいました。室内を飾る絵画の内数点がモノクロの複製品になっているのですが、かつてそこにあった絵画をイメージして挿入しているか、あるいは修復中でしょうか?
「狩帰りの食事の間」では週に1度か2度、狩猟から帰ってきたルイ15世が取り巻きと共に食事を摂っていました。室内の装飾は簡潔ながら洗練されており、今日では稼働していませんがルイ16世時代に製作された豪華な気圧計が置かれています。
少し順路を戻って「振り子時計の間」を通過し、「ルイ15世の寝室」に案内されました。「振り子時計の間」は素通りかと思い素早く写真を撮りましたが、後でちゃんと戻るのでご安心あれ(笑)。ルイ15世は、ルイ14世が晩年使用していた城館の中央にある「王の寝室」では実際に就寝せず、儀式用の寝室として実際の寝泊まりはこの「ルイ15世の寝室」でしていました。もっとも、儀式用の寝室はグラン・アパルトマンにもあるのですが…。ここも非常に洗練された装飾で、扉の上にはルイ15世が愛した王女たち(娘としてだけではなく女性として愛していたという噂もある…意味深)の絵画があります。部屋の大半は白い布で仕切られその奥が見えないようになっていたのですが、色々な写真を見てみると寝台を置くためのくぼみであるアルコーブがあるようですね。現在は修復中なのでしょうか?
「振り子時計の間」に戻ります。ルイ15世は天文学に興味を持っており、現在も稼働している年月日、月の弦を表示する振り子時計が置かれているのが部屋の名前の由来です。この時計はフランス王国で初めて公式時間を定めるのに使用されました。また部屋を斜めに横切るように床に埋め込まれている銅の線はパリ子午線を表しています。この部屋の装飾も繊細で美しく、特に天井のシャンデリアを吊るす部分と北側の壁面の羽目板装飾が凝った作りだなと感じました。
次は「王の奥の間」または「角の間」。ちょうど城館の角に位置しています。この部屋で、ルイ15世はポンパドゥール侯爵夫人の葬列を涙ながらに見送ったとか。毎度同じ感想ですが、今回は奥の間だけあって非常に洗練され凝った装飾があしらわれています。まさにルイ15世ロココ様式。ルイ14世のバロック様式も圧倒的な美しさがありますが、これはこれでまた圧巻です。今日この場所にある家具も凝ったものばかりで、部屋によく調和しています。
「次の間」、「黄金の皿の間」、「浴室」と小さい部屋が続きます。ルイ14世時代までは王の絵画、書物、宝物などの展示スペースになっていて、ダ・ヴィンチのいわゆる「モナ・リザ」もかつてはここに展示されていました。「黄金の皿の間」は特別に装飾が細かく、壁面の羽目板装飾には様々な楽器がデザインされています。これはかつて、ヴァイオリンを巧みに演奏し音楽を愛していたアデライード王女の奥の間だった事に由来します。「浴室」は羽目板部分に水浴びする人々が描かれている装飾が施され、水の喜びを表しています。ルイ14世は大の風呂嫌いで生涯で数回しか入浴しなかったそうですが、ルイ15世はそうではなかったようですね。浴槽はルイ16世によって使用用途が変更されたため撤去されてしまいました。
次からはルイ16世様式の部屋になります。「ルイ16世の図書室」は地理学が好きだったルイ16世のお気に入りだった部屋で、地図を大きく広げるための大きな円テーブルや地球儀があり、壁面は金で縁取られた本棚で占められています。面白いのは2つある通路の扉までまるで本棚であるかのように、本の背表紙たちだけが扉に据え付けられていること。扉を開けるときに妙な感覚がします(笑)。
次の「磁器の食堂」はルイ15世が狩り帰りの夜食のために整備しましたが、主にルイ16世時代に盛んに使用されました。最近修復が行われたのか、目を見張るほど金鍍金の装飾が鮮やかで、椅子と扉を隠すカーテンの水色とのコントラストも相まって非常に美しいです。部屋の名前の由来は、ルイ16世が毎年クリスマスになるとこの部屋で王立セーヴル製陶所の新作を紹介したことだそうです。
大アパルトマンに通じる狭い階段に面した「軽食の間」は現在セーヴル焼を展示するコーナーになっています。ここから扉を開けて、大アパルトマンのヴェニュスの間へ入る体験が少しできます。
階段の反対側には「ルイ16世の娯楽の間」がありますが、明かりがつけられておらず入り口から中を覗くだけでした。ここはかつて、ルイ14世の「珍重品陳列室」であり「豊穣の間」から入れる部屋でしたが、その後改装され原型を全く留めていません。ルイ16世時代には王が親しい者たちとコーヒーを飲んだり娯楽に興じたりする空間でした。
階段を下りて「大使の階段」の模型があるところまで戻り、見学は終了です。その場で解散になるので、ここから個人的にグラン・アパルトマン等の見学を始めることもできます。

