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失われた3ヶ月と久しぶりのヴェルサイユ

24 6月 2020
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王妃もマスク着用でお買い物

不定期更新と言いながら自粛生活続きで大して書くこともなく、約3ヶ月が過ぎてしまいました。先週末にようやくヴェルサイユへ戻って参りました。
思い起こせば日本へ緊急帰国した直後にパリがロックダウンし、交通網が麻痺して空港へ行くことも困難になったと聞き及びますので、早く決断してよかったなと思いました。ロックダウン中のパリの様子はニュースで見ましたが、いざ帰ってきてみると電車やバスでは全員がマスクを着けているという、以前では考えられないような状況になっています。それもそのはず、今や公共交通機関でマスクを着用していなければ135€の罰金が科せられるのです。以前はマスクを着けているとあからさまに避けられたり、「お前はコロナに感染しているのか」と聞かれたりする(実際に一度聞かれました)ので肩身の狭い思いをしていましたが、これで大手を振ってマスクを着用できます。ただ着用が義務でない場所では彼らは相変わらず殆どマスクを着用せず、カフェやバーで以前と同じように密集して食事や飲酒を楽しんでいて、日曜日の夜などはバーの前で音楽を大音量でかけてロックフェス状態に…。人々の意識はそう簡単に変わらないということですね。あと屋外を出歩く際にはマスクが必要ないのは同意できるのですが、着用が義務付けられている時だけ形だけして後は取ってしまうとなると、頻繁にマスクの表面や顔を触ることになるのであまり意味がないのかなと思います。

