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南仏旅行レポート④ オランジュ、リヨン

28 11月 2018
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ルクレールゆかりのサン=ニジエ教会

曇り、雨、霧。ここのところのヴェルサイユは殆ど青空が見えず、毎日湿度の高い日が続いています。昨日は珍しく快晴で、久しぶりに青空を見ました笑。霧はパリに行くと出ていない日が多いのですが、ヴェルサイユに帰ると相変わらず立ち込めています。ヴェルサイユは元来湿地帯であったので、現在でもこうした気候が残っているのでしょうか。これも住んでみなければ分からなかったことです。
月曜日には音楽院で小さな発表会があり、一番目に弾かせていただきました。地元情報誌の芸術活動欄に小さいながら情報が掲載されていて、無料で一般公開されています。音楽院で一番大きい、18世紀の雰囲気が漂うサル・ラモーで行われました。フランスでの演奏会はこれが初めて。聴衆は10人ほどのご老人たちでしたが、先ず先ずの出来で初陣を果たしました。

さて、今回は南仏旅行のレポート最終回です。
TGVでオランジュに到着後、バックパックをホテルに置くため14時まで待ち、駅のすぐ近くにあるホテルにチェックイン。身軽になったところで旧市街まで歩きます。1kmほどあるのですが、歩いてもそう遠くない印象でした。
早速お目当ての古代劇場へ。狭い路地を抜けるといきなり巨大な壁が現れます。「我が王国で最も美しい壁」とルイ14世が讃えた、古代劇場の壁面の裏側です。数あるローマの古代劇場でも舞台の壁面が残されているものは世界で3つしかなく、その中でもここオランジュのものは保存状態が世界一を誇ります。早速中へ入ってみましょう。
オーディオガイドを求めて受付に行くと、「ココ、押す」と片言の日本語を話してくれました笑。日本人観光客は多いのでしょうか。VR体験のツアーが間もなく始まるとのことだったのでそれも申し込みました。
VR体験をする前にまずは劇場の現況を見てみる。するとなんと、舞台が修復中で一面に鉄骨の足場が組まれているではありませんか…。あらら、また足を運びましょう。正面にある皇帝の石像や、向かって右側にある円柱は発掘されたものを復元したそうです。世界一といえども、後の時代の破壊行為からは逃れられなかったか。階段席もローマ時代のものは最初の3段(だったはず)のみということです。
時間になったのでVR体験へ。これがもう、アヴィニョン教皇庁のタブレット端末に勝るとも劣らない優れもの!最初に丘に劇場を建設し始めたところから始まり、劇場が完成するまでの様子を追体験することができます。先ほど見た劇場の壁面は一面色鮮やかな円柱で飾られ、VRながら感動してしまいました。現存していたらどんなに壮観だったでしょう。
音声ガイドも項目が多く、ローマ人の生活や演劇の解説まで充実していました。全て聞き終えたら閉館時間となり、見学終了。
ちなみに入場券はニームにある各遺跡との共通券があるようです。旅行される方はご参考までに。
旧市街の北側に位置する凱旋門にも行きました。カエサルの勝利を記念して作られたもので、規模は小さいですがパリのあのエトワール凱旋門より10倍も古い、2000年前のものです。さすがに彫刻はあまり良い状態とは言えませんが、生き生きとした兵士たちの様子が描写されていました。
帰る途中に住宅街に埋もれたローマ時代の壁面を見つつ、夕食のためレストランへ。旅行中は野菜不足だったので、サラダを注文して満腹になりました。

