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ヴェルサイユの球戯場と室内楽演奏会

26 6月 2019
ヴェルサイユの球戯場と室内楽演奏会 はコメントを受け付けていません。

たくさんのヴェルサイユ市民に来場していただきました

今週は毎日30℃を超え、非冷房の家に長時間いるのはかなり厳しいです。それだけでなく湿度も60-70%あるので昨年到着した時よりも暑さを感じます。帰国まであと20日あまり、何とか耐え凌ごうと思います。
先週の金曜日はリュリの「町人貴族」を王室歌劇場で観てきました。通常のオペラ公演だと字幕がフランス語と英語の両方出るのですが、今回は語りの部分が多いためか英語の字幕のみ。私はフランス語の方が得意なので一生懸命聞きとろうとしますが、何せ喜劇なのでまくし立てて話すことが多くなかなか付いていけず…。一応話の流れは覚えていますが笑うべきポイントで笑えないのは悲しいですね。来年も違う団体が「町人貴族」をやるみたいなので、もう少し理解できるように精進しようと思います。

今回はヴェルサイユの球戯場で先週行われた室内楽演奏会の模様についてお伝えします。
まずヴェルサイユの球戯場(サル・デュ・ジュ・ド・ポームLa salle du Jeu de paume)はサン=ルイ地区、ヴェルサイユ地方音楽院の近くに位置しています。「ジュ・ド・ポーム(単にポームとも)」は今日のテニスの元となった競技で、直訳すると掌遊びという意味です。これは昔ラケットを使用するようになるまでは掌で直接ボールを打っていたことに由来します。16世紀以降フランスの貴族の間でこの競技は流行し、宮殿や貴族の城館に盛んに併設されました。ヴェルサイユ宮殿に併設された球戯場は元は宮殿の南側、現在のグラン・コマンがある場所にありましたがこの建物の建設により撤去され、1686年に現在の球戯場が完成した後は王族を始め宮廷人の間で親しまれました。
それだけではただの屋内テニスコート場なのですが、この球戯場がフランス史の表舞台に立つ日がやってきます。1789年6月20日、前日夜に自らの議会場を強制閉鎖された第三身分(平民)を始めとする国民議会の議員たちはこの球戯場に集結し、王国の憲法が制定されるまでは決して解散しないことを宣言しました。これがフランス革命の一連の事件の中でも有名な「球戯場の誓い」です。ちなみにこの時点ではまだ立憲君主制を目指しており、後に国王と王妃を処刑することになるとは誰も考えていませんでした。
こうしてフランス革命期の事件の舞台となったことでこの建物は国有化され、その後1883年に革命博物館として整備されました。今日見ることのできるジャン=シルヴァン・バイイの像とその周りにあるオブジェ、議員たちの胸像や壁面の文字はこの時のものです。
この博物館は入場無料で気軽に入ることができるので、ヴェルサイユを訪れた際は是非お立ち寄りすることをお勧めします。内部はテニスコートにバイイの像や議員たちの胸像、ショーケースに議員たちの宣誓署名書、ジュ・ド・ポームのボールやラケット等が展示され、かつて試合の観客席であった部分の壁面には当時の風刺画や革命の各事件の銅版画、「ラ・マルセイエーズ」の当時の楽譜の複製などを見ることができます。北側の壁には『球戯場の誓い』の壁画があり、当時の様子を偲ぶことができます。

さて、このフランス革命の舞台で先週、「球戯場の誓い」が行われたのと同じ6月20日にヴェルサイユ地方音楽院の室内楽発表会が行われました。毎年学期末の発表会はここで行われるのが通例のようで、先週紹介した「モリエール月間」とも提携しています。舞台は北側の壁画を背にして設置され、コートには観客のための椅子が並べられました。室内楽の授業のチームの他にハープ科の2人も参加し、ソナタと協奏曲を共演しました。クラシック弓を師匠パトリックから貸してもらい、久しぶりに古典派の音楽を演奏する機会となりました。その他4つのプログラムも3つに参加、蓋を開ければほぼ全てに出場していました。
この会場はテニスコートであり音響は特に考えられていないと思いますが、天井が高いこともあり響きがとても良いのです。ただ採光窓が多く日中のリハーサル時は日光が強く差し込み、時々楽譜が眩しくて見えなかったりチェンバロやハープの調律には少し不具合でした。それも19時からの本番では解消され、多くのヴェルサイユ市民に囲まれながら無事学期末の発表会は終わりました。
終演後は近くのヴェルサイユ地方音楽院の庭園で一部観客を交えたパーティーが行われ、その後も自主的な2次会を仲間と楽しみながら夜は更けていきました。

ヴェルサイユ地方音楽院の1年目はこれで終了です。素晴らしい講師陣や校舎、ヴェルサイユ宮殿や研究センターとのプロジェクトに参加することができ大満足の1年でした。来年度もまた興味深いプロジェクトがありそうなので、このブログでご紹介できればと思います。
来週はアルルの衣装祭りについてお送りします。


ヴェルサイユのモリエール月間

19 6月 2019
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6月のヴェルサイユでは、この広告を目にしない日はありません

年度末ということで、私の所属するヴェルサイユ地方音楽院はもちろんのこと、ヴェルサイユバロック音楽研究センター、パリ地方音楽院に所属する学生仲間の修了試験で先週頃から忙しくなってきたこの頃です。
年度末の試験事情は日本も大体同じですが、フランスの学生たちはどうもアンサンブルのオーガナイズが遅い、緩い傾向にあります。2週間前になってから依頼してきてそこから日程調整したり、楽譜や担当パートに関する情報が今一つ不明瞭だったり、引き受ける方は何とも苦労が絶えません…。試験はそれぞれ今週、来週辺りに集中していて、今週は室内楽の授業の発表演奏会も控えているのでオーガナイズが遅かったグループはどうしてもリハーサルが少なくメンバーの出席率も良くないため、中には立ち消えするものもあったり。来年は私も修了試験があるので、オーガナイズには気を付けよう…。
さてこれらヴェルサイユ地方音楽院、及び研究センターの公開修了試験は今週のテーマであるモリエール月間と連動していて、公演一覧に記載されています。
まずモリエールとは誰かというところからお話しすると、彼は17世紀にフランスで一世を風靡した喜劇作家であり、コルネイユやラシーヌとも並ぶフランス古典主義作家です。医者や教会、宮廷事情の鋭い風刺劇でパリの観衆から高い人気を得た他、ルイ14世にも寵愛されリュリと共に「町人貴族」を始めとしたコメディー・バレを制作していました。
そんな彼の名前を冠したモリエール月間(Le Mois Molière)は1996年から開始され、今年で24回目を迎えます。毎年6月に一か月間、ヴェルサイユの様々な施設でプロ・アマチュア団体による劇、演奏会、舞踏、サーカス、展覧会や講演会が催されます。公演内容はモリエールや17世紀に限ったものではなく、その公演の多さたるや日本の音楽祭など遠く及ばないほどで、文字通り1か月間毎日、何かしらの公演が複数行われています。一部は予約制、入場料を取る公演もありますが大半は入場自由で無料、ヴェルサイユ市民にも大いに親しまれているようです。今月の街の広告表示はほとんどがこの赤いモリエール月間の広告で、多くの商店の窓にもポスターが貼られています。
今年私が関わったものとしては王室礼拝堂木曜演奏会でのカンプラのレクイエム、大厩舎での国王の24のヴィオロン、ヴェルサイユバロック音楽研究センターの試験の1つ(モリエールのプログラム)、今週近所の球戯場で行われる室内楽授業の発表演奏会がありました。大厩舎や球戯場など、普段はあまり演奏では使用しない歴史ある空間で演奏することができるのもこのイベントの力でしょう。
しかし残念ながら観客としてはあまり多くの公演には行けず、肝心のモリエール作品上演にはついに行くことができませんでした。今週金曜日に王室歌劇場で「町人貴族」を観ますが、劇作品の鑑賞はまた来年のお楽しみということにします。
先週は研究センターの歌手の1人が修了試験として、市庁舎の大広間でカンタータ・フランセーズの演奏を行っていましたが、17世紀の朗誦法やジェスチャーを再現していてとても素晴らしかったです。しかしこれはフランスの聴衆がいて、しかもヴェルサイユのあの空間だからこそ演者・聴衆共にあれほどまでに白熱したのだと思うと、今後私はどう演奏活動を行っていけば良いかを大いに考えさせられました。

