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日本で過ごした夏休み

4 9月 2019
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ついに来訪が叶った厳島神社

皆さまお久しぶりです。先週ヴェルサイユに帰ってまいりました。
日本滞在中、多くの方からこのブログを楽しみにしているとの声を戴きまして、本当に嬉しい限りでございます。2年目も最新のフランスの情報、私の活動の様子やガイドブックにはあまり載っていない観光スポットの紹介などをしていければと思いますので、どうぞお付き合いくださいませ。

さて今回はまだ戻ってきたばかりで特段書くことがないので、この夏休みの私の様子をご紹介します。
滞在許可証を申請した日、深夜の便でシャルル・ド・ゴール空港発。翌日羽田空港到着、日本の携帯電話契約は休止扱いにしていたのでとりあえず空港のWifiで自宅に連絡をし、後は駅などで電波を捕まえて帰ろうかと思いましたが、日本の駅ってFreeWifiはないんですね!完全に忘れてました。電波難民になりながらも一年ぶりの日本の電車を堪能して自宅最寄りの駅に到着し、電波を探し回った挙句駅の中にある喫茶店の微弱な電波を拾い何とか自宅に再連絡。
家では去年と何も変わることなく両親が出迎えてくれましたが、猫たちは最初私のことを忘れていた様子。しばらくすると記憶がよみがえったようで懐いてきてくれました。

数日後、『オルフェ「フレンチ・カンタータの時代」』公演のリハーサルが始まりました。毎年取り組んでいるカンタータですが、この一年で触れたヴェルサイユで行われている研究と演奏からより多くの事柄が見えてくるようになりました。公演当日は例年以上のお客様にご来場いただき、多くの方から「弾き方が変わったね」と言っていただけました。自分では毎日少しずつの変化なので気づきにくいですが、無事成長できているのだなと思いました。

7月末にはずっと行きたかった広島県の厳島神社と、山口県のSLやまぐち号の乗車を目当てに西国旅行をしました。このブログでいつも書いているように、留学後から建築に興味が湧いてきたので、自ずと日本の寺社もそういう視点で見るようになっています。平安時代の貴族邸宅と寺社の建築様式を織り交ぜた社殿が海上に浮かぶ姿は何とも美しかったです。また大鳥居は現在修復中で足場が組まれていますが、行った時は偶然にも管絃祭開催のため足場が撤去されていて美しい姿を見ることができました。無事修復が完了することを祈るばかりです。
ちなみに現在日仏文化交流の一環でフランスのモン=サン=ミシェルに鳥居が出現しているようですが、厳島神社には周辺にポスターが貼ってあるだけで特にオブジェの追加はされていませんでした(笑)。

SLやまぐち号は約20年ぶりの乗車。出国してからとにかく日本の蒸気機関車を見たかったのと、近年新しくなった客車に乗車しに行きました。蒸気機関車はこれに飽き足らず、帰り際に京都鉄道博物館にも立ち寄って身も心も蒸気機関車でいっぱいになりました。
あとは奈良線に残存するあの懐かしい103系通勤電車をひたすら堪能。もう二度と動くこの電車に乗ることはないかもしれないと思うと寂しい限りでした。博物館にもあるけれど、やっぱり生きている車両が一番。
今回の滞在ではこの他にも長野や千葉へも列車に乗りに行き、向こう一年分以上の鉄分を補給しました。やっぱり鉄道は日本のものが好きなんですよね。

その他のトピックと言えばそう、お盆でしょうか。我が家では古式ゆかしく、茄子ときゅうりで牛と馬を作ってちゃんとお盆をやるんです。牛と馬は物心ついてから毎年私が作っていましたが、昨年は既に渡仏していたのでできなかったんです。この先どんどんやる機会が減っていくのかもしれませんが、日本にいる年は必ずやりたいなと思います。別にフランスで作ってもいいんですけどね、あの巨大な茄子で(笑)。

一か月以上に渡った日本滞在もあっという間に過ぎてしまい、あたふたと買い物と荷造りをして出国となりました。帰ってきてみて、日本に置き忘れたものや買い忘れたものがちらほら…リストをもっとちゃんと作らないとだめですね。

今回は日本で過ごした夏休みについてお伝えしました。新学期まであまりイベントがありませんが、次回はヴェルサイユのノートルダム地区について、近々探検の上ご紹介できればと思います。

オーヴェルニュ地方のロマネスク教会とピュイ・ド・ドーム山

18 7月 2019
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圧倒的な彩色が印象的なイソワールの旧サントストルモワヌ修道院

先週末の日曜日は革命記念日で、深夜までどこかで音楽をかけて人々が騒いでいました。幸いこの日の夜は涼しかったので、窓を閉めて就寝でき事なきを得ました。パリは「黄色いベスト運動」も革命記念日にちなんで盛り上がったようですが、例によってヴェルサイユに引きこもっていました。
今週の帰国前の滞在許可証申請のために、入念に書類準備を進めています。詳細は来週お伝えしますが、無事に申請を終えてレセピセ(仮の滞在許可証)を受け取れないとこちらに帰ってくることが難しくなるので、全て書類が準備出来たとわかっていても何だか不安になってしまいます。
帰国準備も進めています。部屋の各部の大掃除、冷蔵庫内の整理、お土産の準備など。来たときは極限まで物を詰め込んだスーツケースも、今回はかなりスペースに余裕ができそうです。

さて、今回は先週行ってきたオーヴェルニュ地方にある2つのロマネスク教会とピュイ・ド・ドーム山についてご紹介します。
本当は2月にも書いた、貴族の家柄のヴァイオリンの同僚の家へ再び招待されたのですが、急に滞在予定が変更になったらしく今回は都合がつかなくなってしまいました。既に列車の切符を買ってしまっていたので、代わりにどこかへ観光に行こうと計画した次第です。
パリのベルシー駅からクレルモン=フェランまで特急に乗車し、さらに近郊列車TERで30分ほどのところにあるイソワールIssoireという町に降り立ちます。駅前からロマネスク聖堂特有の八角形の塔が見え、そこに向かって少し歩くと旧サントストルモワヌ修道院Ancienne Abbatiale St-Austremoineとその聖堂が見えてきます。聖堂は1135年に建造され、オーヴェルニュ地方のロマネスク聖堂の中でも最大級の規模と壮麗さを誇ります。現在、左にある修道院の建物は工事中で白いカバーが掛けられており、内部に入ることもできませんでした。聖堂の方も一部の外壁や内部で修復が行われています。
後陣や塔にはこの地方の聖堂で特徴的な星形模様と市松模様があしらわれていて、後陣には黄道十二宮のレリーフがあります。本来黄道十二宮はキリスト教とは関係のない異教のものですが、イエスの12人の弟子に例えられることからしばしば教会建築に取り入れられるようです。道なりに聖堂北側へ進むと、壁面に小さいですが「アブラハムの前に現れた三天使」と「イサクの犠牲」、「パンの奇跡」の3つのレリーフがあります。風化が進んでおり個々の人物の表情を捉えることはできません。西側に回って内部へ入ります。西側のファサードは至ってシンプルで、扉と窓の部分以外は飾りがなく「壁」といった感じです。
扉から入ってすぐ右側に、15世紀に描かれた「最後の審判」の壁画がある部屋があるのですが、残念ながら修復工事による時間限定公開のため入ることができませんでした。聖堂内部に入ると、その彩色のあまりの豊かさに圧倒されます。この感動は文字にしても伝わらないのですが、朱色を基調とした柱はもちろん、壁面にも石積みのブロックの縁取りが描かれていて、天井には壁紙のように花や星の図像が規則正しく描かれています。内陣部分は特に豪華で、よく見ると柱の柱頭がアカンサスの葉のコリント様式だけではなく人物や動物などがデザインされているではありませんか。これは最後の晩餐や磔刑など聖書に登場する場面が表現されていますので、分かりやすいものだけでも是非注意深く観察されることをお勧めします。祭壇の両脇にある階段から地下聖堂に行くことができ、安置されている色鮮やかな聖遺物入れを見ることができます。
インターネットで「イソワール」と検索するとこの聖堂の詳細な説明や写真が掲載された旅行レポートのサイトが複数ありますので、もっと詳しく知りたい方はそちらをご覧ください。

さて、イソワールから再びTERに30分ほど乗車し、今度はブリウードBrioudeという町に行きます。駅から目当ての聖堂までは15分くらいで、可愛らしい建物が並ぶ細い路地を抜けていくとそのサン=ジュリアン・バジリカ聖堂に到着します。周囲に建物が立っていて東側からしか全体像を捉えられないので、左から回り込んで後陣を見てみましょう。この聖堂にも星形の模様が見られますが、塔を始め外壁に赤い石材が効果的に用いられていて、イソワールの聖堂よりも外観は華やかです。聖堂の向かいに観光客向けの無料案内施設がありますので、是非入って聖堂に関する説明を読むのと、少し高いところから聖堂を見ることをお勧めします。ちなみに聖堂周辺には古代末期から中世初期の教会関連施設の跡地があり、この観光施設で説明を読むことができます。西側のファサードはロマネスクの簡素なものながらイソワールのものよりはやや装飾的です。
北側か南側の扉から内部に入ります。やはり柱を中心に彩色が施されていますが、こちらは修復が行われていないので全体的に落ち着いた淡い色調になっていて、剥がれ落ちている部分もあります。こうしたものを修復するかしないかは意見が分かれるところではありますね。イソワールの時のような圧倒的な感動は味わいたいけれど、当時の絵をそのまま見たいという思いもある。ちなみにこの聖堂で特徴的なのは床面で、多色の小石が粗く敷き詰められていてそれらが模様を成しています。歩くだけならいいのですが、見学中に関係者が何かを台車で運んでいた際にはとてつもない轟音が聖堂内に鳴り響きました(笑)。後陣のそれぞれの半円部分の天井にもフレスコ画が描かれているので、よく観察してみましょう。地下聖堂には例によって聖遺物入れが安置されています。西側にある螺旋階段を上って階上席に行くことができ、南側には天井と壁面一杯に13世紀のフレスコ画が施された聖ミカエルの礼拝所があります。