さて最終日、08:38発のTERに乗って最後の街、リヨンを目指します。このTERは機関車牽引の客車列車でした。何やら陽気な車掌が乗務していて、駅名を放送中に途中から歌い出したり、「ピンポンパンポ~ン♪」とセルフでチャイムを歌うので、乗客たちは皆笑っていました。でも途中で検札係が乗って来てからは大人しくなってしまいました…。
左手にローヌ川の車窓が流れることしばし、終点のリヨン・パルデュ駅に到着。中心地からは少し離れているので、メトロで移動します。白い車体でかわいいメトロ。
まずは音楽関連ということで、ジャン・マリー・ルクレールゆかりのサン=ニジエ聖堂へ。ミサの最中だったので、終わるまでしばし休憩しながら後方で参列しました。今の讃美歌ってなかなかリズミカルなのですね。天井の高いゴシック聖堂で、オルガンの装飾が凝ったものになっていました。残念ながら聖堂内にはルクレールの痕跡はなし。でも外に出てみると、後陣部分の壁面に大きく「フランスヴァイオリン派で最も偉大なる作曲家ジャン=マリー・ルクレール、このサン=ニジエ小教区で生まれたり」と彫ってありました。ルクレールを敬愛する者の聖地!ヴァイオリン奏者の皆様方は是非訪れましょう。
次に教会のほど近くにある印刷博物館へ。15-6世紀のリヨンでは印刷業が盛んであったとのこと。路地を入った目立たない建物ですが、実は古い市庁舎です。中には古い印刷物は勿論のこと、活字や銅板、彫版道具や18世紀の印刷機などが展示されていてマニアにはたまらない内容です。最後には現代のコピー機もあって、日頃何気なく行っている印刷の技術の発展を知ることができました。
ベルクール広場でルイ14世とサンテグジュペリの像を観た後、徒歩でソーヌ川を渡り旧市街へ。壁面が色彩豊かな可愛らしい建物が並ぶ旧市街は、ルネサンス時代の雰囲気を色濃く残しています。途中になぜかベートーヴェンの絵が描かれた建物がありました。
日が落ちる前に丘から景色を眺めようと、まずはフルヴィエールの丘にケーブルカーで登りました。メトロと同じ乗車券で乗ることができる、赤い車体のかわいいケーブルカーです。途中のトンネルは青函トンネル記念館のケーブルカーを思い出してしまいました。運転士は80-90代のおばあちゃんで、元気に乗務していました。と言ってもただボタンを押すだけですがね。
目の前に現れたノートルダム大聖堂には後で入ることにして、まずはガロ・ロマン博物館へ。
第一日曜日なので無料で観覧できましたが、そのためオーディオガイドもお休み。ただ言語を設定して終わったら充電するだけなのだから貸してくれてもいいのにと思いつつ、観覧スタート。リヨン一帯で出土した先史時代からローマ時代に至るまでのさまざまな日用品、彫像、建造物の欠片などが展示されています。建造物の欠片は見せられてもまあ、旅行中に現存する建物をたくさん見てきたのであまり感動は起きず…。ローマ劇場の「下がる」緞帳の仕掛けを観察できる模型がなかなか面白かったです。窓からは横にある古代劇場を眺めることができ、その休憩スペースではお菓子と飲み物が提供されていました。
最後にある定番のお土産ショップにはローマ時代の製法を再現したワインが売られていて、買いたかったのですが重いのでまた今度にすることに。館内に展示されていたローマ時代のオイルランプを再現したものがあったので購入しました。家で出る廃油を入れれば長時間明かりが取れるので、時折楽しんでいます。
次に先ほど景色を眺めた古代劇場へ。リヨンには大小二つの劇場が並置されているのですが、残念ながら壁面は完全に破壊されていて辺りは空しい廃墟になっています。現存していたらどれだけ壮観だったことでしょう(こればかり言っていますね。)
来た道を戻り、ノートルダム大聖堂へ。この聖堂はあまり古いものではなく、日頃行く古い教会では見られない建築様式が新鮮でした。地下聖堂があったり充実した教会なのですが、ミサが行われていて内部や塔の見学はできず、仕方なく聖堂を出て傍らにある展望台から夕暮れのリヨンを眺めました。手前から段々と新しい建物になってゆくリヨンの街並みがよく観察できます。
ケーブルカーで麓まで下り、サン=ジャン大司教教会へ入りました。最も古い部分は11世紀のもので、非常に古く由緒ある教会です。ただ内部は大部分が修復中でカバーがかかっているのが残念でした。修復が終わったらゆっくり見学したいものです。聖堂内ではJ.S.バッハのヴァイオリンとオブリガートチェンバロのためのソナタホ長調をバロック・ヴァイオリンとオルガンで練習している学生がいて、あのオルガンが似合う第一楽章が荘厳に響いていました。
可愛らしい旧市街を散策した後は徒歩で市庁舎近くまで戻り、当アンサンブルのチェンバロ奏者石川友香理と夕食をしながら、旅行最後の夜は更けていきました。