ヴェルサイユ宮殿の庭園の散策にも良い季節ですので、来年フランスへ旅行を考えている方は是非6月にヴェルサイユに来て、モリエール月間を楽しんでみてはいかがでしょうか。
来週はヴェルサイユの球戯場とそこでの室内楽演奏会についてお伝えしようと思います。


「国王の24のヴィオロン」復元プロジェクト

29 5月 2019
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研究センター所属の弦楽器たち

日本ではもう真夏日になる地方もあるそうですね。こちらもようやく暖かくなってきましたが、まだ日によりけりです。
先週の活動は「国王の24のヴィオロン」復元プロジェクトによるリュリの「平和の田園詩」上演一色でした。

今回の演奏の様子はこちら

このプロジェクトは2008年からヴェルサイユバロック音楽研究センターが行なっています。現在ではヴァイオリン、ヴィオラ、チェロといった弦楽器はサイズが殆ど画一化されていますが、19世紀以前はそれ以外にも微妙なサイズの楽器がたくさんあり、特にヴィオラは担当する音域によって殆どヴァイオリンと変わらない小さなものから腕に収まりきらない大きなものまでサイズが豊富でした。17世紀フランス宮廷のオーケストラ「国王の24のヴィオロン」も例外ではなく、通常5声部からなるパートそれぞれが違うサイズの楽器で演奏されていました。即ち6挺のDessusと呼ばれるヴァイオリン、それぞれ4挺ずつのHaute-contre、Taille、Quinteと呼ばれるサイズの異なるヴィオラ、6挺のBasseと呼ばれるチェロよりも大きく調弦も一全音下に調弦される楽器です。これらの楽器のセットがパトリック・コーエン=アケニヌ氏と2人の楽器製作者によって製作され、プロジェクトの演奏に用いられています。製作の様子はこちらの動画をご覧ください。
今回私はDessusを担当しました。プロジェクトの最初に楽器の蔵出しが行われ、私もそこに同席させていただいてほとんどの楽器を試奏することができました。選んだのはPolidor(ポリドール)という楽器。今日一般的なヴァイオリンのサイズよりほんの僅かに小さいもので、私の楽器と比べたところ弦長はかすかに短い程度ですが箱が小ぶりです。他にもバルタザールやメルキオールといった名前が一台ずつ付けられています。見つけられませんでしたがカスパーもいるのでしょうか。エヴァンゲリオンのスーパーコンピューターではありませんよ(笑)。製作されてからまだ10年経っていない新作楽器ですが、1年に2、3回学生に使われるか使われないかでほとんどは楽器庫かショーケースにあるこれらの楽器、正直状態が良いとはあまり言えません。私のポリドール君も6台中最も調子が良かったものの蔵出しの際に弦や魂柱の位置を調整し、やっと演奏に耐えられるかなというレベルです。今後もっと演奏機会が増えれば状態も良くなるはず。
オーケストラの指揮はパトリックが行いアンサンブルのメンバーも数人演奏に参加していますが、殆どは周辺の音楽院の学生による演奏です。個々のレベルは…うーん、私が一年目にしてコンサートマスターを拝命するくらいです(笑)。研究センターの歌手のレベルが高いだけに、器楽の演奏レベルももう少し高めたいところ。ちなみに今回は24台全ての楽器を使っているわけではなく、人数比は4-3-3-3-4。
リハーサルは月曜日、火曜日、木曜日の3日間ほぼ一日中行われましたが、私含め日頃慣れない楽器でのアンサンブルなのでもう少し下慣らしの期間があれば良かったなと思います。金曜日には当時も演奏が行われ「平和の田園詩」の舞台になっているソーのオランジュリー(オレンジ温室)で演奏会が行われました。地域でも大々的に宣伝が行われていたようで、チケットは完売。縦長のオランジュリーの最後方まで設けられた客席は一杯になりました。
ちなみに「平和の田園詩」は、スペインとの大同盟戦争終結によるラティスボンの和約が1684年に締結されたことによる戦勝祝いとルイ14世賛美のための作品で、翌85年8月16日にルイ14世臨席の下、今回も演奏したソーの館のオランジュリーで上演されました。台本はあの有名な悲劇作家ラシーヌ。ちなみに現在あるオランジュリーは残念ながら後年になって建てられたもので、当時演奏されたオランジュリーではありません。それでも当時と同じ地で作品を上演できるのは感無量というところ。
満員の観客の熱気と、そもそものオランジュリーという室温が上がりやすい建物の構造もあって上演中は暑く、調弦を絶えず確認しなければならない本番でした。音を採るチェンバロも調律が崩れてくるので、コンサートマスターとして調弦を行う際は難しかったですね。
続いて日曜日にはオルセーの県立音楽院のホールで演奏、最後は来週末のヴェルサイユ大厩舎での演奏です。あの巨大な空間での演奏はどうなるのか、楽しみなところです。

次回はヴェルサイユ宮殿シリーズの続編、王妃のアパルトマンをご紹介します。


ノルマンディー地方とオーケストラ

1 5月 2019
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第二次世界大戦で焼け野原になったものの、見事に復興を果たしたカーンの街

平成が終わり、令和の時代が始まりましたね。日本は祝祭ムードかと思いますが、フランスではメーデーのため過激なデモ集団が黄色いベスト運動と合流して活動し、パリは毎週土曜日と同じく警戒態勢になっています。

さて、今週は先週まで遠征に行っていたノルマンディー地方とそのオーケストラについてです。
今回参加したオーケストラは普段はモダン楽器で活動している40代~50代のメンバー中心の室内アンサンブルで、今回コーエン=アケニヌ氏の指導の下バロック弓とガット弦に挑戦したとのこと。管楽器はさすがに難しかったのか個別に集められたメンバーでした。おそらく指導は一週間程度であっただろうと思いますが、それにしては上出来でしたね。ましてプログラムはフランス・バロック屈指のレパートリー、ルクレールとラモー、古楽器奏者でさえ演奏は容易ではありませんので。
リハーサルは1週間前に2日、本番前に1日の計3日でした。細かいディテールは詰められなかったところは挙げればキリがありませんが、師匠団員ともどもよく健闘したのではないかと思っています。師匠は複雑な曲にもかかわらず終始弾き振りで、その牽引ぶりは非常によく勉強になりました。
1回目の本番はオーケストラの本拠地であるカーンの私設劇場で行われ、2回目はバスで移動しコタンタン半島のレ・ピューLes Pieuxという街の音楽学校で行われました。道中2時間超でしたが、よく眠れました(笑)。

さて、本番の日は活動が午後からでしたので、カーンの街を観光しに回りました。
まずは市街地の中に位置するサン=ジャン教会。12世紀に完成したこの教会ですが、湿地帯に建設されたため地盤が弱く北西方向に傾斜してしてしまっています。近年基礎工事が行われ強度上は問題ないようですが、正面から見ると感覚がおかしくなったのかと思ってしまいます。壁面はゴシック様式にしては随分と装飾が簡素ですが、百年戦争を始め特に第二次世界大戦の連合国軍とドイツ軍の戦闘による壊滅的な被害から再建されているので、殆どオリジナルとは言えません。内部で特徴的だったのはアーチのリブの多さと、ステンドグラス部分の枠組みが曲線主体になっていること。どことなくオリエント風な感じがするのは気のせいでしょうか。
次は男子修道院と付属のサン=ティエンヌ教会。この修道院は征服王ウィリアム1世が血縁関係にあるマチルダと結婚したため、当時近親婚を禁じていた教皇に破門された際に許しを請うべく1066年に寄進したのが由来となっています。ところが修道院の建物は完全に18世紀の様式。隣にある教会だけがロマネスク様式になっています。これはどうしたことかというと、フランス革命後ナポレオンによって学校に改装されたためなのです。室内も18世紀以降の改築の手が入っていますが、中庭の回廊部分は11世紀の雰囲気を味わうことができ、1層目から3層目までの大小それぞれのアーチはとても美しかったです。
サン=ティエンヌ教会は内外共にロマネスク様式の教会でした。アーチを支える円柱と、リブの多さがやはり特徴的です。内陣部分は天井から放射状に延びるリブ・ヴォールトが下の円柱まで線で結ばれ、その間にアーチが組み合わされた非常に美しい設計でした。
ちなみに修道院近くには古サン=ティエンヌ教会跡というものがあり、1793年から使われていない廃教会です。革命後の混乱に乗じた破壊活動や第二次世界大戦の砲撃などで半分近くが完全に崩壊しており、内部に立ち入ることもできません(というか内部が外から見える。)廃教会というのは初めて見ました。
カーン城の手前には立派な尖塔とバラ窓、凝った彫刻を持つサン=ピエール教会がありますが、現在修復中で立ち入ることはできませんでした。特に後陣部分の壁面、欄干とそこから伸びる小さな塔はカーンの他の教会とは異なり細かい装飾が施されています。13世紀から16世紀まで建設が続き、ゴシック様式とルネサンス様式が混ざっているのが特色かと思います。
カーン城はノルマンコンクエスト時代の1060年頃に征服王によって築かれた城で、高い壁と大きな見張り台が今日でも威容を誇っていますが残念ながら肝心の塔は残っていません。内部は残存する付属の建物を利用したノルマンディー博物館とモダンな建築のカーン美術館があり、今回はあまり時間がなかったので美術館だけ入りました。15世紀からのイタリア、フランス、フランドルの絵画コレクションが多数あり、空いている館内でじっくりと鑑賞することができました。