聖ミカエルの礼拝所に描かれた13世紀のフレスコ画

主題は最後の審判で、天井のキリストを福音史家と天使が取り囲み、北側の壁には悪魔サタンと地獄が描かれています。また両端には美徳が悪徳を踏み潰す様子も描かれています。椅子が置いてありますのでしばしじっくりと観察しました。壁の下の方は剥がれ落ちていますが、大事な天井付近は良い状態を保っていると思います。あと、この部分からは聖堂内の柱の柱頭が良く観察できます。イソワールのように彩色されているわけではありませんが、メドゥーサ、トリトン、ドラゴンや羊飼い、音楽家などの図像がデザインされています。聖堂内にパンフレットが置いてありますので参考にすると良いでしょう。
ブリウードからクレルモン=フェランまでTERで戻り、ホテルで一泊しました。大聖堂などをもう一度訪れようかと思いましたが、既に19時を回っており入ることができませんでした。

さて翌日はクレルモン=フェランの西にあるピュイ・ド・ドーム山を目指します。クレルモン=フェラン駅前からナヴェットというバスが出ているのですが、どうも路線がいくつかあるようで、事前に調べたバスに乗車する際、これは火山のテーマパークに行くためのものであってピュイ・ド・ドーム山に行くものではないことが運転手の説明により判明。山に行くにはGare du Panoramique des Dôme行きに乗らなければならないようです。といってもそのバスは10分ほど前に行ってしまったばかりで次は約1時間半後。仕方なく国鉄駅で待つことに…。フランスのバスって本当に分かりにくいんですよね。ちなみにこのバスはやや長距離バスですが、市内移動の路線バスと同じ切符で乗れるので事前に券売機で切符を買っておきました。40分ほどでピュイ・ド・ドーム山の麓に到着します。

ピュイ・ド・ドーム山、手前に登山鉄道の線路があります

ピュイ・ド・ドーム山は一帯に広がるシェヌ・デ・ピュイの火山帯の主峰で、クレルモン=フェランを含む県の名称になっています。ちなみにこの山脈に降る雨が火山性の地層に染み込んでできた天然水が、日本でも販売されている「ヴォルヴィック」です。
バスは登山鉄道の山麓駅に到着しますが、景色が良いかもしれないと思い頂上まで登山することにしました。まずは登山道の山麓が登山鉄道駅とは離れているので40分ほど森林の中を歩きます。この日も雲一つない快晴で日差しが強かったのですが、ここまでは森林の間を抜けるので日陰で暑くはありませんでした。しかし登山道に入ると、登るにつれて日陰が減ってきます…。休憩を多くとりながらゆっくりと登りますが容赦なく太陽が照り付け、発汗が抑えられません。しかも結局、頂上付近以外は特段天気が良いわけではありませんでした。まあ日頃運動不足気味なのでたまには良いですね。観光目的であれば迷わず登山鉄道を利用することをお勧めします。
頂上にはまず鉄道の駅に併設された食事処、お土産コーナーとこの山についての展示があります。山麓駅にも同じような展示がありますが、この山でクレルモン出身の哲学、物理等で活躍したブレーズ・パスカルが1648年、水銀柱を山頂に持っていき真空と大気圧の関係を証明する実験を行ったということです。このことから圧力と応力の単位に「パスカル」が用いられるようになり、私たち日本人が台風ニュースでおなじみの「ヘクトパスカル」という単位も生まれました。
山麓からも見える白い尖った構造物は電波塔ですが、その手前にローマ時代の遺跡があります。このブログにも関係のある伝令使メルクリウスに捧げられた壮麗な神殿でしたが、現在は基礎部分しか残っていません。なぜこんなにも破壊されてしまったのでしょうか。後の蛮族がわざわざ山に登ってまで破壊したのか、石材取りに使われてしまったか。でももっと標高の低い他のところに石切り場はあります。ここのところの説明は何も書かれていませんでしたが、いずれにせよ1872年の気象台建設工事の際まで存在は忘れられていたようです。
遺跡の傍に資料館があり、詳細な遺跡の説明と発掘の様子、神殿の復元模型などを見ることができます。今日では基礎部分しか残されていないので、建物自体がどのような設計だったかはいくつかの仮説があるようです。
ローマ時代の神殿に思いを馳せたところで、頂上の遊歩道を一周してみました。東側にはクレルモン=フェランの市街地や黒い大聖堂が遠くに見え、北側から西側には山々が連なっています。パラグライダーで楽しんでいる人々がたくさんいました。やはり標高が高いので風が吹くと若干体感気温が低く、登山時には全く要らなかったウインドブレーカーを着用しました。
さて、下山は鉄道を利用します。インターネットサイトで切符を購入すると10%引きの価格になるのでお勧めです。この鉄道は急勾配を克服するために線路の間に車両側の歯車とかみ合わせるためのラックレールが設置されたラック式鉄道(シュトループ式)です。2012年にリニューアル開業したとのことで、設備や車両は新しいですが鉄道ファンとしてはスイスのように昔ながらの蒸気機関車が良かったななどと思いました。当然ながら何の苦労もなく山麓に到着。景色を見るのが目的ならやはり登山道よりもこちらの方がおすすめです。

今回はオーヴェルニュ地方のロマネスク教会とピュイ・ド・ドーム山についてお伝えしました。今夜、日本に向けて出発します。1か月ほど滞在しますので、お会いできる方はその際を楽しみにしております。
次回はイヴリヌ県庁での滞在許可証更新についてレポートしたいと思います。

ローマの水道橋とアルルの衣装祭

3 7月 2019
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「アルルの女」が集う衣装祭のショー

先週はとにかく暑いの一言しかなかったです。夜は涼しくなるものの室内の熱気がなかなか抜けず、窓に向かって扇風機を回して換気してみたり、扇風機の前に氷を置いたり、「ほんとにあった怖い話」を観てみたりしましたが気休め程度。何日も寝苦しい夜が続き寝不足になりました。
今週は一転して最高気温が25度前後になり、窓を開けていれば涼しい風が窓から入ってきます。あの悪夢の一週間はいったい何だったのでしょうか。

さて、先週末はそんな暑さの中、私は南仏へ旅行をしていました。昨年訪れたアルルで開催される有名なお祭り、衣装祭を観に行くためです。
パリからTGVで3時間半、まずは教皇庁宮殿や聖ベネゼ橋でおなじみのアヴィニョンに到着。今回はここからバスに乗って、ポン・デュ・ガールという古代ローマの水道橋を見に行きます。しかし出発ターミナルであるはずのアヴィニョン中央駅のバスターミナルに行くと、トラム建設工事のためアヴィニョンTGV駅からの出発に変更しているとのこと。元々乗り継ぎにあまり時間がなかったので、乗るはずだったバスはあきらめて1時間後の便に乗るべくアヴィニョンTGV駅へ近郊電車TERで移動しました。でもいざ行ってみるとバスの案内がどこにもなく、本当にここでいいのか30分くらい悶々とする羽目になりました。
バス停には30人くらいの非常にガラの悪い青少年たちがはしゃぎながら何かのバスを待っていて、騒がしいのを耐えながら一緒にバスを待っていると、どうやら彼らもポン・デュ・ガールに行くらしいということが分かりました。ポン・デュ・ガールの下を流れるガルドン川では遊泳ができるそうなので、彼らも泳ぎに行くのでしょう。バスが到着すると彼らは我先に乗り始め、しかも一人ずつ乗車賃の清算をやるものですから私を始め他の数人の乗客は20分くらい外で待たされました。何とか定員内で全員乗ることができましたが、もし定員オーバーになったらどうするつもりだったのでしょう。夏の遊泳シーズンはバスの増便をお願いしたいですね。
ポン・デュ・ガールに着くまで45分、彼らは大声で歌ったり携帯から音楽を流したり、ちょっかいを出し合ったりとやりたい放題。私はYoutubeでずっとオペラを観ていました。
ポン・デュ・ガールにほど近いバス停に着くと、彼らは橋の方ではなく違う方向へ進み、橋や博物館がある道へ進むのは私だけでした。気温は35℃を超える中日陰もない道を進むことしばし、まずは博物館へ入ります。博物館はローマの都市の水道設備、水に関係する施設である公衆浴場や便所と、水道橋や水路トンネルの建設について紹介しています。ポン・デュ・ガールを筆頭とするこの導水路はユゼスの水源地からニームの町へ水を供給するために紀元前19年頃建設されました。3層からなる巨大なポン・デュ・ガールの水道橋はローマの建築技術の高さを物語っており、世界遺産に指定され今日でもたくさんの観光客を迎えています。博物館内ではユゼスからニームまでの全ての水道橋が模型で再現され、壁面には上空から導水路を辿る映像が流れていてしばし見入りました。
さて、冷房が効いた館内で体力が回復したところで、いよいよ水道橋を見に行きます。気温は38℃に達していました。しばらく道を進むと先ほどまで模型で見ていた水道橋がその威容を現します。