次の日の朝07:30、廉価版のTGVであるOuigo(ウィゴ)でパリまで帰りました。30分前までにチェックインすること、手荷物などに若干制限があるものの車内は快適でした。列車によりますが今回の列車は10€!大阪-東京間の新幹線を1300円ほどで利用できるイメージですから、何ともお得な列車です。後はRERに乗ってヴェルサイユへ帰投しました。

これで南仏旅行のレポートは終了です。長らくのお付き合いありがとうございました。
次回は最近の我が家の悩み、イヤーな「カビ」について書こうと思います。どうぞお楽しみ?に。


南仏旅行レポート③ アルル・アヴィニョン

21 11月 2018
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圧倒的な存在感を放つアヴィニョン教皇庁

昨日のヴェルサイユは最高気温3度、みぞれが降った時間もありました。外の寒さが身体に堪えます。ヴェルサイユ宮殿に続くソー通りの並木もいよいよ葉が少なくなり、厳しい冬の到来といった感じです。
先週、出国して初めて断髪をしました。モンパルナス近くにある日本人が切り盛りしているお店で、スタッフもほとんど日本人。フランス語で注文するのを怠ったわけではないのですが、髪質を分かっている人のほうがやはりいいかなと。モンパルナスは語学学校に通うのに通るので、これからはここのお店に行きます。
今週から、年末にある古楽器を使った現代音楽の演奏会のリハーサルが始まりました。本格的な現代音楽は今まであまりやったことがなく、五線が消失するところは練習していて途方にくれます…が、細かい指示を忠実に再現するとどうなるのか、興味が出てきたところです。