ロココ様式の粋を見ることができる国王のプティ・アパルトマンの見学ツアー、是非予約して行ってみて下さいね。
次回は私の修了リサイタルの模様をお伝えします。

国王戴冠とシャンパンの町ランス

9 9月 2020
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ノートルダム大聖堂の正面で記念写真

先週はフランスに滞在していた母と共にシャンパーニュ地方の町、ランスへ行ってきました。
パリの東駅からTGVに45分程度乗れば着いてしまうランス、歴代国王が戴冠した町だけあって1度行かなければと思っていながらなかなか実現せずにいました。近いと逆にいつでもいいやと思ってしまいますよね。しかし今回、母が喜ぶシャンパンのセラーも目的の一つとしてついに行くことになりました。
駅を降りると、正面にさりげなくジャン=バティスト・コルベールの銅像があります。ここは最後帰るときに通ったのですが、ルイ14世の財務を支えたコルベールはランス生まれなんですね。
駅から15分ほど、17-8世紀の古い街並みを楽しみながら歩いていくとランス・ノートルダム大聖堂の鐘楼が見えてきました。見るからに装飾の細かいゴシック建築です。正面に回ってみると、聖人などの彫刻で扉付近が埋め尽くされていてものすごい迫力があります。
しばらく大聖堂正面を観察した後、朝一番に入場予約をした大聖堂に隣接するトー宮殿へ先に入りました。今はコロナウィルス対策でどこも事前予約が必須で、旅行をするにもあまりスケジュールの融通がききません。
トー宮殿は平時は大司教の住まいで、新国王が戴冠するためにやってくるときには御座所として使用され、様々な祝典も行われました。現在は戴冠にまつわる宝物や大聖堂の彫刻のオリジナルを保管する博物館になっています。入って早々、大きな不発弾が置かれていて何だろうなと思っていたら、ランスは第一次世界大戦中にドイツ軍との戦闘の舞台となって、かなりの被害を受けたんですね。砲撃後の町の写真や、鉛が溶けだして固まってしまった大聖堂のガーゴイル(雨水を排出する役割を持つ彫刻)などが多数ありました。

シャルルマーニュの護符や戴冠式で使用する聖杯

階を上がると大きな饗宴の間があります。立派な暖炉と高い天井を持つこの部屋で戴冠に際する饗宴が催されていたんですね。
順路を進み宝物を保管している部屋に行くと、シャルルマーニュの護符や戴冠式で使用する聖杯などがあります。シャルルマーニュの護符は注意しないと見逃してしまうほど小さなものですが、とても価値のある品です。
オリジナルの彫刻が陳列されている部屋を通ると順路の最後に、大聖堂の中央扉の上を飾る彫刻のオリジナルがあります。聖母マリアが冠を授けられている様子を描いていますが、冠が風化していてまるで拳骨を食らっているようだと母が言っていました(笑)。向かって一番右の天使がにんまり笑っているのでこれが有名な「微笑みの天使」かなと思ったのですが、笑っている天使の彫刻はいくつもあるようで、一番有名なのは正面扉付近にあるものらしいです。

