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モンパルナスとクレープ店街

18 12月 2019
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クレープ店が競い合う2つの通り

先週の木曜演奏会ではド・ラランド作曲による王のための器楽組曲をいくつか演奏しました。トランペットとティンパニ、太鼓も入り大変華やかな響きでした。ド・ラランドの器楽曲は当アンサンブルが2015年の「太陽王の愛した舞踏と音楽」で演奏した「第2ファンタジーまたはカプリース」を始め旋律とバスのみで今日に伝えられているものが多く、オーケストラで演奏する際は内声パートの補完が必要になります。今回使用した楽譜はヴェルサイユバロック音楽研究センターの楽譜編纂責任者で研究家のトマス・ルコント氏と、ヴェルサイユ地方音楽院の室内楽教師でチェリストのフランソワ・ポリ氏の補筆によるもので、私が担当したのはオート・コントルでしたがいずれも当時の書法を研究しており、十分に旋律的でよく仕上がっているものでした。先日行ったアンサンブル・コレスポンダンスの演奏会でもルコント氏補筆の「第2ファンタジーまたはカプリース」が演奏されていましたし、各氏を始めとした補筆版でこれらド・ラランドの名曲が日本で聴ける日も近いかもしれませんね。
金曜日にはパーセルの「妖精の女王」の最後の演奏会があり、これで本年の演奏会は終了になりました。学生のアマチュアのためのオーケストラで前回の演奏会から日が開いたこともあり完成度は今一つ。帰りの車の中では「まあ教育目的のオーケストラだから…」とパトリックが漏らしていました。

さて、今回の特集はモンパルナスについてです。
昨年から今年の春にかけては語学学校に行くため平日はほぼ毎日通っていましたが、あまり周辺を散策することはありませんでした。クレープ店街で有名なことも知っていましたが一人で入る気にもなれず、知人と2軒ほど入った以外はまったく知らないまま。今回思い立って改めて行ってみました。
とはいうものの現在もストライキ真っ最中。まずはヴェルサイユシャンティエ駅からN線の朝の最後の電車を捕まえる…はずが運よく近郊電車TERが来たので乗車。過去にも書いたかもしれませんがTERか無停車の快速電車に乗れると13分でモンパルナスに着けるので、ヴェルサイユから一番早く着けるパリの駅がモンパルナスなのです。
10時前に着いてしまいまだクレープ店が開かないのでまずは駅の中を探索。語学学校に行っている期間はずっと工事をしていたのですが、最近になって1、2階にカフェやブティックが整備されました。普段なら賑わいを見せるのでしょうが、朝の運行時間が終わり国鉄、メトロともに夕方まで列車がなくなって駅舎内は閑古鳥が鳴いていました…。
正面から駅を出るとガラス張りのビル、モンパルナスタワーがそびえています。高さ210m、日本人の感覚からすればそんなに飛びぬけて高いビルではありませんが、歴史的建造物が多いパリ市内では最も高いビルで、長らくフランスで最も高いビルでしたが2011年に増改築されたデファンス地区のトゥール・ファースト225mにその座を奪われたそうです。
オフィスビルですので観光客が行けるのは展望デッキ、テラスと56階のレストラン「ル・シェル・ド・パリ」だけです。展望階に行くための入場料は18€…これ高くありません?ルーヴルよりも高いですよ?しかもパリ・ミュージアム・パスも適用外。
というわけで、取材のために入ろうかと一瞬思いましたが特段興味もないのでやめました(笑)。いつか行ったら追記します。
タワーの横には同じようなガラス張りのデザインのショッピングセンターであるギャラリー・ラファイエットがあります。こちらも入ったことがなかったので今回入ってみましたが、何の変哲もないショッピングモールでした。ちなみに有名なギャラリー・ラファイエットはオペラ地区にある本店です。
そうこうしているうちに良い時間になってきたのでクレープ店街へ。クレープ店が集中しているのはモンパルナスタワーの東、オデッサ通りとモンパルナス通りです。なぜモンパルナスにクレープ店が多いのかというと、モンパルナス駅がブルターニュ地方からの鉄道の終着駅であったため、駅周辺にこの地方の人々のコミュニティが出来ていったからです。数あるクレープ店の中で特に有名なのがモンパルナス通りにあるジョスランというお店。いざ行ってみると!あれれ、シャッターが下りている…ドアの張り紙を見ると、水曜日と日曜日に営業…と。普通逆じゃないですか?あるいはこれもストライキの影響か。
2軒隣にプティ・ジョスランというお店がありこちらは営業していましたが、せっかくなので本家ジョスランに行きたいなと思い今回は別のお店にすることに。インターネットの事前調べで評判が高かったオデッサ通りの「マノワール・ブルトン」へ入店しました。
ガレット、クレープ、飲み物のランチセットが9.90€でお得だったのでこれを注文。ガレットはラタトゥイユ(南仏の野菜炒め)とハム、チーズが入った「プロヴァンサル」、クレープはクレープ生地にチョコレートがかかっているだけのシンプルな「ショコラ・メゾン」、飲み物は王道のシードルにしました。ガレットはこのセットで選べる「プロヴァンサル」以外の2つは私の苦手な卵が入っているものだったので他に選択肢がなかったというのが実情…。
ここでガレットとクレープの違いを少しご紹介。一般的にガレットはそば粉を原料とし、肉、卵、野菜、チーズなどを包んだ物が多く、クレープはガレットから派生したもので小麦粉を原料とし、チョコレート、生クリーム、フルーツなどを包んだ(載せただけのことも多い)物を差します。ガレットは主食、クレープはスイーツという認識で概ね良いでしょう(逆のパターンもあります)。これらを出す店を「クレープリーCrêperie」と言いますが、なぜ本流であるはずのガレットリーではないのでしょうね。
注文してしてからあまり待たずに早速ガレットが来ました。このラタトゥイユが包まれた「プロヴァンサル」、とても美味しかったです!家でも何とか作れないかなと思い中身を調査してみましたが、ラタトゥイユ、ハム、チーズだけでラタトゥイユと生地さえ用意すれば簡単にできそうでした。
続いてクレープ。チョコレートがかかっただけのシンプルなものですが、ガレットと通して食べ終えてみるとかなり満腹になりました。ガレット、クレープって見た目は薄くて軽そうですが結構ボリュームあるんです。結構食べる方の私がこのような感想を持ちますから、少食の方はどちらか一方にした方が良いかもしれません。
クレープを食べ終わった後はコーヒーを店員に勧められ、大概は注文すると思いますがまだシードルが残っていたので今回は遠慮することに。

さて、シードルでほろ酔いになって店を出ると時刻は14時少し前。N線は16時半まで列車がなく2時間半何かをして待っても良かったのですが、せっかくなのでどうにかして帰る方法を探し出す冒険をすることに。バス、メトロ、トラムを駆使して何とか16時頃にヴェルサイユに帰ることができました。ただモンパルナスから乗車したバスが超満員で所要時間も伸びており、気分がやや悪くなりました…。移動できないことはありませんが、やはり無理せずに列車が動く時間まで待つほうが良いなと思いました。
このストライキ、クリスマス期間も停戦はないと労働組合は発表しています。私は日頃ヴェルサイユにいるので影響はあまりありませんが、毎日通勤通学でパリを移動している方々には本当にお疲れ様と言いたいですね。一体いつまでこの状況は続くのでしょうか。

次回はアップロードの都合により新年1月8日になります。休暇中に訪れるモン・サン=ミシェルを特集したいと思います。皆さま良いクリスマスと新年を!