さて、今回も前回に引き続き南仏旅行のレポートです。
アルルの観光はトゥールーズと同様に半日しか時間を取っていないので、朝9時から行動開始。観光スポットはどこも10時から開くので、まずコンスタンティヌス共同浴場を外から眺め、ゴッホが描いた《夜のカフェテラス》の元となった黄色いカフェを見た後、例によって教会へ。このサン・トロフィーム教会もまた、アンドレ・カンプラが奉職していた教会です。ロマネスク教会ですが内陣部分はゴシック様式になっていました。あとから増築されたようです。
回廊は有料区域で、アルルの各観光スポットを周ることができるパスを買いました。有効期限が6か月と1年のものがあり、何度も来たい方はかなりおすすめです。回廊はトゥールーズのジャコバン修道院にもあった、正方形の中庭を持つものですが、ジャコバン修道院は赤煉瓦が多く用いられ温かみがあったのに対しこちらの色調は白のみで冷たく、ゴシック様式のリブ・ヴォールトを持つ天井が厳めしい印象を与えます。回廊部分の屋上に上がるとゴシック以降の教会には見られない、日本のような瓦葺きの屋根を見ることができます。
次に古代フォーロム地下回廊へ。入り口が分からず、グーグルマップに表示されている印のところに行っても何もありません。これはどうしたことかと思いましたが、よくよく案内板をたどってみるとなんと市庁舎に入り口がありました笑。もっと分かりやすくして欲しい…。ローマ時代にはこの場所に大きな建物があり、その地下通路にあたる部分がこの回廊です。この日は大分寒かったのですが中に入ると生暖かい。中は薄暗く、地上付近の採光窓から光が差し込む程度なので天気が良くない日はかなり暗いのでしょう。ひたすら続く美しいアーチがローマ人の建築技術の高さを物語っています。奥へ進むと隅に何やら建材のようなものが積んであり、修復工事中なのかなと思いきや、なんとそれはローマの円柱の部品でした。建材というのは正しかった。地上のどこかの建物で使われていたものなのでしょうが、完全に放置状態です。コリント様式の柱頭をこんな間近で観察できるとは。奥へ進むことしばし、どこも同じ風景の地下空間でで迷子になりかけましたが無事に脱出。
購入したパスで共同浴場も見学できるので、先ほど行ったところまで戻り中に入りました。熱い、ぬるい、冷たいの3つの水温の浴場があったらしいのですが、かなり崩れていてどこでどう湯に浸かっていたのかなかなか想像が難しい…。説明版にあった絵を頼りになんとかローマ人たちの様子を想像しました。
心だけ湯に浸かったところで、いよいよ古代劇場と円形闘技場へ。アルルの古代劇場は階段席こそ残っているものの、舞台の壁面は完全に破壊されていて円柱がわずかに2本残るのみ。次の日にはもっと保存状態の良いオランジュの劇場を見る予定なので、往時の姿を偲ぶだけで終了。円形闘技場は一見するとそこまで保存状態は悪くないのかなという印象を受けますが、本来あるべき3層目が今日では無くなってしまっています。ニームの闘技場には入れなかったのでこれが私の初コロッセウム。階段席、回廊、戦士や猛獣が通る通路を一通り見ました。後の時代に要塞として使われていた名残である見張り台からはアルルの可愛らしい街並みを見ることができました。
最後に駅の近くにあるゴッホの黄色い家があった場所を通り、次の街アヴィニョンへ向け出発です。