3層からなる巨大なローマ水道橋ポン・デュ・ガール

僻地にあるためか、ニームやアルルにあるローマの建造物よりも破壊されている部分が少なく保存状態は良いように思います。北側の3層目には道路として使用するための部分が後の時代に追加されましたが、南側の部分はほぼオリジナルの状態が残っていますので、博物館から行く際は橋をくぐって反対側から眺めることをお勧めします。
河原に降りて10分くらい観察し、暑さに耐えきれなくなって戻りました。一応橋の通行できる部分を往復してみましたが、反対側には特に何も施設はありません。とりあえずただ暑くて体調が悪くなりそうだったので博物館のカフェでアイスを買い涼むことにしました。
バス停に着くと、何とまたあの青少年たちがいるではありませんか。結局アヴィニョンからのバスはオペラを観ながら耐え忍ぶ往復1時間半の旅路になりました。帰りはトラム工事が終わったのか中央駅のバスターミナルへ到着しました。その後は冷房付きの近郊電車TERで20分、アルルに到着。ホテルに直行しシャワーで汗を流した後、夜のアルルを一通り散歩しましたがまだ暑く少し汗ばんでしまいました。

さて、日曜日の午前中はいよいよ衣装祭です。例年は午後にもイベントがあるみたいですが、この酷暑のため中止になったとのこと。
この衣装祭は自らの伝統衣装やプロヴァンス語(オック語の一種)といった首都パリとは異なる独特の文化を継承していくためのお祭りで、日本で言えば沖縄や東北の伝統的なお祭りといったところでしょうか。
まず朝9時から、円形闘技場の近くのノートルダムで朝の祈りの儀式が行われましたが、聖堂が小さいため多くの人は外で待っていました。私も入れなかったので結局何をやっていたか分からずじまい。そうこうしているうちにプロヴァンスの伝統楽器を使った鼓笛隊の演奏が始まり、まもなく行列の行進が始まりました。10歳に満たない子供からご老人まで、伝統衣装を着て練り歩きます。いわゆる「アルルの女」と呼ぶにふさわしい20代~30代の女性たちももちろん良いですが、私は特に子供たちが健気に衣装を着て歩く姿が可愛くて好きでした。
一通り行列を見たところで次にショーが行われる古代劇場へ移動。何とか中央付近の日陰を確保できました。日向にいたらとても耐えられる気がしません。
ショーが始まると、まず「アルルの女王」と呼ばれる3年に一度選ばれる白いドレスを着た女性がプロヴァンス語でスピーチをします。フランス語への翻訳はありませんでしたので、分かる部分もありますが全然分からない単語もありました。そのあとは18世紀からの各時代の衣装を着たグループが登場し、舞踏を披露してくれました。
次第に日が昇ってきて座った時は日陰だった私の席も徐々に日が差してきて、終わった時には暑さが限界に近かったです。日向の舞台で長袖の衣装を着て踊っていた彼らはさぞ暑かったことでしょう。
古代劇場を後にして、逃げるように古代フォーロム地下回廊へ入り、地下の冷気で一気に涼みました。体力が回復したところで中心部から少し離れた川沿いにあるアルル県立博物館へ。途中は日向を歩かねばならずかなりしんどかったです。県立博物館ではローマ時代の建築物の模型や生活用品などを見ることができましたが、あまり規模の大きな博物館ではありませんでした。帰りはバスが運行していることを知ったので、冷房の効いた小さいバスで移動。帰りのTGVまでまだ少し時間があったのでサン=トロフィーム教会を再び訪れました。

こんなわけで、もう少し涼しければアルルの町で活動したかったのですが如何せん暑くてなりませんでした。来年の夏もこんなに暑いようであれば、北欧に行くなり何か方法を模索しなければと思っています。

来週はヴェルサイユ宮殿の大理石の中庭で行われる特別オペラについてお伝えします。

クレルモン=フェランとオーヴェルニュ地方

7 3月 2019
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我が領地オーヴェルニュよ…(違)

先週の予告でヴェルサイユ宮殿のシリーズを始めるとしていましたが、今週旅行に行くことを忘れていたのでこのシリーズは来週からにしたいと思います。
月曜日から3日間、ヴェルサイユを離れオーヴェルニュ地方に滞在していました。音楽院のヴァイオリンの同僚に招待を受けたのがきっかけでした。この人は実は元来貴族の家柄で、家族はとても大きな家と土地を持っていたのです。
この家はアルトンヌという小さな町にあるのですが、せっかくなのでその前に少し足をのばしてクレルモン=フェランへ観光しに行きました。
パリからアンテルシテに乗車して3時間半の道程を終点までゆったりと行くつもりが、パリを発ってすぐに機関車の調子が悪くなったと放送があり途中の駅に停車したり徐行したり。そしてついにはいきなり運転打ち切りになり、乗客全員後続のアンテルシテに乗り換えさせられました。座席が足りたからよかったものの、満席で立ち客が出たらどうするつもりだったんでしょうか…。
まあ今回はゆったり旅なのであまり気にかけずにいると、お詫びのお弁当が配布されました。こんなのあるのか。中身は簡素で、サラダの缶詰とお菓子、水など。せっかくなのでいただきました。結局到着は約2時間遅れ、運賃は公式サイトで25%払い戻し。日本なら全額ですけどね。
クレルモン=フェランに着き、まずはロマネスク様式のノートルダム=デュ=ポール寺院へ。トゥールーズで見たサン=セルナン寺院を思い出しました。ロマネスク様式は飾り気はあまりないけれど、素朴でどこか懐かしいような印象を受けるんですよね。後陣の外部壁面に花の模様が描かれているのがこの地方の特徴のようです。月曜日の午後なので、聖堂内は自分一人。せっかくなのでグレゴリオ聖歌を少し歌ってみました。うーん、極上の響き…。祭壇の下には地下聖堂もありました。
クレルモン=フェランは周囲を火山に囲まれており、建造物は豊富にある黒い火山岩が多く用いられています。ノートルダム=デュ=ポールは塔を除いてはほとんど白色でしたが、次に訪れたゴシック様式の被昇天聖母大聖堂は黒く重厚感のある聖堂です。見慣れたガーゴイルも黒いとなんだか恐ろしい…。
中に入ると、外陣から内陣奥まで連なるヴォールトが圧巻です。黒いのが余計に存在感を放っているのでしょうか、先程までロマネスク様式の素朴な聖堂にいただけに、その違いは甚だ大きく感じられました。しかしステンドグラスは周囲とは対照的に至って繊細です。
ちなみにこの聖堂はラモーが1702年から4年ほどオルガニストを務めていました。西側の内部壁面にしっかり彼の名のプレートがあります。
2つの聖堂を見て、少し散策したかったのですがあいにく春の嵐で風が非常に強く、聖堂で休憩をしてから移動することに。クレルモン=フェランの駅から2両の流線形ディーゼルカーに乗ってオビアというとても小さな駅に降り立ちました。ホームと待合室があるだけのローカル線の駅、今にも日本のディーゼルカーが来そうです。
同僚の車に揺られること数分、ひたすら田園地帯を走った先の小さな町に着き、丘を上がっていった先に彼らの邸宅はありました。
家の広さもさることながら、驚いたのは馬が2頭いたこと…。しかし後で家の紹介を受けたら実はそれだけではありませんでした。畑あり、果樹園あり、フランス式庭園あり、噴水あり…。ないものはないといった感じです。
中に入ると、大勢の子供達に出迎えられました。同僚の兄弟のうち一人の子供が8人兄弟とのことで、とても賑やかです。夕食も囲炉裏…ならぬ暖炉を囲んでの楽しいひと時になりました。家長である同僚のお父様にもお会いしました。元軍人で除隊後はロマネスク建築を研究されていたそうで、もう80-90代のお歳だからかとても穏やかに話す方でした。
2日目はヴォルカン・ドヴェルニュ自然公園内のゲリー湖周辺でハイキングをしました。まだ雪が残る中、スキー場になっている山中を通常装備で歩くのは少し難儀でした…笑。特に途中から道なき道を歩き出してしまって、雪深く足がはまることも幾度か。でも景色は良かったです。
最終日の水曜日は午前中に同僚と初見大会をした後、夕方に例の馬たちと触れ合いました。まずはお世話。猫の毛繕いはしたことがありますが馬は初めてです。馬具をつけた後、周囲の農道を馬を牽いて散歩しました。見よう見まねでやってみますがなかなかできません。私が逆に牽かれていましたね笑。そして途中から乗せていただきました!初めての乗馬でしたが、これは数分で慣れることができました。でも昔はこれで長距離を走ったり戦場を駆けたりしたんですよね…大変です。あたりはひたすら農地が続くばかりで近代的なものは何もなく、さながら大河ドラマの登場人物になった気分でした。
こうして3日間のバカンスは終わりました。ゆったりとした時間は良かったですが、日本の田舎にいるのと正直あまり違いはないので、留学生としてはパリやヴェルサイユの方が刺激的ですね。

今回はクレルモン=フェランとオーヴェルニュ地方についてお伝えしました。次回からはお待ちかね、ヴェルサイユ宮殿のシリーズを開始します。

フランス東部、三国国境の町バーゼル

27 12月 2018
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ミュンスター大聖堂の塔から見たバーゼルの街並み

日本の皆様、良いクリスマスと年末をお過ごしでしょうか?こちらではいろいろな街のいたる所でクリスマスマーケットが開かれ活気に溢れていますが、24日は早く閉店して25日はどの店も休むところが多いなど、やはり日本とは違い静かで穏やかなクリスマスです。また日本では24日の夜が過ぎ去れば、クリスマスツリーはさっさと片づけてあっという間にお正月モードになりますが、こちらは本来あるべき姿というか、年末までクリスマスマーケットが開かれています。