今回は、この3ヶ月の私の動向と、その時考えたことを綴ってみたいと思います。
まず羽田空港に降り立って、入国手続きの中で日本の水際対策を実際に垣間見ましたが、率直に申しましてあまりに緩いなと思いました。当時は中国の湖北省を始め幾つかの省とイタリアからの渡航者しか制限を設けていなかったように記憶していますが、中国は中国全土、イタリアはEU全土を制限対象にしていないと全く意味がありません。陸路で別の制限対象域外に移動してそこから渡航して、制限域内にいたことは黙っていれば容易に入国できるということですからね。特に中国は武漢の都市封鎖の前に既に半分の住民が脱出していたと聞き及びますからなおさらです。インバウンド需要の落ち込みなど気にせず、もっと早く広域にわたって入国禁止措置をしていれば今のような結果は招かなかったと思います。日本は島国で空路か海路でなければ入国できず、EUのように他国に意思決定を左右されることがない。後になって今のように世界中の国々からの入国を禁止できたわけですから、もっと早くできなかった理由がないですよね。ただこれを追求する政治家やマスコミがほとんどいないのは、やはり日本は大きな闇を抱えているという他ありません。
あと、帰国してくる邦人に対しても2週間の「自己隔離要請」しかできないなど何ともおかしな話です。空港や港の周辺の宿泊施設を借り上げて2週間そこに滞在してもらうくらいのことはやろうと思えばできるはずですが、未だにそのようなことはありません。そして「要請」は強制力がないので拒否されればどうにも手出しができない。この問題の根源は要するに、憲法に行き着くわけです。
そんなことを考えながら2週間、自分がもし感染していたら両親に移してしまうとやや不安に思いながら自宅に引きこもって過ごしているとまあ、早々に自粛生活に嫌気がさしてきたんですね。まだ緊急事態宣言が出ていない最中、もう感染爆発のピークは過ぎたのではないかという情報を聞いたこともあって、家族3人で熱海の温泉へ車で出かけました。ちょうど桜が咲いて皆心が緩んだのか、皆同じことを考えたようで道中の神社などは結構な人出でした。1泊2日で少し遠出するだけでかなり気が晴れましたが、間もなく緊急事態宣言が発出されると「あれはまずかったかも」と両親と話していました。緊急事態宣言の発出も遅かったですよね。
4月に入ると欧米主要国での感染が非常に拡大し、フランスへ帰る見込みは全く立たなくなりました。4月の初旬に適当に予約していた飛行機は欠航になり、バウチャーが発行される…はずが現在に至ってもまだ発行されません。航空業界も相当混乱しているのでしょう。4月に予定されていた、ヴェルサイユ・バロック音楽研究センターとパリ地方音楽院の合同開催によるマラン・マレのオペラ上演計画も流れ、ひたすら自宅に籠って練習をする毎日。両親ともに在宅勤務となり、こんなに長い時間家族揃って過ごしたのは史上初だろうなと話していました。食材は週1回の買い物と生協の配達で済ませ、一週間分の献立を主に私が考えていました(作るのは母ですが)。自粛をせずに遊びほうけている人たちがテレビで紹介される中、我が家は表彰されても良いくらいの自粛生活でしたよ。
そんな中、両親はテレビ好きなので我が家ではテレビニュースを頻繁に目にしたのですが、改めて見てみると想像以上に日本のメディアは酷いですね(日本のメディアについては依然記事を書きましたのでそちらをご覧ください)。色々ありましたが特に酷かったのは一時期話題になった検察庁法改正案の件。大量のスパムツイートによって人為的なトレンドを起こし、芸能人やマスコミを使ってありもしないストーリーを捏造して喧伝した結果、ついに政治を動かしてしまう。一体これらの背後にいる黒幕は誰だったのでしょうか。まあ政治を動かすといっても、結果的に公務員の定年延長引き上げそのものが丸ごと廃案になってしまい、これに反対していた野党は支持母体である公務員の労働組合から猛反発を受けてこの件はすっかり鳴りを潜めてしまいましたね。
メディアや政治の話題はこれくらいにして、この期間中パトリックにオンラインレッスンをお願いしました。まず動画を撮って送り、WhatsAppというアプリでビデオ通話しながら受講しました。少しだけ繋がりにくい時もありましたが、概ね快適にやり取りできましたね。背後のキャットタワーにわが家の猫が映り込んだりもしました(笑)。
自粛生活の最中、ずっとヴァイオリンを弾いているわけでもないので余暇の時間も色々と工夫しました。家族で映画やお笑い番組を観たりすることも多々あったのですが、両親が仕事をしている時間はそういうわけにも行かず、蒸気機関車のペーパークラフトを作ることにしました。Canon社が無償提供しているコンテンツで、これがかなり充実しています。色々悩んだ挙句日本の代表的な蒸気機関車の一つであるC57形を作ることにしました。ただ仕様通りに素組みするのも何かつまらないので、自分で違う機体をプロトタイプに選んでナンバープレートや追加の部品を作ったりして色々楽しかったのですが、そこに時間をかけ過ぎてまだボイラーと機関室周辺しか完成していません。かなり精巧で部品が多いペーパークラフトなので、帰国したらまた地道に仕上げていきたいなと思っています。
6月になって、7月から出演予定のヴェルサイユ宮殿の夜会が迫ってきて、2週間の自己隔離期間を考えるとそろそろヴェルサイユへ帰ることを考えなくてはならなくなりました。フランスの感染状況は日本と比べて依然として厳しいのですが、何せ仕事ですし念願であった鏡の回廊での演奏なので、絶対に参加できるように日程を逆算して先週金曜日の飛行機を予約。結果的に当番は7月の2週目からになりましたが、事前のリハーサルが今週に設定されたので丁度良い日程になりました。
成田空港についてみると、東京国際空港とは名ばかりに閑古鳥が鳴いていました。それもそのはず、出発便は合計で8本しかなかったのです!乗ったのはエールフランスの直行便でしたが、無事に出発出来て良かったなと思いました。ところで現在、フランスへ入国する際にはコロナウィルスの症状がない旨の宣誓書と第三国からの移動証明書の2通を作成する必要があるのですが、日本でのチェックインの際に一度確認されただけで、肝心のフランスでは結局要求されずに入国してしまいました。なんて緩いのでしょう…。日本旅券だったからなのでしょうか。
無事にヴェルサイユの自宅に着き、翌朝から3か月不在だった部屋の大掃除と片付けをしました。家を出たのは3月でしたから、まだ羽毛布団やホットカーペットが出ていて時の流れを感じましたね。
一昨日はヴェルサイユ宮殿の夜会に向けてのリハーサルがありました。全てJ.-P.ラモーの曲によるプログラムで、最初に音楽院で軽く合わせがあった後にいよいよ鏡の回廊でダンサーたちと合わせました。18世紀風の衣装の試着もあり、他のメンバーはリハーサル前に脱いでしまいましたが私は嬉しくてリハーサル中もそのまま着て弾きました(笑)。夜会の詳細についてはまた7月に触れますね。

次回は今週末に受ける、オディール・エドゥアール女史のマスタークラスの模様をお伝えしたいと思います。