土曜日の深夜にピューからカーンへ帰り、日曜日はヴェルサイユへ帰るだけの行程でしたがそれではもったいないので、少し足を延ばしてバイユーBayeuxの街を訪れました。目的はタペストリー美術館と大聖堂、そしてノルマンディー上陸作戦の激戦地オマハ・ビーチ。しかし日曜日はバスが全面運休でオマハ・ビーチへは行くことができませんでした。
タペストリー美術館は17世紀末に建てられた建物を使用していますが、内部は完全に美術館として改装されています。ノルマンコンクエストの物語を描いた全長63.6mの長大な絵巻物となっているこのタペストリーを展示するために、U字型の特別なショーケースが用意されています。世界史の授業でかすかに記憶のあるノルマンコンクエスト、細部にわたるまで描かれているので鑑賞前に簡単に予習することをお勧めします。鑑賞の際は日本語の音声ガイドを借りることができますが、進行が早くゆっくりと鑑賞することができません…。しかも機器には再生停止ボタンがあるのに止まらない(笑)。結局最初は音声を聞くのを途中でやめタペストリーを観察しながら史実を予習し、その後音声ガイドに従って2周しました。染色された毛糸により麻布に刺繍された人物や馬は900年以上も経った現在でもとても色鮮やかで、登場人物の表情や動作も生き生きしていると共に、焼き払われる家屋から逃げ出す母子や身ぐるみを剥がれバラバラになった兵士の死体など、戦争の悲惨さも見せてくれます。
次にバイユー大聖堂を訪れました。ノルマン・ゴシック様式を代表するこの大聖堂は外部、内部とも緻密なアーチの配置と装飾が非常に美しい荘厳な建築です。特に外壁の円柱は3/4よりさらに前面に出ていて、遠くから見ると完全な円柱のように見えるのと、内部の壁面には通常は何も装飾がされないアーチ間の平面部分にも幾何学模様などが彫り込まれ、それらは単一ではなく各部で違ったデザインとなっています。アーチの多彩な幾何学模様の装飾も、どことなく東洋的な印象を受けるのはなぜでしょうか。11世紀に建設されたこの大聖堂は何度か火災に遭い再建が行われていますが、建築当初の雰囲気は正面の塔と地下聖堂で感じることができます。第二次世界大戦の際は壊滅的な被害を受けたカーンとは違い、連合国軍によっていち早く解放されたため被害はありませんでした。ちなみにこの大聖堂に展示されるために作られたのが前述のタペストリーなので、聖堂を見る際はもう行われないであろうタペストリーの展示風景を想像するのも一興でしょう。
最後にオマハ・ビーチに行けなかった代わりに1944年ノルマンディー戦争記念館を訪れました。内部は上陸作戦から内陸の侵攻作戦の様子を順を追って紹介していて、当時の通信機器や軍服、戦車や大砲などが陳列されていました。近代兵器にはあまり興味がないのであまり詳しくは見ませんでしたが、記録映画の上映では当時の爆撃や砲撃の様子が延々と紹介されていて、タペストリー美術館同様改めて戦争の悲惨さを感じました。いつの時代も人間のやることは変わっていませんね。

今回はノルマンディー地方とそのオーケストラについてお伝えしました。次回はヴェルサイユ宮殿にほど近い、王の菜園を紹介したいと思います。


ヴェルサイユ宮殿観光の手引き④

3 4月 2019
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ヴィクトワール王女の大広間

新元号「令和」が発表されましたね。遠く離れたフランスでも4月1日は日本人同士でこの話をしていました。平成生まれの私としては改元は始めてなので何だか感慨深いです。
先週は語学学校で毎月末に行われている校外学習でパリ高等裁判所を見学してきました。日本でも見たことのない実際の裁判の様子に加え、裁判官、弁護士共に黒い法服を着ていたのが印象的でした。建物はパリ郊外にあり、近代的な建物で法廷も会議室のような感じでした。
先週末には師匠パトリックのリサイタルが小さな教会で行われました。テレマン、ビーバーとJ.S.バッハのパルティータ2番という完全無伴奏リサイタル。9月から師弟関係を開始しましたが初めて「本気」の演奏を聴くことができました。学ぶべきことはまだまだありそうです。
今週は木曜演奏会に向けてヴェルサイユバロック音楽研究センターの学生と少年合唱団と共にリュリの名曲《ミゼレーレ》に取り組んでいます。指揮はあの有名なオリヴィエ・シュネーベリ、今まで演奏会で何度か見かけましたが共演するのは初めてです。彼の熱血指導、特に歌詞の朗誦法に関してはとても素晴らしくて、歌手たちは皆若いにも関わらず今まで経験したことのないような彫りの深い表現を伴った歌唱を披露してくれます。やはりここに来てよかった!と思うと同時に、改めて格の違いを思い知らされたという感じですね。