さて先週末はフランス東部と三国国境の街バーゼルに行ってきました。
22日早朝から行動開始。まずはパリのリヨン駅に近いベルシー駅(西武新宿駅のような別駅です)に着きましたが、メトロのホームにはスーツケースを持った人々でいっぱい。皆さん一斉にバカンスへ赴くのですね。私もその一人です。
バーゼルへはパリから直行で行くTGVもあるのですが、道中もゆったりしていきたいのと、何分繁忙期で運賃が高いので今回は最後のストラスブールーパリ間を除いて全て近距離普通列車TERに乗車しました。それでもパリからディジョンまでは停車駅が少なく、かなり高速で運行します。一本前のTERの切符は売り切れていたので(普通列車の切符が売り切れるなんてあり得るのかと思いました)、乗車する列車も早く行かないと着席できないかなと思いきや、ふたを開けてみると殆ど乗客はいませんでした。編成途中にかつて一等車だった座席がそのまま2等車に格下げされている有難い車両があったので、ディジョンまでの約2時間半を広い座席でゆったり乗車できました。
ディジョンはかつてのブルゴーニュ公国の首都、そして我らが巨匠ジャン=フィリップ・ラモーの故郷です。しかし乗り継ぎの1時間しか滞在時間がなく、観光に行っても行くだけで終わってしまうかなと思ったので今回は街の雰囲気を味わうだけ。観光はまたのお預けです。
ディジョンから今度は指揮者コンクールで有名な街ブザンソンへ。ここにはルイ14世の天才軍師ヴォーバンの築いた要塞があることで有名なので、この地を目指すべく2時間の乗り継ぎ時間を確保しました。早速駅を出て要塞を目指しますが、駅からは距離があるだけでなく要塞は丘の上にあるので、登るまで結構時間がかかってしまいました。30分程度なら中に入る時間はありましたが何分有料ですし、急いで見たくはないなと思いここも断念。冬でなければ丘の上までバスが運行しているようなので、またの機会に致しましょう。
麓の門と言い、丘の上の砦と言い、さすが軍事建築は潔いほど装飾がなく簡素だなと思いました。まあ破壊される前提で作っているということでしょうね。パリやヴェルサイユでは見ない建築です。
さてブザンソンを出て、ベルフォールとミュールーズでそれぞれ列車を乗り継ぎいよいよバーゼルへ向け国際列車のTERに乗ります。サン=ルイ駅を過ぎたところで、突如携帯の電波が圏外になってしまいました。あれれ、Freeはスイスでは使えないのかー!そういえば確認していませんでした。バーゼルでは当アンサンブルでおなじみの菅沼起一さんと待ち合わせをしていたので少し焦りましたが、まあ駅にはフリーWifiがあるだろうと思いました。ところがいざ着いてみると全然Wifiが捕まえられない。人と待ち合わせをしている中でのこの状況はかなり焦ります。
ちなみにフランス側からTERに乗車するとBahnhof Basel SBBという中心地に近い駅に着くのですが、他のスイス国鉄のホームと異なる30番台のホームに着きます。入国審査は…ありませんでした。ある時もあるようです。
菅沼さんとは奇跡的に駅舎の一角で合流でき、そのまま近くのフードコートで吉崎恭佳さん、吉田奏子さんなどバーゼルに留学中の日本人たちと夕食を共にしました。半年くらい会ってないだけなのに皆さんとても懐かしかった!

さて2日目は市内観光です。市立美術館で中世から印象派までを中心に様々な絵を見た後、ミュンスター大聖堂へ。ゴシック建築ですがこの地方特有の赤砂岩を使用した建築の一つです。塔の一番上まで登ってみたら流石に恐怖を覚えるほどの高さでした…。いや、自分が落ちるというよりも手荷物を落としてしまいそうで。塔から見た景色が上の写真なのですが、眼下の建物はフランスとは違う、でもドイツとも違う、国際色豊かというかある種中庸というか、そういった建築です。全体的にどの建物も手入れが行き届いていて綺麗な印象がありました。
次は鮮やかな赤色が際立つ市庁舎へ。何年かに一度壁面を塗り直しているだけに本当に「赤い」です。ちなみに細かな絵も描かれているのですが、塗りなおすときはこの絵も書き直す…のでしょうか?手間がかかりますね。日曜日なので中には入れませんでしたが、十分堪能できました。
最後にシュパーレントアーという中世の門を見た後、スコラカントルムの中を拝見すべく菅沼さんと阪永珠水さんと合流。ライン川近くでフランスの電波をキャッチできた以外は完全に電波難民でしたが、なんとかお二人と会えました。スコラカントルムの中は入口に掲示板があったり、教室には黒板があったりと音楽院らしいところだなと思いました。
そのままお二人と近くのクリスマスマーケットでグリューワインを頂きました。温かいワインにフルーツのリキッドやスパイスが入っているもので、甘口の味は私にとっては好みでした。
ちなみに列車で入ってきてパスポートも見せるわけでもなく、着いたときは何だか国境を越えた気がしなかったのですが、街のいろいろな表記は全てドイツ語ですし、貨幣はスイスフランです。でもフランに関してはユーロを1:1のレートで受け付けてくれる店も多いですし、大抵の人は英語、フランス語を話すことができます。国境の街で人通りが多く、そうでもしないと立ち行かないのでしょう。私はいつもと変わらずフランス語で通してしまいました。

3日目は朝バーゼルを出て、まず国境にほど近い街ミュールーズに立ち寄りました。目的は…ずばりシテ・デュ・トラン。フランス国鉄の国内唯一の鉄道博物館です。
駅からトラムに乗ること15分ほど、人気のないミュゼ駅で下車。シテ・デュ・トランは基本的には年中無休で、12月25日は休館だと事前に分かっていたのですが、これはもしかしてやっていなのか?と思いながら進むことしばし、手前の広場に蒸気機関車が置かれたカラフルな建物にたどり着きました。入り口付近には子供連れのマダムが。よかった、やっているようだ。
今回も若干軽いとはいえバックパックは背中の負担になるので荷物を預けようと思ったら、入り口右手にあるロッカーは鍵が一本もない。受付の人に預けたいんだけどとお願いしたら、ごめん鍵が終わっちゃったんだよとのこと。まだ開館10分も経ってないのにそんなに盛況なのか!いやいやお見逸れいたしました…と思ったら最後に退館する時も鍵はなかったので、要するにやる気がないだけです笑。
この博物館は2棟の屋内展示と屋外展示からなっていて、鉄道黎明期の蒸気機関車から初期のTGVまでさまざまな車両を見ることができます。最初の棟は暖房が効いていて快適に見学できました。第二帝政時代の皇帝用車両やオリエント・エクスプレスで有名なワゴン・リの車両といった輝かしいものもありましたが、大戦中に収容所までユダヤ人を運んだ貨車や、実物は初めて見る列車砲、鉄道員レジスタンスにより爆破された軍用列車を模して転覆させた蒸気機関車もありました。日本でも「鉄道は兵器だ」と言われていましたがヨーロッパでは文字通りそうだったのですね。
2棟目は暖房がなく、屋根はありますが外気がどこからか入ってきて寒かったです。大小のさまざまな蒸気、ディーゼル、電気機関車、客車や貨車などがありましたが中に入れる車両はごく一部に限られていました。さらに日本のように何かの装置を動かしてみたり、シュミレーターで遊ぶといった体験施設はありませんでした。鉄道ファンとしてはこれは残念。屋外展示も数両あるだけで、意外とあっさり見終わってしまいました。
予定より1時間早いTERに乗って最終目的地ストラスブールへ。値段は変わりませんが一応列車の指定があるので、検札が来たら事情を説明しようと思いましたが結局来ませんでした。
ストラスブールはクリスマスマーケット発祥の街と言われ、現在でも「ノエルの首都」と呼ばれ世界中から観光客が集まります。ただ2週間前に銃撃事件があったので、少しは人出が少なかったかもしれません。広場には犠牲者へ花が捧げられていました。
クリスマスマーケットはイル川の中州でいくつかの区画に分けて開催されていて、橋の上には警察が待機していましたがリヨンの「光の祭典」のように手荷物検査はありませんでした。「サパン・ド・ノエル」と呼ばれるいくつかのツリーがあり、私は「密かなノエル」と題された区画の比較的小規模なツリーが好みでした。クリスマスマーケットの店は他の街とそう変わらないように思いましたが、興味のある方は是非一度行ってみてください。
大聖堂に入るには手荷物検査が行われており、長蛇の列ができていました。壮麗なゴシック建築だけにせっかくなので中も見てみたかったのですが、2時間弱しかないため他を回ることに。今回は断念が多いです。
最後に「プティト・フランス」と呼ばれる木組みの可愛らしい家が立ち並ぶ地区を見て、ウィゴに乗るために駅に戻りました。ただ30分前になってもなかなか検札が始まりません。どうやら放置された手荷物があったらしく、警察が来たりして結局40分遅れになりました。お腹がすいたので駅前のケバブを買って食べることに。
こうして聖夜はパリ東駅行きのウィゴの中で更けていきました。