アヴィニョンの駅を降り、早速教皇庁へ向けて歩き出すといきなり長い城壁が目の前に現れます。今日でもこの町は城壁に囲まれた街なのですね。城壁の前に準備中のトラムの駅と線路があったので、もうすぐ開業するのでしょう。ビニールがかかっていたので廃線ではないはず…。
歩くことしばし、巨大な教皇庁の宮殿が目の前に現れます。世界史に出てくる「教皇のバビロン捕囚」で有名なアヴィニョン教皇庁です。約70年間、ここアヴィニョンがローマに代わってカトリック教会の総本山でした。
早速中に入り、オーディオガイドをもらおうとすると小さいタブレット端末を渡されました。これがかなりの優れもので、順路を進むと自動で音声が再生され、さらに各部屋では当時の豪華な内装を復元した様子が見ることができるのです。そのバーチャル空間に表示されるマークを押すと説明書きを読むことができ、所々に隠されたコインを見つけるというミニゲームが用意されています。フランスに来てから何回もこういったオーディオガイドが電池切れになった経験があるので、ゲームはやめておきました。
各部屋は空間こそ広いものの、今日では室内装飾は殆ど失われています。そうした少し殺風景な空間を見た後、タブレットの画面に表示される復元された空間を見ると、息をのむほど色鮮やかで豪華な空間が広がっているではありませんか。部屋の隅々に細かい彩色がなされ、まるでどこかの国王の宮殿のよう。実際、教皇はキリスト教世界の王なのですが、神の威光を讃えるにしてもちょっと豪華過ぎやしないですかこれ笑。宝物庫があったり、教皇が増設させた大きな厨房があったり。まあ法王とキリスト教世界は現在も存在しているので、これ以上のコメントは控えます。僅かですが今日でもうっすらとオリジナルの絵が残っている壁や天井があり、全て残っていればどれだけ壮観だっただろうかと思いました。
内部は広く、途中から次第にバックパックの重さが肩に堪えてきました。入り口に預けておけば良かった思いながら見学終了。
次はあの「アヴィニョンの橋で踊ろよ、踊ろよ」の歌で有名なサン・ベネゼ橋へ行きました。12世紀に架けられた橋で、その後のローヌ河の氾濫で今日では半分しか現存せず、もはや対岸に行くことができないという何とも奇妙な橋なのですが、入場料を取る上にオーディオガイドが用意されています。なるほどただの橋じゃないということですね。この橋を建設するようお告げを受けたといわれる聖べネゼの礼拝堂が橋の途中にあり、昔から聖地巡礼地であったとのこと。ちょうど夕暮れ時で、橋の上から眺めるローヌ河とアヴィニョンの街はとても美しかったです。
全て見終えたところで閉館時間となり、駅にほど近いホテルにチェックインしてこの日は終了。肩の痛みがだんだん増してきて頭痛がするようになってきたので、シャワーを浴びて自己マッサージをし、早めに寝ました。
翌日、教皇庁の近くにあるプティ・パレ美術館へ行きました。教皇庁とその横にある大聖堂と比べるとずっと控えめな印象の建物で、最初は案内板を見つけることができず迷ってしまいました。展示されているのは出土した聖像の一部や個人の礼拝に使うイエスやマリアを描いた小さな聖像などで、絵画は地域別に部屋が分けられていて微妙に違う様式を感じ取ることができました。最後の部屋にボッティチェリの初期の作品があるのですが、ほとんど貸し出されていて見られたのは一点だけでした。さすがボッティチェリ。
少しだけ時間があったので市庁舎近くのサン=アグリコル教会に入ってみました。土曜日で教皇庁付近は賑わっていましたがこの教会はあまり人気がなく、静けさの中で心を落ち着けることができました。