さて、今回のヴェルサイユ宮殿観光ツアーは地上階の王女たちのアパルトマンです。
「王妃の階段」を下りて一度栄光の中庭に出て、宮殿正面に向かって進みます。白と黒の大理石が敷かれた部分は特に「大理石の中庭」と呼ばれ区別されており、ルイ14世の時代からここで野外オペラ上演などが行われています。ヴェルサイユ宮殿の核であるルイ13世の小城館に三方を囲まれ音響もそれなりにあるようですよ。機会があったら観劇してみたい!ここで記念撮影されている方も多くいて写り込むのは申し訳ない気にもなりますが、順路なので中庭を進み正面中央の扉から中へ入りましょう。
巨大な大理石の円柱の間を抜けると、いくつかの彫像が置かれているだけの割とそっけない回廊があります。鏡の回廊の下の部分にあたるこの「下の回廊」はルイ・ル・ヴォーによって建築され、現存しない国王の浴室へと続いていました。普通なら何も見ず素通りしてしまうかもしれませんが、是非彫像を見てください。春夏秋冬、四代元素(水、土、火、空気)が擬人化されています。これらの題材は庭園を見る際にも重要になりますので頭の隅に留めておきましょう。
右手にある通路を進むと王女たちのアパルトマンに入ります。ヴェルサイユの儀礼では、王家の子供たちは召使い付きのアパルトマンを与えられましたが、今日ここにあるのは革命による王家の終焉により最後の持ち主となったヴィクトワール王女とアデライード王女のものです。革命の際に調度品が散逸したのに加えて、ルイ=フィリップ王がここにも展示室を作ったため今日見られる姿は復元されたものですが、2人の王女の生活の様子を思い浮かべることができます。
まずはヴィクトワール王女のアパルトマンから。最初の部屋は第一控えの間で、装飾はほとんどなく簡素なものです。壁には女性の肖像画としてはとても大きいサイズである3枚が掛かっており、右から順にヴィクトワール王女、姉妹の中で唯一結婚しスペインへ嫁いだエリザベート王女、アデライード王女です。このアデライードの肖像画は過去に私がライナーノーツの制作に協力したCDのジャケットになっていて、最初に訪れた時すぐにそれと分かりました。
次は第二控えの間。第一控えの間より装飾は格段に多くなりますが、国王の大アパルトマンで見られたようなバロック装飾とは異なり繊細なロココ様式の木彫です。なおこの王女たちのアパルトマンについては多くの装飾が失われており復元されたものもあるようですが、どれがオリジナルでどれが復元されたものなのか見ただけではわかりません…。本文では今日の状態をお伝えします。
大広間に入ると、並べて置かれた2台のチェンバロが存在感を放っています。残念ながら王家の楽器ではありませんが、18世紀のオリジナル楽器とのこと。詳しく見たいところですがロープが張られ近くで見られないだけでなく、ふたが閉められカバーが掛かっています…。この王広間で2人の王女はしばしば演奏会を開き、自分の楽器演奏の技量を披露しました。ヴィクトワール王女はチェンバロとハープ、アデライード王女はヴァイオリンを弾きました。彼女たちはどの肖像画を見ても特徴は明らかで、ヴィクトワールはふくよかで温厚、アデライードは細身で生き生きとした感じですが、これは彼女たちの楽器にとても良く合っていたことでしょう。ちなみにこの部屋には一部にバロック様式の装飾を見ることができますが、これはかつてこの場所にあったルイ14世の浴室の一角である八角形の部屋の名残です。壁には肖像画が多くかかっていますが、その中には幼少期より修道院へ送られ母親である王妃が長らく会うことができなかった、ヴィクトワールを含む4人の末の王女たちを見ることができます。
寝室は緑色を基調とする夏用の布で装飾されていますが、これは当時の製作技法により復元されたものです。他のアパルトマン同様、冬はビロードの布に取り替えられますが、今日の宮殿の調度が夏用になっているのは革命で王族が去ったのが夏であったからです。壁の装飾は壁布が大半を占めるためあまり多く見ることはできませんが、天井と壁の間には子供(天使?)や女性をモチーフにした優美な装飾を見ることができます。この部屋にも大きな肖像画が掛かっていますが、赤いドレスを着てヴィオールを弾いている女性は24歳で亡くなったアンリエット王女です。彼女もまた音楽を愛好し楽器演奏に長けていました。その他特徴のある家具は向かって右の暖炉の上に置かれた緑の陶磁器の壺でしょうか。これらは革命の際に売られて散逸しましたが、近年宮殿が買い戻したヴィクトワールの所有品の一つです。
次は奥の間です。寝室が公的空間であるのに対して、奥の間は真にプライベートな間であり、家主に特別に招かれた時のみ入ることができました。部屋の装飾は優美な木彫が多く使われていますが、天井と壁の間の装飾は楽器をモチーフとしたものです。窓際には妹ヴィクトワールの肖像の横で机に向かうアデライードの肖像画を見ることができます。生涯未婚で子供もいなかった2人の王女たちにとって姉妹の絆は大事なものであったのでしょう。
次の部屋は同じく私的な空間である図書室です。現存するのはヴィクトワールの図書室のみであり、その上にあったアデライードの図書室は失われてしまいました。2人はとても読書好きで蔵書が大量にあり、科学の本なども読んでいたそうです。ヴィクトワールの蔵書は緑色、アデライードの蔵書は赤色の製本で整理されていました。
ここから先はアデライードのアパルトマンになりますが、図書室を軸に今度は私的空間から公的空間へ出ていくことになります。まず最初は奥の間ですが、おそらく大部分の装飾は失われたのでしょう、奥の間にしては装飾が少ない印象です。このアパルトマンはかつてルイ15世の公妾であったポンパドゥール侯爵夫人が所有していたものであり、この奥の間は「赤い漆の間」と呼ばれていました。
次は寝室。ヴィクトワールの寝室とほぼ同様で、ここにもアデライードとヴィクトワールの肖像画が対になって掛けられています。一連のアパルトマンには一体何枚彼女たちの肖像画があるのでしょうか。天井の端には子供(天使?)をモチーフにした装飾があります。彼女たちのアパルトマンでたびたび見られるこの題材は、もしかすると子供のいなかった2人の母性をくすぐるものだったのかもしれないなと思いました(違うかもしれません)。部屋の右には高級家具職人ジャン・アンリ・リーズナー製作の精巧な箪笥、その上に金箔ブロンズの燭台があります。
アデライードの大広間には室内用のオルガンと傍らにハープが置かれているのが目につきます。室内用と言ってもいわゆるポジティフオルガンではなく、教会などにある大オルガンをそのままスケールダウンした感じの豪華なもので、装飾も凝っています。中央の二匹の犬(グレイハウンドという犬らしい)は女性を表す婉曲表現で、この所有者が王女であったことを示しています。壁にはまたしても2人の王女の肖像画がありますが、右にあるアデライードの肖像画はよく見ると足元にいる犬が楽譜を踏んでいます…何かの表現なのでしょうか。
あとは簡素な第二控えの間と第一控えの間を見て終了…と思いきや、いきなり大きな部屋に出ます。弓兵の上着の名に由来する「オクトンの間」と呼ばれるこの場所には元々衛兵の間があり、その後ポンパドゥール夫人がアパルトマンの第一、第二控えの間に改装して以来アデライードのアパルトマンの一部として革命を迎えますが、その後かつての衛兵の間を復元したようです。大広間側には金色の鉄柵があり、かつてはルイ14世の浴室へと続いていました。
最後に「大使の階段」の入り口ホール跡を通りますが、ここに大使の階段の模型があります。近くに行って見たいのですがロープが張られていて遠くからしか見ることができません。見せてくれればいいのにー。
こうして再び栄光の中庭へ出て、王女たちのアパルトマンの見学は終了です。宮殿の見学を終了する際は反対側、最初に中庭に出たところから「Sortie(出口)」の案内に従って階段を下っていくとオーディオガイドの返却所があります。持ったまま出ようとすると警報が鳴るので必ず返しましょう。

今回は王女たちのアパルトマンについてお伝えしました。正殿とそれに続く棟で公開されている場所は他にルイ=フィリップ王の整備した戦争の回廊やフランス史博物館などがありますが、いずれも旧体制時代のものではないため割愛したいと思います(気が向いたらやるかも)。庭園やトリアノンは、もう少し暖かくなってからのお楽しみということで。
来週はところ変わって「ヴァンセンヌ城」をお伝えしたいと思います。


ヴェルサイユ宮殿観光の手引き③

27 3月 2019
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ヴェルサイユ宮殿の代名詞、鏡の回廊

日本ではもう桜が咲いていると聞き及びますが、ここヴェルサイユでも実は咲いています。ヴェルサイユ・シャンティエ駅前の工事進展と共に桜が植えられ、木は小さいながらも元気よく咲いています。桜と花見については追って特集を組みたいと思います。
先週は学生オーケストラの本番が2回、王室礼拝堂とパリ郊外の小さな教会でありました。いやはや、とにかく終わってよかったという感じですね。これらの作品にはプロの現場でまたお目にかかりたいものです。