西側正面の室内側の聖人たちとバラ窓

宝物やオリジナルの彫刻を見終えたところでいよいよ大聖堂へ。まず入って驚いたのは西側正面の室内側にも聖人たちの彫刻があること。様々なゴシック聖堂を見てきましたが、内側にまでこういった彫刻が施されている聖堂は初めて見ました。上下2つのバラ窓、その中間に位置する横長のステンドグラスの美しさは写真では到底伝わりません。そして何といっても天井が高い!中心部の高さは38mあり、フランスで最も高いとのこと。
中央を祭壇に向かって進んでいくと、「ここで聖レミがフランク王クロヴィスを洗礼した」と書かれた石板が床にはめ込まれています。古い聖堂の位置から、おそらくこの付近でフランク王国の初代国王クロヴィスが洗礼を受けたと考えられています。フランク王国は現在のフランスの起源となった国で、初代のクロヴィスがレミギウス司教(聖レミ)から洗礼を受けたことに由来し、その後ランスの司教から聖別されて戴冠しなければフランスの正式な国王として認められないという慣習が定着しました。そのためルイ14世は勿論の事、ほとんどの歴代国王がこの大聖堂で戴冠しています。戴冠式が行われる聖堂として多くの参列者を収容する必要があることから、次第に増築され現在のような大規模な聖堂となりました。
祭壇に向かって左方にある北側のバラ窓は天地創造を表していて、下には立派なオルガンが備え付けられています。通常祭壇と向かい合うように西側にある事が多いオルガンですが、この聖堂は西側の大部分がステンドグラスであるため設置する場所がなかったのでしょう。
奥に向かって進むと白いドレスと甲冑を着たジャンヌ・ダルクの像があります。百年戦争中のフランス国王シャルル7世にここで戴冠するよう勧めたジャンヌですが、この像はその後の悲しい末路を予感させるようです。
祭壇裏の北側のステンドグラスはバラ窓と違って近代的なデザインのものになっています。これは1974年にシャガールが寄進したもので、非常に評価が高く有名なのですが私としてはやはりゴシック建築に合う古いステンドグラスの方が好みですね。
南側へ移動していくと、「死と復活の祭壇」とその手前にローマ時代のモザイク床があります。祭壇の彫刻も素晴らしいのですが、古代ローマファンとしては先にモザイク床の方へ目が行ってしまいました。ローマ時代、ここには浴場があったようです。
南側のバラ窓は復活を表しています。大きな円の中に小さい円を組み合わせたデザインで、下にある3つの中くらいの円とよく調和していますね。
南側の身廊にはここで戴冠した25人の国王の名前が刻まれた石板があります。ほぼフランス国王一覧といった感じです。
最後に改めて大聖堂を眺め、戴冠式の際の華やかな様子に思いを馳せて見学を終えました。本当に来てよかったです。

母の目的であるヴーヴ・クリコのワインセラーに向かう途中に聖レミ旧大修道院(聖レミ聖堂)がありうまく立ち寄ることができました。聖レミの遺体が安置されている聖堂で、ロマネスクとゴシックの様式が混在しています。西側正面は先ほどの大聖堂で、彫刻で覆いつくすような壁面を見てしまったのでやや簡素に見えてしまいますが、ロマネスク様式の建物をゴシック様式で装飾していることを考えると標準的といったところでしょう。
聖堂内へは南側から入ります。内部に入って驚いたのが、外観のやや質素な印象と打って変わって内部は壮大で身廊の幅が広くとられており、特に驚いたのは側廊の2階部分に当たる階上廊(トリビューン)が1階部分と大差ないほどかなり大きく設計されているということです。また西側のステンドグラスもノートルダムに負けないほど美しいです。
南側の身廊にはこの聖堂で戴冠した9-10世紀の3人の国王の名前が記された石板がありました。何故3人だけこの聖堂で戴冠したのか気になりましたが調べても良く分かりませんでした。ただ同じようにランスの司教から聖別され戴冠しているので意味はさほど変わらないのだと思います。
祭壇の奥に聖レミの遺体が安置されていますが、この構造物は19世紀に再建されたものだそう。唐草模様のようなデザインの金属製の扉が備えられていて内部が良く観察できませんでしたが、金色の小さな祭壇があります。これを取り巻く仕切りは非常に豪華なバロック様式のもので、大理石の円柱の間に歴代の司教(だと思います)などの像が並んでいます。
北側に聖レミ博物館が併設されていますが、ちょうど昼休みだったので後で入ることにし、いよいよ母お待ちかねのヴーヴ・クリコのシャンパンセラーへ。