この後はオランジュへ向けて初のTGVに乗車。といっても日本の新幹線と違い普通列車と同じホームに発着するので特別な感じはあまりありませんでした。20分ほどでオランジュへ到着。
今回も長くなったので、続きは次回にしたいと思います。もう旅行から一か月ほど経過してしまいますが、次回は最終回のオランジュ・リヨン編です。どうぞお楽しみに。


南仏旅行レポート② トゥールーズ、ニーム

14 11月 2018
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中世にタイムスリップしたかのようなジャコバン修道院

11月に入ってあまり晴れない日が続いていましたが、昨日からようやく青空が見えるようになりました。ヴェルサイユ宮殿に続く通りの木々も葉が随分減り、本格的に冬支度といったところです。
今週の月曜日、アンサンブルの時間にコーエン・アケニヌ氏がいなかったため学生だけで進めることになり、私は当然ヴァイオリンなので中心となって進めなくてはなりませんでした。まだまだ語彙が足りず苦労しています。
その後の授業の後、飲みに誘われて同僚とバーへ行きました。皆親切な人たちで、私の拙いフランス語も根気強く聞いてくれました。「この一か月で大分上達したよね」と言われ少し嬉しかったです。机やパソコンに向かって勉強するよりも、こうした取り留めない会話の方が遥かに難しく刺激になりますね。