今回はフランス東部とバーゼルのレポートでした。
来週は都合によりお休みさせていただきます。次回はヴェルサイユとパリの年末年始について書いてみたいと思います。

リヨンの「光の祭典」

13 12月 2018
リヨンの「光の祭典」 はコメントを受け付けていません

少し前まで比較的暖かかったのですが、ここ数日でまた寒くなってきました。相変わらず曇りや雨ばかりの天気の中で、月曜日は青空が見えて何だか感動しました笑。
先週の金曜日は王室歌劇場でパーセルの《アーサー王》を観ました。演奏はエルヴェ・ニケ率いるコンセール・スピリチュエルで、とても引き締まった安定感のある演奏。特に凄かったのは、演出のため譜面灯も付かない完全な闇の中で一糸乱れず一曲弾ききったこと。リタルダンドから最後の音の入り、切りまで完璧でした。あんなアンサンブルを作ってみたいものです。
演出もとても興味深いものでした。冷蔵庫からペンギンと白クマが出てきたり、とにかくコミカルで突っ込みどころ満載でしたが、決して邪魔には感じません。幕間でニケが全く関係のないシャンソンをオーケストラ伴奏で歌い出したのには驚きましたが…。
月曜日には室内楽の授業の発表会がありました。これも無料で一般公開されていて、先日の独奏による演奏会よりも客入りが良かったです。私はコレッリのトリオ・ソナタとラモーのコンセールを担当しました。もっといろいろな表現をしたい、楽器の技術的なことから解放されて自由になりたいなどの課題が見えた本番でした。

サン=ジャン大聖堂

さて、今回は先週末に行ったリヨンの「光の祭典」のレポートを書きたいと思います。
「光の祭典」は14世紀にペストが大流行した際、人々がフルヴィエールの丘にあるノートルダム大聖堂のマリア像に祈りを捧げたところ流行が収まったので、聖母マリアの祝日である12月8日に灯をともすようになったことに由来するそうです。今日では世界中から観光客が集まる、リヨンの1年で最も盛り上がるお祭りとなっています。
何かと忙しかったので、行ったのは最終日の12月9日。シャルル・ド・ゴール空港駅から廉価版のTGVウィゴ(Ouigo)でリヨンへ行きました。
ここで、このウィゴについて少し紹介しておきましょう。フランスでは日本の新幹線にあたるTGVが運行していますが、ウィゴと呼ばれる安い料金設定の列車が存在します。例えばパリーリヨン間(日本で例えれば東京ー大阪間)の一般のTGVは90€くらいが相場で、日本ではのぞみ号で13000円ほどですからさほど変わりはありません。しかし今回利用したウィゴはなんと10€!1300円程度の廉価版のぞみ号(なんじゃそりゃ)で東京ー大阪を移動できるイメージです。高速バスよりも安いですね!
ただしウィゴには条件があって、本数が少ないこと、出発駅は中心部から少し遠い駅となっている場合があること、飲食物持ち込み禁止など手荷物に制限があること、発車の30分前にチェックインしなければならないことなどがあります。さらになぜか日本で発行されたクレジットカードでは購入できません。旅行者の方はフランス在住の友人に購入してもらいましょう。しかしこれらの条件以外は普通のTGVと変わりはありませんので、是非活用してください!
さて、今回のウィゴは08:06発なので、その30分前に余裕をもって着くには7時過ぎには着かねばなりません。ヴェルサイユからパリ北部の郊外にあるシャルル・ド・ゴールまでは1時間超かかりますので、朝4時半に起きて、05:46にヴェルサイユ・シャンティエから出発する…はずでした。しかし行ってみると電光掲示板に列車の表示がない。慌てて国鉄のアプリで検索すると、昨晩まであったはずの列車の選択肢が消えていて、リーヴ・ゴーシュ駅からC線に乗れとのこと。どうやら8日のデモでパリのさまざまな駅が閉鎖された影響がまだ残っていたらしいです。迂闊でした…。フランスで行動するときは出発前にもう一度国鉄のアプリで検索しましょう(パリ交通公団RATPのアプリは運休している列車まで表示されて混乱します。)

気を取り直してリーヴ・ゴーシュ駅まで戻り、運休区間の手前の駅からメトロに乗ります。空港に行くB線へ乗り換える際、快速列車にぎりぎり間に合わず悔しい思いをしました。ドキドキしながら後続の各駅停車に乗ると、何とか07:20頃に到着できました。チェックインを急げ!と思うと、受付に誰もいない。おかしいなと思っていると、電光掲示板に1時間遅れとの表示が。あああーーー!!!今までの苦労は何だったんだーーー!!!
仕方なく他の乗客や空港利用者と待合スペースで待つこと1時間半。電気系統の故障ということでしたが、ようやくチェックインが始まり乗車できました。安心してリヨンまでぐっすり寝ました笑。
着いたのはサンテグジュペリ空港駅。リヨンの中心部から列車で30分ほどのところに位置しています。しかしこの空港アクセスの列車がまた何とも曲者。ローヌ・エクスプレスという特別な路線で、国鉄線でもなければリヨンのトラムでもない。要するに金稼ぎの路線です笑。まあ空港アクセス線は大抵そんな感じですが、パリはナヴィゴで空港に行けますからなんだか損した気分になります。価格は片道13.4€。先ほどまで乗っていたウィゴより高いぞ…。まあそんなことを言っても他に選択肢はなさそうなのでこの列車に乗車。2両編成のトラムのような車両でした。途中の風景が何だか日本のようで懐かしくなりました。
中心部からやや離れたパルデュ駅に着き、昼食をとった後歩いて中心部まで向かいました。「光の祭典」は19時からなので、それまでは織物博物館と装飾博物館へ行くことにしました。織物博物館は壁面装飾用、衣装用など細かい装飾が施された布が展示されており、しっかり観ていくとわりとボリュームがあります。装飾博物館は18世紀の調度品などが貴族の邸宅の中に展示されており、さながらタイムスリップしたようでした。もっとも、階段や暖炉などはヴェルサイユの音楽院で見慣れているもので、調度品さえ揃えれば音楽院もこんな雰囲気になるのかなと思いました。ちなみに1716年製のチェンバロもありました!

市庁舎の中庭

17時頃に観終わり、まだ少し時間があったのでフルヴィエールの丘に徒歩で登ることにしました。さほどきつくなく、良い散歩になりました。ノートルダム大聖堂周辺はもう警察の警備が行われており、カバンを開けるように言われました。ヴェルサイユ宮殿でも同じことをやっていますけど、これで何が分かるのかなといつも疑問に思っています…。
大聖堂横の展望台で夜景を眺めているとちょうど19時になりました。特別すごいことはありませんでしたが、大聖堂に設置されたライトが街に向かって光を放ち、眼下のサン=ジャン大聖堂でプロジェクションマッピングが始まりました。早速近くで見てみようと、階段を下りて麓の旧市街へ。
サン=ジャン大聖堂のプロジェクションマッピングは人気があるようで、今回回った中で一番人口密度が高かったように思います。行った時は上映途中で全景が良く見える位置まで進めませんでしたが、上映が終わると人々が出口に向かって進むので次の回に向けて良い位置を確保することができました。
作品は聖堂のバラ窓や装飾をうまく利用した、既存の建築と良く融合したものでした。文章では何とも形容しがたいので、気になる方は来年是非観に行ってみてください。
その他駅舎、市庁舎、劇場などでプロジェクションマッピングが展開されていた他、所々の広場に光を使ったモニュメントが置いてありました。日本のイルミネーションは木々に電飾をつけたりしますがそういったものは見たところなかったので、イルミネーションのお祭りと言ってしまうと少し違うかなと思います。光を使った芸術作品を展示するお祭り、と言うのが良いのかもしれません。

ジャコバン広場

一番感動したのはジャコバン広場の噴水を使った作品。長い静かな導入の後、噴水が立ち上った時はとても美しかったです。
ほぼ全ての場所を回ることができましたが、困るほどの混雑はありませんでした。最終日だからか、あまり天気が良くなかったからか。でもメトロの入口には列ができていたので、公共交通機関を利用しようとすると少し厄介なのかもしれません。
23:45、惜しみながら高速バスで帰路につきました。途中の休憩所でエンジンが止まっている時間がとても寒かった記憶だけがあります。

次回はお役立ち情報ということで、良く知人に聞かれる「RERってなに?」について書きたいと思います。また鉄道ネタです笑、どうぞお楽しみに。

南仏旅行レポート④ オランジュ、リヨン

28 11月 2018
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ルクレールゆかりのサン=ニジエ教会

曇り、雨、霧。ここのところのヴェルサイユは殆ど青空が見えず、毎日湿度の高い日が続いています。昨日は珍しく快晴で、久しぶりに青空を見ました笑。霧はパリに行くと出ていない日が多いのですが、ヴェルサイユに帰ると相変わらず立ち込めています。ヴェルサイユは元来湿地帯であったので、現在でもこうした気候が残っているのでしょうか。これも住んでみなければ分からなかったことです。
月曜日には音楽院で小さな発表会があり、一番目に弾かせていただきました。地元情報誌の芸術活動欄に小さいながら情報が掲載されていて、無料で一般公開されています。音楽院で一番大きい、18世紀の雰囲気が漂うサル・ラモーで行われました。フランスでの演奏会はこれが初めて。聴衆は10人ほどのご老人たちでしたが、先ず先ずの出来で初陣を果たしました。