ヴーヴ・クリコのシャンパンセラー

今回は母のために英語の解説による一人あたり55€のツアー「クリコのサインClicquot
signature」を予約しました。ヴーヴ・クリコの歴史を知りながら迷路のようなシャンパンセラーを進んでいき、終盤で2つのシャンパンのブラインドテイスティングがあるコースです。
受付でEチケットを見せて待合室で待つことしばし、ガイドの男性に導かれ道路を挟んで反対側の建物から階段を下りセラー見学が始まりました。ただこの人、英語がフランス語訛りかあるいはどこかの言語訛りなのか、何を言っているのかとにかく全然分からない(笑)。それでも渡されたタブレットや途中にある画面での動画による解説や、ボトルを保管する棚、ボトルを回転させる機械などを見ることで楽しむことができました。セラー内は寒いかと思いきや、長袖程度で十分の温度でした。
ブラインドテイスティングでは最初に注がれたシャンパンの方が馴染みのある味で、2つ目の方は少し後味が残る感じで私は1つ目の方が好きだったのですが、種明かしが行われると2つ目の方が熟成されたシャンパンでした。値段もかなり違うと思います。まあ私にはもったいないということでしょうか。ちなみにテイスティングといっても結構大きなワイングラスに半分ほど注いでくれるのが2杯なので、私は結構酔いました(笑)。
最後に1900年代から年号が書かれた階段を上って見学終了。時々飛んでいる年があるのが謎でした。ブティックでは母がロゼの辛口シャンパンをお買い上げ。日本で買うよりもずっと安いです。

ほろ酔いで歩きながら元来た道を戻り、聖レミ博物館へ。ベネディクト会の修道院だった18世紀の建物を使用していて、均整のとれたバロック建築になっています。展示室には先史時代からの日常品、武器、彫像といったあらゆるものが所蔵されていて、私の好きなローマ時代の品もたくさんありました。

パリから気軽に日帰りできる町ランス、皆様も是非行ってみて下さいね。
次回はヴェルサイユ宮殿シリーズ、ガイドツアーでしか行けない国王の私的アパルトマン群をご紹介します。