大規模ストライキとデモ

11 12月 2019
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国鉄ストライキでがらんとしたサン=ラザール駅

先週の日曜日は王室礼拝堂でセバスチャン・ドーセ率いるアンサンブル・コレスポンダンスのド・ラランドのグラン・モテを聴きに行きました。王室礼拝堂でのド・ラランドはもうただただ至福の時間!ミゼレーレやディエス・イレといった葬礼のためのモテを中心に構成されていてとても重厚感のあるプログラムでした。
さらに昨日は王室歌劇場でクリストフ・ルセ率いるレ・タラン・リリクのリュリ「イジス」をコンサート上演で観ました。ルセとそのオーケストラは今回生では初めて聴きましたが、優雅さと繊細さが特徴のアンサンブルですね。リュリの音楽の素晴らしさは言うまでもありません。先日の「カドミュスとエルミオーヌ」でも思ったのですが、リュリの悲劇って通して観劇すると5幕の最後にすごくこみあげてくる感動があるんです。舞台装置や衣装があればなおさらなのでしょう。ところで20時に始まり、終わったのが23時半頃だったのですが、観客や出演者、スタッフの皆さんは無事家に帰れたのでしょうか…。

さて今週は、現在パリを震撼させているストライキについてお伝えします。
マクロン大統領が掲げている年金改革政策への抗議で、先週5日からフランス各地でストライキ、デモが盛んに行われています。初日であった5日には警察、消防、病院、教育機関までストライキを行いました。公共性の非常に高いこれらの組織がストライキをするって日本人の感覚からするとかなり異常なことですよね(もちろん緊急時には対応を行ったそうです)。その他電力、運送、航空など参加した会社は挙げればきりがありません。
もちろん常日頃からストライキを頻発しているフランス国鉄SNCF、パリ交通公団RATPもストライキを実施しているのですが、これらが異常なのはこのストライキが「無期限」であること。つまり何らかの譲歩を引き出せない限り終わらないということです。間もなく一週間を迎える今日も実施され続けています。当然市民の通勤事情にも深刻な影響がありますが、私の友人の一人は先週2日間は自宅勤務「テレ・トラヴァイユ」できたと言っていました。
幸いこの一週間の私の活動はヴェルサイユのみでしたのでほとんど影響を受けませんでしたが、パリに住む同僚や演奏会に来るお客様方は大変。車に皆で相乗りしたり、あるいは何時間もかけて歩いたりして対処しているようです。5日には王室礼拝堂で木曜演奏会があり、ヴェルサイユ宮殿も閉鎖される中誰も聴きに来ないのではと心配していましたが、通常の7割くらいのお客様が来てくれました。殆どヴェルサイユ市民なのかもしれませんね。ありがたいことです。
ヴェルサイユの街は至って平和、一番アクセスのよいRERC線が全面運休のためか日頃宮殿へ押し寄せる観光客も減っているようで何だか静かです。それでもヴェルサイユ・リーヴ・ドロワト駅を発着するL線は本数は減っているものの日中も列車があり、ヴェルサイユ・シャンティエ駅を通るN線は朝と夕方、夜のみですが運行しているので、ヴェルサイユ観光を考えている皆様はどうか諦めずに、これら2線のスケジュールを確認の上いらっしゃってくださいね。またパリのポン・ド・セーヴルとヴェルサイユを結ぶ171番のバスも本数は少ないものの運行しています。なおヴェルサイユ周辺のバスについてはフェービュスというパリ交通公団とは別の会社が運行しており、こちらはストライキを行っておらず日頃と変わりなく運行しています。パリのticket+やナヴィゴで乗車できるので、宮殿から遠くの駅に着いてしまってもすぐにアクセスできますよ。
と、このままでは「ヴェルサイユは平和です」という記事で終わってしまうので、昨日パリへ用事を済ませに行ってきました。
本数が比較的多い朝に出発、最初の目的地はエトワール凱旋門近くにある日本大使館。ヴェルサイユ・リーヴ・ドロワト駅からL線でまずはデファンスを目指します。普段このラッシュ時間帯にこの線に乗車することはないので通常と比べてどうかは何とも分かりかねるのですが、2駅くらい進むと車内は日本の通勤電車よろしく超満員。その後の駅では列車に乗車できずホームに溢れた人たちが各駅で見られました。おそらく本数削減になっていることと無関係ではないでしょう。メトロやバスでもそうなのですが、フランス人はどうもドア付近に溜まりあまり車内奥に進もうとせず、また自分たちが鮨詰めになることを非常に嫌がります。天下に名高い混雑路線、東急田園都市線沿線民であった私としては「あと5人は乗れるのにな…」とか思ってしまいますが、積極的に次の電車を待つフランスの方が良いのかもしれません。
そんなこんなで、混雑はあったもののおおむね時間通りにデファンスに到着、ここからRERのA線でエトワールまで乗ります。ホームに既に列車がいたので何の苦も無く乗車することができましたが、こちらも本数削減が行われ日中は運休。
大使館の開館と同時に手続きを済ませ、A線で次の目的地オペラ周辺へ。朝の最後の列車を何とか捕まえることができました。駅にあるバス案内の電光掲示板は軒並み「保証なし」、つまりいつ来るか分からないということです。シャルル・ド・ゴール空港へアクセスするロワシー・バスも同様で、乗降場にも行ってみましたが明確な案内はありませんでした。でも道路上には結構バスを見かけましたので、各線とも一応走ってはいるようです。
オペラ周辺で用事を済ませてヴェルサイユに帰るにあたり、14番線のメトロでサン=ラザール駅を目指します。メトロは全面閉鎖される路線も多い中、1番線と14番線は自動運転のためストライキの影響を受けず通常運行しています。この2つをうまく利用することがストライキ中のパリ移動でカギになると思いますね。
あとはサン=ラザール駅からあらかじめ予定されていたL線の列車でヴェルサイユへ帰ることができました。いつもひっきりなしに列車が往来する大ターミナル駅も写真の通り。長距離列車もかなり運休になっているようです。

こうしたストライキと並行して、5日、7日、昨日10日とパリで大規模なデモが行われ、商店が閉鎖したり警官隊が大規模に展開するなどしています。危ないかもしれないので、パリに来た際にデモが行われていたらなるべく近づかないようにするのがおすすめです。
以上のような現況ですので、近日パリを訪れる方はフランス国鉄、パリ交通公団の公式サイト(英語あり)で発表される最新情報をよくご確認の上、最大限観光を楽しんでくださいね。
次回はモンパルナスのタワーとガレット店街についてご紹介します。

パリ・シテ島編④コンシェルジュリー

27 11月 2019
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マリー・アントワネットも散歩したであろう女たちの庭