さて、今回は南仏旅行のレポート最終回です。
TGVでオランジュに到着後、バックパックをホテルに置くため14時まで待ち、駅のすぐ近くにあるホテルにチェックイン。身軽になったところで旧市街まで歩きます。1kmほどあるのですが、歩いてもそう遠くない印象でした。
早速お目当ての古代劇場へ。狭い路地を抜けるといきなり巨大な壁が現れます。「我が王国で最も美しい壁」とルイ14世が讃えた、古代劇場の壁面の裏側です。数あるローマの古代劇場でも舞台の壁面が残されているものは世界で3つしかなく、その中でもここオランジュのものは保存状態が世界一を誇ります。早速中へ入ってみましょう。
オーディオガイドを求めて受付に行くと、「ココ、押す」と片言の日本語を話してくれました笑。日本人観光客は多いのでしょうか。VR体験のツアーが間もなく始まるとのことだったのでそれも申し込みました。
VR体験をする前にまずは劇場の現況を見てみる。するとなんと、舞台が修復中で一面に鉄骨の足場が組まれているではありませんか…。あらら、また足を運びましょう。正面にある皇帝の石像や、向かって右側にある円柱は発掘されたものを復元したそうです。世界一といえども、後の時代の破壊行為からは逃れられなかったか。階段席もローマ時代のものは最初の3段(だったはず)のみということです。
時間になったのでVR体験へ。これがもう、アヴィニョン教皇庁のタブレット端末に勝るとも劣らない優れもの!最初に丘に劇場を建設し始めたところから始まり、劇場が完成するまでの様子を追体験することができます。先ほど見た劇場の壁面は一面色鮮やかな円柱で飾られ、VRながら感動してしまいました。現存していたらどんなに壮観だったでしょう。
音声ガイドも項目が多く、ローマ人の生活や演劇の解説まで充実していました。全て聞き終えたら閉館時間となり、見学終了。
ちなみに入場券はニームにある各遺跡との共通券があるようです。旅行される方はご参考までに。
旧市街の北側に位置する凱旋門にも行きました。カエサルの勝利を記念して作られたもので、規模は小さいですがパリのあのエトワール凱旋門より10倍も古い、2000年前のものです。さすがに彫刻はあまり良い状態とは言えませんが、生き生きとした兵士たちの様子が描写されていました。
帰る途中に住宅街に埋もれたローマ時代の壁面を見つつ、夕食のためレストランへ。旅行中は野菜不足だったので、サラダを注文して満腹になりました。

さて最終日、08:38発のTERに乗って最後の街、リヨンを目指します。このTERは機関車牽引の客車列車でした。何やら陽気な車掌が乗務していて、駅名を放送中に途中から歌い出したり、「ピンポンパンポ~ン♪」とセルフでチャイムを歌うので、乗客たちは皆笑っていました。でも途中で検札係が乗って来てからは大人しくなってしまいました…。
左手にローヌ川の車窓が流れることしばし、終点のリヨン・パルデュ駅に到着。中心地からは少し離れているので、メトロで移動します。白い車体でかわいいメトロ。
まずは音楽関連ということで、ジャン・マリー・ルクレールゆかりのサン=ニジエ聖堂へ。ミサの最中だったので、終わるまでしばし休憩しながら後方で参列しました。今の讃美歌ってなかなかリズミカルなのですね。天井の高いゴシック聖堂で、オルガンの装飾が凝ったものになっていました。残念ながら聖堂内にはルクレールの痕跡はなし。でも外に出てみると、後陣部分の壁面に大きく「フランスヴァイオリン派で最も偉大なる作曲家ジャン=マリー・ルクレール、このサン=ニジエ小教区で生まれたり」と彫ってありました。ルクレールを敬愛する者の聖地!ヴァイオリン奏者の皆様方は是非訪れましょう。
次に教会のほど近くにある印刷博物館へ。15-6世紀のリヨンでは印刷業が盛んであったとのこと。路地を入った目立たない建物ですが、実は古い市庁舎です。中には古い印刷物は勿論のこと、活字や銅板、彫版道具や18世紀の印刷機などが展示されていてマニアにはたまらない内容です。最後には現代のコピー機もあって、日頃何気なく行っている印刷の技術の発展を知ることができました。
ベルクール広場でルイ14世とサンテグジュペリの像を観た後、徒歩でソーヌ川を渡り旧市街へ。壁面が色彩豊かな可愛らしい建物が並ぶ旧市街は、ルネサンス時代の雰囲気を色濃く残しています。途中になぜかベートーヴェンの絵が描かれた建物がありました。
日が落ちる前に丘から景色を眺めようと、まずはフルヴィエールの丘にケーブルカーで登りました。メトロと同じ乗車券で乗ることができる、赤い車体のかわいいケーブルカーです。途中のトンネルは青函トンネル記念館のケーブルカーを思い出してしまいました。運転士は80-90代のおばあちゃんで、元気に乗務していました。と言ってもただボタンを押すだけですがね。
目の前に現れたノートルダム大聖堂には後で入ることにして、まずはガロ・ロマン博物館へ。
第一日曜日なので無料で観覧できましたが、そのためオーディオガイドもお休み。ただ言語を設定して終わったら充電するだけなのだから貸してくれてもいいのにと思いつつ、観覧スタート。リヨン一帯で出土した先史時代からローマ時代に至るまでのさまざまな日用品、彫像、建造物の欠片などが展示されています。建造物の欠片は見せられてもまあ、旅行中に現存する建物をたくさん見てきたのであまり感動は起きず…。ローマ劇場の「下がる」緞帳の仕掛けを観察できる模型がなかなか面白かったです。窓からは横にある古代劇場を眺めることができ、その休憩スペースではお菓子と飲み物が提供されていました。
最後にある定番のお土産ショップにはローマ時代の製法を再現したワインが売られていて、買いたかったのですが重いのでまた今度にすることに。館内に展示されていたローマ時代のオイルランプを再現したものがあったので購入しました。家で出る廃油を入れれば長時間明かりが取れるので、時折楽しんでいます。
次に先ほど景色を眺めた古代劇場へ。リヨンには大小二つの劇場が並置されているのですが、残念ながら壁面は完全に破壊されていて辺りは空しい廃墟になっています。現存していたらどれだけ壮観だったことでしょう(こればかり言っていますね。)
来た道を戻り、ノートルダム大聖堂へ。この聖堂はあまり古いものではなく、日頃行く古い教会では見られない建築様式が新鮮でした。地下聖堂があったり充実した教会なのですが、ミサが行われていて内部や塔の見学はできず、仕方なく聖堂を出て傍らにある展望台から夕暮れのリヨンを眺めました。手前から段々と新しい建物になってゆくリヨンの街並みがよく観察できます。
ケーブルカーで麓まで下り、サン=ジャン大司教教会へ入りました。最も古い部分は11世紀のもので、非常に古く由緒ある教会です。ただ内部は大部分が修復中でカバーがかかっているのが残念でした。修復が終わったらゆっくり見学したいものです。聖堂内ではJ.S.バッハのヴァイオリンとオブリガートチェンバロのためのソナタホ長調をバロック・ヴァイオリンとオルガンで練習している学生がいて、あのオルガンが似合う第一楽章が荘厳に響いていました。
可愛らしい旧市街を散策した後は徒歩で市庁舎近くまで戻り、当アンサンブルのチェンバロ奏者石川友香理と夕食をしながら、旅行最後の夜は更けていきました。

次の日の朝07:30、廉価版のTGVであるOuigo(ウィゴ)でパリまで帰りました。30分前までにチェックインすること、手荷物などに若干制限があるものの車内は快適でした。列車によりますが今回の列車は10€!大阪-東京間の新幹線を1300円ほどで利用できるイメージですから、何ともお得な列車です。後はRERに乗ってヴェルサイユへ帰投しました。

これで南仏旅行のレポートは終了です。長らくのお付き合いありがとうございました。
次回は最近の我が家の悩み、イヤーな「カビ」について書こうと思います。どうぞお楽しみ?に。

南仏旅行レポート③ アルル・アヴィニョン

21 11月 2018
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圧倒的な存在感を放つアヴィニョン教皇庁

昨日のヴェルサイユは最高気温3度、みぞれが降った時間もありました。外の寒さが身体に堪えます。ヴェルサイユ宮殿に続くソー通りの並木もいよいよ葉が少なくなり、厳しい冬の到来といった感じです。
先週、出国して初めて断髪をしました。モンパルナス近くにある日本人が切り盛りしているお店で、スタッフもほとんど日本人。フランス語で注文するのを怠ったわけではないのですが、髪質を分かっている人のほうがやはりいいかなと。モンパルナスは語学学校に通うのに通るので、これからはここのお店に行きます。
今週から、年末にある古楽器を使った現代音楽の演奏会のリハーサルが始まりました。本格的な現代音楽は今まであまりやったことがなく、五線が消失するところは練習していて途方にくれます…が、細かい指示を忠実に再現するとどうなるのか、興味が出てきたところです。