「夏の歓楽」での24のヴィオロンと師匠とのデュオ

2 9月 2020
「夏の歓楽」での24のヴィオロンと師匠とのデュオ はコメントを受け付けていません

レコレ庭園で行った師匠とのデュオ

最近は旅行記ばかりでしたが、今回は久しぶりの音楽活動報告です。
現在ヴェルサイユでは「夏の歓楽Plaisirs d’été」と銘打った13日間のイベント週間が催されています。コロナ禍で中止になったモリエール月間の代替、新型コロナウィルスによる外出制限からしばらく経ち少し余暇が楽しめるようになったことを祝う目的で、市内の様々な場所を使い演奏会、演劇などの公演が行われています。感染拡大防止のため予約制にしたり、屋外で行ったりするなどいろいろと腐心しているようです。
その中で私も2つのプロジェクト、3つの演奏会に参加しました。
1つ目のプロジェクトは昨年もご紹介した、パトリックの弾き振りによる24のヴィオロンのオーケストラで、弦楽器はヴェルサイユ・バロック音楽研究センターが保有する通常のヴァイオリンよりも一回り小さいドゥシュ・ド・ヴィオロン、3つの異なる大きさのヴィオラ、チェロよりも大きく全音低い調弦によるバス・ド・ヴィオロンを使用します。私は今回も主旋律を担当するドゥシュ・ド・ヴィオロンを演奏することになったので、倉庫から出して各自使う楽器を決める際に昨年も使用したおそらく最も状態の良い「ポリドール」をすかさず手に取りました。あまり使われていないのか結構状態の悪いものも中にはあるので…。
今回は感染拡大防止のため出演する演奏者も制限され、本来5人いるドゥシュ・ド・ヴィオロンは練習こそ一緒にしましたが、本番ではA、Bグループに分けられ私以外は2回ある公演のどちらかのみの出演となってしまいました。ヴィオラやオーボエ、ファゴットも同じような状況で、せっかく人数が多いのに減らされてしまうのは残念でした。
演奏曲目は「夏の歓楽」のイベントに合わせた内容で、リュリの《魔法の島の歓楽》、《愛の神の勝利》、4月に舞台上演が行われるはずだったマレの《アリアヌとバッキュス》の器楽曲抜粋、当アンサンブルも演奏したド・ラランドの《国王の晩餐のための音楽》の第三カプリース(国王が度々所望した)を演奏しました。リュリもド・ラランドももちろん素晴らしいのですが、マレの《アリアヌとバッキュス》の序曲やシャコンヌがとても味わい深い曲で、4月の舞台上演が叶わなかったのが本当に悔やまれました。
今回のメンバーはヴェルサイユや周辺の音楽院の学生を中心に、バカンス中であまり人数が集まらなかったのかフランス以外で学んでいるという学生もいました。全体的なレヴェルは、まあ残念ながらアマチュアの域を出ないくらいです。
リハーサルはヴェルサイユ地方音楽院のオディトリウム(ホール)で行われました。練習中以外はマスク着用、入口と出口の導線分け、休憩中は室内に残ってはいけないなどいろいろ不便はありましたが、リハーサル自体は以前とほとんど遜色ない環境で行われました。パトリックの指導はいつも通り明確でしたが、曲が多い割にリハーサルが3日間しかなく、オーケストラとしての成熟度も曲の完成度も今一つといった感じで本番を迎えてしまいました。特にオーボエバンドはもう少し音程やタイミングの整理をしてほしかったです。
一回目、金曜日20時からの本番はヴェルサイユ宮殿併設の大厩舎の中庭で行われました。野外ですが四方を壁に囲まれしっかりとした音響があります。ただあまり天気が良くなくリハーサルを終え皆が舞台を下りた直後、突風が吹いて譜面台が殆ど全て倒れるという事件が発生。その後、譜面台の足と床をテープで固定したようなのですが、本番までに少し雨が降ったのでテープが剥がれ使い物にならなくなっていました(笑)。本番中は風で楽譜がめくれないように用意された洗濯バサミで固定しながら進めていきましたが、強い風が吹くと留めていない箇所がめくれます。さらに直前に雨が降ったので湿度が高く、室内と違い気温が低いことも相まって調弦があっという間に狂ってしまい開放弦が殆ど使えない中で演奏を続けなければなりませんでした。17-8世紀はこうした野外演奏も当たり前のように行われていたので、当時と同じようにその中で起こる問題に直面し対処する良い経験ができましたが演奏のクオリティーは下がりました。
観客は座席が少ないためか事前予約で一杯で、70-80人はいたと思いますが本当なら座席を増やしてもっと多くの方に楽しんで頂きたかったです。何とか最後まで雨は降らず、演奏者、観客とも濡れずに済みました。
2回目の公演は日曜日の19時から行われたのですが、残念ながらこの日は金曜日にも増して雨模様で、事前のリハーサルでは学校のオディトリウムでの演奏に切り替えるかもしれないと案内がありました。しかし直前にいくらか天気が回復したことで厩舎での野外演奏を決行。結果、リュリを演奏し終えたところで雨が降り出してしまい、そのまま止まずプログラム半ばで終了となってしまいました。学校でやれば最後まで演奏出来てクオリティーも良かったのに…。お世話になった楽器ポリドールともこれでお別れです。

2つ目のプロジェクトは師匠であるパトリック・コーエン=アケニヌとのヴァイオリンデュオで、ルクレールのソナタを3曲演奏しました。リハーサルはオーケストラのリハーサルの間をぬって行いましたが、お互いになかなかきつかったですね。私も指導監督されるだけでなくアイディアを出しながら仕上げていったのですが、それでも師匠のアイディアや音色の豊富さには改めて勉強させられました。
本番はオーケストラ公演日に挟まれた土曜日16時から、音楽院の近くにあるレコレ庭園で行われました。この日も雨模様で、直前には強い雨も降りましたが開始時間には何とか回復。途中で数滴雨粒を感じましたが雨に関しては何とか最後まで持ちました。問題だったのは風で、演奏中何度も突風が吹いて譜面台が倒れそうになったり、一度私の楽譜がめくれて演奏不能になってしまいもう一度演奏しなおさなければならない事態も発生しました。野外演奏は経験が必要ですね。
アンコールには直前に渡されたラべ・ル・フィス編曲によるラモーの有名な《未開人たちの平和のパイプの踊り》を演奏。しかも私の方が格段に難しい伴奏パート担当になり、頑張って譜読みしました。パトリックの方はほぼ原曲通りなので余裕で弾いていました(笑)。
観客は40-50人ほどが来ていたと思います。予約不要だったので大家さんや知人を気軽に誘うことができました。演奏中の写真や、ある人のスケッチがVilledeVersaillesのインスタグラムに投稿されていたようです。
終了後すぐに宮殿へ向かいパトリックと共に鏡の回廊での夜会に出演。毎週あった私の出番もついに最終回を迎えてしまいました。

次回は今週行くシャンパーニュ地方の都市、ランスをご紹介します。