先週から今週にかけてヴェルサイユ宮殿では見逃せないスペクタクルが連日目白押し。私は合計4つのオペラ、演奏会に行ってしまいました!木曜日には自分が出演する木曜演奏会もあり、出演者から聴衆へ早変わり。そのまま出演できればいいんですけどね…。

さて今回はシテ島編の続きとして、コンシェルジュリーのご紹介をします。
コンシェルジュリーは3つの丸い塔と1つの四角い「時計の塔」を持つ、バロック様式の建物が多い周辺ではひときわ目を引くゴシック様式の宮殿です。王がシテ宮殿から居城を移した後、王によって宮殿の管理を任された管財人のことを「コンシェルジュ」と呼び、次第にその名が建物の名前となっていきました。ここにはその堅牢な構造から高等法院や革命裁判所と牢獄が置かれ、牢獄は激動の革命期を経て実に1934年まで使用されていました。よってこの建物は宮殿としてよりも牢獄として有名であり、マリー・アントワネットを始めフランス革命期の多くの囚人を収容したことで知られています。
パレ通りに面した時計の塔にはその名の通り壁時計があり、オリジナルではないものの1585年製の時計が今も動いています。雨ざらしですがよく手入れしているようで、青地に金の装飾が目を引きます。
時計の左手から入場ができます。さすがといいますか、ここにも入り口には空港のような手荷物検査場があります。まず最初は半地下のようになっている巨大な空間、衛兵の間からスタートです。フィリップ4世治世下の1302年に完成した空間で側面に4つの大きな暖炉を持ち、柱から伸びたリブが交差しあうヴォールト架構になっています。日頃はがらんとしているのかもしれませんが、今はちょうど「マリー・アントワネット~その像の変貌~」展が開催されていて、スペースはほぼ展示で埋め尽くされていました。マリーの服飾、書簡から彼女を題材とした絵画、映像作品に至るまで多角度からその姿に迫る展示となっていますので、マリーが好きな方は行ってみてくださいね(ちなみに私は特段マリーが好きというわけではないです)。
順路の次の部屋は厨房で、ジャン2世の治世化に設置されました。この辺りは中世の宮殿の雰囲気を味わえる空間ですね。部屋の角に調理場と排煙設備があり、天井は同じくヴォールト架構です。シテ宮殿の昔の様子をCGで再現している映像が流れていて中々興味深いです。
衛兵の間へ戻り入り口から見て奥へ進むと、警備の間と「パリ通り」があります。警備の間は衛兵の間と同じ役割を担う部屋ですが、より小さくかつて上部にあった大広間への控えの間となっています。「パリ通りLa rue de Paris」は縦に長い空間で元々は衛兵の間の一部でしたが、後に仕切られて最も身分の低い囚人であるパイユーが収監される、わらが敷かれたのみの雑居房となっていました。ちなみに「パリ」は町の名前ではなく死刑執行人として知られたムッシュー・ド・パリから取られた名前とのこと。周囲に窓はなく日が当たらない雑居房は非常に不衛生で病気が蔓延する酷いものでしたが、今日ではそんな過去はどこへやら、お土産売り場になっています。
「パリ通り」を抜けると、左右に格子で仕切られた小部屋がありいよいよ牢獄といった感じです。それぞれ囚人を登録する書記、牢獄の所長、囚人の収監前に断髪を行うための部屋だそうです。右手の順路ではフランス革命とコンシェルジュ牢獄を紹介する展示を見ることができます。収監されるのも有料であった当時は前述したパイユーと、ピストリエ、プリゾニエ・ドゥ・マークという3つの階級で生活環境が全く異なり、パイユーはベッドすらなくわらが敷かれた房で家畜のように扱われ、中流階級のピストリエでも簡易ベッドが置かれただけの雑居房であったのに対し、マリーを始めとした富裕層プリゾニエ・ドゥ・マークは独房で家具を入れることができるなど比較的快適な生活ができたようです。
階段を上がると「名前の部屋」と呼ばれるフランス革命期に収監された四千余名の人物の記録を見ることができる部屋があるのですが、何故か私が行ったときは閉鎖されていて、隙間から壁にたくさんの人名が書かれていることだけ確認できました。廊下には3つの独房がありますが、これは革命200周年の1989年に復元されたもののようです。しかしそれでも当時の獄中生活の過酷さを容易に想像することができます。奥の部屋では革命と裁判所についての展示があります。共和政を守るという名の下設置された公安委員会は恐怖政治を行う独裁機構となり、敵対する勢力を政治犯として次々と裁きましたが、やがて独裁からの解放を願った市民のうねりからロベスピエールらも処刑され、公正な裁判所への刷新が行われました。
階段を降りると礼拝堂があります。元々は王のための礼拝堂でしたが牢獄になってからは囚人のための礼拝堂となり、フランス革命期にはここすらも雑居房になっていました。奥にはマリーが使用していた独房の1つである贖罪礼拝堂があります。革命後、ルイ18世によって修復が行われたとのことですが、近年また修復されたようで事前に見ていた写真の様子と全く違いました。黒い壁面に白い火の玉?のような小さい模様が描かれています。今回掲載した写真の「女たちの庭」は礼拝堂の外にあり、女性囚人の散歩と洗濯のために使われていました。散歩をするにはあまりに小さい中庭ですが、マリーもここで少しは気晴らしができたことでしょう。

マリー・アントワネットが最後の数か月を過ごしたコンシェルジュリー、彼女の足跡を辿りに是非足を運んでみてくださいね。
来週はこの頃ヴェルサイユで鑑賞したスペクタクルをまとめてレビューしたいと思います。

パリ・シテ島編③サント=シャペル

20 11月 2019
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息をのむ美しさの上層礼拝堂

先週は王室礼拝堂の木曜演奏会と、学生オーケストラによるパーセルの「妖精の女王」の演奏会がありました。木曜演奏会はヴェルサイユの研究センターの子供たちによる合唱とのアンサンブルで、シャルパンティエとモランによるプティ・モテのプログラム。今年はメンバーが入れ替わったのか、昨年いたびっくりするくらい上手い女の子たちがいなかったのが少し残念でしたが、それでも10歳くらいの少年少女が立派に独唱をやっている姿は素晴らしいの一言です。
学生オーケストラの方は今回はややリハーサルが少ないのが心配でしたが、パトリックの安定した指揮で無事1回目の本番が終了。今週と来月にあと3回本番があります。

さて今回からは先月書いたパリのシテ島編の続きとして、サント=シャペルとコンシェルジュリーについてご紹介します。
フランスに来てからというもの、今まで様々な宮殿や聖堂に行ってきましたが、何故かこの2つだけは今まで手付かずのままでした。何でもシテ島周辺はいつも観光客だらけで治安もあまり良くないし、いつでも行けると思っていたらノートルダム大聖堂の火災があってしばらく付近が封鎖されてしまうしで…でも今回、特にサント=シャペルは行って良かった、なぜもっと早く行かなかったのかと改めて思いましたね。
シテ島の歴史は非常に古く、紀元前から人が生活しておりその後ローマ人の征服により都市が発展するとこの地に宮殿と行政機関が置かれました。その後フランク王国となりシテ宮殿が建設され、シャルル5世がより安全な居城を求め移住してからは財務監督、裁判所、牢獄が置かれるようになりました。ちなみにこのシテ宮殿にはとても長い歴史と数多くの事件がありますので、ここでは省略いたします。
現在シテ宮殿の建物で現存しているのは今回紹介する2つで、これらはフランスに現存する最古の王宮施設になります。コンシェルジュリーが10世紀にカペー朝を開いたユーグ・カペーによって整備、サント=シャペルが13世紀に聖王ルイ9世によって建てられました。