さて、今回のヴェルサイユ宮殿ツアーはついに宮殿の中心部へ、あの大回廊へ参ります。
カーテンが引かれた薄暗いアポロンの間を出ると再び明るい空間となり、左手にはもう既にあの鏡の回廊が私たちを出迎えていますが、焦らずまずはこの部屋をじっくりと見ましょう。「戦争の間」と呼ばれるこの部屋は回廊を挟んで反対側にある「平和の間」と対になっており、3つの空間がルイ14世の成し遂げた軍事的・民事的功績を讃える設計になっています。この部屋は特に1678年に終結したオランダ戦争が主題となっており、天井の中心には「勝利の女神たちに囲まれて雲の上に座る武装したフランス」がルイ14世の肖像が描かれた盾を持ち、周り4つの絵に雷を落としています。これらはそれぞれ当時の敵国でフランスに敗戦したオランダ、スペイン、神聖ローマ帝国と、4つ目は埋め合わせとして「反抗と不和の間で怒り狂う戦争の女神ベローヌ」となっています。4つの絵の間には2人の天使がブルボン家の家訓であるNec pluribus impar(ラテン語で多数に劣らずの意)が書かれたリボンを掲げています。壁面に目を移してみれば、アポロンの間側に大きな楕円形のレリーフ「敵を踏みしだく馬上のルイ14世」があり、上にはトランペットと月桂冠を持った名声の女神2人がルイ14世へ王冠を授けようとしており、下には鎖につながれた捕虜がいます。暖炉(使用することはできずただの飾りのようです)の蓋には女神クリオが王国のこれからの歴史を石板に刻もうとしています。
さて、十分すぎるほどルイ14世の勝利と威光を見たところで、いよいよあの「鏡の回廊」へ足を進めましょう。回廊の名前にもなっている17にも及ぶ鏡の扉は庭園を望む窓と対になっていますが、当時贅沢品であった鏡をこれだけの量使用するということはフランスの豊かさと工業力を表していました。鏡の製造はコルベールの重商主義政策の一環で設立された王立鏡面ガラス製作所(今日のサン=ゴバン社)によって行われ、この製作所はやがて当時主流であったヴェネツィア製品を凌ぐ品質を誇るようになったのです。天井には1661年の親政開始から1678年のオランダ戦争終結までのルイ14世の功績が注意深く考案された見事な配置で描かれています。この素晴らしい絵画群はずっと眺めていたいところではありますが、何にせよ天井画なので首が痛くなってくるんですよね…(笑)。車の点検で使うような寝られる台車で鑑賞してみたい!のは叶いそうにもないので、じっくり鑑賞されたい方は専門書で見られることをお勧めします。何せヴェルサイユ宮殿観光はまだまだ続くのですから。後は書いていけばキリがないので実際に行ってこの感動を味わってください、と言いたいところですが一つだけ特筆するなら、是非大理石の柱のピラスター上部にある柱頭に注目してください。これは「フランス式オーダー」というコルベールの要請でル・ブランが創作したものなのです。一見コリント式柱頭に見えますが、よく見ると左右の両端は雄鶏になっており、上にルイ14世の象徴である太陽を戴くフランス王家の紋章ユリがデザインされています。こうしてギリシャやローマから脈々と続くオーダーという建築様式に新たな形を作ることによって、芸術的に優れていたこれら古代の国々と肩を並べようとしているのです。回廊を進むと奥に平和の間があり、そこから王妃のアパルトマンが続きますが、現在修復中でこの先は私もまだ入ったことがありません。平和の間の入り口付近にはシャム使節から送られた銀製のポットが展示されています。
中央付近の鏡の扉が開いているので、そこから次の国王のアパルトマンへ進みましょう。この順路は執務室から衛兵の間へ、逆の順序で進んでゆくのをお忘れなく。「閣議の間」は元々2つの部屋であったものをルイ15世が1755年に現在のような姿へまとめたので、装飾はこれまで見てきた豪華絢爛なバロック様式とは異なり優雅で繊細なロココ様式のものとなっています。戦争の開始など1世紀以上にわたり政治的に重要な決定が行われてきたこの部屋は、革命まで政府の中枢でした。ルイ15世の小アパルトマンをこの部屋から覗くことができますが、残念ながら普段は非公開です。ツアーで見学ができるようです。
次はヴェルサイユ宮殿の中心部、国王の寝室です。今までの国王の大アパルトマンや鏡の回廊でも十分すぎるほど豪華でしたが、この部屋はとにかく金、金、金。円天井までの壁面はほぼ全て金色で埋め尽くされており、装飾は他に例を見ないほどの密度です。ベッドの周りの布は季節ごとに交換できるようになっており、これは宮廷を移動する古の国王の習慣によっています。ベッドの上部には女性に擬人化されたフランスが国王の眠りを見守るという構図になっています。このように壁面は全て金箔の装飾が施されていますが、天井は対照的にただの白い漆喰で装飾や天井画はありません。その方が壁の装飾が際立つからでしょうか…。ちなみにこの寝室ができたのはルイ14世晩年の1701年で、その後の15世と16世は小アパルトマンで就寝したためこの寝室は儀式用となりました。ここまで広く豪華な寝室は寝るにはやはり落ち着かなかったのでしょうね。
さて、次は第2控えの間である「牛眼の間」で、天井付近の帯状装飾にある楕円形の窓が名前の由来となっています。以前はこの空間に寝室と控えの間がありましたが、謁見する人数が増え手狭になったようです。壁にはルイ14世とその家族の肖像画が掛けられていますが、この部屋で特筆すべきは天井付近のフリーズにあたる帯状装飾です。化粧漆喰と金箔による格子模様を背景として活気あふれる子供たちが思い思いに遊んでいる様は、おそらく老齢になったルイ14世が若かった頃の狩りや舞踏の楽しみを思い出すためのものでしょう。
次は第1控えの間ですが、「国王の公式晩餐控えの間」として国王が宮廷人や訪問客の前で夕食を摂った部屋です。テーブルには復元されたナプキンや燭台、その周りには国王や親族、宮廷人他のための椅子が再現され置かれています。壁面の装飾は第一控えの間だけあって前の部屋よりもずっと控えめなものになっています。
次の衛兵の間にはもうほとんど装飾がなく、ただの広い空間で特に見るものはありません。唯一ある暖炉上の絵画や壁の上部にある兜や矢筒の装飾はこの場所を警備した近衛兵にちなむものです。なんだかとても物足りなく感じてしまうのは、この前の部屋たちの眩い豪華さで感覚がおかしくなってしまったせいでしょうか。
この部屋を出ると、多色の大理石が用いられた「王妃の階段」となります。対となる「大使の階段」は現存しませんが、この階段も負けないほど豪華なものです。階段の横には「東洋風衣装の人物のいる宮殿の風景」の騙し絵が掛けられ、空間に広がりを持たせています。この階段を下りずに左の扉を進むと、ルイ=フィリップ王が作ったフランス史博物館となり革命以後の歴史を絵画で見ることができますが、残念ながら旧体制時代の面影はありません。

今回は戦争の間から国王のアパルトマンまでご紹介しました。次回は一階に降りて、王女のアパルトマンを見ていくことに致しましょう。


ヴェルサイユ宮殿観光の手引き②

21 3月 2019
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王はいなくとも、玉座はなくともなお輝きあり

気がつけばもう3月も後半。日本では新生活に向けての準備をされている方も多いのではないでしょうか。
先週末は参加している学生オーケストラの1回目の本番がありました。管弦とにかく人数が多い、指揮もあまり上手な人ではない…など心労の絶えないこのプロジェクト、まともに全曲が通ったことがなかったのでどうなるやらと思いましたが、案の定諸所で事故が発生…。首席としてはそのたびに処理に当たらねばならず通常の3倍ほどの神経を使いましたね。でもこれも経験。次回は王室礼拝堂の木曜演奏会です。

さて、今週もヴェルサイユ宮殿の見学を続けていきましょう。今回は宮殿の目玉の一つ、「国王の大アパルトマン」です。
「エルキュールの間」の壁に大きく掛かっている「パリサイ人シモンの家の宴」の絵に向かって右の順路を進むと、まず最初に「豊穣の間」という小さな部屋があります。この部屋は奥の扉の先にあるルイ14世の珍重品陳列室の入り口になっており、ごく一部の招待客だけが出入りすることができました。王権には付き物のこの財宝というキーワードが「豊穣」の名の由来でしょう。緑を基調とする壁紙と贅沢に使われた金色がそれにふさわしい華やかで贅沢な雰囲気を醸し出しています。ルイ14世の催す「夜会」の際にはここで冷たい飲み物などが振舞われました。壁面にはルイ14世の後継者である4人の肖像画が掛けられており、一番右がルイ15世です。知らないと見落としがちですが、奥の扉上部の天井画に描かれている金と青色の船型の容器は王権の象徴で、大切な宴会の際に置かれました。容器の中身は王のナプキンですが、王権の象徴であるがゆえに横を通る際は全員会釈をしなければならなかったそうです。
さて、この先からが国王の大アパルトマンです。