さて、今回も前回に引き続き南仏旅行のレポートです。
アルルの観光はトゥールーズと同様に半日しか時間を取っていないので、朝9時から行動開始。観光スポットはどこも10時から開くので、まずコンスタンティヌス共同浴場を外から眺め、ゴッホが描いた《夜のカフェテラス》の元となった黄色いカフェを見た後、例によって教会へ。このサン・トロフィーム教会もまた、アンドレ・カンプラが奉職していた教会です。ロマネスク教会ですが内陣部分はゴシック様式になっていました。あとから増築されたようです。
回廊は有料区域で、アルルの各観光スポットを周ることができるパスを買いました。有効期限が6か月と1年のものがあり、何度も来たい方はかなりおすすめです。回廊はトゥールーズのジャコバン修道院にもあった、正方形の中庭を持つものですが、ジャコバン修道院は赤煉瓦が多く用いられ温かみがあったのに対しこちらの色調は白のみで冷たく、ゴシック様式のリブ・ヴォールトを持つ天井が厳めしい印象を与えます。回廊部分の屋上に上がるとゴシック以降の教会には見られない、日本のような瓦葺きの屋根を見ることができます。
次に古代フォーロム地下回廊へ。入り口が分からず、グーグルマップに表示されている印のところに行っても何もありません。これはどうしたことかと思いましたが、よくよく案内板をたどってみるとなんと市庁舎に入り口がありました笑。もっと分かりやすくして欲しい…。ローマ時代にはこの場所に大きな建物があり、その地下通路にあたる部分がこの回廊です。この日は大分寒かったのですが中に入ると生暖かい。中は薄暗く、地上付近の採光窓から光が差し込む程度なので天気が良くない日はかなり暗いのでしょう。ひたすら続く美しいアーチがローマ人の建築技術の高さを物語っています。奥へ進むと隅に何やら建材のようなものが積んであり、修復工事中なのかなと思いきや、なんとそれはローマの円柱の部品でした。建材というのは正しかった。地上のどこかの建物で使われていたものなのでしょうが、完全に放置状態です。コリント様式の柱頭をこんな間近で観察できるとは。奥へ進むことしばし、どこも同じ風景の地下空間でで迷子になりかけましたが無事に脱出。
購入したパスで共同浴場も見学できるので、先ほど行ったところまで戻り中に入りました。熱い、ぬるい、冷たいの3つの水温の浴場があったらしいのですが、かなり崩れていてどこでどう湯に浸かっていたのかなかなか想像が難しい…。説明版にあった絵を頼りになんとかローマ人たちの様子を想像しました。
心だけ湯に浸かったところで、いよいよ古代劇場と円形闘技場へ。アルルの古代劇場は階段席こそ残っているものの、舞台の壁面は完全に破壊されていて円柱がわずかに2本残るのみ。次の日にはもっと保存状態の良いオランジュの劇場を見る予定なので、往時の姿を偲ぶだけで終了。円形闘技場は一見するとそこまで保存状態は悪くないのかなという印象を受けますが、本来あるべき3層目が今日では無くなってしまっています。ニームの闘技場には入れなかったのでこれが私の初コロッセウム。階段席、回廊、戦士や猛獣が通る通路を一通り見ました。後の時代に要塞として使われていた名残である見張り台からはアルルの可愛らしい街並みを見ることができました。
最後に駅の近くにあるゴッホの黄色い家があった場所を通り、次の街アヴィニョンへ向け出発です。

アヴィニョンの駅を降り、早速教皇庁へ向けて歩き出すといきなり長い城壁が目の前に現れます。今日でもこの町は城壁に囲まれた街なのですね。城壁の前に準備中のトラムの駅と線路があったので、もうすぐ開業するのでしょう。ビニールがかかっていたので廃線ではないはず…。
歩くことしばし、巨大な教皇庁の宮殿が目の前に現れます。世界史に出てくる「教皇のバビロン捕囚」で有名なアヴィニョン教皇庁です。約70年間、ここアヴィニョンがローマに代わってカトリック教会の総本山でした。
早速中に入り、オーディオガイドをもらおうとすると小さいタブレット端末を渡されました。これがかなりの優れもので、順路を進むと自動で音声が再生され、さらに各部屋では当時の豪華な内装を復元した様子が見ることができるのです。そのバーチャル空間に表示されるマークを押すと説明書きを読むことができ、所々に隠されたコインを見つけるというミニゲームが用意されています。フランスに来てから何回もこういったオーディオガイドが電池切れになった経験があるので、ゲームはやめておきました。
各部屋は空間こそ広いものの、今日では室内装飾は殆ど失われています。そうした少し殺風景な空間を見た後、タブレットの画面に表示される復元された空間を見ると、息をのむほど色鮮やかで豪華な空間が広がっているではありませんか。部屋の隅々に細かい彩色がなされ、まるでどこかの国王の宮殿のよう。実際、教皇はキリスト教世界の王なのですが、神の威光を讃えるにしてもちょっと豪華過ぎやしないですかこれ笑。宝物庫があったり、教皇が増設させた大きな厨房があったり。まあ法王とキリスト教世界は現在も存在しているので、これ以上のコメントは控えます。僅かですが今日でもうっすらとオリジナルの絵が残っている壁や天井があり、全て残っていればどれだけ壮観だっただろうかと思いました。
内部は広く、途中から次第にバックパックの重さが肩に堪えてきました。入り口に預けておけば良かった思いながら見学終了。
次はあの「アヴィニョンの橋で踊ろよ、踊ろよ」の歌で有名なサン・ベネゼ橋へ行きました。12世紀に架けられた橋で、その後のローヌ河の氾濫で今日では半分しか現存せず、もはや対岸に行くことができないという何とも奇妙な橋なのですが、入場料を取る上にオーディオガイドが用意されています。なるほどただの橋じゃないということですね。この橋を建設するようお告げを受けたといわれる聖べネゼの礼拝堂が橋の途中にあり、昔から聖地巡礼地であったとのこと。ちょうど夕暮れ時で、橋の上から眺めるローヌ河とアヴィニョンの街はとても美しかったです。
全て見終えたところで閉館時間となり、駅にほど近いホテルにチェックインしてこの日は終了。肩の痛みがだんだん増してきて頭痛がするようになってきたので、シャワーを浴びて自己マッサージをし、早めに寝ました。
翌日、教皇庁の近くにあるプティ・パレ美術館へ行きました。教皇庁とその横にある大聖堂と比べるとずっと控えめな印象の建物で、最初は案内板を見つけることができず迷ってしまいました。展示されているのは出土した聖像の一部や個人の礼拝に使うイエスやマリアを描いた小さな聖像などで、絵画は地域別に部屋が分けられていて微妙に違う様式を感じ取ることができました。最後の部屋にボッティチェリの初期の作品があるのですが、ほとんど貸し出されていて見られたのは一点だけでした。さすがボッティチェリ。
少しだけ時間があったので市庁舎近くのサン=アグリコル教会に入ってみました。土曜日で教皇庁付近は賑わっていましたがこの教会はあまり人気がなく、静けさの中で心を落ち着けることができました。

この後はオランジュへ向けて初のTGVに乗車。といっても日本の新幹線と違い普通列車と同じホームに発着するので特別な感じはあまりありませんでした。20分ほどでオランジュへ到着。
今回も長くなったので、続きは次回にしたいと思います。もう旅行から一か月ほど経過してしまいますが、次回は最終回のオランジュ・リヨン編です。どうぞお楽しみに。

南仏旅行レポート② トゥールーズ、ニーム

14 11月 2018
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中世にタイムスリップしたかのようなジャコバン修道院

11月に入ってあまり晴れない日が続いていましたが、昨日からようやく青空が見えるようになりました。ヴェルサイユ宮殿に続く通りの木々も葉が随分減り、本格的に冬支度といったところです。
今週の月曜日、アンサンブルの時間にコーエン・アケニヌ氏がいなかったため学生だけで進めることになり、私は当然ヴァイオリンなので中心となって進めなくてはなりませんでした。まだまだ語彙が足りず苦労しています。
その後の授業の後、飲みに誘われて同僚とバーへ行きました。皆親切な人たちで、私の拙いフランス語も根気強く聞いてくれました。「この一か月で大分上達したよね」と言われ少し嬉しかったです。机やパソコンに向かって勉強するよりも、こうした取り留めない会話の方が遥かに難しく刺激になりますね。