どちらから行っても良いのですが、前回予告したのでまずはサント=シャペルから。
サント=シャペルは1248年に完成した聖堂で、最も重要な茨の冠の他キリストの受難に関する聖遺物を保管する聖堂として建設されました。ちなみに茨の冠はビザンツ帝国(東ローマ帝国)の皇帝から購入したもので、その費用はシャペルの建設費用に匹敵したそうです。しかしそれは単なる王の物欲によるものではなく、これによってキリスト教世界でのパリの地位を一気に引き上げる意図がありました。現在、聖遺物はノートルダム大聖堂保管となっており、火災の際も無事運び出されたそうです。
聖堂にアクセスするには裁判所の門の横にあるパレ通りに面した入り口から入ります。裁判所に隣接する形で少し奥まった立地のため聖堂の姿を探しながら行くと少し迷ってしまうかもしれません。入り口付近には空港のような手荷物検査場があり、チケット売り場は聖堂の入り口にあります。
まずは外観を観察。とにかくステンドグラスの面積が大きいのと、トレーサリー(装飾的な枠組み)が極度に細いのが分かります。レヨナン式ゴシックと呼ばれる繊細な装飾が見所です。小ぶりでこれまた繊細な装飾を持つ尖塔はフランス革命時に破壊され、19世紀に再建されたもの。聖堂正面は特段凝った装飾があるというわけではありませんが、とても大きいバラ窓が目につく所でしょうか(この真価は内側から見たとき分かります)。入り口ではイエスを抱えたマリア像が出迎えてくれます。
この聖堂は上下2層に分かれており、上の礼拝堂が王や身分の高い者のため、下の礼拝堂が王家の使用人のための聖堂で、上の礼拝堂へはシテ宮殿から伸びる通路で直接行けるようになっていました。
まずは下の礼拝堂から見学。格下の礼拝堂とはいえ鮮やかな彩色が施されています(現在見られるのは19世紀の修復によるもの)。脇にある柱には青地に金のフランス王家の紋章と、もう一方は赤地に金で塔の紋章があしらってありますが、これはルイ9世の母の血統であるカスティーリャ王家の紋章だそうです。
その他奥の左手に13世紀のフレスコ画や、周辺から出土した壁の欠片なども置いてありますので上の礼拝堂に行くのを焦らずにチェックしてみてくださいね。
さて下の礼拝堂を見終わったら階段で上の礼拝堂へ。到達した瞬間、あまりの美しさに言葉を失うほどです。この日は雨で外から差し込む光は決して多くありませんでしたが、それでもとにかく聖堂内が光り輝いていました。もうこれは言葉で言い表せないので、是非実際に来て体感してみてください。キリスト教徒であればなおさらのこと、そうでなくても誰もが心洗われる空間だと思います。
正面から見て左から右に15のステンドグラスで、1113の聖書の場面が描かれています。詳しくはオーディオガイドを聞きながら見ると良いと思いますが、一番最初の創世記の場面などは何となくわかります。
ステンドグラスの間の柱の根本には12使徒の像が置かれていて、ペテロ像を始め幾つかは13世紀中頃のオリジナルとのこと。ステンドグラスを鑑賞して首が痛くなったら是非これらの像も見てください。
奥にはこの聖堂の主役である聖遺物を保管するための構造物があり、高壇の金の聖遺物箱の中にかつては保管されていました。ところでこの大きい壇があるために、中心にあって全ステンドグラス中最も重要な受難の場面が半分ほど見えないのですが..まあ実物の方が重要ですものね。
後ろを振り返ると先ほど外側から見た大きなバラ窓の真価が分かります。題材はヨハネの黙示録で、中央にキリストが描かれています。もっともこれは完成当初はなかったもので、15世紀に追加されたものだそうです。
こんなに素晴らしい聖堂も、フランス革命期にはただの事務所として使われ、せっかくのステンドグラスも整理棚が手前に置かれその魅力はすっかり忘れ去られていました。ただそのために破壊を免れ、今日こうして私たちが見ることができるのは数奇な運命ですね。

そんなわけで、パリに来たら絶対に!この聖堂へ足を運んでみてくださいね。
次回はコンシェルジュリー編をお送りします。

パリ・シテ島編②ポンヌフ

16 10月 2019
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名は新橋でも今は最古の橋

今回は先週に引き続きシテ島についてのお話なのですが、ここで皆さまにお詫びです。
サント・シャペルとコンシェルジュリー、もう少し延期させてください!
というのはですね、今度こそ入るぞと思って意気揚々とサント・シャペルの入場列に並んだわけなのですが、ふと「11月からの第一日曜日は無料」の看板が目に留まったんです。そうだ、今日なら学生料金でも8€だけど来月の第一日曜日に来れば無料じゃないか!

…という経緯があったので、今回はシテ島にかかる有名な橋、ポンヌフについての紹介です。
ここはアヴィニョンの橋のように入場料はとりませんので(笑)。

ポンヌフはシテ島の西側に架かり、パリ右岸と左岸をつなぐ今も昔も重要な橋です。ポンヌフとは「新橋」という意味ですが、1578年にアンリ3世の手によって起工され、1607年に竣工した現在のパリでは最古の橋となっています。石造りの頑丈な橋で基本構造は竣工時から変わっていません。フランスには「ポンヌフのように丈夫だ」ということわざがあるそうです。
橋は右岸からシテ島の部分(7つのアーチ)とシテ島から左岸の部分(5つのアーチ)の2つからなっていますが、シテ島の陸地部分のアンリ4世騎馬像周辺も同一の意匠となっています。側面には怪人面Mascaronと呼ばれる怖い形相をした男の顔の装飾が等間隔に延々と続いていて、一つとして同じものはないように…思えます(確認はしていません)。これだけ見ていても結構楽しいですよ。
橋を実際渡ってみると、なるほど現役の橋だなあという感じなのですが、その幅の広さに注目してみてください。現在の道路部分は自動車道路の片側2車線くらいの広さはあります。大型観光バスも余裕で通過。それでいて左右の歩道部分もとても広く、ストリートミュージシャンがいても困らないほど。橋脚部分には半円形のベンチになっている休憩スペースもあります。いやそんなに長い橋じゃないですけどね…。こういった幅の広い橋の設計が、頑丈さと相まって後に架け替えられたり改造されることなく現在まで残った理由の一つでしょう。
またこの橋はパリの中心部にあるだけあって、様々な事件の舞台や芸術作品の題材になってきました。そのような事に思いを馳せてみるのも良いでしょう。