・アパルトマンとは?
この連載でも「アパルトマン」という言葉を既に数回使用してしまいましたが、そもそもアパルトマンとは何なのでしょうか。
日本の「アパート」の語源となっている英語のapartmentのフランス語なのですが、要するに建物をいくつかの部屋に分けた住居、という意味と捉えれば良いでしょう。そしてヴェルサイユ宮殿は当然王族の住居ですから、どのアパルトマンも格式の高いものとなっています。
個々に応じて多少の相違はあるものの、構成としては衛兵の間、控えの間(2つあることが多い)、大広間、寝室、奥の間(図書室など)という5つの用途に充てられた部屋があり、奥に進んでいくごとに入室を許可される人数は減っていきます。寝室というと一番プライベートな空間のように思えますが、高い身分の者は選別した訪問客を寝室にまで入れなければなりませんでした。

さて、「豊穣の間」の次からが国王の大アパルトマンになるわけですが、「豊穣の間」は上述の通り珍重品陳列室の入り口で、入室できるのはごく一部の人であったはずです。それでは訪問客はどこからこのアパルトマンへ入るのが正しいのか?答えは、今は存在しない「大使の階段」の存在です。王女のアパルトマン見学順路の最後に置かれた模型で見ることのできるこの「大使の階段」は、有色の大理石、絵画、彫刻が見事に組み合わされたとても美しく豪華な階段でしたが、ガラス窓からの明かりが乏しく次第に使用されなくなったことや、強度上問題があったことからルイ15世治世下の1752年に取り壊されてしまいました。
そんな今はなき階段に思いを馳せながら、最初の部屋である「ヴィーナスの間」へ入ります。第一控えの間にあたるこの部屋の名はギリシャ神話の美の女神と、明けの明星である金星とのどちらの意味も持っており、天井画の中心にはこの部屋の主題であるヴィーナスが、その周りにはそれぞれ神話の世界が描かれています。他の部屋や庭園もそうであるように、神話に登場する神々の威光を借りることによって権力を象徴しているのです。また長方形の部分には古代の英雄に関する場面が描かれていますが、これはルイ14世の出来事の婉曲表現に他ならないわけです。正面には古代ローマ風の衣装を着たルイ14世の彫像がありますが、これは左右の騙し絵の中にある彫像と対応しているという仕掛けになっています。
次の第二控えの間にあたる「ディアーヌの間」は、狩猟の女神であるディアーヌが主題となっています。宮殿内で「狩猟」という主題が度々登場するのは、もちろん王が狩猟好きであったことに由来するものです。規則正しく組み合わされた大理石やそれぞれの絵画もさることながら、この部屋で美しいのは中央に置かれたイタリアの巨匠ベルニーニ製作のルイ14世胸像でしょう。小さいながら、国王が若く最も美しかった姿を私たちに伝えてくれます。ルイ14世の「夜会」ではこの部屋はビリヤード場となり、国王の巧みなプレーに皆が拍手を送ったことから「拍手の部屋」とも呼ばれているそうです。
さて、次は「マルスの間」。長方形の少し大きなこの部屋は衛兵の間であり、「軍神マルス」という主題と「衛兵」が意味づけされています。主役は天井画の中心で狼に引かれた戦車に乗っており、それを中心に戦争に関連する絵画として西側に「豊穣と至福を従えたエルキュールが支える勝利の女神」、東側に「地球の権力を支配する恐怖、怒り、そして激しい不安」を見ることができます。こうして勝利や恐怖を与える軍神マルスですが、一方でマルスはフランス語で3月を意味する単語でもあります。この2重の意味から、冬の終わりと春の訪れによって花々が咲く=戦争の終わりと平和の訪れによって芸術が発展するという意味づけがなされました。暖炉を挟んで両側の壁面には対になる大きな絵が掛けられ、左側はフランス人画家シャルル・ル・ブラン作、右側はエルキュールの間にもあったイタリア人画家ヴェロネーゼ作です。これは国王が庇護するフランス・バロックとイタリア・バロックの対決であり、軍配はもちろんフランス人画家のル・ブランに上がりました(見え見えの出来レースですね)。ルイ14世の「夜会」ではこの部屋は舞踏のために使用され、暖炉の左右には楽団を配置できる場所がありましたが1750年に取り壊されました。楽士としては残念。
さて、衛兵の間を通ることができたなら、次は寝室です。「メルキュールの間」は国王に謁見することができる間であり、その折には直接請願書を手渡すことが許されていました(実際に読まれ内容が実行されるかはともかくとして。)この開かれた宮廷というスタンスこそ、多くの人々がヴェルサイユを目指した理由の一つです。しかしここは儀式用の寝室であり、実際に寝室として使われることは一部の例外を除いてありませんでした。今日置かれている寝台はオリジナルではなく、以前はアポロンの間に置かれていたものを後にルイ=フィリップ王が移動させて設置したとのことです。天井画は雄鶏が引く戦車に乗ったメルクリウスを中心に、周りにヴィーナス、科学、芸術が擬人化され描かれています。ここでも国王は芸術、科学、また文化の庇護者であることを物語っており、円天井部分の絵はそれぞれルイ14世の功績を古代の出来事に重ね合わせたものです。調度品はルイ14世時代からもう既に戦費調達目的で金銀の装飾が供出されたのに始まり、殆どオリジナルのものはありませんが、傍らにある精巧な振り子時計だけは革命前にもこの部屋にあったものです。なおこの部屋と次のアポロンの間は壁紙の日焼け防止のためかいつもカーテンが引いてあり薄暗く、立ち入れる場所もわずかで混み合うため他の人と接触しやすいです。スリなどの犯罪にも注意しましょう。
次はついに玉座のある「アポロンの間」です。自らを太陽王として太陽神アポロンと結び付けていたルイ14世の玉座の間ですから、この主題の選択は必然的でしょう。当初の玉座は高さが2.6mもあるものでしたが、これも戦費調達のため供出されてしまいました。ガイドブックには木製の肘掛椅子が置かれている写真が載っていますが、近頃は何もなく後ろにタペストリーがあるのみです。天井画は4頭の馬に引かれた黄金の戦車に乗るアポロンが、擬人化された四季とフランスが傍らで見守る中で世界を夜明けへと導いています。円天井の四隅にはヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、アジアが擬人化され描かれており、中央にいるアポロン(ルイ14世)が全世界を従える様が表現されているのです。装飾もこの上なく豪華で、見ていて飽きることがありません。そして壁面に目を向けてみれば、かの有名なルイ14世の肖像画が対面のルイ16世と共に、私たち訪問客を今日でも出迎えてくれます。