さて、前回に引き続き南仏旅行のレポートです。
まだ日が登らないトゥールーズに到着し、早速メトロに乗車。この日廻る予定の建物はどこもこんな朝早くからは開いていないので、中心部から少し離れたところにある「アンドレ・カンプラの袋小路(Impasse André Campra)」と名の付いた道に行ってみました。道路なら開館時間などありませんものね。ちなみにカンプラは当プティ・ヴィオロンでもお馴染みの作曲家で、私の大好きなフランス・バロックの巨匠の一人です。後述しますが彼はこの街の大聖堂に奉職していた時期があったので、この道も彼と何らかの由縁があるのだろうと思いますが、下調べしても分かりませんでした。実際に行ってみると看板があるだけで周りは団地、完全なるジモティー(死語か?)の地域でした。しばらくカンプラに想いを馳せたところで退散。
中心部まで戻り、ガロンヌ川を見ることにしました。野鳥を観察しているムッシューが一人いるだけで誰もいない…。なにやら巨大な蜘蛛のロボットのようなものがありましたが、知人によると何かのイベントのためのものらしいです。
街を散歩すること数十分、観光客をあまりターゲットにしていない教会なら入れるかもしれないと思い、カンプラが奉職していたサン=テティエンヌ大聖堂へ。辺りは人気がなく、扉が閉まっていたので駄目かと思いきや入れました。巨大な空間に私一人。カンプラが見ていたのと同じ景色と思うと感慨深いです。祭壇も17世紀のものでした。
リュックが重かったのでしばらく信徒席に座って休憩した後、サン=セルナン・バジリカ聖堂へ。フランスで現存する最も大規模なロマネスク様式の聖堂で、見慣れたゴシック様式の聖堂とは違い素朴でどこか懐かしいような印象を受ける建築です。薄いピンク色の煉瓦でできた後陣と塔は素晴らしい美しさでしたが、祝日のためミサが行われており内部の詳細な見学や塔に登ることはできませんでした。また是非来たい。
10時になったので市庁舎へ。市庁舎前の広場は「バラ色の街」にふさわしく周りの建物が全て煉瓦で統一され、店舗の看板も景観保持のため金色になっています(お馴染みのマクドナルドもありました)。さながらイタリアのようです。いや行ったことないけど。市庁舎はルイ15世時代の建築で、ロココ調の内装はヴェルサイユで見慣れているもの。ヴェルサイユ宮殿の鏡の回廊に似せて作ったであろうギャラリーもありました。
次は楽しみにしていたジャコバン修道院。遠くからも見える八角形の塔はもちろんのこと、周りも美しい煉瓦積みの建物で占められていて、まるで中世にタイムスリップしたかのようです。中に入ってみると色鮮やかな壁面装飾にステンドグラスの光が差し込んで実に美しい空間を作っていました。そして有名な内陣の天井。ヤシの木のように一つの柱から放射状に22本のリブ・ヴォールトが伸びている様がとても感動的です。ちなみに写真で見るとリブは黒く見えるのですが、実際に見ると彩色が細かくなされています。奥へ進むとお土産屋の先に有料区域があり、正方形の中庭を持つ静謐な回廊や小さい聖堂を見ることができます。聖堂の一つには天井にフィドル(ヴァイオリンのような中世の楽器)を弾く天使がたくさん書かれているところがあり、壁画が淡い色調ながら実に美しく保存されています。中世の雰囲気に存分に浸ることのできる、おすすめの修道院です。
昼になり、大体のトゥールーズ観光ができたところで移動。3時間ほどアンテルシテ(これは昼行列車です)に乗車してニームへ。しかしダイヤが1時間ほど遅れるように予告されていて、着いたのは16:30でした。もともとニームの滞在時間は短く設定していたので、さらに短くなったことから各施設の内部見学は全て断念。
トゥールーズは中世の雰囲気が色濃く漂っていましたが、ニームはさらに遡り古代ローマ時代の遺跡がいたるところに点在する街です。中でも円形闘技場は世界一保存状態が良いといわれるもので、街の中で圧倒的な存在感を放っています。しかしもう建設から2000年以上経っており、風雨による浸食や後の時代の破壊行為などにより側面は想像していたよりはずっと不完全でした。世界一の保存状態と聞いて少し期待しすぎたか。でも一部は修復が行われているところがあり、その壁面は見事なものでした。今後の修復に期待です。
皇帝に捧げられた神殿であるメゾン・カレを少し見た後、フォンテーヌ庭園へ。広場の下に水路があり、その様子はルパン三世の映画「カリオストロの城」のラストシーンで湖の底から出てきたローマ遺跡を彷彿とさせるものがありました。傍らには崩れ落ちたディアーナの神殿があり、少し寂しい気持ちになりました。
奥にある階段から丘を登ることしばし、マーニュ塔へ到達しました。途中で足鈴を鳴らしながらハーディー・ガーディーを弾くおじいさんがいて、人だかりに混ざってしばらく楽しみました。マーニュ塔はニームのローマ遺跡の中でも最も古い建築で、塔に登ればニームの街が一望できる…らしいのですが、登らないと街は見えませんでした笑。ここももう閉まっているのでまたのお楽しみ。
日がとっぷり暮れた後、TER(比較的短距離を走る列車)に乗ってアルルへ。駅の自動放送の「アルル」の発音がやたらとかっこいい。駅前は世界的に有名な観光地とは思えないほどひっそりとしています。駅からほど近いホテルにチェックイン。
重いリュックを置いて、とりあえず夕食が食べられるレストランを探すことに。祝日なので閉まっている店が多く、選り好みしていると食べ損なうのでたまたま見つけた日本料理店へ入店。店主はとても流暢に日本語を話すフランス人で、小さい店内はほぼ満席。マグロ丼をいただいたところで、店主がおもむろに一人のマダムを紹介し始めました。その方はメニューのデザインを担当したマダムだそうで、よくよく話を聞いてみるとなんとこの店が今日開店したことを知りました。グーグルマップを頼りに見つけただけなので全然知らなかった。
懐かしい味を堪能したところで、ローヌ川を渡り「アンドレ・カンプラ通り(Rue André Campra)」に向けて夜のアルルを歩きます。途中に使われていない鉄道の跨道橋があり無駄にテンションが上がりました笑。アルルの「アンドレ・カンプラ通り」も看板があるだけでカンプラとの由縁は良く分からず、周りは住宅街でした。ここは「通り」と銘打っていますが実際はトゥールーズと同じ袋小路。
この後はホテルに帰って、1日目は終了です。