最後に、この橋はシテ島を挟んで2つの部分からなる橋だけあって、全景を良く眺められる場所は非常に限られてきます。お勧めは西側に架かるポンデザールの中央付近から見ること。今回の写真もここから撮影しています。でもここからではどうしても少し遠くなってしまうので、間近で見たいなら河岸の歩道から観察すると良いでしょう。

次回は今週行われているヴェルサイユ地方音楽院のオープンキャンパスを紹介します。

パリ・シテ島編①ノートルダム大聖堂の現況

9 10月 2019
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ノートルダム大聖堂の現在の様子

昨日はこの記事を書くためにシテ島へ赴きましたが、粒の細かい雨と風で結構濡れてしまいました。雨の日が増えてきたので、中々外を出歩く気になれず少し運動不足気味です。
シテ島へはノートルダム大聖堂の火事直後以来久しぶりに行ってみました。今回は大聖堂の現況をお伝えします。
大聖堂前のシャルルマーニュ像やポワン・ゼロがある広場、反対側のヨハネ23世広場を始め周囲は白い鉄製の囲いで覆われ、工事関係者のためのテントと事務室が多く設置されています。
木製の尖塔があった位置には火災当時のまま鉄骨の足場が組まれていますが、南側のバラ窓のところにも足場が組まれていました。その他の聖堂の側面にある窓は透明なシートで覆われています。
東側、つまり後陣部分の屋根とフライング・バットレス(外壁から外側に向かって伸びる、聖堂天井のアーチ構造を支える役割を持つ構造物)の内側には木製の枠組みが追加されていました。やはり火災の際に石材が高温にさらされたことにより強度に支障をきたしたのでしょうか。
火災直後に訪れた際は聖堂北側のクロワトル=ノートル=ダム通りは閉鎖されていましたが、現在は通行できるようになっています。この通りからよく観察できる北側のバラ窓は白い覆いが掛けられていて状態を確認することはできません。火災当時火が吹き出ていた上部の小さい窓は損傷が激しいのか木材で補強がなされていました。
以上が大聖堂の外観の現況です。修復は時間がかかるでしょうが、いつの日かまた昔のような美しい姿に戻るといいですね。そういえば尖塔と屋根のデザインはどうなるのでしょうか。18世紀にも趣味の悪い改築が行われ、19世紀の修復で原型に近い姿を取り戻しましたが歴史は繰り返されてしまうのでしょうか。

さて今回はノートルダム大聖堂以外の名所である、サント・シャペルとコンシェルジュリーについてお伝えしたかったのですが、2つの入り口が面しているパレ通りが警察によって封鎖されているではありませんか!といってもこれはノートルダム大聖堂火災によるものではなく、周囲で行われていたデモ対策だったようです。
そんなわけで、来週こそ!お伝えしたいと思います。

パリの日本食品店、京子食品

2 10月 2019
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KYOKOじゃないの?でお馴染み(私だけか)

早いものでもう10月ですね。日本では消費増税が行われましたが、果たして今後の経済はどうなるのでしょうか。
昨日、イヴリヌ県庁から新しい滞在許可証の用意ができたという旨のSMSが届きました。申請してから2か月超、もしかしたら日本にいる間フランスからのSMSが受け取れなかったのではないかと気をもんでいましたが、無事取りに行けることになり良かったです。
あと7月の始めにネットショッピングでサンダルを注文したのですが、その後なかなか発送して来ず帰国の日を迎えてしまいました。不在でも郵便局員がどこかに置いておいてくれるかなと思いきや返送されたようで、ショップから先日連絡があり再送料10£(イギリスのお店なのでポンド)かかるとのこと… サンダルがどうしても欲しかったあの暑い夏は過ぎてしまいましたが、欲しいものだったので再送を待つことにします。住所は合っているし表札も出しているのだから置いて行ってくれればいいのに!!!

さて今日はパリの日本食品店として有名な京子食品の紹介です。
パリのオペラ・ガルニエ(いわゆるオペラ座)の周辺にはジュンク堂書店、 ブックオフ、ヤマト運輸といった日本企業の店舗や、ラーメンを始めとした日本食店が多く並ぶなどまるで日本人街のようになっています。またフランスの銀行ながら日本語で対応してくれる、留学初心者には大変心強いLCL銀行ピラミッド支店 (日本人支店とあだ名されています)もまたこの地区にあります。
そんな地区の中で、日本食材を買うため私が何度か足を運んでいるのが京子食品です。大きいオペラ座通りから横に伸びるプティ・シャン通り沿いにあり、道を少し進むとすぐに「京子」の四角い看板が見えます。フランス語表記はKIOKO。KYOKOじゃないの?と思うかもしれませんが、フランス語でYはIが二つということになっているので KYOKOだと「きよこ」になってしまうのだと思います。
そんなことを毎度考えながら入店。一階は米、野菜、冷凍・冷蔵食品、調味料、お菓子や飲料などが並び、2階には乾麺やインスタント食品、各種の粉、製菓材料、食器や調理用品も売られています。そのラインナップたるや、まるで日本!ここに来れば日本食材はほぼ困らないでしょう。こんなものまで!というものがたくさんあるので、見ているだけでもとても楽しいです。私個人的に非常にポイントが高いのが蕎麦の乾麺の品揃え。私が一番気に入っている滝沢更科の十割そばがあるんですよ!温蕎麦に最適なので是非お試しあれ。
そんな品々も全てが日本産というわけではなく、野菜などはフランスやその他の国々で収穫されたものが多数売られています。やはり鮮度の観点ではどうしても日本からの輸入には限界がありますから、 日本と比較的気候や土壌が似ている場所でそれらを栽培する努力が行われているのでしょう。
値段設定は日本で買うよりはやや高いのは仕方ありませんが、それを考慮すればそれほど気にならない商品が多いと思います。それから少し前までは少額のクレジットカード利用はできなかったのですが、今では1€から対応してくれるようになりました。これはありがたい!
スタッフはフランス人、日本人が半々くらいという印象です。何か困ったことがあっても日本語で対応してくれると思いますよ。
その他詳しい最新情報はどうぞ公式サイトで。
京子食品 http://www.kioko.fr

来週はパリのシテ島についてご紹介します。ついにあのサント・シャペルに行きます!え、まだ行ってなかったのかって?(笑)

パリの語学学校ISMAC

22 5月 2019
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コーヒーマシンがある待合室

今週は師匠パトリック・コーエン=アケニヌ氏の指揮でリュリの《平和の田園詩Idylle sur la paix》に取り組んでいます。ヴェルサイユバロック音楽研究センターが行っている「国王の24のヴィオロン」の復元演奏プロジェクトの一環で、ヴァイオリンは標準よりも少しだけ小型の楽器、ヴィオラは3つの異なるサイズの楽器(オート=コントル、タイユ、キャント)、低音はチェロとは調弦が異なるバス・ド・ヴィオロンを使用したオーケストラです。歌手はもちろん研究センターの学生たちで、彼らの歌唱は何度聴いても表現の彫りが深くて上手いなと思います。
今回はコンサートマスターを拝命しましたので、プロジェクトが終わるまでの間「国王の24のヴィオロンの第一ヴァイオリン奏者」という名誉ある称号を得ることになりました(笑)。冗談はともかく、こんなに刺激のある本番を1年目に何回もできるとは、やはりここに来てよかったなと思います。
ここに来てよかったなと思うといえば、宮殿から伸びるソー通りやパリ通りの並木道を歩くたびにもそう思うんですよね。最近葉が増えてきて、一段と壮麗な眺めになっています。