今週は国王の大アパルトマンを中心にご案内しました。次回はいよいよ、世界で最も美しいあの回廊へ参ります。


王室礼拝堂での協奏曲演奏

13 2月 2019
王室礼拝堂での協奏曲演奏 はコメントを受け付けていません。

研究センター発行のプログラム。ソリストとしてしっかり名前が載りました

先週の私の演奏の一部をTwitterにアップしたところ、思いがけず多くの方から反響をいただきました。こうしてすぐに日本の皆さまに様子を伝えられ、また反響をいただくことができるのは現代のネットワーク社会の良いところですね。
年明けから本格的に練習を重ね、先週月曜日からのリハーサルに臨みました。編成は各2人ずつで機動性は良いのですが、何分学生なのでうまくいかないところもあるにはありました。でもコンサートマスターには師匠パトリックがついていてくれ、リハーサルも彼と共に進められたので心強かったです。フランス語を始めて久しいとはいえまだ居住し始めて半年、音楽の専門用語のボキャブラリーも思うように増えず、1人でリハーサルを進めるのは非常に困難なところがありますので…。
リハーサルは月曜日と火曜日だけでした。もう1つのプログラムであるヴィヴァルディの「ほめ讃えよ、主の子らよLaudate pueri Dominum」と並行しながらであったので、私のルクレールに割く時間は2時間ずつしかありませんでした。ルクレールの協奏曲は複雑な構造をしていてなかなか一筋縄ではいかないので、もう1日あったらいろいろなところが詰められたかなと思います。
さて、そうして当日。ヴェルサイユバロック音楽研究センターで1時間半軽くリハーサルをしてから、王室礼拝堂へ移動。前回「優雅なインド」の公演で1度木曜演奏会を経験したので、勝手が分かっていたのは良かったです。
リハーサルでは、前回のように会場の雰囲気に負けるのではないかと心配しながらソロを弾き始めたのですが、今回は全くそんなことはなくむしろ会場に助けられているようでした。この空間に対する変な身構えを払拭できたからでしょうか。純粋に楽器と会場と一体になって音楽をすることの楽しみを感じることができる、そんな空間でした。楽器配置等の微調整もわずかで事足りました。
それでも内心は気負っていたのか、厄介なことに手汗が止まらずガット弦にはあまり良くない状況に陥っていました。研究センターでのリハーサル時に察知していたので一度帰宅して制汗剤を塗りましたが、あまり効果は出ず。特に暑かったり湿度が高かったりということではなかったので、精神的な問題ですね。元々本番になると汗をかきやすいので、今後対策を考えてみたいと思います。
本番はオルガンの前奏に始まり、祭壇への入場はせっかくなのでソリストらしくオケの調弦の後に入る手法を取らせていただきました笑。この日も後方の席まで埋まる盛況ぶりで緊張をするかと思いましたが、本番もやはり会場に助けられている感じでリラックスして弾くことができました。こんな精神状態で弾けるのは中学生以来、いや小学生以来かもしれません。ルイ14世最晩年の1710年に竣工してから現在まで、ルクレールはもちろんのこと様々な音楽家が活躍してきたこの空間で自分は小さな存在であることを否応なく肯定し、それでもその全てを尽くして音楽をこの空間と古の人々に捧げること。こうした謙虚な気持ちが変な緊張を解きほぐし、古の音楽家の魂で全身が満たされていくように感じました。
こうして精神状態は抜群に良好なまま最後まで弾き終えることができましたが、残念ながら時折難しいパッセージを弾くにあたっては技術的な問題から思考の多くを左手に傾けざるを得ず、結果的に守りに入ってしまったり、失敗してしまう部分が残りました。今回は準備期間が十分にあり練習時間も今までにないほど多く取ったので、これは今の自分の限界だなと素直に思いました。パトリック曰く「左手の問題は練習で全て解決し、本番の時は右手のことのみを考えて左手は自動で動かなくてはいけない」とのこと。ただ難しいパッセージの練習を怠っていたわけではないので、問題はもっと根本的な基本技術にあります。昨年にこの曲を弾いた藝大の修了演奏会でも基本技術の限界を感じたのでその後試行錯誤を繰り返していますが、まだまだ完全ではないということですね。
終演後はご来場下さった多くの知人だけでなく、初対面のマダムやムッシュにも温かい声をかけていただきました。そうこうしているうちにiphoneの録画を仕掛けていた2階が施錠されてしまい、危うく回収不能に陥りそうになってしまったのがこの演奏会のオチです笑。
こうして王室礼拝堂で弾くという貴重な機会は多くの収穫をもって終わりました。今後も精進していきたいと思います。

次回はパリのメトロについて書いてみたいと思います。少し毎週のネタが尽きそうなので、何かリクエストがありましたらお寄せください。


ヴェルサイユ宮殿の木曜演奏会

17 1月 2019
ヴェルサイユ宮殿の木曜演奏会 はコメントを受け付けていません。

ゲネプロ直前の王室礼拝堂祭壇付近

このところは少し青空が見えるヴェルサイユです。いつも曇ってばかりだと少し晴れ間が見えただけでとても嬉しいものですね。
先週から以前リハーサルしていたラモーの「優雅なインド」の本番が始まりました。1回目は王室礼拝堂、2回目はシリー・マザランにあるとある小さな教会、今週末はオルセー県立音楽院の音楽堂です。1回目は割と良かったのですが2回目はずれたり色々な事故がありました…有り難い事に第1ヴァイオリンのトップをやっているので何かあった時は対処せねばならないのですが、一人の力ではどうにもならない事もあります。
先週の土曜日はパリ国立高等音楽院の教育学の授業に縁あって参加してきました。国立の学生が先生の前で生徒役にレッスンをして、それに後から先生がコメントするという授業で、私は生徒役。同じ年代の、レベルが同じ人にレッスンを受けるのはなかなか新鮮でした。

さて、今回は前述の「優雅なインド」で初めて参加した、ヴェルサイユ宮殿の木曜演奏会Les jeudis musicauxについて書きたいと思います。
今期は昨年の11月から今年の6月までの24回、木曜演奏会が予定されています。ヴェルサイユバロック音楽研究センターが主催している演奏会で、センターの歌手だけでなくパリ国立高等音楽院のオルガン学生や周辺の地方・県立音楽院の学生も演奏に参加しています。場所はヴェルサイユ宮殿の王室礼拝堂で、演奏謝礼は出ませんがあの空間で弾けるということはとても光栄ですし良い勉強になります。
お客の方も入場料は無料で、予約は不要ですが先日もほとんど満席でしたので、行く場合は少し早めに行った方が良さそうです。客層は年齢層が高めで、偶然居合わせた観光客もいるでしょうがやはりヴェルサイユ市民が多いのではないでしょうか。こうして学生が地域貢献できるところが、ヴェルサイユの良いところです。
さて、当日はセンターで1時間半ほどリハーサルをした後、みんなで徒歩で移動してゲネプロとなりました。私は寄り道して着替えてきました笑。宮殿が目の前に迫ってくるにつれ、とても引き締まる気持ちになりました。ルイ14世の時代から、一体何人の音楽家が同じ道のりを歩んだ事でしょう。自慢の作品を携えて来た者、誰にも負けない演奏技術を披露しに来た者、そして父親に連れられてきた8歳の神童モーツァルト…。全ての者がきっと、こんな気持ちになったに違いありません。いや、彼らの時代は国王がいたわけですから私とは比べ物にならないか。そんなことを考えながら、門に向かって歩いて行きました。
ゲネプロは16時からでしたので、宮殿内にはまだ観光客がいました。演奏会がある時以外は礼拝堂の入り口に柵が置かれているのですが、楽器を持った私を見ると横にいたスタッフが柵をずらしてくれました。うーん、関係者として入れるのって嬉しいですね!
そのまま左手奥まで進むと下に降りる階段があって楽屋があります。礼拝堂は暖房が効いていますが楽屋との間の階段はとても寒かったです。楽屋は小さい部屋が一つと台所が付いた部屋が一つ、男女一つずつの少し広い部屋があるだけでした。昔はここはどう使われていたのでしょうか。壁には修復工事の図面が貼ってあり、工事の会議もここでやっているようです。
そうそう、書いていませんでしたが現在王室礼拝堂は修復工事中で、外壁はすっかり足場を隠す大きな壁で覆われています。その壁にはよくあるように写真が使われていてただの壁ではないのですが、それにはなぜか内装の写真が使われています…。こういうのは外装の写真を使ってなるべく見た目にも遜色ないようにするのではないのでしょうか。均整の取れた宮殿で一際目立つ礼拝堂なだけに、この外装は大きく景観を損なっている気がしてなりません。早く修復が終わってほしいものです。内部はあまり工事しているのが気にならないようになっていますが、上部にあるいくつかの窓は木版で塞がれています。
リハーサルを始めてしばらくの間、工事の音が続いていました。なんだかとてもシュールな現場で、師匠で指揮のパトリックも嫌な顔をしていましたが作業終了時間までどうにもならなかったようです。
祭壇の前の床は色の付いた大理石により美しく装飾されていて、さながら南仏で見たローマ劇場の舞台のようです。2階部分にも巨大な円柱が使われていますし、他の大聖堂や教会にはない華麗さがこの礼拝堂にはあります。
音を出してみると確かに響くのですが、先日行った演奏会で感じたようにやはり音が散っていく感じがします。そのせいなのかどうなのか、巨大な空間の中で自分がとても小さな存在のように感じられました。今日はただ一ヴァイオリン奏者のはずなのに、場所に威圧されるというか、雰囲気に飲まれるというか…ヴェルサイユ宮殿王室礼拝堂ということで意識しすぎなのかもしれません。来月ルクレールの協奏曲を弾く前に一度弾けて良かったです。
本番はパトリックの短い挨拶があった後、まずはオルガン演奏でスタート。優雅なインドの序曲をオルガンで聴くという滅多にない機会。でもやっぱりオーケストラでしょ!という事でもう一度序曲から、オーケストラ演奏がスタート。
進行していくと、途中でパトリックがタンブーランを忘れたまま進行してしまうというハプニングが発生。彼はお辞儀をして奥に引き上げて行ってしまったので、空気を読んで次の曲はどうするのか聞きに行くと、「心配しないで!」という事でした。彼も多分途中で気がついたのでしょう。これは最後にアンコールとして加えることで見事に解決、ついでに有名な「未開人のエール」ももう一度演奏して観客は大盛り上がりでした。
演奏はまずまずの出来で、無事にヴェルサイユ宮殿デビューを終えることができました。次は鏡の回廊デビューを狙いたい!
ちなみにこの演奏会はぴったり1時間と決められているらしく、1曲アンコールしたものの進行はとてもスムーズでした。観覧時間はもう終わっているので、ヴェルサイユ宮殿自体を閉めるためだと思います。
帰りはいつもの通り、徒歩数分で自宅に着きます。本当に良いところに住んだなと、しみじみ思いました。