アルルのレポートまで書こうと思いましたが長くなってしまったので続きはまた次回。2日目はアルル、アヴィニョンへ旅を続けます。


南仏旅行レポート① パリ~トゥールーズ

7 11月 2018
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深夜の2等寝台車

寒い。すごく寒い…。いやはや、本格的に気温が下がってきました。
私の家には小さい電気ヒーターがあるのですが、出力を最大にしても部屋全体はなかなか暖まりません。下半身が寒いので、寝るときに使う肌掛けを体に巻き付けて生活するのが常になりました。ハロゲンヒーターでも買おうか…。

さて、今回から数回に分けて、先日の南フランス旅行のレポートを書きたいと思います。
10月31日、パリのオステルリッツ駅から寝台列車Intercités de nuit 3731(夜のアンテルシテ)に乗車、トゥールーズへ。寝台列車は日本の寝台特急「あけぼの」以来でとても楽しみにしていました。語学学校の授業を終えてから向かったので駅に着いたのは発車15分前でしたが、なんとホームにいる検札係の前にずらっと列ができているではありませんか。休前日だからか乗車率も大変良く、移動手段として生きた列車なのだなと思いました。牽引の機関車は私の大好きなBéton塗装のBB7200。
21:03、音も衝動もなくいつの間にか発車。寝台列車が発車する瞬間って何時になっても感動的です。ちなみにヨーロッパの客車は日本と違いバッファ(緩衝器)を搭載しているので発車時、停車時は全く衝動がなく快適です。今回利用したのは2等寝台車で、6人部屋のコンパートメントになっている3段ベットの最上段でした。日本のように各寝台にカーテンがなくセキュリティー面は多少心配なのですが、予約する際にいろいろと調べて最上段なら寝顔を見られず若干安心だという記述がありました。しかし残念ながら窓は下にあって、流れる車窓を見ることができない…。眠くなるまでまだ数時間はあるので、とりあえず持ってきたおにぎりで夕食をとり、寝間着の浴衣(日本の寝台車で着たJRの模様をあしらった思い出の品で、廃品市で購入しました)に着替えて廊下に出る。周りにも談笑している人たちがいて、とても活気に満ちています。でも廊下はとても狭くすれ違うのもやっとの幅で、日本の寝台車で好きだった小さな引き出しの椅子がない…。仕方なく立ったまま過ぎ去る景色を見ていました。といっても外は真っ暗ですが。ちなみに車内検札はありませんでした。
恒例の車内探検をしようにも通路に人がたくさんいて困難だったので、ベットに戻り眠くなるまで内職をしていたところ、突然下の男性が部屋の電気を消してしまい真っ暗になってしまいました…。いや一声かけてくださいよと思いながら、とりあえず少し寝ることにして車内探検は深夜にすることに。
ちなみに車内の装備について。まず各コンパートメントには施錠できる扉が付いていますが、他人と相部屋なので黙って施錠するわけにもいかず今回は開錠したままでした。ドアは開けると結構な音がするので深夜は頻繁に出入りすると迷惑となりそうです。扉の上にはコンパートメント内の室温調節のツマミ、車内放送の音量調節のツマミと室内灯のスイッチがあります。
中に入ると左右に3段ベットがあり、正面に窓と昇降用の梯子があります。梯子は日本の寝台車のように固定されているものではなく、下部は手前に引くことができますが折り畳むことはできません。
各寝台は転落防止の柵がないので寝相の悪い方は注意しましょう。日本と同じように読書灯が設置されていますがとても小さく、手元をわずかに照らす程度です。最上段には大きな荷物を置くことのできる棚があったので、スーツケースや大きなバックパックなどを持って乗車する際は最上段がおすすめです。
アメニティは日本のようにシーツや寝間着はなく、あるのは枕、寝袋のようになっている掛布団と小さな手さげの中に500MLのミネラルウォーター1本、お手拭き(顔拭き)、耳栓が入っていました。枕と掛布団はビニール袋に入っていて除菌されているようです。この手提げは保冷仕様になっていて実生活でも使えそうなので持って帰ってきました。多分貰えるのだと思います、多分。
各車両にはトイレと洗面所が設置されており、三面鏡があります。シャワーはありません。洗面台は顔を洗うには小さすぎ、水も1度に少ししか出ないので顔はおそらく備え付けのお手拭きで拭けということなのでしょう。
深夜1時。予定通りおもむろに起きて車内探検に出発。さすがにほとんどの人は寝静まっていました。編成は座席車、1等寝台、2等寝台からなっていて、2等寝台の一両は自転車置き場と車掌室、食事等ができる小さなスペースが付いていました。前方3両はスペイン国境近くのLaTour de Carolまで行くのですが、それ以外の車両はトゥールーズ止まりです。さらにその後ろには始発時には別の行き先の編成があったのですが、車内探検に出た際には既に切り離されていました。
最後部まで到達し、扉の窓から過ぎ去る信号機やホームの灯を眺める。夜行列車ならではの醍醐味です。
さて車内探検も済み、明朝5時半に起床。寝台で朝食をとりトゥールーズの到着に備えます。相部屋の方たちは直前まで寝ていて大丈夫かと思いましたが、到着まで残り10分ほどで車内放送が入ると全員起きて、速やかに下車していきました。私の方が準備に時間がかかったほど。
06:05、定時にトゥールーズ・マタビオ駅に到着しました。外はまだ暗かったです。

ということで、調子に乗って書いていたら旅が始まったところで今回は終わってしまいました。でもネットで検索してもなかなかフランスの寝台車の情報は少ないので、今後の日本人旅行者の参考になればと。
次回はトゥールーズ、ニーム、アルルへ旅を続けます。