さて、今回は現在私が通っている語学学校についてお伝えしたいと思います。
実は私、今年の学生ビザはこの語学学校の入学で取得しました。その理由は音楽院で現在所属している研究科(Perfectionnement)の入学試験は昨年の10月初旬にあり、その1週間後からもう授業が始まるというスケジュールになっていたからです。テスト生用のビザから切り替えるという方法もあるのですが、面倒だという噂を耳にしたのとフランス語も勉強したかったので語学学校へ通うことにしました。
ISMAC(Institut Supérieur de Management et Communication)はアジア諸国向けのビジネススクールに併設されている学校です。語学学校の校舎はビジネススクールとは別で、13区のグラシエール通り沿いにあります。ヴェルサイユからはモンパルナスまでN線、駅から91番バスで通っています。校舎といっても独立した一つの建物ではなく、マンションの手前にあって建物は一体になっています。内部は教室が4つとコーヒーマシンがある小さな待合室(写真参照)があるのみです。冷水器などあったらいいなと常々思いますがまあ別に困らないですね。受付の方は日本語を話せるスタッフが大抵の場合は控えており、初心者の方やこみ入った内容を相談したい場合も心配ないと思います。
授業は平日毎日あり、基本の授業が2時間、アトリエと呼ばれるその日ごとに決められたテーマに沿って学習する授業が1時間半、また月一回は校外学習会があります。レベルはA0(内容は知りませんがA1よりさらに初歩のレベルの授業だと思います)からB1は同一の授業料で、B2とC1はそれよりも高くなります。時間割については公式サイトには明記されていませんが、メールで問い合わせれば確認できます。基本の授業の生徒数はおおよそ10人程度ですが、アトリエは2つのクラスが合同で行う場合が多いので人数が増えます。
パリには数えきれないほどの語学学校があるかと思いますが、決める際にまず重視したのは何といっても授業料でした。このISMACという学校は8か月で1600€(当時は1500€でした)で、有名な学校では倍ほどするところもありますからかなり割安な方です。あとはインターネットにあるいくつかの口コミとパリの邦字新聞オヴニOvniの記事、またアジア諸国の人々に対して理解のある先生が多いという特色も決め手になりました。アジアの諸言語は文法が似通っているところも多いですから、それだけフランス語でつまづきやすいポイントも抑えているかなと思ったからです。
昨年の5月に数回メールのやり取りをして、授業料を振り込んだら入学を証明する書類が送られてきました。1年目なら語学学校のビザ取得は問題なく気楽かな…と思ったら、ビザ申請手続き中に日本のキャンパスフランスから思わぬ横槍が。曰く「FLE資格(フランス語を母国語でない生徒に教える能力を保証する資格)を有している学校ではないので授業の質に難があるかもしれないから違う学校に変えることを勧める」とのこと。うーんとあの、いや、もう授業料払ったんですけどね。なんで今更そんなこと仰るのでしょうとブツブツ文句を言いながら急いで学校へその旨メールしてみたら「よくあるケースなのでその点は大丈夫だと返答してください」とのこと。最も講師陣は全員FLE資格を持っていることを確認済みだったのでその旨も添えてキャンパスフランスへメッセージを送ったら今度は承認されました。その後は滞りなく渡仏。
9月に授業が始まってからは1か月ほどは、オヴニの記事にも出ていて学校で一番人気のアドリアン先生のクラスでした。テンポよく授業を進めていて、気が付くと授業が終わってしまうという本当に授業が上手い先生です。またそれだけではなく、韓国、中国への関心はもちろん、日本には神戸での在住経験があるようで日本とその人々のことをとてもよく知っています。しかし残念なことにまもなく時間割と先生の担当が変わってしまいました。その後の先生もまあまあ良かったのですが、アドリアン先生にはかなわないかなあ。
レベルは基礎をもう一度固めようと思い手堅くA2から始め、今ではB1のクラスに通っています。文法の授業はA2はさすがに知っていることがほとんどでしたが、忘れていることやいつもつまづくポイントを再確認できました。
一年間で12月、4月、8月の計三回テストがあり、TCFを模した筆記試験と口頭試験があります。授業内容もTCFやDELFを意識した聞き取りや記述の授業が多くあり、レベル取得にも効果的だと思います。
まもなくここでの学習生活も終わろうとしていますが、全体的には満足の学校でした。ただ改めて思うことは、主体的に取り組み意欲的に発言する方が上達するということ。間違っても何か言う、書いてみるということがとても大事だと思います。
パリの語学学校を探している方は、是非参考に。

次回は「国王の24のヴィオロン」の復元演奏プロジェクトについてお伝えします。

【緊急特集】パリ・ノートルダム大聖堂火災による被害状況

17 4月 2019
【緊急特集】パリ・ノートルダム大聖堂火災による被害状況 はコメントを受け付けていません

中央にあった木造の尖塔と聖堂を覆う屋根は完全に焼失した

今回はパリのサント=シャペルをご紹介する予定でしたが、急遽予定を変更してパリのノートルダム大聖堂の現況についてお伝えしたいと思います。
既に多くの方がご存知とは思いますが、パリの中心部シテ島にあるノートルダム大聖堂が15日夜から16日早朝にかけて火災に遭い、フランスのみならず世界中に衝撃を与えました。19:50頃出火し、屋根伝いに徐々に延焼し木造の尖塔も炎上、間もなく崩落しました。懸命な消火活動が行われましたが午前3時頃鎮火に至るまで約7時間燃え続け、結果木造部分の尖塔と屋根が完全に焼失する結果となりました。
火災当時、私はヴェルサイユの音楽院でちょうど室内楽の授業に参加していましたが、教室の隅の方で数人がスマートフォンの画面に映るニュース映像を手に「ノートルダムが燃えている」と騒ぎ出しました。初めは当然先生が私語をする生徒たちを一喝しましたが、間もなく一時この話題で持ちきりに。私は演奏担当だったのであまりその人たちのそばに行けず、どこのノートルダムだろう、もしかしてヴェルサイユ?とも思いましたが間もなくあのパリのノートルダムだと知りました。
22時頃帰宅してからずっとライブのニュース映像を見ていましたが、一向に鎮火する様子はなく勢いよく燃えていました。ヴォールト天井や壁面、絵画やステンドグラスもただでは済まないのだろうと考えていました。就寝前に日本でも盛んに報道されていることを知り、世界の注目度を改めて認識しました。