さて、前回に引き続き南仏旅行のレポートです。
まだ日が登らないトゥールーズに到着し、早速メトロに乗車。この日廻る予定の建物はどこもこんな朝早くからは開いていないので、中心部から少し離れたところにある「アンドレ・カンプラの袋小路(Impasse André Campra)」と名の付いた道に行ってみました。道路なら開館時間などありませんものね。ちなみにカンプラは当プティ・ヴィオロンでもお馴染みの作曲家で、私の大好きなフランス・バロックの巨匠の一人です。後述しますが彼はこの街の大聖堂に奉職していた時期があったので、この道も彼と何らかの由縁があるのだろうと思いますが、下調べしても分かりませんでした。実際に行ってみると看板があるだけで周りは団地、完全なるジモティー(死語か?)の地域でした。しばらくカンプラに想いを馳せたところで退散。
中心部まで戻り、ガロンヌ川を見ることにしました。野鳥を観察しているムッシューが一人いるだけで誰もいない…。なにやら巨大な蜘蛛のロボットのようなものがありましたが、知人によると何かのイベントのためのものらしいです。
街を散歩すること数十分、観光客をあまりターゲットにしていない教会なら入れるかもしれないと思い、カンプラが奉職していたサン=テティエンヌ大聖堂へ。辺りは人気がなく、扉が閉まっていたので駄目かと思いきや入れました。巨大な空間に私一人。カンプラが見ていたのと同じ景色と思うと感慨深いです。祭壇も17世紀のものでした。
リュックが重かったのでしばらく信徒席に座って休憩した後、サン=セルナン・バジリカ聖堂へ。フランスで現存する最も大規模なロマネスク様式の聖堂で、見慣れたゴシック様式の聖堂とは違い素朴でどこか懐かしいような印象を受ける建築です。薄いピンク色の煉瓦でできた後陣と塔は素晴らしい美しさでしたが、祝日のためミサが行われており内部の詳細な見学や塔に登ることはできませんでした。また是非来たい。
10時になったので市庁舎へ。市庁舎前の広場は「バラ色の街」にふさわしく周りの建物が全て煉瓦で統一され、店舗の看板も景観保持のため金色になっています(お馴染みのマクドナルドもありました)。さながらイタリアのようです。いや行ったことないけど。市庁舎はルイ15世時代の建築で、ロココ調の内装はヴェルサイユで見慣れているもの。ヴェルサイユ宮殿の鏡の回廊に似せて作ったであろうギャラリーもありました。
次は楽しみにしていたジャコバン修道院。遠くからも見える八角形の塔はもちろんのこと、周りも美しい煉瓦積みの建物で占められていて、まるで中世にタイムスリップしたかのようです。中に入ってみると色鮮やかな壁面装飾にステンドグラスの光が差し込んで実に美しい空間を作っていました。そして有名な内陣の天井。ヤシの木のように一つの柱から放射状に22本のリブ・ヴォールトが伸びている様がとても感動的です。ちなみに写真で見るとリブは黒く見えるのですが、実際に見ると彩色が細かくなされています。奥へ進むとお土産屋の先に有料区域があり、正方形の中庭を持つ静謐な回廊や小さい聖堂を見ることができます。聖堂の一つには天井にフィドル(ヴァイオリンのような中世の楽器)を弾く天使がたくさん書かれているところがあり、壁画が淡い色調ながら実に美しく保存されています。中世の雰囲気に存分に浸ることのできる、おすすめの修道院です。
昼になり、大体のトゥールーズ観光ができたところで移動。3時間ほどアンテルシテ(これは昼行列車です)に乗車してニームへ。しかしダイヤが1時間ほど遅れるように予告されていて、着いたのは16:30でした。もともとニームの滞在時間は短く設定していたので、さらに短くなったことから各施設の内部見学は全て断念。
トゥールーズは中世の雰囲気が色濃く漂っていましたが、ニームはさらに遡り古代ローマ時代の遺跡がいたるところに点在する街です。中でも円形闘技場は世界一保存状態が良いといわれるもので、街の中で圧倒的な存在感を放っています。しかしもう建設から2000年以上経っており、風雨による浸食や後の時代の破壊行為などにより側面は想像していたよりはずっと不完全でした。世界一の保存状態と聞いて少し期待しすぎたか。でも一部は修復が行われているところがあり、その壁面は見事なものでした。今後の修復に期待です。
皇帝に捧げられた神殿であるメゾン・カレを少し見た後、フォンテーヌ庭園へ。広場の下に水路があり、その様子はルパン三世の映画「カリオストロの城」のラストシーンで湖の底から出てきたローマ遺跡を彷彿とさせるものがありました。傍らには崩れ落ちたディアーナの神殿があり、少し寂しい気持ちになりました。
奥にある階段から丘を登ることしばし、マーニュ塔へ到達しました。途中で足鈴を鳴らしながらハーディー・ガーディーを弾くおじいさんがいて、人だかりに混ざってしばらく楽しみました。マーニュ塔はニームのローマ遺跡の中でも最も古い建築で、塔に登ればニームの街が一望できる…らしいのですが、登らないと街は見えませんでした笑。ここももう閉まっているのでまたのお楽しみ。
日がとっぷり暮れた後、TER(比較的短距離を走る列車)に乗ってアルルへ。駅の自動放送の「アルル」の発音がやたらとかっこいい。駅前は世界的に有名な観光地とは思えないほどひっそりとしています。駅からほど近いホテルにチェックイン。
重いリュックを置いて、とりあえず夕食が食べられるレストランを探すことに。祝日なので閉まっている店が多く、選り好みしていると食べ損なうのでたまたま見つけた日本料理店へ入店。店主はとても流暢に日本語を話すフランス人で、小さい店内はほぼ満席。マグロ丼をいただいたところで、店主がおもむろに一人のマダムを紹介し始めました。その方はメニューのデザインを担当したマダムだそうで、よくよく話を聞いてみるとなんとこの店が今日開店したことを知りました。グーグルマップを頼りに見つけただけなので全然知らなかった。
懐かしい味を堪能したところで、ローヌ川を渡り「アンドレ・カンプラ通り(Rue André Campra)」に向けて夜のアルルを歩きます。途中に使われていない鉄道の跨道橋があり無駄にテンションが上がりました笑。アルルの「アンドレ・カンプラ通り」も看板があるだけでカンプラとの由縁は良く分からず、周りは住宅街でした。ここは「通り」と銘打っていますが実際はトゥールーズと同じ袋小路。
この後はホテルに帰って、1日目は終了です。

アルルのレポートまで書こうと思いましたが長くなってしまったので続きはまた次回。2日目はアルル、アヴィニョンへ旅を続けます。

南仏旅行レポート① パリ~トゥールーズ

7 11月 2018
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深夜の2等寝台車

寒い。すごく寒い…。いやはや、本格的に気温が下がってきました。
私の家には小さい電気ヒーターがあるのですが、出力を最大にしても部屋全体はなかなか暖まりません。下半身が寒いので、寝るときに使う肌掛けを体に巻き付けて生活するのが常になりました。ハロゲンヒーターでも買おうか…。

さて、今回から数回に分けて、先日の南フランス旅行のレポートを書きたいと思います。
10月31日、パリのオステルリッツ駅から寝台列車Intercités de nuit 3731(夜のアンテルシテ)に乗車、トゥールーズへ。寝台列車は日本の寝台特急「あけぼの」以来でとても楽しみにしていました。語学学校の授業を終えてから向かったので駅に着いたのは発車15分前でしたが、なんとホームにいる検札係の前にずらっと列ができているではありませんか。休前日だからか乗車率も大変良く、移動手段として生きた列車なのだなと思いました。牽引の機関車は私の大好きなBéton塗装のBB7200。
21:03、音も衝動もなくいつの間にか発車。寝台列車が発車する瞬間って何時になっても感動的です。ちなみにヨーロッパの客車は日本と違いバッファ(緩衝器)を搭載しているので発車時、停車時は全く衝動がなく快適です。今回利用したのは2等寝台車で、6人部屋のコンパートメントになっている3段ベットの最上段でした。日本のように各寝台にカーテンがなくセキュリティー面は多少心配なのですが、予約する際にいろいろと調べて最上段なら寝顔を見られず若干安心だという記述がありました。しかし残念ながら窓は下にあって、流れる車窓を見ることができない…。眠くなるまでまだ数時間はあるので、とりあえず持ってきたおにぎりで夕食をとり、寝間着の浴衣(日本の寝台車で着たJRの模様をあしらった思い出の品で、廃品市で購入しました)に着替えて廊下に出る。周りにも談笑している人たちがいて、とても活気に満ちています。でも廊下はとても狭くすれ違うのもやっとの幅で、日本の寝台車で好きだった小さな引き出しの椅子がない…。仕方なく立ったまま過ぎ去る景色を見ていました。といっても外は真っ暗ですが。ちなみに車内検札はありませんでした。
恒例の車内探検をしようにも通路に人がたくさんいて困難だったので、ベットに戻り眠くなるまで内職をしていたところ、突然下の男性が部屋の電気を消してしまい真っ暗になってしまいました…。いや一声かけてくださいよと思いながら、とりあえず少し寝ることにして車内探検は深夜にすることに。
ちなみに車内の装備について。まず各コンパートメントには施錠できる扉が付いていますが、他人と相部屋なので黙って施錠するわけにもいかず今回は開錠したままでした。ドアは開けると結構な音がするので深夜は頻繁に出入りすると迷惑となりそうです。扉の上にはコンパートメント内の室温調節のツマミ、車内放送の音量調節のツマミと室内灯のスイッチがあります。
中に入ると左右に3段ベットがあり、正面に窓と昇降用の梯子があります。梯子は日本の寝台車のように固定されているものではなく、下部は手前に引くことができますが折り畳むことはできません。
各寝台は転落防止の柵がないので寝相の悪い方は注意しましょう。日本と同じように読書灯が設置されていますがとても小さく、手元をわずかに照らす程度です。最上段には大きな荷物を置くことのできる棚があったので、スーツケースや大きなバックパックなどを持って乗車する際は最上段がおすすめです。
アメニティは日本のようにシーツや寝間着はなく、あるのは枕、寝袋のようになっている掛布団と小さな手さげの中に500MLのミネラルウォーター1本、お手拭き(顔拭き)、耳栓が入っていました。枕と掛布団はビニール袋に入っていて除菌されているようです。この手提げは保冷仕様になっていて実生活でも使えそうなので持って帰ってきました。多分貰えるのだと思います、多分。
各車両にはトイレと洗面所が設置されており、三面鏡があります。シャワーはありません。洗面台は顔を洗うには小さすぎ、水も1度に少ししか出ないので顔はおそらく備え付けのお手拭きで拭けということなのでしょう。
深夜1時。予定通りおもむろに起きて車内探検に出発。さすがにほとんどの人は寝静まっていました。編成は座席車、1等寝台、2等寝台からなっていて、2等寝台の一両は自転車置き場と車掌室、食事等ができる小さなスペースが付いていました。前方3両はスペイン国境近くのLaTour de Carolまで行くのですが、それ以外の車両はトゥールーズ止まりです。さらにその後ろには始発時には別の行き先の編成があったのですが、車内探検に出た際には既に切り離されていました。
最後部まで到達し、扉の窓から過ぎ去る信号機やホームの灯を眺める。夜行列車ならではの醍醐味です。
さて車内探検も済み、明朝5時半に起床。寝台で朝食をとりトゥールーズの到着に備えます。相部屋の方たちは直前まで寝ていて大丈夫かと思いましたが、到着まで残り10分ほどで車内放送が入ると全員起きて、速やかに下車していきました。私の方が準備に時間がかかったほど。
06:05、定時にトゥールーズ・マタビオ駅に到着しました。外はまだ暗かったです。

ということで、調子に乗って書いていたら旅が始まったところで今回は終わってしまいました。でもネットで検索してもなかなかフランスの寝台車の情報は少ないので、今後の日本人旅行者の参考になればと。
次回はトゥールーズ、ニーム、アルルへ旅を続けます。

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