今回はヴェルサイユ宮殿の木曜演奏会についてお伝えしました。次回は私の通う、ヴェルサイユ地方音楽院について書いてみたいと思います。


イヤーな「カビ」の話

5 12月 2018
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取り寄せたカビとり剤

相変わらず雨ばかりのヴェルサイユ。地面が乾いている日の方が少ないほどです。ここ数日は少し暖かいので霧はあまり出ませんが、何となくすっきりしない空模様がずっと続く様は、18世紀と変わらないのでしょうか。
前回も少し書きましたが、ヴェルサイユは元来湿地帯で、宮殿の造営が行われる前は一面泥だらけで草の悪臭が漂う土地でした。それを全て干拓し、あの壮麗な宮殿と庭園を造ったのです。ただ土地は変わっても、それを取り巻く気候はあまり変わってないのでしょう。

先週末には10月からリハーサルが行われていた「クープランを讃えるラヴェル」の演奏会がヴェルサイユにほど近いヴィロフレーの小さなホールで行われました。図書館に併設されているホールで、残響はあまりないので古楽には少し厳しい現場ではありましたが、とても楽しめた本番でした。ラヴェルのいわゆる『クープランの墓』の楽章間にクープランの『王宮のコンセール』と『リュリ賛』を演奏するという趣向で、モダン科との交流も持つことができました。ちなみに『リュリ賛』ではフランス人を差し置いてリュリ役をさせていただきました笑。
日曜日にはヴェルサイユ宮殿内にある王室歌劇場でシャルパンティエの《アクテオン》とラモーの《ピグマリオン》を観に行きました。演奏はターフェルムジーク・バロックオーケストラ。比較的小編成ながらしっかりとした低音に支えられた響きは聴いていてとても安心感があり、舞台演出も見事でとても楽しかったです。
昨日は王室礼拝堂でジョルディ・サヴァール率いるアンサンブルの、クープランの「諸国の人々」全曲演奏会がありました。各人名演奏をしていましたが、一番安い後方の席だったので如何せん遠くて細部がよく聞こえない…。おそらく王室礼拝堂は身廊と側廊の2階部分の間を遮るものが円柱しかないため、音が散りやすいのだと思います。しかもクープランのような室内楽にはそもそもあの巨大な空間はあまり適しているとは言えない。今度からは高くても前方の席を買おうと思いました。

さて、今回はそんな充実した毎日に密かに我が家へ棲み着いていた、イヤーなカビの話です。
11月に入り、何だか洗濯物が中々乾かなくなったなと思っていた頃、彼らは少しずつ仲間を増やして、遂に目に見えて居間の壁に進出してきました。元々シャワールームのカビには悩まされていたのでカビ取り剤を探していたのですが、MONOPRIXの店頭をいくら探してもない。仕方なくアルコールスプレーで様子を見ようと一度拭いたのですが、一週間経つとまた生え始めました。どうやら壁と密着しているクローゼットの裏側の奴らを退治しないといけないようです。
MONOPRIXのインターネットサイトから購入できる薬剤を店頭取り寄せにして待つこと2日。ヴェルサイユ店へ受け取りついでに買い物に行ったら、数日前までなかったコーナーに取り寄せたのと同じカビ取り剤が売られているではありませんか。もう少し早く出してくれ!取り寄せ料の2€を完全に損しました。まあ仕方ないですね。ちなみに私が取り寄せたからついでに売り始めたわけでは…ないと思います笑。
取り寄せたものとは別のブランドも売られていたので、比較のために購入。「おのれ奴らめ、一斉摘発してやる」と息まいて帰宅し、早速退治スタートです。しかしこれは長い戦いの始まりでした…。
薬剤を撒く前にまず一体となって固定されているクローゼットと棚のネジを外して解体し、手前に引き出す。すると悪の巣窟が姿を現しました。緑色のカビが蔓延り、彼らが吐き出す湿気で壁が濡れています。クローゼットの裏側の板は薄い合板なので濡れて湾曲していました。奴らを白日の下に晒したところでまずはアルコール除菌シートで拭き取ります。マスクをしていましたが、何とも言えない凄まじいカビの臭いが辺りに充満しました。ちなみにカビはクローゼットの裏板を通り越して中にも進出し始めていたので、あと数日遅ければ洋服にカビが移るところでした。危ない危ない。
拭き取りで大方のカビは無くなりましたが、根元から抹殺するためいよいよ薬剤を投入します。まずは写真左のブランドから。さらさらとした液体で、吹き付けるとすぐに流れ落ちてしまいます。キッチンペーパーを当てて様子を見ることにしました。一方、離れた壁面で右のブランドも試すと、こちらは少し泡状になって出てくるので少し滞留時間が長いです。これをビニール手袋をした手で伸ばしていくと作業が早く進みそうだったので、こちらのブランドを主力に採用することにしました。ちなみに両者とも、カビの取れ具合に差は感じられませんでした。
壁面一体を薬剤で覆いつくすと、今度は塩素の臭いが部屋に充満します。そういう薬剤なので当たり前なのですが、扇風機を最大出力で稼働させてもなかなか窓から空気が出て行ってくれません。しかもこの日も雨が降っていたのであまり窓を全開にするわけにもいかず…。次第に頭痛に襲われながらも、なんとか居間のすべての箇所に薬剤を撒き終わりました。本来は水で洗い流さないといけないのですが、居間なので地道に濡れ雑巾で拭き取ることに。バケツでこまめに雑巾を洗いながら作業を進めていくと、水がペンキの白色になってきてしまいました。やれ、薬剤がペンキを溶かしたか。あまり拭きすぎると何が起こるかわからないので、3周でやめておきました。
作業開始から4時間あまり、部屋の中は棚とクローゼットから出した物で散乱し座ることもできないまま、何とか終了。奴らの残骸は完全に無くなり、「兵どもが夢のあと」となりました。クローゼットと棚は少し壁から離して再設置。棚の板は壁にぴったりの寸法で切り出されていたので、解体と再設置には苦労しました。
とりあえず夕飯を食べに外に出ようとヴェルサイユ・リーヴゴーシュ駅前のマクドに行って、帰ってきてみたら塩素の臭いが全然抜けていない。頭痛と鼻炎が割と酷くなってきたので、気分転換を兼ね夜のヴェルサイユをあちらこちらと散歩。何だかんだで午前1時になってしまいました笑。
今では居間のカビはすっかり退治できたようですが、戦いはまだ終わっていません。シャワールームとトイレ周辺の配管近くにまだ大勢います。明日にでもやらねば…。しかも奥の方は手が届かなさそうなので、どうしようか思案中です。

こうしてカビ退治ができたとはいえ、カビが生える元凶の一つである湿気をどうにかしないと、また彼らは戻ってきてしまいます。困ったことにわが家には換気扇というものがなく、シャワーを浴びると湯気が抜けず、洗濯物は生乾き臭を放ちながら中々乾いてくれません。このためAmazon.frでデロンギ社製の除湿器を購入。昨日から稼働を始めましたが、数時間でタンクに面白いほど水が溜まります。湿気退治とこまめな掃除で、もう彼らに会わないことを願うばかりです。

今回は生活の困り事についてでした。次回は
今週末にリヨンの「光の祭典」を観に行くので、その模様をお伝えします。