TwitterなどをはじめとするSNSの普及によって憶測やデマが横行しがちな現代ですので、これは自分の目で確かめなくてはと思い昨日の午後現場周辺を見に行ってきました。
語学学校の授業が終わりモンパルナスからシテ島へ向けてメトロに乗りましたが、現場周辺のサン=ミッシェル・ノートルダム、シテ駅などは閉鎖されており通過扱いになっていましたのでオデオン駅で降りて歩くことしばし。サン=ミッシェル広場まではいつもと変わらない人混み(常に混雑している観光地ですので)でしたが、セーヌ川沿いに大聖堂を望めるサン=ミッシェル通りとその先のモンテベロ通りは大聖堂の見物客でごった返し、ポン・デ・クール橋は警察によって封鎖されており報道陣の車が多数止まっていました。
まもなく大聖堂の入り口にあたる西正面が見えてきましたが、西側のファサードと2つの塔は見る限りでは無傷でした。北の塔に延焼したという報道を聞いたような記憶がありましたが、特に焼けたような様子は確認できないように思います。
続いて南側。西側から東側の後陣まで聖堂を覆っていた群青色の屋根と木造の尖塔は完全に無くなり、石の建造物と化しています。外壁、ステンドグラスは見た限りではほぼ被害はありませんが、唯一バラ窓と呼ばれる円形の窓の上部にある小さな窓のステンドグラスは失われたようで、その窓から火が出ていたことを物語る焦げ跡が残っていました。大きなバラ窓が失われなかったのは幸いでしたが、上部の小さい窓の焼失は大変残念です。
後陣部分に回って見てみると、あの壮観なフライング・バットレスは相変わらず健在ですが、屋根がなくなったために禿げ頭のような印象になってしまいました。しかし後陣部分も外壁やステンドグラスの損傷は見受けられませんでした。セーヌ川の散歩コースや橋の上には写真を撮る人、報道陣にインタビューを受ける人などで混み合っていました。
サン=ルイ島を経由して北側へ回ってみましたがシテ島が封鎖されているため外壁を見ることはほとんどできませんでした。前の建物に遮られていないバラ窓上部の三角形の部分は見ることができましたが、残念ながら南側同様こちらの小さな窓のステンドグラスも失われてしまいました。焦げ跡は南側よりもはっきり分かるほど黒ずんでいます。

以上が外部から見ることができた現況です。率直な感想としては、尖塔と屋根以外は思ったほど被害を受けていないなという印象です。行くまではもっと深刻な被害が出ているだろうと思っていました。最も遠くから外観を見ただけですので、詳しくは何とも言えません。
内部はニュース映像や写真で確認することしかできませんが、ヴォールト天井は中央部と後陣部分の2か所に穴が開いており、他の部分も長時間炎に晒されたわけですから多少なりとも被害はあるように思います。聖堂内部は屋根や尖塔の瓦礫が散乱しています。聖遺物などの文化財は消防隊による決死の救出劇により難を逃れたと報道されていますが、壁面にあった大量の絵画や彫像はどうなったでしょうか。また音楽界では話題になっている大オルガンは、火と放水によって残念ながらほぼ完全に破壊されたという記述がありました。オルガンは典礼上重要な役割を担うわけですから、これはとても残念なことです。
マクロン大統領は強い語調で再建を宣言していましたが、黄色いベスト運動など多くの問題を抱える中で果たしてうまく事が運ぶかどうか。パリのシンボルですので再建しないということはあり得ないでしょうが、おそらく私の留学中はもう内部には入れないのだろうと思っています。まだ塔にも上っていなかったのに。
ところで出火原因は一体何なのでしょう。まだはっきりとした原因は特定されていないようですが、修復工事の何かが原因となっていることは間違いありません。この点を早く突き止めないと、現在目下修復中のヴェルサイユ宮殿を始め多くの現場も「対岸の火事」ではないことになります。
いつも当たり前にそこにあって、空気のように街並みに溶け込んでいる歴史的建造物。何百年もその雄姿を見せてくれているものでさえ、常なるものはないなと改めて感じた事件でした。

今回はパリ・ノートルダム大聖堂の現況についてお伝えしました。次回はソー公園の花見祭りについてお伝えしたいと思います。
それにしても、またサント=シャペルに行き損なってしまいました…。シテ島が落ち着いてから行くことにします。

パリのメトロ 後編

27 2月 2019
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1番線と14番線では自動運転が行われ、4番線もホームドアの設置が進んでいます

もはやコートが要らないほどに暖かくなりました。このまま春に突入してしまうのでしょうか。
こうして半年ほど生活してみると、厳しい夏も冬も案外短く、あとは過ごしやすい気候だなと思います。夏は乾燥していて、冬は湿っているのも大きいでしょう。
先週末はバーゼルから友人が訪れたので、パリやヴェルサイユの観光名所に案内しました。エッフェル塔やシャンゼリゼ周辺などは一人ではあまり行きたいと思わないので、こういった機会に訪れたいのです。
毎週土曜日はパリで「黄色いベスト運動」のデモが継続して行われています。デモが始まってから土曜日はヴェルサイユにいて支障はありませんが、フランス人たちも半数はもうやめて欲しいと思っているという世論調査がニュースになっていました。

さて、今週は「パリのメトロ」後編です。前回は基本的な情報でしたので、今回はもう少し踏み込んだ内容について書きたいと思います。

・各線の特徴
現在メトロは1から14番線と支線2本の計16路線あり、日本の地下鉄のように路線ごとに固有の色を持っています。開業は14番線を除きいずれも20世紀初頭で、様々な変革を経て今日に至っています。

①ラ・デファンス~シャトー・ド・ヴァンセンヌ
日本の銀座線に匹敵する、パリの重要な地区を通る路線。高層ビルが立ち並ぶ北西の新市街ラ・デファンス、エトワール凱旋門、コンコルド広場、ルーブル、シャトレ、バスティーユ、リヨン駅を経てヴァンセンヌ城と森までを結びます。ホームドアが全駅に整備され、自動運転が行われています。

②ポルト・ダフネ~ナシオン
エトワール凱旋門、モンマルトルのサクレ・クールにほど近いアンヴェールなどを通ります。モンマルトルに行かれる方は利用されるかと思います。

③ポン・ド・ルヴァロワ・ベコン~ガリエニ
サン=ラザール、オペラ、レピュブリックを通りガリエニまでを結びます。ガリエニにはバスターミナルがあり、長距離バスを利用される方は縁があるかもしれません。

③支線 ガンベッタ~ポルト・デ・リリア
わずか4駅だけの路線です。名所は特にありません。

④メリー・ド・モントルージュ~ポルト・ド・クリニャンクール
モンパルナス、シテ島、シャトレ、北駅などを通ります。現在ホームドアの設置が進んでおり、まだ設置されていない駅も乗車位置が全路線で唯一示されています。

⑤プラス・ディタリー~ボビニー・パブロ・ピカソ
オステルリッツ駅、バスティーユ、レピュブリック、東駅、パリ国立高等音楽院最寄り駅のポルト・ド・パンタン駅などを通ります。

⑥シャルル・ド・ゴール・エトワール~ナシオン
エトワール凱旋門、エッフェル塔、モンパルナスなどを通ります。地上区間が多く、その中でもパッシー~ビル=アケム間はセーヌ川とエッフェル塔を車窓から見ることができる有名な区間です。

⑦ヴィルジュイフ=ルイ・アラゴン~ラ・クルヌーヴ1945年5月8日
メリー・ディヴリー~マレ地区、シャトレ、ルーヴル、オペラ、東駅などを通ります。南部はメゾン・ブランシュ駅を基点に路線が分岐しており、車内外に点灯式の行き先表示があります。

⑦支線 ルイ・ブラン~プラス・デ・フェット方面
8駅からなる支線で、東側はループになっています。名所は特にありません。

⑧バラール~クレトゥイユ・ポワント・デュ・ラック
アンヴァリード、コンコルド、マドレーヌ、レピュブリック、バスティーユを通る比較的長い路線です。

⑨ポン・ド・セーヴル~メリー・ド・モントルイユ
サン=ラザール駅に近いサン=オーギュスタン、レピュブリックなどを通ります。西の終点ポン・ド・セーヴルからはヴェルサイユ宮殿行きの171番バスが出ていて、RERが止まったり終電を逃したりしたときは私はお世話になります。

⑩ブローニュ・ポン・ド・サン=クロード~オステルリッツ駅
ブローニュの森の近くから、RERC線に乗り換えができるジャベル・アンドレ・シトロエン駅、カルティエ・ラタンを経てオステルリッツ駅までを結びます。RERC線の工事期間中は代替路線として活躍します。西側のそれぞれの駅では1方向しか乗車できない区間があり、もともとループ線であったものを後になってさらに延伸したため、このような運行形態になっています。

⑪シャトレ~メリー・デ・リリア
シャトレやレピュブリックなどを通りますが観光にはあまり使わない路線ではないでしょうか。

⑫メリー・ディッシー~オーベルヴィリエ・フロント・ポピュレール
モンパルナス、コンコルド、マドレーヌ、サン=ラザールなどを通ります。

⑬シャティヨン・モントルージュ~アスニエール・ジャンヌヴィリエ・レ・クルティーユ~サン=ドニ・ユニベルシテ
モンパルナス、アンヴァリード、シャンゼリゼ、サン=ラザール、サン=ドニを通ります。ラ・フルシュ駅で分岐しますが車内にドア上案内表示があるため点灯式の行き先表示器は現在では撤去されているようです。

⑭オリンピアード~サン=ラザール
オステルリッツ駅、シャトレ、マドレーヌを通りサン=ラザールまでを結びます。一際深い地下を走る路線で、乗車するには数回エスカレーターに乗らなければホームにたどり着けません。

・使用車両
集電方式は全線とも銀座線や丸ノ内線のような、レールの横に集電用のレールを設けた第三軌条方式です。高圧の電流が流れていますので何か物を落としても絶対に線路へは下りないでください。
運転方式の違いとして、加減速性能を高めるためタイヤを併設した路線とレールだけの路線があります。タイヤを併設した車両の加減速は凄まじく、立っているとよろめいてしまうほど。これらの路線に乗車する際は座ることをお勧めします。
2019年現在活躍している車両は以下の通りです。タイヤのある車両はMP形(Métro Pneuの略)、鉄輪のみの車両はMF形(Métro Fer)、数字は命名された年号の下2桁です。
【MP形】
MP59形…使用路線⑪
現在メトロで活躍する最古参車両。今回の調査で初めて乗車しました。昔ながらの「パリのメトロ」を味わえる車両です。ドア開閉はレバー式、クロスシート、ドア上の案内表示や自動放送は一切ありません。固定されている座席は少し弾力がありました。

MP73形…使用路線⑥、⑪
「パリのメトロ」を味わえる車両として個人的には好きな車両です。ドア開閉はレバー式、クロスシート、ドア上の案内表示や自動放送は一切ありません。

MP89形…使用路線④、⑭(自動運転形)
前面がくの字形になっている車両で、自動ドア、車端部がロングシートのセミクロスシート、自動放送があり、車両間の行き来が可能です。14番線は自動運転が行われているため運転台がなく、MP05形との違いはよく見ないと分かりません。

MP05形…使用路線①、⑭
自動運転路線のための車両です。見かけや仕様はMP89形とほぼ同一で、見分け方は私もまだ良く分かっていません…笑。編成両端部は運転台がないため座席に座ることができ、運転台のようなシールが貼ってあって電車好きな子供にはたまらない空間になっています。

【MF形】
MF67形…使用路線③、③支線、⑩、⑫
鉄輪式では最古参車両。仕様はMP73形とほぼ同一でやはり個人的には好きな車両です。3番線の車両は改造が施されており、片側が交互にロングシートになったセミクロスシート、ドア上案内表示と自動放送があります。

MF77形…使用路線⑦、⑧、⑬
側面が折れ曲がった特徴的なスタイルで、行き先が複数ある路線に投入されました。押しボタン式ドア、車端部がロングシートのセミクロスシートで、車内外に点灯式の行先表示器を装備しています(前述のように13番線の車両はドア上案内表示が設置されたためこれらは撤去されたようです。)

MF88形…使用路線⑦支線
⑦支線だけに使用されている車両。台車に先進技術を用いながら、それに問題があって投入がこれだけになったいわゆる「迷車」です。押しボタン式ドア、クロスシート、車両間の行き来が可能で、固定座席は少し弾力がありました。

MF01形…使用路線②、⑤、⑨
比較的新しい車両で、旅行者には好印象ではないでしょうか。自動ドア、ボックスシートは交互に2+1となったセミクロスシート、ドア上案内表示、自動放送があり、車両間の行き来が可能です。

以上が現在使用されている車両ですが、さらに現在MF19形という車両が計画されているようです。古参の鉄輪式車両は数年後に順次置き換えられるようなので、古い車両が好きな方は是非今のうちに乗りに来てくださいね。

・その他よもやま話
面白い駅名…メトロもただ移動するだけではつまらないですが、時々面白い駅名を見かけることも。例えば6番線のケ・ド・ラ・ガールQuai de la Gare(直訳すると駅のホーム駅)、8番線と9番線のボンヌ・ヌヴェルBonne Nouvelle(直訳すると良いニュース駅)や日付がついた駅名など。あなたもお気に入りの駅を探してみてはいかがでしょうか。

かぶりつき…運転台と客室を隔てる窓は遮光加工が施されていますが、よく見ると前面展望が見えます。パリのメトロは東京以上に使用されなくなった路線や駅など興味深い空間が多いです。ただやりすぎると何かあるのかと運転士の気に障るかもしれないので、ほどほどにしましょう。1番線や14番線は自動運転で運転士がいないので遠慮なく見ることができます。

運転士…運転士は女性の方が多い印象で、制服は来ておらず見た目は乗客と同じです。コーヒーを飲みながら運転していたりなどすることもありますが、割と普通のことなので大目に見てあげましょう笑。

新塗装…現在すべての車両がパリ交通公団の色である白と緑色に塗られていますが、今後の新型車両投入にあわせてイル=ド=フランス・モビリテの色である白と水色になっていくようです。RERの車両では一部の編成が既にこの新塗装になっていますが、今後メトロの車両の動向も目が離せません。

パリのメトロについては大体この辺りでしょうか。今回は何だか非常に鉄分の濃い回でしたね。
次回からはヴェルサイユ宮殿の各施設についてのシリーズをゆっくり進めていくこととします。

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